あなたが生きた物語   作:河里静那

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19話

 

「俺の子供の頃はさ」

「どうしたの、突然?」

「いや……21世紀の未来は、俺の子供の頃のイメージだとさ」

「ええ」

「山みたいな高いビルが沢山建っていて、その間を透明なパイプみたいな道路が結んでいるんだ。中には、空飛ぶ車が走っている」

「飛べるなら、パイプはいらないんじゃない?」

「そう言うなよ。きっと、交通安全のためとか、そんな理由があるんだ」

「まあ、いいけど」

「それでな、世界は平和で、ロボットの友達なんかもいてな」

「戦術機は……友達とは違うわねえ」

「だなあ……って、そうじゃなくて。腰を折るなよ」

「ふふ、ごめんなさい」

「ああ、何だか言いたいことがまとまらないな」

「わかるわよ。そんな未来を残してあげたかった、でしょ?」

「……まあ、そういうことだ」

「私は自然が一杯あるほうが好きだけど」

「それは大丈夫。都市は透明なバリアーみたいなドームで覆われていて、その外は人の手の入らない自然が残っているから」

「なんだか、ご都合主義ねえ」

「未来都市だからな」

「なら、しょうがないわね」

「……残せなかったなあ」

「私達の世代で決着つけれなくても、仕方ないんじゃないかしら?」

「でもなあ……親だしなあ」

「そうねえ」

「せめて、出来る限りは手伝わないとな」

「そうね。おじいちゃんになっても頑張らないとね」

「孫と一緒に、平和な老後を過ごすとか、夢だなあ」

「あら、嫁は一緒じゃないの?」

「はは、もちろん一緒さ。最高だろ?」

「そうね、最高だわ」

 

 

 

 

 

1988年、2月。

帝都、月詠邸。

 

居間の中央に七輪、その上にはクツクツと煮える大きな土鍋。

蓋をされているにもかかわらず、土鍋からは昆布からとった出汁の香りともうひとつ、微かに甘い、脳髄を刺激する香りが漏れ漂ってくる。

この、控えで目ありながらそれでいて、強烈に引き寄せられる香り。

それは、鍋の王様と声高に主張する者も決して少なくない冬の味覚。

 

「そろそろいいかしらね?」

 

雪江がそう言って蓋を取る。

香りが、爆発した。

胃袋が、ぎゅうっと何者かに絞り上げられるような錯覚。

湯気の向こう、鍋の中身は白菜に豆腐、水菜と至ってシンプルなもの。

しかし、その白と緑の競演の中、鮮烈に映える、赤。

──蟹だ。

舞鶴の港に今朝方水揚げされたばかりの松葉蟹。

固い甲羅に2本のはさみと8本の脚を持つという、一見グロテスクとも言える外見でありながら、何故にこれほどまでに人を魅了してやまないのか。

蟹や海栗といったものを、始めて口に運んだ偉大なる先人に感謝を。

 

「はい、鞍馬さん」

 

鍋から具をとりわけ、一人一人に手渡していく雪江。その一番手は鞍馬。

いやしかし、ここは先に月詠翁では……?

ちらりと見やると、微笑みながら頷く瑞俊と目が合った。

ここで遠慮するのも返って失礼というものか。ありがとうございますと、瑞俊と雪江に礼を言い、箸を取る。

いや、正直に言おう。もう、我慢できません。

ポン酢に紅葉卸を添えて、まずは──白菜。

クタクタに煮えたそれを箸で摘み、口にした。

良く火の通った白菜は舌で押すだけで崩れ、溶け去る。染み出す白菜の甘みと、それを更に覆いつくすような蟹の甘み。

堪らず、猪口を手に取り一気に干す。中身は伏見の生一本。

あぁ、と。知れず声が漏れた。

日本を発ってから、アルコールはほとんど口にしていなかった鞍馬である。

時折パーティーのようなものが隊内で開催されるが、せいぜい軍用の薄いビールを嗜む程度。

そうだった。これが、酒の味だったな。

しばし目を閉じ、鼻に抜ける香りを堪能する。

 

さて次は……豆腐だな。

凶器とも言うべき熱さを持った豆腐を口に放り込み、ハフハフと熱を逃がしながら噛み締める。

これまた蟹の芳醇な甘みをたっぷりと吸った、濃厚な大豆の味が染み渡る。

ああああもう、堪らんっ!

猪口を口に運ぼうとし……そうだ、さっき飲み干したんだった。

 

「ほら、鞍馬」

 

空の猪口を手にした鞍馬を見て、月乃が酒を注いでくれた。

 

「美味いか?」

「ああ、美味い」

 

そうか、それは良かったな。

幸せそうに言葉を返す鞍馬を見て、目を細めながら自分も杯をあおる。

 

「あたしにも頂戴」

「自分で注げ」

 

横から杯を突き出す花純に、そう悪態を返しながら、それでも注いでやる月乃。

変わらないなあ、この辺りのやり取りは。

少年の頃を思い出した鞍馬の頬が綻ぶ。

 

さて、と。

そろそろ、行こうか。

一旦、シャキシャキ感を残した水菜で口内を清めた後、ついに手にする、蟹。

食べやすいように既に切込みを入れられているそれを、パキッと音を立てて割る。

赤い殻から、弾けるように飛び出す白い身。

作法も何も無い。ただ、かぶりつく。

 

────っ!!

 

ああ……今、俺は確かに生きている……

鞍馬、至福の時であった。

 

 

 

「……美味そうに食うのう」

 

手を回して良い蟹を用意した甲斐があったわい。

瑞俊が自分の蟹を口に運びつつそう言う。うむ、これは確かに美味い蟹じゃ。

突然の鞍馬とセリスの帰宅に驚きつつも、瑞俊と雪江はもちろん二人を暖かく迎え入れた。

下にも置かない歓迎振りだ。

夕食は何がいいかしらと尋ねる雪江に、皆と鍋を囲みたいと答える鞍馬。間も無く、最上級の松葉蟹が届けられることとなった。

もう陽も傾く時間であり、良い品はあらかた料亭などに流れてしまっているというのに、流石に月詠家の伝手である。

 

更に、緊急事態じゃと斯衛へと人を飛ばし、月乃と花純、二人の婿を呼び寄せた。

この時、理由は伝えずに至急帰って来いとだけ言う辺り、瑞俊も随分と悪戯好きになったものである。

案の定に、慌てて帰宅した皆が鞍馬とセリスを見て目を丸くする様を見て、大いに満足した瑞俊は帰還祝いを行うと宣言。

呼びつけられた皆も、瑞俊へと抗議はしたものの二人の帰宅が嬉しくないわけが無い。

本当に久しぶりに月詠家の全員が揃い、こうして宴が開かれることとなったわけである。

 

「和食がこんなにも美味いものだったとは、忘れておりました。

 中東の食事が不味いとは言いませんが、こちらの感覚ではどうも単調な上、スパイスに未だに馴染めていなくて」

 

現地の人間の感覚だと、使うスパイスが違えばそれは別の料理になるらしい。

だが正直なところ、鞍馬にとっては多少風味が違うだけの同じ料理に見えてしまう。

軍で賄われる食事としては味は悪くない。確かに悪くはないのだが……やはり、随分と飽きが来ていたようだ。

ああ、素材の味を楽しむというのが、こんなにも素晴らしいものだったとは。

 

そうかそうか、と。

鞍馬の喜びようを、我が事のように嬉しく思う瑞俊。

美味いものを食べ、美味い酒を飲む。

心がほぐされ、鞍馬も随分と緊張が解けたようだ。セリスと蒼也と、親子3人で笑い会う様子が微笑ましい。

何せ、先程までの様子は酷いものだったからの。

瑞俊はそれを思い出し、苦笑いを浮かべる。

 

 

 

「……その……蒼也は、学校は楽しいのか?」

「うん、父さんっ! 勉強は面白いよっ! 真耶ちゃんも真那ちゃんも、優しくしてくれるしっ!」

「……そうか、それは良いな」

 

「……その、なんだ。蒼也は、どんな科目が好きなんだ?」

「歴史が一番好きっ! BETA大戦史っていう授業があって、父さんのことも習ったよっ! 一杯勉強して、いつか人類の力になるんだっ!」

「……そうか、蒼也は立派だな」

 

ぎこちないこと、この上ない。

学校でのことを聞き終えてしまった後は、話すことが思いつかないのか、しばらく沈黙が続いた。

赤子の頃に会ったきり、父親としての経験は皆無といえる為、仕方のないことではあると思うが……流石に、これはないじゃろう。

蒼也のほうといえば、父と母に会えた喜びに、まるで尻尾を振る子犬のようだというのに。

鞍馬よ、今のお主、器で負けておるぞ。思わず呆れる瑞俊であった。

 

 

 

笑い声の耐えない、暖かい食事の続く中、

 

「……メデューム……」

 

セリスがなにやら不穏な言葉を呟いた。

実はセリスは蟹が余り得意ではない。砂漠で育ち海産物とあまり縁が無く暮らしていた彼女は、蟹の姿からどうしても蜘蛛を連想してしまう。

それは知っていた鞍馬だったが、だがセリスよ、流石にその呟きは無いんじゃないか?

いかん。せっかくの蟹が不味くなる。思い浮かべてしまいそうになった醜悪な姿を、頭を振って追い出した。

箸の進まないセリスの様子に気付き、雪江が声を掛ける。

 

「あら、どうしたの? ……河豚の方が良かったかしら?」

「いえ、そんなことは。その……つい、前線での食事を思い出してしまって」

「自分ばかりが良い物を食べるのは心苦しい……か。

 しかしの、セリス。休めるときには全力で休むのもまた、戦士の心得というものじゃろう。今は何も考えず、美味いものを食すがいい」

「はい、頂きます」

 

雪江と瑞俊が気を使ってくれる。

嘘を吐くのは申し訳ないが、蟹に似ているBETAがいると正直に言うなど空気を読まないにも程がある、勘弁してもらおう。

 

「母さん、僕が剥いてあげるよ!」

 

そう言うと、セリスの皿へと手を伸ばし、蟹を掴み取る。そして小さな手で一生懸命に蟹を剥き出した。

やがて皿一杯に赤と白の身がたまり、「はいっ!」と、嬉しそうに差し出してくる。

 

「……ありがとう、蒼也。母さん嬉しいわあ」

「へへっ」

 

礼を言われ照れくさそうに笑う蒼也。

これが、セリスが蟹が大好物になった瞬間だった。

 

 

 

食事は続く。

おっかなびっくり頭を撫でたりして蒼也との間を持たそうとしていた鞍馬だが、何かを思いついたように言葉を発した。

 

「……蒼也は、好きな女の子とか、いるのか?」

「うーん……まだそういうの、よくわかんないかなあ。一番好きなのは、真耶ちゃんと真那ちゃんだけど」

 

その言葉に、両側からセリスに纏わりついていた真耶と真那がピクリと硬直した。

顔を見合わせた後、可愛らしい顔に不満の色を浮かべ、蒼也に詰め寄る。

 

「一番好きな者が二人もいるというのは、些かおかしいのではないか、蒼也?」

「ああ、そうだな。一番と言うからには、一人に決めた方が良いだろう?」

 

あれー?

何で2人とも、怖い口調になってるのかな。

一見にこやかな、実は張り付いた笑みを浮かべ、にじり寄ってくる2人。

あはは、逃げたほうがいい……かなあ?

と、腰を浮かせかけた時、二人の頭の上に鞍馬の大きな手が置かれた。

 

「ふたりとも、ありがとう。約束を守ってくれたんだな」

 

叔父様、覚えていてくれたんだ……。

 

“蒼也のお姉ちゃんになってくれないかな”

 

帝都を発つ鞍馬と交わした約束。

8年も前、4つの子に託した願いなど当に忘れていてもおかしくないのに。

それを覚えていて、心からの礼を言ってくれた。

自分達をとても大切に思ってくれていることが伝わってくる。そして、その気持ちに応えられた自分が誇らしい。

鞍馬の目を見つめ、「はいっ!」と真那が力強く返事をする。

ところが対照的に、真耶は視線を上げることが出来ず俯いて頬を染め、「……はい」と呟くのみ。

 

「あらあら、真耶さん。憧れの叔父様に褒められて照れちゃったかしら?」

「かっ! かかかかか、母様っ! な、なにをっ!」

「あはは、聞いてよ鞍馬。真耶ったらね……」

「花純叔母様あああああっ!」

 

それで放たれた言葉をかき消すことが出来るとでもいうのか、両手をぶんぶんと振り回し、鞍馬と母等の間の空気を掻き回す真耶。

顔は真っ赤で、目はぐるぐると回り、あわわわと意味を成さない呟きが漏れる。

めったに見られない、本気で取り乱した真耶。その姿を勝者の余裕で「ふっ」と鼻で笑う真那。

 

「真耶は年上趣味だからな」

「なによっ! 真那なんて年下趣味じゃないっ!」

「ドサクサ紛れにお前は何をおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

余裕は一瞬で吹き飛んだ。

二人とも立ち上がり、猫のように毛を逆立て睨み合う。

一触、即発。

 

「ふ、ふたりとも、ほら落ち着いて、ね?」

 

状況がつかめないながら、とりあえず静止しようとするセリスだったが、その言葉は二人に届いていないようだ。

だんだんと二人の距離が縮まり、今にも手が出そうな様子におろおろとしてしまう。

鞍馬といえば、雪江と花純が笑って見ているから大丈夫なんだろうと踏んで、静観の構え。

ちなみに、蒼也といえば、いつの間にか瑞俊の隣りに避難して「はい、お爺ちゃん、お酒」と何事も無いかのように酒を注いだりしている。

 

距離が更に縮まり、顔が触れ合わんばかりになったとき、

 

「そこまでっ!」

 

ぴしゃりと、響く声が二人を止めた。

 

「二人とも、祝いの席で何をやっている。いい加減にしなさい」

 

母達の中で一番寡黙で、声を荒げることなど滅多に無い月乃。

その日本人形のような端正な顔の、切れ長の瞳から放たれる視線に、射竦められ固まる。

滅多に怒らない分、本気で怒らせると怖い人だと、二人とも良く知っていた。

 

「姉上も花純も、面白がっているんじゃありません」

「あらー……ごめんなさいね」

「月姉……ごめん」

 

雪江も花純も、怒った月乃は怖いので、ここは素直に謝ることにする。

しばし無言で四人を見据えていた月乃だったが、その表情がふと笑みを形作った。

 

「それに……いいじゃないか、真耶。恥じるようなことじゃない。私は誇らしいと思うぞ。とった手段は問題だったかもしれないがな」

「月乃叔母様……」

「鞍馬、真耶はお前の為に大立ち回りを演じたことがあるんだ」

「俺の為に?」

「ああ。さっき、蒼也がBETA大戦史という授業があると言っていただろう……」

 

月乃の話はこうだった。

真耶が授業で国連軍の活動について学んでいる時、“ハイヴ・バスターズ”の話が上がったという。

もちろんその詳しい作戦内容は機密に当たるが、彼等の功績は国連軍のプロパガンダにも使われており、一般人の中でもその知名度は高い。

語られる黒須鞍馬大佐の武功に鼻を高くしていた真耶だったが、授業後にクラスメイトがしていた雑談を耳にし、頭に血を上らせてしまった。

 

「この黒須って奴、何で日本人なのに帝国軍にいないんだ?」

「俺知ってるぜ。こいつ、斯衛を追い出されたんだって」

「なんだそれ。なにしでかしたんだよ?」

「さあ? 理由までは知らないけど」

「でも、斯衛を首になるってよっぽどだろ」

「非国民ってやつ?」

「なら、いくら国連軍で武功を上げたって、逆に日本人の恥を晒してるようなもんじゃないか?」

「ほんとだよな」

「また何かしでかす前に、戦死してくれたらいいのに」

 

貴様等が……一体、貴様等が、叔父様の何を知っているというのかっ!!

激昂した真耶は話をしていたクラスメイトを道場に連れ出すと、その全員を打ち据えた。

話しを聞きつけた真那が慌てて駆けつけたとき、床に倒れ付す者達の中で一人真耶だけが立ち尽くし、冷め切らぬ怒りに肩を震わせていたという。

仮にも稽古の形をとっていたとはいえ、場合によっては放校も免れない不祥事であった。

だが、双方から話しを聞いた教師陣は人類の為に命を賭して戦っている先人を貶め、尚且つその死を願うとは言語道断と、クラスメイト達を叱責。

そして真耶には三ヶ月間の便所掃除の罰が与えられることとなった。

掃除には真那も無言で付き合った。口にはしなかったが、真那も心情的には真耶と同じ。もしその場にいたのが自分だったら、おそらく同じことをしていただろうから。

 

「さっきも言ったけど、取った行動は褒められることではない。だが、その精神は決して恥じることではないと思うぞ」

 

とはいえ、感情のままに剣を振るって人を傷つけたのは許されることではなく、それを鞍馬に知られてしまったことに居た堪れずに下を向く。

ああ……もう消えてしまいたい……

涙すらこぼしそうな真耶だったが、その頭に、大きな手が乗せられた。

 

「ありがとう、真耶」

「……叔父様」

「俺のことを誇りに思ってくれて、嬉しいよ」

「でもっ、武家の者が己の為に剣を振るうなんて……許されません」

「自分の為じゃなく、俺の為だったんだろ? それに月並みだが、誰にでも間違いはある。俺なんてしょっちゅうさ。罪はもう償ったんだろ? それでも気に病むなら、間違いを次に生かすことを考えるべきだ。

 ……なあ?」

「……はいっ!」

 

吹っ切れたように顔を上げる真耶。

その眦に溜まった涙を鞍馬が指でそっと拭ってやると、顔を真っ赤に染めて硬直してしまう。

そんな様子に周りから笑いが零れる。

 

……んー、どうしたものかしらねー?

微笑ましくはある光景だけど、何だか面白くないぞ。

でもまあ、可愛い姪っ子の為、か。ここは何も言わないでおきましょうか。

苦笑いを浮かべるセリスに、月乃が杯を差し出してきた。

目が、お前も大変だなと語っている。

微笑とも苦笑ともつかない笑みを返し、差し出された杯に自分の物を軽く合わせ、飲み干した。

 

 

 

 

 

やがて夜も更け、子供達の瞼が重くなる時間となった。

大人たちはこのまま昔話を肴に酒を楽しんでもいいのだが、鞍馬とセリスは一足先にお暇することに。

親子三人、川の字となって寝る為だ。休暇の話が出た時から、必ずやると決めていた。これだけは譲れない。

瑞俊も気を利かせて、引き止めたりはしなかった。

蒼也の部屋、かつて鞍馬とセリスが暮らしていた部屋に移り、布団を並べて敷き、床につく。

蒼也は、思わぬ家族の再会に興奮して疲れていたのだろう、セリスに頭を撫でられながら、すぐに静かな寝息を立て始める。

その光景を眺め幸せに浸る鞍馬だったが、夕食での蒼也のひとつの言葉を思い出し、ふと考え込んでいる自分に気がついた。

 

「鞍馬、何を考えているか当ててみましょうか? ……大丈夫、きっと貴方なら出来るわよ」

 

悪戯っぽくそう言うセリスに、微笑みで答える。

それは、鞍馬が蒼也に将来なりたいものはあるのかと尋ねた時のことだ。

 

「僕、衛士になるっ!」

「……衛士か」

「うんっ! それで、父さんと母さんと、一緒に戦うんだっ!」

 

戦況を考えると、衛士になるといわれて素直に喜ぶことは出来ない。

おそらく、それは夢ではなく、否が応にでもならざるを得ない、確定した未来であろう。

蒼也が衛士の資格を得るまで、順調にいってあと9年。

口惜しいが、それまでにこの戦いに終わりが訪れるとは思えない。

負の遺産を背負わせてしまうこと、情けなく思う。

だがそれでも……自分の背を追ってくれたこと、この背が恥じるものではないと思ってくれたことが……嬉しい。

 

「あと9年……俺はその時45歳、か」

「私もその時、45歳」

「まだ戦えるかな?」

「言ったでしょ……貴方なら大丈夫。そして、貴方が戦うなら私も一緒よ」

 

セリスが、蒼也を撫でていない方の手を伸ばしてきた。

その手をとり、指と指を絡ませる。

 

「なら、頑張るか」

「ええ、頑張りましょう」

 

見つめ合い、互いに笑みをこぼす。

 

「だけど……」

「なあに?」

「新任の蒼也と一緒に戦って、それで終わり。というわけにはいかないよな」

「そうねえ」

「なら、その後もしばらく、蒼也が一人前になるくらいまでは続けないといけないか」

「鍛えてあげないといけないわね」

「だったら……切のいいところまで。21世紀まで頑張ってみるか」

「2001年、ミレニアムの始まりね」

「新しい千年紀。俺は49歳か」

「私も49歳」

「一緒だな」

「ええ、一緒よ」

「もうジジイだな」

「きっと、世界最年長の衛士ね」

 

笑いあう二人。

そしてゆっくりと、静かに眠りへと落ちていった。

 

 

 

その晩、鞍馬は夢をみた。

6機の戦術機が戦場を並び駆ける夢を。

先陣を切るのは鞍馬の駆る、黒い瑞鶴。

その後方左右に、セリスと蒼也が同じく黒い瑞鶴で続く。

さらに後方に赤い瑞鶴が3機。真耶、真那、花純の三人だ。

 

血生臭い、戦場の夢でありながら、それは。

それは、とても幸せな、未来を描いた夢だった。

 

 

 

 

 

あくる朝。

日の出からまだ間もない時間、月詠家の道場から威勢の良い掛け声が響き渡っていた。

常から稽古に熱心な真耶と真那、そして二人に一生懸命くらいついていっている蒼也であるが、今日は三人ともまた一段と気合が入っている様子。

それもそうだろう、今日は鞍馬が稽古をつけてくれるというのだから。

瑞俊と花純は道場奥に座り込み、完全に観客に徹するようだ。剣術のことは良く分からないセリスも、その隣りで様子を見守ることにした。

子供達の瞳は期待の輝きに満ち溢れ、始まりを今か今かと待ちわびている。

雪江が大切に保管してくれていた自身の稽古着に身を包み、三人の前に立つ鞍馬は……少し困っていた。

正直に言うと、剣術の稽古は久しぶりなのだ。

 

実は、国連軍に配属されたばかりの頃、夜間の自由時間に運動場の片隅で剣術の自主訓練を行なっていたところ、刃物を振り回し暴れている男が居ると、MPに連行されかけたという苦い思い出がある鞍馬である。

そもそも国連軍においては剣術という概念自体が希薄であり、自主的に体を鍛える者も、ランニングか器具を使っての筋力トレーニングを行なうのが主流であった。

剣術の稽古は心技体の全てを鍛えると固く信じている鞍馬であるが、稽古のたびにMPに連れ去られるか、さもなくばいつの間にか見物人が集まってくるという環境では身も入らない。

それでなくても、生身を鍛えるよりもシミュレータを使って戦術機の訓練を行なった方が生存率が上がるというのも事実であり、やがては剣術の稽古はある意味気分転換の為、時折格闘場を正式に借り切って行なうものとなっていった。

さらには、大隊を指揮するようになってからは事務仕事の量が膨大なものとなり、自主訓練に割ける時間などそうそう残されてはいなかったのだ。

そういう訳で、三対の期待の眼差しに応えられるか、自身に不安がある鞍馬である。

 

しかしまあ、ここに滞在している間だけの短い時間だ。

子供達にとっても、月詠翁以外の剣を見るのも良い刺激になることは間違いないだろう。

なんとか、化けの皮が剥がされないよう、努めるとしましょうか。

 

 

 

とりあえず、三人の力量を量るために、型稽古をやらせてみた。

しばし見やり、感嘆の呻きが漏れる。

ただ型をなぞっているだけなのに、剣が振られるたびに空気が斬り裂かれるのが見えるかのよう。

生来の天稟はもちろん、それに驕らず研鑽を積まなくてはこうはならない。

剣を学ぶものにとって己を磨くことと同様、或いはそれ以上の喜びに後継を鍛えることがある。

これは、なんとも鍛え甲斐のある素材だ。

なるほど、月詠翁が期待するのも良く分かる。真耶と真那、この二人は──本物だ。

このまま修練を積めば、二人が任官する6年後には、剣の腕は抜かれているかもしれないな。そう鞍馬が覚悟を決める、それほどのものだった。

しかし、同時にこっそり安堵の息もつく。

今はまだ、俺の方が上だ。今日のところはみっともない真似を見せずに済みそうだ。

 

さて、蒼也のほうはどうかといえば。

……うん、熱心に修行を積んでいるようだ。今年で10歳という年齢を考えれば、十分な練成が成されているといえよう。

しかし正直なところ、二人と見比べてしまうと、大分見劣りする。

もちろん、年齢や今までに稽古にかけた時間から腕が劣るのは仕方がないが、それだけでない、才能の煌めきといったものがまったく感じられなかった。

凡人。

これが鞍馬の抱いた、蒼也の印象だった。

だがしかし、衛士を目指すに当たって剣に優れるに越したことは無いとはいえ、必須というわけでもない。

セリスなど、あれだけの力量を誇りながら剣など触れたことすらないのだから。

同じ衛士でも、得意分野が違えば役割も違ってくる。蒼也に衛士としての才が無いと決まったわけでもないのだから、気落ちする必要など無い。

無いのだが、やはり少し残念に思う鞍馬であった。

 

次に、最初に真耶から、真那、蒼也の順に、実際に剣を交えてみる。

やはり、二人の剣筋は才に満ち溢れている。

そしてその性格を反映した、まさに正道と呼ぶべき実直な剣。

これはまるで、従姉妹というより双子だな。

剣筋から始まって、鞍馬の守りを崩せず向きになる様や、一本を取られて悔しがる仕草までが瓜二つで、込み上げる笑いを堪えるのに苦労した。

 

 

 

蒼也の番が回ってきた時だ。

花純が横に座るセリスを指でつついてきた。

 

「次、面白いものが見れるかもよ?」

「どんなです?」

「それはほら、見てのお楽しみ」

「はあ」

 

と言われても、正直、良く分からないのよね。

でもまあ、息子が頑張ってるんだから応援しないとね。

 

「蒼也ー、父さんなんてやっつけちゃえっ!」

「はいっ!!」

 

夫の応援はしてくれないのかよ。

苦笑しながら、蒼也との対戦が始まった。

対戦とはいっても、これもある意味予定調和の稽古のうちだ。

しばらく蒼也の剣を受け、良いところ悪いところを見極めた後に一本を取る、この流れは変わらない。

打ち込まれる剣を防ぎながら、やはり二人には劣るなと、鞍馬は改めて感じていた。

剣術を学ぶ同じ年齢の者同士で戦ったならば、おそらく上位には食い込めるだろう。だが、優勝する程ではない。

けれど熱心に修行を積んでいることは間違いなく感じ取れる為、そこを褒めて今後の成長を促そうか。

そう決めた鞍馬が、次の稽古へと移る為に一本を奪おうと剣を放つ。

 

おや?

あっさりと防がれた。

……偶然か? 山が当たったか?

今までの力量から判断するに、俺の剣を防げるほどの腕は無いと思うんだが……。

訝しみながら、もう一撃。

これまた、まるで打ち込まれる場所が分かっていたかのように止められた。

 

有り得ない。何かがおかしい。

……試してみるか。

鞍馬は機を外すように後方へ飛び、間合いを取る。突然の動きに蒼也のバランスに乱れが生じる。

そこへ、体を捻りながら今度は一足飛びに間合いを詰め、蒼也の右後方へと回り込んだ。この時、捻った自身の体の影に剣をおき、蒼也の目から隠している。

 

「大人げねー」

「月影か。しかし、の」

 

そう、戦術機にこの動きを再現させ、数え切れないほどの戦果を上げてきた鞍馬の十八番、月影である。

無論、本気ではない。

本気で放てば、見えていようがいまいが関係ない。仮に防いだとしても、防いだ剣ごと叩き折られることになるだろう。

流石にそれでは稽古にならない。これは真剣勝負ではないのだ。

とはいえ、蒼也はおろか真耶にも真那にも今の時点では防げるはずのない、視界と意識の双方から剣を隠し放つ、見えない斬撃。

 

ガシッと、竹刀と竹刀のぶつかり合う音が響き渡る。

その、脳天を打ち据えるはずであった一撃は。やはりといって良いのか、蒼也の竹刀によって阻まれた。

 

「そこまでっ!」

 

そこに瑞俊の声が響く。

緊張の糸が切れたのか、座り込んで大きく気を吐く蒼也。

抱き起こしてやりたいが、それよりも先に、鞍馬には聞かざるを得ないことがあった。

 

「やっぱり父さん、強いやー」

「……なあ、蒼也。俺の剣が、見えていたのか?」

「ううん、見えなかった。あんな技もあるんだね、怖かったよー」

 

屈託もなく笑う蒼也。

だが、鞍馬には納得がいかない。いくわけがない。

 

「訳がわからんじゃろう? ……儂もそうじゃ。じゃがの、事実なのだから仕方がない。

 蒼也はの、何故か防御に関してのみ、恐ろしいほどの力量を誇っておるんじゃ」

 

なんだそれは?

そんな偏った才、聞いたこともない。

呆気に取られる鞍馬へ、真耶と真那が追い討ちを掛ける。

 

「私も、試合で蒼也に勝ったことがありません。……負けたこともないけど」

「私もです。時間切れで引き分けばかり。学校での試合だと、こうなった時は優勢負けになるんだっけ?」

「うん、お互いポイント0のはずなのに、酷いよねー」

「酷いのは、それだけ防いでおきながらポイントの一つも取れないお前だろ」

 

酷いよねと言いつつ、決してそう思っているようには思えない笑顔で蒼也が笑う。

 

「なあ蒼也、見えていなかったのに、どうして剣の来る位置が分かったんだ?」

 

十八番を防がれてプライドがくすぐられたのか、やや必死な様子の鞍馬に花純が笑い出す。

ええい、喧しい。だが、今はそれどころではない。訳を聞かなくては納得できん。

真剣な鞍馬の視線に、首をかしげるような動作で蒼也はこう答えた。

 

「……んー……勘?」

 

なんだそりゃ。

見えず気付かない一撃を防げる理由が、勘しかないというのも分らなくないが……

いや、やはり納得いかん。

長年の修練の結晶を、勘のひとつで防がれるなど、認めがたい。

 

「言ったじゃろ、儂も訳が分らんと。一人の剣士として納得し難いのも良くわかるが……そう言うものだと思うしかなさそうじゃぞ?」

 

月詠翁まで。

なんだろう、今までの自分の努力を否定されたかのような出鱈目さに、溜息が出てきた。

鞍馬は大きくひとつ息をつき……今度は逆に、込み上げてくる笑いを堪えきれない。

蒼也よ、どうやらお前の才は、俺では計りきれないようだ。

一人の剣士として、不甲斐無く思う。

だが……親として。

父にも計りきれぬ才を持ってくれたこと、嬉しく思うぞ。

きっと、俺を超えてくれ。

道場に響く、鞍馬の高笑い。

花純が呆れたように肩をすくめた。

 

蒼也、お前は一体どんな衛士になるんだろうな。

お前と肩を並べる時を楽しみにしているぞ。

21世紀の未来へ向け、現役で居続ける理由が一つ増えたと、笑い続ける鞍馬であった。

 

 

 


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