鬼哭劾―朱天の剣と巫蠱の澱―   作:焼肉大将軍

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運命の夜

 †††

 

 

 運命の夜、遠坂邸は重苦しい空気に包まれていた。

 原因は雁夜である。

 

 彼は時臣の工房内に召喚陣を敷設し、召喚の用意を整えると、そのまま工房内に籠って瞑想を始めた。精神集中と体内に巣食う全魔蟲の活性であった。

 臨戦状態同様に吸孔蟲の活性によって全身に膨張した巨大な経脈が浮き上がっている。まるで全身に青黒い罅が奔っているかの様だった。

 そして、臨戦状態同様に研ぎ澄まされた雁夜の放つ鬼気は工房内に収まらず、遠坂邸全体を覆っていた。それが身を刺す無数の針の如き空気を作り出していた。

 

 流石に冬木の管理者である遠坂は良い霊地を確保していた。時臣の工房に流れ込む魔力はこの上なく上質だ。何故か時臣はここで召喚を行わなかった様なので、雁夜は場を借りる事にした。

 

 定期的に雁夜の血と魔力を呑ましておいた蛭血蟲(てっけつちゅう)を数匹握り潰し、その血で以て召喚陣を描き上げる。間桐の蟲蔵で創り出した魔蟲も順調に増殖していた。雁夜は文献に倣って消去の中に退去、退去の陣を四つ刻んで召喚の陣で囲む。

 そして、祭壇に縁の聖遺物――雁夜が腰に差した太刀を設置し、工房の端に座り込んで瞑想を開始する。丑三つ時までは時間があった。

 

 雁夜が瞑想していると、一度、遠坂母娘が工房へと降りてきた。

 

「雁夜君。どうか主人を、時臣をよろしくお願いします」

「お父様の事よろしくお願いします」

 

 葵と凛が頭を下げる。

 彼女達はただ一言、真剣な表情でそう言った。

 一切の裏表の無い、真摯な言葉だった。

 

 一瞬、雁夜の心が波打ったが、顔には出なかったし、出ても薄暗い工房内では分からなかっただろう。雁夜が何か言う前に、葵と凛の後ろでもじもじとしていた桜が言った。

 

「お父様も雁夜おじさんも、皆、無事に帰ってきて下さい」

 

 雁夜は目を開くと一度頭を掻き、それから力強く頷く。

 

「ああ、任せろ」

 

 

 

 邪魔をしない様にという配慮から、直ぐに三人は工房から出て行った。

 凛と桜は名残惜しそうにしていたが、雁夜の指示には従った。時臣なら後学の為に英霊の召喚風景を見せていたのかも知れないが、雁夜にそんな気は無かった。

 

 子供は早くに寝るべきだ。それに何より――

 

”間桐の腐り(ただ)れた因習も、聖杯戦争も、これで終わりだ。

 俺が全て終わらせる”

 

 雁夜は再び目を瞑り、瞑想を続ける。

 目を瞑っていると、色々な事が想起された。それは愉快な思い出だったり、悔恨だったり未練だったり、遠い日の約束だったりした。全て彼を育み、力をくれた物だった。想いは力だ。吸孔蟲(きゅうこうちゅう)が浮き沈みしようとする心を喰らい、一層彼に力を与える。

 雁夜は静寂の中、運命の刻を待った。

 

 雁夜は英霊召喚に成功すれば直ぐにでも臓硯を滅しに行くつもりだった。臓硯が如何な力を誇ろうと、英霊に敵う道理は無い。増して、雁夜が召喚の触媒として選んだ聖遺物は、とある退魔の大英雄所縁の宝剣である。あの妖怪爺を滅ぼすのにこれ程適した英霊は他にいまい。

 

 狙うは最優のクラスと名高きセイバー。

 否、かの英霊が召喚されたなら、剣の英霊以外は有り得ない。

 

「告げる――」

 

 時間通りに詠唱を開始する。

 全身の魔術回路と共に、体内で蠢く魔蟲が喝采を上げる。

 視界が明滅し、大気から取り込んだマナに蹂躙される肉体が、一時、人である機能を忘れ、幽体と物質を繋げる為の回路に成り果てる。求めるはただ一つの奇跡。

 

 駆け巡る魔力の軋轢に晒され、悲鳴を上げる痛覚に反応し、吸孔蟲が一層活性化する。

 全ての思考が掻き消えた無我の境地。

 

「――されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者――」

 

 雁夜は知らぬままに召喚の呪文に異物を混ぜた。

 それは招き寄せた英霊から理性を奪い、狂戦士へと貶める二節の文言。

 

「――汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――!!」

 

 呪祷を結び、全身を流動する魔力の奔流を限界まで加速させる。

 風が逆巻き、稲妻が召喚陣を奔る。光が明滅し、そして、召喚の紋様が燦然とした輝きを放つ。

 

“来た!!”

 

 雁夜は成功を確信する。

 遂に召喚陣の中の経路は、この世ならざる座へと繋がり――閃光と共に、衝撃が奔った。

 炸裂音と共に、一際強烈な旋風が工房内を駆け巡った。床が衝撃に砕け、粉塵が宙を舞う。強烈な発光に眩んだ目は何も映さなかったが、それでも雁夜は伝説の具現を確信する。

 

 眩んだ目でも十分に、雁夜には眼前にいる存在の恐るべき魔力と存在感を感じ取る事が出来た。手が震える。怖れか、武者震いか、彼にも分からなかった。

 

“召喚に成功した。

 絶対に間違いない!!

 宝剣を触媒とした以上、確実に目的の英霊を呼び寄せたはずだ!!”

 

 彼方より此方へと、招かれた伝説の現身。

 かつて人の身でありながら人の域を超えた者達。

 人ならざるその力は、全ての信仰を以て精霊の領域へと押し上げられる。

 

 頂上の霊長。即ち、英霊。しかし――

 

「問うわ。アンタが私を招いたマスター?」

 

 果たして雁夜の白んだ視界に映ったのは、小柄な少女であった。

 無論、雁夜が伝え聞く武勇から想像した勇壮な姿とは似ても似つかぬ姿である。

 

 かくして、救いを求めた者達の聖杯を巡る戦いの幕が開く。

 

 


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