東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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眠る居場所 就

 流れ込む場所。

 確かにそうだったのだろう。

 その場所は丁度いい場所だったのだ。

 湧き出る水が流れを持って川となり、やがて、湖や海となって一つと溜まるように。

 水は高きから低きへと流れる。流れは線を辿って行き止まる。

  

 ならばこの世界に流れる力にも、やがて流れ着く場所があるのだろう。

 

 龍脈、龍穴、生門、鬼門。

 生命の流れ、星の命脈。気、霊、妖、体という力。

 生きる者が宿す流れ。

 この世界を創るもの。

 

 巡り、巡り、やがて、何処かへと辿りつく。

 流れ、流れ、やがて、一つと受け止める。

 そんな場所なのかもしれない。

 

 世界に還る前の一時。

 また最初と戻る一歩手前。

 それが眠る場所。

 

 幻想が至る一休みの休憩所。

 

 

 

 

________________________________________

 

 

 

 

――また、知らない場所か。

 

 周りの木々を見渡しながら考える。

 それは、僅かに感じる流れとしての違和。

 

「……おかしいな」

 

 呟いた言葉は見通せない木々の暗がりへと消える。

 

 そう、ここは道なき森の奥。道ならぬ獣の道を進んだ先にある場所の、さらに深層に位置する辺りである。同じような景色ばかりが続き、方向も曖昧に、進んでいるかどうかもわからなくなるほどに惑わされてしまう、閉じた場所だ。確かに、迷いもするだろう。

 それは理解している。

 

 けれど――

 

――妙だ。

 

 未知である部分と既知である部分があるが故の違和感。

 当然として知っているはずのことが、変わってしまっていることへの気持ち悪さ。

 そのへんてこさが、どうにも首を傾げさせる。

 

「――どういうことだ?」

 

 呟くのは疑問の言葉。わからないものに対する疑い。

 木々が連なる先、その上方にある――大きすぎる背景への違和感。

 

――こんな山、ここらにあったか?

 

 そこに聳え立つのは、雲まで……雲突き抜けて、天まで届くほどの高い山。

 見上げれば、必ずといってもいいほどに、視線の中心に収まる目立つ存在。

 

 絶対に見逃すことのできない目印。

 

――見逃してた……はずはない。

 

 確かに、随分と旅をしていない分、道や景色、人里の位置などが変わっていることはあるだろう。知らないうちに新しい里が出来ていたり、栄えていた都が滅びてなくなっていることもありえるだろう。

 けれど、何百・何千年という時間がなければ、地形そのものが変わるということなどありえない。わずかにその可能性があるとすれば、天変地異――地割れや噴火・洪水などの天災によって、しかも、余程の大規模のものがおきた時だけに限定されることだろう。

 しかし、それほどの規模のものならば、自らが住んでいた地域に余震や余波ぐらいは来ていてもいいはずだ。外のことなどほとんどわからないど田舎だったとはいえ、ここからそこまで離れているわけでもない。

 流石に、噂一つも聞こえてこないのはおかしいというものだ。

 

「――なのに」

 

 目の前にあるのは、限りなく続く緑と勾配高く続く坂道。

 随分な距離がありながら、その山道へと続くなだらかな坂が既に始まっている。

 つまり、それほどの高さがある――大きな特徴を持っている。

 

 そんな特異な地形が、記憶の中にうっすらにとすら覚えがないのは、おかしなことである。

 

――流石に、幾ら歳といったからってそこまで惚けちゃいないだろう。

 

 むしろ、年寄りというのは昔のことを良く覚えているものだ。その記憶によれば、この辺りは確か、わずかな木々に囲まれた平地となだらかな小山があるだけのごく普通の場所であったはずである。

 

――それがここまでの森に変わっているというのは、まだわかるが。

 

 先程、何とか通り抜けられた竹林のこともあるが、植物の生態が早期に入れ替わるというのは、時には起こることである。特に、この島国は高温多湿の水気豊かな土地柄である。何もせずに放っておいても、勝手に草木が生い茂ることだって多くある。植物が育つに肥えた場所がまま存在する土地なのである。

 けれど、それでも、平地が山地に……小山が天辺の見えないほどの大霊峰に変わることなどありえないだろう。長い年月を過ごしてきた中でも、数度あったかどうかというものだ。

 しかも、それは余程特別なことがあったときのみ。

 

「――国生みでもあるまいし」

 

 昔見た光景―――滅びた世界の中で新たに創造されるもの。

 今更あの神々が手を出すとも思えないのだが、気まぐれということもある。その場合なら、何が起きても不思議ではない。けれど、そうは思えないのは、その時に感じた神々しさや力強さはほとんどといってもいいほどに感じられないことと、これがどちらかというと、自然現象やそれに近い何かではないかというなんとなくの予感があるためだ。

 意図があってというよりも、勝手にそうなってしまったという印象を強く感じることができる。

 その理由は――

 

――随分と、濃い。

 

 この土地を包む力というものが随分と強いものだと感じているためだ。

 龍脈や霊地、力の焦点。ここは、そんな土地柄なのかもしれない。

 そう思ってしまえるほどに、空気中に流れる力、世界を構成している一部とでもいうべきもの、そんな空気と同じように存在する何かが、随分と濃く感じられるため。

 いつもはただの湯に浸かっているというほどだとすれば、ここでは温泉に使っているほどに暑さと効能を感じることができる。

 ここでなら、何かが起こってもおかしくない――何かが起きやすそうに感じてしまう。

 

「……」

 

 早く抜けてしまったほうがいい。そう考えて、歩調を速める。

 経験上、こういう場所では――

 

「ケキャケー」

「……」

 

 色んなものに行き会いやすい。

 噂をすれば――予感を感じりゃ棒に当たる。

 

――ああもう……。

 

 奇声と共に現れたのは獣のような何か。

 爬虫類のような皮膚と犬のような体躯を併せ持ち、ぎざぎざと、実用には向かないだろう異形の牙爪を恐怖として形にする。

 

 そう――

 

「何かようですかね……妖怪さん?」

 

 変化というよりも獣に近い、そんな獣型の妖怪……妖獣。

 林をかきわけて飛び出してきた姿を見据えながら、なるべく刺激しないように選んだ言葉を口にする。

 

――なるべく、穏便に……。

 

 出なければ、おそらく――限り(・・)がなくなる。

 

「……ラヘッタ」

 

 通じるかどうかわからなかったが、一応、言葉を話す以上の知能を持っているようで、聞き取り辛くはあるが、確かな返事が返る。

 しかし、小声過ぎてうまくききとれない。

 

――……。

 

 一応の予想はある。

 けれど、それは否定したい。

 

「すいませんが、もう一度お願いします」

 

 地面を踏みしめ、じりりと砂を鳴らしながら問う。

 

 ゆっくりと口を開くのは、人間の臭いを嗅ぎつけて飛び出してきた、いかにも食べてませんというような痩せた姿をもつ異形。

 返る答えは――

 

「ハラヘッタ……クウ!」

 

 妖怪として、化け物として、襲い掛かってこない方がおかしいといえる状況だ。特に、相手は獣としての姿を残す小妖で、それは本能に従って生きる獣に近い。

 餌を目の前にすれば、喰らいにくるのは当然のこと。

 

「――そりゃ……そうだっ!」

 

 軽く息を吐きながら、襲い掛かってきた爪を後ろに飛びのくことで避ける。

 ぶうんと風を切る音がするのは、一寸手前まで自分がいた辺り。

 

―――こりゃ、見かけ通りになかなか……。

 

 

「――と……ととっ!」

 

 速い。

 

「ウガルルゥッ!」

 

 第二撃、第三撃が追いかけるように、飛びのいた先へと一瞬で迫る姿。

 振り下ろされる一つ目の爪を上体を逸らすことで、流れるように突き出されたもう片方の手をそのまま、後ろに倒れこむことで避ける。

 飛び掛ってきた勢いそのままの身体はつんのめる様にして前へと流れ、こちらの伸ばした足に躓いて倒れこんでくる。

 その己の上方で無防備になった身体へ向けて――

 

――ちょっと眠ってもらいますよ。

 

 そう心に呟いて、相手の胸の辺りに手を伸ばす。

 そのまま真っ直ぐに触れるだけといったような軟さで――

 

「……!?」

 

 その一手手前で、獣の頭部が爆ぜた。

 こちらの手の触れる直前、気絶させる程度の力を込めた一撃の、その直前に。

 

「――」

 

 がくりと力を失い、崩れ落ちるように己にのしかかる妖怪の身体。

 意志を失った両腕がぱたりと頭のすぐ隣に落ちる。

 

 そこに、命の宿りはない。

 

――……死んだ。

 

 獣臭さと血のにおい。

 僅かに混じった火の気配。

 

「――いやいや、危なかったな。若い人」

 

 落ち着いた、静かな声が届く。

 妖怪の血に塗れた身体を起こし、声の方向に視線を向けると、そこにいたのは、人の良さそうな笑みを浮かべながら、こちらの姿を見つめている初老の男。

 

「大丈夫か?」

 

 ゆっくりとこちらへ近づいて、手を差し出した。

 掴むとゆっくりと引き上げてくれる。

 

「こんなところで、人と出会うとは――」

 

 不思議そうに呟いて、じろりと眺める優しい眼。

 その手に持つのは――様々な文字が刻まれた木製の杖。

 

「――あんたは」

 

 妖怪の頭が砕ける寸前に感じたのは、僅かな霊力と白い札。

 力ある文字が描かれた理の撃。

 

 化生を殺す力。

 

 

 

――――

 

 

 

「ほんに危なかったのう若いの」

 

 椀をかっ込みながら話す老人。

 食べながら話すので、食べかすやらつばやらが周りに飛んで少々汚い。

 

「まったく、法師様がおらんかったらどうなってたことやら。今にも食われる寸前じゃったんじゃぞ」

 

 こちらに箸を向けて、周りに集まる他の者たちに説明する老人。

 どうやらあの時、法師の後ろいた一人であるらしい。身振り手振りで大げさに妖怪がやられる様を説明している。

 周りのものは驚嘆したり、感心したり、その話に熱心に聞き入っている。

 

「まったく、あの森に踏み入るなんて自殺行為も甚だしい。法師様には、よう感謝せえよ」

 

 現場にいた他の連中は侮蔑の視線をこちらへと向けて、高圧的な態度を見せている。どうやら、村人たちが行っていた何かの行事を邪魔することになってしまったらしい。

 そのせいで、あまりいい印象がもたれておらず――あの法師様の手をわずらわせてしまったことも、村人たちがこちらを気に入らない理由の一つであるらしい。

 どうやら、よく思われていないことは確かなようだ。

 

「――まあまあ、そんなとこにしておいてやんなさい」

 

 奥の段。

 筵を引かれた一段上の位置から低い、優しげな声がした。

 その声で、ざわざわと騒ぎながら話していた人々がぴたりと黙る。

 

「何も知らない旅人さんだ。あの森のことも知らなかったのだろう」

 それじゃあ仕方ない。

 

 穏やかな表情で全員を見渡し、他のものよりも少し良品に見える椀から水をすする。

 広間からは「さすが法師様」「お心が広い」などの感嘆の声が上がった。

 

――随分と、人気があるらしい。

 

 多分、その持っている器なども、村人達が勝手に差し出したものだろう。

 他の者たちが、自分たちより上の立場だとして勝手に祭り上げている。それを少々悪く感じていながらも、無碍には断れない。法師様(・・・)からはそんな印象を受けることができる。

 悪い人ではなさそうだ。

 

――しかし、ちっと面倒事になったか。 

 

 周りを囲っている村人たち。ほとんどは、働き盛りの男手たちだ。

 そして、その大多数がその法師様へと心酔している様子。

 

 だからこそ、その邪魔をしたよそ者をよくは思っていない。

 

――……。

 

 ここは、村の集会場にあたる場所。本来なら、人里の皆が集まり、これからのことやこれまでのことを相談するための場所だ。

 今回は、行事の進行をとめた、事の原因である己のことを調べるために使われている。怪しいよそ者に対するちょっとした取調べを行おうとしているということである。よそ者を警戒するのは当たり前。色々と風当たりが強いというのは当然ではあるのだが、少々その風は私怨混じりに強くなっている。

 あまり、いただけない状況である。

 

「――法師様の温情に感謝しろよ」

 

 近くにいた若い男が敵意満々といった印象に、そう吐き捨てて、こちらの傍から離れていく。他の何人かも同じ表情でじろりとこちらを睨んでいる。法師殿に諭されたものの、納得はしていない。今は引き下がっておいてやるが、何かすれば容赦はしない。

 そんな様子なのだ。

 

――どうにも、居心地悪い。

 

 その視線に曖昧に微笑み返し、すっと目を逸らす。

 向いているのは何もない壁の方向だが、意識は上座に座る法師の方へ。どうやら、行事が中止になってしまわないか不安になっている村人たちに、何か話しかえているようだ。

 近くにいる者が真剣に聞き入っているのがよくわかる。

 

「皆、案ずることはない」

「し、しかし……」

 

 不安に染まる声。

 それに対して――

 

「あれは明日行えばいいことだ。今回は予行ということ――より成功を高めるための前準備という事にしておこう」

 いい練習になった、と法師が明るい調子で笑う。

 それによって他の村人たちの表情も安心したように綻んでいく。

 

「法師様がいったことであるなら、それでいいのだろう」

「大丈夫、大丈夫だ」

「何の心配もない」

 

 ほっとしたという安心感。落ち着きが満ちていく。

 言葉が、よく効いている。

 

――慕われているようですね。

 

 あの法師のいうことを、村の人々たちは素直に受け入れ、信じきっている。頼りに、縋っているのだ。

 確かに、あの妖怪を滅した手並みといい、先程までのふるまいといい、十分な力と人柄を備えている善き人物であるようだ。なかなかの御仁であるのだろう。

 

 けれど――

 

「すまない、お兄さん。あの法師さんはどんな人なんだ?」

 

 近くに座っていた男へと声をかけた。

 先程の男と違い、あまり敵意を感じられないのんびりとした様子の男だ。

 

「ああ、法師さまのことかい」

 こちらを振り向いた男は、のんびりとした口調でこちらの質問に答える。

 少々鈍そうな様子だが、質問相手には丁度いい。

 

「まあ、元々はあんたと同じ旅人だったんだがねぇ。――五、六年程前だったかな、丁度この村に法師様が訪れたときに、村の子供が森で妖怪に襲われたんだ。そのとき、話を聞いた瞬間に法師さまがぱっと飛び出していって……化け物どもを追っ払ってくれた」

 

 あれはすごかったねえ、と思い出すように目を細め、うんうんと頷く男。

 そこに居合わせたのだろうか、その目はらんらんと輝いているように見える。

 英雄に憧れる子供のようだ。

 

「――ええとねえ、あとは……」

「なんだ、法師様の話か。――なら、俺にもさせろ!」

 

 話を聞いていたのか、隣に座っていた男が割り込んでくる。

 こちらもまるで子供のように。

 

「法師様はすごいんだ。村のすぐ近くに縄張りをつくってた妖怪たちを追い払ってくれたし、森で妖怪に出会わない呪い(まじない)も教えてくれた」

「おかげで美味しい山菜も採りにいけるようになったねぇ」

「毒虫の退治方法も教えてくれたし、病よけのお祓いもやってくれるんだ」

「おかげで、ぐっすり眠れるよ」

 

 強く捲くし立てる男とのんびりと褒める男。

 なんだか妙な感じの二人に話を振ってしまったようだが、一同に法師のこと慕っていることがよくわかる。そして、その法師がなかなかの腕を持っているということも理解できる。

 呪いにお祓い、効き目は人によってまちまちなものだが、結構な効果を発揮しているという事実があるのだ。札にして飛ばした霊力といい、力だけでなく、なかなかの技術も持っているようであるし、それなりの年月をかけて、修行に身を窶していたのだろう。

 それは努力せねば身につかぬ力である。

 

「あとは――」

「えっとねぇ――」

 

 男二人は他にも様々に法師様の逸話を述べ、勝手に盛り上がり続けている。

 どうやら、なかなか面倒なものに火をつけてしまったようだ。

 

――こりゃ、長くなりそうだ……。

 

 そんな幼心を爆発させる大の大人に笑いが込み上げる。

 面白く、それでいて可笑しな男達である。聞いては飽きるが、見ていて愉しい

 

「――!」

「――……」

 

 盛り上げる声。

 それを話半分に聞き流しながら――考える。

 

――妖怪を追い払った(・・・・・)、か。 

 

 僅かな疑念。

 引っ掛かった部分。

 

――縄張りを持つ妖怪。

 

 聞いた感じからして、一種で群れをつくって暮らす獣型の妖怪だろう。

 人型の妖怪ならば、余程の力を持たない限り、村の近くへ縄張りなどつくらないだろうし、そういう妖怪は、人のように自らの家――住居といった感じの固定の居場所を持つことが多い。多分、この村に脅威を感じなかった森の妖怪が徐々に行動範囲を広げ、人の領域を犯していた。そんなところだろう。

 一度痛い目を見れば、そういう妖怪は森へと戻る――獣と同じだ。

 

 けれど――

 

「――そういえば、邪魔しておいてなんですが、今日の行列は一体なんだったんです?」

 

 引っ掛かっていた疑問。その鍵となる部分を問う。

 話を続けていた二人は「うん?」といった感じに話を止めて――

 

「ああ、追い払った妖怪がまだ森にいるようだからねえ」

「また村にやってこないように……」

 

「旅人さん、さっきはすまなかったね」

 

 その理由を話すところで、柔らかな声が差し込まれた。

 

「おや、話の邪魔をしてしまったかな」

 

 見ると、先程まで村人たちと談笑していたはずの法師が目の前でやってきていていた。

 笑顔でそう告げる法師に慌てて否定する村人二人。

 

「すまないが、旅人さんに話をしたいんだが――」

 

 申し訳なさそうな声に――

 

「ど、どうぞ!」

「ごゆっくり……!」

 

 

 でこぼこな感じに譲る二人。

 

 

 

 

 

 

 

 

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―――ン。

 

 獣の鳴き声のような微かな音が響いた。

 なぜだか妙な顔をして、男の顔が歪む。

 

「――すまんね。こんなところまで来てもらって」

 

 気を悪くしたのだろうかと思ってそういうと、なんでもないと否定された。

 年のわりに、随分と落ち着いた態度である。

 

「で、なんです。話ってのは……法師さん」

「いや、ただ元旅人として話を聞いてみたくてね」

 

 自分から話を進めてくれる男に笑みを返しながら、村の入り口――その前にある大岩を椅子代わりに、よいしょっと腰を下ろした。

 空は、既に真っ暗で星の瞬くのみである。

 

「――あそこではあまり自由に話せないだろう」

 慕ってくれるのはわかるが、村人たちは少し自分を持ち上げすぎる。

 

 ふっと息を吐き出してそう告げる。

 

――よそ者には風当たりも強い……。

 

 自分も旅をしていた身だ。

 それはよくわかる。

 

 けれど、だからこそ、同じように旅をしている者の話をきいてみたかったのである。随分昔に己はそれを辞めてしまったけれど、今、それを行っている者の本音の話を聞いてみたいと思ったのだ。

 

――あそこで話すのは、居心地が悪いだろう。

 

 そのためにここまで移動してもらった。

 あまり人は来ないし、村の見張りにもなる。 

 じっくりと話すには申し分のない場所である。

 

「なるほど……」

 

 男は納得したように呟いた。

 落ち着いた――どこか老成した声である。

 

――なんだか、不思議な男だ。

 

 夜の森を眺める男の表情を見ながら、そう思った。

 

 自分よりずっと若く見えるのに、その表情は妙に達観しているような趣きがある。枯れてしまっているというほどではないけれど、何かを超越しているような、そんな人間らしくない雰囲気をどこかしらから感じてしまうのだ。

 ずっと長い時を過ごしてきた老人に似た表情で、若いはずであるのに、妙に風格があるように思える。多少、いい過ぎな気もするが、悟りを開いた『仙人』でも見ているようだ。

 そう考えるのが、それが一番近いように思える。

 助けたときは気づかなかった気配だ。

 

――……。

 

 妙に、胸をざわつかせる存在である。

 

 

「――すいません」

 

 それを知って知らずか、ふっと男は緩く笑った。

 そして―― 

 

「こっちも最近村から出たばかりでね。できる話なんてしれてるもんでして」

 期待に添えなくてすいません。

 

 軽い調子で笑いながら、ぺこりと頭を下げる。

 申し訳ない、すまないと、情けない声音で謝った。

 

 急に、先ほどまでの雰囲気が崩れてしまった。

 

「――あ、ああ、そうだったのかい。旅慣れているようだからてっきり随分旅してきたのかと思ったんだが……」

 

 その変化に少々驚いて、声が上ずってしまう。

 けれど、男は気にした様子もなく、「すいません」と困ったように笑っている。

 どうにも、気の弱そうな――

 

――気のせい、だったのか?

 

 そう思わせるほど、若者染みた様子。

 微塵も深さなど感じない。

 

「それより、法師さんの話を聞かせてくれませんか。結構なお力をお持ちなのに、なんでこんなところにいるのか。 ――なんで旅人をやっていたのか、なんてのをね」

 

 にこりと人当たりが良さそうに笑う若者。

 ただ、それだけのもの。

 

「――私の話しなんぞ、つまらないものだよ」

 

 それに首を傾げながら、そう返す。

 それは、いつも村の子供たちに頼まれて話しているもの。外の世界を見て、見聞きして、学んだことを話すだけのもの。

 いつもと変わりない慣れた話だ。

 

 そのはずなのだけれど――

 

「――いえいえ、こちらの旅の参考にもね。見聞を広げる旅なんぞと洒落込んでいるもので」

 

 善き行いを進める法師様の話を、とにこにこと笑う旅人。

 その表情に後ろ暗いところは見当たらない――が、少しだけ、一瞬なぜか薄ら寒いものを感じた。それは、すぐに消えてなくなったが、妙に、気に掛かった。

 

――多分、気のせいだろう。

 

 そう思った。

 思ったところに――

 

「――村の人たちに話せないことも、通り過ぎる旅人になら話せるかもしれませんよ」

 

 付け加えられた言葉。

 ぞくりと、揺らす言葉。

 

「……」

 

 喉が鳴る。

 男の妙な雰囲気に呑まれそうになる。

 いや――

 

――呑まれてしまい、のか?

 

 揺れる。震える。迷う。

 開いてしまいたくなっている。

 

 まるで、幼い子どもが自らの不安を大人に打ち明けてしまうように――

 

 

「――面白い、話ではないよ」

 

 吐き出してしまう。

 誘いに乗ってしまう。

 

 

――ああ……。

 

 もしかしたら、私はずっと機会を伺っていたのかもしれない。

 この地位に着き、皆の法師様になってしまってから、ずっと。

 

 

――誰かに話してみたかったのかもしれない。

 

 

 自らの話を。

 その、怖さを。

 

 

 

 

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「ただ、嫌だった」

 

 ぽつりと零す。

 

「ただ、守りたかった」

 

 ぽたりと落ちる。

 

「そうできるのが――上手くいったのが、嬉しかった」

 

 ずくりと疼く。

 

 それは、背負ってきたものだったのだろう。

 そうなってから、積み上げてきたものだったのだろう。

 

「随分と――つまらない、話だろう」

 

 そういって笑う法師。

 その肩の荷は、呪いの様に重く――

 

「英雄でも何でもない。 ――私は、自分の好きなようにしていただけだというのに」

 

 じわりと首に掛かる。

 うっとうしくて仕方がない苦さ。

 

――……。

 

 その姿には、村人たちの前で見せていたような強さは感じられない。

 ただ、自分勝手に生きてきた姿、我を通してきたという姿とそれでよかったのかという不安が滲んでいる。ずっと、付きまとってきたのだろう影が、表となって裏返っている。

 

「――なるほど、ね」

 

 その姿に、納得するように呟いた。

 人として悩む者。それを眺めながら、その言葉を聴いた。

 自嘲するような言葉は、すこし寂しげで。

 

「――村人たちは、こんな自分勝手な者に騙されておる……騙され続けている」

 

 自分が思う自分と、他人が考える自分とのずれ

 慕われ、崇められるからこそ、感じる歪み。

 

 

――責任と立場……。

 

 それは、重くなる。

 時には、自らが背負える以上に、重く感じることもある。

 

「それでも――」

 

 得たからには背負わねばならない。

 背負ってみなければ、重さはわからない。

 背負ったからには、逃げられない。

 

――面倒なもんだ。

 

 失敗して、間違ってしまうこともある。

 歪んで、狂ってしまいそうになる場合もある。

 そうなれば、あとは落とされるだけ。返った手のひらから振り落とされるだけ。

 誰も、救う側の存在を救い上げようとは思わない

 

 そういう、ものだ。

 

「――それでも、後悔はしてないんでしょう?」」

 

 社会というのは、そういう残酷さを含んでいる。

 人と人とのかかわりは、そういう面倒事を含んでいる。

 それでも、そこにいようと思うなら――そう決めたなら。

 

 覚悟は、得ているのだろう。

 

「……」

 

 法師は笑んだ。

 自嘲を込めて、けれど、それ以外の何かをもって微笑んだ。

 

「――確かに、逃げだそうとは思わない」

 

 持ったもの。拾い上げたものを想いだす。

 背負った理由を思い抱く。

 

「――重くとも、辛くとも、自分のやりたいことをしていることにかわりはない」

 己の成したことを、否定する気はない。

 

 そうやって、穏やかに笑う。それは確かな誇りを持ったもの。

 それを呑みこんだ上で、背負ったものへの感謝を抱くもの。

 

――ふむ……。

 

 覚悟はとうにできていたのだろう。既に終わっていたことなのだろう。

 ただ、それを誰かに話してみたかったのだけなのだ。少しだけ、遺しておきたかったのだけなのだ。

 

「どこまでも自分勝手で仕方がないが――」

 

 呟く元旅人のその顔は、確かに法師様と呼ばれるものへと変わっている。

 少しだけ洩れ出た弱さの部分は、きっと、僅かに残っていた残響のようなもの。

 

「たとえ、その幻想(それ)に潰されることになろうとも、覚悟はできている」

 

 そう言い切る姿に迷いはない。

 

――振り切るための、最後の弱音……。

 

 己は丁度いい洞穴だったのだ。

 山彦だけが響く、ただ「ばかやろー」と海に叫びたかっただけ。

 何の価値もない。ただ、少し吐き出すという事に意味があっただけ。

 

――なら、それでいいんだろう。

 

 自分勝手に人を救う、村を守る。

 高尚な理想を持たずとも、崇高な目的を持たずとも、それで救われている者たちがいることは確かなこと。騙しているのかもしれない、勘違いされているのかもしれない。

 それでも、そうしたい。

 

 そんな身勝手さを実感するための確認作業。

 

「――確かに、聞きました」

 

 それを、居合わせた風に吐いただけ。

 ただ、風来坊が聞き届けただけ。

 

――そういう役目も、たまには悪くない。

 

 老人の役目――そして、愉しみの一つ。

 若者眺め、懐郷に浸るための僅かな会話。

 

――懐かしい……。

 

 そう思うため、思い出すための話の聞き役。

 昔を思い出すための――

 

 

 

 

「――ッ……」

 

 

 

 先程よりも近くなった声に、意識を切り換わった。

 

 

 

「――……」

 

 目を細め、村から森への道筋をゆっくりと、なぞるように眺める。

 鬱蒼とする木々の間は、真暗な闇を含み――そこに何匹いるのかは見通せない。

 

「――なんだ?」

 

 法師が、こちらの様子が変わったことに気づき、疑問の声を上げた。

 けれど、その気配へとすぐに気づき、ばっと立ち上がって身構える。

 

「これは……」

 

 静かな暗がり。

 村の入り口に掲げられた松明と月明かり一つの明度の中。

 その見渡せぬ森が――ざわめいていた。

 

 何かが近づいてくるような気配。

 たくさんのものが蠢く葉擦れの音。

 

「こりゃまた……」

 

 草むらが揺れ、一つの影が躍り出る。

 一つ、一つ、また一つ。

 まるで、森全体が動いているかのように、草が揺れ、木々が揺れ、葉が揺れて――獣の影が躍り出る。

 

「な……なんだ、これは……」

 

 呻くようにして、僅かな声を上げる法師。そして、それをかき消すような唸り声。

 

「――随分と、大所帯できなさったもんだ」

 

 周りを取り囲むのは、獣の群れ。

 爬虫類のような皮膚と犬のような体を持つ妖獣。

 森で出会った妖怪と同種のもの。

 

「こ、これは一体……」

 

 数え切れないほどの数。

 見渡す限りに広がる獣の群れに、信じられないと洩れる声。

 

 その疑問に答えるように。

 

「縄張り争い」

 

 低い声で答えた。

 言いながら、獣達の視線を集めるように、一歩前へ出る。

 

「な、縄張り?」

「ああ」

 

 相手はこちらの様子を伺い、まだ襲ってくる様子は見せない。

 その様子をじっくり観察しながら、法師に説明をする。

 

「あんたらが、あいつらの縄張りを侵したんだろう」

 

 村人の二人の話。

 それを聞いた上で考えられること。

 

――多分、最初はあちらさん(ようかい)の方が人間の縄張りに入ってきていたんだろう。

 

 弱い生き物、怯える獲物たちを抑えて、自分たちの縄張りを広げていた。村の子供たちが襲われたというのも、きっとそこまで獣達の縄張りが広がってきていたからだろう。下手すれば、村自体に襲い掛かり、滅ぼされていた可能性もある。

 けれど、それは法師さんの登場によって、未然に防がれることとなった。広げられた縄張りも随分と縮小をよぎなくされ、追い出された妖怪たちは元の住処である森の方へと戻っていったのだ―――そこまではまだいい。

 妖怪も、新しい狩場を失っただけですむ話だ。元の居場所さえあれば、今まで通りに生きていける。

 

 けれど――

 

「ねえ、法師さん。あの行列は――」

 

 自分があの時出会った行列の様子。

 集まっていた、今は畑仕事で忙しいであろうはずの若人集。

 そして、その手にあったのは、法師さんが作ったのであろう札や簡素な竹やり、鍬や鋤といった農具……精一杯の、戦うための準備。

 

 それが意味すること。

 

「あれは、妖怪退治のためのものだったんですね?」

 

 その問いに、法師さんは「こんなときに何を……」と訝しげに目を細める。

 けれど、正解ではあったのだろう。辺りを警戒しながらも、一応頷いてくれる。

 

 当たっても大して嬉しくもない答え。

 

 

「なら――」

 

 その答えに頷いて、息を吐く。

 目の前に広がるのは、うなり声を上げる獣たち。

 ただの獣の目ではない、らんらんと輝く、生きようとするもの妖怪の目だまたち。

 

――居場所を守るため、か。

 

 もし、自分たちの居場所が失おうというとき、それが獣なら、さらなる場所に逃げるだろう。

 彼らは、死に挑むような真似はしない、自分達が生き残ることを優先する。

 

 けれど、いくら獣に近くとも、妖怪は違うのだ。

 恐れられなければ、ただ狩られる立場になってしまっては、生きてはいけない――存在していられない。

 

――なら。

 

 挑むしかないのだ。

 自らたちが滅ぶかどうかの賭けでも、守り通すしかない。居場所を失えば、自らは消えるのだから――生きたいのなら、戦うしかない。

 

「――――!」

 

 言葉にならぬ声でほえる獣たち。

 それは存在をかけた叫び。

 

 これは――

 

 

「当然、戦争しにきたんですよ」

 

 

 いわゆる、戦というものだ。

 

 

 

 




随分と長くなってしまったので分断です。
後編は近日中に――

読了ありがとうございました。

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