鬼哭劾―朱天の剣と巫蠱の澱―   作:焼肉大将軍

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怪物二人

  †††

 

 

 蟲蔵には懐かしい光景が広がっていた。

 蛇の交尾の様だ、と雁夜は思った。

 

 桜の全身に絡み付いた魔蟲が、その下腹部の■■■に群がって、■■■を数匹がかりで■■■している。まるで■■■か■■■の様だ。魔蟲の形状は蛭か■■■の様で、小さな物は人間の指程、大きな物は腕程の大きさである。人間の、増してこの様な少女の■■■に魔蟲は■■■し、小さな身体を■■■し、■■■している。

 間桐の最深部で、少女は蹂躙(じゅうりん)されていた。

 

 生気の抜け落ちた瞳は焦点が定まらず、どこか虚空を仰いでいる。

 当然だ。

 この闇の中には苦痛しか無い。

 

 人の脳は許容限度を超えた事態に直面した時、壊れてしまわぬ様に緊急手段を取る。

 心を閉ざし、痛みを締め出し、考える事を止めるのだ。

 

 その結果が、抜け殻の様になった少女の姿だった。

 それは雁夜にはひどく懐かしい光景だった。

 雁夜は桜を救うべく蟲蔵へと降りていく。

 

 彼は思い出す。

 蟲蔵の中は灯り一つ無い完全なる闇だ。

 視覚強化も出来なかった頃、ただ闇が開けるのを待つ他無かった。

 嵐の中の小舟の様に蹂躙されながら、ただ、苦痛が過ぎ去るのを待つしか無かった。

 

「さて、どうする? すでに蟲どもに犯され抜いた、壊れかけの小娘一匹。それでも猶、救いたいと申すなら、考えてやっても良いぞ」

 

 雁夜が蟲蔵への階段を半ばまで降りた時、背後から声がした。

 戸口に立つ臓硯の物だった。逆光となってその表情は見えないが、口調からするとこの状況は心底愉快であるらしい。臓硯は続ける。

 

「ただし、要らぬ考えを抱かぬ様に、刻印蟲を埋め込み、ワシに忠誠を誓って貰うがな。断るなら、このまま桜のハラワタを裂いてやろう。さて、どうする?」

「蟲を止めろ、臓硯」

 

 対する雁夜は抑揚の無い声で言った。

 恐れも焦りも怒りも絶望も、臓硯の求める感情の一切含まれぬ声色だった。

 臓硯は雁夜の態度に不満そうに鼻を鳴らす。

 

「フン、物分かりが悪いのう。雁夜よ、まさか忘れた訳ではあるまい? ここは間桐の最深部。このワシの工房の核であると言う事を。四方を囲む魔蟲の群れが目に入らぬか? ワシの差配一つで貴様は蟲の餌へと成り果てる。万が一にも勝ち目は無いぞ」

 

 雁夜は応えず、自らの右手の手首を噛み千切った。

 

「なッ――」

 

 臓硯が息を呑む。

 雁夜の腕を伝った血が落ちて、蟲蔵に巣食う数千の蟲共が一瞬ざわめき、直ぐに静かになった。それだけだった。血を好む魔蟲達が、血に反応しなかった。

 彼等の巣に足を踏み入れた哀れな獲物を喰らい尽くそうともしなかった。

 彼等は悟っているのだ。

 主の帰還を。

 

巫蠱法(ふこほう)胎界八種(たいかいはっしゅ)

 

 雁夜が唱え、自らの血を周囲に撒いた。

 その瞬間、変化が起きる。

 蟲蔵の全ての魔蟲がその貪欲なる本能を剥き出しにし、互いに喰らい合い始めたのである。(うごめ)く蟲共が餓鬼の如く喰らい合う様の何と悍ましき光景か。

 

 誰もが息を呑む中、ただ独り、雁夜だけがその様を見て笑っていた。

 間桐雁夜は呵々大笑し、見る間に少なくなっていく魔蟲共の中から桜を救いだすと、その腕の中へと抱き上げた。

 

「もう大丈夫だ。君は俺が助ける」

 

 雁夜は穏やかな表情で腕の中の桜へと微笑みかけると、桜の腹に右手の親指を当て、自らの血で文字を描く。すると、一切反応の無かった桜が大きく咳き込み、その口から一際巨大な魔蟲、刻印蟲(こくいんちゅう)を吐き出した。

 

 足元に落ちた刻印蟲は蠢く魔蟲の波に呑まれ、バラバラに裂かれて喰い尽くされた。

 雁夜は臓硯を見上げる。臓硯は雁夜の眼を見た。互いの視線が交錯する。

 

「この娘は貰っていくぞ。そこをどけ」

 

 今度は臓硯が戦慄(せんりつ)する番だった。

 魔術師であるが故に、否が応でも直視せざるを得ない現実。

 虚を突かれたとは云え、自らの工房内で、自らが操る使い魔たる魔蟲の操作を奪われる。

 それは、雁夜の蟲使いとしての技量が、完全に臓硯のソレを上回っているという事の証明であった。

 

 しかし、臓硯が戦慄した理由はそれでは無い。

 そんな事では無かった。

 臓硯は雁夜の眼を見てしまった。

 そこには何も映っていない。

 冷たい笑みを浮かべる雁夜の眼は何も映してはいなかった。

 人の眼窩(がんか)に、(ウロ)がある。ぽっかりと闇が口を開けている。

 

 人の脳は許容限度を超えた事態に直面した時、壊れてしまわぬ様に緊急手段を取る。

 心を閉ざし、痛みを締め出し、考える事を止めるのだ。

 

 幼くして蟲蔵に放り込まれ、闇の中、延々と蟲どもに蹂躙され、滅茶苦茶に侵されて、

 桜は、そうした。

 雁夜は、そう出来なかった。

 

 彼は目的を持って蟲蔵へと入ったからだ。

 だから、壊れる訳にはいかなかった。

 だから、心を閉ざす訳にもいかなかった。

 何より、心優しき幼馴染に、愛する人に心配を掛ける訳にはいかなかった。

 故に、彼は心を閉ざす以外の方法で、自らの精神を護る必要があった。

 

 最初は希望が彼を護った。幸せな未来の夢想が幼き彼を慰めた。しかし、絶え間無き苦痛はやがて希望すら塗り潰す。彼が壊れる前に、自らを護る術を自らの魔道に見出せたのは僥倖(ぎょうこう)であり、血の才覚が為した運命だった。

 

 雁夜が創り出したのは魔蟲に寄生する魔蟲。

 彼はこの魔蟲を吸孔蟲(きゅうこうちゅう)と名付けた。

 吸孔蟲は元はアメーバ状の非常に小さな魔蟲だが、寄生した他の魔蟲の体内に根を張り、条件を整えると魔蟲の細胞基質を餌に爆発的に増殖する性質を持っていた。その条件とは、宿主である雁夜の芳醇(ほうじゅん)な魔力と、あらゆる負の感情であった。

 

 刻印蟲がそうである様に、寄生虫と宿主とはある種の共生関係にある。

 彼等は魔力と血肉を喰らいはするが、宿主を死なせない様に振舞う。宿主の死によって理想的な生存環境が崩れるからだ。

 吸孔蟲のこの性質はより顕著(けんちょ)だった。

 

 彼等は宿主の魔力が芳醇で在れば在る程、宿主を死なせぬ為に、あらゆる苦痛から宿主を護ろうと増殖する。最終的に、脊椎と脳下垂体に取り付いた彼等は宿主の苦痛をホルモンの分泌量と受容器を制御する事で抑制する様に成るのである。

 

 幼き日の雁夜が文字通り、命懸けで辿り着いた魔術。体内に寄生させた無数の蟲に、自らの苦痛を、悪意を、狂気を喰わせ、血肉とする恐るべき、悍ましき魔術。しかし、自らの自我を護る為だけに編み出された弱々しく、哀しい魔術。

 

 それが十年の時を経て、完成に至る。

 それは雁夜にとっても予想外の事であった。

 爆発的に増殖した吸孔蟲は、宿主である魔蟲の細胞基質を喰いつつ、その細胞内に住み着くと、呼吸鎖を形成し、餌である細胞の増殖を促すべくエネルギーを供給し始めたのである。一方で、細胞を喰らって大きくなった吸孔蟲は周囲の吸孔蟲と同化し、次々とその根を拡げながら、シナプスを形成した。

 

 このシナプスは呼吸鎖から供給されるATPの反応によって伸縮、及びシナプス内のイオン輸送を熟す事で魔蟲の筋繊維と成り、神経と成る。この根が魔蟲の全身に拡がる頃には、魔蟲本来の神経や細胞が食い荒らされる一方で、その体内に吸孔蟲が操作する筋繊維と神経とが完成していた。

 

 結果、刻印蟲は完全に吸孔蟲に操られる傀儡と化した。

 これによって、本来であれば、制御の為に魔力を込めれば込める程、活性化して暴れ出す刻印蟲を、雁夜は吸孔蟲を操る事で間接的に御する事が可能となったのである。

 それだけでは無い。

 

 吸孔蟲が築いた巨大な魔蟲のシナプスは、当然、吸孔蟲を伝って雁夜の脊椎、脳へと繋がっている。それはあたかも雁夜の新たなる臓器であり、経絡であり、魔術回路であり、筋肉であった。

 

 臨戦態勢に入った雁夜の身体中に筋が浮かび上がる。魔力によって吸孔蟲が活性化し、膨張したその巨大な経脈が浮き上がっているのだ。まるで全身に青黒い(ひび)が奔っているかの様だった。

 

 臓硯は見た。

 同じ蟲使い故に、視ざるを得なかった。

 雁夜の奥に、闇の中に蠢く、数え切れぬ魔蟲の脈動を。

 怪物がそこに在った。

 

「終わったか」

 

 雁夜が言いながら、自らの足元を見た。

 そこには先程まで喰らい合っていた魔蟲達の最後の生き残りがいた。間桐の蠱毒にて創り出された最強の八種。蛭に似た姿をしているが、皆、今はまだ幼体である。それぞれ雁夜の呪言に反応し、芋虫が蝶へと変貌する様に、本来の姿を取り戻し、暴虐の限りを尽くすだろう。

 

 彼等は雁夜の身体を這い上がると、彼が自ら噛み千切った傷口から、その体内に潜り込み、その傷を埋めた。

 臓硯はワナワナと肩を震わせる。

 

「飽く迄、ワシに刃向うか。雁夜、貴様、桜を庇いながら、このワシと戦えるつもりか?」

「必要なら、そうするまで――だッ!!」

 

 言葉と共に、雁夜が仕掛けた。

 豹の如き俊敏さで踏込み、跳躍。一階分の高さを跳び上がり、蟲蔵の戸口に立つ臓硯に接近する。次いで跳ね上がった右足は臓硯に一切の反応さえ許さず、その頭部を爆砕した。

 臓硯の頭蓋が砕け、脛骨が圧し折れる。

 衝撃に首から上が無くなった臓硯の小さな体躯がくるくると回転し、階段を転げ落ちた。

 

 代わりに、雁夜はそのまま階上へと着地する。

 正に、一蹴。

 しかし、そのまま蟲蔵の外へと一歩踏み出そうとした雁夜の脚が踏み締めたのは、冷たい蟲蔵の中央、共食いした魔蟲の死骸が積み重なる石畳であった。

 

“なッ、これはッ!?

 俺が、移動したのか??”

 

 驚愕を面に出さず、雁夜は周囲に視線を送り、桜を抱く腕に込める力を強くする。

 雁夜は跳び上がる前の位置へと、一瞬の内に戻されていた。

 転がり落ちた筈の臓硯の死体は既に消失している。

 狐に包まれた様な状況だが、理由は明白。

 此処は間桐臓硯の工房なのだ。何が起こったとて不思議では無い。

 

「カカッ、雁夜よ、吐いた唾は呑めぬと知れ。ワシとしては力尽きる前に、頭を垂れる事を勧めるぞ。洗脳が難しいとなれば、貴様を殺さずに済ませる自信はワシには無いからのぉ。カカカカッ!!」

 

 頭上から臓硯の声が響く。

 同時に、雁夜の周囲に無数の真っ赤な光が点った。ずる、ずる、と何かが這いずる音がした。闇の中、蠢く何かの気配が大きくなる。否、増え続ける。

 

 蟲だ。

 ギチギチと牙を鳴らし、真っ赤な無数の眼を動かす甲蟲が蟲蔵の陰から次から次へと涌いてくる。既に数十の巨大な魔蟲が雁夜達を取り囲んでいた。

 

「気が合うな、臓硯。俺もお前を殺さずに済ます訳にはいかないと思っていた所さ。アンタの妄執もこれで終わりだ。お前はこの娘に、手を出すべきじゃあ無かった」

 

 怒りが在った。

 眼球の裏を焦がし、脳髄を焼く熱が在った。

 吸孔蟲がその熱に呼応して活性化し、雁夜の全身に浮き出た経脈が一層激しく隆起する。

 怒りは力だ。

 全ての激情が、そのまま彼の力になる。

 

 “斬り破る”

 

 雁夜は心を定めると、太刀を構え、その顔を顰めた。

 脚が動かなかった。

 

「なッ!?」

 

 脚に眼をやる。何の変哲も無い。体内の魔蟲が反応しない以上、毒や呪術、幻覚の類では無い。しかし、理屈は分からぬが、この状況が拙いという事だけは解る。雁夜の動揺を突いて、周囲を囲んでいた甲蟲が跳ねた。

 甲蟲の威容を端的に説明するならば、サッカーボール大の団子虫だ。重さは凡そ十キロ程度、そして、鋼鉄の如き甲殻を持っている。その強靭な節足で地を蹴り、その身を丸めた甲蟲が空を切って雁夜へと迫った。

 

 (ノミ)飛蝗(バッタ)の跳躍力は、獣のそれとは文字通り桁が違う。脚部の強力な筋力と剛性蛋白質(ごうせいたんぱくしつ)が産み出す跳躍は、その身体を体長の数十倍の高さへと悠々と跳ね上げる。

 その強靭な脚力を以て、高速で空を切る甲蟲は正に砲弾。

 受ければ肉は爆ぜ、骨は砕け、一撃で人間などただの肉塊と化すだろう。

 

「――遅い」

 

 鍔鳴りの音と共に、銀光が瞬き、鈍色の軌線が縦横無尽に動いた。

 瞬間、空中に三十を超える火花が咲き誇る。

 空を切った十余の甲蟲が空中に体液をぶち撒けながら裁断され、その勢いのまま雁夜の傍らを通り過ぎて地に落ちた。甲蟲は一度、二度とバウンドし、蟲蔵の石壁を砕いて止まる。飛散した緑の体液が周囲を染め上げていた。

 

 凄まじきは間桐雁夜。

 迫り来る無数の魔弾を一息の内に、その神速の斬撃で以て切り伏せたのであった。

 雁夜は太刀に着いた魔蟲の体液を振り払い、休む間も無く迫り来る次なる甲蟲の弾丸を切り払おうとして、今度はその太刀を振るう腕が止まった。

 

 “拙い、避けられな――”

 

 咄嗟に雁夜は桜を庇って身を捻じる。

 飛来した甲蟲が雁夜の腹へと深々と突き刺さった。

 衝撃に肋骨が砕け、雁夜の身体が跳ね飛ばされた。腕の中の桜を庇った事で受け身も取れずに背中から石壁へと叩き付けられ、(うずくま)る雁夜へと間髪入れずに魔蟲の群れが跳び掛かり――そして、壊滅する。

 

 躍り掛かった蟲達はポップコーンの様に弾け飛んだ。

 千切れた肉片と体液が宙を舞う。

 魔蟲共はまるで内部から爆砕したかの様に、体液を撒き散らして死んでいた。

 

「さァ、仕事だ、喇噪蟲(らそうちゅう)蛭血蟲(てっけつちゅう)

 

 起き上がる雁夜の肩に一際大きな魔蟲が乗っていた。その巨大な翅を垂直に立てて震わせている。また、その腹に巨大な血色の蛭が這っていた。雁夜が創り上げた八種の内の四番目と六番目の魔蟲である。

 雁夜は目を凝らし、腕を見た。

 そこには僅かに煌く物が巻き付いていた。

 

 糸だ。

 カーボンファイバーより細く、強靭な粘着性の糸が、雁夜の腕に、脚に巻き付いていたのである。

 雁夜は糸の先、頭上を見上げた。そこには天井に張り付く、無数の巨大な蜘蛛(クモ)の姿があった。凡そ一メートル程の胴体に二メートル以上の細長い脚を持つ巨体でありながら、器用に天井の梁へと逆さに張り付いている。

 

「成程、この糸はアレの仕業か」

 

 言うと同時に、雁夜はぐいと渾身の力で糸を引いた。

 蜘蛛の脚先には無数の細かな爪と毛があり、これを壁の小さな凹凸に引っ掛ける事で天井を歩くという重力に逆らった機動を可能としている。そして、蟲の膂力は獣のそれを遥かに上回る。彼等は自重の数倍もある獲物を難なく持ち上げる事が可能だ。

 おまけに雁夜と蜘蛛を結ぶ糸の強度は鋼鉄以上、と来れば、その結果は必然だった。

 

 雁夜の力に蜘蛛が掴っていた梁が耐えきれず、蟲蔵の天井が崩落したのである。

 

 ガラガラと音を立てて、無数の梁が、天井が降ってくる。

 即座に蜘蛛共は落下する梁を蹴って壁面へと跳ぼうとし――糸を引かれて、真っ逆さまに落下する。同時に、雁夜は跳び上がった。

 落下する蜘蛛と跳び上がった雁夜、二つの影が交差する。

 

 蜘蛛の鋭い爪が空を切り、銀光が一閃した。

 そのまま軌線は上へと奔り、落下する梁を、天井を貫く。直後、両断された蜘蛛や梁と共に、落下した天井が床へと激突し、蟲蔵内にいた全てを押し潰した。

轟音と共に、蟲蔵に跋扈していた甲蟲共の断末魔が響き、埃と瓦礫とが散乱する。

 

 散々たる惨状の上、一つの人影があった。

 蟲蔵のへし折れた梁の一つを足場に、桜を抱いた間桐雁夜が立っていた。

 雁夜は首を捻じり、ゴキゴキと鳴らすと、快悦の笑みを漏らした。

 

“ああ、俺の過ごした日々は間違いじゃあ無かった。

 俺の力は、臓硯にも通用する!!”

 

「それで凌いだつもりか、雁夜!!」

 

 蟲蔵の対角線上の梁に人影が浮かび上がり、姿を現した臓硯が吼えた。

 直後、下方から粉塵を裂いて、三体の甲蟲が空を切って迫り――

 

「ガ、カッ――」

 

 臓硯が掠れた様な声を上げた。

 臓硯が出現すると同時に、雁夜が投擲した太刀が臓硯の喉を貫いたのである。そして、太刀を投擲した雁夜の腕が、ゆらりと弧を描いた。

 

 片腕での廻し受け。

 雁夜の弧を描いた腕が、眼前に迫った甲蟲にすっと添えられる。流れに逆らう事無く、真っ直ぐに向かって来る魔弾を手の甲で、平で横に押す。ただ、それだけで甲蟲達は石壁を貫いてそれぞれ明後日の方向に飛んで行った。

 

“勝機ッ!!”

 

 同時に雁夜は桜を一際強く抱き締めると、臓硯に向かって跳んだ。

 雁夜の身体が宙を舞い、距離が詰まる。雁夜は空中で右腕を空高く掲げ、跳躍の勢いを込めて臓硯目掛けて振り下ろす。

 

「バ、か、ガァ!!」

 

 瞬間、喉から鮮血を噴出しながら、臓硯が笑った。

 空中には無数の煌きが在った。

 

 糸だ。

 魔蜘蛛の吐き出した無数の鋼糸が、雁夜と臓硯の間の空間に張り巡らされていたのだ。

 鋼糸に触れた雁夜の肩が、腕が、頬が切れ、血が噴き出――

 

「その程度で、止まるかよッ!!」

 

 一閃。

 鋼糸を裂いて臓硯の肩口へと打ち込まれた雁夜の手刀は、そのまま股下まで一息に両断した。

 

「手刀・一刀両断」

 

 雁夜が首に刺さった太刀を引き抜くと、臓硯の身体がぐらりと傾き、二つに分かれて梁から落下する。雁夜は下方、臓硯の落下した蟲蔵の闇を見ると、頬の血を拭って舐めた。

 

“これ以上は無理だな”

 

 闘争に湧く体内の魔蟲を抑え、素直に、雁夜は不利を認める。

 臓硯はまだ死んでいないし、直ぐにも戦闘を続行して来るだろう。

 このまま戦闘を続行しても、臓硯を滅ぼすのは不可能だと思われた。

 故に、雁夜は逃げる事にする。

 

「悪いな、臓硯。流石に、此処じゃあ不利だ。勝負を預ける。俺はそろそろお暇する事にするよ。じゃあな」

 

 雁夜は踵を返すと、更に跳び上がり、蟲蔵を後にする。

 背後から臓硯の声が響いたが彼は立ち止まらなかった。

 腹の傷は既に癒えていた。

 






<蟲について>
吸孔蟲(きゅうこうちゅう)……筋肉!!
喇噪蟲(らそうちゅう)……詳細不明
蛭血蟲(てっけつちゅう)……詳細不明

ちなみに臓硯が使ってた魔蟲は甲弾蟲(こうだんちゅう)と鉄繊蜘蛛(てっせんぐも)という名前です。

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