前回のあらすじ
逃げるんだよォ!
「ええ、知っていたわ」
俺の言葉に深森さんは迷いなく答えた。
「俺があの時見たアヴローラは本物だったと?」
「そうよ。あなたが見たのは、夢でも幻でもなく現実に起きたことよ」
――時は、那月が黒い騎士に剣で刺された時まで戻る。
「あ…」
剣で貫かれ倒れた那月を見た瞬間。那月の元へ向かおうとする勇にヴァトラーが立ちはだかった。
「どけェ!!ヴァトラァァァァ!!!」
「ならば、ボクを倒して行くことだ」
激昂し並みの者なら気絶しかねない程の殺気を放つ勇。その殺気を浴びせられたヴァトラーは歓喜の笑みを浮かべる。その姿は、まるで待ち望んでいた玩具が手に入った子供の様であった。
ヴァトラーの瞳が真紅に輝き、身体からは暴力的なまでの魔力が溢れ出していた。その余波で彼の立っている埠頭のコンクリートがひび割れ、周囲の海水が嵐の様に荒れ始めた。冗談でもなんでもなく、本気でここで勇と戦う気なのだろう。
「待っていたよ。キミが混じりっけ無しの殺意を、ボクに向けてくるこの瞬間をネ!!」
「アルデアル公。あなたはそのためだけに、この件に関わっていたと言うのですか!」
「そうだよ王女。勇と戦えるならボクはなんだってするヨ」
ラ・フォリアの問いかけに、悪びれた様子も見せずに語るヴァトラー。その姿はいっそ清々しさすら感じられた。
「ゴチャゴチャうるせェ!!どかねぇならぶっ殺すまでだ!!武神装甲ォ!!!」
殺気の篭った目で獅子王を抜刀し、獣の様に叫ぶ勇。そして獅子の鬣を身に纏うと、爆発的に増加した霊力に大気が震えていた。
「そう、そうだ勇!!ボクが恋焦がれたのは、そんなキミだァ!!!」
冷静沈着であるヴァトラーとは思えない程の猛りを見せると、魔力を開放していく。勇の霊力とヴァトラーの魔力がぶつかり合い、暴風となってラ・フォリアに襲いかかった。
「いけません勇!ここで彼と戦ってはッ!」
真祖に最も近い力を持つヴァトラーと、神も悪魔も殺す力を持つ勇。両者が本気で戦えば、間違いなく絃神島は壊滅するだろう。それを知っているから勇は、ヴァトラーと戦うのを避けていたのだ。だが、那月を傷つけられたことで我を忘れている勇は、障害となっているヴァトラーを排除することにしか意識が向いていなかった。
そしてヴァトラーは、この島がどうなろうと意に介していなかった。彼にとって自分の欲求を満たすためなら、いかなる代償を払うことを厭わないのだ。
このままでは最悪の結果となってしまう。しかし、今のラ・フォリアには二人を止める術を持ち合わせていなかった。
「(どうすれば…)」
ラ・フォリアが己の無力さを嘆いた時、港に猛烈な冷気が流れ込んできた――
「なッ!?」
「これは…」
流れ込んできた冷気によって、凍りつき霧に包まてていく港に、勇とヴァトラーの動きが止まる。そしてこの場にいる誰でもない声が響いた。
「そこまでだ、お前達…今はまだ、我らの眠りを妨げるな…」
港に積まれたコンテナの上に一人の少女が立っていた。その口調はまるで、別人の口を借りて喋っている様な、ぎこちなさであった。
黒いワンピースに頭には獣の耳を模したカチューシャ。黒いニーソックスの足元には肉球付きのブーツである。どうやら、黒猫を模した仮想用の衣装らしい。よく見れば尻尾もついている様だ。
しかし、そんな可愛らしい衣装と裏腹に、虹彩の開ききった少女の瞳はなんの感情も映していない。ただ唇だけが笑っている。
そしてその背後には一体の眷獣が控えていた。上半身は人間の女性に似ており、下半身は魚の姿である。そして背中には翼が生え、指先は猛禽の様な鋭い鉤爪になっていた。
「凪沙?」
勇が唖然とした表情で、その少女の名を呼んだ。そう、この場に現れたのは古城の妹である暁凪沙であった。
だが、今の彼女は別人としか思えない様な雰囲気を纏っていた。何よりその身から発せられている魔力が、彼女の異常さを表していた。
暁凪沙は、祖母と母から受け継いだ過去霊視能力と霊媒の素養を併せ持っている。それでも、彼女は紛れもない人間である。魔力を持つことなど有り得ないのだ。それも自分達に匹敵する程濃密な魔力をである。
何より彼女が従えている眷獣には見覚えがあった。
「”
信じられない物を見るかの様な勇の問いかけに、凪沙は何も答えない。ただ感情を見せない瞳で勇達を見下ろしていた。
「馬鹿な…そいつはアヴローラ・フロレスティーナの十二番目の眷獣だ。いや。そうか…そう言うことか…ハハッ!
何かに気がついたのか、愉快そうに笑うヴァトラー。狂気すら感じさせる程の晴れやかな哄笑である。
「暁古城が、アヴローラを喰らって第四真祖の力を手に入れた理由はそれか…お前はずっとそれを見ていたんだな。クハハハハハハッ…!」
「…少しは気が晴れたか…蛇遣い。それとも、五体を吹き飛ばされるのを望むか?」
コンテナの上に立つ猫耳の少女が、呆れた様な口調で訊いた。
「いや、やめておこう。実に面白いものが見れたヨ。ここはキミに免じて退散するとしよう。それに
ようやく笑うのをやめたヴァトラーは、満足気な顔で勇らに背を向けると、ゆったりとした足取りで歩き出した。そして自らを霧としその場から去っていった。
残された勇はただ凪沙を見つめており、凪沙も勇のことを見つめていた。互いに見つめ合う二人に、ラ・フォリアは疎外感を感じながらも、見守っていることしかできなかった。
「アヴローラ…まさか、君…なのか?」
永遠とも思える沈黙を破ったのは勇だった。余程動揺しているのか、その声は震えていた。
アヴローラと呼ばれた凪沙は、何も言わずに微笑んだ。先程までの感情がこもっていなかったのが、嘘だったのではないかと思える程、暖かみを感じさせる笑みを浮かべていた。
すると凪沙の全身から力が抜けて、糸の切れた人形の様にふらふらと倒れ、控えていた眷獣の姿も消えていく。凪沙が立っていたのはコンテナの上である。コンテナの高さはそれなりにあるので、このままでは落ちて大怪我を負う可能性もあった。
「アヴローラ!?」
凪沙の異変に気がついた勇が素早く、落下地点まで移動して受け止めた。そして外傷や、脈に異常が無いかを確認する。
「…気を失っているだけか」
「勇。彼女に一体何が?」
勇の紹介で凪沙と会ったことのあるラ・フォリアだが、彼女はどこにでもいる普通の少女であった。そんな凪沙が眷獣を使役するなど、とても信じられなかった。
それに勇が凪沙のことを『アヴローラ』と呼んだことも気になっていた。その名は、勇にとって一番大切な人の名であるのだから。
「俺にも分からない。だが、あの眷獣は第四真祖が従える内の一体だ。今は古城の元にいるはずなのに、どうして凪沙が…」
ラ・フォリアの問いかけに首を振ることしかできない勇。余りに衝撃的過ぎる事態に、那月を助けに行くことすら忘れてしまう程に、困惑しきっていた。
「ふんふ、ふんふー」
唐突に足音と共に気楽そうな鼻歌が聞こえてくる。勇らが音の方を向くと、しわくちゃな白衣を纏った童顔女性が、霧の中から現れた。
「あら、勇君こんなところで会うなんて奇遇ねー。お隣にいるのは彼女かしら?いいわねぇ、青春ねぇ。私もあの頃のに戻りたいわね~」
一人でキャーキャー騒ぎながらクルクル回っている白衣の女性。仮に不審者と言われても、文句は言えないだろう。
「あの、あなたは?」
彼女と言う言葉に顔を赤くしながらも、現れた女性に問いかけるラ・フォリア。棒アイスを咥えて、人懐っこい笑みを浮かべている女性は、つい先程まで殺伐としていたこの場には、不釣り合いに見えて仕方無かった。
「私は暁深森。古城君と凪沙ちゃんの母親よ」
「あなたが…」
深森については勇から『色々ぶっ飛んでいる人』と聞いていたが、確かにその通りの様であるとラ・フォリアは思った。
「…ここにいるってことは、凪沙に起きたことを知っているのかあんたは?」
「知っているけど、今は私と話している場合じゃないと思うわよ?」
そう言って監獄結界の方を見ながら、あれが監獄結界かぁ~と遊園地に遊びに来た子供の様な目をしている深森。
「この子は私に任せて、古城君達の所に行きなさい。後でちゃんと話してあげるから」
「分かりました。行こうリア」
「ええ」
凪沙を深森に預け、リアを抱えると海面を駆け抜けながら、監獄結界へと向かっていく勇であった。
「凪沙の中でアヴローラが生きていることは理解しましたけど。あの子はそれを自覚してはいないんですね?」
普段の凪沙の様子から、仮にアヴローラが生きていることを知っているとは思えなかった。恐らく、普段はそのことに関する記憶が無いのだろう。
「ええ。アヴローラ魂を回収したのは、イレギュラーなことだったからかしらね」
「詳しくは分からないけど」と付け加える深森さん。確かに凪沙の力なら可能ではあるが、
「それともう一つ確認したいのですが、アヴローラは力を使う際の魔力を、どこから得ているのですか?」
「
「今度こそアヴローラは死ぬと」
無言で頷く深森さん。今回の様に凪沙に危険が及ぶことがあれば、アヴローラはその力を使って守ろうとするだろう。”
「分かりました。教えてくれてありがとうございます」
「…アヴローラのことはどうする気かしら?」
「守りますよ。今度こそ、何があっても」
そう言って椅子から立ち上がると、ドアを開けて研究室から出て行く。
アヴローラを手にかけたことが、今更許されるとは思ってはいない。それでも守ってみせる。彼女の笑顔を奪おうとする者全てから。
突然ですが。最近面白く書けなくなってきている気がしてしょうがない。
詳しくは活動報告に書きますので、よければ目を通して下さい。