あなたが生きた物語   作:河里静那

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第二章 タングステンの魂
25話


 

1992年7月26日15時51分。黒須鞍馬、戦死。

フサードニクの機体に搭載されていた物をも巻き込んで炸裂した、鞍馬のS-11による自決。それは大広間に集っていた師団規模のBETAを残らず焼き尽くした。

広大とはいえ密閉空間には違いない広間内を多い尽くすほどの爆発は、核に匹敵すると言われるその破壊力を更に飛躍的に増大させ、ただ一匹たりとも死の腕から逃さなかったのである。

それはまるで、残された仲間達を無事に地上へと送り届けたいと願う鞍馬の最後の想いが具現化したかのような、鮮烈な炎であった。

 

彼の挺身により、“ハイヴ・バスターズ”はさらにその数を減らしつつもフサードニク04を地上に送り届けることに成功する。

かろうじて作戦の最優先目的を果たしたことを受け、国連軍統合参謀会議は全軍の全面撤退を宣言。スワラージ作戦は失敗に終わる。

1992年7月27日00時00分。作戦開始から15時間後、時計の針が頂点を指し新しい一日を迎えたその瞬間のことであった。

 

 

 

黒須鞍馬という男は戦略家としての資質にはやや欠けていたが、戦術家としては一流であり、そして衛士としてはこの戦術機の黎明期を代表する人間であったと言える。その戦い方こそ教科書通りのものとはとても言えなかったが、能力的には一般的な衛士のそれを大きく凌駕していたこと間違いない。

後の世においてBETA大戦史を研究することになる学者達にとっても彼の名は決して無視できるものではなく、彼と“ハイヴ・バスターズ”の人類に対する功績は多大なものであったと言えよう。

 

そんな彼の死は、これからも続く人類の生存戦争に如何なる影響を与えるのだろうか?

……答えは、何も変わらない、だ。

例え如何なる傑物であろうとも、一個人の存在が星の数とも思えるBETAとの戦いに与える影響など、ほんの僅かなものでしかない。

仮に黒須鞍馬という人間が存在しなかったとしても、これまでの歴史が筋書きを変えていたということはないだろう。

これが、BETA大戦という絶望的な戦いの現実なのだ。

 

しかしながら、視点を人類全体から個人へと移してみれば話は変わってくる。

鞍馬の死は、彼と関わってきた多くの者達に決して少なくない影響を与えることになる。

 

“ハイヴ・バスターズ”は解散されることになった。

部隊の顔である鞍馬を失い、最終的に人員を4分の1にまで減らした彼等を再編する余力はこの時点の国連軍には残されていなかった。

また、スワラージ作戦における宇宙軍の運用が想定以上の戦果をあげたことにより、従来通りの戦術を教導するという彼等の存在価値が薄れたこともその理由に挙げられる。

1979年に発足した人類の剣は、二人目の隊長を迎えることなく13年の歴史に幕を下ろした。

 

黒須セリスは戦術機を降りた。

鞍馬のいない戦場で戦い続ける意思を、彼女は見出せなかったのである。

彼女の選択を人類への裏切りと糾弾する声もあったが、近しい者達は黙って彼女を送り出した。

国連軍を辞した後、今後の人生を息子蒼也と過ごしたいと望んだ彼女は日本へと戻り、帝国軍への任官を希望する。しかし、この願いが叶えられることはなかった。

彼女の入隊を拒否した帝国軍は、その理由を間も無く40になろうとする年齢にあると説明したが、日本国籍を有しているとはいえ外国人であることが理由にあるのは明白だった。彼女もそれ以上の説明を求めたりはしなかった。

これ以降、セリスは民間人として、月詠家にて家族と共に暮らすことになる。

 

パウル・ラダビノッドは尚も戦い続ける。

“ハイヴ・バスターズ”の生き残りと共にインド亜大陸戦線に組み込まれた彼は、鞍馬に見込まれた指揮官としての才をこれでもかと振るい、獰猛でありながら慎重、そして何よりその苛烈な戦いぶりから、大佐として連隊を任せられることになる。

無様な戦いは出来なかった。それは“ハイヴ・バスターズ”の、鞍馬の名を汚すことになるのだから。

彼の奮戦は、今年中に崩壊すると予想されていた戦線を94年まで持ちこたえさせる要因の一つとなった。

 

鞍馬の訃報を聞いた家族達も、もちろん深く嘆きにくれる。衛士として戦いに赴く以上、いつかこういう日が来ると覚悟はしていた。だが、だからと言って悲しみが抑えられるわけでもない。

月詠瑞俊は一言「……馬鹿者が」と呟き自室に篭り、雪江、月乃、花純の三姉妹は肩を寄せ合って泣き濡れ、真耶と真那は人目もはばからず声を上げて泣き叫んだ。

 

彩峰萩閣、紅蓮醍三郎といった鞍馬と旧交ある者達、そして斎御司経盛もまた同じく。

彼等は在りし日の鞍馬を想い、その死を悼み、そして改めて人類の勝利を誓う。

 

 

そして、ここにもまた、一人。

スワラージ作戦から3ヵ月後、ニューヨークにある国連軍本部の中にある一室。

割り当てられた専用の執務室にて、彼はその報告書を読んでいた。

提出元はオルタネイティブ第三計画。

フサードニクが持ち帰ったデータを纏め上げたそれは、彼等がこれまでいかに人類の勝利の為に尽くし無私の奉公をしてきたかが過剰な装飾語と共に綴られている、彼等自身に対する美辞麗句で埋め尽くされた前書きから始まる数百ページにも及ぶ大作であった──あくまで、量的には、であるが。

 

長大な文章から不必要に飾り付けられた語句を廃し、自画自賛を読み流し、弁解を黙殺した後に残されていたもの、最後に残った純粋な作戦の成果を見出した時、彼は込み上げてくる笑いを抑える努力を放棄した。

楽しげなものではない。嘲笑……いや、自虐の笑いか。虚空を見つめ狂ったように笑う彼を気味の悪い物を見る目で見ていた秘書官が、勇気を振り絞って声をかけた。

 

「……准将、いかがなされましたか?」

 

壊れたテープレコーダーのように抑揚無く、淡々と同じ笑いを繰り返していた准将は、やはり機械が壊れたかのように唐突に押し黙った。

ぐるりと人形のように首を回し、普段の悪戯っ子のような笑みではない、張り付いた笑みと狂気を宿した眼で秘書官を見る。

 

「君は、この報告書を読んだかい?」

「……いえ、准将が読まれてもいないものに勝手に目を通すわけにはまいりませんので」

「そうか、なら読んでみると……いや、その必要は無いな、俺が説明してやろう。なに、大した時間はかからない」

 

明らかに普段とは異なる彼の様子に、秘書官は気圧されて、いや怯えながら、お願いしますと返事を搾り出した。

 

「BETAは人類を生命体とは認識していない」

 

一転、顔から表情を消した彼が、厳かとも言える口調でそう言う。その言葉に頷きを返し、更なる言葉を待つ秘書官。

しかし、彼から続く言葉は想定の枠外にあるものだった。

 

「君は、この言葉の後に『だが』とか『そこで』とかが続き、作戦の成果が語られると思っただろう?」

「……違うのですか」

「違うのだよっ! 続く言葉は、『以上』だっ!」

 

顔に疑惑の色が浮かぶ。その言葉の真意を探ろうと思考を巡らそうとするその前に、彼があげた叫びのような、叩きつけるかのような言葉が秘書官を襲う。

 

「国連軍、アフリカ連合軍、東南アジア諸国各軍に多大な被害を強要しっ!

 宇宙軍まで持ち出しっ!

 ハイヴ突入部隊の壊滅と引き換えに手にした成果っ!

 人類が今後も戦う為の戦力を費やしたその代償っ!

 それがっ! ……『BETAは人類を生命体とは認識していない』という一言だ……」

 

ついに秘書官の顔にも理解の色が浮かんだ。そしてそれが苦虫を噛み潰したかのものに変わる。

そんな、だからどうしたとでも言うようなことが、そんな今更とでも言うようなことが。そんなことが分ったからといってどうなるというのだ。

 

「第三計画を打ち切る」

「……はい」

「各国に、第四計画の試案を提出するよう要請しておいてくれ」

「議長一派はどうされますか?」

「アメリカは虎視眈々と第四計画の旗主となることを狙っている。第三計画の解体までは協力的だろうさ。……その先は、私の仕事だ」

「了解しました」

「……すこし、考えを纏めたい。一人にしてもらえるか」

 

無言で敬礼をした秘書官が部屋を出た後、残された彼は全体重を椅子に預け、瞳を閉じる。

疲れていた。疲れきっていた。

心に詰め込まれた鉛が体にまで侵食していくかのように動かぬ手足を投げ出す。そのままどれほどの時間が経ったか。

彼はゆっくりと手を動かし、机の一番上の引き出しを開け、中から一枚の写真を取り出した。

写真の中には笑顔があった。先程の彼が浮かべた狂気のものではない、大切な仲間と分かち合う時間を楽しむ、純粋な笑みが。

中央に鞍馬、その横にセリス。反対側には彼が座り、背後にはラダビノッドが立っている。

そして、狭いフレーム内に何とか入り込もうと、押し合うように殺到する大隊の皆。

 

──あんなことの為に、あなたは死んだというのか。

 

彼の瞳から一滴の涙が。

そして口からは「……隊長」という呟きが漏れ、静まり返った室内に溶けて消えていった。

 

 

 

 

 

世界中で鞍馬の死を嘆く者達がいる中、彼の死をもっとも悲しむ権利を持つ人間はどうだっただろうか。

彼の息子、蒼也は。

 

あの日、道場で倒れ病院へと担ぎ込まれた蒼也は、笑うことを忘れた。

身体的には何の異常も無いと診断された彼だったが、心に一つの大きな感情を抱え、それ以外の心を表面に出すことが難しくなったのだ。

何をしていても、何を考えていても、その感情が心の真ん中にどんと居座っており、全ての行動がその影響を受けてしまう。

それは父を失った悲しみ、ではなかった。

無論、それも大きな感情の一つには違いなかったが、それ以上に巨大なものの前では霞んでしまう。

では、怒りだろうか。父を奪ったBETAに対する怒りだろうか。

それも違う。身を焦がすほどの怒りの炎も、その感情の前では消えかけた種火に過ぎない。

 

蒼也の心を支配した感情、それは恐怖だった。

死にたくない。殺されたくない。喰われたくない。

あの時に“視た”映像が彼の心を縛りつけ、その自由を奪っていた。

夜に寝ているとき、襖の向こうから、畳の下から、奴等が現れるような気がして、彼は暗い部屋で一人で眠ることが出来なくなった。

明かりをつけた部屋で壁を背にして縮こまり、太陽が上り始めて人の気配を感じるようになってからようやく浅い眠りにつく、そんな日々を過ごした。

 

そんな彼を、医者はPTSDと診断した。

父親が戦場で戦い続ける不安と悲しみに心が耐え切れなくなり、そこに父の戦死の報が止めになったのだろうと。

それが間違いであることは蒼也自身には分っていた。PTSDには違いないだろうが、原因は待ち人のストレスではなく、奴等に対する恐怖であると。だが、それを誰かに話すことは決してしなかった。

蒼也には確信があった。あれは間違いなくBETAの姿であると。

自分が見たものを絵に描いて見せれば、それがはっきりするだろう。なにせ、日本の民でBETAの姿を知るものはほんの一握りしかいないのだから。

しかし、知らないはずのことを知っていると、見たことがないはずのものを絵に描けると周囲に知られれば、それは決して良くはない事態を引き起こす。頭の回転が速い蒼也はそう判断し、自身の能力を隠し続けることを選んだ。

 

そう、能力だ。

自分には、何か特別な力がある。

遠くの出来事を見る力。知らないことを知る力。思い返してみれば、備わった防御に特化した才もこの力なのかもしれない。

それを自覚した蒼也は、その能力の正体と限界を探り始める。生きる為に。殺されない為に。喰われない為に。

血反吐を吐くまで我武者羅に剣を振るってみた。

下手をすれば怪我ではすまないような高いところから飛び降りてみた。

車の行き交う道路に突然飛び出してみた。

心と体を危険に晒し続け、そして蒼也は一つの結論に辿り着く。

自分は、未来の姿を見ている。

それほど遠くの先が見えるわけではない。通常で数秒から十秒程度。しかし体が、命がより危険に晒されるほどその力は強く発現するようだ。

そして、自身に危機が迫った時だけではなく、鞍馬のことを思うに、恐らくは自分に近しい者の危機にも反応するであろう事。

だが、この可能性を詳しく調べることは出来なかった。検証のために守るべき家族を危険に晒すことなど、出来はしない。

 

そうだ、守るんだ。

この力を使えば、自分と、大切な人達を守ることが出来るかもしれない。

逃げる? 能力を使って逃げ続ける?

……無理だ。

逃げても、逃げても、いくら逃げ続けても。いつかは奴等に追いつかれる。いつか人類は滅亡する。

なら、倒すしかない。

生きる為に。殺されない為に。喰われない為に。

奴等を、殺し尽くすしか……ない。

 

いつからだったろうか。蒼也が抱えた恐怖が裏返ったのは。

いつからだったろうか。蒼也の心の中に居座る感情が殺意へと転じたのは。

いつからだったろうか。蒼也の殺意がまた少し違うものへと変化していったのは。

 

そして、時は流れる。

 

 

 

 

 

第二章 タングステンの魂

 

 

 

 

 

1996年、2月。

帝国斯衛軍衛士養成学校。

 

指導室。斯衛軍衛士養成校の中にそう呼ばれる一室がある。

本来は素行の悪い訓練生を呼び出しお灸を据える為に設けられた部屋だったが、良家の子女が集まるこの学校のこと。訓練生は良くも悪くもお上品な者達が多く、この場に呼ばれるようなことをしでかす者がそうそういるわけでもない。まれに腹に一物抱えたものが入校することもあったが、そう言った者達は教官の前では優等生を貫くものである。いつしかこの部屋は訓練生側から教官に相談があるときに使われる部屋へと変わっていった。

今日、3年生を中心に受け持つ彼がここにいるのも、一人の訓練生から話があると持ちかけられたからである。

例年、卒業を間近に控えたこの時期になると、この部屋の使用率が上がってくる。

未来の日本を背負って立つであろう才に溢れた者達とはいえ、まだ10代の若者なのだ。将来に不安を感じることも仕方ない。まして、今は戦時中なのだから。

とはいえ、将軍殿下をはじめとする摂家衆の守護を目的とする斯衛軍が、今も銃弾飛び交う大陸の戦場に派遣されることは無い。その点において、ここの訓練生達に卒業と同時に戦場に立つという不安はない……ように思えるが、実際にはそれは異なってくる。

BETAとの戦いに加わっていない斯衛軍は当然、人員の損耗が少ない。更には、個人の武功を尊重する斯衛という組織は定年があって無きが物であり、本人が戦えると言い、他者がそれを認める限り現役でいつづけることが出来る。

つまり、新たな衛士希望者数に対して空き機体の数が足りないのである。

大陸での戦闘が激化するにつれ、将来を見据えて新たな大隊が編成されてもいるが、それでも訓練校を卒業したはいいが結局予備役につくことになる者、衛士の道を断念し他の部署に配属される者等が毎年いるのが実情だ。

そしてその中には、帝国軍に所属するという選択をする者もいる。

彼等にとって、戦場とはごく身近なものなのである。

 

しかし、今日彼が会う相手に限って言えば、そのような心配は無いはずであった。

何しろ入校してからの3年間、首席の座を守り通している男なのである。優秀な人間が優先的に権利を得るというのは何処の組織でも同じことだ。

武家の人間ではないという点、そしてそれ以上に大きなある弱点も持ち合わせている。だが、彼の後ろ盾に立っているのは現役を退いたとはいえ未だ斯衛全体に大きな影響を持つ月詠瑞俊と、歴代最強と謳われる紅蓮醍三郎の二人である。彼の黒を纏っての斯衛軍入隊は最早、確定事項といってよかった。

 

「黒須蒼也=クリストファー、参りました」

 

扉をノックする音に続き、そう声が掛けられた。

その言葉に、教官の顔に訝しげな色が浮かぶ。それが彼の本名であることは知っているが、訓練生としての生活の中での呼称は黒須訓練生ないし黒須蒼也であり、その横文字の部分が名乗られることはほとんど無かったからだ。

疑問を感じながらも入室を促した教官の言葉に、黒須訓練生が扉を開いた。

色素の薄い髪と瞳、そして彫りの深い目鼻立ち、美少年といっても良い顔立ちではあろう。だがやはり、見慣れたとはいえこの斯衛軍衛士養成学校という場においては異質な印象を受けるのを否定できない。

その名からも分る通り、日本人とアメリカ人のハーフ、それが黒須訓練生であった。

 

 

 

教官が彼、蒼也に抱いている印象は、どこかちぐはぐというものであった。

ハーフゆえの顔立ちもその理由の一つであろうが、それ以上に能力面において良い意味でも悪い意味でも他の訓練生とは一線を画しているのである。

座学においては文句なしに優秀、次席以下を大きく引き離している。だが実技面においては、彼は決して才能に恵まれているとは言い難かった。

射撃能力は下から数えたほうが早い。もし敵味方識別装置がなかったら味方を撃ち抜く恐れがある。

幼い頃から月詠瑞俊と紅蓮醍三郎に教えを受けただけあって剣術、体術に関してはそれなりのものを持っているが、彼の従姉妹達のように煌く才に溢れているわけではない。それに、斯衛という場においては彼以上に剣に秀でた者も決して少なくない。

戦術機適性にいたっては、衛士となれる下限ぎりぎりである。前衛に付き物の過剰なGに体が耐え切れない為、比較的得意とする剣を諦め後衛につくしかなかった。

 

余談だが、斯衛軍の戦術機適正記録の上位は彼の知人で占められている。

歴代二位に紅蓮醍三郎、それに黒須鞍馬が並び、月詠真耶、真那が続く。そして、歴代一位は意外な人物、月詠瑞俊その人である。戦術機が配備されたとき既に現役を退いていた彼であるが、日本人の適正統計の分母を増やしたいからと要請を受け、計測してみたところ年齢からは考えられない高い数値をたたき出したのである。

これにより瑞俊は、実情は名誉的なものとなるが衛士としての資格を所持しており、実際の操縦においても下手な訓練生では敵わない程度には腕を持ち合わせている。

もし、彼が30年遅く生まれていたなら、歴史に名を残す衛士になっていたかもしれない。

更に余談だが、セリスの適正数値は瑞俊の更に上を行き、斯衛どころか全世界の記録で歴代一位を誇っている。

 

このように実技面においては劣等生といって良い程度の能力しか持ち合わせていないにもかかわらず、それでも彼の首席の座は揺らぐことは無かった。

対人訓練においても、対BETA訓練においても、個人戦でも、部隊を率いても。的を相手にする射撃訓練などではなく、他者を相手取る訓練において彼の勝率は10割であった。入校からの3年間、一度として黒星の付くことは無かったのである。

何故そのような真似が可能なのか。

一見有り得ない事態に、教官達は彼を注視することになる。そして導き出された答えは、彼の異常なまでに高い戦術眼によるというものであった。

有能な棋士は千手先までの手を読むという。彼もまた同じなのだろうか、彼を相手にした他の訓練生は常に彼の手の上で踊らされていた。時に、教官までも。

 

こんなことがあった。隊長適正を計る為、机上で部隊を率いて訓練生同士が戦った時のことだ。

勝負が始まるや否や、蒼也は戦術機部隊の一部を囮として敵主力を惹き付け、その隙に本隊を持って相手の支援、補給部隊を壊滅させたのである。まるで、最初から敵の動きを予測していたかのような、未来が見えるかのような、見事に過ぎる奇襲であった。

その後陽動部隊を合流させ、磐石の態勢を持って残された部隊を壊滅させていくかと思われたが、彼の行動は教官の予測の上を行った。

彼は戦略目標のみ確保するとそこに立て篭もり、打って出ることは無かったのである。

対戦相手は戦略目標を取り戻そうと手を尽くしたが全て彼に上を行かれ、やがて補給物資がなくなり撤退せざるを得なくなった。

何故、敵部隊の壊滅を狙わなかったのか? 訓練後、教官よりそう尋ねられた蒼也はこう答えた。

 

「人類の共通の敵はBETAであり、全ての兵士は人類の貴重な戦力です。にもかかわらず、この課題では人類同士の戦闘が行なわれています。

 つまり、戦闘開始の時点で既に、戦略的には敗北しているということになります。この損失を最低限に抑えるため、自分に許された手段の中で最善の一手を選びました。

 相手側の戦力を必要以上に削がなかった事実をどう利用するか、これはもう一段階上の戦略、あるいは政略の範疇となります。恩を着せるか、いつでも殲滅できるのだと脅しに使うか、または世論を味方につけるか。願わくば、有効に使って欲しいものです」

 

蒼也の答えを聞き、教官は鼻白んだものである。

更に、もし蒼也自身が政略の立場にいた場合、今回の状況を有効に仕えるかと尋ねた教官に、蒼也は一言こう答えた。

 

「無論」

 

言葉がなっていないと叱責するべきだったろうか。しかし、教官はその答えにある種恐ろしさすら覚えた。彼の脳内では、実際にいくつもの可能性がシミュレートされているのだと理解できたのだ。

何故だろう。そんな彼の様子に、頼もしさではなく危うさを感じたのは。その瞳に光る輝きに危険な色が見て取れたのは。

 

 

 

机を挟んで向かい合う蒼也を見て、かつての出来事に思いを巡らせていた教官の意識が現実に引き戻された。

蒼也の目を見たからだ。

また、あの光だ。彼の瞳に宿る強い意志、そして危うさ。覚悟を決めた者の眼に近い。

教官が、擬似生体を移植された右目を隠す眼帯へと無意識に手を伸ばす。帝国陸軍から斯衛軍衛士養成学校に教官として出向してきている彼は、大陸派遣軍として実戦を経験している。この右目も、その時に失ったものだ。

彼の脳裏に、大陸で散った戦友達の姿が浮かんだ。死に行く際に見せた彼等の眼、それが蒼也の瞳に宿る光に重なった。

……いや、違う。己の命を投げ出す覚悟を決めた眼とも、また違う。

しかし、どこかで見たことがある……。

 

「真田教官、お時間を頂きましてありがとうございます」

「かまわん。それで、どんな話だ?」

 

単刀直入に用件を言うよう促す。真田は腹芸の得意な男ではない。それに、教え子にそのようなことをするのも間違いのように思う。

真田の意を汲み取った蒼也が、彼の一つしかない瞳をじっと見つめ、そして本題を切り出した。

 

「真田教官……いや、帝国陸軍真田晃蔵大尉。自分は、帝国大陸派遣軍への入隊を希望します」

 

蒼也の言葉が、ゆっくりと真田の腑に染み渡り、その意味を理解した時にまず浮かんだ感情は驚きだった。

確かに真田は、斯衛の枠からあぶれてしまった訓練生のうち、帝国軍への入隊を希望する者達の窓口となってはいる。しかし、斯衛への配属が確実にもかかわらず帝国軍へと入隊を願うのを聞いたのは初めてだ。まして首席卒業者が、しかも大陸派遣軍に、などと。

しかし、同時に納得もしてしまった。その言葉で、蒼也の瞳に宿る光の正体に気付いたのだから。

 

──これは、殺す覚悟を決めた者の眼、だ。

 

BETAを殺す覚悟、そんなものは訓練生なら当然に出来ているだろう。

そうではない。明確な目的を持ち、それを邪魔する者があれば人間すら殺す覚悟を定めた者の眼。

あらゆる犠牲を払おうと、目的を果たす覚悟をした者の眼だ。

 

「……わかった」

「ありがとうございます」

 

覚悟は出来ているのかなどと、後悔はしないかなどと、そんなことは聞くまでも無い。この眼を見てしまったのだから。

仮に真田がここで翻意を促したとしても、蒼也は独自に帝国軍への扉を叩くに違いない。ならば、せめて自分が希望を叶えてやるべきだろう。それが、せめてもの親心だ。

 

「月詠家の方や、紅蓮大将には?」

「これから話します。……どやされるでしょうが」

 

そう言って、苦笑いを浮かべる蒼也。

その姿に、真田は始めて、彼に年相応の幼さを見出した気がした。

 

──願わくば、彼の今後の人生に幸多からんことを。

 

自分にはそう願うことしか出来ない。これから死地へと向かおうとする若者を前に、それだけしかできない。

輝かしい未来が待っているはずの若者にあのような目をさせてしまった時代に、それを止められなかった自分達に、真田は自身の無力さを噛み締めるのだった。

 

 

 


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