左腕に触れた指は僅かに温く、冷やりとした手にするりとその温度が染み込むような感触で――そこで、その感覚が戻ったことに気づいた。
「ふむ」
動かなかった腕。失くなったものがまた存在する違和感。
確かめるようにして拳をつくり、また崩してみてそれがあることを思い出す。
確かに、全く同じ。動かぬようになる前と何も変わってはいない。
「さて、では」
こちらの様子にうんとそれに頷いて、男は手を伸ばした。
手のひらを正面に広げて、何か待ち受けて――そこに落ちたのは、先ほどから手遊びのように弄び、高く放り投げられた小さな小石。その過程で血で汚れ、真朱と染まったそれをぐっと強く握るようにしてから……それを自らの―傷口《腹》へと押し当てた。
「っつ……」
僅かなうめきと力の流れ。
塗れたそれを媒介に通された力が空いた穴に広がって――薄く覆ったところで、それごと大きめの布で巻きつける。どうやら、その布にも何かしらの仕掛けが施されているらしい。香ったのは薬のような苦い香りだ。
「そんな力と知恵があるのなら、もう少し|やり方もあったであろうにのう」
「……」
慣れたやり方。手早い方法。
明らかに、そちらの方も本業である術の行使に、そう思う。
けれど、男は笑って否定して――
「応急処置程度ですよ。そんな大それたもんじゃないのでね」
顔色の悪く、言いながら汗を拭った。
傷は致命には届いていないようだったが、身体に障るものであったことは明らかだった。
そこに施された術は、表面を覆い被せることで、それ以上力が抜けていくのを塞いだ程度のものらしい。少しはしゃげば再び血が噴くだろう。
確かに、それ程で。
けれど、それでも思うのは――この男なら準備さえすれば、いくらでも使えるように使ってくるだろう、そういう確信。手加減されていたというのなら、それはそれはこちらの気に障る。
「……まあ、確かに」
曇ったこちらの顔に気づいたのか、男は困ったように眉を顰めた。
いささか恥じているような表情をして、額に手を当てた。
少し息が深いのは、やはり傷が響いているのか。
「確かに、色々と仕掛けやら手番やら、ちょっとした小道具なんぞっていうのも考えだんですがね――まあ、そうはいっても相手は鬼。鬼の力と豪腕前に小細工なんぞ通じない」
緩く笑んで両手を広げ、諦めを示すように嘆息を吐く。
仕込みも誤魔化しも、惑わしも崩しものせて――それでも、一に足らずと。
「それが少しでも叶ったとして――それで本気になられて、金棒担がれちゃ敵わない」
こちらは人で、こちらは鬼で――ならば、加減をされてぎりぎり勝負になるかどうか。
一撃で終わってしまう一か八かよりは、数多く苦しみ多くとも、長く機会を持てるように。
相手にできるはずがないものを、できるだけ続けられるように。
それがたった一つの方法だったと。
「ふん、見てもおらんというのにのう」
こちらの言葉には。
「百聞聞けば、一見程度にゃ及ぶもんですよ」
また、口の減らぬ言。
回る男は相変わらずからから口を。
鬼としての力――腕力だけではない、人ならず者の超常の力。使わなかったから使わなかった……先に見せてしまっては、意地で負けてしまうという、ごく単純な意地を見抜いて利用したのか。ただの希望的観測だったのか。
「世にも轟く力が象徴……真正面から受けるの伝えの盾すら畏し限り、とね」
それよりは、素手で殴り合った方が幾分まし、と。
上手くいったからいえるのだろう軽い調子に。
確かに、そうしていれば一瞬で終わっていたのかもしれない。最初のやりとり、始めの交わしで――そういう意味では男は賭けに買ったのか。使わなかった、己の失敗なのか。
「それにね。言ったでしょう」
脆弱な人間――多分、そのままではないのだろうけれど、外れきってはいない男。
それは最初と同じ、ゆるりとした態度まま。
「話し合い……ただの、世間話だと、ね」
鬼を対手にそんなこと。
終始一貫、そんな
「さて、準備も整ったことですし」
おかしな人は、まだ語り――運ばれたきた盃掲げて。
「乾杯、献杯どちらとなるとも――ひとまず、空けますか」
祝い末期のどちらか
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「こんにちは」
「……おや、これはこれは」
快晴の空にちらほらと雲を浮かべた程度の晴れ日和。
風は冷たくも温くもなく、日差しはゆるく柔くと陰りとその間を繰り返す――つまりは、とても平凡な天気のこと。
落ち着き払って、これはあまりにつまらないんじゃないだろうか、なんてつらつらと意味のなく考えてしまうくらいに退屈に平和な日に……わずかに通りかかった雲。
紫色の八の雲。
「どうかしましたかい。隙間妖怪殿よ」
こんな明るいうちに現れて。
そう、視線は水面の揺るぎに向いたまま。
垂らした先にある針を想いながら、木製の浮きを眺める。ぷかりぷかりと波間に揺れて、ぷくぷく浮き上がる泡がそれを惑わす様――そんな、いい具合で微睡む老人の背中へと。
「いえいえ、妙な人間を見かけたから、少し声をかけてみただけですわ――ついでに、少しだけ用事もね」
「そりゃ、失敬な」
ただ、爺が釣り糸垂らしてるだけでしょうに。
失礼な言葉に遺憾の意。
かかかと笑って、くすりと笑われ。
どちらも恒常通り――そう見えるようで、いささかの違い。
「そちらは、ずいぶんと草臥れているようにみえるのだけど」
「そちらこそ、随分とおめかししていたご様子で」
腰を下ろした草の地面。
その隣に上品に腰を下ろす少女の姿は異国の淑女を飾るもの。折り目正しく、見目麗しく……ああ、疲れた疲れたなんて、気の抜けた加減さえ除けば立派に少女を雅にみせつけていただろうに――それはもう、やる気なさげに着崩れて。
「まったく、折角のおべべが汚れてしまうでしょうに」
「いいのよ。もうしばらくは使わないでしょうから――あなたこそ、家で寝ておかなくてもいいのかしら」
そういって指されたのは、着物の合わせ目――腹に巻いた
痛みはほんの少しだけ。
「独りものですんでね。どうしても、食は調達してこなけりゃどうしようもない」
「あら、あの倉にはまだまだ備蓄があったはずだけど」
「……こんな様だからこそ、精力がつくものを食べておくってことですよ」
力をつけなければ、そう語る。
それを持ってきてくれる人はおらぬのだから――いたとしても伝えようがないのだから。
食料が勝手に増えることなどはない。結局は自らが動くしかないのだ。
軽くふれた傷口は、無理をしなければ大丈夫。なら、なるべく早く回復するためにはそれなりのものを摂取しておく。肉体的にも精神的にも、美味いものを食らうというのは身体にとっても良いことで、一番の回復の道である――あくまで、無理を過ぎなければ。
「それはまた、今晩の食事が楽しみですわ」と勝手なことを宣っている少女。
そもそもなぜ己の倉の中身を知っているのやらと。
二重の意味をこめて「やれやれ」と首を振る。
ちゃんと秘蔵の品に結界はかけておいたので大丈夫ではあるだろうが、一応後で確認をしておこうと決めて。
「快気祈願の苦み走った薬膳でよいのなら」
「勿論、そこには百薬の長もつくのでしょう? どうやら
「……」
悪態のような軽口に、向いた笑みは意味深げ。
「何かしたのでしょう」と確信と「何をしたの?」という問いが混じりあって視線と向かう。
やはりと、予想通りにばれてはいるのか。まったくと、隠し事は上手くはいっていないようだ。
「ふむ、なんのことやら」
あちらのことはばれていそうなものではあるが……渡すつもりはない。とぼけて誤魔化し、独り占めさせてもらう。
そうやって守りの陣を引こうとするも。
「――前に私があそこを見物にいったとき、何を言われたのだったかしら」
眺められた先の空……朧気な昼の月と嫌みな笑み。
己を棚に、見せつけるように弱みを突いて。
「そういえば、幽々子も少し前に妙なものを見たとか言ってたわねぇ……
わざとらしく付け加えられた、いつかの白昼夢。
どうやら既に、口裏合わせと外堀埋め終わり、逃げ口上は塞がれている様子……その早さは思いの外にその怒りが強かったということなのか。
これで、誰も人のことは言えないことになってしまった。けれど、己がそれの一番後だから貧乏くじで。
まったくよくある話。
だからこそ、ばれたくはなかったというのに。
「さてさて、なんのことでしょうねぇ」
さらにとぼけて老人仕草。
くいと返して糸をとり、とれてしまった餌をつけかえて……その動いた針の動きに反応したのか、大きな口にびっしりと細かな牙の生え揃った巨魚がこちらに飛んできたのを、竿の先でぴしゃりとたたき落として、おもりを調整した糸を再び投げる。
今日は未だに坊主のまま。日が悪いのか、間が悪かったのか。
「……」
ぽちゃんと波紋。
波が落ち着き、水面が戻る。
写るのは並んだ二つ――片方は、じっとこちらを向いていて。
「……確かにもめ事はありましたがね。あれはご近所さんへちょっとした挨拶と少しの世間話をしに行っただけ――何があったとしても、ただ、少しご近所づきあいに失敗しただけですよ」
何もしていない……何も起こっていないのだから、何もなかったのと同じこと。
注ぐ視線に耐えかねて、少しとそう漏らす。
「そのわりには結構な瀬戸際だったようだけれど」
「人間なんざ油断すればいつだって……一歩外さばおっ死ぬものでしょう」
釣られる魚と釣られなかった魚。
どちらも餌に食いついたのは同じ。針があるかなかっただけの話。それと同じように、生きているというのは偶然そうならなかったというだけの繰り返し。
たまたま巡ってそうなって、ただたん廻ってそう成った。
ただ、それだけで。
「恒常通り日常通り。廻り巡ってそうなった――その一部が
溶けた波紋が泡を呑み、泉の水に空気を食らう。
何事でもないものが何事かへと連なって、何かしらのための何かを産んだ。
「
「……こんな爺さんでも、生きているなら何かしらと関わることもあるもんでしょう? 時間をかけてこの世から酒樽一つを呑み干してしまう程度には、とね」
そのくらいには大事である。
おかげで少々頭が疼くのも、まあ、偶然呑みすぎて、この世から酒を減らしてしまったからの弊害で。また美味い酒がこの世からと消えいきて、残るは思い出と頭痛のみという、一飲兵衛としては大変な大事件。
その程度には意味があり。
「そういえば、あれだけたくさんあった貯蔵が随分ごっそりと減っていたわねぇ」
「たまにははしゃぎたくもなるもんですよ。たとえ、年甲斐のないことだとしても、ね」
経ているからこそ、その時々に。勢い任せに勝手と動く――そういうのもまた、老人の常。悪い癖でもあるもので、もし、そのとき何かをしてしまったのだとしても、酔っぱらいの世迷い言、酔いの合間に失せたもの。
ただ残るのは、美味い酒を愉しく呑めた……呑めていた時間があったというだけの、いつも通り。
――想い出はきれいに……昔にあったことは、その分だけ良かったように見えるもの、とね。
昔は良かった、美味かった。
美化され飾られ、当日以上の感情で塗り固め、またあの酒を呑みたいものだなんて、想い出に。
いつかのいつもも、美麗に見えて。
「随分と気ままなものね」
「爺さんですから、とね」
たまには若振りたくもなる、と。
そんな爺臭い経験談など聞かされて、いつまでもお若いままの少女は、呆れたように息を吐く。
己の成したことなど、これっぽちもわかっていない小人の、言い訳めいた供述。それに心底呆れ果てたと疲れたように頭を抱えて――くすりと、その下で。
「……引いているわよ」
「おや」
少女は浮きなど見ていなかったはず。
けれど、確かにそれは揺れていて、指先には確かな重さ。
「これはこれは――随分と」
大物だ、と呟いた。
すいと力を込めて引き上げて、先に食いつく獲物を視認……真朱な色にきらきらと鱗が明るく、
「まあ、こういう
「確かに、そういう
海を上れば湖泉と連なり、鯛は海老で釣れるもの。別段、特別なことなことがあったわけではない――たまたま偶然、そんなことが起きることもあるだろう。
億千あれば万が一、出くわすときは出くわすものだ。
「運が良かった、そういうことにしておきますか」
「ええ、いいものを引き当てた――そういうことにしておきますわ」
互いに笑ってうんと頷く。
まあ、縁起は良いのだ――めでたいことがあったわけでもないが、それも時にはよいだろう。ここまで生き延びているというだけでも、十分におめでたいことなのだから。
「これで、今日の食事は豪勢になるわねぇ」
腕によりをかけ――皿ぐらいは洗って帰ってくださいよ、と小言は忘れずに。
針を仕舞って――いつも通りと帰路へとついた。
仮宿ならぬ己の巣へと。
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「で、よかったのかい大将?」
注がれた酒が温く解けて香をたてる。
暖かさ、流れた空気、過ぎた時間……それら全てを呼吸して、まるで血の通っているかのような変化を見せる酒。
そんな面白き味を舌で転がすように呑み干しながら、そんなことを問うてみた。
「気に入らぬ、か?」
「いやあ、別に」
言葉が反る中心にいるのは、先ほどまで暴れていた張本人。
大将殿は、すっかり元通りとなった右手左手それぞれに杯と瓢をもち、なみなみと呑み込んでいく。
鬼には薄い人の酒。水のように透けていて、けれど、確かな味を持つ。
まるで、持ってきた輩のことを示しているような……食えぬ相手が持ってきたにしては、易きそれを傾けて。
「私たちはどんな形であれ、暴れられるとこがあるなら満足だよ――それに、力が全ての鬼の世間だ。
「まあ、それでも不満はでるだろうけどね」
私のいった言葉に、隣で同じように盃を呷った鬼が口を挟む。
その小さな形で、それ以上の酒を呑み込んでいく不思議は確かに小さくとも百の鬼がいるようだ。
いや、人のことはいえないのだが。
「今まで好き勝手に暴れていた分、我慢ならないって奴もいるだろうさ。後先考えない奴だって、一匹や二匹じゃないだろうしさ」
「……まあ、そうじゃろうな」
ぐびりと、また一口。
酒樽もまた一つ空となり、主人が溢す。
「これは儂が勝手に決めたこと、守れと強制する気はない――が、まあ、住処は移すことにはなる」
一体、それにどれだけがついてくるのか。
本気で悩んでいる様子で大将は口元に手を当てた――それはいささか寂しそう煮も見えて。
馬鹿なことを、と隣の赤ら顔と互いに笑いが込み上げた。
まったく、頭は回るというのに、そういうところには鈍いまま。親の心子知らずも、子の心親知らずというのは鬼もまた同じなのか。
まあ、丁度良い席ではあるのかもしれない、そう呑みすぎた頭で思う――そう過ぎているから、そう思うのだ。
「まあ、よっぽどの事情がなけりゃみんな大将についていくだろうさ」
「もちろん、私たちもさ……なんだかんだと、みんな同じだろうしね」
いった言葉に首を傾げて、「そうか?」と疑問系。
「やりたいことがあるなら、勝手にしてもよいのだが」とこちらの意を理解していないことをまた言う鬼の母の名を持つ神に。
「いいや、嫌でもみんなついていくよ」
「そうそう。やりたいことってんなら、それがそうだろうからね」
含み笑いをそこそこに、告げる言葉は酒混じり。
そういう席だからこそ言ってしまえることもある。
「……なんだかんだいってもさ。
だから、大丈夫。
「勿論、萃香もそうだろ?」
「勇儀も、ね」
軽口のように酒臭い息。
鬼とするには少し甘い心地で、まあ、鬼の目にも涙もあるのだからと、笑って誤魔化して。そんな
慣れない酒だから、ということだ。
「……はっ」
少しぽかんと口を開けていた大将は、にたりとその笑みを深くして――愉しそうに吹き出した。
らしくない。おかしいばかり。けれど、悪くは思っていない。
そんな複雑な感覚を飲み干して――同じように悪酔いしたのか。
「なかなか泣かせることをいってくれるのう」
かかかっと、豪快に。
楽しそうに、嬉しそうに樽ごと煽る――流石に鬼でも、あれは顔も紅くなるほどだ。
「よっしゃ私らも」
「まだまだいっぱいあるしねぇ」
巡りもやんややんやと盛り上げリ、ただ呑んでいた酒が宴に変わる。
笑いも笑い、騒ぎに騒ぎ、楽しに楽し。
こればかりは、数がいなければつまらないだろう祭りの様。
「まあ、この先の居場所はどうやら用意してくれているようじゃしな――あの隙間の奴も、なかなかのやり手のようだしのう」
それを眺めて大将は大層機嫌良さそうに。
普段は褒めない性質の相手だろう、先ほどの駆け引き相手について――本当に間の良いときに現れた。あれは系がっていたのかいないのか。
どちらとしても損ではないもので。
「やんちゃな餓鬼どもの遊び場には十分すぎるだろう。あれなら、どうとでもなる」
広い土地。勝手にしても良い大きな遊び場。
よくもまあ、あの雁字搦めのお堅い組織の、その内情まで詳しくしっていたのものだ。
あの八雲という妖怪もまた底知れない、萃香の知り合いではあるらしいが――一体何者なのだろうか。
「……ああ、そういえば」
ついでに、と思い出す。
よくもまあ、あれと同じくらいの印象を残す人間がいたものだと。
「あの若作りの爺さん、本当に、放っておいて良かったの?」
「そうだね。約束もなしにさよならってのは――また、逃げられそうだ」
酒の席なら見かけても、なかなか喧嘩は買ってくれないしね。
そういったのは小さな百鬼。そういえば、そちらも縁があったのだった。それが自分のものと同じ相手だったとしってひどく驚いた覚えがある。
「ふむ……まあ、大丈夫じゃろう」
それにうんと頷いて、大将はそういった。
どうやら何かしらと確信はしているようで、根拠はなさそうに断言する。
「あれはいつか勝手に巻き込まれてくれるさ……そういう、いつの間にか渦中にいて、いつの間にか騒動の中心にいてしまう」
そういう型の人間だ。
そういうものに憑かれた人間だ、と神にすらも太鼓判。
そんな人間がどこにいるのか……頷けてしまうのがおかしい限り。
「どうにもこうにも生きすぎて、何でもかんでも手を出せてしまって――どこにいても、はまってしまう万里に勝手の良い人間。舞台が回るのにあれほど丁度良い人間はそうもおるまい」
よくもまあ、あんなものが生き残り続けているものだと。
いや、だからこそ、あんなもの、だからこそ生きてきたのか。
なるほど、長く生きてみれば面白いものをみることもある……永く生きたあれは、一体どんなものに出会ってきたのやらと、随分面白い。
「……それにな」
それは、大体己の印象と同じものを大将ももっているらしい。
あったものににたような印象ばかりを持たせていくよくわからないもの。
その影響なのか――少し、想ってしまうのか。
「儂も少し、見てみたくなった――いや、知ってみたくなったのか」
その時々。その折々。
とった天下を城とする。ねぐらと決めて、飽きるまで、いつかは過ぎていくものとして。
そんな鬼の住みかとはまったく、別の。
「己が帰る場所があるというのは、どういうものなのであろうな」
笑っていた男――あれが望んでいたのは、そういうものなのだろうか。
欠けることのない、過ぎてしまうことのき場所。
私たちの、知らぬもの。
「仮宿ではない、
どんな、ものなのか。
「……鬼の都、ね」
「そんなの、考えたこともないなぁ」
似たようなもの、そのようなものなら知っているかもしれない。
けれど、その幻想が実現した形を私達は知っていない――まだ、見たことがない。
それは続けていなければ見れないものだから。
「なら――その始めとなるのも悪くないかもしれぬな」
偉業をやり遂げるというのもまた、『人ならぬ《鬼》』として様。そう、あの男なら嘯き笑うのかもしれない。そんなことを……舌を濡らす酒に想った。
みな同じように。
そして。
『いつかまた、枷のないお主とやってみたいものじゃのう』
『ああ、私も一度やってみたいな。前のは半端なもんだったし』
『そういえば、私も約束があったねぇ。いつ頃がいいだろう』
あの席で、ひどく曇ったあの爺さんの顔を思い出し――笑みを肴と呑み干した。
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とくとくと注がれる音の波。
解かれた片腕でそれを受け取って、少し置いて返礼を。
片腕が動かぬままというだけで随分不便ではあったのだろうが、これはこれでゆっくりと味わう分にはちょうどいいかもしれぬ、と鬼はそう笑っていた。
酒を呑むために、互いの傷を交換して――それからやっと、ただの話をしている。
鬼と人。今と昔。過去と未来と――先のこと。
「……急がないでくださいよ、
喧嘩も酒も、急けばすぐに失くなるものだ。
過ぎてしまえば、呑む機会すら減っていく。
そういうことがあるのが、永く生きた日々の常。
「そんなに
「今のまま……芯の変わらぬ形で
それはきっと――それがきっと。
「過ぎた爺さんはね。そう、思うんですよ」
だから、と
美味そうに。楽しみそうに。
そう思ってしまって――また
「この酒の味と――その先までを眺めてからでも、遅くはないでしょう」
かんから笑い、そう吐いた。
夢想の向こうの、蝶の夢。
目が覚めなければ、夢も現実と。
更新遅く申し訳ありません。
読了ありがとうございました。