あなたが生きた物語   作:河里静那

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15話

 

「彼は良き衛士であった。

 良き部下であり、良き上官であり。……そして、良き友であった。

 我等は、彼を忘れない。

 彼の戦いを、彼の生き様を、語り継ごう。我等の命ある限り。

 麦穂落ちて新たな麦となるように、彼もまた新たなものとなる。

 その身は新たなる戦場へと旅立つが、その魂はいつまでも我等と共に。

 ……良い旅を。

 ゴッドスピード」

 

『ゴッドスピード』

 

 

 

「……あの、何で戦死したみたいな感じになってんスか?」

 

 

 

 

 

1983年、4月。

スウェーデン、国連軍ルレオ基地。

 

ベルリン、陥落。

その報は大きな悲しみと、沸き起こる怒りと、そして諦めにも似た感情を旅の友として全世界を駆け巡った。

第二次世界大戦において2発の原子爆弾を投下されて尚、ドイツの首都として奇跡的な復興を遂げていたベルリン。

その人類の生命力を象徴するとも言える街、かつて人の手によって破壊されたその街並みに、今また葬送の調べが鳴り響く。

今度は、人類に敵対的な地球外起源種の手によって。

ブランデンブルク門も、アレクサンダー広場も、カイザーヴィルヘルム記念教会も、ベルリン大聖堂も、シャルロッテンブルク城も、ペルガモン博物館も。

歴史的建造物もそうでない物も、BETAにとってその差はない。全て平等に破壊し尽くされ、飲み込まれていった。

……無機物だけでなく、有機物もまた、分け隔てなく。

 

ここ、ロヴァニエミハイヴに対する人類の砦、スウェーデンは国連軍ルレオ基地においても、その凶報を耳にしたものの顔は暗い。

最後の砦たるベルリンの陥落、それは即ちBETAの支配域がついに西欧に至ったことを意味していた。

西ドイツ、フランス、イタリア、イギリス。それら西欧各国が直接戦火に晒されるときが来てしまったのだ。

この基地に所属している者には、これらの国を母国としているものも少なくない。

欧州連合軍ではなく国連軍を選択した理由はそれぞれではあるが、故郷を戦火に晒すこととなってしまった怒りと悲しみの心は同じくするものであった。

 

PXにて、戦況を知らせるテレビを見つめる一人の日本人の心にもまた、同じ気持ちが沸き起こっている。

違うのは、その対象。当然、BETAに対する物もある。その怒りはこの場の誰よりも大きいと言えるかもしれない。

だが、それ以上に己の不甲斐無さに対しての怒りが彼の心を燃え上がらせる。

この基地内において、彼を悪し様に罵る者はいない。彼と彼の部隊が成してきた、そして今も成している功績は決して小さなものではない。

だが、ベルリンを護ろうと命を懸けた者達、かつての彼の戦友達からの評価は厳しいものがあった。

 

“裏切者”

最大の激戦区であるベルリン防衛から逃げ出し、北欧に引き篭もっている臆病者。それが彼への評価であったのだ。

もちろん、それが公正な評価でないことは彼ら自身、良く分かってはいる。北欧もまた重要な人類の版図であり、誰かが護らなければならないこと。それに軍人である以上、赴任先は己の都合のみで決めることなど出来ず、上層部の意思がそこには必ず絡んでくること。

だが、誰かに負の感情をぶつけないことには、誰かを生贄に捧げないことには、どうしてもやりきれなかったのだ。

そして、彼を率いる国連軍統合参謀会議がまた、その黒い炎に油を注ぐ。

人類の剣たることを義務付けられているにもかかわらず、その任を放棄している。国連軍がBETAの侵攻を抑えられないのは彼にこそその責があると、そう仄めかしてくるのだ。

 

もちろん、表立っての発言ではない。これを正式な発言としてしまえば管理能力を問われ弾劾を受けるのは統合参謀会議自身に他ならない。

自身を傷つけることなく、世論を彼にこそ敗因があるかのように誘導する。敗戦の責任を他者に押し付けるその政治力には卓越したものがあり、確かに現議長は一角の人物であるに違いなかった。

もし、彼の心に溢れる人類愛があったならば、或いはこの暗黒の時代に希望の光を灯した英雄として、歴史に名を残していたかもしれない。

だが、誰にとっても不幸なことに、議長の望みは現世での栄達、己の利益のみであったのだ。

 

さらに、彼自身がそれらの評価を否定しようとはしない。

決して逃げ出したわけではない。だが、ベルリンを、欧州を見捨てたことは否応もない事実であるのだから。

そして、そこまでしても尚、BETAに対する有効策を見出すことが出来ないでいる。その不甲斐無さが、彼の心に焦燥と自責という名の炎を燃やすのだ。

故に、甘んじて受け入れる。裏切者の名を。

 

黒須鞍馬大佐。

かつて東欧にて国連の侍と呼ばれ讃えられたその名声は地へと堕ち、人類敗北の負の象徴として黒い光を放ちつつあった。

 

 

 

「……以上、小型種を除き師団規模、約1万体のBETAの漸減に成功。また、こちらが友軍の損害となります」

 

大隊高級指揮官用の執務室にて鞍馬は、セリスより前回行なわれた間引き作戦の結果報告を受けていた。

この執務室に机があるのは隊長である鞍馬とその副官セリス、後は二人の中隊長となっている。大隊を構成する幹部が揃っている為、ミーティングの際はわざわざブリーフィングルームを確保せずにこの場で行なってしまうことが多い。

報告内容は満足のいくものであった。

北欧戦線の場合、ロヴァニエミハイヴ傍を流れるケミ川を始めとする多数の河川、さらに無数に点在する湖に戦闘艇を配置出来るという地理的条件に恵まれており、対BETA戦闘を有利に進めることが出来る。

この戦術を編み出したのもまた、“ハイヴ・バスターズ”の功績のひとつだ。

そしてなにより、間引き作戦の有効性。

半ばルーチンワーク化してきた間引きであるが、国連、欧州連合の北欧方面軍も作戦行動に慣れてきており、それだけに確実な成果をあげることが出来るようになってきている。

 

もっとも、間引きにもデメリットはある。

比較的少ない人的損害でBETAの侵攻を未然に食い止めることが出来る代わりに、弾薬をはじめとする物資を大量に消費することがそれである。

間引きを定期的に行なっていけばBETAの大規模侵攻を阻止できるが、物資を備蓄に回す余裕がなくなるため、ハイヴ攻略を目標とした大規模反抗作戦が実施できなくなるのだ。

間引きとは、良くて現状維持、悪くすれば人類側が一方的に体力を削られていく時間稼ぎの作戦にしか過ぎない。

 

だが、現状はそれで良いと、鞍馬は考えている。

BETAに対する有効策を見出せないままにハイヴ攻略戦を行なったところで、失敗に終わるだけだ。

それならば、下手に体力をつけてハイヴ殲滅すべしとの声が上がらない、現状維持のほうがましと言える。

今人類が最優先で行なうべきことは、BETAの弱点を探ること。BETAを滅ぼす糸口を見つけることだ。

しかし、大規模作戦を行ないハイヴに進入、情報を集めないことにはその手段を模索することも出来ないという現実もある。ルーチンワークの戦いでは、新たな情報を手に入れることは難しいのだ。

なんというジレンマ。

ゆっくり削り取られる道を歩むか、人類滅亡をベットして分の悪い賭けに出るか。

どちらにせよ、未来に明るい光は見えない。

 

 

 

そろそろ、頃合だろうか。

ここ北欧にてやれることは、全てやり尽くしたように思える。

最後の一兵に至るまでこの地を護るなどということは出来ない。それが出来るくらいなら、はじめからベルリンで散っている。

比較的安定している北欧から、新たな地にて対BETA戦術を練るときが来たのだろう。

西欧は駄目だ。あの地では日々の防衛に追われ、こちらから試験的な戦闘を仕掛ける余裕などありはしない。

ならば、インド亜大陸だろうか。今までヒマラヤ山脈に遮られていた喀什からのBETA侵攻だが、山脈を迂回して先を目指そうとする動きが観測されている。

となると、マシュハドハイヴを経由し、イランやイラクと言った中近東方面からの侵攻が予想される。過去のハイヴ建設地点を鑑みれば、イラクやサウジアラビア辺りに新たなハイヴの建設も予測出来る。ロヴァニエミでは失敗したが、出来立てのハイヴが攻略しやすいことは間違いない。ならば、“ハイヴ・バスターズ”をこの方面に移動させることは、対BETA戦術を探る上でも、人類の版図を護る意味でも……

 

(……今、俺は何を考えていた……)

 

愕然とした。

今、新たなるハイヴの建設を歓迎していなかったか、俺は?

既存ハイヴ攻略の糸口を探す為のテストケースとして、出来立てのハイヴを望むとは。

なにが人類の版図を護るだ。何が人類の剣だ。どの口でそんなことをほざく。

 

……疲れているな。

“ハイヴ・バスターズ”設立からこちら、休みを取ったことなどなかった。ただ只管に訓練を重ね、我武者羅にBETAを屠る日々。蓄積した疲労が、血の代わりに澱のように濁ったものを体内に循環させる。

だがその肉体的疲労だけではない、行き場のない精神的疲労が鞍馬を壊そうとしていた。

 

「……大佐?」

「隊長、大丈夫っスか?」

 

突然頭を抱えて黙り込む隊長の様子に、二人の中隊長が気遣わしげな声をかけてくる。

その声を受け、ゆっくりと頭を左右に振ると、数秒の沈黙の後に鞍馬は言葉を発した。

 

「……いや、何でもない。他に報告事項はあるか? 無ければ今日のミーティングはこのくらいで……」

「疲れているのにごめんなさい、鞍馬。これを……」

 

場を閉めようとする鞍馬に、セリスがおずおずと数枚の書類を手渡す。それを見た鞍馬の顔に、諦観が浮かんだ。

 

「ああ……何人だ?」

「……3人です」

「……今回は多いな」

 

“ハイヴ・バスターズ”発足から3年半、今まで隊員の入れ替わりが無かった訳が無い。

或いは戦死。或いは負傷して衛士からの引退。或いは上層部からの異動命令。或いは……

理由はさまざまなものがある。東欧から共に戦った仲間も半数に減った。だが、ここに来てある理由からのものが増えていた。

セリスが差し出した書類、それは異動願いであった。

 

今や人類の負の象徴となりつつある“ハイヴ・バスターズ”。裏切者と呼ばれ、臆病者と謗られる。その重圧に耐え切れず隊を移りたがる者が出始めているのである。

鞍馬は、その異動願いを握りつぶしたりしない。いや、鞍馬に限らずそれは前線指揮官の常でもある。

お互いに命を庇いあう衛士達にとって、仲間との絆は何にも変えがたいものである。お互いがお互いを信頼し、信用し、想い合うからこそ命を預けることが出来るのだ。

にもかかわらず、隊にいるのを望まない者がいてしまうとその絆は途切れ、部隊全体が危機に晒されることとなる。

その為、異動願いを握りつぶすということは、自身と部隊の命を縮めることに他ならない。

もっとも、本来であればこのようなケース自体が珍しいことだ。同じ戦場で共に戦ううちに、それだけで自然と絆は育まれてくるものである。

それだけに、異動願いを出されてしまった者は指揮官失格の烙印を押されてしまったに等しい。

 

「すまないが、手はずを整えておいてくれるか? 詳細が決まったらまた報告してくれ」

「……分かりました」

 

セリスに指示を出し、異動願いを見て自嘲するように小さく笑うと鞍馬は退出していった。

背を伸ばし、毅然とした態度をとるその背中が、何故か小さいもののように思えた。

鞍馬を見送り、3人が残された部屋の中をしばし沈黙が支配する。

 

「……問題だな」

「そうっスね」

 

中隊長二人の認識は等しい。

我等が大隊長殿は今、破裂する寸前の風船だ。

悩み。惑い。色々なものを抱え込んで膨れ上がりながら、その中身は空虚なものでしかない。

このままではいけないということは鞍馬自身も分かっているのだろう。

何とかしなければ、ラダビノッドもまた苦悩する。

統合参謀会議が当てにならない以上、やれることは自分達で行なうしかない。対BETA戦術の模索然り、人類の版図を堅守すること然り。

だが、どうすればいいというのだ?

鞍馬の風船を割らない為に、自分が出来ることは何であろうか?

今でも十分に隊に貢献しているという自負はある。副隊長として、自分以上の適任はいないであろうと自信を持って言える。

だが、今の自分の立場で現状を打破することは可能なのであろうか?

 

「すいません、私、行ってきます」

 

再び黙り込む二人に、セリスがそう言って席を立つ。

 

「ああ、大佐のことをよろしく頼む」

「はい、もちろん。私では鞍馬の荷物を背負いきれないけど……。でも、傍で支えるくらいは出来ますよね」

 

そう言って微笑む姿が、ラダビノッドにはとても美しいもののように思えた。

セリスが部屋を出た後も思わず扉を見つめ続ける彼に、残されたもう一人が発したのは普段通りに思える軽口だった。

 

「だめっスよ、副隊長殿。セリス大尉は自分が先に目をつけたんスから」

「……そもそも、彼女は大佐の妻であろうが」

 

ああ、それは言わないでと、わざとらしく天を仰いでみせる。

 

「まったく……貴様とも長い付き合いとなったが、未だに何処まで本気なのだが分からん奴だ」

「お褒めに預かり」

「……褒めているように聞こえたか?」

「ええ、もちろん」

 

自然と漏れた苦笑いに、ラダビノッドは先程までの陰鬱とした空気が一瞬で入れ替わっていることに気がついた。

まったく、これで本当に頼りになる男だ。

 

「下手な考え休むに似たり、っスよ。副隊長も隊長と同じタイプなんスから、いくら考えたって煮詰まってどろどろになるのが落ちってもんスよ」

「……手厳しいな」

「事実っスから。まあ、自分にひとつ考えがあるんで、明日のミーティングは任せてもらえないっスかね?」

 

そう言って、慣れた様子でウインクをひとつ。

反応に困るラダビノッドをその場に残し、彼も部屋から退出していった。

 

 

 

明くる日の、ミーティング。

部隊をインド亜大陸方面へと移動させるという案を皆に話そうとした鞍馬は、目の前に差し出された一枚の書類を前に、自らの時間が停止したような絶望を感じることとなった。

差し出したのはチャーリー大隊を率いる大尉。鞍馬が彼と出会って早7年。部隊の中でセリスの次に付き合いが長い。

それだけの間、共に戦った彼が手渡してきた一枚の──異動願い。

 

「すんません、そう言う訳なんで、抜けさせてもらうっスね」

 

ついに、コイツにも見放されたか。

それも詮無きこと、か。まっとうな神経をしていては、ここにいるのは無理というものなのだから。

 

「……あなた、どうして……」

 

セリスが頬に一筋の後をつくりながら、そう、震える声を絞り出した。

その表情に、流石にばつが悪そうに頭をかきつつ、彼は言う。

 

「いやー、正直、隊長見てらんないんスよね。疲れるっていうか。

 言っちまえば、たかだが大佐の前線指揮官に過ぎないのに、それなのに全人類の運命を背中に背負ってるつもりみたいなとこなんて……寒いっスよ」

「貴様っ! 言うに事欠いてなんだその台詞はっ!」

 

思わずラダビノッドが声を荒げるが、それを鞍馬が手で制す。

そのままたっぷり10秒ほども固まったか。ようやく落ち着きを取り戻した鞍馬が言葉を返す。

 

「……分かった。今まで世話になったな。お前なら、何処の隊にいってもやっていけるさ」

「いや、どこぞの隊で中隊長。少佐になって大隊長ってのも悪くはないんスけど……自分、戦術機降りますわ」

 

再び時が止まった。

衛士を辞める……だと?

が、冷静になって考えてみれば、それもまた仕方のないこと、か。

衛士が、衛士として働ける時間は短い。肉体的にも精神的にも精強であることが求められる衛士にとってその衰えは即、死に繋がるものであるのだから。

年齢が30を超えるようになってくると、どれだけ鍛えていたとしても、どうしても衰えが見え始める。

人類初の戦術機、F-4が実戦配備されてから9年。最初に衛士の道を歩んだ者達の中で、今も現役にある人間ははっきり言って少数派だ。多くの者は戦術機の教官職に就いたり、幕僚として各基地に赴任したり。死の8分を乗り越え、実戦で己を鍛え上げた者達は軍にとって大きな財産であり、その能力を後進に伝えることが求められてもいるのだ。

鞍馬自身はまだまだ衛士を辞める気などまったく無いが、同世代の人間がその決断を下したとしても、寂しくこそあるが仕方のないことだとも思う。

 

「そうか。だが、軍を辞めるわけではないのだろう? お前の能力、是非人類の未来の為に伝えて欲しい」

「いやー、すんませんけど、教官って柄でもないんで」

「……そうか。だが、お前の人生はお前のものだ。残念ではあるが、軍の外に未来を見つけたならそれも良いだろう。その道が如何なるものであれ、俺はお──」

「いや、軍、辞めないっスよ?」

 

そこで、ようやく気付いた。

コイツは、俺の考えを、言葉を、ある終着点へと誘導しようとしている。

 

「……本気か? 茨の道だぞ」

「いやー、大丈夫っしょ。皆さんご存じないでしょうけど、自分、性格悪いっスから」

「初耳だな。貴様の性格が悪いことを、我等が知らなかったなどとは」

 

ラダビノッドもまた悟ったようだ。ニヤリとした不敵な笑みを浮かべ、合いの手を入れた。

それに同じ笑みを返し、言葉を続ける。

 

「さっきも言いましたけど、隊長はたかだか大佐で、本来は前線の一指揮官に過ぎないはずです。それなのに、背負う荷物が多すぎる。それもこれも、理由はひとつっスよね?

 隊長は、あれこれ思い悩むよりも、只一人の衛士として隊を率いたほうが絶対能力を発揮できるはずなんスよ。

 ……だから、自分に任せてください」

 

その言葉を聞いて感極まったセリスが歩み寄り、その体を抱きしめた。

 

「うお、いいんスか、大尉。隊長より満足させて見せますよ?」

「馬鹿、今だけよ。ごめんなさい、あなたに大変な道を歩ませるわね」

「その言葉だけで10年戦えますよ、自分は」

 

彼の体をもう一度きつく抱きしめ、セリスが離れる。

その彼女を、ラダビノッドを、鞍馬をしっかりと見つめて。

彼はこう、言い切った。

 

「統合参謀会議、そこに入ります」

 

魔窟に飛び込むと、そう宣言をした。

現在の腐敗に満ちた統合参謀会議を健全なものに戻すのは、政治力の塊である現議長を追い落とすのは、並大抵のことではないだろう。

だがその瞳には自身に対する絶大な信頼が宿り、輝いていた。

彼は最後にゆっくりと鞍馬へと向き直り、万感の思いを込めてこう言った。

 

「そうだ、推薦状書いてもらえます? 能力は十分っスよね?」

 

 

 

 

 

1983年、5月。

スウェーデン、国連軍ルレオ基地。

 

鞍馬の書いた推薦状も役に立ったのであろうか。

それとも、何か伝手でもあったのだろうか。

自身で上層部とあれこれやり取りを続けた結果、彼は本当に統合幕僚会議の末席へと赴任することとなった。……少佐への昇進をおまけにつけて。

本当にどんな魔法を使ったものなのか、そんな彼になんとも形容しがたい空恐ろしさを感じる鞍馬である。

 

隊をあげての壮行会には、基地に所属する他の部隊からも多数の人が顔を出し、その意外な──と言っては失礼だが──人脈の広さと人気の高さに驚かされた。

どうやら、鞍馬の知らないところで色々な人間からの様々な事柄に対する相談相手として活躍していたらしい。彼との別れを惜しみ、そして新しい道を歩む彼を激励し、彼を中心とした人だかりが出来ている。

何故か、彼を慕う者達のことを呼びあらわすのに、彼等ではなく彼女等と表現したほうがいいように見えるのだが、それは気のせいだろうか?

 

「大尉、この間みたいに抱きついて別れを惜しんでもらえないんスか?」

「少佐殿。私のような子持ちの三十路女性より、あちらに居並ぶ若い子達のほうがよろしいかと思われますが」

 

そんなセリスとのやり取りが聞こえてくる。

本当に、彼には何度も救われた。戦場では命を拾われ、後方では沈んだ空気を上向きのものへと入れ替えてくれる。

思い返し、改めて考えると、本当に自分には過ぎた部下であったように思う。

 

やがて、彼が鞍馬の元へとやってきた。

頬と首筋に口紅の跡がついているのは見逃してやろう。

 

「すんません、隊長。ご挨拶が遅れまして」

「それは構わんがな。いいのか、あっちは放っておいて」

「大丈夫っス。副隊長に任せましたから」

 

見れば、多数の女性よりからかい半分にしな垂れかかられ、あたふたしているラダビノッドの姿が。

普段冷静沈着なラダビノッドには珍しい。堅物だとは思っていたが、女性にあそこまで免疫がなかったとは。

ああ、俺は本当に、余裕がなかったのだな。

多数に慕われる彼も、女性に弱いラダビノッドも。部下達のそんな一面をまったく知らなかった。

いつの間にか、戦闘に関わる面以外のことは、知る余裕がなくなっていたのだ。こんな状態では、何をやっても上手く行くわけなどない。

これも、それとなく彼が悟らせてくれたのだろう。

まったく、最後の最後まで、世話を焼いてくれる。本当に過ぎた部下だ。

 

「今まで、世話になった。もうオチムシャなどとは呼べないな」

「何言ってんスか。自分が今ここでこうしているのも、全て隊長のおかげっスよ。“ハイヴ・バスターズ”が発足してから600ポイントの借りは返しましたけど、新たに2800ポイントほど借りが出来てる程っスから」

 

おなじみとなった軽口を叩く。しかしその直後、彼は急に真面目な表情となって鞍馬に向き直った。

 

「残りの借りは、これから返します。自分の意見が会議内で通るようになるまで少し、待っていてください」

「……俺が、お前にそこまで何かしてやれたとはとても思えない。むしろ、俺が受けた借りのほうがずっと多いだろうさ」

「そんなことないっスよ。隊長は、自分を過小評価しすぎです。隊長の戦う姿を見て、どれだけの人間がどれほど勇気を奮い立たせられたか。その姿がどれほどの希望を与えてくれたことか。

 英雄の資質ってもんがあるとするなら、黒須鞍馬は間違いなくそれを持っていますよ」

 

これは口説き文句か何かか?

その真剣な表情と言葉に、思わず顔が赤くなる。

……なるほど、彼女達の理由が良く分かった。

 

「照れて仕方がないからこれ以上は勘弁してくれ。……だが、その気持ちはありがたく受け取っておく。その想いに応えられるよう、精進させてもらうとするさ」

「なら、借りを返すことも了承たのんまスね」

 

二人はいつかの様に拳と拳をゴツンとぶつけ合い、互いの行く道を激励しあう。

間違いない。

こいつは俺の最高の部下であり……最高の友だ。

微笑を湛えて見合う二人。と、そのうち一方の顔がニヤリと歪む。

 

「あー、でも、隊長が現役のうちに発言力持てるかどうかは分からないんで、駄目だったら今まで通り苦労してくださいね」

 

二の句が継げず、間抜けな表情を浮かべてしまう鞍馬。

まったく、コイツは本当に。

最後の、最後まで。

その顔を見やった彼が、いつかのように、得たりと満足気に頷いた。

 

 

 


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