†††
鞍馬金剛流に心臓打ちは二種あり、その両方が必殺の技である。
一つの要は心臓振盪。
人間の心臓は衝撃を受けた際に不整脈が発生する。そして、その不整脈の発生が心臓の収縮が終わる直前の極僅かなタイミングに起こった場合、心筋が痙攣を引き起こし、心臓は停止する。これが心臓振盪である。
心臓振盪が発生すれば人は一瞬で意識を喪失する為、刹那の攻防を主とする勝負の場にあっても十二分に必殺と成り得る。
無論、正中線上にある心臓に正確に打撃を通す事は難しく、人の身体は皮、肉、骨に護られている。また、発生が刹那の拍子となれば実戦の場で使う事は更に難しい。
聴剄を以てその刹那の間を見切る事が理想とされるが、この問題の解決に主として使われるのは浸透剄である。
即ち力積の大きな押す打撃。
衝撃を与え続ければ、いずれタイミングが重なり心臓振盪が起こる道理である。
そして、もう一つ。
先程、武丸が雁夜に叩き込んだ一撃。
即ち、渾身の一撃で以て左第五胸骨をへし折り、砕いた胸骨をそのまま心臓に叩き込む事によって相手を絶命させる技である。
「ッ、このッ!! マスターッ!!」
倒れた雁夜へとバーサーカーが駆け寄る。
その襟首を左腕で掴んで、武丸が引き止めた。
「待て。迂闊に近付くな」
「邪魔を――」
バーサーカーがキッと武丸を見返し、絶句する。
先程迸った電撃に焼かれてその身体中が火傷だらけなのは別に良い。問題は最後に雁夜に撃ち込んだ右腕だ。
捻れている。
そうとしか表現出来ない。
五指が関節を無視して別方向に回転し、それぞれ明後日の方向を向いている。手首は完全に反転し、肘から手首までの間で前腕が470度程回転し、捻じれていた。
「アンタ、その腕――」
「やはり、素手じゃあ屍蟲を抜くのは無理だな。後は頼んだ。スマンが――コレの相手は俺一人じゃァ無理だ」
武丸が引き攣った様な笑みを浮かべる。
その視線の先で――倒れ伏した間桐雁夜が立ち上がった。
そこかしこに見える大小無数の傷。骨折、毒、電撃による火傷痕。
既に満身創痍だった筈だ。
満身創痍の状態で致命の一撃を受けた筈だ。
バーサーカーは即座に駆け寄って治療を行おうと思っていた。
確かにそう思っていた。
その筈なのに……。
「マ、マスター?」
そう問いかけるバーサーカーの声は微かに震えていた。
今の雁夜に生気は無い。
血を流し過ぎた為か肌からは血色が失せ、俯いたまま微動だにしないその様は正に幽鬼の様である。
一方でその変化は明白だった。
全身を覆っていた赤黒く浮き出た経絡が刻一刻とその数を増し、一層その隆起を強めているのである。次いでその傷痕に変化が起こる。
まるでビデオの逆再生を見ている様であった。
解放骨折によって突き出ていた骨が肉の中に自ら埋まっていく。全身の傷が跡形も無く消え失せ、入れ替わる形で赤黒い隆起がその身体を覆っていく。
「これがアイツの切り札だ。心臓に憑り付かせた屍蟲がその停止と同時に覚醒し、魔蟲と術者の支配領域が反転する。宿主の修復と改造が終われば――来るぞ」
武丸の言葉と同時に、俯いていた雁夜が顔を上げる。
前髪の隙間から雁夜の目が覗く。
その眼を見た瞬間、バーサーカーは覚悟を決めた。
「止める方法は?」
「ぶっ倒せば止まる。今回は屍蟲も先の戦いで死んで間が無い急造品だからな。先程打ち込んだ毒も残ってる筈だ」
「アンタ、一体何が目的?」
「一つはお嬢ちゃんにコイツを見せる事。もう一つは屍蟲の処理だ。俺の魔術刻印を雁夜に移す時に邪魔になるんでね」
喋り終えると同時に、無数の鈍色の輝きが空を切って奔った。
武丸の放った指弾が、棒立ちの雁夜へと次々と撃ち込まれ――果たして、床へと落ちた。
握り込んだ硬貨等を指で弾いて飛ばす。指弾とはただそれだけの技ではあるが、武丸のそれは厚さ5ミリの鉄板をも貫通する威力を誇る。その速射性も相まって、人間程度なら数秒あれば蜂の巣に変える事が出来る――筈だった。
指弾に使用した硬貨は全て床に落ちたが、どれ一つ転がる事は無かった。
あるものは捻れて反り返り、あるものは外縁部が反転して中心部を突き破り、皆原型を止める事無く拉げている。
「コレは一体、何がどうなってるワケ……?」
バーサーカーの背に冷たいモノが奔った。
床に落ちた拉げた硬貨にではない。恐らくはそれを成したであろう、雁夜の全身から立ち昇るどす黒い靄。可視化される程の呪詛の渦にだ。
「呪層防壁。ガンドなんかと原理は同じさ。呪詛ってのは本来物理的干渉力を持たないが、ここまで強力になれば話は別。全身がフィンの――」
ひうん、と何かが空を切る音が聞こえ、同時にバーサーカーと武丸は跳躍する。
直後、左右に別れて跳躍した彼等の間を銀光が瞬いて、彼等の立っていた場所の床板が賽の目状に切り刻まれ上空へと跳ね上がった。
武丸はそのまま扉を蹴破って外に逃れ――待ち受けていた無数の翅刃蟲の群れと対峙する。一方で壁際へと逃れたバーサーカーは、その動きを止めていた。
正確には、動けずにいたのだ。
ひうん、ひうん、と先程にも増して無数の風切音が聞こえる。
その音をバーサーカーは知っていた。
間桐鶴野と戦った際の、触れれば斬れる見えざる糸が空を切る音である。
耳を澄ましバーサーカーは警戒を強め――その視界の中で空気が歪み、瞬く。
同時にバーサーカーのその手に大鉈が具現化し、彼女は空を切った無数の斬糸を一刀の元に切り払い――
「カカッ」
背後から聞こえた嗤笑で、死線を悟る。
油断は無かった。
糸を見切る事には集中したが、術者である雁夜から目を切った訳では無い。
バーサーカーが反転する。同時に大鉈の横薙ぎを自らの背後へと叩き付ける。果たしてその一撃を難なく潜り抜け、雁夜の右腕が翻った。
バーサーカーの脳裏に奔った死の直感とは裏腹に、スッと伸ばされた雁夜の腕は撫でる様に優しく彼女に触れた。反転と共に放った横薙ぎの一撃で身体が泳ぎ、無防備となったバーサーカーの脇腹へ、伸ばされた雁夜の手が触れる。
そして、そのままその五指がバーサーカーの脇腹へと喰い込んだ。
「ッ――!!」
苦悶の声を上げる間は存在しない。
即座にバーサーカーは理解した。
職人が卸した魚のワタを掻き出す様な手際で以て、掴まれた脇腹が肋や臓腑ごと引き千切られるのが分かった。
「――逃げろ」
その言葉が聞こえたか、否か。
パッと真っ赤な血の華が咲いて、温かいモノが彼女の頬を濡らした。
「え?」
決死の瞬間、バーサーカーの脇腹を千切り取る直前に、雁夜の右腕、その二の腕の血管が内側から爆ぜたのだ。噴き上がった雁夜の血が辺りを朱く染め上げる。
体内で膨れ上がった呪詛の暴発であった。
雁夜とバーサーカーの視線が一瞬交差し、彼等は弾かれた様に動き出す。
雁夜は左腕を振り上げる。同時にその手の平を魔蟲の鋏角が突き破って出現し――背後から空を切った針が、彼の背中へと深々と突き刺さった。
それは背骨と肩甲骨の間を抜け、雁夜の心臓へと憑りついた屍蟲に迫り、呪層防壁に阻まれ止まる。
「合わせろッ!!」
武丸の声を聞くまでも無く、既にバーサーカーは動いていた。
雁夜の右手首を掴むと同時に、自らのスキルである『怪力』を発動。その剛力に任せ、そのまま雁夜を背中から道場の壁へと叩き付ける。
道場の壁が衝撃に木片を撒き散らして陥没し、その背に刺さった針は一層深く打ち込まれた。
果たして、屍蟲を貫く程に。
壁へと叩き付けられた雁夜は跳ね飛ばされ、そのまま床へと俯せに倒れ込むと動かなくなった。
動きを止めた雁夜を見て、バーサーカーは深く息を吐く。
「どうやら、トンでも無いマスターに召喚されちゃったみたいね……」
これだけ盛っておけば雁夜おじさんが鯖連中と渡り合っても問題あるまい(慢心)