鬼哭劾―朱天の剣と巫蠱の澱―   作:焼肉大将軍

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間桐の術者(前)

 †††

 

 

 蛞蝓(ナメクジ)の様に地を這った。

 蟲蔵の奥、闇の中で懸命に地を這う。

 一昼夜蟲共に嬲られ続けた少年に起き上がるだけの力は無かった。

 

 朦朧とした意識で身体を引き摺って蟲の中から這い出るべく進む姿は蛞蝓のソレだ。全身にこびり付いた蟲の粘液が這った後を線となって教えてくれる。

 どんなに不格好でも少年は気にしなかった。

 

 そんな余裕も無かった。

 彼は生きる為に、ただ動いている。

 十数年前、寒い夜の事である。

 

 少年は蟲蔵から這い出ようとした所で、遂に力尽きた。

 最早、指一本動かなかった。

 

「う……ああ……」

 

 寒さで震え、声を出そうとするが言葉にならず、小さな呻きが口から漏れただけだった。

 遂に死が間近に迫ってくる。しかし、危機感は無かった。生存本能すら既に働かなかった。感覚は随分前に死んで久しい。痛みも失せた。

 

 ゆっくりと少年の身体から体温が失われていく。

 ただ、寒かった事を覚えている。

 

 腕を誰かが掴んだが、少年は反応しなかった。

 引き摺られ、担がれて蟲蔵から引き上げられる。

 床板の上に寝かされ、冷え切った少年の身体に毛布が掛けられる。

 次第に暖かさが痛みとなって全身を襲い始め、少年は呻きを上げた。

 

「大丈夫か、雁夜。待ってな。今、兄ちゃんが温かい物持ってきてやるから」

 

 声がした方向に目を向ける。

 朦朧とした意識で少年、雁夜が最後に見たのは、彼の兄の、鶴野の背中だった。

 十年以上前、遠い昔の話である。

 

 

 †††

 

 

「ぶっ殺してやるぞ、雁夜ァ!!」

 

 雁夜の遥か頭上、蟲蔵の梁へと取り付いた鶴野が吼える。同時に皮下を体内に寄生した魔蟲が蠢き、その身体が不自然な隆起を繰り返す。その背を裂いて更に左右二対の節足が突き出た。長さ二メートル程の節足は蟲蔵の梁と壁へと伸び、鶴野の身体を空中に固定する。

 

 鶴野の全身に切れ間が入り、更に魔蟲の鋏角や顎、複眼が顔を出す。悍ましきその姿は最早人間のソレでは無い。そして、その戦闘能力も。

 雁夜は鶴野を見据え、一歩前に出る。

 

「やってみろ。アンタには無理だよ、兄貴」

「カ、カカッ、良いだろう、試してやるよ。間桐から逃げた裏切者がァ、どこまで持つかなァ!!」

 

 咆哮と共に、鶴野の背から周囲へ伸びていた脚が折り曲げられ、跳ねた。

 蟲の跳躍力。凄まじい速度で雁夜の背後へと真っ逆さまに落下した鶴野は、しかし、自らの足で着地する。床の石畳が衝撃に砕け瓦礫と粉塵が宙に舞う。

 

 雁夜が振り返ると同時に、宙に舞った粉塵を裂いて節足が瞬いた。鶴野の背中から生えた三本の節足が雁夜へと、そして残り三本が壁へと奔ったのである。

 

「なッ!?」

 

 寸での所で、雁夜は身を躱す。節足から生えた鉤爪が雁夜の頬を肩口を脇腹を裂き、鮮血が飛び散る。躱された事で雁夜の横を抜けた節足はその勢いのまま石畳を打ち抜いた。節足が石畳へと深々と突き刺さっていた。

 

 恐るべき切れ味と威力である。咄嗟に回避していなければ、節足は雁夜の身体を貫通していたに違いない。だが、

 

 雁夜が腰の太刀を抜き放ち、銀光が瞬く。空中に弧を描いた刃は鶴野の節足の一本を斬り飛ばし、切断面から魔蟲の体液が噴き上がる。

 直後、粉塵と緑の血煙の中、六つの火花が散った。

 

 床へと突き刺さっていた節足が、石畳を抉り飛ばしながら雁夜へと迫り、弧を描いた銀閃と打ち合わされて宙に二つの火花を散らせた。互いに弾かれた刃と鉤爪が即座に舞い戻り、更に彼等は四度切り結ぶ。

 

 信じ難い事に鶴野から生えた節足の鉤爪は、雁夜の持つ宝刀と打ち合えるだけの硬度と切れ味を持っていた。そして、魔蟲の膂力(りょりょく)。石畳すら膾の如く切り刻む節足の旋風は、人間を輪切りにするに十二分の威力を秘めている。

 

 パッと鮮血が舞った。受け損ねた鉤爪が雁夜の大腿の肉を削ぎ落としていた。

 

「どうした、雁夜? もう終わりかァ!!」

 

 がくり、と雁夜の身体が沈み込む、その好機を逃さぬと二本の節足が振り上げられ、即座に反転。恐るべき速度で節足が脳天を叩き割るべく雁夜へと振り下ろされ、

 爆砕された石畳が破片を撒き散らした。

 

「その隙はワザとだよ。蟲の力に頼り過ぎだ」

 

 振り下ろされた節足を潜り抜け、前に出た雁夜は鶴野へと肉薄していた。鶴野にとっては何が起こったか分からなかったに違いない。彼は雁夜から目を切ってはいない。確かに雁夜は動き出していなかった。降り注ぐ節足を回避出来た筈が無いのだ。

 

 縮地と呼ばれる歩法がある。

 その根幹は落歩と呼ばれる重心移動と化勁と呼ばれる身体操作にある。即ち重心を自らの前に置く事で、相手に向かって落下する様に踏み込む落歩。そして、踏み込む力と落下のエネルギー、そして地面からの反発力。自らの体内で生じる力の方向を操る中国拳法に云う処の化勁。

 

 その二つによって、初動に生じる力を全て前進のエネルギーへと変じた神速の踏込み。これを敵の視点移動に合わせる事で四肢の駆動を悟らせず、下肢の筋肉と摺足のみで行った時、正対した相手はまるで地が縮んだかの様に錯覚する。

 

 故に縮地。

 肉薄した雁夜の横薙ぎの一刀が煌く。

 勝利を確信していた鶴野には最早防御も回避も不可能であった。

 

 剣閃は鶴野の胴へと真っ直ぐに吸い込まれるように奔る。雁夜の一刀は鋼鉄すら切り裂く剛剣。鶴野の胴を容易く両断せしめるだろう。勝負はあった。

 無論、それは相手が人間ならばである。

 

「その程度、遅ェンだよ!!」

 

 間桐鶴野は人間では無い。既にもっと悍ましき何かへと変貌している。

 瞬間、鶴野の胸部を貫いて飛び出た節足が雁夜へと奔った。

 二人の影が交差し、一拍の沈黙の後、

 

「ガッ、ガハッ」

 

 雁夜の吐瀉(としゃ)した鮮血が、鶴野の顔を真っ赤に染めた。

 鶴野の胸部から飛び出た飛蝗の脚に似た節足はその一本が雁夜の放った横薙ぎの一刀を受け止め、もう一本が雁夜の腹へと深々と突き刺さっていた。雁夜の手から太刀が落ち、ガシャと音を立てて床へと転がった。

 

 雁夜の縮地は正に魔技と呼ぶに相応しい物であったが、所詮は対人用の技術、鶴野の持つ無数の蟲の複眼には通用しない。

 

「残念だったな。このままその腹を裂いてや――」

 

 鶴野は勝ち誇り、醜悪な笑みを浮かべる。瞬間、その背に冷たい物が奔り、鶴野はその口を止めた。同時に、雁夜が浮かべたるは勝利を確信した凄絶なる笑みである。

 

 咄嗟に鶴野は動こうとして動けなかった。雁夜の腹に刺さった節足が、その腹筋に締め上げられてビクともしないのだ。雁夜の背なから腕にかけての筋肉がボコリと隆起する。

 宛らそれは引き絞られたボーガンの弦であった。

 

「鞍馬金剛流抜刀術・窮奇(きゅうき)

 

 雁夜は脇差しを掴むと同時に全身の力を解き放つ。体幹より生じた力が背なから腕、足へと流れ一刀が煌いた。鞘走って瞬く銀閃は、腹部の傷の影響など一切見せぬ神速の抜刀術。

 

 刃先は疎か腕の振り、否、その体捌きすら視認出来ぬ一斬は、しかし、一瞬の銀光だけを残して空を切る。否、正確には鶴野の胸部から出た節足のみを両断していた。

 緑色の体液を両断された節足の断面から撒き散らしながら、鶴野は空中へと退避する。

 

「カッ、今のは危なかった。危なかったぞ」

 

 雁夜は笑みを浮かべたまま、舌打ちを一つ。

 自切である。

 昆虫等の節足動物にしばしば見られる自衛機能。自らの脚を自ら切り捨て、切り離す事で敵の注意を引き、本体が捕食されるのを防ぐ反応だ。

 

 鶴野は咄嗟に、胸部の節足を自切し、壁へと突き刺していた背の節足を折り曲げる事で自らの身体を空中へと跳ね上げ、雁夜の一刀から間一髪逃れたのである。

 

「冷や汗掻かせやがってよォ。さァて、その腹の傷でどこまで凌げるか――」

 

 勝ち誇る鶴野の言葉の途中、衝撃と共に鶴野を空中へと固定させていた背の節足が千切れ飛び、跳び上がった影と鈍色の瞬きがその背後を取った。

 

「見てらんないわね。アンタ、私のマスターに何してくれてんのよ」

 

 今まで勝負を静観していた雁夜のサーヴァント、バーサーカーである。

 彼女はこれまで手を出す気は無かった。これは雁夜の私闘であり、言葉の節々からその只ならぬ因縁が見て取れたからだ。マスターが手を出すなと言うのなら、横槍を入れるべきではないと彼女は思っていた。

 

 しかし、そのマスターが危ないとなれば話は別だ。

 バーサーカーは雁夜を死なせる訳にはいかなかった。まだ聖杯戦争は始まってすらいないのだ。これ以上は彼の事情を斟酌している場合では無い。

 

「終わりよ。死になさい」

 

 バーサーカーの大鉈が翻り、鶴野の頭部へと振り下ろされる。

 不意を突かれ、全ての節足を失った鶴野にそれを回避する術は無い。

 死、が彼の頭を過ぎった瞬間、

 

「やめろッ、バーサーカー!!」

 

 雁夜の咆哮が蟲蔵へと響き渡った。

 サーヴァントとしてマスターの窮地を救った筈が返ってきたのは想像だにしなかった怒号である。吃驚(ビックリ)したバーサーカーが咄嗟に身を竦め、その動きが止まる。鶴野の頭を両断する筈だった大鉈は振り切られる事無く宙を彷徨い、その刃先の重さで彼女の体勢が崩れた。身体が流れ、落下する。

 

 鶴野が振り返る。その眼が合った瞬間、バーサーカーの背を怖気が駆け抜けた。一切の感情を映さぬ蟲の複眼が彼女を捉えていた。

 鶴野が口を開く。そこからずるりと蟷螂(カマキリ)の鎌に似た蟲の斧刃が滑り出た。鶴野が首を振る。それに併せて飛び出た大鎌が弧を描き、バーサーカーの首筋へと奔った。

 

「ッ、このッ!!」

 

 咄嗟にバーサーカーは大鉈を立ててその腹で大鎌を受けた。重い。刃から柄、腕と駆け抜けた衝撃が脳髄へと響く。奥歯を噛み締めて耐えるも、空中に在っては踏ん張る事も出来ず、小柄な彼女は弾き飛ばされ真っ逆さまに落下する。

 

 向かう先は石畳だ。

 叩き付けられる。反転して着地の体勢を取ろうとして、視界を流れる景色の速度から無理だと悟る。激痛への予感は、しかし、裏切られた。

 

 横合いから飛び出た巨大な影が間一髪でバーサーカーの身体を抱き留めたからだ。

 彼女は自らを抱く腕の岩の様な感触に驚き、暫し目をパチクリと瞬かせていた。

 

「おい、バーサーカー、大丈夫か!?」

 

 彼女が顔を上げると、目の前に心配そうに顔を覗き込む雁夜の顔があった。ザンバラ髪の間で不安気な瞳が揺れていた。

 バーサーカーはボッと赤ら顔を更に赤らめ、抱き留める雁夜の腕を振り払って叫ぶ。

 

「なッ、ア、アンタ、一体どういうつもりよ!? アンタが大声出さなきゃもうちょっとで――」

「ああ、悪かった。だけど、言った筈だ。俺がやると。下がっていてくれ。アレがああなったのは俺のせいなんだ。アイツがあんなモノに成り果てたのは俺のせいだ。だから、俺がやらなきゃあならない」

 

 雁夜はバーサーカーにそれ以上言わせなかった。彼は腕の中からバーサーカーを降ろすと、真剣な面持ちで空中に静止した鶴野へと向き直る。

 鶴野は正に空中に静止していた。

 

「な、何よ、アレ。一体どうなって――」

「糸だ。体内に寄生させた魔蟲の吐き出した糸を天井の梁や壁に付着させて浮いている。まさか、そこまで自在に体内の魔蟲を操れる様になっているとはな……」

 

 驚嘆の声を上げるバーサーカーに雁夜が言った。

 雁夜は努めて冷静を装う。しかし、驚嘆の念に包まれているのは彼も同じだ。

 雁夜の頬を冷汗が伝う。

 

 見えない。

 原理は雁夜の語った魔蟲の糸による物で間違いないが、鶴野から伸びている糸は薄暗い蟲蔵の闇に溶け込み、強化された雁夜の視力を以てすら全く視認出来なかった。

 

 雁夜は蟲の技について遥か鶴野の上を行っていると思っていた。才に劣り、魔術の修業を科される事も無かった鶴野に後れを取る訳が無い。そう自惚れていた。

 ひうん、ひうん、と何かが空を切る音がする。

 

 直後、飛来した何かが雁夜の横を抜け、背後の石壁を数メートルに渡って横に裂いた。余りにも鋭く、不可視の斬撃であった。謎の斬撃が掠めた雁夜の頬が横一文字に裂けて、ツーと血が頬を伝う。

 鶴野の笑い声が蟲蔵に木霊した。

 

「カ、カカッ、御名答。俺の体内に巣食う蜘蛛の糸だ。だが浮くだけが能じゃねェ。操蟲術・結界糸。さっきは危なかったからなァ。腕斬られたお返しだ。バラバラにしてやるよ」

 

 再び、ひうんひうんと糸が空を切る音がする。

 重なり合う無数の音は先程の比では無い。

 不意に雁夜の腕が裂けて鮮血が噴き出る。次いで肩、足と切り裂かれ、血風が舞う。立ち止まるのは拙いと判断し、距離を詰めようとした雁夜の胸が不意に裂け、彼はその足を止める。

 

 囲まれていた。

 既に雁夜の周囲に無数の糸が張り巡らされていた。

 それが踏み込んだ雁夜の胸板を切り裂いたのだ。その鋭さ、強靭さはピアノ線の比では無い。目に見えぬ程細く、剃刀よりも鋭い糸。下手に動けば(なます)に切り刻まれるだろう。

 

 体内に寄生させた魔蟲が生成した蜘蛛糸による斬撃の結界陣。以前、蟲蔵にて臓硯が用いた物とはまるで違う。これは間桐の魔術修業に明け暮れた逐電する以前の雁夜にも、遂に不可能だった技である。雁夜には分かる。否、彼にしか分からないだろう。

 

 力と引き換えに、鶴野は数え切れぬ程に多くを犠牲にした筈だ。

 雁夜は鶴野を見上げる。

 白くなった髪、内出血の痕がそこかしこに見られる青白い肌、白濁した目。

 身体は全身ボロボロで、代わりに無数の魔蟲が蠢く醜悪なる姿。

 ぞわり、と雁夜の背に冷たい物が奔った。

 

「さァて、行くぜ。操蟲奏・結界糸」

 

 鶴野が言うと同時に雁夜の太腿が裂けた。勢いよく噴き上がった筈の血は、しかし横へと流れた。同時に雁夜の身体が蟲蔵の壁へと向かって横に跳ね飛んでいるからだ。自らの意志では無い。恐るべき力で引き寄せられているのである。

 

 向かう先に待つのは石の壁、そして、張り巡らされた斬糸の渦。斬糸の只中へと突っ込んだ雁夜の全身から鮮血が迸り、その勢いのまま壁へと叩き付けられる。衝撃に砕けた石壁の破片が飛び散り粉塵が舞う。直後、その粉塵を裂いて顔を出した雁夜が今度は蟲蔵内を斜めに横切って、反対側の壁へと飛んだ。

 

 纏わり付いた糸に引かれ、雁夜は鶴野に振り回されるまま木の葉の様に宙を舞う。

 二度、三度と雁夜が壁へと叩き付けられ、空中に張り巡らされた糸と交差する度、蟲蔵には飛礫と血の雨が降り注ぐ。

 

「雁夜ッ!! この、いい加減に――」

 

 バーサーカーは叫ぶと近くの斬糸を掴む。

 力の限り握り締めた手が切れ、彼女の血が糸を伝って流れた。同時にベキィと音を立てて、その糸と繋がる石壁に亀裂が入る。彼女は鶴野を睨み付けると、遂に大鉈を手にして、

 

「やめろ、バーサーカー」

 

 頭上から制止の声が掛かった。

 再び背中から壁へと叩き付けられる直前、雁夜は空中で反転し、激突する筈だった壁を蹴って上へ跳ぶ。同時に脇差を抜き放ち、彼は空中に静止する鶴野へと斬りかかった。しかし、

 

「は、ははッ、残念だったなァ。届かねェよ」

 

 雁夜の一刀は魔蟲の糸に阻まれ止まり、逆に鶴野の腹を裂いて滑り出た蟲の鋏角が雁夜の身体を貫いていた。雁夜の胸へと深々と鋏角が突き刺さり、返り血の飛沫が鶴野の全身を赤く染める。

 その様は正に蜘蛛の巣に絡め捕られた獲物のそれだ。

 

「カカッ、ざまァねェなァ!! 雁夜、その程度かァ!?」

 

 鶴野は勝利を確信し、頬に着いた血を舐め取る。不意の反撃及びそれを凌いだ事で、彼の嗜虐心(しぎゃくしん)に火が付いた様であった。

 鶴野の両腕が空を掻く。それと同時にその指から四方に伸びた糸が空を切り、深々と刺さった鋏角によって空中へと磔にされている雁夜へと降り注ぐ。

 しかし、絶体絶命の状況を前に、雁夜の眼光に陰りは無い。

 

「まだだ……まだ、だ……」

 

 雁夜は呟きながら胸に刺さった蟲の鋏角を掴み、一息に圧し折った。

 

「が、ギャアアア!!」

 

 思わぬ反撃と激痛に、鶴野の体内に巣食う魔蟲が鋏角を振り回す。血で滑った刃が抜けると同時に雁夜は地面へと落下し、降り注いだ斬糸は雁夜を捉える事無く空を切る。

 真っ逆さまに落下した雁夜は、辛くも地面に激突する寸前体勢を立て直して着地する。しかし、失血の影響かその足がふらついた。ぐらりと傾いだ雁夜の身体を、後ろからバーサーカーが支えた。

 

「アンタ、一体何考えて――」

「ぐ、ぐうぅ、殺す!! バラバラにして――ぎ、ぐガ、ぐ、ギャアァアアア!!」

 

 鶴野がその身体を震わせて絶叫する。同時に彼の両断された節足が再生し、切断面を突き出て生えた新たなる節足の鉤爪が周囲の壁面を抉り取った。石壁がまるで粘土の様に千切れて落下する。

 鶴野の顔は苦痛に歪んでいた。

 

「ギ、ぐ、ぐうぅ、糞!! 痛ェ、痛ェよ、畜生……」

 

 鶴野の全身が顫動し、青白い肌が紫に変色し始める。度重なる魔力消費に刻印蟲が反応し、体内で暴れ回っているのだ。魔蟲に喰われた全身の血管が断裂し、内出血によって全身が変色しているのである。

 

「な、何が起こったの!?」

「限界が来たんだ。活性化した魔蟲に、身体が付いて行けなくなった」

 

 バーサーカーの問いに雁夜が応えた。

 苦痛に喘ぐ鶴野の姿は痛ましく、見るに堪えなかったが、それでも雁夜は目を逸らさなかった。目を背ける訳にはいかなかった。

 それは肉を捧げ、命を蝕まれ、それを代価に至る間桐の魔術師の姿だ。

 兄の姿は正に雁夜自身の姿だった。

 

 次第に顫動が止まり、鶴野は悍ましき笑みを浮かべる。その引き攣った顔に浮かぶのはこの世全てを呪う狂人の笑みだ。

 

「ぐ、がカ、カカッ、クカカッ、そうだ。私を見ろ、雁夜。どうしたァ? しっかりと私を見ろよ。この姿を見ろ!! 魔蟲に蝕まれ、人を辞めた醜悪なこの姿を見ろ。しっかりと目に焼き付け、自分の罪を確認しろ!! 自分のせいだと言ったなァ!? ああ、そうさ、お前のせいさ。私がこうなったのはお前のせいなんだよ、雁夜!!」

 

 鶴野は猶も狂気に憑かれ咆哮する。

 

「お前が逃げたから、お前がいなくなったから、俺が代わりにこうなったんだ!!

 挙句に折角見付かった身代わりまで連れ出しやがって!! そのせいで俺はこのザマだ!!  許さねェ!! 許される訳がねェ!! お前もあのガキもぶっ壊れなきゃいけねェンだよ!!」

 

 鶴野の言い分にバーサーカーが怒りを露わに叫ぶ。

 

「バ、バッカじゃないの!? 黙って聞いてれば、逃げなきゃコイツがそう成ってたって事じゃない!! 自分の代わりに生贄に成れだなんて、ふざけてんじゃ――」

 

 バーサーカーの言葉を雁夜は片手を上げて制する。

 雁夜は鶴野へと告げた。

 

「終わらせよう、鶴野。これ以上はアンタの身体が耐えられない」

 

 言うと同時に雁夜の肩の上で、もぞりと何かが動いた。

 蛭だ。

 血色の巨大な蛭。雁夜の操る魔蟲、蛭血蟲(てっけつちゅう)である。

 雁夜が呪文を唱えると同時に、子供の腕程もある巨大な魔蛭は(やすり)の様な歯を剥き、何と主である雁夜の首筋へと噛み付いた。ぎょっとした表情のバーサーカーとは裏腹に、雁夜の表情に揺らぎは無い。

 

 否、失血で青褪めていた雁夜の顔色が戻り、その全身に一層強く魔力が滾っているではないか。一方で蛭血蟲は見る間に小さく萎んでいく。

 

 これこそが雁夜の操る蛭血蟲の特性。

 自らの血と魔力を吸わせておき、有事の際にこれを回収する。その悍ましき姿とは裏腹に、主の為に命を投げ出す献身の魔蟲である。

 

 同時に雁夜の体内の吸孔蟲が変質する。彼の全身に浮かび上がった刻印蟲の経絡が一層激しく隆起し、その経絡に沿って一筋の紫電が奔った。同時に、雁夜の額に切れ目が入る。開かれたそこから覗いたのは眼だ。

 鶴野同様、魔蟲の複眼がそこにあった。

 

「あ、アンタ、それ……」

 

 バーサーカーが驚愕の声を上げた。

 悍ましきその姿は、正に眼前の鶴野と同種の物だ。

 雁夜と鶴野。

 間桐に生まれ、その身に魔蟲を宿した兄弟は暫し互いに睨み合い、

 

「ク、カカッ、やっと本性現しやがったかァ、雁夜」

「ああ、出し惜しみして悪かったな。本気で行くぞ、鶴野」

 

 眼前の敵を殲滅せんと、その武威を解放する。

 

 


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