あなたが生きた物語   作:河里静那

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20話、或いは外伝1

 

「あらあ、懐かしいわねえ」

「ああ、ここだったか。鞍馬の「叔父様が? 何したんですか?」奴が」

「それがさあ、鞍馬のやつが派手に「そういう花純だって似たようなものだったろ」やらかして「私も知りたいです」ねー」

「雪姉だって「あ、私も」あの人は怒らせちゃいけないって「それは月乃さんでしょ」言われてたのよ」

「それが「雪姉、目が怖い」ね、クラスの子と喧嘩したん「真耶、耳が痛いだろう?」だけど」

「先生だって、困った「お前が言うかっ!」ことがあれば雪姉にっ「本人いるんだから、聞いてみればいいじゃん」て言ってたもん」

「学校でやることって、何処の「決着をつけるときがきたようだな」国でも一緒みたいですねえ」

「子供「二人とも、時と場合を考えろ」は同じこと考えるのか「ごめんなさい」しらね?」

 

 

 

「……蒼也、先に行ってようか?」

「逃げるの?」

「覚えて置け、これは戦略的撤退というんだ」

 

 

 

 

 

1988年、2月。

帝都、斯衛軍幼年学校校庭。

 

「懐かしいな。この樹、俺も登ったことがあるよ」

 

幼年学校の裏手側、京の街を見渡す小高い丘の上に生える一本の大きな樹。

葉が全て落ちて寒々とした様子を見せるその幹に手を当て、鞍馬が昔を懐かしんだ。

国連軍の礼服という、この学校に相応しいとは言い難い姿をした鞍馬がここに居る訳は、今日が幼年学校の授業公開日であるからだ。

次代の斯衛を育てるのに相応しい教育を施していると内外に示す為、授業の様子が一般公開される、年に一度の日。

斯衛上層部の視察や、将来通うことになる親子が下見に来たりもするのだが、最も多い訪問者は在校生の関係者であろう。所謂、父兄参観である。

休暇の最終日がこの日に当たると知った鞍馬は、蒼也の学ぶ姿が見られると喜び勇んでこの行事に参加した。

旅行鞄の中から国連軍礼装を引っ張り出し……いやまて、斯衛学校で他軍の軍装はいかがなものか、普通のスーツ姿のほうが良いかと迷い、朝からバタバタと大騒ぎ。

結局、セリスの「私はスーツなんて用意してきてないわよ」の一言で軍装に決まったのだが、これで学校での蒼也の立場が悪くはならないだろうかと、また悪い癖が出て小一時間ほど悩んだものだ。

 

余談だが、鞍馬が大佐の階級章を付けて学校を訪問したことで、蒼也があの黒須鞍馬の息子なのだと学内に知れ渡ることになった。

その後、あまり友好的とはいえなかったクラスメイトとの関係も幾分か改善され、蒼也を目の仇にしていた一部の者達も行動を控えるようになる。

結果的に、国連軍の礼装を選択したことが蒼也の手助けとなったといえよう。

 

 

 

授業公開も滞りなく終わり、今は放課後。

お気に入りの場所に案内するという蒼也に連れられ、この場所へとやってきた。

セリスは三姉妹に真耶と真那も加え、学生時代の思い出を話の種に歓談中。邪魔な男は何処かに行っててと言わんばかりであった為に置いてきた。

女三人寄れば姦しいとは良く言ったもの、それが倍の6人である。騒々しさは容易に想像がつくだろう。

あくまで置いてきたのであり、決して追い出されたわけじゃないからなとは、鞍馬の主張。

その肩を、ぽんぽんと叩く蒼也であった。

 

二人は並んで樹に寄りかかり、ゆっくりと、取り留めの無い話をする。

初日にあったぎこちなさは、もうない。

とはいえ、父親としてどう接したものか未だ良く分らない鞍馬と、年の割りに達観したところのある蒼也。その二人の様子は、親子というよりむしろ年の離れた兄弟といった風情か。

だが、それゆえ二人はある意味対等な関係として、のんびりと会話を楽しむことが出来た。

学生の頃の鞍馬の様子。雪江等との子供時代のこと。或いは衛士としての日常について。

特に衛士の話は蒼也を大きく惹きつけた。血生臭い現実はまだ早いと、話を選んでのことではあるが、それでも語られる軍での暮らしに興味津々の様子。

さまざまな国籍の者達が、目的を同じくして一丸となる様。仲間の為に戦い、仲間の為に命を懸ける。

そんな話しを聞いていた蒼也が、やがてこんな疑問を口にした。

 

「なんで、アメリカ人って日本では嫌われてるのかな?」

 

国連軍では国籍による区別、差別は無いようだ。しかし、ここ日本では……。

戦争のことは知識として知っている。だが、戦後44年も経っているのに、今を生きる人の多くは戦争を直接知らないはずなのに、未だにアメリカに悪感情が残るのは何故なのか。

それが、蒼也には分からない。

 

「難しい質問だな……」

 

しばし考えると、鞍馬はゆっくりと自分なりの考えを述べていく。

 

「普通に暮らしていると、実際にアメリカ人と接する機会なんてそう無い。

 親達の世代がアメリカを悪く言うのを聞いて育って、自分もなんとなくアメリカが嫌いになる。それを訂正する機会が無いんだ。

 一度知り合えば、アメリカ人だって同じ人間、仲間だと言うことがすぐに分かるはずさ」

 

──だから、蒼也にもきっと、素晴らしい仲間が出来る。

 

最後の言葉は心の中に飲み込んだ。

今日の様子を見て、蒼也と他の生徒との間に見えない壁があるのを感じてしまった。

衛士を目指すなら、その壁は崩さなくてはならない。垣根を越えて信頼を築くことを覚えなくてはならないだろう。

だが、いくら大人びているとはいえ、蒼也はまだ9歳。人生経験も何もかも、まったく足りていないのだ。

焦ることは無い。

いつかきっと、蒼也にも素晴らしい出会いが待っている。

俺と、セリスのような、な。

 

「なあ蒼也。実を言うとな、父さんも昔はアメリカ人が大嫌いだったんだ」

 

その言葉に、きょとんとした顔を返す蒼也。

意外な言葉だった。セリスと結婚した鞍馬には、そう言った偏見は無いものだと思っていたのだ。

 

「蒼也、俺が世界で一番尊敬している衛士の話をしてやろう」

 

そして鞍馬は語りだした。

懐かしい、思い出を。

セリスとの、出会いを。

 

 

 

 

 

1974年、9月。

帝都、斯衛軍北の丸駐屯地

 

黒須鞍馬大尉は荒れていた。

基地内の廊下に、荒々しく歩く足音が響き渡る。

 

気に入らないことが多すぎる。

地球外起源種との戦争が始まったことが気に入らない。

中国が欲に走った挙句、地球侵攻を許してしまったことが気に入らない。

F-4の即時導入が決定されていたにもかかわらず、日本への供給順序が降格されて機体が納入されないのが気に入らない。

ようやく斯衛と富士教導隊に試験配備されると思ったら、わずか一個中隊分づつというのが気に入らない。

教導の為にやってきた教官が若い女だというのが気に入らない。

そして、教導が始まって二週間、その女に勝利するどころか一太刀浴びせることすら未だ出来ずにいることが──最も気に入らない。

 

鞍馬にもプライドがあった。

未だ修行中とはいえ剣の腕には自信があったし、数いる斯衛の中でも優れた戦術機適正を誇ってもいる。

そして実際に衛士として抜擢され、シミュレーターで腕を磨き、いまや自由自在に戦術機を操ることが出来るようになった……と思っていた。

あの女が来るまでは。

 

 

 

「セリス・ソーヤー少尉であります。よろしくお願いいたします」

 

戦術機の開発本国であるアメリカから派遣されてきた教導官。歴戦の勇士が来るものとばかり思っていたのだが、蓋を開けてみれば、おそらく自分と同年代であろう若い女。

 

──完全に、日本をなめきってやがる。

 

日本に派遣する人材など、この程度で十分ということか。

流石アメリカ、何処までも傲慢な国だ。

鞍馬の瞳に怒りの火が灯る。

いいだろう。こうなれば、腕を見せ付けてとっとと追い出してやるまでよ。

鞍馬の他にも数名から放たれる敵意の篭った視線に晒されつつも、動ずること無く自己紹介を終えるソーヤー少尉。

度胸だけは据わっているようだ。そこは評価してやるか……そう考えている自分がまた、気に入らない鞍馬だった。

 

 

 

「まず、皆さんの腕前を確かめさせてもらいます」

 

教導中は二階級上の大尉として遇されるというが、流石に遠慮するのか丁寧な物腰でそう告げるソーヤー。

動作教習応用過程D、通称風船撃ちと呼ばれる、宙に浮かぶ的を制限時間内に撃破することを目標とする訓練を行なうという。

 

──今更、動作教習か。

 

フッと、思わず鼻で笑う。

その様子を見咎めたソーヤーが眉をしかめるが、口に出しては何も言わず、シミュレーターが開始された。

 

17mを超える鉄の巨人が仮想空間上の街並みを駆け抜ける。

大地を踏みしめるたびに地鳴りのような足音が響き渡り、その身に秘めた暴虐さをこれでもかと主張していく。

センサーに感あり。

足を止め、視界に入った標的へと突撃砲を向け、照準の中心に合せて引き金を引く。

後はその繰り返し。

遠くに出現した標的は突撃砲で、近くに現れたものは長刀で、それぞれ確実に破壊していく。

やがて最後の標的が破壊され、動作教習応用過程Dの終了が告げられた。

もちろん、クリア判定。

得意げな顔でシミュレーターを降りた斯衛軍衛士達であるが、しかし、教官から告げられた言葉を聞いたとき、その顔色が真逆に変わった。

 

「教官も無く、教本のみでここまで慣熟しているとは驚きです。

 訓練兵としては十分なレベルといえるでしょう」

 

まて、今なんと言った?

訓練兵、だと?

我等、斯衛の精鋭を捕まえてその台詞とは……ふざけるな。

 

「……ソーヤー教官、よろしければ、訓練兵レベルという我々に、衛士としての腕前を披露してはいただけませんか?」

 

斯衛衛士一同を代表して、鞍馬が一歩前に出てそう告げた。

この女は、舐められまいとしてこんなことを言っているのではないか?

大口を叩くなら、まずはその腕を証明してもらおうか。

 

「わかりました。あなた方がその方が教導に身が入るというなら、そうしましょう」

 

言い訳をして拒否するかと思いきや、ソーヤーはあっさりと受け入れた。

気負う様子など欠片もなく。

そして、鞍馬達の悪夢が始まった。

 

操る機体は確かに同じ。

だが、その動きはとても同じ機体であるとは信じられない。

戦術機が、仮想空間上の街並みを、飛ぶ。

跳躍ユニットを巧みに活かし、地面スレスレを滑るように移動するファントム。

その速度は、一歩一歩大地を踏みしめて走っていた鞍馬等とは雲泥の差。

その高速移動の中、まったく速度を落とすことなく次々と標的を撃破していくソーヤー。

センサーに反応があるとほぼ同時、既に銃口を向けている。

左右の手にそれぞれ持った突撃砲だけではなく、時に背面担架に納められたものも駆使し、4つの銃口から放たれる弾丸が別々の標的に襲い掛かる。

そして、あっけなく状況が終了した。

かかった時間は、鞍馬等の半分にも満たないものであった。

シミュレーターから降りるその姿を、顔色を真っ青に染めた斯衛衛士たちが見つめていた。

 

「あなた方は、戦術機をただ車のような乗り物として運転しているに過ぎません。

 運転ではなく、操縦することを目指してください。

 人の形を模していることからも分るとおり、戦術機には人間の動き、自分の得意とする動きを再現させることが可能です。

 最終的には、人間には不可能な、人を超える動きをさせることが目標ですけどね」

 

そう言って微笑む教官に、何か反論を返すことが出来る者などはいなかった。

プライドをズタズタに引き裂かれた彼等は、その後、倒れる寸前までシミュレーターに揺られることになった。

そして、同じ時間乗っていながら疲れた様子も見せないソーヤーの姿に、引き裂かれたプライドを更に細切れにされることとなる。

認めざるを得なかった。

自分達が、訓練兵レベルの腕前しか持っていなかったことを。

そして、彼女の能力が自分達の遥か高みにあるということを。

それは、屈辱以外の何物でもなかった。

 

 

 

その夜、シミュレータールームを訪れる人影があった。

鞍馬だ。

同僚達が疲れ果て深い眠りにつく中、彼は心中に吹き荒れる苛立ちという名の嵐に眠気など忘れ去っていた。

 

──ぜってえ、思い知らせてやる。

 

教導期間中に、ソーヤーの腕を超えることは不可能かもしれない。だが、何とか一矢報いないことには気が済まない。

衛士強化装備に再び身を包み、シミュレータールームの扉をくぐった時、そのうちの一台に明かりが灯っていることに気がついた。

 

──俺の他にも悔しくて眠れない奴が居たか。

 

嬉しげな笑みを浮かべ、一体誰だろうと管制室を覗いてみると、そこに映し出されていたのは意外な人物、昼間散々煮え湯を飲まされた教官の姿だった。どうやら、動作教習応用過程を行なっているらしい。Aから順にDまでを次々にクリアしていく。

更には、跳躍ユニットを全開にして高速移動でビルとビルの狭い間をスラロームのように抜けたり、背面担架から突撃砲を云わば抜き撃ちしてランダムに現れる標的を正確に撃ち抜いたりといった、基礎的ながらも難易度の高い訓練を黙々とこなしていく。

いつしか、鞍馬はその姿に魅入られていた。

無骨な鉄の塊である戦術機の機動に、確かな美を感じる。

凄い、と。素直な呟きが口から漏れる。

そんな自分が、またしても気に入らない。

 

どれほどの時間がたったろうか、やがてシミュレーターが動きを止めた。

現れたソーヤーが、満足そうに一つ大きく伸びをする。納得のいく訓練が出来たのか随分と上機嫌な様子で、鼻歌など歌いながら、電源を落とす為に管制室へと向かおうとしたとき、鞍馬と目が合った。

一瞬時が止まる。

慌てて敬礼をするソーヤー。恥ずかしいところを見られたと、頬が赤く染まっていた。

 

「黒須大尉、気付かずに申し訳ありません」

「いや、教官。すまない、盗み見るつもりなどなかったのだが」

 

ソーヤーはひとつ静かに深呼吸。

その顔を冷静なものへと戻し、鞍馬の言葉を訂正する。

 

「大尉、今は教導の時間外です。私は一介の少尉に過ぎません」

「そうか……では、ソーヤー少尉、改めて。盗み見していたようですまなかった」

「いえ。大尉も自主訓練で?」

「ああ」

「そうですか。日中の訓練をあれだけこなしたというのに、恐れ入ります」

 

嫌味か、それは。

その言葉に思わず眉根を寄せる鞍馬だったが、ソーヤーはそれには気付かない様子で続けた。

 

「私は今終わったところなので、これで失礼させていただきます。大尉も、あまりご無理をなさらず」

「……ああ。邪魔してすまなかった」

 

最後にもう一度敬礼をし、立ち去るソーヤー。

それを見送る鞍馬の胸の中、焦りとも苛立ちともつかない感情が込み上げる。

 

──訓練兵レベルをいたぶる為に、熱心に練習かよ。

 

それは八つ当たりに近いものだったろう。

一矢報いんと影で練習しようとすれば、既に相手に先を越されていたという事実。

自分の行動が全て見透かされているかのような、全て手の上で踊らされているような。そんな錯覚に、感情のままに足元に合ったごみ箱を蹴りつけた。

腹いせにされた哀れなひしゃげたごみ箱は、中身を撒き散らしながら部屋の端まで転がり、倒れて停止した。

 

 

 

それから二週間。

教導は滞りなく、いやむしろソーヤーの予想を遥かに上回る速度で進んでいた。

 

──流石はインペリアルガードね。

 

教導の成果をまとめていたソーヤーの顔にも笑みが浮かぶ。

もともと正しい教師役がいなかっただけで、その能力は高いものを持つ者達である。

教官に一泡吹かせたいという、やや不純な動機もあるとはいえ、訓練に向ける情熱も非常に高い。

鞍馬の腕もまた、戦術機の動きに自身が納めた剣術を反映させることができるようにまでなっていた。

だが、それでも未だ壁は厚く、教官に一矢報いることは出来ていない。

今日行なわれた戦術機同士の格闘訓練でも、ソーヤーに対して勝利はおろか、誰一人として一撃を当てることすら不可能だったのだ。

米軍衛士の専門は射撃支援にあり、格闘はあまり得意としていないというのに、これである。

侍がガンマンに剣で負ける。これ以上の屈辱があるであろうか。

 

 

 

そして今日もまた、黒須鞍馬大尉は荒れていた。

シミュレータールームへと続く廊下に、荒々しく歩く足音が響き渡る。

 

「大尉、今日も自主訓練ですか。お疲れ様です」

「少尉も、毎晩精が出るな」

 

室内に入ると、一息ついていたらしいソーヤーがにこやかに声をかけてきた。

まったく、気に入らない。

コイツに一泡吹かせるために隠れて特訓しているはずなのに。その打倒目標と並んで自主訓練とは。それもこの二週間の間、毎日。

これでは、ちっとも差が縮まらない。

まったくもって、気に入らない。

 

今日の自主訓練では、剣の型を戦術機になぞらせることに専念してみた。

踏み込みや重心移動、剣の振りといった動きが、戦術機に無駄の無い機動をさせるために役立つことに気がついたのだ。

ゆっくりと、右から左に剣を振る。

左側に重心が偏り、そのまま大地へと引き寄せられる機体を、今度は右へと振った剣の遠心力を利用して引き起こす。

右へ左へと、八の字に振られる剣。その度に揺れ動く重心。

剣の速度が段々と上がっていき──弾けた。

突如剣は高速で水平に振られ、機体がそれに引きずられるように後を追う。

しかし剣は止まらず返しもせず、機体の裏側、背後までを薙ぎ払う回転運動へと変化した。

独楽のように回る機体が、円舞曲を踊る。

やがて剣の軌跡が変化し、屈みこんでの下段から跳ね上がり、虚空を唐竹に振り下ろそうとしたところで……バランスを崩し大地へと叩きつけられた。

激しい衝撃が管制ユニットを襲い、モニターにイエローランプが複数灯る。

 

──調子に乗りすぎたか。

 

後悔するも、先に立たず。

一つ大きく息を吐き気持ちを落ち着けると、体温を一定に保つ衛士強化装備を着ているにもかかわらず、極限までの集中が全身にびっしりと汗をかかせていたことに気がついた。

時計を見れば、既に剣を降り始めてから一時間程が経過している。

 

──少し早いが……今日はここまでにするか。

 

状況を終了させシミュレーターを降りたとき、管制室からこちらを見ているソーヤーの視線に気がついた。

既に先に上がったと思っていたと思っていたのだが。なんだろう、妙に顔に喜びが溢れていないか?

目が合うと、こちらに駆け寄ってきた。上気した頬が淡く染まっている。

 

「大尉っ! 素晴らしいものを見させていただきました。

 戦術機にケンジュツ……こんな組み合わせがあったのですね……

 実は、私はあまり接近戦は得意ではなくて。あの子の設計思想でも近接戦闘は重視されておりませんし……勉強になりました」

「……最後、無様にこけたがな」

「それでもっ! あの動きには可能性を感じました!」

 

……結構しゃべるな。

教官時のクールな様子とのギャップに、ついそんなことを思う。

その後もしばらく勢いは止まらず、関節の強度がどうの、駆動系がどうの、ナイフと長刀の差がどうのと熱く語ったところで、急に言葉が止まる。

 

「……申し訳ございません、お恥ずかしいところを……」

 

我に返ったようだ。

先程とは別の意味で頬を赤く染め、戦術機のこととなるとつい、と。ごにょごにょと言い訳じみたことを口にするソーヤー。

 

「いや、別にかまわないが。

 それにしても、少尉が接近戦が苦手というのは嘘だろう?

 昼の訓練で、俺達を散々叩きのめしてくれたじゃないか」

「それは……大尉達がまだ、あの子を使いこなせていないだけです。

 先程の動きを自在に出来るようになったなら、もう私では勝てませんよ」

 

射撃も含む戦闘ではまだまだ負けませんけどね。

そう笑ったソーヤーだったが、その笑顔に鞍馬の心の中のささくれ立ったものが刺激されてしまった。

 

「そして、夜間自主訓練の時間でも増やす、か。

 俺達、斯衛の“訓練兵”を叩きのめすための訓練なんだろ?

 あんたほどの腕を持ってて、訓練兵レベルに負けたとあっちゃあ、恥だよな。

 精々、さっき見たことの対策でも整えてくれ」

 

しまったと、思ったときにはもう遅い。

明らかな失言だったが、吐いた言葉は飲み込めない。

逆に言ってしまったことで、自分の中にあったわだかまり、連戦連敗が悔しいのではなく、若い女性に負けたことが口惜しいのでもなく……アメリカ人に教導を受けていることが、アメリカ人に勝てないことが、無念であったのだと。

そんな気持ちに気が付いてしまった。

 

両者無言のまま、時計の時を刻む音だけが響く室内。

やがてソーヤーが下を向き、「そっか」と呟いた。

 

「……大尉達は、私のことをその様に見ていたのですね」

 

鞍馬は答えない。

ただ無言のまま、ソーヤーを見つめ続ける。

それはまるで、拗ねた子供のようにも見えた。

 

「ひとつ、よろしいでしょうか?」

 

キッと、睨み付けるように、彼女は視線を上げた。

 

「大尉は、剣に優れていますね。

 きっと、子供の頃からずっと鍛錬を積んでいたのでしょう。

 長い時間を掛け、磨き上げてきたんでしょう」

 

瞳が怒りに燃えている。

教導の際よりよほど強い口調で、言葉を紡ぐ。

 

「貴方は、その身についた成果を、積み重ねた時間を、否定できますか?」

 

それだけ言うと、彼女は踵を返した。

逃げ出すのではなく、毅然と胸を張り、歩き去っていった。

その背に掛ける言葉も見つからず、一人残される鞍馬。

右手を頭にあて、己を省みる。

感情ひとつも御しきれず、あのような言葉を口にしてしまうとは。

己の練成の成果で語るべきにもかかわらず、あんな嫌味な言葉をぶつけてしまうとは。

 

──未熟。

 

このような脆い心で、将軍殿下をお護りすることなど出来ようか。

拳を硬く握り、己の頭を殴りつける。鈍い音が室内に響いた。

 

それにしても、先程の言葉……

 

──貴方は、その身についた成果を、積み重ねた時間を、否定できますか?──

 

あれは、一体どういう意味だ?

 

 

 

 

 

翌日の自主訓練に、ソーヤーは来なかった。

その翌日も、そのまた翌日も。

今日も、また。

 

念願だった、一人で行なう特訓。

教官との差を縮める好機と、勇んでシミュレーターへと乗り込んだまでは良かったが……何故だろうか、まったく身が入らない。

別れ際のソーヤーの言葉が頭にこびりついて全く集中できず、動作教習を行なうも結果は散々なもの。ワースト記録を更新するという有様であった。

こんな状態で訓練を続けても何も身につかない。むしろ事故でも起こして怪我をするのが関の山、か。

シミュレーターを降りると、そこは静けさに包まれていた。足音、呼吸音、心臓の音。自身が立てる音がやけに大きく響く。

他の誰の体温も無い肌寒い部屋の中、壁に背を預けて座り込んだ。

 

──なにやってんだ、俺は。

 

せっかくの自主訓練だというのに、時間を無為に使うばかりで何も出来ないとは。

時間を……。

 

──貴方は、その身についた成果を、積み重ねた時間を、否定できますか?──

 

また、だ。

時間という響きから連想されたのか、またあの言葉が脳裏をよぎる。

否定……など、出来る訳がないだろう。

斯衛とは、主君を護る剣である。

即ち剣の道とは、己を高める道に他ならない。

体を鍛え、技を磨き、そして心を整える。

長年にわたって鍛錬し、そして身に付けた成果。そのために費やした時間。それを否定することなど……出来ようはずが無い。

 

何故、あいつはあんなことを言ったんだろうか。

別れ際に見せたあの怒りに燃えた瞳、あれは俺の言葉に怒ってのことだろう。

 

──俺達、斯衛の“訓練兵”を叩きのめすための訓練なんだろ?──

 

そんなつもりで訓練していたわけじゃない……ということか。

自分の思いを否定されたから、あれだけ怒ったということか。

じゃあ、何の為に……。

 

──思えば、誰か一人の為にこれだけ思い悩むことなど、今まで無かったな。

 

アメリカ人の教導官が最初の一人になるとは、な。

心の中に、彼女の姿を思い描く。

鞍馬達に教導の成果が見られて喜ぶソーヤー。

自主訓練の際の、少し打ち解けた様子。

F-4のことを“あの子”と呼んで、熱く語る姿。

笑って、怒って、恥ずかしがって。

そんな、一人の人間の姿に思いを馳せた。

 

──そうか。

 

そういう、ことか。

こんな簡単な、当たり前のことに今まで気がつかなかった、なんてな。

己を恥じるように頭を抱えた鞍馬は、やがてすくりと立ち上がる。

そして、何かを決意した目で再びシミュレーターに乗り込んだ。

 

 

 

 

 

明くる日の教導。

最初にその変化に気がついたのはやはり、教官であるソーヤーだった。

鞍馬の操るF-4の、その動きが昨日までとは違っている。

 

──あれは、私の機動……

 

力強く大地を踏みしめて走っていた機動が、跳躍ユニットを巧みに活かした、地面の上を滑るような動きに変化していた。

そして、主脚の踏み込み、重心の移動、剣にかかる遠心力、それらに跳躍ユニットから生まれる爆発的な加速を加え、敵を断つ。

戦術機とは、人間の手足の延長といえるものでありながら、熟練次第で人間以上の動きをさせることが出来る兵器。

まさに、それを具現化した機動であった。

 

シミュレーターを降りた鞍馬が、仲間達から次々に声をかけられていく。

その面には確かな自信と、ひたむきに前を見つめる強い意志がこめられていた。知れず、ソーヤーの口元には笑みが形作られていた。

 

 

 

その夜、シミュレーター管制室。

鞍馬は一人、訓練をするでもなく、誰かを待っていた。

自分以外には誰も居ない空間。ただ、時計の針と、自身が立てる音のみが響く。だが、鞍馬に焦りは無い。

言葉ではなく、練成の成果で語ることが出来たのだ。

きっと、伝わっているはずだから。

 

どれほどの時間が経過したか。

ふと、入り口付近の空気に揺らぎがあった。

 

「少尉」

 

促す鞍馬の言葉に、どこか照れたようなソーヤーが姿を現した。

視線を宙に這わせ、一つ大きく息をつき……鞍馬の瞳を見つめる。

 

「……大尉、昼間の機動……お見事でした」

「ありがとう、少尉」

 

言葉にしたことでほぐれた緊張と共に、口元にこぼれる笑み。

つられるように笑みが浮かぶのを、ぐっと堪え、真剣な面持ちで鞍馬が言う。

 

「少尉……すまなかった。君を侮辱したことを、謝罪する」

「黒須大尉……」

「少し素直になればすぐ分ることだったのに。とても当たり前のことだったのにな。アメリカ人だの日本人だの、そんなことに捉われて、当たり前のことが見えていなかった」

「……」

「君が、俺と同じ人間なんだということ。人種なんて関係ない、自分の道というものがあって、それを誇りに思っている、同じ人間。

 俺にとっての剣が、君にとっては戦術機の操縦だということ。

 ……すまなかった。そして、気付かせてくれたことに礼を言う」

 

そして、鞍馬は深々と頭を下げた。

 

「頭を上げてください、大尉。

 私からも、お礼を。私を一人の人間としてみてくれて……ありがとうございます」

 

ソーヤーは言う。

あの夜から、周囲の人間が自分を見るときの棘のようなものに気がついてしまい、やはり異邦人なんだと感じていたと。

このまま教導が終わるのかと思っていたところ、今日の鞍馬の機動を見て胸がはちきれんばかりに嬉しかったと。

 

「大尉に言われるまで気がつかなかった私も、相当まぬけですよね」

 

そう言って笑う姿が、とても眩しく見えた。

 

その夜は、結局訓練もせずに色々な話をして過ごした。

日本とアメリカの戦術機運用概念について熱く語り、学生時代にしでかした失敗談に笑い合い、自身も捉われていたアメリカ人に対しての偏見を何とかしたいと願い。

気がつけば、時計の針は頂点を指し、間も無く日が変わろうという時間に。

 

「いかんな。これ以上いると警備の者にどやされるし、何より明日に障るか」

「そうですね。随分話し込んじゃいましたけど……ありがとう、楽しかったです」

「こちらこそありがとう、少尉。……その、なんだ」

「大尉?」

「あんなことを言ってしまったのに、非常に言い難いんだが……明日からのこの時間、俺と一緒に訓練をしてもらえないか? いろいろと、教わりたいことがある」

「ええ、大尉。私でよければ、よろこんで」

 

二人は見つめ合い、笑い合いながらくだけた敬礼を交わす。

そして、二人の時間が始まった。

 

 

 

 

 

──いえ、そこは主脚を軸に回るのではなく、スラスターを使って旋回した方が速度を殺さずに済みます。

──こう、か? ……あがー

──あらあら。

 

 

 

──半径3メートル弱、これが長剣の間合いになる。

──……届かないですよね?

──いや、それが届くんだ。剣と腕の長さに加えて、踏み込む一歩がある。どちらにせよ、腕の振りだけで物は斬れないから。

──なるほど。これを戦術機に当てはめると……

 

 

 

──大尉、この基地の近くで、日本の小物を買えるところはありませんか?

──小物? 国に土産か何かか?

──いえ、基地の方が、口を紐で縛る小さな袋を持っていて、可愛らしいな、と。

──ああ、巾着か。それなら……そうだ、世話になっている礼に、次の休日に案内しようか。

──本当ですか? 嬉しいです。

 

 

 

──斯衛の皆さんも、随分と腕が上がりましたね。

──何しろ、教師が良いからな。

──あら、おだてても何も出ませんよ?

 

 

 

──……綺麗。

──だろう? この時期に京都に来たなら、ここ嵐山の紅葉は見ておかないと。

──ありがとうございます、大尉。

 

 

 

──クランク!? この速度で!

──手前40で反転全力噴射、壁面を蹴って強制姿勢制御2回! ……怖気づきましたか大尉?

──冗談じゃない! 楽勝だ!

 

 

 

──これは……シナモンクッキー?

──不思議だ。ただの八つ橋なのに、全然別のものに聞こえる。

 

 

 

──教導期間も、もうすぐ終わりだが……その後はアメリカに帰るのか?

──いえ。そのうち呼び戻されるでしょうけど、それまでは日本の基地に所属することになると思います。

──そうか。

──あれ? 何か嬉しそう?

──い、いやっ、そんなことは……なくもないが……

 

 

 

──あら……雪?

──もうすっかり冬だな。ほら、少尉。

──ありがとうございます。……暖かい……

 

 

 

──黒須でいい。今は軍務の時間外だからな。

──なら、私もセリスでいいわ。

──ぶほっ! ……いや、ファーストネームを呼ぶというのは……

──あら、アメリカじゃ普通よ。ねえ、鞍馬?

──く、くらっ!?

──ふふっ

 

 

 

季節は巡る。

そして、また冬がやってきた。

 

 

 

 

 

1975年、12月。

帝都。

 

「セリス……大事な話があるんだ」

 

冬の街を、並んで歩いていた二人。

道行く人の波が途切れ、ふと会話が止まったその時、鞍馬が切り出した。

いつになく真剣な、怖いくらいに張り詰めた顔をし、一言一言、確かめるように言葉を紡ぐ。

 

「君と出会って、もう一年が過ぎた。いつか君はアメリカに帰ることになるだろう。

 だから、その前に。今のうちに、言っておきたいことがある」

 

斯衛への教導が終わってからも頻繁に連絡を取り合い、休みが合う度に顔を合せていた二人だが、セリスも鞍馬のこのような顔を見るのは初めて。

緊張と、焦りと、恥じらいと。

その表情と、その口調と、その態度と。

鞍馬がこれから何を言おうとしているのか察したセリスは、高まる期待に胸を高鳴らせる。

……と、同時に。それは叶わぬ、叶えてはいけない願いなのだと、冷たい風もまたその胸に吹き荒れた。

二人共に、さまざまな感情を胸に秘めつつ、見つめあう視線が気持ちを高ぶらせる。

そして、大きく息をついた鞍馬が、ついに言葉を続けた。

 

「セリスっ! ……俺と、結婚を前提とした、お付き合いをしてもらえないだろうか?」

 

……えっ?

鞍馬の口から放たれた言葉に、思わずぽかんと間の抜けた顔を晒してしまう。

そして、その言葉の意味を噛み締めた時……込み上げる笑いを堪え切れなかった。

 

「ふっ、ふふっ、あははははっ! ご、ごめんなさい、鞍馬、ちょっと待って、あははは」

 

堪えきれずにその手を腹に添え、伸ばした背筋を折って前屈みに。目には涙すら浮かべ、ひとしきり大笑い。

セリスが呼吸すら困難になっている中、鞍馬は戸惑うままに言葉を継げずにいた。

受け入れられる、断られる。怒られる、泣かれる、逃げ出される。

そんな反応を想像して、それぞれに対応を考えてはいたが……笑われるというのは想定外だった。

その顔が、次第に憮然としたものに変わっていく。

 

「……そんなに、可笑しいことを言ったか?」

「ご、ごめんなさい、違うの、違うのよ、鞍馬。はあ」

 

目尻にたまった涙を指先で拭い、大きく深呼吸をして、どうにかこうにか笑いの発作を押さえ込んだ。

 

「私達、まだ付き合ってなかったんだって思ったら、可笑しくなっちゃって……

 何も手を出してこないなあ、とは思ってたけど。どうりでねえ」

 

そして、白い両手を鞍馬の首に回し、そっと引き寄せた。

二人の顔が近づき……初めての口付けを交わす。

 

「……私は、もうとっくに恋人同士になってると思ってたのよ。

 ああもう、笑いすぎて涙が出てきちゃったわよ」

 

二つの瞳から滝のように溢れる涙。それを隠すように顔を鞍馬の胸にうずめる。

その細い体をぎこちなく鞍馬が抱きしめた時、ありがとう、と。小さな呟きが聞こえた。

 

「ありがとう。……とても、とってもとっても……嬉しい」

「それじゃあっ!」

「ううん、でも、駄目。やっぱり結婚はできないわ」

 

一度、鞍馬をぎゅっと抱きしめ返すと、セリスはその温もりを手放した。

そのまま何歩か後ずさり、背を鞍馬に向ける。

 

「……どうしてだ? 何か俺に至らないところがあるのなら言ってくれ」

「ううん、そうじゃないの。貴方は今のままでとっても素敵よ。でも……駄目。

 だって、貴方はインペリアルガードじゃない。外国人の、それもアメリカ人の私と結婚なんてしたら……」

 

一旦言葉を噤み、振り返る。

涙はもう止まっていた。

 

「好きよ、鞍馬。貴方の言葉、本当に嬉しかった。

 でも、私は貴方の将来を奪うことなんてしたくない。

 ごめんなさい……そして、さようなら」

 

──きっと、これで良かったのよね

 

躊躇いを振り切るように踵を返し、走り出す。

その胸に、教導官として始めて知り合い、反目し、打ち解け、そして惹き合っていった……数々の思い出がよぎる。

三度、零れる涙。

最初は笑いの、次に喜びの。そして今、悲しみの涙を流しながら、夜の街をセリスは行く当てもなく、走り続けた。

 

 

 

どれほど走ったのか。

気がつけば知らない街並みが目の前に広がっていた。

 

──ここ……どこかしら?

 

まあ、なんとか大通りに出れればタクシーも拾えるわよね。

ハンカチを取り出して涙を拭き、車の音が聞こえるほうに目星をつけて歩き出したその時、背後から肩を掴まれた。

染み付いた習性で考える間も無くその手を掴んで振り返り、狼藉者に一撃を食らわそうと相手の顎めがけて繰り出した肘は……相手の手のひらで防がれた。

 

「……ま、まて、セリス。俺……だ……」

 

追撃に移ろうとしたとき、目の前にいるのが先程一方的に別れたばかりの鞍馬だと気がついた。

セリス、君、足速すぎ……と、息を整えながら搾り出すように言う鞍馬に、唖然と尋ねる。

 

「鞍馬……なんで?」

「人のっ、話はっ、最後までっ、聞くものだっ」

 

もう一度逃げ出そうかとも思ったが、それはさせないと鞍馬にがっちりと腕を掴まれてしまっているので、仕方なく彼の息が整うのを待つ。

 

「ふう……。俺も相当に鍛えているつもりだったが……まさか足の速さで負けるとは思わなかったな」

「鞍馬、何で追いかけてきたりしたの? 言ったでしょ、私は貴方と結婚できないって」

「だから、セリス。俺の話を最後まで聞いてくれっ!」

 

叫ぶような強い言葉に周囲を歩いていた人たちが振り返る。

その奇異の視線をものともせず、鞍馬は言葉を続けた。

 

「セリスっ! 俺は、君を愛しているっ!」

 

なんの捻りもない、直球の言葉。

彼女の頬が真っ赤に染まるのは、喜びからなのか、羞恥からなのか。

ああ、周りの目が痛い。

 

「く、鞍馬、ちょっと落ち着いて、ねえ」

「落ち着くのは君のほうだ。人の話も聞かずに走り去るなんて。

 いいか、セリス。俺が、愛する人と自分の将来を天秤に懸けるような人間に見えるのかっ!?

 出世なんて関係ない。立場なんて知ったことじゃない。保身なんて糞喰らえだっ!

 俺はっ! 斯衛を辞めるっ! この生涯をかけて、君を愛し続けるっ!」

 

この……馬鹿……

頭は冷静にこの事態を収拾しようとするセリスだったが……だがしかし、その心が喜びに満ちていくのも自覚せざるを得なかった。

その一言に心が震える。

その二言に魂が揺さぶられる。

ああ……もう、駄目。この人に、全てゆだねてしまいたくなる。

 

「殿下を、御護りするんでしょ?」

「斯衛の外からでも成せる事はある」

 

「沢山のものを捨てることになるわよ」

「君が居てくれるなら構わない」

 

「家にも迷惑がかかるわよ」

「黒須家にはもう俺一人しか残っていない」

 

「きっと後悔するわよ」

「するわけが無い」

 

「……貴方は……馬鹿よ」

「ああ、馬鹿さ」

 

堰が切れた。

押さえ込んでいた感情が溢れる。

もう、自分の気持ちを隠すことなど出来なかった。

セリスは鞍馬の広い胸に飛び込み、きつく抱きしめ合った。

 

「セリス……愛している」

「私も、愛しています」

 

そして、二人は2度目となる、熱い口付けを交した。

 

 

 

 

 

1988年、2月。

帝都、斯衛軍幼年学校校庭。

 

随分と、長話をしてしまったな。

いつの間にか茜色に染まりつつある空を、蒼也と二人見上げる。

蒼也にも素晴らしい出会いがきっとあると、自分がアメリカへの偏見が無くなった話をしていた鞍馬だが……ついつい、懐かしい思い出に浸ってしまっていた。

話の後半、口に出すのは恥ずかしい辺りは、いつか蒼也が恋の相談などしてきた時、話してやるとしようか。

 

「その、アメリカ人の衛士って……もしかして、母さん?」

「ああ、そうだ。俺が世界で一番尊敬している衛士さ」

 

ふうん、と。

興味なさげなそぶりをしながら、その頬の笑みを消せない蒼也。

 

「父さん、母さんが好きなんだね」

「もちろんだ。蒼也、君のことと同じくらい愛している」

 

鞍馬がその力強い腕を伸ばし、隣に座る蒼也の頭を抱え込む。

くすぐったそうに笑う蒼也。

 

「ねえ、父さん」

「なんだ?」

「僕、父さんと母さんみたいな、立派で素敵な衛士になるよ」

 

蒼也の言葉に、そうかと嬉しそうに微笑む鞍馬。

 

「あ、やっと見つけた。こんなところで男二人隠れて、何を話していたのかな?」

 

ようやく満足行くまで話し尽くしたのか、校舎の方からセリスと真那が歩き寄ってきた。

その向こうに他の顔ぶれの姿も見える。

 

「ああ。蒼也にもきっといつか素晴らしい出会いがあるってな。俺とセリスのような、な」

「あら、嬉しいこと言ってくれるわね」

「いつも言ってるだろ?」

「何度聞いても良いものなのよ」

「はは、そうか」

 

惚気る二人に、呆れたような視線が浴びせられるが、今更気にもしない。

蒼也を間に挟んで手を繋ぎ歩き出したところで、ふと悪戯を思いついたようにセリスが呟いた。

 

「あ、でも……そんな出会いがあったら、大変なことになるかも。……ねえ?」

「お、叔母様っ! 何ですか、突然っ!」

 

急に話を振られた真那が慌てふためく。

頬の色は……夕日に染まったのか、随分と真っ赤だ。

 

笑いに包まれる一同。

ゆっくりと歩を進めながら、鞍馬は一度、背後を振り返った。

夕日に赤く染まる京の街。

願わくば、この幸せが、平和が。

末永く護られんことを。

八百万の神々に、帝都を護る人々に、それを願う鞍馬だった。

 

 

 


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