鬼哭劾―朱天の剣と巫蠱の澱―   作:焼肉大将軍

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切っ掛け

 †††

 

 

「ねぇ、桜。おじさんの様子を見に行きましょう」

「え、でも、お姉ちゃん。お母さんは雁夜おじさんの邪魔をしちゃダメだって……」

「そう、だから邪魔はしないわ。ちょっと様子を見るだけよ」

 

 凛は胸に手を当てそう言い切ると、おずおずと異を唱える桜の手を引いて書斎に向かう。

 彼女はヒマを持て余していた。

 

 今日は桜(雁夜も)が帰ってきたという事で、葵は腕に縒りを掛けるべく台所に籠っている。先程、奮発して商店街で大量の食材やお酒を買っていたから夕食は随分豪勢になるだろう。普段なら凛も料理を手伝うのだが、今日は桜と待っている様に言われて台所から追い出されてしまっていた。

 

 何より、尊敬する父親のライバルだという雁夜に対する興味もあった。

 子供の好奇心を止める事は難しい。

 

 二人は階段を上がって書斎の前に来ると、少しだけ扉を開けて中の様子を窺う。書斎の隅に雁夜の大きな背中が見えた。

 どうやら床に座り込んで、何かを熟読している様だ。目的の聖杯戦争についての書物が見つかったのかも知れないと凛は思った。

 

 凛は時臣から魔術の薫陶(くんとう)を受けている。

 今、時臣が異国の地で参加している聖杯戦争という儀式、命懸けの戦いについても聞き及んでいた。凛は時臣に行って欲しくは無かった。葵が、母親が泣いていた事を知っているからだ。しかし、凛は遂に止める事は出来なかった。時臣が遠坂の長として、魔術師として、避けては通れない戦いに赴いたという事も彼女は知っていたからだ。

 

 結局、彼女には父の無事を祈るしか出来なかった。

 

“おじさんはお父様の味方になってくれるのかしら?

 きっとそうよね!! 桜を連れ帰ってきてくれたし。

 顔は怖いけど、悪い人じゃないみたいだし。

 それに、きっとおじさんは母様の事――”

 

 聖杯戦争には凛の兄弟子も付いて行っている。いけ好かない男だが、その実力は確かだ。体術に至っては師である時臣すら超えている。そこに雁夜が加われば、と思った所で、凛ははたと気付く。

 

“おじさんって本当に強いのかしら?

 本人はお父様のライバルだったって言ってるけど、負け越しだったって言うし……。

 見た目は滅茶苦茶強そうだけど……”

 

 凛の想像している魔術師像と雁夜の間には(いささ)か以上に隔たりがあった。大体プログラマーとプロレスラー位イメージが異なる。凛にとって魔術師の理想像とは即ち時臣であった。

 

“良し。試してみよう”

 

 凛はまるで天啓を得たとばかりにほくそ笑む。

 

「お姉ちゃん、やめようよ。邪魔しちゃ――」

「しー!! 気付かれちゃう」

 

 咄嗟に凛は桜の口を手で覆う。それからゆっくりと雁夜の様子を窺う。

 どうやら書物を読むのに熱中しているらしく、気付かれてはいない様だ。

 凛は静かに扉を開けて部屋に入ると、桜の手を引いてさっと本棚の陰に隠れた。

 

“良し!! 大丈夫、バレてないわ”

 

 凛は雁夜の様子を窺う。

 そして、雁夜の様子に変化が無い事を確認すると、凛はポケットの中から小さな水晶片を取り出した。それを雁夜へと向ける。水晶片を通して雁夜の背中が見えた。

 

“お父様のライバルなら、この位簡単に避ける筈よね”

 

 凛は水晶片に魔力を込める。

 初歩的な宝石魔術。放たれる赤色の熱弾は勿論大した威力では無い。人に直撃しても少し熱い程度だ。しかし、

 

 無論、それは魔術がキチンと発動した場合の話である。

 

 彼女は一つの失敗を犯していた。

 この時、凛は悪戯を仕掛ける事による精神的高揚で普段以上に高い集中力を発揮していたが、ポケットから取り出した水晶片は数日前に錬成に失敗した物であった。彼女はそれを成功した物と一緒にポケットに入れた事をすっかり忘れていたのである。

 

 失敗作の水晶片は流れ込む凛の魔力に耐える事が出来ない。

 不意に凛の指の中で水晶片が歪み、赤い光を放った。

 

“マズい!! 爆発す――”

 

 失敗の直感。

 凛は咄嗟に背後の桜を護ろうと、膨張する水晶片を握り込もうとして、何かが腕を奔り――

 

 パン、と炸裂音が響いた。

 

 凛はぎゅっと目を瞑り、来る筈の痛みに身を竦める。

 しかし、痛みは無かった。

 それを不思議に思いながら、凛は恐る恐る目を開く。自分の右手を見るのが怖かった。血の噴き出た手を見た途端、激痛が襲い掛かるのでは無いかと恐れた。

 

 果たして、彼女の目の前には、背後から伸びた野太い腕があった。

 握り込まれた巨大な拳の指の隙間から煙が上がっている。

 その時漸く、凛は先程から肩に手を置かれている事に気付いた。

 

「お、お姉ちゃん、大丈夫!? お、おじさん、お姉ちゃん大丈夫だよね!?」

 

 パニック気味に叫ぶ桜の声が聞こえた。

 凛は恐る恐る振り返る。そこには雁夜の胸板があった。

 

“嘘!? 何で!? だって、さっきまでそこに――”

 

 凛は信じられない物を見た気分だった。

 いつの間にか、凛の背後に雁夜が立っている。

 パニックに陥った凛が咄嗟に距離を取ろうとして、本棚に肩からぶつかった。本棚が揺れ、最上段に置かれた赤いルビーが落ちた。それは先程雁夜が見た物と同じく、強力なブックカースを掛けられた魔書を封じていた要石である。

 並べられていた書物が次々に落下した。否、獲物を求めて彼等は躍り掛かった。

 

「キャアアアア!!」

 

 凛が悲鳴を上げる。

 空中で捲られた魔書の紙片から黒い腕が浮かび上がり、獲物を求めて伸ばされる。凛へと呪言で編まれた黒い腕が迫り――

 

「血と石を以て封ずる」

 

 空を裂いて飛んだ水晶片が貫いた。

 透明な水晶片は残影すら残さず奔った。しかし、込められた魔力の軌跡が凛と桜の目には明滅するネオンライトの様に幻想的に、機関銃のマズルフラッシュの様に苛烈に瞬いた。

 

 一撃では無い。

 瞬く間に撃ち出された水晶片が、次々と降り掛かる魔書を貫いていく。都合十二冊。水晶片はただの一発も外れる事無く、魔書の表紙へと撃ち込まれ、浮かび上がった黒い腕はいずれも雲散霧消した。

 落下した魔書は床へと落下する時には、全てただの本と成っていた。

 

 指弾である。

 本来は握り込んだ小石やコインを指先で飛ばす技だが、雁夜はこれを先の爆発した水晶の欠片で行った。水晶片に己の血を塗布し、魔力を込めて指で弾く。

 ただそれだけの技であるが、これを雁夜クラスの術者が行った時、見ての通り驚異的な威力を発揮する。秒間12発。32口径拳銃並みの威力を誇る雁夜の得意技であった。

 凛は腰を抜かしてその場へとへたり込む。

 

“た、助かった……”

 

 そう彼女がほっとしたのも束の間、そこへ大きな影が落ちる。

 雁夜だった。

 逆光となって凛からは表情が見えないが、雁夜が凛へと迫ってくる。

 

“お、怒って――”

 

 身を(すく)ませ、自らを庇うべく掲げた凛の手を、雁夜が優しく掴んだ。

 

「凛ちゃん、大丈夫かい!? 怪我は無い!?」

 

 凛をまじまじと見詰め、どこにも怪我が無い事を見て取ると、雁夜は一際大きな安堵の溜息を洩らした。

 

「良かった。心配したよ」

 

 笑顔でそう呟く雁夜。心底安堵した表情だった。

 凛は自らの手を見る。雁夜が優しく握る彼女の手は綺麗なもので、傷一つ無かった。確かに爆発した水晶片を握っていた筈なのに。

 

 彼女の疑問は直ぐに氷解する。その答えは同時に見えた。

 凛の手を握る雁夜の手から、赤い血が滴っていた。手の平が焼け焦げ、爆発した水晶の破片が突き刺さっていた。ぽたり、と真っ赤な血が床へと落ちた。

 

 その瞬間、凛は全てを悟る。

 爆発の瞬間、雁夜は被害を防ぐべく宝石を握り込んだのだ。

 

“私が、私のせいで――”

 

 凛の顔が涙で歪む。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい、雁夜おじさん。わ、私が馬鹿な事したから……」

 

 雁夜の手が凛へと伸ばされる。

 凛はビクリと震えたが、手は凛の眼前で止まった。見れば硬質化した手の甲とは対照的な、傷一つ無い綺麗な手の平があった。

 

「嘘……傷が無い? え、だってさっきは……」

「おじさんは治癒魔術が得意でね。体内の蟲が勝手に修復してくれるのもあって、この程度何ともないのさ。それより、凛ちゃんに傷が残る様な事が無くて良かった」

 

 雁夜おじさんはそう言って笑った後、

 

「さて、それじゃあ覚悟は良いね?」

 

 真剣な顔に戻って、凛に拳骨を落とす。

 ゴン、と音がして、凛は頭を押さえて蹲った。

 

「これに懲りたら二度と魔術を面白半分で人に向けない事。自分だけじゃ無く、周りの人まで危険に晒す事になる。事故が起こってから後悔しても遅いんだから」

「ッ~、は、はい、ごめんなさい」

 

 しゅんとした表情で項垂れる凛に、雁夜は再び優しい笑顔を見せた。

 

「良し、それじゃあ葵さんにバレて怒られない内に片付けよう――」

「あ、あの、雁夜おじさん、後ろ……」

 

 桜が雁夜の言葉を遮り、書斎の隅を指差す。そこは先程、雁夜が座っていた場所である。

 

「桜ちゃん、どうかしたのかい? 一体、うわっ!!」

 

 雁夜の言葉が途中で止まる。

 雁夜が読んでいた書物、聖杯戦争に関する文献が燃えていた。

 水晶片は爆発したが、凛の熱弾はしっかりと発動していたらしい。

 

「消火だ。消火!!」

 

 雁夜の叫び声が響いた。

 

 

 

 結局、火は雁夜によって直ぐに消し止められた。しかし、小火騒ぎは当然葵の知る所となり、雁夜と凛は並んで正座し、懇々と葵の説教を受けた。

 たっぷり一時間は絞られた後、凛はうんうんと唸りながら脚の痺れと戦っていた。雁夜の方は脚は全く痺れていなかったが、危うく新しい趣味に目覚めそうになっていた。

 葵に連れられて凛と桜が書斎を出ると、雁夜は聖杯戦争に関する書物を見る。

目的の文献は表紙が焼け爛れ、見事に前半部分が燃えてしまっていた。取りあえず、召喚陣の敷設について記載されている部分が読める事を確認し、雁夜は安堵(あんど)の吐息を漏らす。

 

“こればかりは適当に行う訳にはいかないからな。

そう考えると、燃えたのが前半部分だったのは幸いだった”

 

 聖杯戦争の成り立ちや令呪に関する部分は別の書物にも書いてあった。各クラスの特色と召喚の詠唱に関する部分は灰になってしまったが、そこは先程一読した際に粗方覚えている。

 一時はどうなる事かと思ったが、特に問題は無いと雁夜は判断した。

 

 それから雁夜は一息付くと本を机の上に置き、周囲に目をやる。

 書斎へと張り巡らされた結界。時臣によって敷設された完璧だった筈のソレが、今はいびつに歪み、解れかかっていた。魔書を封じていた筈の要石も幾つも亀裂が入り、機能しなくなってしまっている。

 

 要石に奔った亀裂は魔力の通り抜けた跡だ。

 先程、雁夜は凛が悪戯を仕掛けてくる事に気付いていた。気配の消し方も知らない子供に背後を取られる程、彼は腑抜けていない。ハッキリ言ってバレバレだった。

 

 故に、悪戯に気付いた雁夜は、凛が魔術の発動に集中し、視線を切った瞬間に背後に回って逆に脅かすつもりでいた。彼は片膝を立てて座った状態から、上体を一切動かさずに片足の大腿四頭筋のみを使って数メートルは跳躍出来る。目を切った一瞬に側面に回り込めば、消えた様に見えるという訳だ。

 

 凛が魔術の発動に失敗した為、咄嗟に水晶片を掠め取って爆発から庇う事になった訳だが、そこまでは別に良い。いや、良くは無いが、それは雁夜も即座に反応出来た。

 問題はその次だ。

 

 凛が宝石魔術の発動に失敗した時、指向性を持たず、宝石内に留まり切らずに溢れた魔力は周囲へと拡散した。水晶片は耐え切れずに爆散した訳だが、この時、耐え切れ無かったのは水晶片だけでは無い。周囲に拡散した魔力は時臣の結界を歪ませ、魔書を封じていた要石をも破壊していた。

 

 結果、魔書は封印から解き放たれた。

 これは完全に雁夜の想定外だった。再封印も間に合わず、咄嗟に撃ち落す事になってしまった。今日の被害総額を考えれば、時臣も決して優雅ではいられまい。

 

「これも才能って奴か……。どうにも、末恐ろしいな」

 

 時臣の結界が破壊される程の単純な魔力の放出。

 凛の出力は異常と言わざるを得ない。これが恐らく時臣が桜を養子に出して、凛を残した理由なのだろう。姉妹揃って恐るべき資質を秘めている。

 

「凛ちゃんの修業は魔力の制御からかなぁ」

 

 雁夜はこれからの事を考え、自然と笑みを浮かべた。

 

 

 

 この日から英霊の召喚を行う満月の夜までの間、雁夜は凛と桜の魔術修業を行う事になる。結果的に、それは彼の人生に訪れた唯一の安息の日々だった。葵と凛と桜がいる生活は、彼にとって望外の物だった。

 

 だから、彼は気付かなかった。

 否、気付けば再び間桐邸に赴かざるを得ないという事実が、彼を盲目にした。

 大きく運命は変化する。

 雁夜の覚えていた英霊召喚の詠唱が、ある特殊なクラスの英霊を召喚する物である事に、結局彼は気付かなかった。

 

 






次回はやっと英霊召喚です。

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