あなたが生きた物語   作:河里静那

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21話

 

「国連軍の黒須鞍馬大佐であります」

「お久しぶりです黒須大佐。国連の侍の名、聞き及んでおります。同じ日本人として誇りに思いますよ」

「そんな、もったいない。准将こそ、帝国軍切っての知将の勇名にお変わり無い様で」

「ははは、それこそ買いかぶりというものです」

「いえ、そんな。……それにしても、貴方ほどの方がこの教導の責任者になられたということは……」

「ええ。まだ正式な形にはなっておりませんが……帝国大陸派遣軍、この教導に呼ばれた者達は、その骨子となる予定です」

「やはり」

「日本の、人類の明日を護る牙。……預けますよ、大佐」

「はっ! この黒須鞍馬、一命に代えましても」

 

 

 

 

 

1988年、2月。

帝国陸軍、富士駐屯地。

 

「国際連合安全保障理事会組織統合参謀会議直轄対BETA特殊作戦部隊の黒須鞍馬大佐だ。

 本日より3ヶ月の間、諸君等への教導を任されることとなった。

我々の部隊名に関しては“ハイヴ・バスターズ”ないしバスターズと称してもらって構わない。

もっとも、早口言葉のトレーニングを積みたいのなら、その限りではないがな」

 

鞍馬のその言葉に、居並ぶ衛士達の間に笑いの細波が広がった。

壇上に立つ鞍馬の背後には“ハイヴ・バスターズ”の面々が控え、そして眼前には帝国陸軍の精鋭が立ち並んでいる。

右手側に富士教導隊所属の一個連隊。その名の通り、本来他の部隊に教導を執る立場にいる彼等は、帝国軍切っての猛者揃いだ。

左手側に並ぶのは、全帝国陸軍からこの教導のために選りすぐられ臨時編成された一個連隊。彼等もまた、教導隊に勝るとも劣らぬ錬度を誇る。

 

「諸君等に関しての資料は見させてもらった。

 いずれも、まさに精鋭。私が過去に教導を執ってきた中でも有数の力量を持っているといえる。このまま私の部隊に招きたいくらいだ」

 

衛士達の顔に誇らしげな笑みが浮かぶ。

鞍馬に言われるまでも無く、彼等は己こそが帝国軍最強の一角であると自負しており、またそれは紛れもない事実であるのだ。

場は友好的な雰囲気で進むかに見えた。

しかし、鞍馬より続く言葉が発せられるや、室内には不穏な空気が漂い始める

 

「だが、このまま戦場へ送れるかといえば、それは別の話となる。

 諸君等の腕自体に不安は無いとはいえ、それが“人類に敵対的な地球外起源種”、BETAにそのまま通じるかといえば、それは否である。

 例を挙げよう。

 諸君等が通常行なっている訓練として、戦術機同士の戦闘訓練がある。部隊を半数に分けて対戦を行なうというものだな。

 また、中隊ないし大隊を持って一定数のBETA殲滅を目的とするシミュレーター訓練も盛んに行なわれているようだ。

 だが、敢えて言おう。それらの訓練は、対BETAの実戦においては無意味なものであると」

 

自分達の今までの練成を否定するかのようなその言葉。

彼等の顔色が変わり、瞳には剣呑な光が射す。

 

「諸君等は、こう思っているかもしれない。

 我等帝国の精鋭が大陸での戦いに馳せ参じた暁には、化物の側に優勢な現在の天秤を、人類の側へと傾けることが出来るに違いない、と。

 だが私はこう告げよう」

 

そして鞍馬は、ゆっくりと、はっきりと言い切った。

 

「それは、思い上がりである」

 

今の諸君等では、初陣兵士の壁となる“死の8分”を乗り越えることなど到底出来はしない。

ついに場の空気は、不穏から敵意へと格上げされる。

衛士等の鞍馬へと向けられる視線が完全に敵を見るものとなっているが、指揮系統が違うとはいえ仮にも大佐に対して意見など出来るはずも無い。

先ほどまでとは打って変わった、押し殺された沈黙が場を支配した。

 

無論、鞍馬とて悪戯に煽っているわけではない。

これはこれからの教導をより有意義なものにするために必要なことであり、ようは自らが敵役となることで教導への熱意を高めようという策である。

とはいえ、先ほどの言葉に偽りがあるわけではない。

このまま彼等がBETAとの戦闘に参じた場合、間違いなく多数の命が失われるだろう。

だからこそ、なあなあでは済まされない。厳しく当たるのである。

 

「黒須大佐、よろしいか?

 実戦経験者の意見、我々としても諾々と受容したいところではあるが……その言、よもや冗談では済まされませぬぞ。

 大佐の言葉が正しいものであると、我々に示す用意はありますのでしょうな?」

 

教導連隊を率いる帝国陸軍大佐が、一同を代表して手を挙げた。

視線で人を殺せるなら、おそらく“ハイヴ・バスターズ”にはダース単位で死人が出ていることだろう。

 

「無論。今日これからの教導において、それを証明しましょう」

 

自らに注がれる敵意など存在しないかのように、気負う様子もなくごく当たり前のことのように、鞍馬はそう言ってのける。

その背後、ラダビノッドが胃の辺りを押さえて小さく嘆息していた。

 

 

 

 

 

教導隊という特殊な部隊を保有する富士駐屯地には、滞りなく教導を行なう為に連隊規模が一度に訓練を行なえる巨大なシミュレータールームが存在する。

強化衛士装備に身を包み、そこへと場を移した各衛士がそれぞれ筐体に乗り込んだ。

 

「これより、第1回目の対BETA戦術教導を開始する。

 諸君等にはまず、ある映像を見てもらう。機密に当たる為、内容については口外しないで貰いたい。

 シミュレーターでの戦闘とは一味違う、生のBETAを味わってもらえると思う」

 

それは、絶望の記録。

網膜に投影された映像には、東欧風の家々が建ち並ぶ街へと迫り来るBETAの群れが映し出されていた。

住民の避難が遅れていたのか、残された人々が我先にと安全な場所を求め走る。

人の足でBETAの進軍速度に抗うことなど出来るはずも無いのに、目を血走らせ、口からは怨嗟の叫びを漏らし、逃げ惑う。

 

決して離すものかと固く繋いでいた母子の手が人波に揉まれてちぎれた。慌てて振り返った母親は、人々の足に踏みつけられ息絶える我が子の姿を見る。

魂が抜けたように座り込む母親を照らしていた日が何かに遮られる。見上げた時、巨大な象の脚のようなものが振り下ろされ、水風船が赤く弾けた。

必死に積み上げたバリケードは刹那の時間を稼ぐことも出来ず、吹き飛ばされた建材が人々の頭上に落下して死を撒き散らす。

僅か横を巨大な物体が駆け抜けていき、すんでのところで命を長らえ神に感謝する男の祈りは、赤黒い手のようなものに掴み運ばれたところで痛みと共に途絶えた。

果敢に自動小銃を撃ち続ける兵士達の頭が、背後より近づいてきた白いぶよぶよとしたものに噛み砕かれる。

安全なはずの戦車の中にいた兵士は、固い装甲が力任せに引きちぎられ、外界の光が射すのを見て嗚咽を漏らす。

恐怖のあまり気が触れる人々はいなかった。狂うその前に押し潰され、噛み砕かれ、引き千切られ、磨り潰され、殺され、殺され、殺されていく。

 

一つの街と、そこに住む人々、そしてそれを守ろうとした兵士達が無残に散り、全てがおぞましい人外の生き物に飲み込まれていく様を映し出した、目を背けたくなる光景。

 

「これは、パレオロゴス作戦後に起こったBETA大侵攻の記録映像になる。

 奴等は平等だ。軍人も民間人も、男も女も、老いも若きも、金持ちも貧乏人も、関係ない。全てを喰らい尽くす。

 この場所に、もう街は存在しない。平らに均された大地のみが残されている」

 

淡々と告げる鞍馬に、何か言葉を返せるものは誰もいなかった。

その余裕など無かった。

 

「次の映像に移る。

 ここまでは、やや後方から引いて撮った映像だったが、次は戦術機のカメラに残った記録となる。諸君等には、この戦いを追体験してもらう。無論、動かすことは出来ないがな」

 

場面が切り替わると、そこには地平線までを埋め尽くす異形の軍勢。

立ち向かう人類勢力は24機の戦術機のみ。

誰かの漏らした呻きが聞こえた。

土煙を上げ、鋭角的な鎧を纏った猪といった外見の突撃級が迫り寄ってくる。

時速170kmで駆け抜ける巨体を左右に、あるいは噴射跳躍で上に躱し、がら空きになった臀部へと36mmをばら撒く戦術機達。

 

「な、なんだ。楽勝じゃねえかよ」

 

そう呟く声が聞こえた。

一機の損害も無く先行する突撃級を殲滅できたのだ。これなら、俺たちだって楽勝……。

そう思って、続いて襲い来る要撃級、戦車級へと視線を向けたとき、青かった顔色が更に蒼白に変化した。

 

「な、なんだよこれ。おかしいじゃねえか。……何で全然減ってねえんだよっ!?」

 

蠍のような要撃級に、蜘蛛のような戦車級。どちらも敢えて言えばそう見えなくも無いという程度の比喩で、実際の醜悪さといえば、蠍と蜘蛛が満載のプールに飛び込んだほうが遥かにましと思わせるもの。

その群れが、もう手を伸ばせば届くほどのところにいた。

意味がないと分りつつ、無意識に操縦桿を動かす手を止められない。

 

やがて、戦いは近接戦闘へと移行していく。

突撃前衛小隊が敵陣へと切り込み、それに惹き寄せられたBETAを他の20機が殲滅していく。

彼等の連携によどみは無く、これが完成された戦術なのだと理解できた。

戦いが始まった時は半ば恐慌の様子を見せていた帝国軍衛士達だが、その勇猛な戦いぶりを見て徐々に落ち着きを取り戻す。

このままいけば、無事に全てのBETAを殲滅できるんじゃないか? そんなことをすら思った。

そして、まるでそれが伝わったかのように、過去映像の衛士たちにも気の緩みが見えた、その時。

 

──崩壊は、呆気なく訪れた。

 

 

 

 

 

シミュレーターを降りた衛士達の顔には生気というものがまるで見られなかった。

瞼の奥に、映像の最後、仲間の救援の為に飛び上がった戦術機がレーザーに打ち抜かれる様子が焼きついている。

 

「あの戦いにおけるBETAは師団規模、約3000体。小型種も含めて10000体といったところだ」

 

師団規模。

その言葉に、それならば仕方ないという感情が浮かぶ。それだけの数を相手にしたのだから、この結果もまた自明だったのかもしれない。

だが、彼等の常識を打ち崩すかのように、更なる追い討ちが掛けられた。

 

「……まあ、良くある規模だ」

 

──良く、ある……だって?

──そんな……馬鹿な。

──……嘘でしょ?

 

鞍馬の言葉を必死に否定しようとする衛士たちだったが、それが出来ない自分達に気がついた。

否定したくても、その材料が無い。

今、ようやく分った。

自分達は、BETAと戦うということについて何も知りはしなかった、のだと。

 

「先ほど述べた、私の言葉を思い返してみて欲しい。

 同数の戦術機同士で行なう戦闘訓練は、戦術機操縦の腕を上げるためには有効かもしれない。特に、搭乗時間の少ない未熟な衛士にとっては、他人の優れたところを学び、自身を見返すいい機会となるだろう。

 だが、既に十分な力量を持っている諸君等にとって、対人戦の技量を上げることが、BETAとの戦いにおいて果たして有効だろうか?」

 

その言葉に返答は無い。

 

「圧倒的多数のBETAに対し、戦術機のみでこれを駆逐するというのは、果たして現実的な手段だろうか?」

 

その言葉に頭を垂れる。

 

「諸君等は、戦場の英雄になりたかったのかもしれない。だが、勘違いするな。

 戦術機とは、速度において航空機に劣り、的の大きさとしては戦車以上であり、火力に至っては重量比で如何なる車両にも劣り、さらには歩兵にすら破壊されかねない脆弱な装甲を持つ、史上最弱の兵器である。

 利点といえば、3次元的動きが可能なその機動性にしかない。

 光線属種の排除という重要な役割もある。だが、戦場において戦術機の利点を生かした主な仕事とは、火力に秀でる支援砲撃部隊の射程内へとBETAを導くこと。

 つまり、一言で言い表すなら……囮だ」

 

理想と、現実と。

そのあまりの隔離に叩きのめされる衛士たち。

 

「俺達は英雄にはなれない。また、なる必要もない。

 ただ自分に求められる役割を果たすことだけを考えろ。

 そしてその役割に誇りをもて。それは、俺達にしか果たせないものなのだから。

 これより、俺が戦場で学んだ全ての技術を諸君等に叩き込む。

 ……3ヶ月。いいか、許された時間はたったの3ヶ月しかない。全員、死ぬ気で習得しろ。

 ではこれより、次の教導へと移る。

 全員、シミュレーターへ搭乗っ!」

 

帝国陸軍衛士達にとって、2度目の養成学校とでも言うべき日々が始まった。

 

 

 

 

 

1988年、3月。

富士駐屯地、PX。

 

「……きちー」

「鬼じゃ……あそこには鬼がおる……」

「為にはなりますが……確かに厳しいですね」

 

“ハイヴ・バスターズ”の教導が始まって一月が経過した。

密度の濃いものとなるよう、教導は基本的に中隊単位で、それぞれに“ハイヴ・バスターズ”から2名が教官としてつく形で行なわれている。

教える内容に偏りの出ないよう担当教官はその都度変わるのだが、鞍馬とセリスのエレメントに当たった中隊は他より一段階“濃い”教導を受ける権利が与えられる。

……望むと望まざるに関わらず。

 

鞍馬の教導を受けると、身体の疲れはもちろんのこと、それ以上に脳が疲れる。

処理が出来なくなるギリギリまで矢継ぎ早に様々な指示が与えられ、同時に複数の事柄を処理していかないとあっという間に破綻してしまうのだ。

その際たるものが、戦術機同士の戦闘訓練。

初日に鞍馬自身が否定したはずの訓練を何故やらせるのか?

蓋を開けてみれば、やはり一筋縄ではいかなかった。

6対6で行なわれるとばかり考えていた隊員に示された組み分けは、2体10というものだったのである。

 

「訓練というものは、何の為に行なうのか、何を目的としているのか、それを明確にするべきだ。

 諸君等もあの映像で知ったとおり、BETAとの戦いは圧倒的多数対少数というものになる。

 これは、その状況に慣れるための訓練である。多数を同時に相手取る感覚を鍛えろ。

 常に動き続けろ。考えを止めるな。複数の事柄を同時に思考しろ。対処すべき優先順位を瞬時に判断しろ。常に最良の一手を求めろ。

 いいか、一機でも多く墜とし、一秒でも長く生き残れ。

 無論、10機を撃破出来るのならそれが最良だ」

 

そんな無茶な……

そんなこと出来るわけ無いと心の中で嘆く衛士たちだったが、手本と称した2対“12”の対戦に勝利されてしまってはもう、従うより他に無かった。

 

また、鞍馬は彼等に、囮となってBETAを惹きつける動きを徹底的に学ばせた。

帝国衛士の対BETA戦闘訓練は、中隊ないし大隊を持ってBETAを殲滅するということを主眼に成されており、支援砲撃はAL弾の有無程度のみであまり意識されてはいなかった。

しかし実戦においてBETA殲滅の主役となるのは支援砲撃部隊であり、彼等の存在を欠いての訓練に意味は少ない。

無論、鞍馬にも経験があるとおり、時には支援の全く無い状態でBETAと相対せねばならない場合もある。

だが、仮に支援砲撃が期待できない状況に陥ったとしても、この機動に習熟しているならば部隊の一部を囮としてBETAを誘導し、残りが横合いから殲滅していくという戦術が取れる。

これは、鞍馬が戦いの中で培ってきた技術の集大成と呼ぶべきものであった。

 

 

 

今日は、夕食をとるためにPXの一角に陣取ったこの中隊が、鞍馬等からありがたくも厳しい教えを受けた。

既に全員が集まり終えている。食事を受け取る列が長く伸び始めてもいる。

だが、彼らの中に席を立つ者はいない。全員が机に突っ伏したまま、もう一度立ち上がる気力をもてないでいるのだ。

 

「……もう少しだけこのままでいさせて……」

 

誰かが漏らした呟きに答える者も、またいない。

 

「沙霧~、上官命令。お願い、晩飯取ってきて……」

「大尉ー、それ公私混同」

「はは、まあ構いませんよ、それくらい」

「沙霧やさしい~、愛してる~」

 

美しい女性から言われるのならその気にもなるが、言っているのは三十路のおっさんである。

そもそも、今回の教導に参加している帝国軍衛士の中に女性はいない。

帝国軍に女性がいないわけではないが、彼女等はほぼ全員が後方での任務に従事しており、前線に立つのは男ばかり。

女性は銃後を守るという理想が体現されているとも取れるが、まだ国土が侵されていない後方国家だからこそ出来ることでもある。

実際、“ハイヴ・バスターズ”の面々は半数が女性だ。

 

無精ひげを生やしたおっさんの猫撫で声に苦笑いを浮かべつつ、それでも了承した沙霧と呼ばれた男が席を立つ。

まだ20歳を越えてはいないだろう、今回の教導に参加している衛士の中でも一際若い。眼鏡が良く似合う、なかなかの男前だ。

若いのも道理。沙霧尚哉18歳、彼はまだ、正式には訓練兵なのだから。

養成校でも一際優秀であり、次代を確実に担うであろう彼に貴重な体験をさせるべきだと、臨時少尉の肩書きを与えられて特別にこの教導を受ける一員に選ばれたのである。

教導の終了と共に正式な少尉となり、部隊に配属される予定となっている。

相当な特別扱いというべきだが、実際に共に訓練をしてみると確かに訓練兵のレベルを大きく超えている力量を持っていることがわかり、他の衛士たちが持っていた小さな不満もいつしか消えていった。

 

「なんだ、あの程度の練成でへばったのか、情けない。

 沙霧少尉、持ってくるのは自分の分だけでいいぞー」

 

おっさん大尉の背後から、そんな言葉が掛けられた。

立ち上がって敬礼をしようとした向かいに座る者達が、それを途中でやめる。

座っていろと窘められたのだろう。こういう、食事時に堅苦しいのを嫌う上官といえば……大隊長か。

 

「大目に見てくださいよ、大隊長ー。コイツまだ10代だから元気が有り余ってるんですって」

「……まあ、大隊長には違いないが」

 

ん? 何だか反応が悪いな。

何だお前等、後ろー後ろーって指差して。だから、大隊長だろ……

気だるげに振り返った彼の眼に飛び込んできたのは、特徴的な国連軍のC型軍装。

 

「“ハイヴ・バスターズ”大隊長の黒須であります、大尉殿」

「た、大佐っ!」

 

椅子から転げ落ちそうになりつつ慌てて立ち上がり敬礼をする大尉に、にやりと笑い答礼する鞍馬。

 

「気をつけろよ、大尉。訓練中だったら修正だったぞ」

「はっ! 申し訳ございませんっ!」

「まあいい。ところで、俺もここで飯を食ってもいいかな」

「は、はいっ! 大佐と同席できて光栄であります!」

「飯を食う時くらい、そんなにしゃちほこばらんでもいいさ」

 

そう言って手にしたトレイを机に置くと、どっかりと席に着いた。

時折、鞍馬はこうして帝国軍衛士と食事を共にしている。

垣根を取り払うためだと言っているが、単に日本人同士で食事を取るのが楽しいのだろうとセリスなどは見ている。

 

「お前等、毎日いいもん食ってるよな。美味い飯が食えるって言うのは幸せなことだぞ」

 

今日のメニューは鰆の西京焼き定食。

甘い西京味噌にしっかりと漬かった鰆を、ほかほかの白米と共に口に放り込む

幸せそうに咀嚼する鞍馬を思わず見つめてしまう中隊12人。

 

「ほら、お前等も早く取って来い。時間は有効に使うもんだ」

 

中隊12名が慌てて立ち上がり、既に長く伸びてしまっている列に並ぶ。

ようやく全員の食事が揃った時、既に鞍馬は食べ終わってしまっていた。

 

「大佐、食べるの早いですね」

「常在戦場ってな。前線では食事中に敵襲なんてこともままある。気がつけば喰うのが随分と早くなっていたよ」

「はあ、為になります」

 

はじめは鞍馬の乱入に戸惑っていた帝国軍衛士達だったが、食事時に気を使うなという彼の言葉が本意だと悟ると、逆に様々な質問をする良い機会だと捉えるようになっていた。

多少緊張するのは致し方ないところであるが。

戦術機操縦のコツや戦場での経験など、雑談というには些か血生臭い会話を続けていく中、沙霧が手を挙げた。

 

「大佐は、元斯衛と伺っておりますが……やはり、BETAに侵されていく人類を憂いて国連軍へと志願なされたのでしょうか?」

 

沙霧はもちろん、他の隊員も当然「そうだ」と言う返事が来るものと期待した。

だが鞍馬は、その期待に反してこう言ったのだ。

 

「いや……女の為だ」

 

呆気に取られて二の句が告げない隊員達に、真剣な顔で更に告げる。

 

「意外か? つまらない理由だと思うか?

 国の為、人類の為、大義の為なら張れる命も、女の為には使えないか?

 俺はそうは思わない。己の隣に立つ、惚れた女一人守れないで何を守れるというんだ。

 それにな、これは覚えておけ。

 前線で命を懸けているとき、守りたいと願うようになるもの。それは国とか人類とか、そんな大層なものじゃない。

 ……ただ、隣りに立つ友を死なせたくなくて戦うんだ、俺達は」

 

沙霧の顔に、微かな不満の色が浮かぶ。

が、それは誰にも悟られること無く消えていった……本人すら、気付くことなく。

 

「前にも言ったな、俺達は英雄にはなれないと。

 所詮、一人の人間に出来ることなんて限られている。いくら藻掻いてみた所で、手の届く範囲の人間しか守れやしない。

 一生懸命に手を伸ばしてみても、指の隙間から零れ落ちる命も沢山在る。

 だから、俺達は力を合わせるんだ。

 例え俺の手が届かなくとも、俺の隣に立つ人間の手なら届くかもしれない。その隣の手なら、更に隣りの手なら。

 手の届く範囲を守り、守られた人間がまた誰かを守り……そうやって手を繋いでいけば、いつかきっと人類は勝利できる──俺は、そう信じている」

 

語り終え、瞳を閉じて何かに思いを馳せる鞍馬。

息を深く吐いて目を開けたとき、いつしか言葉も無く話に聞き入っていた隊員たちに気が付いた。

 

「……すまん、何だか場違いなことを熱く語ってしまったな」

 

照れくさそうに頭を掻く。

心の奥底に在る何かを刺激された隊員たちが、それを言葉という形に成そうとした時、別の方向から声がかかった。

 

「鞍馬、准将がお呼びよ。明日の訓練について打ち合わせしたいことがあるって」

「そうか。ありがとう、直ぐ向かう。

 ……皆、邪魔したな。食事を続けてくれ」

 

鞍馬の背を見送る彼等には、食事前のだれた雰囲気など欠片も残されていなかった。

翌日からの彼等の訓練風景は、それは気迫のこもったものであったという。

 

 

 

 

 

1988年、5月。

帝国陸軍、富士駐屯地。

 

3ヶ月に及んだ教導もついに終わりを迎え、“ハイヴ・バスターズ”が日本に別れを告げるときが来た。

終了式に臨んだ帝国軍衛士達の瞳に宿る覚悟の色は、教導開始前とは比較にならぬほど強く輝いている。

それは戦う覚悟。守る覚悟。そして、生き残る覚悟。

彼等を見る鞍馬の顔にも誇らしげな笑みが浮かぶ。

願わくば、彼等が一人でも多く、一分でも長く、生き残らんことを。

そして……俺がもう直接は守ることの出来ない殿下を、日本を──頼む。

敬礼を交わす彼等の勇姿に、それを願う鞍馬であった。

 

 

 

次の任地は再びインド亜大陸戦線となる。

物資移送の手筈を確認する為、割り当てられていた執務室へと一旦戻り、打ち合わせを行なっていた鞍馬等の下を訪ねる人物があった。

 

「失礼するよ」

「准将! わざわざお越しいただかなくても、呼んでいただければこちらから伺いましたのに」

「いや、仕事の邪魔をするのも悪いからね、気にしないでもらいたい」

 

軍人らしかぬ穏やかな笑みを湛えたその男こそ、この教導の総責任者であった帝国陸軍の彩峰萩閣准将である。

富士駐屯地の司令ではなく彼が責任者となった理由は、この教導の為に編成された連隊が将来の帝国大陸派遣軍の骨子となり、彼がその指揮官となる予定だからだ。

彼は鞍馬が斯衛にいたその頃より知将として名を馳せており、斯衛軍と帝国軍との間で行なわれた合同演習において、鞍馬も何度か煮え湯を飲まされた経験がある。

ならば反目していてもおかしく無いように思えるが、彩峰のほうが10歳ほど年上にも関わらずこの2人は妙に馬が合ったようで、所属も階級も飛び越え、時折飲みに連れ立ったりする友人付き合いをしていた。

 

今回十数年ぶりに顔を合わせた二人は再会を喜び合い、教導中に互いの時間がふと空いたりすれば、鞍馬の知らぬ最近の帝国の話や、幼い子を持つ父親の悩みといった話を肴に茶など飲み、旧交を温めていた。

 

「准将、それで私に何か?」

「いや、個人的な誘いをね。君が教えた中に沙霧という男がいただろう」

「ええ、若いのになかなか優秀な男でしたね」

「君にそう言ってもらえると私も鼻が高い。実は、縁が合って彼とは家族ぐるみの付き合いをしていてね。このあと京で彼の卒業と任官の祝いの席を用意している。

 良ければ、君と奥方、お子さんも一緒にどうかと思うんだが」

 

鞍馬は彩峰の言葉に違和感を覚えた。

その誘い自体は嬉しい。今年5歳になるという彼の娘──慧という名だそうだ──にも会ってみたい。

だが、鞍馬をはじめ“ハイヴ・バスターズ”はこれより清水港より、海路にてインド亜大陸戦線へと向かうこととなっている。

残念だが、京に寄っている暇は無い。それは彼もわかっているはずなのだが。

 

「いえ、准将。出来れば参加させていただきたいのですが……」

「ああ、それと。君宛の命令書を預かっている。私から渡してくれという辺り、君の上官は随分と悪戯好きのようだな」

 

……あいつか。

まったく、今度は何を企んでいやがるんだ。

命令書で驚かすなんて、この間やったばかりじゃないか。

同じ手は食わない、そう何度も驚いてやるかと、様々な可能性を考え心の準備をし、中身に目を通す。

 

……覚悟など無駄だった。頭の中が真っ白になった。

たっぷり数十秒ほどたってから、ようやく絞り出した鞍馬の声には隠し切れない驚愕が見え隠れしていた。

 

「……准将、貴方はこの中身を?」

「ああ、知っている」

「うちの上官もあれですが……失礼ながら、貴方も相当なものですね」

 

溜息を吐く鞍馬の手から、ラダビノッドへ、セリスへと順に回される命令書。

そこには一週間後の、日本帝国政威大将軍への謁見の予定が記されていた。

 

 

 


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