鬼哭劾―朱天の剣と巫蠱の澱―   作:焼肉大将軍

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呪詛の福音

 †††

 

 

「ねぇ、―――はさ、大きくなったら―――たいの?」

 

 ――――の言葉に、――は――――。

 

「魔術師。そう、―――――魔術師になるんだ」

 

 ―――――は―――笑みをこぼす。

 

「うーん、―――――出来ないなぁ。―――が、かぁ」

「何だよ、―――。―――だよ」

 

 ―――心外だ、と―――ませた。

 

「――強く――――。きっと、―――より。―――強くなるんだ」

 

 その言葉に―――った。

 ―――――ければな――かったし、強くな―――た。

 ――――――として生を受け――上、強く――――自由は無い。

 それに――。

 

「そしたら、―――からさ、―――――も――げるよ。――の―――も、皆、―が―――」

 

 ――――音を―――は言った。――と、

 

「へぇ、それ―――期―――るわ――、―――」

 

 そう―――女は―――を――

 

 

 

 大事な物が失われていく。

 代わりに何かが入り込んでくる。

 その一方で、記憶の奥底から響いてくる言葉があった。

 

「カカッ、雁夜よ。儂が憎いか? 恨めしいか? 殺したいか? ならば存分に淀み狂い、この世全てを呪うが良いわ。その目に映る全てを呪う、その呪詛こそが、貴様の体内に蠢く魔蟲を目覚めさせる暁の鶏声となるのじゃからのう」

 

 いつか聞いた原初の言葉。

 視界が真っ赤に塗り潰されていく。

 

「殺意こそがその血肉、増悪の怨嗟こそが呪の本質と心得よ。生きたくばその怒りを忘れるな。恨み、憎しみこそが自らを高める糧と知れ。貴様こそがこの蟲蔵の、我が巫蠱(ふこ)(おり)なのじゃからのう。カカッ、カカカッ!!」

 

 誰かの高笑いが聞こえる。

 一方で、ぞわり、ぞわりと自らの内側で動き出す物の感覚がある。

 

 ああ、頭の内側で、ヤツラの蠢く音がする。

 

「――クッ、カカッ――カカカッ――――」

 

 無意識に、己の口を衝いて出たのは誰かと重なる高笑い。

 その解放は、同時に、雁夜の中に存在する全ての枷を取り払い――

 

 その体内に巣食う魔蟲全てを暴走させた。

 

 

 かつて冬木という街に、間桐という魔術の家があった。

 第三法の成就を夢見るも、その家はとうの昔に魔術師としての限界を迎えており、魔術回路は目減りする一方。子々孫々と受け継がれる筈の魔導の血脈は衰え、間桐の魔術はそう遠くない将来潰えるであろうと思われていた。

 

 だから、少年は造られた。

 

 巫蠱という呪法がある。

 犬神、猫鬼と呼ばれる呪術と同種のまじない。

 犬神が生き埋めにした犬が餓死せんとする一瞬に斬り落とした生首を辻道に埋め、その怨念が増した霊を呪詛の触媒にするのと同じく、巫蠱は無数の毒蟲を一所に集め、互いに殺し合い、喰らい合わせ、生き残った一匹を以て呪いを成す。

 

 間桐家当主、間桐臓硯が行ったそれも原理は同じ。

 間桐の家とは即ち、臓硯の造りし巫蠱の澱。

 

 間桐の蟲蔵、巫蠱の坩堝の底、淀みの中で少年は生まれた。

 彼はかつてその底で世界を呪うちっぽけな毒蟲だった。

 そこは暗かった。そこは冷たかった。そこは痛かった。

 だから少年はそこに住まうモノ達と一緒に、世界を呪う事にした。

 

「――る」

 

 本来、そこで他のモノ達と一緒に彼は死んでいた筈だった。

 それならば何処の魔術師の家系にでも起こり得るありふれた血の悲劇に過ぎなかった。

 しかし、間桐の妖怪はそれを許さなかった。

 妖怪は少年に光を与えた。

 夥しい魔蟲の群れに蹂躙され、その身体を喰い荒らされ、寒さに震えながら闇の中で世界を呪う毒蟲に、希望の糸を垂らして見せた。

 惨酷にも世界の暖かさを教えて見せた。

 

「――やる」

 

 血の覚醒。

 導かれるままに少年は覚醒し、その才覚は巫蠱の澱から彼を救い出した。

 皮肉にも、そのココロだけを置き去りに。

 その呪詛の念だけを引き連れて。

 

「――殺してやる」

 

 そうして、彼は生まれた。

 

 時が経ち、少年は成長する。

 知己を得て、情理の皮を纏い、信愛の服を着て、記憶を闇の中に置き去りにする。

 しかし、運命は彼を逃さない。

 

 妖怪が滅びても、マキリの呪いは潰えない。

 あらゆる呪詛は己に還る。

 かつて世界を呪った少年に、再び因果は巡り来る。

 

 

 †††

 

 

「アンタ一体何考えて――ッ――」

 

 鬼毒酒を煽った雁夜を咎めようとしたバーサーカーの言葉が途中で途切れる。言葉の途中、雁夜がバーサーカーを思い切り突き飛ばしたのだ。

 

「悪い……。逃げろ……」

 

 雁夜が息を荒げ、呟く様に言った。

 突き飛ばされバーサーカーの身体が空中にある一瞬。その一瞬に、雁夜とバーサーカーの視線が交差し、彼女は全てを理解する。

 バーサーカーは雁夜へと手を伸ばす。その手が何かを掴む事は無く、彼女の口を衝いて出た言葉は結局雁夜の耳に入る事は無かった。

 

 変化は一瞬。

 神便鬼毒酒を煽って一拍の後、

 雁夜の体内を嘗てない嵐の如き魔力の渦が駆け巡った。

 

 雁夜にとって、唯一誤算であったのは、

 その体内を駆け巡った嵐の前に、間桐雁夜という一個の意志は容易く消え去り、

 魔蟲の闘争本能に操られるその躯のみが残った事。

 今、彼は正気でも曖昧でもなく、敵であろうと味方であろうと、

 ただその間合いに入るもの全てを斬る魔神へと変貌を遂げていた。

 

「カカッ」

 

 笑むと同時に、雁夜は足元に転がる太刀を蹴り上げ、その右腕にて掴み取る。

 へし折れ骨の覗いていた筈の雁夜の右腕は、この時既にその治癒が完了している。

 彼はそのまま左手で地面へと突き刺した大鉈を引き抜くと、恐るべき勢いで大鉈を振り抜いた。握った大鉈の横薙ぎに遅れて、その柄に綱で繋がったもう一本の大鉈が弧を描き、空を切る。

 弧を描いた銀閃は、突き飛ばされて体勢を崩したバーサーカーの頸へと奔り――

 

「貴様の相手は、俺だろう?」

 

 襤褸を纏った男が跳んだ。バーサーカーと雁夜の間に割り込むと同時に、打ち下ろしの一刀。大鉈同士を繋ぐ綱を叩き切られ、弧を描いた大鉈はその遠心力に従って明後日の方向へと飛んでいく。

 

「ク、クハッ、カカカカカカカカッ!!」

 

 雁夜が両手を左右に掲げる。

 右手の大太刀、左手の大鉈を地面と水平に掲げたと同時に、その体表に罅の如く浮かび上がった経絡を紫電が奔り、その額に無数の切れ目が入った。開かれたそこから覗くは、魔蟲の複眼。

 複眼は男のみならず、その場全員の一挙手一投足までもを同時に捉え映し出す。

 

「フン、鬼毒酒に呑まれたか。どうやら、武神たる八幡ノ神の加護と体内に無数の魔蟲を飼う貴様とは最高の、否、最悪の相性らしいな。だが、その姿、実にらしい。己の内に巣食う魔蟲と相食み、呪を振り撒くその醜悪な姿こそが貴様等マキリの本性よ」

 

 男は太刀を構え、雁夜を睨み付ける。

 神便鬼毒酒を醸造したる三神の一、武神・八幡ノ神。その名の八とは多数、幡とは旗を指す。旗とは神々の憑代であり、彼の加護を得る軍陣である。その加護を奉じて八幡神は古来より武家の守護神とされ、本地垂迹によって八幡神が阿弥陀如来と同一視されると八旗に宿る者は八方天であるとされた。即ち八幡神とは天部八方を護る神々と、無明の現世をその無限の光であまねく照らす大いなる者の総体なのだと。

 

 本来、軍勢へと降り注ぐべき無数の加護。

 神便鬼毒酒は雁夜にこの武神の加護を齎した。それは彼の体内に巣食う魔蟲一匹一匹を憑代とした無数の加護。魔蟲達の覚醒と、間桐雁夜の崩壊は火を見るよりも明らかだった。

 神の力が魔蟲に宿る。

 雁夜の身体から稲妻が奔った。それは先程までの体表を奔る紫電とは訳が違う。大気の絶縁限界すら超える持続的な放電現象。天災と比肩するソレである。

 

 経絡に取り付き発電を行う紫電蟲の本来の機能は、電気刺激による強圧的な心拍上昇、電気信号による肉体の強制駆動、電気鎮痛によるゲートコントロール等が挙げられる。

飽く迄も戦闘補助の為の魔蟲である。

 それが今、神便鬼毒酒によって紫電蟲の発電能力は異常進化を遂げていた。

 

 瞬間的に大気の強力な絶縁性すら上回る放電能力とそれを支える吸孔蟲のエネルギー供給能力。経絡から放たれる電雷の発光が、雁夜の姿を青白く浮かび上がらせる。

 バヂリッと雁夜の腰に差した鞘へと電流が奔った。

 

「クヒヒ、カカッ!!」

 

 それを合図に、雁夜は踏み込んだ男を標的に定め、地を蹴り跳んだ。

 それはさながら、否、落雷その物である。

 

 雁夜の突進に先んじて電撃が飛ぶ。電撃に打ち据えられた敵が衝撃と痺れを自覚する間も無く、接近した雁夜の大鉈による唐竹割。大鉈が男の肩口へと喰らい付き、そこで止まる。

大鉈を振り下ろした雁夜の手首を、男の腕が掴んでいた。同時に再び電撃が奔る。

 

 大気を劈く電雷の炸裂音と強烈な発光。周囲に飛び散った稲妻が一帯を打ち据える。掴んだ右腕から流れ込んだ大電流が男を怯ませ、その瞬間に雁夜は更なる力を込める。

 

 剛剣で以て圧し切り、敵をこのまま両断する腹である。今の雁夜にとって人体など(ワラ)も同然。しかし、敵もまた怪物。彼等の動きは拮抗する。

微動だにしない彼等とは裏腹に、足元の石畳は衝撃に耐え切れずに陥没、次いで反発によって爆砕されたかの如く弾け飛ぶ。

 

 その刹那、飛礫に遅れて舞上がった粉塵を裂いて彼等の間に銀光が奔り、男が地面と水平に吹き飛んだ。十メートル程宙を舞った男は地面に背中から叩き付けられ、その瞬間に受け身を取って跳ね起きる。

先の一瞬、雁夜の右の刺突を男の太刀が逸らし、それを合図に拮抗が崩れた。

 男は突きを払いのけつつ身を翻し、肩口へと喰い込んだ大鉈を押し返す。その瞬間に翻った雁夜の蹴りが男の腹へと突き刺さったのだ。

 結果、男は跳ね飛ばされ、雁夜は即座に追撃へ移る。

 

「クヒヒ、カッ、カカッ」

 

 笑むと同時の電撃突撃。

 思考を排し、紫電蟲による強制駆動を行う今の雁夜の速度は正に電光。踏み込む彼は紫電の残光のみを残し、空を切る。

 同時に、男が太刀を構え直しつつ横へ跳ぶ。それを追って銀光が奔り、遠坂邸の庭園に無数の火花を撒き散らす。六度切り結び、更に加速。彼等は互いの刃を打ち合わせながら遠坂邸の庭園を走り抜ける。

 

 男は大鉈の横薙ぎに対し身を沈めて回避。直後、沈み込む相手の頭部を蹴り上げんと跳ね上がった足を柄頭で迎撃する。頭受けを合わせ膝の皿を打ち砕いた事に笑みを浮かべる間も無く、振り下ろされる一刀を刃で以て受け止める。

 受けた衝撃で足元の石畳が弾け飛ぶも、巻き上げた粉塵が彼等に掛かる事は無い。発破に掛けられた様にしか見えぬ戦闘風景を遥か後方に、彼等は駆け抜けながら戦闘を続行している。余人には最早、彼等に遅れて剣の薙ぐ暴風、戦闘の余波にて弾け飛ぶ石畳と空中で咲き誇る火花、雷光で以てその軌跡を知るのみであった。

 

 不意に遠坂邸のガラスが砕け散り、その壁面の一部がへしゃげて砕かれた煉瓦が宙を舞った。同時に旋廻しつつ空を切った大鉈が遠坂邸の庭木を両断し、コンクリート塀へと突き刺さる。

 

 パッと血飛沫が舞った。

 男の拳が雁夜の腹を捉え、彼の身体は遠坂邸の壁面へと叩き付けられた。雁夜は止まる事無く大鉈を投擲し敵の追撃を防ぐと同時に上へと向かう。空を切った大鉈は男の脇腹を掠め、庭木を両断し、塀へとその刀身を埋めたと、そういう訳である。

 

 舞った血飛沫は男の肩口と脇腹、雁夜の全身から迸った物であった。

 男と雁夜、彼等は遠坂邸の屋根の両端に立ち、暫し互いに睨み合う。

 切り結ぶ最中、何度となく男を雷が打ち据えた。

 

 無論それは気象現象の類などでは無く。紫電蟲の覚醒した雁夜から迸った電撃である。魔蟲の複眼による銃弾すら視認可能な動体視力と空間把握、紫電蟲による無空、蟲噛、発電による雷速の強制駆動。接近と同時に自動で相手に奔る雷撃と併せ、今の雁夜は人の姿を持った雷である。しかし――

 

「フン、そろそろ、逆立ちしても勝てない事が理解できたか?」

 

 男が満身創痍(まんしんそうい)の雁夜へと言い放つ。

 超過駆動のその代償。

 全身の筋肉の断裂と無数の裂傷。

 二口目の神便鬼毒酒によって跳ね上がった膂力、魔蟲を使った我武者羅な戦闘は雁夜の肉体の限界を、否、人の限界を遥かに超える代物である。

 本来ならば一合切り結ぶだけで肉が千切れ、骨が潰れる程の負荷。心拍の鼓動は既に毎分三百を優に超え、全身の動脈が圧に耐え切れずに破れだし、雁夜の全身を血で真っ赤に滲ませている。

 そして、男に斬られた部位が十余り。

 

 既に二十回は死んでいる筈の負傷を受けながら、雁夜は神便鬼毒酒によって引き上げられた治癒能力と莫大な魔力による魔蟲の再生能力によって漸く生き永らえていた。否――

 

「クッ、カカッ、カカカカカカカッ!!」

 

 死と再生の相克。

 負傷と再生を繰り返しながら、雁夜は猶も戦闘を続行する。

 呵々大笑と共に、雁夜は男へと跳び掛かった。駆け引きも何も無い全力突撃。互いの距離が詰まり、大気の壁を切り裂いて雁夜の体表から迸った雷が男へと飛ぶ。目も眩む発光、次いで来る衝撃に炸裂音、それを合図に彼等は再び切り結ぶ――筈であった。

 

「岩流・虎切」

 

 跳び掛かった雁夜に先んじて男が刃を振るった。

 右より振りし風剣を偽りとし、左より振り返す風車で斬る。本来、フェイントを織り交ぜた、返しの刃で敵の胴を両断する技である。ただし、今回に限って初手の袈裟切(けさぎ)りは牽制では無い。

 その一刀は向かい来る雷撃を切り払った。

 

 間髪入れず、突進に合わせた逆胴。甲高い音と共に十文字に交わった彼等二人の刃がギリギリと軋みを上げ、衝撃に互いの足元が陥没し屋根瓦が宙を舞う。

 鍔迫り合い。己の腕力で以て、敵を圧し切るこの状態は剛剣を誇る雁夜にとって必勝の型である。しかし、

 

「新陰流・松葉」

 

 ほんの少し、男が身を引きながら手にした太刀の角度を僅か数ミリずらすだけで、圧し切った筈の雁夜の刃は空を切り、その根元へと滑った男の刃が雁夜の手の甲を縦に斬った。

 咄嗟に腕を退いた事でからくも両断を免れる。しかし、その一瞬の隙に翻った男の前蹴りが、雁夜の鳩尾(みぞおち)へと喰い込んでいた。

 

「グッ、ガッっハッ!!」

 

 蹴り飛ばされた雁夜は踏鞴(たたら)を踏んで後退する。

 神便鬼毒酒によって限界を超えて強化された雁夜を、男はその剣技を以て嘲笑うかの様に翻弄していた。

 

「所詮、獣の剣よ。力ばかりで単調極まる。いや、頼みのその力も少し落ちてきたか。いずれにせよ、電撃の捌き方ももう分かった。終わりだ。次は、その腕を貰うとしよう。それから、その頸を刎ねてやる」

 

 男が雁夜を見据え、太刀を上段に構える。

 その言葉、表情に在るのは侮りでは無い。絶対的な力の差を背景とした余裕である。

 

「カカッ、カカカッ!!」

 

 それでも雁夜は止まらない。

 恐らく彼の体内に浸透した神便鬼毒酒の効果が切れるまで、腕を落とされようが足を刎ねられようが、彼が止まる事はあるまい。

 

 雁夜もまた太刀を構え、その両足に力を込めて、

 上げた脚を振り下ろす。

 

 衝撃で屋根瓦が砕けて宙を舞い、遠坂邸が大きく揺れる。それは瓦礫によって相手の目を眩ませる為の一手であり、揺れで相手の動きを止める震脚であり、跳躍の為の踏込である。

 飛散した屋根瓦が男へと降り注ぐ。その陰に隠れ、太刀が飛んだ。飛刀が空を切って男に迫った。男は重心を落とし、目を凝らす。飛礫が陽動である事など百も承知。男は本命の飛刀を容易く見切り、しかし、そちらに意識が逸れた瞬間、雁夜の姿が掻き消える。

 

 男が太刀を切り払い、横へと動き始めた時、雁夜は既にその背後を取っていた。

 腕を殴り付ける。男の握った太刀が弾き飛ばされ宙を舞い、同時に、その首に二本の野太い腕が巻き付いた。

 

 裸締め。

 バックチョーク、スリーパーホールドと呼ばれる技である。

 首に右腕を回して自らの左腕を掴み、左手は相手の後頭部を押して絞めると同時に、両足で相手を挟み、後方へと重心を傾ける。

 綺麗に決まった裸締めには対処法が存在しないとされるが、それは勿論、無手での戦いにおける話である。敵が武器を持っているなら絞め技は基本的に必殺とはならない。

 

 故に雁夜は初撃で敵の太刀を弾いている。そして、足でのフックを完成させる際に敵の腰に差した武器を確認し、脇差しの柄を足の内側に挟み込む事でその使用を封じている。

 男は腰だけでなく背中にも武器を担いでいたが、裸締めが決まっている状況でそれを引き抜く事は不可能であった。

 

「クハッ、カカカカッ!!」

 

 それは勝利を確信した喜悦の笑み。

 ここまで来れば、否、雁夜の裸締めは必殺である。

 裸締めとは巻き付けた腕で気管を絞める事による窒息狙いの技では無い。頸動脈を絞める事によって頚動脈洞反射を引き起こし、一瞬で相手の意識を刈り取る技である。

 決まったが最期、凡そ数秒で敵の意識は奈落の底へと落ちていく。

 

 しかし、雁夜の狙いは敵を落とす事では無い。

 失神までの数秒を待つつもりなど元より無いのだ。

 雁夜は絞める腕に捻りを加える。つまり、頸椎を捻じ折る事による即死。否――

 

 血風が舞った。

 雁夜の身体から滑り出た無数の蟲の牙、鋏角が敵の身体を串刺しにしたのだ。それはさながら中世の処刑器具たる鋼鉄の処女(アイアン・メイデン)。そして、それと同時に――電撃が奔った。

 

 人の電気に対する絶縁性は皮膚にあると言って良い。

 人間の全身を覆う皮膚の高い電気抵抗こそが人を電気から守っている。

電気椅子による死刑執行において、罪人の頭部と電極との接触面に生理食塩水で濡らしたスポンジを挟むのは頭部の電気抵抗を減らし、罪人が速やかに死ねる様にとの処置である。

 また、感電事故において心臓を電気が通過する様に流れた場合、その死亡確率は飛躍的に跳ね上がる。人体の器官の内、心臓は特に電流に敏感で容易く心室細動が引き起こされる為である。

 

 密着状態、電気を通し易い血に塗れ、心臓を挟み込む様に電極となる魔蟲の牙が突き立てられた状況からの、紫電蟲の一斉励起による極大の電撃。

 大気を劈く轟音と共に迸った稲妻の渦。周囲に飛び散った電撃が屋根瓦を弾き飛ばし、邸内外全ての電灯を叩き割る。縦に裂けた庭木が焼け焦げ、夜が発光によって明滅し、折り重なった二人の身体が大きく跳ねた。

 

 瞬間、雁夜は両腕に力を込め、捻り上げる。

 電気刺激による筋収縮。

 感電の危険がある部位に触れる時、決して手の平で触ってはならないというのは良く言われる事である。感電した際、反射によって筋肉の瞬間的な収縮が起こり、感電部分を握り込んでしまう事があるからだ。その時に生じる力は肉体の限界を容易く超越する為、これを引き剥がす事は容易では無い。

 

 この筋収縮を利用して、雁夜は男の頸部に巻き付けた腕に更なる力を込め――

 ゴキリッ、という骨の砕ける音がした。

 

「クッ、カカッ、今のは少々ヒヤリとしたぞ」

 

 男が嗤う。

 男の手が雁夜の腕を掴んでいた。

 折れたのは男の頚骨では無い。

 男が感電の際の筋収縮を利用して、首に巻き付いた雁夜の腕を握り潰したのである。

 

 そのまま男は掴んだ腕を引き、身体を丸めて雁夜を空中へと背負い投げる。同時に取り落とした大太刀を蹴り上げ掴み――

 

「さて、仕舞いだ。天然理心流・無明剣」

 

 迸った銀光が真っ直ぐに雁夜の身体を貫いた。

 音が一つに被撃が三。

 腹、胸、腕と男の放った突きが雁夜を貫き、彼は宙に血を撒き散らしながら放物線を描いて落下する。遠坂邸の屋根から地面まで十メートル余り、庭園中心の石畳に叩き付けられ、一度大きく跳ねるとそれきり彼は動かなくなった。

 

「マスターッ!!」

 

 バーサーカーが駆け寄る。抱き起そうとするその手が雁夜に触れた瞬間、バヂリと電気が流れた。反応の無い雁夜とは裏腹に、彼の体内の魔蟲はその活動を止めていない。しかし、それはさながら蝋燭の燃え尽きようとする最後の輝きに見えた。

 

「マスター、しっかり。返事しなさい」

 

 バーサーカーは雁夜の傷を確認し、絶句する。人間の限界を超えたその代償がそこにあった。全身の筋断裂、至る所の血管が裂け、血塗れだった。それでも彼女は怯む事無く治癒魔術を施していく。時折、その顔が苦痛に歪んだ。感電による火傷と裂傷でその手はズタズタになっていた。

 

「ッ、あの娘達を護るんでしょ? そう言ったじゃない。返事しなさいよ、マスター。ねぇ、返事してよ。ねぇ、ねぇったら!!」

 

 バーサーカーが叫ぶ。しかし、雁夜に反応は無い。

 それは当然の帰結である。

 幾度と無く致命傷を受けながら、彼は魔蟲の再生能力に頼って戦闘を続行していた。神便鬼毒酒の効果が弱まり、深手を負った事で、遂にそれに限界が来たのだ。

 

 契約によって繋がったラインを通して、雁夜の命が失われていくのがバーサーカーには分かった。その心中にあるのは後悔の念である。

 こうなる事は分かっていた筈なのだ。

 敵の方が強い事は分かっていた。彼が神便鬼毒酒に勝機を見出す事も分かっていた。

 自分にはどこかで止める事が出来た筈だった。

 否、自分が――

 

「か、雁夜君……」

「お、おじさん……。嘘、だって、そんな……」

 

 葵と凛が言った。

 桜は糸が切れた様にその場にへたり込んでいる。

 その声を聞いた瞬間、バーサーカーは成すべき事を思い出す。

 

 彼女は神便鬼毒酒を少量口に含むと、口移しで雁夜に飲ませた。飽く迄少量。最早、神便鬼毒酒という劇薬の効果を受け入れるだけの力は雁夜にはあるまい。それでどれ程生き永らえる事が出来るかは分からないが、少なくとも今少し現界させて貰わねば。

 

 彼の意志を継ぐ。

 

“彼女達は私が護る”

 

 そう彼女が心を定めた瞬間――

 

「また、抱え込むか。相変わらず、変わらんな。いや、当然か」

 

 遠坂邸の屋根の上、男がバーサーカーを見下ろし言った。

 

「アンタ、一体何者? それは私達の――」

「悪いが何も言う事は無い。そこを退いては――くれぬだろうな。フム、ならばせめて苦痛無く、主と共に逝かせてやるが慈悲という物か。間桐の妖怪を殺す為の我が“宝具”。お前に向けたくは無かったが致し方なし」

 

 男が背に担いだ弓を引き出す。裂けた襤褸が落ちて、男の姿が露わになる。

 鎧。血の如き真っ赤な具足。そして、なお紅い、禍々しき朱の鬼面。

 バーサーカーの被った物と同種の鬼面を男は被っていた。

 否、それよりも――。

 

 新月の夜に月がある。

 見よ、闇夜に覗く弓張月。

 男の手の中で引き絞られた美しき霊弓を。

 

「弓矢八幡・雷上動(らいじょうどう)。安心しろ、痛みは無い。苦しみも無い。抵抗する意味も、死の実感すらも無いだろう。そんな物を感じる前に、貴様等の肉体はこの世界から消え失せる」

 

 男は静かに告げる。

 そして、逆巻く恐るべき魔力の波動と共に、地上に彗星が奔った。

 

 






雁夜「雷という」(ギィィ)


後書きは明日活動報告でやります。
敵のステータス開帳もそっちで。

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