東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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 訪れたのは偶然だった。
 気の向くまま、風の吹くまま……風に染みた花の香りに誘われるまま、気ままに歩いていた。
 そこで見つけた季節の色の華やかさと――ぼんやりとそれを眺める薄ら惚けた灰の色。
 奇遇というべきか。奇縁というべきか。
 奇妙なことにはかわりないものと、再縁した。
 それから、いくつかの言葉を交わし、いつかの語り続きを加え、ただただとそれなりの世間話を合わせて――それから、それから。

 その名前を聞いた――そのまま、名となったものを聞いた。

 そして、これからの先となる音を聞いた。
 古い音と新しい音を、同時に知った。






雲と雨継ぐ

 

 

「……まったく、これはこれは」

 

 呆れたような困ったような。

 自嘲に後悔、苦渋に諦観……少しの怒りが覗く、らしくもなく揺れた声。

 

「随分とまあ」

 

 面白がって、興味深げ。

 どうするのだろうという愉しみと……僅かな不機嫌含み、有り体そのまま平坦の声。

 

「どうします、か」

「どうするのかしら、ね」

 

 立ち位置違い。責任と無責。

 奇異な縁は多生と絡み、奇縁の種は新芽を吹いて。

 人には重さ、ヒトには軽さ。ナきにも何か。

 

 感じる己は、当人次第。

 

「触れてしまったからにはこれも縁、ということ……ですか」

「そうね。ちゃんと責任はとらないといけないもの」

 

 種蒔きヒトと咲いた花。

 肥えた土と外れた余剰。

 

 永き時間はぐらぐらと――(つい)(はじめ)に。

 

 

「……随分とまあ、大きな荷だことで」

 

 

 背負いなおして、また揺らぐ。

 永きからこそ、傾く世界()

 

 

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「ほう。では正式に」

「ええ、この地域の担当は私となりました」

 

 長い廊下、いくつかの裁きを終えた後の休憩時間……少し、自らの場を離れて休憩でもとろうかと考え、移動しているところ見つけた奇異な存在。

 本来死者が通り過ぎるべき道において、呼吸を止めていないそれは、いくつかの交渉の折にて、確かにここに訪れてもよいと許可は貰っている。

 だから、ここにいてもそれほどおかしくはない――のだけれども、それでも、やはりおかしなものではある。死んでいてもおかしくないのに生きていて、生きていながら死んだ者の場所に関わり深い。

 見つける度に、くすんだ白とよれた黒が脳裏に浮かぶ、古き人間が珍しくもこちらまで。

 

――また、何かの面倒事でしょうか。

 

 そう、つい気にとめてしまっての声をかけ案件――世間話と引き込まれる。「何をしにきたのか」と訪ねただけで、こちらの近況を話させられるまでの長話……長く生きれば、皆そうなってしまうのかと、少し己のことも省みてしまう。

 そんな井戸端世間な空気感。

 

「それはそれはおめでとうございます……でいいんでしょうかね」

「よりよい裁定が下せるようになるという結果を得たということならば、まあ、賛辞としてもらっておきましょう」

「なるほど……では、そういう方向でおめでとうございます」

 

 ありがとうございます。

 そう答えた私に、男は「ふむ」と呟き顎に手を当てる。そして、「今度は祝いの酒でも持ってきましょうかね」と、まるで、そこらの近所付き合いのような程度の言葉をのせて。

 

「それともまた違う場所で一献とでもいきましょうか。呑兵衛が落ちる地獄近くで呑むというのもまあ、乙なものでしょう」

 己が生きていることの益というのが実感できる。

 

 そう、ややというには妙な方向にずれたことをいう。

 不謹慎といえばいいのか。それもまた節度をわきまえなかったものに対する罰にもなるというべきか。いや、まずこの隙あれば酒に誘いだすという老人をどうにかするべきなのかもしれない――この前も、とある死神と誘い合わせて呑んでいたという、勤務時間に。

 一応と「呑みすぎないように」という戒めを与えておかねばなるまいと口を開いて。

 

「まあ、とっておきのおすすめを見繕いますよ」

「……仕事がない日であるならばおつきあいしましょう」

 

 うんと自信に告げるもの。今まで外れたことない土産物。

 

――……。

 

 私への祝いというなら、それを何もいわず受け取るというのも一つの礼儀。

過ぎるからこそ悪しきに染まり、足りずからこそ邪と注ぐことになるのだ。

 ほどほど節度を弁えて、己以外のものにもそれを還元するというのなら、また年長の責務ということにも繋がる。そういう道を継いでいくということならば、それもよい。

 一つの巡りを成す行為であると――そう、話が逸れた。

 逸らされたのかもしれないと気づく。

 そういえば、そうなると、そうすると――前例などいくらでも。

 

「そういえば、結局あなたはどうしてこちらに?」

「……」

 

 それを尋ねようとして私は男に声をかけたのだった。

 構えなおした矛先に、男の顔が少しと窮する。うまく誤魔化せそうだと――灰色で覆い隠せそうだったのにと、随分と閻魔という存在を侮っているのかどうか。

 

――やはり、何かあるのでしょうか。

 

 そんな顔をされては、腹の底を改めたくもなるものだ。

 鏡を置いてきてしまったが、その程度ならば閻魔()の瞳で事足りる。

 惚けた真っ直ぐと見通して、語るべきなら語っておかねばならない。どうせ数百年はその正式な機会は訪れぬであろうから、と。

 

「……いえ、最後の整えのための書状をとね」

 ちょっとしたお使いです。

 

 嘘ではなくても全てではなく――じとりとした私の視線に、ついと気圧されたように男は余所を向きながら答えた。

その、誤魔化すような笑みは拙く軽い。

そういうのに慣れた男にしては、随分と薄っぺらな歯切れの悪さで……どうにも違和感が増す。もっとこの男なら上手くやれるだろう、という疑念はある種の信頼ともいえるのか。

まるで、それは自ら追い詰められようとしているような。

 

「――それだけ、ですか」

「それだけ、というわけでもないんですが、ね……」

 

 私が閻魔であるということを思い出したのか。

ふっと息を吐き、あきらめたように目をつむって――それすらもわざとらしく大仰で、わかりやすくこちらをのせる。

己は罪人で、あなたはそれを捌く立場なのだと。

 

「ああ、と……そういえば」

 

 掌を隠すようにして片腕を懐へ。

そこから、今思い出したというように取り出された布包み取り出され――そこから少しの香りを感じた。

少し鼻を利かせてみれば、まだ新鮮な草畑の、色濃い香り。

 一幕経ても、まだ失われない香りがそこからじわじわと。

 

「それは?」

「茶葉、ですよ。貰いものだったんですが、使いきるには時合が丁度よすぎましてね」

 一人では呑みきれないほどの量がありまして、と。

 

 また、嘘ではない言葉。

 確かに、それを呑むには今が頃合い……過ぎてしまえば、段々と香りを飛ばしていってしまう。それは確かなことだろう。

 

「一番美味しい時に呑んでもらうのが一番よいですがね――お頼みしてもよろしいでしょうか?」

 

 こちらに頼みこむように目を細めて、それが差し出されてる。

 呑んでくれ、なのか。呑み込んで(・・・・・)おいてくれ、という意味なのか。

 分かりやすく濁り混じり――何かを詫びるように先手を打って。

 

「それは」

「まあ、ご近所づきあいの様なものですよ」

 免じてお願いします。

 

 立場と立ち位置。そういうことにして受け取ってくださいと暗に。

 まるで賄賂のように物言いながら、実際にはそれは罪ほどではないのだとこちらも見通しているのがわかっているだろうに。その他多勢と同じように閻魔(わたし)を扱うこの翁は、一体なんといえばいいのか。

 

 

「……では、閻魔庁への差し入れという事で」 

 受け取っておきましょうと、素直に礼もいえないのは何やら嫌な感覚だ。

 

 こういうところが、この男の扱いにくく渡しやすいという所以ではあるのだが――どうにもやはり、合わない感覚だけは抜けてくれない。

 何かあったとして、」この男を問題とするのは得策ではないのだが……白黒つけることはできても、白と黒に分けてしまっては棘となることもあるものなのだが。

 どうしても引っかかりとれなくて。

 

「……ここは裁定を下す場ではありません。だから、強く何かをいうことはしません――が、あまり障りが過ぎますと、こちらとしても動かないといけなくなるということは理解しておきなさい」

 

 精算するには互いに関わりすぎている。私としても、この仕組みとしても。

 共犯――とまではいかないものの、色がないとは決していえない。罪とは数えぬとも、全てが善行とはいいがたい。互いに益があり、けれど、誰かにとっての損へとも繋がっている。すっきり解れてはくれない、解してはいけない縁の糸。

 そう理解はしての――私の感情は。

 

「……ああ、すいません」

 

 理解し合ってのその交わし。

 手をあげて降参するように男は笑う。

 

「こっちもまだそれなりと死にたくはない。重々、肝に銘じておきます」

 

 温和に目を細め、軽く礼。

 忠告ありがとうございますと、ただ言われて通り受け止める。

 

「ええ、気にかけておきなさい」

 

 それは己を弁えている。

 それでなくとも、目を付けられて……目にかけられている。

こちらの古株の幾人かと面識があるために見逃されているだけで……罪で数えれば簡単に重罪人。成した善行を差し引いてとしても、それを数えていくだけで猶予を過ぎる。

 生きる罪。生き過ぎる罪。

 死んで、また背負いなおしていくはずのものをずっと餅続けたままの状態。死に縁遠いのは幸運ともされるのだろうが……それを通ることがないということはそれ以上に不遇といえるだろう。

 それは決して人では耐えきれない。耐えるには、あまりにもろい身体と精神しか只の人には与えられていないはずなのだから。

 

 この男――あくまで人間であるはずのものの、そのはずの例外として続くもの。

 

「……おや、誰か来たようで」

 

 廊下の向こう。

 綺麗に磨かれた木組みを鳴らす音が角の向こうに。

 

「では、そろそろお暇します――また適当な機会にでも」

 地上の酒もかなり上出来になった具合の頃に。

 

 そういって、頭を下げて去っていく男。

 出会ったときと変わらぬままの……いや、変わり続けるままに生きている、百代の過客。

 風来坊の好々爺。

 

 その後ろ姿を見送って――

 

 

「……まったく、何をしにきたのでしょうか」 

 

 わからぬままに通り過ぐ人。

 裁かれ遠き、人過ぎて。

 

 ふと、受け取った包みに目を向ける。

 

 

「いい香り、ですね」 

 

 残った香に、一つの涼。

 わからぬけれど、残り僅かとなってしまった休憩をどう過ごすかを決めて――うんと、伸びをする。

 

「さて、もう一仕事まで」

 

 あと少しだけ、一息を。

 

 

 

 

____________________________________

 

 

 

 

 

「これまた――お久しぶりで」

「ええ、そうね。よくこんなにもまあ、偶然と出会うものだわ」

 まったくです、とゆらり頷く。

 確かに最初も、それからのもう一度も、偶然であったのだ。一度目は通りすがり、二度目は通りすがられ……今回はばったりと。

 共通した鍵はあるとはいえ、随分とまあ強い縁だというべきなのか。

 

「この子たち以外に興味はなかったのだけれど――随分と、珍しいおまけがついてきた気分よ」

 それほど素晴らしい品というわけではなさそうだけれど。

 

 凛と声はそう響く。

 相変わらずの強き風――戸惑わぬまま真っ直ぐと。

 

「こちらの方はまあ、予感なんてものがないことも」

 

 合わせられた視線をくるりと外し、見回すの一面の絵。

 その彩色の行列に思い起こしたのは――また違う色の、同じ群。太陽散りばめた鮮やかな光景で、一際強く咲いた姿。

 いつかの始めの会話と、その後にあるとある問い。

 答えを出すには十分な時間があっただろうと……己でもそう頷ける。

 頃合いどころか、熟れすぎ程に。

 

それで(・・・)、決まったのかしら」

 

 前置きのない、尋ねの言葉。

 逃げの余地もなく、遊びのない遊びの問い。

 

「……そうですねぇ」

 

 胡乱と逃げるには少し時間を置き過ぎている。

 切欠、綻び、始めとしてはいささか以上に濃い時間を挟みすぎた。決めるとすれば、時間など腐るほどには多くあり、機会などは重すぎる程度にはいくらでも。

 すでに答えを出しても良い頃だろう――だと、己でも理解ししているというのに。

 

「……」

 

 すらすらと、語る言葉はでてこないまま。

 いくらかな沈黙を返して、目を細める結果となる。

 

 いざその時となってしまえば浮かんでくる、というものでもないらしい。いや、浮かんできたとしてそれが答えとして渡してよいものなのか。

 己が納得いかぬもの。すとんと落ちぬ言葉では、多分満足とはいくことはない――答えとしても(問いに対しても)答えとしても(己に対しても)、それではわからぬまま(いつもと同じ)で。

 

「……すみません、かね」

 

 頭を掻きながらそう返す。

 らしくない、らしくなくと思いながら、それでもそれを答えとはできないと。

 

「それは答えを見つけていない、ということなのかしら」

 

 膝を折り、視線を合わせるようにしてその花の色へと触れる少女。その姿は、あの日見た強きまま――くっきりとした印象深さと同じまま。

 また、焼き付くような輪郭となり。

 

「どうにも、ね――ただの名前ならいくらでも浮かんでも、しっくりと、底にはつくものがない」

 

 それに応えるようなものが――己の中に拾えない。

 種として、それが根を張るように、一つの形として己に根付くようには決して思えない。

 ただ借りるだけでは……それではずっと、変わらぬままでいるだけ。答えというのは、花が咲くことがないだろう、と。

 

「……まだまだ、己は名無しのままのようですよ」

 

 真摯に悩んで、その答え。

 いかにもちゃらんぽらんに生きてきたのだろうというツケが今になって己に響く。反響しすぎて、最初も最後もわからぬ幽谷響のように。

 空とぼけたものだかが己のうちに、ぽかんと。

 

「私は決めておきなさいといったのだけれど」

「粗悪な間に合わせを渡すわけにはいかないでしょう」

 これでも己は義理堅いのだ――そう思わせる。

 

「あんなにも」

 

 思い覚ますのは、あのときの名前。自身に投げ渡された、己を表す儘の形。そのままの姿を、そのままの形で文字とした。

 とても、似合いの。

 

「あんなにも良い響きをもらっておいて……半可に返せるほど、恥知らずにはなれやしませんよ」

 

 これでも、己は人なのだから。

 廃る男はすでに老いてはいるけれど、それでも己も人の端くれ。人の欲も、爺の意地も、それなりの矜持ぐらいは欠片と残る。

 空に描いた空虚の殻。空っぽな空洞ながらもどうにか残った器をなんと呼ぶか――悩みて考え沈んで探して、それなりの答えというのも、返したくなるもので。

 

「あなたは、相変わらずの妙な人間なようね」

「……まあ、否定はしませんよ」

 

 物好きながら考える、それがまあ老人のあり方だろう。

 何の変哲もなく、時代からずれているのが翁の証拠。今更ならば曲がりきって変わることもない。

 己のまま。己の欲のまま。

 

 その形のままの答えを晒すため。

 

「無駄に歳食って言い訳も物言いも回りくどくなっているだけ……その中身なんてものは、ずいぶんと単純なものですがね」

 

 ただ、そう思ったから。

 ただ、そうしたいから。

 そうやって、『年寄り』(ひと)ぶってみたいものだから。

 

「そいつが凄いと思ったから、己もそう返したくなった――そんなふうに、真似してみたかった」

 

 単純にいってしまえばそんなもの。

 無駄に格好付けて、無駄に鼻を高くして、もったいぶって話したい。薄っぺらでも、張りぼてでも、この永歳生きた永夜の城として。

 

 底抜けなりとも、しっくりと。

 

「まあ、こういう、肝心な時にこそ言葉に詰まる。まったくともう間の抜けた話です」

 

 己のこと。己自身のこと。己が語ってきたこと。

 そんなこと、そんな我が身を振り返ってに腑抜けにも躓いて。

 騙り口すら思いも浮かばず。

 

「――なら、あなたが好きなものの名でも並べてみたら」

 

 隣に落ちた影から、そんな言葉。

 瞳は変わらず愛しきへ向いたまま、そっぽの己に投げられて。

 

「名前があるからこそ、それは特別となる――けれど、その形に想いを込めるのは、それを呼ぶ誰かと己自身の想いでしょう?」

 

 

「私は――私が誇りと思うもの。そうありたいと願うものを『私』とした」

 

「あなたがそれに何を求めているのかは知らないけれど――あなたはそれをどう(・・)呼んでもらおうと思っているのかしらね」

「……」

 

 『誰か』を呼ぶために『誰か』が名付けたもの。

 『誰か』に呼んでもらうために『己』が名付けたもの。

 『己』を呼ぶために『己』が決めたもの。

 『己』の。『誰か』の。

 

 『何』を理由として、『誰』を理由として――どうして(・・・・)、それを得ようとしていたのか。

 

「……ああ、なるほど」

 

 己があの時語ったのは、誰かに触れるためのものだった。彼女がそれを得たのは、己を示すためのものだった。

 

 見せるため、語るため、何かに向けるためのものとして――それは。

 

「花は誰よりも美しくなるために色を持つ――では、あなたは」

 何のためにその答えを。

 

 そう、真っ直ぐ突きつけるような視線と――目があった。美しく染めあげられた彩色が、花畑(ほか)に埋もれぬ凛とした強さをもって。

 

「……」

 

 揺れない華が己に響く。

 己の底で根を張った記憶の華を刺激する。

 変わらぬものと変わったものと、強きものと弱きものと、壊れぬものと継いだものと――残響残る空っぽの内。

 忘れえぬ、忘れられたものたちが騒がしくも賑やかに。

 

「ああ、そうか」

 

 そう、それをそのまま言葉とするならば。

 空っぽの器に、注がれ残ったその泡。随分と古くさくなってしまったそれを名付けと語るというのなら。

 

 たとえばそう、それを例えていうのなら。

 

「――」

 

 ごう、と。

 強い風が吹き抜けて、花の畑がさざ波立つ。

 むせ返るような濃い香りが空に満ち、隙間を埋めて、無色を染めて――それでもなお、混ざらぬ色は。

 

「――なんてのは、どうでしょう?」

 

 思いついた言葉をそのまま呟いた――その間の風の音に、届いたのか届かなかったのか。

 怪訝な顔をした少女は、きょとんと瞬きして。

 

「それは――」

 

 そこに。

 

 

 

「――――」

 

 またかき消して、何かが鳴いた。風の音ではない混ざった命の。

強い音はそんな老人の薄っぺらさなど、とくかき消して――また、強く。

 

 また、一つの振り出しから――とでもいうのだろうか。

  頭を抱えてそう、少し。

 

 

____________________________________

 

 

 

 

 

 土産に置かれた茶葉。

 ちょうど通りかかった部下にそれを頼んで煎れたもらった。もらいものに対して不作法ともいえるが、残りは皆で好きにしていいといっておいてので、まあ、等価といったところ。

 

 そう、前に置いてから。

 

「――美味しい」

 

 ふっと一息、心が着けて――さてと、残務に取りかかった。

 裁判ばかり、矢面に立つ場での仕事といえどもそれでも裏方とは繋がっている。わずかながらの書類仕事というのも、少なからずと積み重なって、それなりの量をそろそろこなしておかなければあとで後悔することにもなるだろう。

 

 だから、少しずつでも山崩しに、と。

 

――ただでさえ、皆忙しいですからね。

 

 変わったばかり仕組みが整うまで、まだまだかなりの時間がかかるのだ。休んでばかりはいられない。

 束の仕事を後回しにはしていられないのだ。

 

「……」

 

 息込んで――ふっと息。

 とはいえ、さすがにこれだけ仕事が積み重なっては疲れも溜まる。肉体的に、精神的にそれをこなす気概があろうとも、気力というものは有限だということだろう。

 働かなさ過ぎも悪いが働き過ぎも同じように悪いのだ――そう、同僚にも言われたばかり。少しばかりはこの仕事の量も抑えて、ちょっとした趣味にでも時間を費やさねば裁く立場が地獄落ちということにもなってしまいかねない。

 早いこと、何か解決策を見つけることが必要だ、と。ふと、顎に手を当ててみて……。

 

 

「――あれが死んだら、ここで使うというのもよいかもしれませんね」

 

 あれならば、知恵袋としては十分だろう。生き過ぎた分の年月を生かすことにも、それを償うということでの意味にも繋がる。

 その余罪と余善を洗い直すまでの、その少しの足しにも――。

 

 

「四季様。先の件の資料を持ってきたのですが」

「ん……ありがとう。ではその辺りに置いておいてくださ」

 

 そういって私の私室に訪れたのは先ほど茶を煎れてくれるように頼んだ部下の少女。いつは資料整理や数十年分の裁判の記録を書き留めているはずの……今世の代。

 稗田阿礼の、生まれ変わりの中途へと立つもの。

 

「……」

 

 彼女もまた、恒常からは外れた生を得た人間。

 与えた許可は――本当に与えて良いものだったのか。

 それは先にならねばわからない話。白と黒ともいえぬ、先例なき先のことで。

 

 

――ヤマザナドゥ……。

 

 楽園の閻魔。

 その『楽園』とは、一体だれにとってのものなのだろうか。その楽園とはそこに暮らすもの、それらを作ったモノたちにとっての都合良い居場所ということで――その益となるだろう部分に、己たちも乗せられて甘い汁を吸っているだけなのかもしれない、と。

 

――箱庭に囚われてしまったのはこちらも同じ。

 

 その一部として利用しあっているだけなのかもしれない。そして、それに巻き込まれただけの被害者として――それを使っている己たちもそれだけの業を負う。

 

 理解しながら――益を取る。

 手前勝手で、それでも存在しようというのは生まれたものとしての一つの意味なのだから。

 

 裁くために熱を呑む、閻魔とはそういう存在で――。

 

「――お茶受けです」

 

 そんな思考の前に、そっと小皿が差し出された。

 顔を上げれば、その代わりのお茶をお盆に乗せた同じ姿。握っていた湯呑みを見れば、すでに中身は空っぽで。

 

「こちらも貰いもので失礼しますが……」

 味は絶品です。

 

 自信ありげな笑みと置いた湯呑みに注がれ広がる香り。

 焦げ茶色の器にのせられているのは、包み広がる笹の葉っぱと、その上で照る透明と黒の楕円形。

 きれいに透けた回りの冷やっこそうな透明の部分に芯として丁寧に漉されたのであろう餡の甘さが包まれている。

 

 見た目にも、想像にも。

 

「ちょうど人里での新作を貰いまして……間に合わなかったので食べられないと思ってたのですけど」

 頼んでおいて正解でした。

 

 そう、幸せそうに。

 

「……ありがとう」

 

 その言葉に、辺りがついて――それ以上は思いつかなかったことに。それは今度あったときの叱り(説教)として残しておくことする。

 

 それくらいには目の前のモノは涼やかに美味しそうで、一口含めば、そのままの想像が解けていく。

 この涼の甘さは確かに……今食べるのがきっと旬なのだろう。来世(つぎ)に持ち越すにはあまりに惜しい。

 生まれたばかりの味を、生まれた時代に初めて食べる。

 日常にとって、これ以上にない特別さ。

 

「やっぱりあのお店は最高です。ずっと続く老舗なことはありますよ」

 

 熱弁されて、溺愛していて、ふっと笑ってしまう。

 間に合わなかったはずの味を知り、また再び訪れる白紙の日々を夢見て――また、昔から噛みしめて。

 訪れる先はきっと闇も同じ……けれど、知った灯りがともったまま、時折流れの中に落ちている。

 

 空気は変わって、けれども続いて。

 

 

「……はあ」

 

 

 息を吐いて、前を向く。

 湯気が揺れて、視界が晴れる。

 

 おぼろげな先は恐ろしくも――一吹かば、雲晴れて。

 当たり前の日常に。

 

「美味しい、ですね」

「はい。これなら、また先も楽しみですよ」

 

 そう笑う。

 笑えるだけの意味を持つ、ただの甘味だけれど、確かな形。

 

「……」

 

 つみ重なっているのは、どこも同じ。

 他人の心はわからないけれど――知っている誰かがいるという心は知っている。

 あの、あからさまに裁かれたがっているようにも見えるあの珍奇存在も、それなりの複雑を抱えていることだろう。

 

 その僅かな償い――己を許すための無意識の行いの由。

 

――それもまた、罪に贖うということになる。

 

 そういうことに。

 生きているからこそ……死なぬままにいるからこそ。

 それもまた一つの裁きの形だと。

 

「そうですね」

 

 菓子の味。

 透明色に包まれた甘さは深く、まるで水底に深く沈んだ色のように――刺しこむ灯りもまた緩くたゆたい、僅かな熱を残して散り残る。

 

 真黒く。真白く。

 遠けれど、地続きのまま。

 

「また、次も愉しみにしておくことにしましょう」

 

 風が回れば再び雲も流れ。

 次の機会もいくらでも。

 

「……そろそろ休憩も終わりの時間ですね」

 

 その機会に、最良を選ぶための今を生きて。

 それもまた、一つの形。

 

 

 一息と、ついと少し。

 流れる雲はいつかは雨となることもあるのだろうか――なんてことを、すこしだけ考えた。

 

 

 地底にそれはないけれど、薄暗い煙はもくもくと散っていく。

 

 

 

 





牛歩のごとくすみません。
読了ありがとうございました。

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