東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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眠る居場所 寝

 

「なあ、法師さん―――あの行列は、妖怪退治のためのものだな」

 

そんな絶望的な状況の中、問われた声は落ち着いていた。

まるで、この獣の群れを気にしていないような――これだけの妖怪の群れに何の恐れもいだいていないような。

 

「なら――当然、戦争しにきたんだろう」

 

 続いて呟かれた声も、落ち着いたものだった。

 けれど、その言葉端には、なぜだか少し棘があるように感じられた。

 まるで、私達(にんげん)が悪いといっているような、微かな棘。

 

――なんだ……?

 

 男の様子に妙なものがある。

 こんな状況であるというのに、全く別のことを考えているような――

 

「――――!」

「…………!?」

 

 獣が発した声に身が竦んだ。

 余計なことを考えている暇はない。

 

-―杖は置いてきてしまったか……。

 

 それがあれば牽制にも役立てただろう。得物を置いてきたしまったことを悔いながら、懐からあるだけの札を取り出し、指に構えた。

 それでも、退くわけにはいかないのだ

 

「――村の皆に逃げろと伝えてくれ」

 

 ここは私が抑える。命に代えても、守り通す。

 そんな死を覚悟した想い。

 

 先ほど、確かめ直した想い。

 

――私は、守る。

 

 堅く決意を持って、立ち向かう。

 己の役目を果たすため、己の姿を恥じぬため――心に決めた。

 もはや、迷いはない。

 

 そう考えていた。

 

 けれど―― 

 

「――逃げてもいいんじゃないですか?」

 

 その決意に罅を入れるように、男が呟いた。

 

「な、なにを…」

 

 こんなときに、と続けようとした言葉は、男の言葉によって遮られる。

 背中をこちらに向けて、平坦な声が響く。

 

「どうせ勝手にやってきたのなら、別に逃げてもいい。――今は、誰も見てませんしね」

 また、旅人に戻るのも悪くない。

 

 そんな誘い。

 どうせ、自分勝手にやってきたことなら、自分勝手(・・・・)にやめてしまえばいい。

 微かな誘惑。

 

「この規模ならば、誰も助からない。それを知っている人間はいなくなる」

 責任をとれなど、誰も言うことはできない。

 死人に口はない。

 

――……。

 

 自分一人ならば、逃げられるかもしれない―――村人たちさえ見捨ててしまえば。その間に逃げることができる。

 生き残れるかもしれない。

 僅かな可能性。

 

――自分勝手に、逃げてしまえば……。

 

「逃げられるかも――生き残れるかもしれない」

 

 表情は見えない、背中を向けた声。

 生存本能への――自我への直接的な誘い。

 

 心が揺れる。

 生きたいという気持ちが覗いてしまう。

 

――決めたの、だろうに……。

 

 勝手に祀り上げられ、勝手に慕われて、

 勝手な偶像(ほうしさま)を創り上げた村人たち。

 背負わされた重荷をこちらが捨てて逃げ出したのだとしても、それは自業自得。信じる者を間違ったという自らたちの愚かな失敗。

 

――なら、逃げてしまっても。

 

 構わないと、誰かが言っている。

 誰も見ていないと、誰かが囁いている。

 捨てたはず――吐き出したはずの弱音が、返ってくる。

 捨てられない、逃げられないと――己が中の矮小な心が、人間が叫ぶ。

 

――お前は英雄でもなんでもない。ただの人間なのだ。

 

 それを自覚する。

 面が壊れる。

 

「……うう」

 

 辺りを囲う獣達。

 今にも襲い掛かってきそうなその化け物に、自然と脚は遠ざかる。

 

 じりじりと。じわじわと。

 逃げていく。

 

「うう……あああっ……」

 

 情けない声を上げて片手を振り上げた。

 涙が溢れ出しそうな恐怖に正気をなくしたように叫んだ。

 

 残るのは己のみ。

 最後に残った等身大の己を込めて――

 

「――!!」

 

 拳を振るった。

 震えている脚、怯えた膝に振り上げた手を思い切り叩きつけた。

 

「……?」

 

 狂ったような行動。

 それに男は驚き目を細め、黙ってその様子を見守っていた。

 荒く息をつきながら、己は痺れた脚からじんとした痛みが抜けていく感覚を味わった――そして、やっとのことでいつの間にか止まっていた息を吐き出せた。

 

 そして――

 

「――それはできん」

 

 震え声で、そう言えた。

 

 

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 しばらくの沈黙の後、絞りだすように口にされた言葉。

 

 

「逃げたく、ないんですか? ――多分、生き残れませんよ」

「――逃げたいよ、逃げて生き延びたい」

 

 その声には力がなく。

 指先も震えたままに握り締められている。

 

 村人に頼られた――慕われた法師の姿、そんなものは粉微塵と散っている。

 そこにあるのは、怯える人間の姿。

 妖怪に怯える、ただの人。

 

「――それでも、逃げたくない」

 矛盾する言葉で告げる。

 わがままな言い分。

 

「逃げたいけれど、逃げてしまっても構わないと思うのだけれど――逃げたくない」

 

 理屈の通らない考えを叫ぶ。

 理解など及ばない言葉を並べる。

 

 

「生きたい―――でも、死なせたくない」

 

 それは叶うはずのない、都合のいい答え。

 身勝手な、どうしようもなく通らないはずのこと。

 

――それでも、目の前の流れに逆らいたい。

 

 馬鹿げた……巫山戯た答え。

 とても人間(・・)らしい願い。

 

「――くくっ」

 

 思わず笑いがこみ上げる。

 馬鹿げたことだと――堰が緩む。

 

「かかかっ……」

 

 こらえきれない。

 噴出してしまう。

 

 どうしようもない笑い。

 

「はは、はははは!」

 

 法師様(・・・)は目を丸くして惑っている。

 辺りを囲う獣も同じ。

 

 けれど、止まらない。

 

「……いやいや、面白い」

 

 ただ、揺らすだけのつもりだった。

 どちらにしてもすることは同じだったが、なんとなく試してみたかった。

 その重さを、少し見てみたかったのだ。

 

 その程度の考えで放った惑わせるための問い。

 

――それが、随分とまあ……。

 

 それぞれの勝手さによって成り立った勝手な関係。

 依存し、依存されてしまうかもしれない一方的な庇護。

 それだけなら、いつか、間違いとなってしまうかもしれない。

 望まぬ結末へと進んでしまうかもしれない。

 

 けれど――

 

「――迷わなくても、悩まなくても、それはそれで心配だったんだが」

 

 それを呑みこむことができようとも、失くすことはできない。

 人が人でいる限り、それは憑いてくるものだ。

 

 自分を犠牲にする尊さ。

 生きようとする貪欲さ。

 

 過ぎても、足りずとも、どこかで歪みがおきる。

 

――それでも……。

 

 その弱さを自覚してなお、そうあれるなら――そうあろうと思えるならば。

 

「いやいや、笑わせてくれますねぇ」

 

 間違っていても。理屈は通っていなくても。

 だからこそ、己を失わずにいられる。

 

 心を失わずに済む。

 

「こんなに面白いなら――つい、味方したくもなる」

 

 長い人生に、時折訪れるもの

 長く生きるからこそ、幾度も出会える珍しいもの。

 

――愉しいねぇ。

 

 錆びついていた歯車が回りだすようにして、久しい気分が胸に満ちる。

 永い時を生きる中で、少しずつ擦れて、見えづらくなるものが、共振するようにして掘り起こされる。

 

――これだから、人との会話は面白い。

 

 忘れてしまいそうな。薄れて消えてしまいそうな。

 そんな火に油が注がれて。

 

 また、“人間”を想い出すのだ。

 それは、どうにも愉しいものである。

 

――若い頃を思い出す……。

 

 血が騒ぐ。いや、熱をもらったというべきか。

 長く生き、長く年月を過ごすうち、すっかり枯れたような自分であるが――その分、乾燥した枝葉よく燃えるのだ。種火さえあれば、すぐに燃え上がる。

 

「その分燃え尽きるのも早いですがねぇ」

 

 少々、良い気分で呟いた。

 疑問に曲がる首とうなり声は放っておいて――両手を広げて構えを取る。

 

 向くのは、深き森の大群。

 

「――さて、妖怪の皆様方」

 

 久々に味わった気分の、ゆるりとした笑みをかみ締めながら正面を見る。

 こちらを睨みつけ、周りを取り囲むように広がる獣たちを眺める。

 

「悪いが、こっちも一飯の恩を受けていましてね」

 

 にこりと両手を広げ、地面を叩く。

 強く、重く、踏みしめる。

 

 塞ぐのは――村へと続く入り口。

 

 

「ちょっと、法師さんの答え――実現させてみましょうか」

 

 

 

 

 

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――圧巻、だった。

 

 獰猛な牙をむき、男に飛び掛った獣たち。

 一同に数匹……数十にも続くその突撃。

 

 その全てが、地面に臥せてそこら中に転がっている。

 

「な、こんな……こと…」

 ありえるのだろうか。

 

 あれだけいた獣たちのほとんどが壊滅し、まだ動けるものも怯えて動けない。

 それほどに、圧倒されてしまうほどに実力が違う。

 

――これは、一体……?

 

 信じられない光景に、唖然と口を開いたままだ。

 何を考えようにも、頭が回らない。

 

 わけがわからない。

 

「――なあ、法師さん」

 

 そんな円の中心で、男が口を開いた。

 

「あんたが妖怪を退治しにいこうっていったのか?」

 

 倒れた妖怪を見下ろしながら話す男。

 「ふう」と小さく息をつきながら、億劫そうに肩を回しているその姿は、どうにも軽いもの。

 妖怪すら恐れさせている者の姿とは思えない、ただの人間のようにも見えるもの。

 

「――い、いや、違う」

 

 それに大きな違和感を感じながら答えた。

 

「村人たちからの、提案だ。この森から妖怪たちを一掃すれば、この前のようなことは起こらない。この辺りは安全になると――」

 

 そういう計算だった。

 

 この辺りの森に巣くう妖怪の群れ。

 それさえ退治すれば、この辺りずっと住みやすくなる。

 そんな単純な考え。

 

「多分、こいつらを全滅させても意味がない」

 けれど、男は言った。

 

「この辺りは霊穴――龍脈とか呼ばれるような力の集まりやすい場所だ」

 

 とんっと地面を片足で叩いて、この辺り一体を示すように両腕を広げる。

 

 

「そういう場所には妖怪や化生――怪異めいたものが集まりやすい。こちらさんの妖怪たちを全滅させても、また違う存在が現れる。結局のところ終わりがないと思いますよ」

 

 言いながら、しゃがみこんで妖怪の体に手を触れる。

 そっと、何かを確認するようにしてから――

 

「確かに、こいつらは人間の縄張りに踏み入った。それは退治するのに十分な理由だろう――けれど、この妖怪たちが居なくなった場所には、また違うものが這入ってくる。もしかしたら、それ以上に恐ろしい存在が」

 

 静かに呟かれる言葉。

 それは、何かを思い返しながら語っているような――実際にあったことをそのまま話していったようにも聞こえる。

 

 まるで、己達がしたことに意味がないとでも言っているように。

 

「なら――」

 

 それに怒りが込み上げる。

 ふざけるなと叫びたくなる。

 

「なら――どうすればいいんだ! このまま妖怪に怯えて暮らせと……諦めろと、いうのか」

 

 言葉が荒くなる。

 

 それは村人たちの願いなのだ。

 もう、何かを失いたくないという想いなのだ。

 

 それを――

 

「それが、当たり前のことだろう」

「な……」

 

 男は淡々と踏みにじる。

 感情の揺れ一つも見せずに言い切ってしまう。

 

「……」

 

 声が出ない。

 呆然とするこちらに男は、真っ直ぐに視線をむけて言う。

 

「危険のない、何の恐怖もない世界なんて存在しない。 ――生きてる限り、不幸や困難は付き纏うもの。何をやっても、失くなることはない」

 

 とうとうと語られる。

 それは理解できるもの――けれど、諦めの言葉。

 

「――し、しかし……」

 

 抗わなければ、拒まなければならないのだ。

 そうでなければ、理不尽な不幸はなくならない。

 どこまでも、悲しみが終わらない。

 

「世の中は――生きるのに、理不尽なことは憑き物だ。どこまでいっても変わらない」

 

 迷いのない言葉。

 実感込められたそれは、己よりもずっと深い何か――その記憶からくるもの。

 男の老練な表情で語られるもの。

 

――これは、本当に……。

 

 なぜか、そう感じてしまう。

 この男には、そんな空気がある。

 人をおかしくさせる――揺らす何か。

 

 何処までも、遠くて近い。

 

――人なのか?

 

 

「そうでしょう――そこの妖怪殿よ」

 

 混乱する思考の中、不意に男が言った。

 その視線の先にあるのは、倒れ付した中の一匹。

 

「――キヅイテイタカ」

 

 それが、ゆっくりと立ち上がった。

 

「……な!?」

 

 やられた振り。

 よく見れば、その泥にまみれた身体には一つの傷もない。

 他のものよりもふた周りほど大きな体躯で――多分、それがこの群れの頭であるだろう。他の固体には感じられない威厳と強い気配がある。

 

 それが、こちら睨みつけている。

 

「――油断シタトコロヲ噛ミ殺シテクレヨウト思ッテイタノダガナ」

「そりゃ、恐ろしいことで」

 

 犬歯をむき出しにして睨みつける妖怪に対して、男が飄々と返す。

 その笑みに――

 

「――驕ルナヨ、人間」

「驕っちゃいません。ただ、少し話をしたいだけですよ」

 

 剣呑な言葉を吐く妖怪とそれを軽く受け流す男。

 己とは次元の違う部分で、会話が交わされる。

 

「――今回のことは、あんたらの縄張りに人間が這入ったから……森の縄張りが脅かされたからこそ、起こした戦いなんですね?」

「……」

 

 男の問いに獣は沈黙する。

 けれど、否定はされない。

 

「あんたらは、一度人間の縄張りまで踏み込んで、手痛いしっぺ返しをくらっている。その上での今回の件。ある程度の犠牲は覚悟した上での戦いだろう。 ――しかし、その後はどうする?」

 

 にこにこと笑み、相手の様子を眺めながら男は話を進めていく。

 その雲行きは――もはや、判断できない。

 

 状況に、ついていけていない。

 

「群れのある程度の数……いや、もしかしたら大多数を犠牲にしての勝利。けれど、それによって得られるのは、一時的な怖れのみ。その後は、己達を恐れる人間も失われ、力の減退も考えられる――そうなれば、こんな良い縄張りを荒らさないものがいないとも限らない」

 

 それを防げるのか。

 そういう問い。

 

 獣は答えない。

 

「――そこで、一つ聞きたいことがあります」

 

 それでも、構わず、男は話を続ける。

 わかった上で、問う。

 

「――もし人間側(・・・)があんたらの縄張りを荒らさないとしたら、どうする?」

「……な!?」

 

 その提案に思わず声を上げかけた。

 けれど、それは男が上げた手によって制される。

 

――黙っていろ、ということか?

 

 こちらに視線を向けて、指示を送る男。

 睨みつけると、笑みが返された。

 

――何を考えている……。

 

 どこまでも読めない男の様子に頭を抱えていると――答えがあった。

 

「ワレラノ居場所ガ失ワレナイナラバ、コノ村ヲ襲ウ理由ハナイ」

 

 妖怪の頭は静かにそう返答したのだ。

 確かな意志をもって、そういった。

 

「――シカシ、人間ヲ襲ワナイ訳デハナイ。森デ人間ヲ見ツケレバ狩ルノハ当然ノコトダ」

 

 付け加えられた言葉に、思わず札を握り締める。

 しかし―― 

 

「その時は返り討ちにあっても、当然文句はないんでしょうね」

「アア、我ラハ獣。弱肉強食ノ掟ニ従オウ」

 

 交わされたのは、そんな会話。

 威厳を持って放たれた言は、それに嘘はないと強く感じさせる。

 そんな確約。

 

――これは……?

 

 一体なんなのだろう。

 獣と――妖怪と対等に会話しているだけでもわからないのに。

 余計に己を混乱させる物事が交わされている。

 

「――だ、そうですが。どう思います、法師さん?」

 

 くるりと振り向いて、その矛先がこちらに向いた。

 今度は、問われるのは自分。

 

「お互いの縄張りに入り込むから襲われ、殺しあう羽目になる。なら、必要以上にお互いの縄張りに入らないように――荒らさないようにすればいい。そういうで、どうですか?」

 

 悪くはない話だと男が示す。

 両手を広げているのは、背中側の獣たちを示しているのか。

 

 じっとこちらを睨む妖怪は、今飛び掛れば、その男を容易くしとめられるのではないかという絶好の機会ではないかと感じるのだが、その気配はない。

 まるで、私の答えを待っているかのように、じっとこちらを見ている。

 

「――し、しかし、森に入れなければ村の生活が……」

 

 納得はいかない。

 反論しようとした言葉を捜す。

 

「今までは――今回の件まではどうしてたんです?」

 返される問い。

 

――それは……。

 

 確かに、妖怪が森から出てくるようになるずっと前から、村の人々はここで生活をしてきたと聞いている。その頃も、妖怪によって多少の被害は出ていたが、森の奥の方まで近づかなければ襲われることもそこまで多いことではなかった。

 村人たちも、群れに対してならともかく、妖怪一匹一匹に対しての対策は心得ているし、無駄に命を危険に晒そうとするものは少ない。

 近寄るなといえば、よっぽどのことがなければ近づかないだろう。

 

――し、しかし……。

 

「また、妖怪たちが村を襲ってきたらどうする!?」

 こちらが人間の縄張りを守っても、相手がそれを守るとは限らない。

 攻め込まれれば、負けるのはこちらだ。

 

「我ラノ誇リニカケテ、ソレハナイ」

 

 なんなら、己に何か仕掛けでもしてもいい。

 

 そうやって首を指しだす妖怪。

 命を懸けて、嘘ではないと示す姿。

 

「……」

 

 頭が混乱する。 

 どうすればいいのかわからない。

 

「だ、そうです。 ――ああ、それに、妖怪一匹程度なら、素人でも法師さんの札があれば遠ざけられるんでしょう? それなら、よっぽどのことがない限り大丈夫だろうし……もし、運悪く命を落とすことになっても、それは森の獣に襲われる可能性と大差ないものとなる」

 

 続けられる理屈の言葉。それに嘘はない。

 魔よけの札や呪いさえしていれば、村人たちが襲われることもほとんどはないだろう。

 むしろ、熊や狼といった平常の獣に襲われる可能性の方が高いかもしれない。

 

 けれど、けれど。

 相手は――

 

「妖怪……」

 

 人を襲い、人を食らい、人に害をもたらすもの。

 そんなものを――信用できるのだろうか。

 

 正面には、獰猛な牙を持つ姿。

 恐ろしい力と歪んだ姿をもつ獣。

 

 混乱が巡り、逡巡が襲い掛かる頭の中に――

 

「――なら、全て殺し尽くすまで戦うのか」

 

 冷たい言葉が囁かれた。

 

 

 

 

________________________________________

 

 

 

 

 

 

 光を陰らせ、暗く閉じた森を抜けて、やっとのことで先の見渡せる高原へと出た。

 薄い月の明かりの道は、森の闇に慣れた目にとっては十分な光源となる。

 が――

 

「――疲れた」

 

 随分とくたびれてしまっている。

 随分と頑張って運動をした分、身体も重い。

 

――やっぱり、夜の出立は無茶だったか。

 

 一刻ほど前の自分を思い浮かべて、少しの後悔がこみ上げた。

 

――でもまあ、あそこで村に泊めてもらうのも……な

 

 

 

―――

 

 

 獣の頭が吼え声を上げ、それに反応するようにして倒れていた妖怪たちが次々と立ち上がった。動けないものも、他のものが二匹がかりで抱えるようにして移動していく。

 そして、全員が森の中へと消えていくのを確認すると、その一際大きい獣はこちらを一睨みするようにしてから、自分も闇の中へ消えていった。

 

 暗に――違えぬように、という念を込めて。

 

 

 それを見送る法師は、複雑な顔をしていた。

 間違っているのか、正しかったのか、わからずに選ばなければならなかった選択に――

 

「これでよかったのだろうか」と法師はこぼし

「さてね。――あとは、自分たち次第でしょう」と自分は告げた。

 

 

―――

 

 

 そんな無責任な老人――己はそのすぐ後に村を出た。

 

 これ以上は村の中での話し合いになるだろうし、あれだけのことをやってしまったあとに、自分はただの旅人ですとは通せない。

 あまり目立ちたくはなかったし、元々、よそ者が首を突っ込む問題ではない。あとは当人らがどう決断するか。

 そういう内々のことである。

 

――手を出しすぎたって……どうにもならない。

 

 よそものは所詮よそものである。

 本当にそこに暮らすという覚悟があってこそ、参加できる先の相談である。

 間に入るまではいいものの、それ以上は自分が口を出すべきことではない。

 

――あとは、なるようになる。

 

 そういうものだろう。

 そして――加えてもう一つの理由。

 

 

「――あら、奇遇ですわね」

 

 そんな夜道を歩く道に、不意に声がかけられた。

 同じ高さの地面ではなく、星の浮かぶ宙空から。

 

 それに――ふうと、息を吐いた。

 

「――ああ、奇遇ですね。八雲紫さん」

 

 互いに、まったくそう感じていない口調。

 告げた言葉に、どちらともなく微笑んだ。

 

―――相も変わらず、性格が悪い。

 

 お互いに。

 

「今日はお茶は用意してませんよ」と軽口を叩くと。

「まあ、残念。それじゃあ、お話のお相手でもしてくれないかしら」と返された。

 

 そんな、どうにも茶番な緩いやりとりで、適当な岩の上へと腰を下ろすこととなる。

 本当は眠くもなってきたのだが、仕方がない。

 

――付き合いってのも大事ですしねぇ。

 

 荷物を下ろし、うんと伸びをした。

 向こうは前と同じ、空間の裂け目のようなものから上半身だけを出した状態で、こちらの少し前辺りに浮かびながら、こちらを見下ろしている姿。

 妖怪らしい、人らしからぬ姿。

 

「で、何の話だい?」

「あらあら、せっかちね」

 

 前のように長引かせては疲れるだけだ。

 すぐさま切り出した言葉に、少女は笑って返した。

 

「――こっちも寝床を見つけないといけないんでね」

 

 夜行性の妖怪と違って、こっちは夜眠る方だ、と告げると、少女も「じゃあ単刀直入にきくわ」と切り出しれくれる。

 どうやら、向こうも長引かないだけの思いやりは持ち合わせているらしい。

 

 そして――

 

「――人妖の共生関係、あなたは本当に成り立つと思うの?」

 

 興味深げに告げられるのはそんな質問。

 多分、というよりもやはり、先程のやりとりを聞いていたのだろう。

 

 そこで行われた線引きに対しての疑問。

 本当にそんなことが出来るのかという疑い。

 

 それに対して――

 

 「――さあ、どうですかね?」

 

 欠伸をしながら答えた。

 歩き詰めで、なかなかに眠いのだ。

 

――まあ、保障なんてできるわけがない。

 

 ぼやけてきた頭で考える。

 

「少なくとも、お互いの邪魔をしなければ、お互いの場所に踏み込まなければ――それなりにはやっていけるんじゃないですかね」

 多分。

 

 覇気なく呟く言葉に、少女は「あらあら」と愉しげに微笑んだ。

 それを眺めながら、目じりにこみ上げた涙を指で拭う。

 どうにも眠い。

 

「無責任なのね」

「一つ提案をしただけ、それを選ぶのはそこに暮らす者自身の決断」

 それ以上は何もいえないのがよそ者です、と先ほど考えたことをそのままいった。

 それが本音なのである。

 

――そもそも……。

 

 偶然、居合わせただけの老人が言った提案。

 胡散臭い年寄りの戯言である。

 そんな小石程度の意見を――わずかに何かがぶつかった程度で崩れてしまうなら、どのみちあの村は長くは保っていなかった。

 

――集まりやすい場所、溜まりやすい場所……。

 

「そういう場所を居場所(・・・)とするのなら、それなりに工夫して生きるしかない」

 

 そう思う。

 あの場所に居続けるなら、隣人はずっといることになるだから。

 己たちで考えるしかない。

 

「厳しいのね」

「生きるってのはそういうことでしょう」

 

 どうにかして間に合わせながら、ぎりぎりやっていくしかない。

 弱音に弱さ、危険に不幸と付き合って――上手い具合に帳尻を合わせながら生きていく。

 それがある意味、一番楽な生き方だ。

 

――逆らわず、流されず……

 

 上手い具合の落とし処を見つける。

 

「時代に、状況に、気分に合わせながら―――なんとか自分なりにやっていく」

 

 そういうものだろう。

 少なくとも―― 

 

「――それは貴方の人生観?」

 

 笑みを深くして問う少女に、正直に答える。

 それは、己の感じたままのもの。

 

「ただの経験談―――ただ、今の気分でしゃべってるだけの思いつきですよ」

 参考になるかどうかも覚束ない。

 

 そんなふうに返した答えに、少女は眉を顰める。

 けれど、本当にそう思っているのだから仕方がない。

 

 己の記憶の中にあるのは――

 

「経験やしきたりに縛られないなら、新しいものをつくっていくしかない」

 それに囚われて抜け出せなくなった人々。

 

「新しいものをつくるなら、それに対する覚悟を持たないといけない」

 前へと進み、失敗に絶望してしまった人々。

 

「手探りに――それでも、出来るだけのことをして、作り上げていくものだろう」

 それでも、生きる人々。

 生きていた人々。

 

「――生きる方法なんて、そんなもんだ」

 

 空を眺めながら、一人ごとのように呟いた。

 吐き出したのは、己だけのこと。

 

 ただ、今まで見たことを語っただけ。

 

「――それも、今の気まぐれも言葉なのかしら」

 

 少女は目を細め、何かを見通そうとするよう言った。

 

「ああ、その場限りの生き方論です」

保障はしません、とこちらは笑って返した。

 

 

通り過ぎるのは、夜の風とどこか遠くで聞こえる獣の声。

月の位置は西へと沈み、あと数刻ほどで夜が明けることがわかる。

 

 また、前と同じの夜の際。

 

「……もう寝ぐらを探す時間もなさそうだな」

 

それを眺めながらため息をついた。

やはり、村に泊めてもらえばよかったと。

 

「どうするの?」

 

 ふふふ、と何だか面白そうに笑う少女に「仕方がない」と小さく返した。

 ぐっと力を込めて立ち上がり、しばらく歩いてから――

 

「――よっこらしょっと」

 

 爺臭く呟いて、丁度良さそうな草むらに寝転がる。

 ちょっとごつごつするが、そこまで悪くはない。

 

――星も綺麗ですしね。

 

 季節柄、風はそこまで冷たいというほどでもない。

 数時間だけなら大丈夫だろう。

 

「そんなところで――ぐっすり、眠れるのかしら」

「それなりには、眠れるだろう」

 

 くすくす笑っている少女に対して、空を見上げながら話す。

 映るのは、僅かに色づく雲の姿。

 

「―――居場所がないなら、自分で作ればいい」

 

 風の音も

 草の感触も

 

「そうしようと思えば、そういう場所になる」

 

 そう瞳を開き、目を瞑る。

 感じるのは草の香りと陽月の混ざった薄い光。

 近くにいる少女の気配。

 

「眠ろうとすれば、眠る場所に?」

「そうしようと、工夫していけば――多分、ね」

 

 そういって荷物を枕にしているところを見せた。

 少女は何かを考えているようにも見えたが、そろそろ、本当に瞼が重い。

 

 微かな虫の声と草花のざわめき。

 そんな僅かな音を耳にしながら、意識を閉じていく。

 

 浮かぶのは、今日出会った人と獣。

 薄れてはまた取り戻す人の面白さ。

 

――どうにも飽きない……。

 

 まだまだ、生きていようと思う世界の面白さ。

 

 

 

 それをまた記憶に刻みながら、のんぼりと眠りについた。

 いくら生きても、先のことはわからないものである。

 

 

 

 

 




後編です。
改訂してたら二倍近くになってしまいました。
どうにも足しすぎている感じです。気をつけないと

読了ありがとうございました。
ご感想・意見もお待ちしております。

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