鬼哭劾―朱天の剣と巫蠱の澱―   作:焼肉大将軍

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トラブル

 †††

 

「な……これは一体、どういう事だ?? まさか、召喚に失敗したのか?」

 

 雁夜は呟く。

 白んだ視界に映ったのは、伝え聞いた武勇から想像した勇姿とは似ても似つかぬ小柄な少女である。間違いなく、目的の英霊では無いだろう。

 

 華奢で小柄な身体に艶やかな黒髪。白と赤の巫装束の腰には、いかにも不似合いな二振りの大鉈を差している。若々しい黒瞳と白い素肌、その頬だけが今は赤い。年の頃は十三、四といった所だろうか。

 

 そして、何よりも目を引いたのは、少女が頭に付けた禍々しき魔力を帯びた朱色の鬼面と――

 

「ウッ、さ、酒くっせぇ」

 

 辺り一面に漂う咽せ返る程の酒気の大本、その手に持った瓢箪(ひょうたん)である。

 あまりの酒気に雁夜は思わず呻いた。臭いを嗅いでいるだけで酔っ払いそうである。

 

「問うわ。アンタが私を招いたマスター?」

 

 少女は問いかける。

 その口が動く度に酒気を纏った甘ったるい息が雁夜の鼻腔を擽る。

 雁夜は少し混乱し、頭が痛くなってきた。

 

 自分は今酔っ払って夢の中にいるのではないかと思えてきた。しかし、アルコールを毒素と判断し、俄かに活性化する吸孔蟲の体内で脈動する感覚が、これが夢ではない事を無慈悲に告げていた。

 

“失敗した。それは間違いない。

 何が原因だったんだ?

 師匠から頂いた宝剣が紛い物だったのか!?

 いや、あれは間違い無く宝具級の逸品だった。

 紛い物でなどある筈が無い。

 いや、その前にそもそも俺は一体何を呼んだんだ?”

 

 頭を抱える雁夜に対し、胡乱気(うろんげ)な目で少女は再び問いかける。

 

「ねぇ、ちょっと、アンタが私を呼んだんじゃないの? 反応して欲しいんだけど」

 

 少女の問いに雁夜は答えなかった。

 答える事が出来なかった。

 雁夜は絶句し、愕然(がくぜん)とした表情で少女を見つめていた。

 

「な、なによぉ? そんなまじまじと見つめちゃって」

 

“嘘だろう!?

 こ、コイツ、弱いってレベルじゃないぞ!!”

 

 聖杯に選ばれマスターとなった魔術師には一つの能力が与えられる。即ち、サーヴァントに対する透視能力。目視したサーヴァントの能力や、行使したスキル、宝具を把握出来る様になる能力である。

 

 目視した瞬間、能力を把握出来るというのは不思議な感覚だったが雁夜はそんな事を気にしている余裕は無かった。本来であれば、聖杯戦争の要である自らのサーヴァントとの初顔合わせなのだから、取るべき態度と云う物がある。

 

 彼等英霊は単なる使い魔などでは無い。自らの意志を持ち、数々の武勇に彩られた超人である。それを従え、共に戦っていくとなれば、魔術師の側にも釣り合うだけの器量という物が求められる。

 

 絶対命令権たる令呪を有しながら、自らのサーヴァントの姦計によって死亡するマスターは数多い。令呪の使用は三度のみ。で無くとも、七騎もの敵と死闘を繰り広げるとなればマスターとサーヴァントの信頼関係は重要だ。

 

 しかし、雁夜はそのパートナーを見た瞬間、絶句していた。

 とは言え、それも自らのサーヴァントのクラスがバーサーカー、そして、全ステータスがEランク相当、スキルも皆無という絶望的な事態を目の当たりにしては致し方無い事であろう。

 

「何か言ってよ、マスターさん」

 

 少女の言葉で雁夜はやっと意識を取り戻す。

 

「ん、ああ、すまない。混乱していた。いや、今もしていると言った方が良いのかな。俺は確かに、かのライコウを呼んだ筈なんだ。触媒だって用意した。なのに何で、君みたいな少女が出てくる? 君は一体何者――」

 

 雁夜は少女に問おうとした。

 この時、確かに彼は混乱していた。

 召喚したサーヴァントが臓硯討伐の要である以上、召喚失敗は致命的なのだ。彼だけでなく、桜達の今後まで懸かっているのだから、彼が狼狽するのも無理はない。

 

 しかし、この対応は拙かった。

 自らのサーヴァントについて知ろうとするのは良い。

 だが――

 

 言葉の途中で雁夜は一歩飛び退く。少女の放った殺気、その視線に混じった冷たい物に彼の本能が警鐘を鳴らしたのである。幾ら弱いと言っても、この少女は紛れも無く、人知を超えた存在、英霊なのだ。

 

「アンタ、何も知らないみたいね。まぁ、そうでもなきゃ、私みたいなバーサーカーを呼び出す筈がないか。私が呼ばれるのは道理よ、マスター。その宝剣が呼ぶとすれば、あの男か、私以外にはありえない」

 

 少女はそう言うと、雁夜を睨め付ける。

 理性持つ狂戦士。この矛盾に、しかし、主である雁夜は気付かない。

 

 勿論、平時の彼であればそこに着目しただろうし、少女の言葉でその真名まで看破出来ただろう。狂化の発動しないバーサーカーなどありえない。そして、真名まで看破出来たなら、そのカラクリに気付く事も出来た筈である。

 しかし、この時雁夜は混乱していた。何より、彼は向けられた殺気に反応していた。

 

「先の殺気、お前化生の類か?」

 

 そう言った瞬間、雁夜の眼前に刃が迫った。

 

「なッ!?」

 

 咄嗟にしゃがんだ雁夜の頭上を旋回した鉈が通り過ぎ、コンクリートの壁に突き刺さる。見れば刀身の半分程までが壁中に埋まっていた。それに冷や汗を流すも束の間に、雁夜の視界が急降下し、側頭部に鈍い痛みを覚えると同時に止まる。

 少女が雁夜の頭を掴み、床に叩き付けたのだ。

 

「二度とそう呼ぶな。次は無いわよ」

 

 憤怒の形相で少女は怒気を撒き散らす。

 雁夜は拘束から逃れようと、頭を掴んでいる少女の手首を取った。力を込め、一瞬で捻り上げようとする。雁夜は少女の膂力を知っている。容赦するつもりは無かった。しかし、掴んだ腕は、力を入れれば折れそうな、女の細腕だった。

 

 だから、彼は咄嗟に手を放した。

 瞬間、床を映していた視界が今度は急浮上し、回転する。

 少女が雁夜を壁に向けて放り投げたのだ。如何なる膂力か、雁夜の巨体がいとも容易く宙を舞う。回転する視界に上下感覚が消え失せるも、雁夜は即座に身を捻り、痛烈に叩き付けられる筈だったコンクリートの壁面へと着地する。

 

 雁夜は顔を上げ、少女へと視線を向ける。二メートル近い雁夜の巨体を軽々と宙に放った腕は、しかし、歳相応の少女の物である。

 

“クソ、やりにくいな……”

 

 そこで雁夜は愕然とする。

 理由は透視能力にあった。

 

“どういう事だ?

 コイツ、さっきよりステータスが上昇している!?”

 

 少女のステータスが変化していた。先程は全てのステータスがEランクだった筈が、今は筋力がDへと上がっている。聖杯から与えられた透視の能力に間違いがある筈は無い。かと言って、見間違いや記憶違いでは決して無い。

 

“何らかのスキルか宝具か!?”

 

 雁夜がそう思い至った時、

 

「どうしたの、雁夜君? 凄い音がしたけど、大丈夫?」

 

 部屋の外から葵の声がした。音に驚いて起きてきたのだろう。

 彼女の声を聴いた瞬間、雁夜は全ての思考を放棄し、心を決めた。

 

“葵さんを巻き込む訳にはいかない!!

 速攻でケリをつける!!”

 

 雁夜は猫の様に身体を丸めると、壁を蹴って豹の如く跳躍する。雁夜は頭上より少女へと躍り掛かった。即座に少女が反応し、迎え撃つべく顔を上げる。

 

 その眼に映ったのは闇だった。

 雁夜の上着であった。跳躍と同時に脱ぎ滑らせた上着を少女へと被せ、その視界を封じたのである。同時に放ったガンドが、腰の大鉈を掴もうとした少女の手から握力を奪い去る。少女が取り落とした大鉈が床へと落ちた。

 

“良し、無力化した!! このまま一撃で、気絶させる!!”

 

 雁夜の拳が翻る。

 入る、という確信があった。避けられるタイミングでは無かった。

 しかし、拳に返ってくる筈の手応えは無かった。

 

 雁夜の拳は空を切った。

 正拳が捉えたのは自らの上着のみ。振り抜いた雁夜の腕には白い指が添えられていた。

 

“こ、こいつ、一瞥もせずに、流しやがっただとッ!?”

 

 少女は視界を閉ざされた状態で、雁夜の攻撃を逸らし、捌いてのけたのである。

 攻撃を空振った雁夜は跳躍の勢いのまま突き進む。空振りによって身体の泳いでいた雁夜に止まる事は出来なかったし、雁夜の突きを捌いた少女も、突っ込んだ雁夜自身は受け止められず、彼等は縺れ合って倒れ込んだ。

 

“膂力と言い、体捌きと言い、この女、相当やる!!

 流石は英霊という事か、面白い!!”

 

 雁夜は笑みを漏らす。

 戦闘に際してアドレナリンが脳髄を駆け巡っているのが自分で分かった。

 雁夜は少女が落とした大鉈へと目をやる。

 最も手近な武器であり、そして、敵に取られたなら致命的な凶器である。

 

“先ずはアレを確保する。取られそうなら蹴り飛ばす!!”

 

 雁夜は即座に手を付き、起き上がろうとする。

 

「キャア!!」

 

 短い悲鳴が身体の下から響いた。

 雁夜が目をやると、そこに少女がいた。

 真っ赤な顔で、涙目になって震えている。

 雁夜は嫌な予感がして、更に下へと目をやった。

 

 雁夜の手が少女の胸を掴んでいた。

 

「な、待て、誤解――」

 

 何が誤解なのか分からぬが、雁夜が慌てて弁明しようとした瞬間、バンと工房の扉が勢い良く開かれ、

 

「凄い音がしたけど、雁夜君、何があったの!?」

 

 顔を出した遠坂葵が叫んだ。

 雁夜にとっては最悪のタイミングだったと言って良いだろう。

 

 葵が見たのは、上半身裸で少女を組み伏せ、その胸に手を伸ばして笑う幼馴染の姿だった。

 雁夜がそちらを向くと、葵の陰に隠れ、凛と桜の姿も見えた。

 

「か、雁夜おじさん……」

 

 サー、と雁夜の頭に上った血が引いていく。

 

「な、これは違うんだ!! 誤解なん――」

「「変態!!」」

 

 女性陣の声が重なる。

 直後、バーサーカーの放った拳がこの上なく綺麗に雁夜の顔へと突き刺さった。

 





シリアス「死亡確認」

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