東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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酒と語りな翁の話

 

 

 研いだ刃は、それだけ切れ味を増していく。

 薄く薄く。鋭く鋭く。

 ただ一点へと。ただ一振りへと。

 集約された片の刃。振り絞られた寄った型。

 

「……か、はっ」

 

 ただのそのためだけに、という歪な形。

 異物を総て除いたそれは、他からすれば酷く脆い。斬るための形がまったく受けには向かぬよう。鋭さを増せば増すほど、簡単に折れる脆弱さに繋がるよう。

 一歩外せば、奈落底。

 受け損なえば、触れるだけで折れてしまうだろう。切り外れれば、乱れただけで崩れてしまうだろう。一手の失敗で、そのまま命。遙か山上、上空彼方の綱渡り。

 踏んで外せば、一巻終わり。

 

 躓けば、それが最後だと重々承知の上だった。

 

「――これで、仕舞いか」

 

 静かに落ちつた声が、そういった。

 力は抜けて、ひどく緩んだ様子で――息つくように、こちらに落ちた。

 

「……そう、です、ねぇ」

 

 吐き出したのは枯れた息。

か細く湿気りて、絶え絶えやっと。

 喉奥からこみ上げるのは、きっと黒を命で染め抜いた。

赤と鉄の混合色が、わずかに漏れて。

 

「そう、いうのなら――」

 

 くうくう。ゆうゆう。ひゅるひゅる。ゆるゆる。

 腹に空いた洞穴で、温い炎が欠けていく。

 重さが抜けて、鉛の軽さが沈み落ち。

 

「終わりと、しましょうか」

 

 重い瞼は、今にも落ちそうに。

 堪えたは、ただ僅か――ほんの少しの言葉の間。

 

 

 それでも、確かに言葉となった。

 

 

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「――がっ」

 

 地面に叩きつけられ、空気が漏れた。

 痛みと息苦しさに一瞬意識が混濁して――けれど、こちらに降り落ちた影の先を見て、半ば本能的に身体を動かした。

地面を這いずり転がって、不恰好に呻きながら。

 

「――」

 

 のたりとどしん。

 己が今までいた場所に重い砕音。乾いた破片が頬へとぶつかる。

やっとのことで余震から回復した頭を回してみれば、己が先ほど叩きつけられたその場所は二重底に。破砕の痕が二重丸に刻まれて、深く沈んでその余韻を語っている。

その中心には勿論、長髪揺らす美麗な姿。

 

「――避けられたか」

 

 くるりと、それは振り向いた。

 吊った頬は愉悦の証か。

この遊びがまだまだ続く、それがとても嬉しいのだと。

どこまでも怖ろしき羅刹のように、童っぱのような無邪気さ込めて、その左腕を引き抜いてぶんと乱雑に。ぱらりぱらりと、地面の名残が散らばった。

似たように払われた己は、息を吐いて立ち上がる。

 

「――なんとか、ね」

 

 絶え絶えにせき込めば赤い色。

 どこか口内を切ったのか、内腑の何処かを痛めたのか。口端からは鉄の味が滲む。

 重くはないが、軽くもなく。すこぶる体調思わしくない。

 それでも、拭いながら息苦しく言葉を続ける。

 

「一本、とられましたよ」

 

 向けた視線は、そのぶらりと垂れ下がったままの右腕に。その動かないはずのものを見据えて――痺れた己の腕を摩る。

 

「まさか……あんな手を使ってくるとは、ね」

 

 正面に食らった、最初の一撃目。

 あの瞬間、自身の体に振り下ろされたのは、確かに動かないはずのそちらの腕だった。ぶらりと揺れるそのお荷物(・・・)を使われたからこそ、驚き嵌まった。

 正面に不意を――ほんに鬼らしく、中てられた。

 

「――そんなに驚くことでもないじゃろうて」

 

 鬼は破顔し、己が右肩を軽く叩いて見せる。

 そんな言葉ながら、「どうだ驚いたろう」なんて悪戯っぽい想い透け、「己もなかなかやるものだ」なんて自賛の態度をきざはしに覗かせて。

 尊大無邪気に、誇りっぽく(不遜)、愉しげな。

 

「動かないというのと、使えないということとは違うじゃろう?」

 

 そう、勝ち気に笑う。

 古く積み上げた(誇り高き)己を持って、見せつけるように振るって。

 慣性のままに武器は揺れ。

 

「……まったく」

 

 殺気はあっても邪気はない。企みあっても悪意なし。

 単純に、ただそれを為す。楽しみのみという性質の悪さ。

 どうにもやはり、やりにくい。まともにやって、喰らわせられるお相手だ。心中わき出る文句はそんなもの。

 

――さすが、というとこですかねぇ……。

 

 笑み深く。らしくある。

 一番難しきことを平然と為すのが、その存在。

 

「あまり無茶しないでくださいよ――その腕もニ、三日で動くようになりますので、ね」

「ほう、そうなのか」

 

 ぶんぶんと、改めて乱暴に。

 身体を回して、慣性にそれを動かす。

 己の「そんな使い方をすると壊れてしまいますよ」との忠告など気にせず。ぞんざいに、その感覚のない手を振り回す。

 痛みはない。そして、恐れもなく。

 

「あまり邪魔になるようなら切り落とそうとでも思っていたところじゃ」

「……」

 

「危ない危ない」と豪快に。

 本気なのか冗談なのか。やはり嘘の無い鬼であるのだから、それは真実なのだろう。「その方が軽くなる」なんて感覚で、簡単に切り落としていた、というのかもしれない。

 そういうものと。鬼と人ではその核が違っているのだと感じさせる、相手にとっての軽い言。

 

「――はっ」

 

 腕一本、そんなもの頬に残る向こう傷と大して変わらない。闘いの勲章の一つ、戦って、勝つためならば何もかまわぬ。

 迷いなきその鬼振りに、肺から吐息が漏れる。

 苦笑いに貰い笑い。呆れに呆気に、加えて感心なのか。

 

「まったく、どうしようもない」

 

 吐いた呼吸は呆れ調子の賞賛風味。

 揺るがぬ心強さに、吹き抜け通り気っ風が響き。

 己が芯にはなきものに、またその空洞(あな)でよい音が鳴る。息苦しいというのに、浮かぶ笑みは止められず、口元をゆるりと持ち上げて。

 どうにもおかしい、仕方なし。

 これはこういう存在で、それはそうある尊厳で――だからからこそ、眺むる分には面白い。これだからこそ、見ていて飽きぬ。

 王道覇道――鬼の順路と進む道。

 

――……かなわない、もんですねぇ。

 

 いい生き振りと、酒のように高揚染み入る。

 この先、そう簡単に見ることはできないだろうと確信できて、この上のない大業物に喝采一つも贈りたき気分となって――それでも、それでは相手は喜ばぬのだと。

 

「……失くすにゃ惜しい。この絶景、とね」

 

 ぼそりと吐いて――(こうべ)を振った。

 どうにも吊られて笑ってしまう。壮観景勝その立ち姿(鬼姿)へ向けて構える。

 

――さてはて……どうなりますやら。

 

 見惚れながらも、やれやれと。

 やっとのことで改めて、立ちて向かう。

 弓引き、弦引き、ぴんと伸ばして引き締めて――一歩で失う、命渡りの続きと望む。こもった意志は夢見に幻想、ありえぬ先だと自覚しながら……それでも、道楽続ける爺の往生悪さ。

 諦め切れぬ、とんだ理想の論述に。

 

「永きからこそ……忘れられずに、とね」

 

 ねとりと絡むは、熟成執念。

 長く煮詰めたどろりの感情。

 

――しつこきことも、また年寄りらしさとね。

 

 ふっと笑って、それを見据える。

 ぐっと堪えて、しかりと地を踏む。

 向かうは、お供なしの鬼牙城。退治できずとも対峙する勇掻き集め……そんな気概と押し込めて。

 精一杯と向いたところに。

 

「――さて」

 

 堂々聳えるその女傑は、ゆるりとこちらを見下ろした。

 くわあと欠伸一つ。なめきった態度に見下ろす。

 

「落ち着いた様子じゃのう」

 

 息をついたこちらを見やり、「待ってやったぞ」と己が余裕を見せつけて、動かぬ片手がゆらりと揺れる。動く片手がこちらに向いた。「かかってこい」と、綽々呼んだ。

 

 招かれたのは枯れた老翁――つまりは己。

 

「そろそろ、主も限界じゃろう――」

 

 先手は譲る。仕掛けてこい。

 何をしようと構わない。何がこようと受けてやる。

 だから――

 

「終わりは勿論、派手に飾ってくれるのじゃろう」

 

 愉しませろと、瞳輝かせ――己を見ゆる。

 ぶるりと震える炎一つ。

 

「……」

 

 一歩先は、極楽地獄。

 浮かぶ閻魔は黒裁き。

 

――これなら、地獄の方が生温いでしょう。

 

 

 そうやって、覚悟と決めた。

 

 

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「――さて」

 

 待ち時間に沸いた欠伸をかみ殺し、改めてそれを見た。

 たとえ、右腕が動かないという状況であったとしても、たかが人間程度に劣るほどのなまくらさは持ち合わせてなどいない。どころか、余計に手間取ってしまい、簡単に摘み取ってしまう程度にしか加減はできていないのだ。

 そのせいで、幾度も拳をぶつけてしまった地面は歪みに満ちている。

踏み出し、跳び入り、それだけでも罅は拡がってすでに辺りは蜘蛛の巣状。いくらこの洞穴自体が崩れ落ちぬように加減はしても、その表面は崩れに満ちて、もはや、平らな地面など存在しないほどに荒れてしまった。

 これが終われば、根こそぎに削り取ってしまうぐらいはしないと掃除にはならぬだろう。

 

「……」

 

 けれど――それでも、そんな場所の中心に残ったものがある。

 ゆるりと揺れる細き枯れ枝の……けれど、しかりと根を張った、印象はそのように変化した。たかが人間、たかが人の業を数百千と見せびらかして、すれすれ続ける。

 拳を、蹴を、撃を、突を。

 総てを逃れて生拾い、命を渡さぬ。

 食らわせたのは不意を打った数撃のみ。それも、ほとんど威力を殺されて。

 

――それでも。

 

「……そろそろ、主も限界じゃろう」

 

 ここらが潮時である。

 息切れ激しく、動きも澱み、すでに先の勢いは感じない。

それでものらりくらりと紙一重、攻防の隙をつき、牽制程度に撃を挟むほどには動きを失わぬ……こちらがいつまで経っても慣れぬというのに、あちらは着々と積み上げ動きを良くして――が、それでも、それはこれまでだ。

 もうそろそろ賭けねばならぬ頃なのだと、男はちゃんとそれを自覚しているだろう。

 

――だからこそ。

 

 さればこそ、それを見せずに男は笑う。

 変わらない。あまりに変わらない態度で――そのまま、死地を踏む。

 

「……」

「終わりは勿論、派手に飾ってくれるのじゃろう?」

 

 だからこそ、期待する。

 その植物(・・)のように過ぎた人が心をもって繰り出す、たかが人間に過ぎぬ業とはなんなのか。

 それが、とても愉しみで。

 

「――さて、ね」

 

 男は変わらず受け止めて、飄々とした調子に返す。

 緩く、温く、息切れながらも初めと同じ。

 

「確かに、爺としちゃあきつい頃合いですね……」

 

 とんとんと、腰首叩いて爺臭く。

 お疲れだというように深く息を吐く――まったくと、胡散臭い態度を持って。

 

「しかし、まあ――それでも」

 

 ずずっと足の裏を擦りつけるようにして、男は構えをとった。

 様になっているようで、型に填まっていない。何かと似ているようで、何ものからも少しずれている。そんな、その男の雰囲気をそのままになぞった様な形を向けて、ゆるりと笑んだ。

 そこにあるのは、不思議な静けさ……ひゅるりと、吹き抜けるような涼けさで。

 

「せめて歳くった分ぐらいには、何か残そうとしてみますよ」

 

 ふっと、何かが込められて、その瞳が細まった。

 深く鋭く――けれど、何処か拍子外れて。

 

 何やら、これが終わりというには安らいだまま。

 

 

 ふっと、始まった。

 

 

 先と同じよう前触れなく男は目の前まで近づいていて――けれど、二度目となればそれは当然。今度は驚きもなく。こちらも予想できた動きでの入りだった。

 つまり――これは罠であると簡単に見抜けてしまう。

手を出せば窮鼠に噛みつかれると、判らせられて。

 

――それで、何をしてくれる……?

 

 ここからどうなるのか。

 知ったものから不意のものへと変化する。それが男の常套なのだとは、今までのやり取りで知れている。 先の先をとり、相手が反応したものから後の先をとる。動いてしまう反射を利用した老練な巧み。この見えた(・・・)囮に食いついたとして、それを撓ませすり抜けるのがこの輩というものだ。

 では、この最後にはどんな見世物を見せてくれるのか。

 種が知れてしまえばそれもまた、ただの一芸にしかすぎぬ技術。今まではあの手この手と札を変えることでこちらの対応を封じていたが……それももう、これ以上は続けることはできないだろう。

 妙な人間。変わった男。おかしな存在――そうであったのだとしても、それでもそれは人間なのだ。どれだけ鍛えられていようとも、どれだけ長く過ごしていようとも、己とは絶対的な差がある。

 種族と才――そして、肉体の差。

 だから、仕掛けられるとすればこれが最後の頃合い――人としての限界点である。

 その最後の一燃え……己は、それに期待しているのだ。

 何を見せてくれるのか。どんなものを使ってくるのか。どうやって己に勝とうというのか――それを見たい。

 

――それを見てから……。

 

 正面から踏みつぶす。

 それが鬼の倣い。己一番の愉しき盛り上がり。

 

 

だから――

 

 

「――……うん?」

 

 そんなことを夢見ていたから、その感触(・・・・)に違和感を覚えてしまったのだ。

ありえない。そんなはずはないと、信じられずに迷った。その衝撃に、驚いて、しまった。

 

「か、ふっ……」

 

 期待に合わせた左腕に伝わる弛緩した肺の神道。

 ほとんど牽制といったもよかったはずの腕の先に柔らかな感触。

 香るのは、紅く咲いた花の匂い。

 

 慣れたものが、すぐそこに表れて――物珍しさに穴が空く。

 

「……?」

 

 わけもわからず、頭が空っぽに。

 仕舞いなのかと、呆気なさがそこに空く。

 

 

 わからなさが、訪れた。

 わからないまま、包まれた。

 

 指先は、温く濡れている。

 

 

 

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「藍、あなたは人の可能性について考えたことがある?」

「人の……人間の、ということですか?」

 

 仕掛けを終えたところで、紫様は私に問い掛けた。

 意図が読めずにそう返してみれば、ふっと笑んで肯いて――向いているのは、里のある方角。この辺りでただ一つ、人間の暮らす場所をその先に見据えながら。

 

「人間という種がたどり着く可能性――その未来に描かれる栄華について」

 

 くいと、その腕が上下する。

 上と下、空と地面――天の上と地の底。

 そんなものを指すように。

 

「愚鈍に疎か。脆弱に過ぎ、驕りに溺れ――永久を知らず、時を貪ることしかできぬ短き生き物」

 

 見上げたのは夜天に浮かぶ丸模様。

 麗し美し、過ぎた者たちの住まう世界。

 

「だからこそ、己ができぬを克服しようとする者たち」

 

 複雑な懐中ながら、やはりそれは美麗に夜を飾る。

 あの場所、あの世界に暮らす者たちは――過ぎて、超えていた。通り過ぎて、道理の向こうの存在へと成っていた。

 けれど、それでもそれは――はるか太古は。

 

「非凡なるものは、遙か天上、天下に轟く境地に達して――やがては、それ以上へと至る」

 

 手を伸ばして、それが届いてしまう。

 水面に遷る月を捕まえて、己が物へと変えてしまう。

 

――それは……。

 

 何を指しているのか。

 

「日常という今を進歩させ、何かを成すに至る」

 

 できぬことができるようになる。

 それは、当たり前の成長と言うもの。

 

――けれど。

 

 人がいなければ我々()は存在しない。

 その感情の揺れ、恐ろしさに畏れをのせ、隙間と広げて化けたもの。表返って裏返し、表れ現われたのが妖といったもの。

 敵わぬものとして描かれた形が、私たち。

 

 では、それが手の届くものとなってしまうなら、脅える必要などない、ただ、昔怖がられていただけものとして、克服されてしまったならば。

 

――子供が、いつかは大人となるように。

 

 暗闇が恐くなくなり、一人歩きに鼻歌を歌うほどとなり、目を瞑るのが当たり前となる。

 恐さを忘れ、脅えを克服し、恐怖に鈍感に――そして、いつしか死にすら感じずに……それすら、一つ障害として一跳びと越えてしまうほどに。

 

「それはごく稀の、本当に異端のようなものなのかもしれないけれど――塵も積もれば山となる。稀も続くば平となる」

 

 偶然も起これば必然となる。異常も重なれば平常のこと。前代に未聞の物語も、重なり続ければ常套の一つ覚え。

 奇異を噂された終端も二番煎じと看做され慣れられ――飽きられ、判られてしまえば、そこまでのもの。

 平となって日常の道となる。

 

「今は限られた者しか持てぬものも、いつかは生きとしもの全てが持つものへと変わるかもしれない――持つ必要すらなき世が訪れるかもしれない」

 

 何を見ているのだろうか。

 見透かせぬ主は、時折そんな遠い目をする――何かを見ているようで見ていないような。思い出しているようで、ただ想像しているだけというような。わからないのに、知っている。知っているのに、わからない。

 届かない夢の中をさ迷うようにして――そして、それは誰かに似ているようにも思えた。

 全然、全く違うというのに、時折、とても近いものなのではないだろうか、と重なり見えるその……。

 

「そして――凡なる者がたどり着く境地というものもありますわ」

 

 何時の間にか、視線は下に。

 瞳を細めれば、地に這いずる蟻の群が見える――死んだものを引きて運び、自らたちの糧と変えるもの。群と生きて、主を仰ぎ……それがいなくなれば滅びるか、また新たな主を立てる。

 繰り返し繰り返し、滅び失い、また生まれまた死んでいく。重ねて重ねて巣を広げ、いくつも並んでそのどれかだけが生き残る。

 

 群として生き、群として死ぬ。

 

「才無きもの、特別さを持たぬもの」

 

 一匹だけでは何もできず、寄り集まれば獣をも殺すこともある。一匹いればいくらでも数を増やすこともあれば、頭一匹が削れるだけで総てが滅びてしまうこともある。

 膨大で脆弱なその存在。

 

「ただ、時間に重ね、時を越え、血を経てなお続く……繋がっていくということも人が得し力の一つ」

 

 巣は拡がり、いつかは滅びる。

 けれど、それがもし滅びずにずっと拡がってしまえば――この世界を覆うほど、その誰かが作り上げた世界で全てが囲われてしまうなら。

 その天敵となる獣は、いったいどうなってしまうのか。

 

「塵を積もらせ、山をも越える――山を崩して、平と変える」

 

 変化すること、変わっていくことが人間という種の能力。

 変わらない私達、化けることしかできぬ私達はそこに置いていかれてしまう。思い出として常から消えて、本当に忘れられてしまったならば、それはずっとなかったことにとなってしまう。

 掘り出された記憶から取り出すもの――その残骸から図れるのは、精々想像の姿形のみ。新たな想像として型はもたれようとも、それらは決して今の形(私達)とは重ならぬもの。

 やがて、くすぶる消える残り火となる。

 

「世界は流れ、時に在るものすべて流し去る。それは世の倣い。仕方なきこと――そう、なのかもしれないけれど」

 

 では、そこに残されたモノたちは――置いていかれた何かは。

 

 

「……」

 

 

 不意に浮かんだのは、昔見た英傑と呼ばれたものたちの、その最期……今はもう、名前すら残っていない、過去から今を創り上げた者たち。同じ人間ですら、そんな者たちがいたことすら知らない、気づいてすらいない。

 ならば、実像を持たぬ私達は――想いが宿るからこそ存在する、私達のような存在は。

 

 どうなって、しまうのだろう。

 

「――そろそろ、行きましょうか」

 

 後ろ姿が促した。

 私と同じ。私よりもずっと強き力と深き叡智を持つ高き存在。のばせば、確かに月にも届いたもの。

 並外れたその存在は――どこか、私達(妖怪)からも外れてしまっているようにも見える己が主は、その能力を使って何処かへと道を繋げた。

 今あるものの隙間を開き、己が望む道へと。

 

「……はい」

 

 私はその後ろに付き従う。

 想像の先。あの見上げた空にあるものが未来の形であるのだとすれば――この騒々しく有象無象に溢れた世界はどうなってしまうのか。この場所に暮らすあの、珍奇で愚かな馬鹿者たちはどう変えられてしまうのか。

 その賑やかな五月蝿さがなくなってしまうのは、何だかとても寂しいものだと思えて――。

 

「――そういえば、最近、あの男を見ませんね」

 

 ふと、思い出したのは、先の例には上がらぬ男。

 とても天上には届くとは思えない。それでも、確かに時間を積み重ねた人の形。

 あれもまた、異端の一つであり――その流れからもまた、外れてしまっている。

 そんな印象の男。

 

「……そうね」

 

 ふっと綻んで、紫様は目を瞑った。

 断言はされたことはないけれど、たしかにあれも主にとっての友人で――私にとっても、ちょっとした知人で。 

 

「非才がたどり着く極み――その永年の時間を使い、一人分の塵塚を幾度幾つと積み上げ続けた暇な人間」

 

 あれは私から見ても、おかしなもので。

 私たち(・・・)から見ても外れたものだ。

 何にでも成れそうなのに、何にも成れてはいない。

 

「そんな外れ者もたまには……ごく稀の稀には存在しますわ」

 

 笑んだのは、おかしかったからなのか。それとも、また別の理由を含んでいるのか。わからないなりに、何だかあの男のことを思い出すと笑ってしまう、という気持ちは分かる。

 安心する、というわけではない。安堵の念が溢れる、というのとは違っている。ただ――なんとなく、隙間ができる。

 余裕ではない、ただの隙間。まだ、そこに詰めても大丈夫なのだと思わせる、妙な自信。

 

「型なしというわけでなく、ただ、幾つもの型を持っているから余計におかしく見えて――それでいて、己をまともに見せかけて」

 

 詰めすぎて、穴があいてしまっても――それでも、まあ大丈夫。なんとかなるだろうなんて、楽観の感覚。

 

「まだ、人間のまま。そのつもりで生きているもの」

 

 傍目からは、微妙なところだというのに。

 それでもまだ、人間だと名乗る。

 それもまた、この世界から逸れたモノだというのかもしれない。逸れて、それでもそこにいたいという、願望のようなものなのかもしれない。

 そういって紫様は何処か遠くへと視線を向けた。天でも地でもなく、ただ、まっすぐの遠くだけ。

 同じ高さの、何かを見ようと。

 

「暫く見てはいないけど、ちゃんと生きてはいるでしょうね――約束は、したのだから」

 

 そう、同じ楽観に。

 主と式と、高さは違うはずであるのに、そこへと向かう視線だけは並んでいる気がしている。無礼だとは……紫様も思うことはないだろう。

 あれは、そういうもの。そういう存在だから、仕方がない。そう、いってしまえるものだ。

 

「――でも、まあ」

 

 そういうものだからこそ、の予想。

 連想されるのは、そんな物語の定番。

 

「全然死にそうにはない、けれど……そういう場面(・・)にあったなら、ころっとそのまま命を落としてしまいそうなところがあるわね――あれは」

「それは……まあ、確かに」

 

 そんなところも、あるかもしれない。

 それは否定できない――しかし、それではまるで。

 

「ええ、まるで……私達(妖怪)と同じよう」

 

 まったく、どこまでもおかしなお話ですわ。

 

 そう軽口のように締めくくり、紫様はうんと伸びをした。ずっと、張り続けていた気が解れ、わずかにだかいつもの調子が見える――いつもの、日常姿が覗いて緩む。

 気が抜けて。息吐いて。

 

「そろそろ一段落だし、今度様子を見に行ってみましょうか……久しぶりに手の込んだものが美味しいものが食べたいわ」

「ええ、では幽々子様にもお声をお掛けして」

 

 そうやっていつかの予定を僅かにこぼして、私たちは今やるべきことへと戻った。すでに緩みは消えて、成すべきことだけを考える真剣さ。

 けれど、それでもその隅に残った隙間。

 そこで考えるのは、これから先に為すべきことか。それとも、今噂したその存在がどこで何をやっているのだろうかなんて取り留めもない想像か。

 

――……。

 

 

 どんな話になろうとも、きっと酒と肴はつきものだろう。それが、あの男会うという(いつもの)こと。平常の、妖怪と人間のおかしな宴会。

 それもまた、失くしたくはない。一つの、ぬるま湯のような楽園。

 

 

 

 片隅に居座ったものは、確かに今の糧となる。

 仕事終わりの杯は、いつもの寂れた酒ある場所で。

 

 

 

 

 

 

 





 読了ありがとうございました。
 

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