「それじゃあ、ラダビノッド。すまないが、後を頼む」
「任されました。久しぶりの故郷、ゆるりと骨を休めてきてください」
「すまない」
「セリス大尉も。親子3人、水入らずを楽しんで」
「ありがとう、少佐。でも、水入らず……っていう訳には行かないかもしれないわね」
「それでも、家族が待つ故郷でしょう。大尉にとっては第2の故郷、ですかな」
「そうね。日本はいいところよ。少佐も、是非一度来てみて下さい」
「いずれ、必ず」
「その時は、一緒に抹茶を飲みましょう」
「楽しみですな。それにしてもうらやましい。私の故郷であるインドは、ゆっくりと里帰りという訳にはいかなくなってきておりますから」
「……そうよね。ごめんなさい、はしゃいじゃって」
「いえ、こちらこそ申し訳ない。そんなつもりで言ったのでは」
「ラダビノッド」
「はい、大佐」
「君の故郷をBETAどもに食い荒らされることなど無きよう、俺の持てる力を全て注ぐことを誓おう」
「ありがとうございます。ですが……わざわざ改めて誓わなくても、大佐の気持ちは良く分かっておりますよ。これでも、もう随分と長い付き合いになりましたから」
「8年……もうすぐ9年か。お互い、しぶとく生き残ったものだな」
「ですなあ。願わくば、定年を迎え退役するその時まで、しぶとくありたいものです」
「退役して暇が出来たら……その時は、俺が帝都を案内しよう」
「ええ、楽しみにしております」
1988年、2月。
帝都。
2月の冷たい風がタラップを降りる鞍馬の身を切り、ここが中東ではないことを感じさせる。
見渡せば、目に飛び込むのは京の都を取り囲む山々。この風はあの山から吹き降ろしてくるものか。階段を下りる足を止めて大きく息を吸い込み、凛とした澄んだ空気を堪能する。
日本の、匂いがした。
「海外での生活が随分と長かったようですね」
お仕事は貿易関係ですかな?
後を歩いていた人の良さそうな老紳士が、そんな鞍馬に声を掛けてきた。
「失礼、私も始めて海外に出て数年過ごした後は、帰国した際、貴方と同じようになったものでして」
「……8年ぶりになります。もう帰っては来れぬやもと覚悟も固めておりましたが、こうして無事に帰郷が叶いました」
「そうですか。そして美しい奥方も捕まえ、故郷に錦を飾ることが出来たといったところですかな。貴方のこれからの人生に幸多からんことを祈っております」
ありがとうございます、貴方もご壮健で。
そんなたわいも無いやり取りをして老紳士と別れる。
「日本の人って、本当に気さくで良い人が多いわよね」
セリスが口元を綻ばせ、嬉しそうに言う。
彼女にとっても、ここは第2の故郷、そして家族が待つ地である。
「ああ……帰って、来たんだな」
「お帰りなさい、鞍馬」
君がお帰りって言うのも何か変じゃないか?
いいじゃない、言いたかったんだから。
腕を組んで歩く二人の姿は、とても幸せそうなものと見えた。
“ハイヴ・バスターズ”の面々は、これまでの戦いの報償として、日本での滞在中に交代で長期休暇をとることが許された。
鞍馬とセリスの二人が部隊と別行動を取っているのは、その休暇を満喫中であるが為である。
部隊の指揮官が真っ先に休みを取るのもどうかと思ったのだが、教導任務中に隊長がいなくなるのも問題が多かろう。
そこで、戦術機をはじめとしたさまざまな資材を海路で運んでいる時間を休暇に当て、一足先に空路で日本へと降り立った訳である。
後を任せたラダビノッド達が日本に到着するまでのおよそ10日間、二人には何をして過ごすかを悩む必要などなかった。
空港から電車を乗り継ぎ、一路帝都へ。
国連軍大佐の肩書きを使えば車を用意させることも容易かったが、二人は何処にでもいる幸せな夫婦のように、電車と徒歩で向かうことを選んだ。
揺れる車窓から見える景色を楽しみ、街を行く人々を眺め、ゆっくりと歩く。
ここでは火薬の匂いも、機械油の匂いも……血の匂いも、しない。
思い焦がれていた平和が、ここにはあった。
二人には分かっている。この緩やかで穏やかな時間が永遠のものではないことを。
近い未来、日本も否応も無くBETAとの戦いに巻き込まれるであろうことを。
店先で売っていた団子を摘み、笑いながら歩く二人の、その笑顔の奥には押さえきれない焦燥感が隠れている。
だが、この休暇の間は全て忘れよう。
二人にとって、人類の未来と同じくらい大切な者に会いに行くのだから。
「お、たこ焼き。これも食べていいかな?」
「もう、家に帰ればいくらでも食べれるじゃない」
「そう言うなって。醤油やソースなんて何年振りかなんだから。それに、セリスも食べてみたいと思わないか?」
「そういえば、月詠の家で出たことないわね、これ。私、食べたこと無いわ」
「だろう? 雪江姉さんが、こういう食事好きじゃないからなあ。武家の者が食すようなものではありません、って。でも、武家じゃなくても、家庭でたこ焼きってのはあまり無いと思うぞ」
「はいはい、わかりました。じゃあ、これ食べたら行きますよ」
幸せそうに、たこ焼きを口に運ぶ鞍馬。
……どんな味なのかしら?
どれどれと、セリスは楊枝を摘み、ひょいと口に放り込む。
「……っ!!」
「あっ、熱いから気をつけて……って、遅いか」
予想外の熱さに吐き出しそうになった。
ハフハフと口から熱を逃がし、四苦八苦しながらようやく飲み下す。
……先に言ってよね……。
下からじと目でねめつけてくるセリスに、こういった仕草も可愛いと思う鞍馬だが、今それを言うと命の危機が訪れる気がする。
「……でも、美味いだろ?」
「良くわかんないわよ」
「ほら、これはもう冷めてるから。食べてごらん」
ご機嫌斜めの彼女に、端に避けて冷ましておいたひとつを差し出した。
受け取ると、今後は用心深く口にする。
……うん、美味しい。
「前に、花純さんに食べさせてもらったお好み焼きに似てる」
「何処で食べたんだよ、そんなの」
「お好み焼き作るぞーって、ホットプレート持って帰ってきたことがあったの。雪江さんに見つかると怒られるから、急いで食べてって」
「なにをやってんだ、あいつは。……確かにまあ、似たようなものかな」
「これ、小麦粉よね。パスタの仲間に入るのかしら?」
「……おおーーきく分ければそうなるのか?」
「うどんは?」
「たこ焼きがパスタなら、うどんもパスタだろう」
「お好み焼きは?」
「あれはピザか?」
そんな、たわいも無い会話を繰り返しながら歩く。
もう少しすると、武家屋敷の建ち並ぶ一角だ。月詠邸はその奥にある。
だが、そこに辿り着く前に、また鞍馬が足を止めた。
「……立ち食い蕎麦か」
「……く、ら、ま?」
鞍馬の様子に笑顔を返すセリスだが、そのこめかみに青筋が浮かんでいるように見えるのは気のせいだろうか?
いや、でもと、なかなか進もうとしない鞍馬に文句を言おうとして……ふと、気がついた。
「もしかして鞍馬、緊張してる?」
「……いや」
「蒼也に会うのが怖い?」
じっと己の瞳を見つめてくるセリス。
いくつか言い訳が心に浮かんだが……彼女の真剣な表情に、心を隠すことを諦めた。
「……ああ。正直、どんな顔をして会えばいいのか分からない。
蒼也はもう9歳だ。今更父親が現れたところで、蒼也にとっては迷惑でしかないんじゃないかって……」
「……鞍馬……」
「君はどうなんだ? 怖くは無いのか?」
まるで親に捨てられるのを恐れる子供のような表情で、心の内を打ち明ける鞍馬。
本当に、戦い以外のことはからきしなんだから、この人は。大丈夫、誰も貴方を置いていったりなんてしないから。
セリスは鞍馬へと手を伸ばし、両手でそっと頬を挟んだ。
「貴方の気持ちも分かるけど……きっと大丈夫、貴方の子供なのよ。
それに、あの子の母親になってくれたのは雪江姉さんよ。月詠翁だって、月乃さんや花純さんだって傍にいたのよ。あの人達に育てられたんだもの、きっと優しい子に育ってくれてるわ」
そうか、そうだよな。きっと大丈夫だよな。
そう不安を振り払い、無理に笑顔を作って見せる鞍馬。
「ほら、鞍馬大佐のそんな情けない顔を見せたら、隊のみんながびっくりするわよ」
「いやあ、もう何度も見せてしまっているような気も……」
「あ、そういえばそうよね」
そこは否定するところだろと、拗ねた顔をする。ごめんなさいと笑うセリス。
でも……隊の皆は知らないわよね。この人が、本当はとても臆病な人だってことは。
傷つくのが怖くて。でもそれ以上に人が傷つくのが嫌で。失敗を恐れ、敗北に恐怖する。
それでも絶対に投げ出すことはしない。最後まで、自分を犠牲にしてでも戦おうとする……弱い人。
いっそ、逃げだせるだけの強さがあるなら、もっと楽に生きられるんでしょうけどね。
でも、大丈夫よ。
「ねえ、鞍馬」
「なんだい?」
「もし……もしよ、蒼也が私達に会いたくないなんて言ったとして」
「……ああ」
「その時は、私がずっと傍にいてあげるから」
そう、大丈夫。私が一緒にいるから。
最後の時まで、ずっと傍にいるから。
それから30分ほども歩いただろうか。
やがて、二人は武家屋敷の建ち並ぶ一角の奥、良く見知った門の前に立っていた。
言うまでも無く、かつて鞍馬が育ち、セリスが過ごし、そして今、蒼也が暮らしている月詠の屋敷だ。
今日、鞍馬とセリスが訪れることは伝わっているはず。おそらく、皆揃って二人を待っていることだろう。
後は呼び鈴を鳴らし、守衛に来訪を伝えれば中へと案内される。
……のだが、ここにきてまた踏ん切りがつかない。
呼び鈴へと手を伸ばしては引っ込める鞍馬に痺れを切らし、セリスがその手を掴んで無理矢理に押させようとした、その時。
「我が家に何か御用でしょうか?」
そう、後から声を掛けられた。
まだ年若い声。
振り返ると、稽古で走り込みをしてきたのだろうか、胴着を汗でぬらし、荒い呼吸を整えながらこちらを訝しげな視線で見つめる少女がいた。
だがその視線が二人の顔に注がれるや否や不審の表情は氷解し、驚きのあまり眼がまん丸に見開かれる。
「……えっ!? 鞍馬叔父様? セリス叔母様?」
美しい少女だった。
わずかに幼さが残る顔立ちながら、凛とした引き締まった表情が随分と大人びている。
見覚えが……いや、面影がある。
「……真那か?」
「真耶ですっ!!!」
「す、すまん」
従姉妹と間違えられたことに頬を膨らませて抗議する真耶。何だか急に年相応の顔になったのが笑いを誘う。
くすくすと笑うセリスに、叔母様酷いと更に膨れる頬。
「ごめんなさい、つい。でも、久しぶり。元気にしてたかしら?」
「はいっ! 叔母様も叔父様もお元気そうで何よりですっ!
……でも、どうして急に?」
「急にって?」
「急は急です。帰ってこられるなら、連絡くらいくれても」
「連絡……いってないか?」
「はい」
おや? 確かに手紙を出したのだが……。
これは後から判明したことだが、前線と後方の基地間の物資搬送を担当していたある部隊が、殲滅し損ねたはぐれBETAに襲われて壊滅していた。
鞍馬の出した手紙もそこに含まれていたため、月詠家に届くことは無かったのだ。
気後れして電話をするのをためらっていたのが失敗だったか。
といっても、今更遅い。
どうしたものかと指で頬を掻く鞍馬。
「とりあえず、ここで立ち話もなんですから、どうぞ中へ。お爺様と雪江母さんがいますから」
「他の人達は?」
「月乃叔母様と花純叔母様、お父様達は斯衛にいて、あまり帰ってきません。蒼也は学校の図書館で、真那はそれに付き合っているんだと思います。それより……」
さあ、どうぞどうぞと、鞍馬の手を取り屋敷の中へと導く。
幼い頃に沢山遊んでもらった優しい叔父様。そして、人類の為に命を懸けて戦う憧れの叔父様。そんな鞍馬に再会できたことがよほど嬉しいらしい、その顔はニコニコと微笑み、背伸びをしていない少女の素顔が現れていた。
外門をくぐり、半ば引きずるように鞍馬を引っ張っていた真耶だが、玄関に着いたところで思い出したように振り返る。
「セリス叔母様も、はやくー」
何だか私はおまけみたい。小さくても女の子ねえ。
……ライバル、なんてことにならなきゃいいけど。
微妙な疎外感を味わいながら、後に続くセリスだった。