東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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神の細道―行

 目が覚める。

 

「……むう」

 

 ぴーちくぱーちくと鳴く鳥の声を耳元に、葉々の間から刺す陽光の眩しさにまぶたを押さえて呻く。そうやってしばらくぼうっとする間に、少しずつ、眠っていた身体に血が巡り、ぼやけていた思考が形を取り始める。

 

「朝、か……」

 

 寝転がったまま、凝り固まった腕や脚をほぐすように伸びをして、欠伸を一つ。

 酸素不足の脳ではあるが、一応は回っているといって状態で――

 

――さて、行きますか……。

 

 湧き出た涙にまぶたをこすり、枕にしていた荷物を背負い直してから――一息に枝の下へと飛び降りた。

 数秒の浮遊感の後、脚にかかる軽い衝撃を感じながら着地する。

 周りに広がるのは、朝靄に包まれた白く煙る木々の姿。

 

――獣の気配もなし……か。今のうちにさっさと森を抜けとくかねぇ。

 

 のんびりとそんなことを考えて、また欠伸を一つ。

 多少、思考はぼんやりとはしているが、歩いているうちにしゃんとはするだろう。

 そういうことと楽観し―― 

 

「――と、その前に」

 

 進みかけた足を止め、後ろを振り向いた。

 そこにあるのは、昨夜の寝床。

 

「お世話になりました」

 

 そびえ立つ樹木。

 長大な年月をかけて成長した、古代からずっとそこに居続けたであろう老翁に礼を一つ。

 それから、ゆっくり歩き出す。

 今日はいい天気だ。

 なにかいいことでもありそうだ。

 

 ゆるりと、そんなことを考える。

 

 

 

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「ふーむ」

 

 どうしたことだろう。

 神殿に訪れる人々を見下ろしながら考える。

 

 本殿の前へと立ち、祈りの言葉を呟く人々は、様々な供物を差し出し、色々な願いを口にしては、何か満足したような表情で去っていく。

 そこから伝わるのは様々な形の想い。

 

 豊作祈願、一族繁栄、戦勝祈願。

 そのために、神を崇め、祈り、供物を差し出す。

 その信仰によって神々は力を得て、人々にその恩恵を与える。

 そういう循環、持ちつ持たれつの関係。

 それが神と人との関係である。

 

 自らが統制するミシャクジも、元来の性質は『祟り神』としての力の印象が強い。

 それは自らを蔑ろにするものに対して神罰を下す恐怖からなる力であり、どちらかといえば、負の方向へと向かうはずの力だろう。けれど、それを治めるために行われる祈り、力に対する畏敬や畏怖、加護の求め……信仰によって、そんな荒神の力を逆に鎮守の力へと変換し、一種の守神(まもりがみ)へとその姿を変動させる。

 

――毒を薬へ、脅威を力持つ味方へと……。

 

 信仰を得る事によって己等は力を得て、信仰することによって、人々はその力が自らに向かないようにする。打算込み……利を得るための意志を踏まえた上で、神々に感謝するのだ。

 神が繁栄する限り、自らに安寧は約束される。人々に確かな加護を与える限り、信仰は約束される。

 

 互いに、己のためであり相手のためである。そこに疑いはない。

 自らも、そのような信仰が広まっていくうちに――広められていくうちに、様々な土着の神々を取り込みながら、今ほどの大所帯へとなった。そして、いつの間にやら、“土着神の頂点”ともいえるような地位までの力を持つ存在へと昇華し、この国有数の勢力を持つまでへと至った。

 それを表す証拠が、この社に訪れる人間の数――参拝者の数である。

 

 けれど――

 

「何か、あったのかな……?」

 

 現在――日に日に参拝者の数が減っている。

 正確にいえば、ある地域を境として、それより遠方からの参拝者が減少していっているのだ。何かの線でもあるようにばっさりと数が減っている。

 そして、その境とは――

 

――中央の辺り……大和とかいったかな。

 

 大陸の力を取り込み、急速に膨らんだ、この島の中央辺りに位置する国。

 新たな力と技術を持った政権――外来の力によって支配を拡大している場所。

 

「……むう」

 

 何か不穏なものを感じる状況に、中央に近い分社や訪れる旅人などから情報を集めてみようかと思案する。それが巡礼路――道の断線や道中における事件などが原因によるものならば、そちらに人を送るか、それか自分自身が訪れるのもいいだろう。

 それも、神の威光を示す良い機会となる。

 離れてしまった信者も上手く取り込めるかもしれない。

 

「――ん?」

 

 そんな思案を重ねているところに訪れる旅装の集団。

 この時流、多少の加護は与えられている信仰者といえど、それなりの危険が降りかかることもある。そのため、ある程度の人数をもって、集団で巡礼の旅に出るというのはよくあることだ。ほとんどの人間は一団となって神殿へと訪れることとなる――のだが、微妙に、そこから外れている者が見えた。

 

――あれは……。

 

 人間の男。

 格好自体は普通の参拝者とほとんど変わらない、一般庶民が身にまとうような旅衣装である。長旅を経たのか、他より少々襤褸になっている様子だが、路銀が少なく貧乏旅を続けているといった者ならば、それも仕方がないといえよう。

 けれど、その姿が、なぜか目にとまった。

 

「…………?」

 

 微かな違和感。

 多くの神々を治める自分だからこそ感じる、“何かありそうな感じ”という予感めいたもの。

 はっきりした根拠はないが、変なものがいる、という感覚がする。

 

――一人、かな。

 

 よほどの物好きでもなければ、一人旅などしない時代。

 いたって軽装の様子で、多少長身ではあるが、見るだけで脅しがきくような体格の良さも、睨みのきくような凄みも持ち合わせてはいない。何か隠し玉でもある様子も無く。一応、一団の中に紛れているはいるが、それらの関係者というわけではなさそうである。

 しかし、怪しまれぬように、わざと(・・・)その中に身を潜めているのだとすれば――という可能性もある。

 見た目にわからぬ部分で、私はその男を怪しいと感じているのだから。

 

――試してみようか。

 

 物は試し。

 外れていたら外れていた。

 そんな楽観的な感覚で――

 

「――――」

 

 小さく呟く言葉は、ある種の祟りのほんの一部分。

微かな不快感――小さな不運、その程度の“(ばち)”が当たる程度に調整された力の顕現。

 

 さして、人に影響を与えるものではない。

 

 

 そう。

 普通(・・)の人間では気づくはずがないのだ。

 

 それがわかるのなら、相手は只人ではないということ。

 何かしらの力を持った、人間に近い何かであるということである。

 

「さて……」

 

 

 どんな些細な反応も見逃すまいと、じっとその様子を見守る。

 

 妙な動き、僅かな戸惑い、意識の乱れ――ほんのわずかにでもそこに表れるものがあれば、私は見逃さない。文字通り、神算鬼謀が蠢く世界を生き抜いてきたのだ。

 

 その程度の眼力は持ち合わせている。

 

――気づけば黒、何もなければ白……。

 

 視線の先にいる男。

 

 その様子には、何の乱れもない。周りと同じように行動し、似たような順路を辿って神殿を巡る。

 どこにも、おかしなところはない。むしろ、当たり前すぎるほどに平常だ。

 

 最初に感じていた違和感も、ただの勘違いではないかと思ってしまうほどに、男は、何の怪しみも感じさせない動きで、本殿への参拝へと向かっている。

 

 これは――

 

「――気のせい、だったかな?」

 

 やはり、外れだったのだろうか。

 

 もし、あれが中央からの探りか何かだったのだとすれば、今の状況を少しはつかむことにもできただろうに――と、そんな肩透かしにがっくりと肩を落としてしまう。

 

――いや……まあ、でも旅人なんだし。

 

 何処から来たのかはわからないが、適当に誰かを使って話を聞き、国外の状況を知っておくのもいいかもしれない。

 最近は、身近なところにばかり構っていて、ただでさえ情報が少ないのだ。

 どんなものでも、少しは足しになるだろう。多少の期待があった分残念だが、それは仕方がない。

 そう前向きに考えて、視線を再び男に向ける。

 

 現在それが居るのは、鳥居をくぐってすぐといったところ。そのまま真っ直ぐ行けば本殿の方にたどり着くだろう。

 

 そこに誰かをやっておけばいい。

 

――さて、誰が近くに……。

 

 そう考えた。

 そこまで考えたところに――

 

「……あ」

 

 

 ぽつりと洩れた声。

 

 

 

 

 

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――蛇か。

 

 

 目の前をにょろにょろと這いずりながら進む姿を眺める。

 白い蛇――俗にいう神の使いというものだろう。

 優雅にその首を持ち上げて、よどみなく道を進んでいく姿。

 すれ違う人々が気にしていない様子を見ると、どうやら自分にしか見えていないらしい。

 

「――案内役って感じかね」

 

 時折、こちらを振り向きながら先導する白蛇。

 多分、先程の一件が関係しているのだろう。

 

――まったく……。

 

 微かに感じた悪意――嫌な感覚がして、思わずそちらを振り向きそうになったが、それはどうにか誤魔化した。

 そういうものが、力を持つ者が良くやる実力試しだと知っていたからだ。

 随分前、それで酷い目にもあっている。警戒するべきものだと知っている。

 

 だから、辺りを見ている振りをして、何気なく辺りを見回した。

 すると――そこに犯人らしき影。

 随分と目立つ位置にて辺りを見回す女性が一人――神々しい、随分と恐ろしげな力を発する女神が一柱。

 

 多分、この神殿の主として祭られている存在であるもの。

 

「はあ……」

 

 自分の迂闊さにため息が出る。

 

――運のない……。

 

 そう。本当に不運であった。

 あんなことで演技がばれてしまうとは思わなかった。

 

「……ったく」

 

 ついつい、やってしまったのだ。

 勝手に体――口が動いてしまったのだから仕方がないとはいえ、やはり、己の失敗であろう。

 年寄りに染み付いた癖、長年の行動で刻み込まれてしまった感覚、慣れすぎて当たり前になってしまったこと、それで失敗してしまってはどうしようもないだろう。

 

――情けない……。

 

 まったく年はとりたくないものである。

 ついつい――挨拶(・・)を返してしまった。

 誰にも見えていないはずの鳥居辺りで並んでいた蛇の群れに向かって、ついつい会釈を返してしまったのだ。

 

――しかも、わざわざ相手は見えにくいように隠行までしていたというのに……。

 

 関係者以外には見えないはずの姿。

 力を循環させ、神殿全体を加護で覆うための係りのものだったのだろう。

 ついでに、参拝者の護衛なども担っていたのかもしれない。

 

「しかし……まあ、礼には礼を返すのが礼儀というものだ」

 

 あんなに丁寧に頭を下げられては、こちらも返さずにはいられない。

 「ありがとう」や「こんにちは」なしに世の中は渡ってはいけないのだ。ちゃんとした挨拶や感謝を表してこそ、縁は繋がっていくというもの。

 そういうことを口煩く近所の子供たちに教えてきた自分がそれを破るわけにはいかない。

 だから、仕方がないのだ。

 

――まあ、その場その場で臨機応変にとも教えてたが……。

 

 それはそれ。

 この場は前者を言い訳にして己を慰めておこう。

 精神的な健康さというのは、どんな歳となっても大切なものなのだ。

 

「しかし……」

 

 それでも、やはり鈍っているとはいえるのだろう。

 肉体的にも、精神的にも――随分と隙が多くなっている。

 

―――そういえば、ここ数十年はまともに力も使ってないな……。

 

 いくつか小競り合いこそあったが、自らの能力を最大限に使わなければならない事態までには陥っていない。あまり荒事は受け付けたくはないという本音はあるが、やはり、肝心なときにそれが扱えなければ意味がないだろう。

 何かあって後悔してからでは遅い。

 少しくらいは勘を取り戻すための訓練か。将来の安寧のための準備をしておいた方がいいかもしれない。

 

――面倒だが、仕方がないか。

 

 命からがらも逃げ出せぬというのはあんまりである。

 どうにか空かし宥めて、相手を誤魔化せる分だけの力はもっておくべきである。

 己が身の安全のために。

 

「ふむ」

 

 そんなことを考えている間に、どうやら目的地についたようである。

 白蛇はこちらへ振り向いて一礼すると、すうっと消えていった。

 

 目の前にあるのは、本殿の奥に存在する建物の扉、関係者以外立ち入り禁止だろう場所。

 見るからに高級感漂う調度の仕立てに、どうにも気が進まなくなる。

 

――ああ、やっぱりお偉いさんか。

 

 自分の目のつけられた相手を確信して、また嘆息。

 面倒なことになりそうな予感に、頭を抱えて首を振る。

 

 それでも、進むしかないのだ。

 

「――まあ、一応用事はあったんだ」

 

 それがいささか直接的に繋がることとなったというだけ。

 ある意味では都合よく伝言しにいけるということ。

 

――そういうことにしておこう。

 

 わずかに後ろを振り返り、溜息ながらに頷いた。

 あとは、覚悟を決めて扉の向こうへ。

 

 

 相変わらず、今日はいい天気である。

 

 

――

 

 

 

「このような下賤の者に何か御用でしょうか――神殿の主よ」

 

 扉を潜った先にいた巫女さんに案内され、辿りついたのは屋敷の奥深く。

 真新しい、清潔な板張りの間。

 

「なに、少し話でもと思ってね。そう硬くなるでないよ――変わり種の人間よ」

 

 眼前に現れたのは、優雅な笑みを浮かべ、慈しむような笑みを浮かべる女性。

 稲穂のような明るい髪を揺らし、堂々とした姿をもってこちらを迎えてくれる笑み。

 その少し小柄にもみえる姿からは、考えられない以上の圧力が放たれている。

 

――なるほど、これが今世の神の頂点……ミシャクジの統制者、か。

 

 土に根付き、土地を守り、畏れられ敬われる神。

 自然から生まれたその力は、風雨を操り、地に命を巡らせるもの。

 それだけ、自らの力のみだけにおいても十分に力をもった存在といえるだろう、

 そして、それに加えての、神殿から見下ろして見えたのは無数の参拝者の列。途切れることのないほどに続く人の列は、それだけで神の力となり、その加護の大きさと力の強さを表す。

 天地創造の神々、流石にそれには及ばないまでも、それに近い力を有する女性神。

 この国有数の、もしかしたら、現在における十本の指にも入るかもしれない存在。 

 

 そう、あの兎さんには聞いている。

 

「そう仰られましても、こちらはただの凡庸な人間。ただ、長生きしてきただけの人間です」

 神のお言葉を拝聴するなど、恐れ多いことですと、必要以上に畏まった礼を返す。

 

 あまり目をつけられたくはない。

 その姿を目の前にして、余計にそう思うのだ。

 これほどの神ならば、広くにまたがって、いくらでも分社をもっている。そして、その手下となるものも縁深いものたちも数多い。そんなものに、少しでも悪意をもたれれば、この国どころか、大陸にでも渡って逃げ出さねばどうにもならなくなるほど追い詰められることとなるだろう。

 まだまだ、この国には愛着を感じているのだ。のんびりとした旅にしておきたい。

 

「へええ、それほど歳を重ねているようには思えないが」

「若作りでして――年相応に見られず、苦労しております」

 

 こちらを探るように目を細め、笑みを深くする神様。

 にっこりと笑みを浮かべて返すこちら。

 見た目は和やかに――裏ではずんぐりねっとりと。

 あまり心地よいやり取りではない。そういうものになれているだろう相手に、嘘ではないが、本当のところを煙に巻く作業。

 面倒くさく、有難くなく、ただただ苦しく面倒だ。

 

 けれど――

 

「本当に、何の面白みもない人間ですよ」

 状況が状況。

 手段を選んではいられない。

 

――いや……最近はこんなやりとりばかりの気もするが。

 

 これは知り合う相手が相手だからか、それとも己が呼び込んでいるだけの自業自得なのか――案外両方な気がしないでもない。

 

――まあ、憎まれ子世にはばかるともいう。

 

 つまりは、長生きすれば、ある程度性格も悪くなるということだ。多少、性悪になっていくのも長く生きいている証拠であり、生きる上では仕方がない。若者に意地の悪い迷惑をかけるのが年寄りというものである。

 つまりは、どうのしようもないということ。

 そういうことにしておこう。その方が誰も傷つかない。

 

「そう。そのわりには、見えないものまで見える性質のようだね。 ――それに、先の力にも気づいていたのだろう?」

 そんな胡乱なことを考えているところに姿に似合わぬ低い声。

 笑いと共に投げられる言葉。

 

――むう……。

 

 やはり、あの時感じた悪寒は本物であったらしい。簡単な呪いか何かだったのだろうか。

 それほどの強いものとも感じなかったが、その後すぐに訪れた不幸な巡り合せ……やはり、影響はあったということだろう。上手く罠を抜けたと安心したら、そこらにあった小石に躓き転んでしまったと、どうにも間抜けな話であるが。

 

「根が臆病なもので。ついつい、色んなものに過敏に反応してしまうんですよ」

 つらつらと、口は思いつくままに語る。

 嘘ではないが、全てが真実とは言い難い事実を。

 

「ほう、それはまた難儀なことだね。それじゃ、気の抜く暇もないだろう」

「いやいや、まったくその通り。随分と苦労しています」

 

 同情するような声。

 けれど、その瞳は細く絞られたまま――

 

「――しかし、そうなると可笑しな話だ」

 

 次弾を放つ。

 薄く浮かぶ笑みはまるで滑稽なものでも眺めているように。

 

「そんな者が、わざわざ恐ろしきミシャクジの縁故の者達と挨拶を交わすなどと、ねぇ」

 

 こちらを見通してしまおうと、真っ直ぐに射抜く。

 為政者として――神を束ねる者の眼力を持って、その威光を見せつける。

 さっさと吐いてしまえと。

 

「…………」

 

 ――こりゃあ……。

 

 ごまかしきれるものではない。

 怪しきは罰する。疑いあれば逃がさない。

 その瞳はそれを語っている――語らなければ、悪いことが起きると言っている。

 もはや、逃げ切れはしない。

 

――はあ……。

 

 力を抜いて息を吐く。

 こうなれば、もう開き直るしかない。

 四方山語り、洗い浚いを話し――無駄な時間を過ごしたと、納得してもらうしかない。

 そうでもしなければ、もはや疑いは晴れはしないだろう。

 しかし、だからこそ、そのために。

 

「まったく、本当に臆病なだけなんですがねぇ……」

 

 正座と保っていた脚を崩し、力を抜いてゆるりとした姿勢をとった

 腹を割る、隠し事はなし。何でもかんでも話してやろう、そういう格好に落ち着けて――神さまの目を見返す。

 そして――

 

「本当に――さっきから、ずっとこちらを見ている皆さんの視線が、怖くて怖くて……落ち着いて話もできないってだけなんですよ」

 それがどうにもかた苦しくてね、と。

 そう手札を切った。

 

「……ほう」

 

 切り返した言葉に、辺りへと漂っていた気配がはっきりと敵意を含んだものへと変わる。

 警戒すべき対象から注意すべき敵へと、印象が塗り替えられる。

 具現するのは、辺りを囲う蛇の群れ。

 

「そうか。やはり、気づいていたか」

 

 言葉と共に――身体に巻き付いていくどろりとした力。

 目に見えぬ力が、威すように身体を拘束していく。

 

「――なら単刀直入に聞こう」

 

 ちろちろと、思い浮かべるのは蛇の舌。

 眼光鋭くこちらを見据える目と大きく口を開けて迫る牙。

 

「何用があってここを訪れた――力ある人間よ」

 

 ご託宣と放たれる問いの言。

 偽り許さぬ最後通牒。

 

――蛇、ね。

 

 纏わりつく圧力は、見目麗しい姿からは考えられないほどに強く――忌むべき畏れを含むもの。下手な動きをすれば、一瞬で握りつぶされる、そんな感覚。

 そんな、命を握られる感覚を味わいながら

 

「――ただの行き掛けの観光ですよ。なかなか良い社ですからね」

 

 正直に、言葉を返した。

 

――別に隠すようなことでもない。

 

 当初の目的は本当にそれだけ。

 嘘偽りのない真実。

 ただ――

 

「……」

  

 鋭い目がこちらを見据えている

 こちらの内を探り、真贋を見極める神の眼。

 数秒ほどの、沈黙。

 

「……嘘じゃない、が、それが全てでもないといったところか」

「そりゃね。一つや二つ、相手が神様といえども隠したいこともありますし――」

 

 それが人間というものでしょう、とその沈黙を破る言葉に、軽い調子で返す。

 無礼だと眉を顰められても仕方がない態度。

 けれどそれは、相手の度量を信用してのこと。

 

「――こっちに悪意がないってのは、簡単に見抜いているんでしょう、諏訪の神さまよ」

「それを自分でいうのか。わけのわからぬ人間めが――」

 

 また数瞬、視線をぶつけ合った。

 互いに睨み、互いに笑い――ふっと、力が抜いた。

 

「まあ、そりゃそうだけどね」

 隠し事は誰だって持ってるものさ。

 

 そう小さく呟いて、笑みを戻す。

 発していた力を、すっと引っ込めて、一拍、軽く手を打った。

 

「みんな、この者から悪いものは感じられない。下がっていいよ」

 ご苦労さん。

 

 それと同時に、こちらを取り巻いていた圧迫感が消えた。

 部屋全体へとかけられたその言葉に、少々の戸惑いを見せながらも、向けられていた殺気が消えて、部屋の周りからも何かが蠢く気配がした。

 それら全て少しずつ離れていくのがわかり、胸につかえた緊張感も薄まっていく。

 

 そして、それが完全に離れると同時に――

 

「……ふう」

 

 その気配が完全に消えるのを確認して、今まで張っていた糸切るように、一息ついた。

 固まった肩をほぐすように、とんとんと肩に手をやりながら、やっと面倒くさいことが終わったと、だらしなく脚を放り出す。

 

「――まったく、堅苦しいったらない」

 

 はあ、ともう一つ大きく息をつき、両手を伸ばして伸びをする。「んぅぅ」と小さく呻きながら、その体の凝り固まった部分を吐き出すように。

 

「ああ、肩が凝る」

 

 そう呟いて、姿勢を崩す。

 そして――

 

「きみも楽にしていいよ」

「はあ……」

 

 

 神さまはそう言い放った。 

 

 どうして、自分が出会う相手はどうしてこう癖が強いのだろう。

 先程まで感じられていた威厳などは完全に吹き飛び、見る影もない姿を目の当たりにして、少々そんなことを考えてしまったが、もはや諦めたほうがいいのかもしれない、と小さく息を吐いた。

 

 もしかしたら、こういう溜息が原因なのかもしれない。

 幸せが逃げるとは、よくいうものだから。

 

 

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「驚かないね?」

 

 微妙に反応が薄いのが気になった。

 あそこまで舞台を整えて置いての急転直下。本当なら、もう少し驚いて、言葉を失い、呆然としていたとしてもおかしくはないというのに。

 男は、何だか妙な表情で、「はあ……」と深く息をついただけ。

 どうにも反応が鈍い。

 

――やっぱり、可笑しな人間のようだね。

 

 もしかしたら、こういう展開には慣れているのだろうか。

 だとすれば――随分と、幸が薄い人生を歩んでいるようである。いや、見ていれば、あまり運が良さそうではないのがわかるといえばわかるのだが。

 

「――そりゃ、参拝客を放っておいて鳥居の上に座ってる神さまが仕事熱心だと思うほど、お人よしを気取っっりゃいませんよ。 ――あれはサボりでしょう?」

「違う違う、さぼっちゃいないよ。あれくらいなら下位の連中でも十分だって判断しただけ」

 どうせ私の力は信仰者には伝わるんだからさ、と誤魔化すように微笑んだ。

 

 先程までのものと違い、もっと軽く――お客様向けのものではない笑み。

 演じない素のままの自分の顔。

 

 それを不思議そうに眺めて、男は言う。

 

「いいんですか。そんな簡単に信用しても」

「多分いいでしょ。 ――あんたには悪意どころか……何かをしようっていう気概そのものが感じられない」

「失礼な……一応、目的はあってこっちにきてんですよ」

 

 憮然とする男に「ごめんごめん」と謝っては見るが、そのすぐ後に「まあ、やるきがないのは本当ですが」と自身で漏らし、思わず笑ってしまう。

 どうにも、掴めない。

 

「妙な男ねぇ。本当に人間?」

「人間ですよ。ちょっと長生きしてるだけの、至った普通の人間です」

 

 微妙にずれた返し。

 その辺りも妙な感じである。

 何かが化けているのではないかとも思えるのだが、その気配自体は、ただ当たり前の人間と大して変わりない感じなのだ。僅かにだけ変な感覚はすれど、多く外れているようには感じない。

 

――わけがわからない。

 

 そんな印象に落ち着いてしまう。

 長く生きたこの私が、見たこともない――見たことがあるものから、少しずつずれている人間だ。随分と、珍しくて面白い。

 もしかしたら、何か危険なものを含んでいるのかもしれないが――

 

――まあ、何かあったらあった。

 

 もし、何かがあったとしても、男にはそこまで警戒すべきだという力は感じない。精々、軽い面倒事になる程度。暇つぶしと腕鳴らしには調度良く扱えるほどである。

 

 ならば、放っておいても別にいいだろう。

 それよりも。

 

「長く生きてって、どれくらいだい?」

「さて……どれくらいでしょうかねぇ」

 自分でも忘れてしまったくらいです。

 

 そんなことを語る男の戯言に耳を傾けて、今を愉しむ。

 折角皆の目が外れているのだ。

 今のうちに遊んでおかなければ損というものだ。

 

――情報収集も兼ねてるってことで……。

 

 

 そう言い訳して、耳を傾ける。

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

 

 そんな気まぐれのはずだった。

 けれど、話は思っていた以上に弾んでいる。

 

 この怪しげな男は、こちらの欲しい最新の知らせ自体は持っていなかったが、それ以上に、最古のことを知っていた。

 互いに知った、体験している様々な事柄をからめながら、数百年、数千年と、そんな単位の会話を繰り広げられるのだ。

 

――まさかまさか、だよ……人間とこんな話が出来るなんて。

 

 そんなこと、考えてもいなかった。

 

 自分がまだ小さな神だったころのこと。信仰を得る前、生まれる前のことまでも、この男は語っている。

 天地創造、大陸の分断、はるか昔に生きていた人々。

 神秘である私が、神秘に魅せられるほどの、御伽噺を――無造作に語る。

 

――本当に、どっかのお偉いさん(同業者)がばけてるんじゃないだろうね。

 

 嘘か真かも妖しいはずの話。

 けれど、なんとなく信じてしまうような、私の知っている事実と照らし合わせても、いくつかは事実だと証明できるものが混ざっている。多少脚色こそあれど、それは私が知っている真実の歴史であり、誰も知らない葬られたはずのものまで混ざる。

 現実感溢れる神話集。

 

「いやいや、面白いね。あんたは」

 どうやってそんな話を仕入れたのか。

 

 太古の神々の滑稽譚。男の旅向きの珍道中。

 不可思議に巡る不思議な語り。

 

 たかが人間が知れるはずのないこと。

 それを――

 

「まあ、長生きですから」

 

 男はその一言で片付ける。

 ただの老人の昔話と言い切ってしまう。

 

「なぜか変なことによく巻き込まれることも多いですしね」

 身の上話も増えますよ、と男はそういって笑う。

 

 可笑しく笑う。

 

「……」

 

 間違っている。

 そう思った。

 もし、男が語ったことが事実ならば、それはそれだけ長く男が生きているということ――人が人のままに負うに長すぎる時間を生きているということだ。

 そんなものをごく普通の人間が受け止められるはずがない。話半分に聞くにせよ、その半分が本当なだけで、男はこの世にあるはずの存在になってしまうのだ。神でさえ理解できない。いや、神ですら体験できない時間を男はずっと歩んでいるということにある。

 

 そんなことを、信じられるはずがない。

 

――だけど……。

 

 それが本当だとすれば、ある意味でしっくりくるのだ。

 この男のおかしさ、妙な雰囲気、未知と感じてしまう部分――それが、本当に今まで見たことも聞いたこともないようなものなのだとすれば、説明がつく。

 これは、人間もどき――人間に極めて近い何か、そう考えれば納得がいくのだ。

 

――多少むりやりだけど。

 

 印象とすれば、そのようなもの。

 平凡な人間の殻に妙なものが思い切り詰まっている。

 

 そんなびっくりどっきりな人間。

 

「っくくく……」

 

 そこまで考えたところで笑って噴出しそうになってしまう。

 それは本当に人間なのかと疑問に感じ、あまりにも溢れる意味不明感に呆れてしまうのだ。底なしというより底抜けで深く考えてしまえば肩透かしを食らう。

 

 つまり、真剣に考えずに付き合った方がいい。

 それだけでも、十分愉しめる。

 

「――どうかしましたか?」

 

 突然噴出した私に、訝しげに首を傾げる男。

 どこまでも緩く、軽く、抜けた感じのする表情。

 

――まあ、害はないだろうし……。

 

 どうとでもなるだろう。

 そう考えて――

 

「――いやいや、楽しませてもらったよ」

 

 そう返した。

 

「それはよかった」と男は笑む。

 

――そう悪い気質でもない。

 

 一刻、二刻と流れた時間。

 意義のない有意義な時間。

 

 随分と、愉しませてもらったのだ。

 

「こんなに笑ったのは久しぶりだよ」

 

 本当に―――何百年ぶりだろう。

 これだけ気を抜いて笑うのは、なかなか珍しい、

 

「ありがとう」

 楽しい時間だった

 

 そう告げた。

 男は「勿体無いお言葉です」と大仰に頭を下げて、冗談っぽく笑う。

 

 とても神と人間とのやり取りとは思えない。

 けれど、悪くないと思った。

 

 たまには、こんなことがあってもいい。

 

「――さて、では、そろそろ」

 

 そういって身支度を整える男。

 確かに、結構な時間が流れてしまった。

 

 そろそろ出立するということらしい。

 

 もし必要ならと寝床を用意するかと尋ねたが、それは丁寧に断られた。

 まだそれなりに日は高いので次の宿場まで足を伸ばしておくらしい。随分と急なものにも感じるが、引き止める理由があるわけでもない。元々、こちらが勝手に呼び出しただけ。そこまで引き止めるのは悪いというものだろう。

 

――ちょっと残念かな。

 

 そうも思うが、まあ仕方がない。

 楽しい時間を過ごせたと満足しておく事にしよう。

 

 しかし、そういえば――

 

「そういえば、用事があったんじゃ?」

 男が語らなかった方の理由。

 ここを訪れた目的は果たしたのか、という疑問が浮かんだ。

 

 それに対して、男は荷物を肩に担ぎ直しながら、困ったように眉を顰める。

 そして――

 

「一応、ね。まあ、これ以上は手に余るってことで」

 こんなもんでしょう、とそっぽを向いた。

 微妙に何か誤魔化しているような感じだが、まあいいだろう。

 きっと、話したくないことなのだ。

 そこまで掘り返すこともない。

 

「そうか」

 

 一言呟いて、立ち上がる。

 目線は男の方が少し高い位置。

 

 それを合わせて――

 

「では、またいつか――息災でな」

 神としての姿での言葉に。

 

「ありがたきお言葉。光栄の極みです」

 人として返す言葉。

 

 一瞬の沈黙の後に、顔を見合わせて笑いあった。

 

「じゃあ、また来てね。――今度の馬鹿話も楽しみにしてるよ」

「こちらこそ、お元気で、ね」

 

 軽口を叩き合うようにして別れを告げた。

 

 

 久しぶりに得た

 友人に。

 

 

 

 そして

 

 

 

 その、ほんの半時ほど後。

 

 扉を叩く音がした。

 

「どうした?」

 そこにいたのは、ひどく憔悴した配下のもの。

 

「い、一大事です」

 その上ずり焦りに染まった声を聞ききった後、深く息をついて立ち上がる。

 眺めるのは、

 

「――そういうことか」

 

 

 男を呼んだ最初の理由。

 それは、随分と差し迫った問題であったらしい。

 

 

 

 

 空を見れば、風がひどく荒れていた。

 どうやら、嵐が迫っているようである。

 

 

________________________________________

 

 

 

 

 

 ここに来た目的。

 訪れた理由。

 

 一つの頼みごと。

 

 いくら力が強かろうと

 いくら信仰を得ようとも

 いくら時を経て

 いくら年を重ねようとも

 

 独りでは足りないものもある。

 

 使い分けられるからこそ

 器用だからこそ

 

 空いた隙間は大きくなって

 生まれた歪みは広がって

 

 埋まらなくなる。

 

 親しみ深い

 気安い

 人に愛される

 

 そんな感情を見せる神だからこそ

 感情をもってしまった神だからこそ

 休める場所も必要なのだ。

 

 

 あの翁はそれを心配していた。

 

 

 

 




 蛙となる前
 ただ一柱の神、独りとしての―― 
 
 な話です。
 ある程度は自己解釈とぼかし入りですが。
 

 読了ありがとうございました。

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