鬼哭劾―朱天の剣と巫蠱の澱―   作:焼肉大将軍

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前夜祭の終わり(中)

 †††

 

 真っ直ぐに繰り出された掌底を、雁夜は腕で受けた。同時に男の肩を蹴って後方に跳ぶ。相手のバランスを崩しつつ、受ける衝撃を宙に逃した。超人的反応と身体操作による完璧な防御。故に――

 

 彼は幸運にも九死に一生を得た。

 

 風に舞う木の葉の様に十数メートル程吹き飛んだ雁夜は背中からブロック塀に叩き付けられる。衝撃でブロック塀が瓦解し、雁夜はそのまま遠坂邸前の道路上を転がると向かいの石壁へとぶつかってやっと停止する。

 

 雁夜は血反吐(ちへど)をアスファルトにぶちまける。

 掌底を受けた腕はへし折れ、砕けた骨が肉を破って覗いていた。

 雁夜は自らの腕を見る。そして、視線を上げ――

 

「「雁夜おじさんッ!!」」

「マスター、避けてッ!!」

 

 凛と桜、バーサーカーの絶叫が重なる。

 雁夜の視界が石柱で埋まっていた。

 

 遠坂邸の結界の要の一つとして設置されている石柱。男はその一つを引き抜き、恐るべき速度で放り投げたのである。これ以上ない追撃であった。数百キロの石柱がこれまた数百キロで空を切る。

 

「覚――ろ――穿――」

 

 雁夜は魔蟲を以て対処する。否、そうしようとして、無理だと悟った。

視認から着弾までの一刹那は奇妙な程にゆっくりと流れた。口から吐き出した空気が言葉に成らずに宙を滑る。腕から全身に伝播(でんぱ)した衝撃が彼から言葉を奪っていた。そも悠長に詠唱を行う様な時間は無い。刀は無く、腕はへし折れている。迎撃も不可能だった。しかし、雁夜は冷静に思考する。

 

 それは死を直前にした極限の集中力。

 人は死に瀕した時、視覚以外の全ての情報をシャットアウトし、状況への対処法を自らの全記憶から検索する事がある。俗に走馬灯と呼ばれる物だ。

 

 答えは直ぐに見つかった。

 

「ウ――オォオオオオオオ!!」

 

 跳躍。同時に身体を丸め、眼下を過ぎ去る石柱を蹴って更に上へ。背後で着弾した石柱がブロック塀を打ち抜いた。対する雁夜は遠坂邸の庭木を足場に跳び上がり、邸宅の屋根へと舞い降りると自らの指先を噛み千切る。

 

 指先から滴下された朱色の血が屋根を濡らし、そこから生じるは無数の魔蟲。ギチギチと牙を鳴らし、左右二対の翅を震わせ空を舞う翅刃蟲である。

 

「舞え、翅刃蟲(しでんちゅう)。眼下の敵を、喰い殺せッ!!」

 

 無数の翅刃蟲が空を切り、同時に雁夜は邸宅の屋根上を駆けた。その間にも指先から滴り落ちた血を媒介に無数の翅刃蟲が生み出され、男へと向かって飛来する。

 

 男が目深に被ったフードの奥、その眼球が殺到する翅刃蟲、そして頭上を疾走る雁夜を追ってギョロリと動き――大きく仰け反る。

 

 直後、空を切った大鉈が男の眼前数センチの距離を通過した。

 

「なに余所見してンのよ!? アンタの相手はこの私よッ!!」

 

 声の主はバーサーカー。彼女は手にした綱を手繰り寄せると同時に男へと躍り掛かった。先程投擲した大鉈を引き寄せ空中でキャッチし、跳び掛かった勢いを乗せて男へと振り下ろす。同時に男の腕が空中にて弧を描いた。

 

「フン、御転婆(おてんば)も大概にしておけ。巌牆(がんしょう)の下に自ら臨む事もあるまいよ」

 

 手を開き、指に力を込めて軽く折る。弧を描いた虎爪が捕えたのは殺到する翅刃蟲であった。指先が高速振動する刃の如き翅の間をすり抜け、巨大な牙を持つ頭部を千切り落とすと、男は魔蟲の胴を掴んで向かい来る大鉈を受ける。翅刃が大鉈と打ち合い、火花と甲高い音を撒き散らした。

 

 停止は一瞬。バーサーカーの大鉈は無数の魔蟲の翅刃を難なく両断する。砕けた翅刃が外灯の光を乱反射させて煌き、空中に多量の魔蟲の体液がぶち撒けられた。

交差の一瞬。魔蟲の残骸が視界を塞いだ一瞬。その一瞬に、大鉈を振り下ろすバーサーカーの手首を、男が掴んだ。

 

「ッ、このッ!!」

「まったく、遅い」

 

 振り下ろされる腕の勢いをそのままに、掴んだ手首を引き体勢の崩れた腹に肘を叩き込む。その衝撃に浮き上がりつんのめったバーサーカーの小柄な身体を、手首の関節を極めつつ男は担ぎ、その勢いのまま空中へと背負い投げた。

 

 自ら跳び掛かった方向に、倍速で回転しながらバーサーカーは宙を舞い、

 

「ッ、ぐ、このッ――しょうがない。任せたわ、マスター!!」

 

 言うと同時に彼女は手の中の大鉈を上空へと投げ上げた。その先には、

 

「任された。ナイスだ、バーサーカー!!」

 

 屋根から飛び降りた雁夜が左手で大鉈を掴み取る。

 雁夜の全身を一際大きく紫電が奔り、打ち下ろしの切っ先が男へと真っ直ぐに奔った。

 

「闇を駆ける稲光。まるで雷獣だな。ああ、解っているさ、薄緑」

 

 男が足元に取り落とした太刀を爪先で跳ね上げ、空中にて掴み取る。同時にその柄に巻かれた封印の呪布が崩れ落ち、刃がその真なる輝きを取り戻す。

 

 背後を取った。隙を衝いた。防御は到底間に合わぬタイミングであった。

 元より雁夜の一刀は受ける事適わぬ剛剣である。

 

 しかし、太刀打ち合う甲高い金属音と共に、男の構えた大太刀が、落下の勢いと全体重を乗せた雁夜の一刀を易々と受け止めていた。

 衝撃に足元の石畳が砕け、ギリギリと打ち合わされた刃が軋みを上げる。

 

「ッ、女子供には……、随分と甘いんだな。小手返しからの背負いじゃあ無く、そのまま地面に叩き付けて足刀で首を折るか、踵蹴(かかとげ)りで頭を砕くかしてりゃあ勝負は着いてた」

「ああ、そうしていれば、貴様に背後を取られて頭を蹴り砕かれていただろうな」

 

 男がフードの奥で獰猛な笑みを浮かべたのが分かり、雁夜は苦笑する。

 

「ピンピンしておいて良く言うぜ。お前一体何者だ? 一体何が目的だ?」

「さて、な。貴様が知る必要は無い」

 

 鍔迫り合いの硬直は一瞬、彼等は互いの刃を跳ね上げると弾かれた様に距離を取った。

 

「バーサーカー、無事か?」

「ええ、何とかね」

 

 言葉の通り辛くも地面に着地したバーサーカーが振り返り言った。

 

「そりゃあ良かった」

 

 そうは言ったが雁夜はバーサーカーの方を見なかった。眼前の男から目を切る事が出来なかった。その頬を冷汗が伝う。

 男の手にした太刀には、魅入られる様な妖しい魔力があった。流麗な直刃は見る者に感動と、畏怖を与える天険の如き美しさを持っている。ただ美しいだけでは無い。それに途方も無い神秘が宿っている事が一目で解る。刃という名の概念武装。間違い無く宝具の域にある逸品である。

 

“これは、マズいな……”

 

 状況は二対一。

 おまけにこちらは英霊と魔術師。

 雁夜はバーサーカーの宝具で人外の膂力を手にしている。

 だと言うのに――

 

「で、マスター、そろそろ頭に昇ってる血は醒めた?」

 

 バーサーカーが綱を引き、雁夜の手にする大鉈を回収する。不意を突かれ雁夜は反応が出来なかった。釣られてそちらへと視線を送ると、代わりに彼が取り落とした太刀が飛んで来る。バーサーカーが放り投げた物だ。

 

 雁夜は太刀を掴み取ると一瞬キョトンとした顔になったが、直ぐに薄い笑みを浮かべて男を真っ直ぐに見据えた。

 

「ああ、そうだ……。そうだな。すまなかった」

「オーケー、それじゃ、この場を切り抜ける方法を考えましょう?」

「良い考えがある。俺が更に酒を呑むってのは――」

「却下。他にもうちょっとマシな案は無いの?」

 

 言いながら彼等は敵手を挟み込む様に動く。同時に遠坂邸の庭木、周囲の街路樹がざあっと音を立ててさざめき、辺りを照らす外灯、星明りが次第に消えていった。代わりにギチギチと魔蟲が牙を鳴らす悍ましき音だけがどんどんと増していく。

 

「フン、マキリの業か。何度見ても醜悪な物よ」

 

 周囲を取り囲む夥しい翅刃蟲を見て、男は吐き捨てる様に言った。

 

「まったく、同感だ。だが、これ以外に知らなくてね」

 

 雁夜は太刀を左手で握り、構える。右腕の治癒は完了まで数分を要する。ただでそれを許す程、この敵手は甘く無いだろう。

 

「アンタと間桐にどんな因縁があるかは知らないが、アンタは俺の大切な人達に刃を向けた。だから、ここで殺す」

「クハッ、ハハハハハ、なるほど、笑わせる。――やってみろ」

 

 男は一頻り嗤うと太刀の切っ先を雁夜へと向ける。死の圧力。男の研磨された針の様な明確な殺意に反応し、雁夜が大きく飛び退くと、魔蟲の大群は獲物へと飛び掛かった。

 

 闇夜。より黒い靄が男へと降り注いだ様に見えた。外灯の明りを反射した翅刃がきらきらと瞬き、時折、その悍ましき姿が浮かび上がる。空が三に、魔蟲が七、視界全てを塗り潰す程の翅刃蟲の大群は今、たった一人の敵を喰い尽くさんと殺到している。

 

 蝗災(こうさい)。大量発生した虫の相変異による群体行動は古くから国を滅ぼす天災の一種だとされてきた。その底無しの食欲は、眼下の全てを喰い尽くす。

 黒い(もや)が降り注いだそこからは全てが消えた。着弾箇所は石畳が深く抉れ、周囲に植えられた遠坂邸の庭木は黒い靄に取り込まれたと同時にこの世界から消滅した。

 

 ただ、一人を除いて。

 

 銀閃が黒い靄の内より発し、縦横無尽に煌きながら庭園を横へと奔った。

 魔蟲の断末魔の叫びは、彼等自身の発する蠢動音に掻き消された。だが、魔蟲の主である雁夜には分かる。瞬間瞬間に襲い掛かった魔蟲の命が恐るべき速度で刈り取られている。

 

 銀光が弧を描き速度を上げて向かい来る。襲い来る魔蟲の群れを斬り捨てながら男は雁夜へと迫った。

 雁夜は太刀を握る手に力を込め、バーサーカーへと念話を送り、

 

『バーサーカー、聞こえているか? 俺が時間を稼ぐ。皆を連れて逃げろ』

 

 彼等は同時に敵を迎え撃った。

 

「それも却下よッ!!」

 

 バーサーカーの投擲した大鉈が空を切り、翅刃蟲を裂いて背後から男へと迫った。しかし、男は一瞥すらせず、横へと跳んでこれを避けつつ太刀を振るって向かい来る翅刃蟲を斬り捨てる。

 

 一振り。鋼鉄の外殻を持つ翅刃蟲がただの一振りで十把一絡(じっぱひとから)げに両断され、その翅刃、体液が宙を舞う。同時に、踏み込んだ雁夜の一刀が男の首へと奔った。

 魔蟲の亡骸を抜いて奔った横薙ぎの一閃。男は仰け反ると同時に顔を背ける事でそれを紙一重に回避すると、その手の剣を大きく弧を描く様に振るった。殺到する無数の魔蟲が(わら)の様に千切れ飛び、跳び掛かったバーサーカーが振るった大鉈を打ち払われて後退する。

 

 雁夜は即座に太刀を上段に構え直し、

 

「やるッ!! 鞍馬金剛流――」

「遅い――陰刀・水月」

 

 雁夜の渾身の唐竹割を男の横薙ぎの一閃が阻んだ。と同時に、男が抜いた脇差しが、雁夜の腹を突いていた。

 

「ぐっ、ガッ、クソッ!!」

 

 雁夜は咄嗟に後退する。脇腹を貫いた刃が抜けると同時にパッと周囲に血飛沫が舞って、血の臭いに興奮した翅刃蟲が一層獰猛さを増して男へと殺到した。

 

「チッ、ムシケラ風情が、邪魔をするなッ!!」

 

 男は向かい来る翅刃蟲を避けて跳び退り、その影を追って魔蟲の群れが空を切る。逃げる男と追う魔蟲。男は両手の剣を振り回し、追い縋る翅刃蟲を切り落としながら遠坂邸の庭園を縦断する。

 

「マスターッ!! クソッ、よくもッ!!」

 

 雁夜の腹部から流れる血を見とめるとバーサーカーは咆哮し、大鉈を振り被って男の後を追って駆け出そうとして、

 

「待てッ、バーサーカー!! 止まれッ!!」

 

 雁夜の声がその足を止めた。

 同時に翅刃蟲に追われた男が庭園中央の石造りのモニュメントに触れた。石像を背に襲い来る魔蟲の方向を限定する腹である。その判断に痂疲は無い。しかし、

 

 瞬間、モニュメントに埋め込まれた宝石を中心に、遠坂邸庭園内に埋め込まれた総勢二十余の宝石が炎を帯びる。強大な魔力の畝りに気付き、男は咄嗟にモニュメントから離れようと動く。その向かう先は翅刃蟲の群れの只中である。

 設置された宝石が妖しく瞬き、男の身体が激しく燃え上った。

 

 空へと昇る爆炎に、人間が呑まれるのが見えた。

 男の身体を包んだ炎は一瞬で爆発的に燃え広がり、巨大な火柱となって夜気を焦がす。十メートル程上空へと昇った炎は虚空に紅蓮の華を描き出し、周囲を舞っていた翅刃蟲が炎に舐られ、その火力の前に成す術無く燃え落ちていく。

 

「ッ、何て威力!! これは一体ッ!?」

 

 熱波に煽られ腕で顔を覆いながらバーサーカーが言った。下手に接近していれば彼女もまた炎に呑まれていたに違いない。

 

「遠坂邸に張られた侵入者迎撃用のトラップだ。庭園内の小結界を幾つか無効化すると起動する様になってる。威力の方は見ての通りだ」

 

 雁夜は納刀すると脇腹を押さえて言った。

 迎撃用の結界を起動させたのは雁夜である。彼は遠坂邸に逗留した数日の内に邸内の魔術結界について大凡を把握していた。後は起動のタイミングを図り、蟲を使って敵を火点へと誘導するだけである。

 

 雁夜は夜気を焦がす炎を見つめた。

 

“この火力と対象範囲のみを焼き尽くす技量。

 お前も腕を上げたみたいだな、時臣”

 

 残した結界の威力精度にかつての好敵手の腕前を見る。雁夜と同じく、彼もまた修練の日々を送り、研鑽(けんさん)を続けていたらしい。武者震いか、雁夜の肩が少し震える。彼は自然と笑みを浮かべていた。

 

 そして――雁夜は炎を、その奥の敵を見据え腰を落とす。

 砕けた腕で鞘を握り、左手を柄に沿える。彼が頼るは自身最速の技、居合の構え。

 

“敵が炎に呑まれる様を見た。

 逃れ得た筈は無い。故に、生きている筈は無い。

 しかし……”

 

 起動した時臣の魔術結界は、内に捉えた獲物を焼き尽くす。男の周囲数メートルは一瞬で摂氏数千度の焦熱地獄と化した筈だ。巻き込まれた魔蟲は尽く消炭に、石造りのモニュメントはその熱に耐えかね真っ赤に燃えて蕩けている。

 

 しかし、雁夜には敵が死んでいないという確信があった。

 

“敵は先程、凛ちゃんの放った炎に耐えた。

 耐火魔術か、結界か、何某かの防御手段を持っている。

 だが、無傷である筈は無い。この好機は逃さない”

 

 ギリ、と奥歯が鳴った。そして――

 

「ク、カカッ、良いぞ。良い殺気だ。緩めるなよ。そのまま研ぎ澄ませてろ。漸く煩い羽虫がいなくなったんだ。これより少々、鬼眼の業を見せてやろう」

 

 炎の奥から男の声が響く。

 男の物とも女の物とも知れぬ不可思議な声色が残響し、炎の中に男の輪郭が浮かび上がる。それと同時に雁夜が仕掛けた。

 

「鞍馬金剛流抜刀術・窮奇(きゅうき)――」

 

 雁夜の全身の筋肉が隆起し、体表を紫電が奔る。踏込と同時に身体を丸め、腰を切る居合の構え。一瞬の緊張と解放の相克。練り上げられた力は体幹へと集い、一刀へと注がれる。鞘走りによって加速した神速の一斬――それを一閃が叩き切った。

 

「遅い。居合の生命は電瞬にある――抜刀術・卍抜(まんじぬ)き」

 

 雁夜の幸運は右腕が砕けていた為に右手に鞘を持ち構えていた事。そして、男の一刀を前に太刀を抜く事すら出来なかった事である。

 

 男の放った横薙ぎの一閃は鉄拵えの鞘ごと受けた雁夜の上腕骨を粉砕し、その身体を中空へと舞い上げた。構えた太刀と鞘が自然と刃を受ける形となっていなければ、雁夜の上半身のみが宙を舞っていたに違いない。

 

 何が起こったのか分からなかった。

 否、衝撃に跳ね飛ばされ、砕けた腕の痛みを以て何が起こったかは分かったが、理解が出来なかった。先んじて仕掛けた筈の自分が抜刀する事すら、否、反応する事すら出来ずに斬られたのだ。

 

 刀を抜いて人を斬るに、ただ鍔鳴りの音のみが聞こえて鞘を出入りする刃の色は見えず。それは正に電瞬の抜刀術。そして、それだけでは男の攻撃は止まらない。

 雁夜を追って地面と平行に刃が奔る。同時に一つの影が雁夜の背後から飛び出し、その肩を蹴って跳び上がった。

 

「このッ、よくもやってくれたわねッ!!」

 

 バーサーカーである。

 彼女は左の大鉈を投擲すると右の大鉈を振り被り、頭上から男へと躍り掛かった。

 男は咄嗟に追撃を諦め、足を止めて飛来する大鉈を打ち払う。しかし、頭上から迫った大鉈を切り払ったと同時に、一撃目と同じ軌跡を描いた二撃目が男へと降り注いだ。

 

 落下の勢いを乗せたバーサーカーの唐竹割。その刃が男の眼前に迫るに至って、彼女は漸く男の姿をしっかりと視認した。

 

 (すす)けた襤褸の奥の、見覚えのある、その姿を。

 

「嘘……何で――ぐぅッ!!」

「――流・無刀取り」

 

 バーサーカーの呟きは空に掻き消え、悲鳴に変わる。

 彼女は一刀を振り抜かなかったし、振り抜けなかった。交差の瞬間、男がバーサーカーの手首を掴み取り、その腹へと柄頭を叩き込んでいた。衝撃にバーサーカーの身体が浮き上がり、小柄な身体がくの字に折れる。そして、彼女の身体は宙を舞った。

 

 バーサーカーの跳び掛かった勢いを利用して、男が雁夜へと向かってバーサーカーを放り投げたのだ。

 それは地面に着地し体勢を立て直そうとする雁夜に直撃した。

 

 雁夜は咄嗟に抜刀しようとしていた太刀を捨てる。彼の右腕はへし折れていて、放り投げられたバーサーカーを受け止めるには左手に握った太刀を捨てる必要があった。

 敵の眼前で手にした得物を投げ捨てる。愚かだと知っている。悪手だと知っている。受け止めた隙を敵が突く事も知っている。しかし、雁夜に躊躇は無い。

 

 二人の身体が激突し、縺れ合って――

 

「さァ、終わりといこう。心の一方『居竦みの術』」

 

 ドクン、と自身の心音が一つ。

それを最期に世界から音という音が抜け落ち、一瞬、彼等の動きは完全に停止した。

 

 二階堂平法に心の一方なる奥義有り。

 

 その術理は気当て。気とは殺気であり、空気の振動、音である。

 示現流でいう処の猿叫(えんきょう)と原理は同じ。示現流が鶏の断末魔と例えられる程の裂帛の咆哮と殺気で相手を怯ませるのに対し、心の一方はヒトの可聴域を超えた咆哮で三半規管を一時的に麻痺させ平衡感覚を奪い去り、併せて放たれた殺気によって敵を金縛りに陥れる技である。

 

 居竦みの術とはその極致。

 人は鼓膜が受けた音を耳小骨で減衰させた上で内耳の三半規管、更にはその奥の蝸牛へと伝えている。居竦みの術はこの耳小骨を共振させる事によって生来の減衰機能を殺し、内耳の器官及び周辺動脈へと衝撃を与える技である。

 

 その効果は三半規管の麻痺による聴覚、平衡感覚異常だけに止まらない。衝撃を受けた蝸牛神経が強制的な眼球頭反射を引き起こす事での視覚喪失、耳下腺内を通る外頸動脈の裂傷による舌神経の麻痺、蝸牛に繋がる前下小脳動脈の圧迫による意識の消失。

 

 居竦みの術とは視覚、聴覚、平衡感覚、言葉に意識までもを刈り取る魔技。しかし、その効果は一瞬で、その原理故に耳を塞ぐといった音の遮断と敵に対する剣気で以て簡単に無効化出来る。

 

 無論、両腕の塞がった雁夜と宙を舞うバーサーカーはそれが出来る状況に無く、男はその隙を見逃す程ヌルくは無い。

 

 雁夜とバーサーカー、縺れ合った彼等の隙は一瞬で、心の一方による停止も一瞬。しかし、それは男にとって両人の頸を刎ねるに十二分の時間である。

 

「その怯み、貰った。心形刀流・三心刀」

 

 刃が飛んだ。男が抜いた脇差しを投擲し、同時に踏み込む。飛刀は雁夜とバーサーカーを串刺しにせんと真っ直ぐに空を切り――火花を散らして、

 

「二天一流・二刀八相」

 

 弾かれた飛刀を踏み込んだ男が掴む。即座に刃が跳ね上がり――

 

「それがどうしたァッ!!」

 

 縦横無尽に煌いた左右二刀の一瞬八斬。宙に瞬く四つの十字を、雁夜の握った大鉈が打ち払い、彼等互いの間に八の火花を散らせてみせた。

 

 

 二刀流、片手での斬撃は敵の骨を断つ事が出来るのか?

 三半規管が麻痺し、動き得ぬ筈の男はそれを迎え撃つ事が出来るのか?

 出来る。出来るのだ。

 見よ。異形と化すまでに鍛え込まれた男の背なから両の腕の肉を。

 その連撃は瞬きの間に八度敵を両断し、血煙と共に敵を無数の肉片と化す。

 見よ。神経に根を張り雁夜の体中で脈動する醜悪なる魔蟲の蠢きを。

 三半規管の麻痺は愚か、意識すら無くその刃は敵を斬る。

 

 

 男の膂力は片手での刀法にて人を藁の様に容易く両断し、間桐雁夜には意識すらなく剣を振るう技がある。

 

 先の一瞬、バーサーカーを抱き止めた雁夜は、口を開き、ギリと彼女の襟首を噛み締めた。それは両手を塞がれた雁夜がバーサーカーの落下を防ぐ為であり、渾身の力を込めた際に噛み締めた奥歯が砕けぬ様にしたのである。

 

 無空。

 無空とは外界の刺激に対して自動的に繰り出される反射の剣。それは修練の果て、剣撃の際に生じる余分な思考を削ぎ落とし、遂には思考を介さず敵を斬るという業である。無の剣、空の剣。故に無空。

 

 その技が修練の果て魔導との融合によって完成に至る。

 雁夜はこれを蟲噛の剣と名付けた。

 

 放たれた心の一方によって耳の痛みを感じる間も無く、雁夜の意識はブラックアウトする。同時に、バーサーカーの身体から力が抜けて、彼女の手から鉈が落ちる。

 

 その瞬間、雁夜の体内に巣食う魔蟲の自己防衛本能に起因した反射行動に拠って、それは始まる。雁夜の経絡と同化した紫電蟲は宿主の生命の危機に反応し、発電。迸った電気刺激に併せ、雁夜の身体はその限界すら超えた速度で駆動する。

 落下する大鉈を左手で掴み、それを繰り出す。

 

 それとは即ち、蟲噛の剣。

 

 繰り出される左右二刀の連撃を大鉈が打ち払う。

 

 そして、彼等は示し合わせた様に互いに距離を取った。

 男は絶対の好機を凌がれたが故に、雁夜は漸く意識を取り戻した為に、彼等は距離を取って相対した。

 

 雁夜が口を離すとバーサーカーは地面へと落下し、尻餅をついた。

 男は満足そうに嗤い、雁夜は引き攣った笑みを浮かべる。

 

「成程、無空を体得していたか。思ったより、やる。が、無傷とはいかなかった様だな。それも当然。動かぬ身体を強制的に動かした反動はどうだ?」

 

 心の一方を受けた雁夜の両耳からドロリと一筋の血が垂れた。

 ダラリと垂れた右腕はへし折れ、最早、剣を掴む事すら儘なるまい。

 また、紫電蟲による蟲噛の剣は人の反応限界、駆動限界を容易く超越するが、その反動は大きい。雁夜の服の下では処々の筋肉が断裂し、彼の全身を紫色に染めている。

 

 雁夜は何か言おうとして、舌が上手く動かぬ事に気付いて口を噤んだ。

 まだ心の一方の影響も残っている。それを悟られるのは不味い。

 

“何事か話して時間を稼ぎ、あわよくば情報を得たかった所だが仕方ない。

 しかし、一体、どういう事だ?

 鞍馬金剛流の技術体系に、心形刀流の飛刀術、二天一流の二刀流、二階堂平法の心の一方に、神明夢想流の抜刀術。どれも生半な腕じゃあない。

 いや、今、問題なのは――”

 

 立ち上がったバーサーカーが叫んだ。

 

「何で、アンタがソレを持ってるのよッ!! それは、アタシ達の――」

 

 足元に大鉈を突き立て、今にも男に向かって飛び出しそうになるバーサーカーを雁夜が押さえた。しかし、それは彼女の身を慮っての事だけでは無い。彼女の腰に吊るされた宝具、神便鬼毒酒を奪い取る為である。

 

「なッ、馬鹿ッ、やめ――」

 

 激昂していたバーサーカーは反応が遅れた。そして、雁夜は神酒を煽る。

 

 神便鬼毒酒、二口目。

 これより先は武神の領域。

 間桐雁夜は迷う事無く、そこへと一歩踏み込んだ。

 





お待たせして誠に申し訳ありませんでした。
言い訳と後書きは活動報告にて(12日中に書きます)。

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