あなたが生きた物語   作:河里静那

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22話

 

「あら、随分大盛りの焼きそばね。しかも二皿も。取り分けましょうか?」

「……駄目」

「慧ちゃん?」

「死守。焼きそばは私の物、誰にも渡さない」

「……慧ちゃん、焼きそば好きなのね……」

「とてもすごく好き」

 

「慧ちゃんって言うの? 僕は、黒須蒼也=クリストファー。よろしくね」

「……長い」

「うん、だから蒼也でいいよ」

「……くろすそうや……くろそうや? 関西人?」

「そら確かに関西人やけど」

「黒そう……腹黒?」

「いや、別に腹黒くは……どうだろ?」

 

「こら、慧。初対面の蒼也君にそんなこと言うもんじゃない」

「わかった、蒼也?」

「いや、君だから」

「バカなっ!」

 

 

 

 

 

1988年、5月。

東海道新幹線ひかり号、車内。

 

窓の外側を風景が後ろへと流れていく。

家々、木々、田んぼに畑、全てを置き去りに列車は走る。

高速とはいえ巡航する戦術機よりも遅い速度だが、網膜投影で映し出されるものとはまた違う趣に、気がつけばセリスはその風景を茫と見続けていた。

前線での移動の多くは戦術機に乗ったまま行なわれる。それ以外に触れる機会のある乗り物といえば、シートの固い軍用車か物資輸送の際に使われる貨物船、或いは戦術機空母くらいのものだ。

 

──老後の趣味は、平和になった世界中を列車で旅すること。そんなのも悪くないかもね。

 

いつしか景色は緑なす山々へと移り変わる。

その新緑の美しさに心奪われたとき、興を削ぐように列車はトンネルへと入り視界が黒く染まった。

空想の世界に赴いていた意識が現実に引き戻される。轟と響く音が耳に障った。

 

セリスはわずかに眉をしかめたあと、視線を車内に移した。

向かい合わせになるよう回された座席には、セリスの他に3名の人物が座っている。

楽しげに談笑をしているのは鞍馬と彩峰准将。

准将は軍用機を飛ばして帝都の基地へと赴くことも出来たはずだが、自分一人の為にそこまですることは無いと、鞍馬等と共に新幹線を使って移動することを選んだそうだ。

特権を行使しようとしないその姿勢は崇高だと思うけど、それに付き合う人も大変ね。

通路を挟んだ席と車両の両端に座る彩峰の護衛達に少し同情するセリスだった。

もっとも、鞍馬も多少なり護衛の人間をつけるべき立場にいるはずなのだが、それには気が回っていない辺り、セリスも随分と染まったものである。

 

共に座る最後の人物は、随分と緊張した様子の沙霧少尉。

つい昨日まで自分をしごきにしごいていた教官が一緒なのだ、それも無理ないだろう。

 

──本当に、一緒に行っていいのかしらね?

 

任官祝いの席に招かれたのはいいが、場違いじゃないかしら。

彩峰准将はごく身内の集まりだから気にしないでくれと言ってくれたが、ならば尚のことお邪魔な気がする。

沙霧少尉自身にこっそり聞いてみたところ、是非いらしてくださいとは言ってくれたけど……思えば、意地悪な質問だったかしらね。

仮に嫌だと思っていたとしても、准将や大佐相手に遠慮してくれなんていえないわよねえ。

 

何が正解だったかと徒然と考えていたセリスだが、ふとそんな自分がおかしくなり、笑いの衝動が込み上げる。

 

──私も、随分と日本人的な考えをするようになっちゃったわね。

 

米軍にいた頃は、誰も本音と建前の使い分けなんてしていなかった。

相手が上官だろうが部下だろうが、嫌なものは嫌とはっきり言えた──無論、任務は別だが──し、別にそれが失礼に当たるわけでもなかった。

随分と染まったものねえ。でもまあ、そんな自分も……嫌いではない。

 

列車は短いトンネルを出たり入ったりを繰り返している。どうやら、この区間は風景を楽しむのに適していないようだ。

セリスは外への未練を断ち切ると、旅の道ずれとの会話を楽しむことにした

どちらにせよ、もう参加自体は決定したこと。なら、少しでも沙霧少尉と打ち解けておきましょうか。

上官2人の会話に入り込めず、一人居心地悪そうにしているのもかわいそうだしね。

 

「沙霧少尉」

「あ、はい。何でしょうか、大尉」

「訓練じゃないんだから、そんなに肩に力を入れないでいいわよ。

 ……少尉は養成校を出たばかりとは思えないほど優秀だけど、日本の訓練兵は皆そんなにレベルが高いものなのかしら?」

「そう言っていただけると光栄です。確かに私は首席の栄誉を賜りましたが……皆、私に負けず劣らず優秀な者達ばかりですよ」

 

そう沙霧は胸を張ったが、今の物言いでは自分で自分のことを優秀だと言っているようなものだと気付き、顔を青くする。

そんな世間ずれしていない反応がなんともおかしく、セリスの顔に微笑が浮かんだ。

 

「少尉、自分の能力を正しく評価するのは大切なことよ……それが増長でなければ。

 大丈夫、貴方は間違いなく優秀よ。大佐が自分の部隊に招きたいくらいだって言ったのは嘘じゃないんだから」

「はあ……恐縮です。しかし、お二方を前にして自分が優秀などとは、口が裂けても言えませんよ。まさか一個中隊で敗れるとは夢にも思いませんでした」

「ああ、あれ……ね」

 

多数を相手取る感覚を鍛える訓練。

その手本と称し、鞍馬とセリスのエレメントは沙霧が所属していた中隊12名と戦い、それに勝利した。

鞍馬等が第2世代機のF-16に搭乗していたのに対し、帝国軍衛士達は第1世代機F-4 ファントムの改良型であるF-4J 撃震を使っていたという理由もある。

 

ちなみに、教導の際には“ハイヴ・バスターズ”も帝国衛士達に合せて撃震に乗ったほうがいいという意見もあったが、これは鞍馬によって却下された。

教導が終わればまた前線へと向かう身であり、機体の操縦感覚が狂うことを恐れたのだ。

例え僅かなものであろうと、生存確率がほんの少しでも上がる要因があるなら、必ず実行する鞍馬である。

 

撃震は信頼性の高い優秀な機体ではあるが、第2世代機であるファイティング・ファルコンと比べてしまうと性能面で大きく劣る。

更に、鞍馬とセリスの実戦経験は12年にも及び、このエレメントは現段階で人類最強の衛士の一角であるといえよう。

だが、それでも2対12という機数差は覆せるものではない。それこそ訓練兵相手なら各個撃破を狙うことも出来ようが、相手にしているのは帝国切っての精鋭なのだ。

 

そう、鞍馬とセリスは勝てるわけが無かったのだ、本来なら。

鞍馬が話を持ち出したとき、セリスは思った。4機か5機、展開次第で6機までなら倒せるかしら、と。

この条件でも一個小隊までなら確実に倒せると考えるセリスも相当なものだが、それでも勝利できるなどとは夢想だにしなかった。

 

しかし結果は12機の殲滅。

セリスは思い出す。右手に突撃砲を、左手に長剣を構え、前衛に立った鞍馬が雨の如く降り注ぐ劣化ウラン弾を掻い潜って敵の一機に肉薄し、一刀の元に切り伏せるのを。

それだけでも十分常識からかけ離れた光景なのだが、次の瞬間に起こったのは本当に有り得ない出来事だった。

 

潜伏していた一機から放たれた狙撃。

セリスすら見落としていた伏兵による、完全な死角である後方危険円錐域、ヴァリネラブルコーンから放たれた一撃。

確実に管制ユニットに突き刺さるはずであったそれを、鞍馬は回避したのだ。

弾が逸れたとか、移動が偶然回避に繋がったとか、そういうものではない。

気付くはずの無い狙撃を明確に知覚し、機体を反転させて回避すると同時に反撃、無力化して見せたのだった。

 

──……あれは一体、何だったのかしら……

 

あれは、人間が避けれる、避けて良いはずのものではなかった。

訓練の後、どうして避けれたのかとセリスに詰め寄られた鞍馬の答えは、なんとも不明瞭なものであった。

 

「なんとなく、狙撃が来るならあのタイミングだと思ったんだよ。

 まあ……勘、か?」

 

蒼也にしてやられた時の鞍馬の気持ちって、こんなのだったのかしら?

到底納得できる答えではなかったが、鞍馬自身それ以上の明確な答えを持っているわけではない。

30代も後半に差し掛かったにもかかわらず操縦に衰えを見せない、それどころか未だに成長を続けている鞍馬であるが、アンバールでの戦いの際にはここまでの凄みは見せていなかった。

帝都での休暇で疲れが取れたのだろうか? それとも蒼也と戦ったことで何か掴んだとでも言うのか?

 

──そのうち、光線級のレーザーまで避けて見せるんじゃないでしょうね……

 

腕が立つのに越したことは無い。頼もしいことには違いない。エレメントを組む相手としてこれ以上の者はいないだろう。

だが、何か人知の及ばないものを前にしたときのような、心に漠然とした不安が沸き起こるのを止められないセリスだった。

 

 

 

そして。

会話の途中、急に考え込んでしまったセリスに声を掛けることも出来ず、また一人取り残されてしまった男が一人。

轟という音が響く暗闇に目を向け、小さく吐息を漏らす沙霧であった。

 

 

 

 

 

1988年、5月。

帝都城。

 

沙霧の任官祝いの宴は楽しいものであった。

突然の闖入者に沙霧の両親は驚きもしたが、“ハイヴ・バスターズ”の名声は2人の耳にも入っており、その隊長が日本人であることを誇らしく思っていたこともあって随分と歓迎されたものである。

むしろ、主役であるはずの沙霧が蔑ろにされていたような気すらする。

心配が杞憂になってほっとしたセリスではあるが、これはこれで申し訳なかったと複雑な気持ちだ。

だがまあ、子供に好かれる性質なのか、蒼也と彩峰准将の娘、慧を両の膝に乗せてそれなりに楽しそうな様子であったことだし、良しとしておこうか。

 

蒼也は随分と沙霧のことが気に入ったようである。

身の回りにいる衛士といえば随分と年上の者達ばかりの中、比較的年の近い沙霧の存在は大いに刺激されるものがあったようだ。

しきりに養成校での話を聞きたいとせがみ、沙霧もまんざらでもないようで子供にも話せる範囲で色々と聞かせてやっていた。

もっとも、その都度「尚哉は渡さない」と慧が混ぜ返すので、有意義な話になったかといえば疑問が残るが。

 

それにしても、この慧という子。

自由奔放といおうか、型にとらわれないといおうか、何とも不思議な子供であった。

普段、気がつけば周りを自分のペースに巻き込んでいる蒼也がすっかり手玉に取られている当たり、ある意味、将来末恐ろしいものがある。

 

 

 

 

 

その後は月詠家へと戻り、謁見までの日々を過ごした。

今回の謁見には鞍馬の他に一名の随行が許されている。

副隊長としてラダビノッドが随行するのが筋といえるかもしれないが、彼には残る部隊を率いてインド亜大陸戦線へと向かう仕事があった。

結局、鞍馬が選んだのはセリスであった。隊長の副官という立場ならば、道理も通るだろう。

それに、これには鞍馬の個人的な願いもあった。

かつて仕えていた主、斎御司経盛殿下に自分が選んだ女性をお目に掛けたかったのだ。

斯衛を辞したことに悔いは無い、そして今、自分は真っ直ぐに立っていると。そう伝えたかったのだ。

 

 

 

斯衛から迎えに来た車に揺られ、帝都城の敷地に入る。

城と呼ばれてはいるが、戦国の世のような天高くそびえるものではない。むしろ御所と呼ぶほうが正確であろう。

だが、やはり将軍殿下のおわす所は城と呼ぶべきなのだ。これは日本の民のいわば常識というものであり、帝都城の他にも塔ヶ島城等、日本各地にある将軍縁の住まいも離城と呼称されている。

そう、例え既に実権を失っていようとも、将軍とは日本人にとって忠誠を誓うべき対象なのである。

比べるなど恐れ多いことだが、皇帝陛下よりもむしろ将軍殿下に対し敬意を払うものも少なくない。

そして、鞍馬にとっても将軍とは、斯衛を辞した今も尚、特別な存在である。

 

 

 

こちらでしばらくお待ちくださいと通された控えの間には、先客が一人いた。

 

「久しいな、黒須よ」

 

大きい。この男を表すのに、この端的な一言ほど適した言葉もあるまい。

長身の鞍馬よりも尚頭一つ高く、横幅と厚みは比べるまでもない。

帝国斯衛軍少将にして赤を纏う男、紅蓮醍三郎。

現在の斯衛軍において、いや長い斯衛の歴史の中でも最強と目されている男である。

紅蓮は鞍馬と共に月詠瑞俊より剣を学んだ、所謂兄弟子に当たる。

だが、その余りの強さ故に将軍殿下より直々に新たな流派を興すことを許され、無現鬼道流の開祖となった。

現在の階級は少将であるが、既に将軍の右腕として認められており、将来は確実に大将にまで昇るであろう、それほどの男である。

ちなみに、斯衛軍及び帝国軍には元帥という階級は存在しない。何故なら、政威大将軍こそがそれに相当するからである。

 

「ご無沙汰しております、紅蓮閣下」

「閣下などと、何を。昔は紅蓮の兄さんと呼んでおったものを」

「私も年をとって、時と場を弁えることを覚えましたので」

「はっ、言いよるわ」

 

ガハハと、豪快に笑い、鞍馬の肩を力強く叩く。

鍛えてないものが受ければ鎖骨が砕けるのではないかと思える程の一撃に思わず顔をしかめるが、心の内には別の思いがよぎっていた。

 

──ああ、変わらないな、兄さんは。

 

鞍馬の目が懐かしさに細められる。

見た目通りの豪快な性格でありながら、細かいところまで気のつく面倒見の良さも持ち合わせている、まさに理想の兄貴。

いつかこの人に勝ちたくて研鑽を積んだものだが、ついにその機会が訪れることは無かった。

もし彼がいなければ、鞍馬は斯衛を離れるのにより深い懊悩を必要としたことだろう。

 

「生きて再びお主と会えたこと、嬉しく思うぞ」

「……閣下、これから殿下とお会いするというのに……泣かせないでください」

「泣け泣け。ここで涙を枯らしておかねば、殿下のご尊顔を拝見したならば前が見えなくなるぞ。して、そちらの方が……」

「お会いできて光栄です、閣下。鞍馬の妻、セリスと申します」

 

それは見事な敬礼で応えるセリス姿をじっと見つめ、紅蓮は大きく一つ頷く。

そして、その大きな頭を深く下ろした。

 

「セリス殿。奥方ならばわかっておられることと思うが、こやつは強がる割に打たれ弱いところがある。どうか、隣りで支えてやって欲しい。

 ……これからも、こやつのこと、よろしく頼み申す」

「閣下ッ! どうか頭を上げてください。

 ……約束します。死が二人を分かつその時まで、ともに歩むと」

「そうか……ありがとう。

 黒須よ、お主は幸せ者のようだな」

 

優しげな笑みを向ける紅蓮に、鞍馬は一言、「はい」と力強く、迷い無く答えた。

斯衛を飛び出した弟分を心配していた。

深く悩む癖のある鞍馬のことだ、伝え聞く数々の活躍にも、どこか無理をしているのではないかと考えていた。

だが、今の返事を、その一言に籠められた想いを聞き、あの時斯衛を辞したことは正しかったのだと。そう腑に落ちた。

 

「主の子も、なかなか面白く育っているようだな。上手く行けば名のある剣士になるやもしれん」

「蒼也に会われたので?」

「おう。瑞俊殿より、孫達の面倒を見てくれないかと頼まれてな。師の願いとあらば、断ることなど出来ん。

 この春より、蒼也と真耶、真那の3人は無現鬼道流の門下生よ」

 

──そうか、兄さんが。

 

紅蓮醍三郎が師となるならば、何の心配も要らない。

真耶、真那の剣はますます冴え渡り、蒼也のあの守りに偏りすぎた剣も、長所を殺すことなく伸ばしていってくれることだろう。

無論、瑞俊では役者が足りないということではないが、最強を謳われる男の下でなら、更なる成長を遂げるに違いない。

そして、万が一自分にもしものことがあったとしても、紅蓮がいてくれるならば……

蒼也は真っ直ぐに育ってくれている。それを支えてくれる人もいる。

そして、これより殿下にもう一度まみえることが出来る。

最早、後顧の憂いは無い。

俺は、前だけ向いて戦っていけば良い。

 

「黒須大佐、準備が整いました。これより、政威大将軍斎御司経盛殿下への謁見の儀が執り行われます」

 

侍従の呼ぶ声に、鞍馬とセリスが席を立つ。

その背へと向けて、紅蓮より言葉が掛けられた。

 

「黒須よ、主に恥じることなど何一つとしてない。

 顔を上げろ、胸を張れ、前を向けっ!

 今日この場にお主を呼んだ殿下のお気持ち、汲んで差し上げろっ!」

 

その言葉通りに、顔を上げる、胸を張る、前を向く。

果たして、斯衛を辞した自分に、殿下にお会いする資格などあるのか。

心に澱んでいたその迷いが消える。

そして、鞍馬は謁見の間へと続く扉をくぐった。

 

 

 

 

 

「国連軍大佐、黒須鞍馬。参上仕りました」

 

謁見の間へと入り、目線は上げずに一歩進み出る。

そして片膝を着き、鞍馬は口上を述べた。

 

「面を上げて良い」

 

一段高い場所から聞こえるその言葉。かつて仕え、忠誠を誓った相手のその声。もう二度と間近で耳にすることなど無いと思っていたその声を聞き、それだけで涙腺が緩みそうになる。

大きく息を吐いてその衝動を堪え、ゆっくりと顔を上げ、立ち上がった。

 

「……殿下、ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます」

 

謁見の間の奥、一段高くなった場所に置かれた椅子に腰掛けるのは初老の男。

厳しさと慈しみを共にそのかんばせに乗せ、2人を見やるその男こそ、日本帝国政威大将軍、斎御司経盛その人である。

 

──……ああ、御髪をこんなにも白くなされて……さぞ、ご苦労を……

 

鞍馬の知る殿下の髪は、ところどころ白いものが見え隠れはしていたものの、概ね黒いと言って良いものだった。

ところがどうだろう。今、目の前におわす方は髪も髭もほぼ白一色となっており、一国の長としてBETAの侵攻に対することの苦悩を窺い知ることが出来た。

そして、胸を張れと言われたにもかかわらず、その苦労を分かち合うことが出来なかった自分に恥じ入りそうになる。

 

だが、その気持ちは侮辱に当たるだろう。

自分は、持てる限りの全力を尽くしてきた。ならばそれを恥と思うのは、自分自身に、並んで歩いてくれたセリスに、共に戦った戦友達に、送り出してくれた瑞俊に、胸を張れと言ってくれた紅蓮に、そして散っていった多くの英霊達に対する侮辱に他ならない。

ならば、顔を上げろ、鞍馬。

 

「黒須大佐、此度の帝国陸軍に対する戦術機教導、大儀であった。

 この日本国を預かる者として、我が国の兵を鍛え上げたそなたに対し、またBETAを駆逐せんと日夜戦う国連軍に対し、感謝の意を述べる」

「もったいないお言葉にございます、殿下。この身は既にBETAの打倒に捧げており、さすれば今更その様なお言葉を頂く謂れもございませぬ。

 それでも尚許されるならば、そのお言葉を胸に抱き、粉骨砕身の決意を持って全うする所存にございます」

 

儀式は終わった。

この謁見は将軍の言葉通り、日本が国連に対し、先の教導における働きに感謝の意を述べる、その為に設けられた。

くだらない、形式だけのやり取りとも見えるが、政治の世界においてはこういった予定調和も必要になってくるのだ。

それ故、先ほどのやり取りによって、この謁見の目的は終えたと言える。

 

だが、経盛と鞍馬はお互いの顔を見合ったまま、その場を動こうとはしなかった。

将軍の顔を見つめるなど不敬と取られることではあるが、控える侍従達からも咎めの声は上がらない。

日本帝国政威大将軍と国連軍大佐の謁見は終わった。

そして今行なわれているのは、12年ぶりに顔を合わせた、かつての主従の再会であった。

 

「壮健なようだの」

「はっ、何とか無事に生き長らえております」

 

経盛の顔からは厳しさが消え、慈しみのみを持って鞍馬に対する。

ただ前を向く決意をした鞍馬に、眩しいものを感じた。

 

「良い顔をしているな、黒須よ。

 そなたが斯衛を去ると聞いた時、そこの女子を随分と恨んだものだが……」

 

鞍馬の後ろに控えるセリスが体を小さくする。

セリスは自分に発言が許されていないことを感謝した。この場では、何を言っても間違いのように思えた。

その様子を見て、ふっと笑った経盛が言葉を続ける。

 

「しかし、これでよかったのだろう。

 斯衛は紅蓮と並ぶ未来の指導者を失った。奴が儂の右腕ならば、そなたは左腕になってくれると思っておった。

 だが……その顔を見てしまえば、恨み言など言えんわ」

「重ね重ね、もったいないお言葉にございます」

 

褒めちぎられた鞍馬が、流石に恐縮した様子を見せる。

 

「なんの、それにそなたのかつての輩も、同じく思っておる。

 斯衛を捨てた非国民とそなたを罵った者もいたが、国連軍の旗頭と呼べる部隊の長が日本人の元斯衛であると、今では内心、鼻を高くしておるわ」

 

そう言って高らかに笑う経盛。

しかしその笑いが収まった後、瞳を閉じ、そして開いたその顔は、再び為政者のものへと変貌していた。

 

「ところでの、黒須よ。

 実際のところ、お主はこの戦いをどう見る?」

「どう……と、申しますと?」

 

経盛は言葉を躊躇った。

だが、聞かねばならぬ。一国を治めるものとして、逃げることは許されぬ。

 

「人類は……勝てるのか?」

 

鞍馬もまた言葉を躊躇った。

言えば、言ってしまえば、決意が崩れてしまうかもしれない。

だが、誓ったではないか、俺はもう逃げないと。

 

「……20年」

 

苦々しく口を開いた鞍馬の言葉に、経盛の目が見開かれる。

 

「このまま戦いが推移していくならば、おそらく後20年で人類は滅びるでしょう」

「なんと……そこまでとは」

「人類は懸命に戦っております。ですが、奴等に対する決定的な手段が……ございませぬ」

「……あい、わかった。ならばこの政威大将軍の身なればこそ成せる事、成させてもらおう。

 すまぬことを聞いたな、黒須よ」

 

20年、これが鞍馬の予測する人類の寿命だ。

だが、絶望はしていない。希望がまだ存在する。

 

“オルタネイティヴ第三計画”

 

敬愛する殿下にすら話すことは出来ない、鞍馬自身詳細は知らされていない、希望。

人類のBETAへの反撃を可能にする計画。

これが成就した暁には、人類は地球を取り戻すことが出来る。ならば俺に出来ることは、それまでの時間を稼ぐこと。

 

手を、繋ごう。

一秒でも多くの時間を稼ぐ為に。一人でも多くの命を救う為に。

例え俺の手が届かなくとも、俺の隣に立つ人間の手なら届くかもしれない。その隣の手なら、更に隣りの手なら。

人類が勝利をつかむ為に、俺は俺の役割を全力で果たそう。

 

「時に、黒須よ」

 

重苦しい空気を振り払うように、経盛が声を発した。

 

「そなたに、貰って欲しいものがある」

 

そう言って、側に控える侍従に視線を送る。

言葉も無く下された指示に一礼すると、侍従は一旦その場を下がり、やがて一つの桐の箱をうやうやしく捧げて戻ってきた。

そしてその箱を鞍馬へと向け、蓋を取る。

中身を見た鞍馬の顔が驚きに彩られた。

 

「今とは言わぬ。いつか、そなたの戦いが終わった時でよい。

 これを、貰ってはくれぬか」

 

中に入っていたのは、一着の、黒の斯衛服。

 

「再び白を用意することは、儂とて叶わぬ。

 だが、黒としてならば、誰にも異存はあるまい」

 

経盛に向けていた顔を伏せ、俯く鞍馬。

 

「……この身には、まだまだ成さねばならぬことがございます。

 ですが……いずれ、必ず」

 

頬を濡らす鞍馬の胸に、先の紅蓮の言葉がよぎる。

兄さん、貴方の言ったとおりでした。顔を上げても、殿下の顔が見えそうにありません……

 

──また、勝たねばならぬ理由が増えた。

 

数々の想いが積み重なった鞍馬の背に、新たな一枚の葉が乗せられた。

いつかこれらの葉から、満開の花を咲かせてみせれるよう。

まるで繋いだ手を離さぬかのように、鞍馬は拳を握り締めた。

 

 

 


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