あなたが生きた物語   作:河里静那

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13話

 

「蒼也ー、道場行くよーっ!」

 

「蒼也ー、どこ行ったーっ!」

 

「真那、蒼也いた?」

「だめ、いない。真耶、そっちも?」

「うん。屋敷からは出てないと思うんだけど……」

「あいつ、何でこんなに逃げ足だけは速いんだろ」

「まったくよ、普段ドン臭いくせにさ」

「あー、もう時間無いよー」

「……しょうがない、二人で行こう。お爺様、きっともう待ってるよ」

「もー。蒼也め、覚えてなさいよー」

 

 

 

(……真耶ちゃんも真那ちゃんも、乱暴なんだよね。普段は優しいのに……)

(……やっぱり、普段も怖いかも……)

 

 

 

 

 

1982年、4月

帝都、月詠邸

 

月詠家の敷地内に、母屋とは別の大きな建物がある。

武家である月詠家にとって、ある意味、他のどの建物よりも重要ともいえる場所。

それがここ、道場である。

あくまで月詠家個人の道場であるが、かつて瑞俊が無限鬼道流の師範を勤めていた頃は、教えを乞う門弟で随分と賑わっていた。

だが、師範の座を高弟であった紅蓮醍三郎大佐に託してからは訪れる者も徐々に減り、やがては瑞俊の他に花純が時折帰宅した際に使用するのみとなっていた。

瑞俊にとっては残念なことに、彼の子供達の中で剣の才がありその道を志した者は、花純と鞍馬のみである。

雪江と月乃の婿達も学者肌の人間で、斯衛とはいえ開発部に籍を置いておりこの場に出入りすることはない。彼らもまた立派な人間でありその仕事を貶める訳ではないが、やはり瑞俊としては寂寥感も否めない。

しかし、その胸にぽっかりと開いた穴は、3年前に埋まることとなった。

 

「はああぁぁっ!」

「やああぁぁっ!」

 

現在、道場の中には3人──剣を交える真耶と真那、そしてそれを見守る瑞俊の姿がある。

二人に剣を教えて初めて3年。最初こそ孫可愛さに筋が良いと二人を褒めそやしていた瑞俊であるが、間も無くして教える姿が武人としてのそれに変わっていった。

そう、二人には本当に天稟があったのだ。

瑞俊の見るところ、このまま成長し研鑽を積んでいけば、おそらくその時代を代表する剣士となれる素質を秘めている。

二人もまた剣の魅力に惹き込まれ、強くなっていくのが楽しくて仕方がない様子。自然と指導にも力が入るというもの。

無論、まだ7歳にしかならずこれから成長の始まる二人とも、体に負担をかけるような厳しい修行は出来ないが。

 

今も、立ち会う二人の姿は真剣そのもの。

瑞瞬の視点から見るならまだまだお遊戯の段階ではあるが、負うた子に教えられて浅瀬を渡るという言葉もある。

我の強い二人が互いには絶対に負けぬと競い合い、切磋琢磨するその姿勢は瑞俊といえども見習うべきものであった。

 

対峙する二人の緊張感が高まっていく。

数瞬の後、ついに真那が踏み込んだ。上段に構えた剣を、真耶の脳天めがけ振り下ろす。

しかしその一撃は一歩引いた真耶に躱され……

 

(ほう、燕返しか)

 

瑞俊に走る喜び交じりの驚き。

真那は振り切った剣を翻し、下段より真耶の胴を薙ごうと目論んだのだ。

教えられてはいないはず。ならば見よう見まねで覚えたか。その向上心、天晴れなリ。

だが、まだまだじゃのう……

返しが甘い。

剣が翻る前、真耶の突きが真那の喉元へと吸い込まれ、燕は飛び立つことなく地へ落ちた。

 

「そこまでっ!」

 

防具の上からとはいえ急所である喉への攻撃に、堪らず真那が座り込んで咳き込む。

その瞳に浮かぶ涙は痛みからか、負けた悔しさからなのか。

試みは良かったが、まだまだ燕返しなど使いこなせる筈もない。基本こそが肝要だと、諭しておこうか。

もっとも、真耶もまた未熟。勝ったとはいえ、真那が燕返しを出そうとしていたことなど気付いてもいない。

拳を握り締め勝利に喜ぶ姿は可愛らしいが、こちらもひとつ諌めておくべきであろう。

 

「二人とも、聞くがよい」

『はい、お爺様』

 

瑞俊より声をかけられ、緩んだ気を引き締めなおし、並んで立つ。

どうやら、真那の首も大事無いようだ。

 

「勝利に喜び、敗北を悔やむ。それは大いに結構。そうでなくては上達も有り得ん」

『はいっ!』

「じゃがの、真耶よ。勝利に驕ってはならん。驕りは油断を呼び、そして死へと繋がるじゃろう」

「……はい……」

 

浮かれていた自分を省み、しゅんと項垂れる真耶。

 

「真那よ。敗北に涙し、悔しさを糧とせよ。じゃが、勝者を妬んではならん。妬みは停滞を呼ぶだけじゃ、成長へとは繋がらん」

「はいっ!」

 

次は絶対負けないんだからと、真那は力強く返事を返す。

 

「よいか、二人とも。敗北は恥ではない。己の心に負けることこそを恥と知れ。

 己を制すことなく、相手を制すことが出来るなどとは夢にも思わぬことじゃ。わかったかの?」

『はいっ、お爺様っ!』

「うむ、今の気持ちを忘れぬようにな」

 

年相応の素直さで瑞俊の教えを心に焼き付ける二人。

大人になると、見たもの聞いたものを素直に取り入れることが難しくなってくる。

出来得ることなら、この心を忘れずに成長していって欲しい。

 

「では、今日はこれまで。そろそろ二人とも、出かける準備をしなさい。

 花純の晴舞台じゃ。遅れたら後が怖いぞ」

 

二人と蒼也にとって、雪江、月乃、花純の3姉妹、そしてセリスは全員が母のようなものだ。

その中で、子供等にとって一番怖いのが花純である。

もっとも、母といいつつも、彼女はもう20代も後半になろうというのに未だに一人身である。

 

「出会いがないのよねー。でも別にいいの、あたしは鬼の名を継ぐんだから」

 

と嘯いているが、実際のところは赤はおろか青の者との縁談も数多くあるのだが。

それらを蹴る度、上の二人から未練がましいだの、理想が高すぎるだの、しみじみと溜息をつかれる日々であった。

瑞俊も半ば諦めの気持ちがありながらも、本人の意思を尊重する構え。

どうやらこのまま、その生涯を斯衛に捧げることになりそうだ。

しかし台詞の後半部分は本気らしく、積み重ねた練成は花純を少佐として斯衛の大隊を率いるまでにさせていた。

今や月詠を代表する者であり、当主の座は上の二人でも娘婿にでもなく、彼女へと引き継がれることになると見られている。

 

そんな花純の、額から角の生えた姿を想像し、真耶と真那の二人は震え上がる。

そして急ぎばやに礼をすると、慌てて自室へと駆け出すのだった。

 

 

 

二人を見送った瑞俊は、誰もいないはずの道場の片隅へと声をかける。

 

「ほれ、蒼也よ。主も準備せい」

 

すると、剣や防具をしまう小部屋へと通ずる扉より、蒼也がひょっこりと顔を出した。

 

「お爺ちゃん、ばれてたんだ」

「儂を甘く見るでない。主の気配など筒抜けじゃわ」

 

ばつが悪そうに頭を掻く蒼也。

真耶と真那の追跡から逃れる為に蒼也が隠れ場所に選んだのは、あろうことか二人の目的地である道場であった。

灯台下暗しとは良く言ったもの、二人ともまさかここにいるなどとは露程も思わない。物静かで暢気と見えながら、なんとも図太い4歳児である。

 

「しかし、剣を振るうのは嫌いなのに見るのは好きとは、なんとも変わった趣味じゃの、蒼也よ」

 

そう、蒼也はただ隠れることだけを目的にここにいたのではない。

二人の立会いをこっそりと眺めていたのだ。

 

「だって、見るの面白いんだもん。剣を振ってる真耶ちゃんも真那ちゃんも、とっても綺麗だし」

 

しれっとそんなことを言う。

二人が聞いたら赤面し、照れ隠しにまた蒼也を追い回すこと間違いない。

まったく、この天然の女誑し振りは父に似たのかのう。

蒼也の将来が少しだけ不安になる瑞俊であった。

 

「真耶ちゃんの突きなんて見てるだけでドキドキしたよ。でも、惜しかったよね。最後の胴がもう少し早かったら、真那ちゃんの勝ちだったのに」

「……蒼也よ。主、真那が何を狙っておったのか分かったのか?」

「え? うん、こうだよね?」

 

えぃ、やぁ、と。

剣を振り下ろし、そしてその剣を翻し横に薙ぐ真似をする蒼也。

ぎこちない仕草ながら、それは確かに真那が思い描いていた軌跡であった。

呆気に取られ、声の出ない瑞俊。

それを見て不思議そうに尋ねる。

 

「どうしたの、お爺ちゃん?」

「……いや、何でもないぞ。ほれ、急がんと間に合わん、早く着替えてまいれ」

「はーい! ……でも、二人に見つかっちゃうなあ……」

 

肩を落として道場を出て行く蒼也。

一人残った瑞俊の口から呟きが漏れる。

 

「……獅子の子は、やはり獅子。ということなのかの……」

 

どうやら、楽しみがひとつ増えそうじゃ。

自らも支度をするべく、自室へと歩き始めながらそんなことを考える。

その面に浮かぶ笑みは、いつの間にか好々爺のものから武人のものへと変わっていた。

 

 

 

 

 

1982年、4月

帝都斯衛軍北の丸駐屯地、戦術機演習場。

 

この日は、斯衛軍にとってひとつの時代の節目となる。

鞍馬が瑞俊に斯衛軍における戦力の増強を訴え、それを受けた瑞俊が城内省に働きかけてより2年と半年。

その望みの形となるときがやってきたのだ。

瑞俊と雪江。それに真耶、真那、蒼也の5人は演習場に設けられた観覧席に腰掛け、式典が始まるのを今か今かと心待ちにしている。

本来この場所は、年に数回の一般公開される演習時以外には部外者立ち入り禁止となっているのであるが、今は帝都中、いや日本各地から集った者達で観覧席が溢れ返り、立ち見の者まで出ている状況である。

斯衛軍退役少将の肩書きを持つ瑞俊や、予備役大尉である雪江ならば貴賓席から式典に臨むことも出来る。だが、真耶、真那はまだしも蒼也をそこに連れて行くことは無理である為、可愛い子供達ともにこの場に陣取ることとなった。

 

「それでは、ご覧ください!」

 

司会を務める斯衛軍広報官が誇らしげに宣言すると、演習場に設置され観覧者からの視線を遮っていた巨大な幕が切って落とされ、全高17.9mの巨人が6体、その姿を現した。

82式戦術歩行戦闘機、F-4J 瑞鶴。

漆黒、純白、山吹、真紅、濃紺……そして紫。

斯衛独自の階級とはまた違う身分によって色分けされたその機体は陽の光を浴びて燦然と輝き、特に紫の機体を見つめる人々に陶酔の感情を抱かせる。

美しい機体だった。

ベースとなったのはF-4 ファントムの日本向け改修機、F-4J 激震であるが、さらなる運動性の強化と軽量化が図られ格闘戦に特化されている。

それこそが、斯衛の為に開発され、斯衛の為に存在する。

主君を護る為の一振りの剣であった。

 

演習場に存在する全ての人間を包み込む一体感と高揚感。

3人の子供達もまた例外ではなく、思わず立ち上がって目と口をまん丸にし、憧憬の視線を向けている。

 

「お爺様、あれが……?」

「うむ、あれこそ斯衛の新しい剣、瑞鶴じゃ」

 

初めて目の当たりにする本物の戦術機。

真耶は沸き上がる高まりを抑えようともせず、一心不乱に見つめている。

 

「あれに、花純伯母様が?」

「そうじゃ、あの真紅の機体じゃの」

「……真那も、あれに乗れますか?」

「ああ乗れるとも。精進を怠らず、研鑽を続ければ必ずや、の」

 

真那もまた同じ。

この瞬間の高揚感は二人に斯衛というものの存在を強く刻み込み──二人にとって決して忘れられぬ原点となった。

そして、それは蒼也もまた。

 

「僕にも……乗れるかな……?」

「蒼也……」

 

その言葉に、雪江が悲しそうに眉根を寄せる。

この子はまだ4歳。将来の夢を否定したくなどない。だが……どう言い聞かせればいいのだろうか。

雪江は言葉を継ぐことが出来なかった。

だが、瑞俊は違う。その手を蒼也の頭に乗せ、彼の言葉を優しく肯定したのだ。

 

「もちろんじゃ。蒼也が望むなら、きっと乗れるとも」

 

蒼也が斯衛に入隊するのは不可能とは言わないが、それはとても狭き門となるであろう。

黒須家は既に武家ではない。そして、蒼也に流れる血が扉を更に閉ざす。

可能性があるとすれば、月詠家の推薦で斯衛軍衛士養成学校へと入学し、歴代の成績優秀者をも凌ぐ成績で卒業すること。

あるいは一旦帝国軍へと入隊し、そこで類まれな武功を上げること。

これらの場合、斯衛の黒を賜ることが出来るかもしれない。

ただし、どちらにしても並みの成果では駄目だ。アメリカ人との混血児でありながら、斯衛が欲するほどの能力。それが如何ほどのものであるのか。瑞俊ですら想像も付かない。

他に方法があるとするなら……

だが、今ここでそのような野暮は言うまいて。いずれ、成長と共に自身で現実を知ることになるだろう。儂等はその時こそ、その背を支えてやれば良い。

だから、蒼也のこの言葉にも、励ましの言葉を返してやる。

 

「じゃあ、僕、大きくなったら衛士になるっ!」

「そうか。主の父も母も、それはそれは優秀な衛士じゃ。きっと主なら強い衛士になれるじゃろう。

 ……じゃがのう、その為には剣を学ぶことは避けられぬぞ、蒼也よ?」

 

悪戯めいた瑞俊の言葉に、うっと言葉に詰まる蒼也。真耶と真那をちらりと見やり、何かを思って項垂れる。

だが、蒼也はそのまま、縮こまったままではいなかった。

一度俯いた顔を力強く上げ、その瞳に新たな輝きを灯し、宣言する。

4歳児の小さな、だが本人にとっては大きな、一大決心。

 

「僕、剣を学ぶ。それで、強くなるっ!」

 

一人の小さな剣士の、誕生の瞬間であった。

だがしかし、その微笑ましくも厳かな空気は、次に続く言葉で大きく雰囲気を変えた。

蒼也は真那の瞳をじっと見つめる。

 

「だから、真那ちゃん。一緒に修行してくれる?」

 

そして小首を傾げつつ、子犬のような瞳で願ったのだ。

その言葉に態度に、真那の顔が真っ赤に染まる。

 

「な、ななななななななななにををを。

 いや、うん、別にいいよ、うん。いや、いいって言うのは嫌だって意味じゃないからね! うん、そうだ、帰ったら早速やるよ、いい? いいね、蒼也? いや、別に一緒に修行するのが楽しみとかそんなんじゃないんだから、勘違いしないでよ。蒼也がどーーーしてもって言うから、だから一緒に修行するだけなんだからね、本当だからね。だから、あんまり調子に乗らないでよ? まったく、ホント手がかかるんだから。私がいないと何も出来ないんだからねー、蒼也はっ!!」

 

一気にまくし立てた。

瑞俊が肩を震わせ、噴出すのを必死に堪える。

雪江は、既に抵抗を諦めた。

 

「……蒼也? 私は?」

 

真耶が、平坦な口調で尋ねてくる。

口調に若干棘があるような、視線に冷たいものが混じっているような。言いようのない凄みを放っているが、しかし蒼也には届かない。

気配に鈍いのか、それとも無意識に手玉に取っているのやら。

 

「もちろん、真耶ちゃんも一緒にやろうよ!」

 

真耶を覆う氷が、蒼也の笑顔に一瞬にして溶かされた。

照れ隠しなのか、蒼也の頭を小脇に抱え込み、しごいてやるから覚悟しろと拳で頭をぐりぐり。

真那も参加して両脇から弄られつつ、痛いよーと涙を浮かべる蒼也。

ついに瑞俊の堰が決壊した。3人の様子を見ながら呵呵大笑。

計算づくでないのが性質が悪いわい。これは父親以上かも知れぬの。

 

それにしても、のう。

蒼也が斯衛となれる、もう一つの可能性。

月詠家に婿入りするなら、あるいは、か。

じゃが、どちらが本命となることやらの。

3人が共に真紅の瑞鶴を駆り、戦場を巡る未来を思い浮かべる瑞俊の、その笑い声は演習場の一角に響き渡るのであった。

 

 

 


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