東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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遅れて申し訳ありません。


鬼の居る間に

「ちょいと、お邪魔しますよ」

 

 そういって訪れた男は、ただの人間だった。

 みすぼらしく、これといった風格もない。印象に残る重みなど一つもない男。

 軽く、緩く、なんてこともないその他大勢。ただ、どこか古びた印象だけがある若い姿形の人間である。

 

「……」

 

 吹けば飛ぶ、脆い人間。掃いて捨てる、塵芥。

 その程度の――はずのもの。

 

 けれど、それが未だに立っている。

 

「きついですねぇ、まったく……もう、何度死にかけたかわかりゃあしない」

 

 軽い口調、緩い態度のまま、確かに両足で。

 五体満足で、そこにある。

 

「――はんっ、よくいうわ」

 

 振るった拳。

 もう、何度となく振るっているそれを持ち上げながら、男を睨む。

 まだ砕けぬ、柔いはずの肉。触れば終わる、脆弱な身体しか持たぬ者。

 そうであるというのに――

 

「こちらの撃を、己は一度も食らっておらぬだろう」

「……」

 

 いまだに己は、それに当てられていない。

 掠めただけで、それは一度も届いていないのだ。皮すら届かず、その周りを削り取る程度しかできていない。拳が手持ちぶさたの嘆きに疼く。何を手こずっているのだと、早くしろと、己を苛む。

 もはや、そういう加減などする気はない。

 だというのに、まったくといってもいいほど、触れられていない。

 

「……はて、そうでしたかね」

 

 そんな溜まった鬱憤に――男はにこりと笑んで答える。

 袖のない露出した腕は既に傷だらけ、当たってはおらぬというにただ逸らすだけ、避けるだけでも傷つき痛んでいく。それほどに脆弱で、か弱い身体しか持たぬ人間だ。特別を超える地力も、枠外といえる能力持たず、ただ人のままで戦っている小さき者なのだ。

 それが、まだ笑う。

 

「まあ、存外としぶといというのが老人の常」

 やれやれと息を吐き、苦しそうに肩を叩き、爺臭い仕草でこちらを見返して。

 その口の回りようは、ここに現れたときからまるで変わっていない。

 不遜に不詳、いくら見てもわけがわからぬ姿像。いくら聞いてもわからぬ戯言。それでも、不思議と男に合っている。

 

 

「でなけりゃ、ここまで永くも生きてられなかった。こちとら、年の甲の分くらいは芸達者にもなった人間ってことですよ」

 

 そう思えてしまうおかしな存在。

 何の圧力もなく、にへらと緩んで気が抜けた――壊れぬ軟さを持った人間。

 

「勿論、それでも瀬戸際彼岸のぎりぎりこちら……踏み外せば、真っ逆さまな死線の真っ最中ですが」

 まあ、踏み外さなけりゃ大丈夫でしょう。

 

 あくまでも、そんなまま。

 とても、一歩間違えば死が訪れる綱渡りの最中などということを感じさせない。

 

 本当に、わけのわからぬ人間で。

 己は――

 

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「――さてはて」

 

 ぐつぐつと煮込む鍋。

 白濁と濁ったとろみがかった煮汁から、ぷくぷくと泡が破れては湯気が散る。広がる香りは、幼い子供には少々刺激的すぎるだろうぐらいには濃い味を醸し出すもので。

 

「少し強すぎたかねぇ」

 

 足しすぎたかと首を捻ってしまう。

 上質のそれに、調子にのって加減を間違えてしまったか。部屋の中全体に漂うその香りは、そこにあるもの総てを染めあげてしまうくらいの濃度までに煮詰まってしまっている。これでは明日着る服もなくなってしまうのではないかという心配まで。

 

――いや、いつも似たようなもんか。

 

 喉を擽る香にそう思い直す。

 そういえば、己はいつもこれと似たようなものだと――それが少しは上質のものと変わるのだから、逆に丁度よいぐらいなのかもしれないなんてことを不真面目に考えて。

 

「よし、こんなもんだろう」

 

 くうと鳴いた腹を聞き届けて、そろそろいただきますとでも言うことにする。

 ぱちりと手を合わせ、うんと肯くように身体を揺らして――

 

「――別に直箸でも気にしないでしょう、お嬢さん」

「ええ、今更そんなことを気にする仲でもないでしょうし」

 

 後ろからずるり(・・・)と現れた影に向かってそういった。

 いつの間にやら、向かい側には膳が一式。現れた影はゆるりと歩いてその前に。すとんと下りて優雅にほほえむ。

 

「ごめんなさいね。まさか、お食事の最中だとは思っていなくて」

 なんてことを宣いながら伸ばされた手には、趣味のよい椀がしっかりとのっている。それを受け取り、二盛り程度に鍋を掬って。

 あ、お野菜もなんて視線に豆腐掬いを揺らす、まるで遠慮がない。

 

「いえいえ、こんな男やもめの飯時にわざわざ訪れてくれた珍客だ。ちゃんとおもてなししませんとね――どうです、茶漬け代わりにでも」」

「まあ、喜んでいただきますわ」

 

 にこりと笑って差し出し、にこりと笑って受け取られる。

 広がる湯気からは――強い、酒の香り。臭みを打ち消す酔いの香りがいい具合に煮詰まっている。

 肉と野菜と、少しの魚介。

 

「酒粕、かしらね。随分とまあ良いもののようだけど」

「酒屋の親父さんが気を利かせてくれてね……他の具ももらいものばかりだが、質は上々」

 

 里を訪れたおりになんやかんやと持たされ渡され押しつけられて……正直一人では食べきれない量となっていた。だから、偶然(・・)にも誰かが訪れてくれて丁度よかったともいえるだろう。

 余らしてしまうのはよくない。

 

「そこに土産も包んでるから帰りに持ってってくれ――ああ、大きい方のは白玉楼に。あと他に……」

「……あなた、孫を迎えたお爺ちゃんみたいね」

 

 微妙な表情でそんなことを。

 こちらとしては多すぎるくらいのもらい物を横流しにしただけ。腐らせてしまうのは惜しいという。何やら呆れたような顔をされてはいるが……ついと指を振ってそれらはしっかりと隙間の中へ。

 多分、雑用は誰かに押しつけられているのだろうけれど……そちらさん用の土産もつけておいたので我慢してもらおう。何故か売り切れかけていて苦労したが、あそこの油揚げは絶品である。

 ――そんなことを口に出していえば、いつもならそれはそれはと味見を申し出る亡霊娘などのちょっかいなどもあるのだが。

 

「そういや、今日は一人ですか。珍しい」

「幽々子のこと? あの子なら、今ちょっと手を離せなくてね」

 もしかしたら、後からくるかもしれないけど。

 

 言いながら、紫は盛られた具を口に運ぶ。

 程良く溶けた里芋に風味を残して味を映した茸の類。この家の近くにある森では、なかなか変わった種の茸が多く採れる。その中でも色々と研究して選り好んだ酒粕汁に合う種のものである――多少の毒はあれども、このくらいの量ならば問題はない。少しくらいならば抵抗を高めるための薬ともなるだろう。

 

――何より、美味いですしね。

 

 一口含めば、舌にぴりりと痺れが残る。

 多少身体に悪くとも、この独特の風味と感覚は差し引き足しの精神慰労ともなる。食べ慣れている自分としては、既に抗体もでき、慣れ親しんだ日常の味だ。ましてや、妖怪などにとってこれくらいの毒はちょっとした調味料程度にしかならない。

 酸いも甘いも……酸甘辛苦に渋加え、味わい尽くせる舌を持つ(経験を持っている)ということもまた、長く生きた者にとっての特権だ。こればかりは少しずつ耐性を磨いてきた己にしか味わえない領分だろう。

 まあ、それを巧いことやって毒だけを取り除いて食らえるものとするというのまた、人間に毒肝(度肝)を抜かれる部分ではあるわけだが……なんて、頭の中で洒落てみながらもう一口。よく味の染みた山菜が舌を賑わし、やはりと酒が呑みたくなるのは己が呑んだくれだからだろうか。

 いくら酒の匂いに包まれていても、やはりともう一口足らぬと感じていて。

 

「はい」

 

 何か出してこようか、と考えたところに差し出される杯――受け取れば、その後ろにはとろりとした透明瓶が揺れている。

 

「差し入れよ。お食事のお礼にね」

「おやおや、そいつは珍しいことで」

 

 魅力的に香しく、上品な色を携えての古き品。 

 いつもただ飯ただ酒ばかりを漁りにきている相手が一体どういう風の吹き回しなのか。いや、大体は見当はつくのだが……つまりはそれほど本気だということなのか。

 受け取った杯にとくとく満ちる。

 八分目程器を満たし、ゆらゆら揺れて――くいっとやればたまらぬ熱が胸から染みる。度数のきつき上物の、寝る子と育った年寄り深み。

 

「随分とまあ……」

 

 己好みの味である。

 

「ええ、それを狙ってきたんだもの」

 

 にこりと笑う少女は意味ありげ。

 これで逆らえないでしょう、なんてことを考えていそうな顔でほくそ笑む。まったくとまあ、こちらもそこまで単純ではないというのに。

 ただ、酒を与えていれば上手く踊るなんて、どんなおちゃらけた爺像なのだと。

 

――まったく、呆れる。

 

 そういう意味を作ってでしか動けないのか……いや、そうやって己を動きやすくしてくれているのか。

 確かに、そういう目当てがあった方が少しはやる気も増すものだ。釣られず釣られぬ関係なく、好きなものは好きで、そのためなら何かを我慢も努力もできるもので。

 

「――それで」

 

 頼みやすくも請負やすくもなる為の潤滑油。そういうために酒を使うというのもまた常套。釣り合いとれる付き合いのため、必要事としてそれなりの理由をつくる――それが良い大人のつきあい方、というものだ。

 

――つまりは……。

 

 悪い大人(己等)には関係がない理屈。

 ならば、そんなものは笑いと省略してしまってもよいだろう。

 

「今度の悪巧みには混ぜてくれるんですかね、八雲の嬢さんよ」

 己もそれを愉しみにしているのだ。

 

 雰囲気作りを袖にして己から言い出すのは、仲間外れは御免だという子供のようなじゃれ事。今度はその愉しいことに最初から混ぜろというせっかちな催促――年甲斐もなく、はしゃいだ言葉。

 

「……」

 

 自分も一緒に悪企ませろという、己のらしくない積極的な態度。

 それに少し瞬いて――それから、その長い付き合いの友人はふっと綻んだ。

 やれやれと、いつもの自分のように息を吐いて。

 

「……前は何もいわずにあなた(・・・)たちに叱られてしまったものね」

 

 少し申し訳なさそうな言葉を吐いたのは前回の失敗を踏まえてか。

 一応の反省を覗かせてから――また、にたり。

 

「今度は失敗しない――そして」

 

 くるりと円を描いて自らの手に一つの杯を。

 香る琥珀は……異国のものか。

 酒鍋、酒杯、果酒の匂いが混ざりあい、複雑絡みて辺りを囲う。不味くも美味くも同等に、合わぬ合うまいも同様に、飲み干してみなければ判らぬように――空気は淀み。

 

「もっと愉快で混沌としたお話ですわ」

 

 悪い笑みが中心で酒杯をぐいと持ち上げる。 

 流れる朱は、まるで、吸い上げられた血液のようにその邪悪な大妖の口に潤して――優雅に持ち上げられた箸が、ゆるりと動く。

 つまみを一口。ぽりぽりといい音。

 

「あら、この漬け物。随分と美味しいわね」

 

 その舌の鼓に、うんとうなずく己。

 確かにこれは自慢の一品だ。

 

「この前人里のゲンさんとこでね。婆さんが亡くなって糠どこを世話するのがいなくなってしまったとか」

 己がそれを受け取った。もちろん、それを受け継げる次世代が見つかるまでの預かり物としてである。

 なにせ、三世代ほど経た正真正銘の年代物だ。ここで絶やしてしまうのは惜しいというもの。

 

「これだけのものは重ねない(・・・・)とでてこない」

 

 自分も一口。

 塩みと辛みで、良い塩梅に白米が食べたくなる――もちろん、酒にはぴったりで。

 ぐいと一呑み。また進む。

 同じ時間をかけて熟した品だ。それはもう歴史深きの古里の味。

 

「――こういうのは好みでね」

 

 己が見てきた時間の中で、育った味だ。

 

「……」 

 

 緩んだ己に、注ぐ視線。

 なんだ、という風に見返すと、ふっと妙な笑みを返され、首を傾げる。

 

「――最近は、随分里の人間と関わっているのねぇ、あなた」

「最近はちょくちょくと顔を出してますからね。どうやら仙人か何かと勘違いされてるみたいだが」

「そう……仙人、ね」

 

 実際には違っても、他からみればほとんど同じ。

 仙人だろうが天然種だろうが、あちらとしては似たようなものだろう。

 長く生きている人間にしては話しやすいだとか、まだ判りやすい話をするだとか、そんなことをいって気軽に己に話しかけてくる者も多い……そう認めてしまえるこの土地の人間というのは、ずいぶんと変わった感性をもっているといえるだろう。

 

――いや、そう培われたのか。

 

 長い時間をかけて、それを当然とした。

 魑魅魍魎、妖し溢れるこの土地で、必要ならばどんなものでもどん欲に取り込んで……他の場所ならどう扱われても不思議ではないものでも、簡単に受け入れてしまうぐらいに。

 変わり者たちの地。

 受け入れて――すぐに過ぎてしまう人々が暮らす場所。

 

「聞くだけならば似合いなのかもしれないけど……あなたを知ってると、まったく似合わない呼ばれかたね」

「ええ、まったくと」

 己もそう思う。

 

 そういって笑った。

 少し引っかかって癪にさわるところもあるが気にしない。そういえば、とある記憶力のよい人間が妖怪の賢者だなんだと語っていたことがあった。そういう話題も酒の肴には丁度よいだろう。尾ひれに粉飾、盛りに盛ってとのしつけて、少し大げさなくらいで話してやろう。

 きっと顔が真っ赤になるぐらには喜んでくれる。

 けっして悪意などはない――そういうことにして。

 

「……」

「――」

 

 そうやって、先ほどの話からゆるゆると逸れていく。

 無駄口叩きに、無駄話。

 何を得るでもない世間話を続け――そして。

 

 

____________________________________

 

 

 

「おや、萃香じゃないか……」

「――なんだ、勇儀か」

 

 暗い洞穴。

 妖怪の山でも奥行った場所にある岩場の、その真ん中をくり貫いたように開けた空間。まるで、山全体が空洞になったかのような広さを持つそこは鬼の住処――つまりは、私たちの居場所。

 その入り口脇座り込んでいるのは、私もよく知っている剛健な鬼。

 同じ四天王、同格といってもよい存在であり――昔、一緒に一暴れとした仲だ。

 

「珍しいねえ。あんたがこっちにいるなんて」

「なあに、ちょっくら気が向いて出てきただけさ」

 すぐに戻るよ。

 

 そういって、勇儀はぐびりと傍らに置いた酒瓶を傾ける。美味そうに……けれど、楽しくはなさそうに。

 

「こっちでは、面白そうなことがなさそうだからね」

 

 肴のない酒をすする。

 どうにも覇気のない、らしくない様子で。

 

「――そうだね」

 

 その隣に腰を下ろしながら、己も同じように息を吐いた。

 中てられたのか。元々そうであったのか。

 どうにも、それは重たいもので。

 

「ほんとに、つまらない」

 

 取り出した酒瓢を煽る。

 中には上質の酒虫がたっぷりの水を吸い、芳しい酒の香を吐きだして満ち満たしているのだ。良い水と良い作り手と、これで不味くなるはずがない。

 確かに美味いのだ。ちゃんと舌は喜んでいるのだ。

 

――なのに。

 

 そう感じているのに……気持ちは震えない。

 それが内側には染みいってはくれない。

 

「まったく……」

 

 どうにも、すっきりしない。

 呑んでも呑んでも酔えずに終わり、どれだけ酔っぱらおうとしても芯に熱は移ってくれない。中途半端なまま、くすぶっている。

 酔えぬ酒。

 

「ああ、つまらない」

 

 がぶりと、天地をひっくり返す。

 だばだばと流れる酒が口へと入り込み――

 

「っぐ――」

 

 喉の許容を越えて、気管を圧迫。

 慌てて力を使い、散らして萃めて――何とか呑み下す。もったいないので吐き出しはしない。

 

「ほんとに、荒れてるねぇ」

 

 かかかと、そこで初めて笑って、勇儀はまた酒瓶を傾けた。

 とんとんと片手でこちらの背中を叩くようにしてさすってくれたが、相変わらず力が強い。油断してたら余計にせき込んでしまいそうだ……それくらい、力が有り余っているのか。

 

――いや、それはないか。

 

 元々、こんなものだった。

 大ざっぱで力加減知らず。私と同じ――私たち()は皆、同じようなもの。

 やらないよりは、やりすぎる方を好む。喧嘩好きで嘘嫌い。酒好きで派手好み。

 そんな宴会好きが、私たち。

 

「なんだい?」と首を傾げる勇儀に。

「なんでもないよ、なんてことないこと」と答える。

 それは当然のこと。

 嘘ではないことなのだから、正直に。

 

 そう、そうありたいのに。

 

「それで、今日はどうだったんだい?」

「ああ、いつも通り……間抜けばっかりだったよ」

 

 問うた言葉に返るのは、だからこそ、いやな言葉。

 力と力の話ではなく、ただ、やられたかやられなかったかの話――喧嘩ではない、どろりとのたくった食らいあい話。

 たまになら刺激にもなるが、ずっととなるともたれる出来事だ。

 

「はめられなかったら、脆いもんだよ……たった一撃で、ばらばらになっちまう」

 

 酒瓶が逆さむく。

 唇つたって酒がこぼれる。

 

「……弱い奴は、それでも少しやられたみたいだけどね」

 

 片手でそれを拭いながら、勇儀はそれを吐き出した。

 胸にあるのはどうしようもない鬱屈だ。胸くそ悪い、すっきりさせぬものが渦巻いて、どこまでも酒を不味くする。

 

「あんなもんでやられるなんてね――ああ、嫌なもんだよ」

 血が沸くならばよいだろう。肉が踊るならよしとする。

 何を失っても、何を奪われても、ちゃんと戦ったのなら事足りる。死のうが生き残ろうがしったこっちゃない。ただ、愉しい喧嘩であったなら、私たちはそれで満足できるのだ。

 それさえあれば、鬼であれるのだ。

 

――なのに。

 

「……人間、か」

 

 前にも、こんなことを考えたことがあった。

 あの時は過去のことだったけれど、今回は現在()のことで……内容も似たようなもの。

 昔と同じ楔が、再び形を変えてのしかかってくる。嫌なものが萃って、私たちに毒を呑ませる。

 

――あの時と同じ……。

 

 そうなってしまう前に終わらせてしまうべきなのだろうか。

 悉く、皆殺し――やはり、それが一番よいのかもしれない。

 畏れられ、本当に触れられぬものとして絶ってしまえば、楽になるのかもしれない。

 そんな想いが、僅かと浮かんでどんぶらと。浮かんで沈んで迷いが溢れる、

 どうしてしまおう、と。

 

「……昔は、もっとおもしろいやつもいたんだけどねぇ」

 

 しみじみと、それを振り払うように浮かべるのは違う記憶。

 闘い、争い、真っ正面から喧嘩した日々の記憶。

 

「どうして、こんなにつまらないのばっかりになっちゃったんだろうねぇ」

 

 あの頃は、確かに人も。

 無知だったのかもしれないし、無謀だったのかもしれないけれど、それでも己らと戦おうとした者がいた。

 奪い合い。争い合い。守りきり。ちゃんとした喧嘩に――我の張り合いになっていた。だからこそ、認められるところもあったのに。

 今はもう、それは昔の話になってしまったのか。 

 力ある人間こそ、私たちとは戦おうとしない。戦わず、勝ちだけを拾おうとする。

 

――そんなので。

 

 認められるはずがない。好いてやれるはずがない。

 ただ、なぎ払ってしまいたくなるだけ。よくもやってくれたのだと、怒りを煽られるだけ。

 同じ阿呆相手でも、愚かさだけしか感じない。

 

「……」

 

 不味い酒。染みぬ酒。

 悪酒の味に気分は沈む。

 

――ああ、嫌な気分だ。

 

 何か、何かないかと記憶を探る。

 この酒を少しでも美味く呑むために、楽しげな何かを浮かべようと。

 

「――そういや、前に変な奴にあったよ」

 

 同じようなことを思っていたのか、勇儀がぽつりとつぶやいた。

 何か、思い出したというように。

 

「人間のくせに、地底に出入りしてて、たまに酒盛りがあるとそこに混じっていたりする変わり種……そんなわけのわかんないのだね」

 時々、見かけたのだという。

 一度手合わせをして、中途半端なまま終わってしまったのだと、また、今度はちゃんとやりたいものだと、勇儀は笑う。

 

――そんなのが……。

 

 まだ、いるのだろうか。そういえば、そんな人間もいた。

 

「――そういえば、酒を渡しておいて味見させろなんていってくるやつもいたなぁ」

 私のことを友人だと、酒のみ仲間だと。

 釣られて思い出したのは、そんなことを宣っていた男のこと……己も、そう認めていた人間のこと。

 

「まったく、鬼相手にそんな態度をとるなんて、感心するくらいなに馬鹿な人間だったよ」

 思わず笑ってしまうくらいに。

 

 そういえば、しばらく会っていない。

 こんな状況になってしまってから、人里に近い位置にはあまり近づいていないのだ。色々とあれはあれで癖の強い輩であるため、何かに巻き込まれてはいるかもしれないが――まあ、死んではいないだろう。

 本当におかしな、ずれた人間であったから。

 

「そりゃあ、おかしな人間だね」

「勇儀のいってる奴も大概だけどね」

 

 互いに出会った変わり種。

 そう、そういう者がいるから人間は面白いのだ。だからこそ、私たちは関わっていたのだ。

 か弱く脆い、あの愚かなものたちと――妖怪()として、愉しむ(遊ぶ)ために。

 

――……。

 

 ここでも、それはおしまいなのか。

 もう、期限は切れてしまったというのだろうか――折角、面白い土地を見つけたと思っていたのに。

 

「少し、勇儀のいってる奴と会ってみたい気もするねぇ。最近は、ほんとうにつまらないから」

「ああ、そうだね。私も萃香がいってるのを見てみたい気もするよ。鬼と酒でもめるなんて、大した度胸じゃないか」

 

 できるなら、そんな人間と。

 楽しく喧嘩ができて、一緒に酒が飲めるような……そんな人間と、また。

 

「……美味い酒が呑みたいもんだねぇ」

「まったくだ」

 

 ここまできて、そんなことがあるなんて――まるっきり、信じられないのだけれど。

 

――……。

 

 吐いた息は散っていく。

 暖かい酔いの熱が冷めていく。

 

 そう、愉しい酔いもいつか冷め――過ぎて現れるのは、どうしようもない気分の悪さだけ。愉しかった、愉しかった分だけ訪れる後悔だ。

 一時の気分で踊って、過ぎた時間に馬鹿を見る。そんな馬鹿な己など、笑い飛ばしてしまうしかないというのに、笑えないならどうしようもない。

 

 ならば、怒り狂ってなかったことに。

 そうすればきっと、また元の鬼へと戻れるのだと。

 

「――おや」

 

 そんなことを考えていたところに、おかしな声がした。

 妖怪の住処、怪異の巣窟――鬼の縄張り。

 決して人が近づかぬはずの場所に、ふらりと、ただ通りすがっただけとでもいうように――ゆるく、かるく、老いた声。

 

「ご両人。こんなところで珍しいですね」

 酒盛りか何かですか。

 

 そう気軽に、私たちへ向く男。

 そう気兼ねなく、鬼へと語りかける人間。

 

「随分と仲が良さそうですが、なるほどお知り合いだったんですねぇ……世の中狭いもんだ」

 

 かか、と笑って視線を右と左に。

 勇儀と私、ついでにそれぞれの持つお酒の器に興味ありげに目をやってから……うんと頷く。その姿は、昔と変わらず平常日常のまま。そのまま人で、そのままの男で、何の畏れもなく私たちの前に立っている。

 昔と、何も変わっていない。

 

「丁度いい。誰に頼もうか迷ってたんですが、どうせなら両方にお願いさせてもらいましょうか」

 

 変わりなく、勝手なことを言う。

 よくもまあ、たかが人間が、とも思えるし、まあ、こういう人間なのだから仕方がない、なんて納得してしまう気持ちもある。それくらい、薄ら惚けた印象の。

 そんなものが――

 

「――お二方(鬼さんら)よ。ちょっくら、力を貸してくれませんかね」

 

 何の前触れもなくやってきたのだ。

 これは、何も起こらずに終わることなどあろうはずがない――愉しいことに、ならぬはずがない。

 疼いたのは、そんな予感。

 

「……っは!」

 

 こぼれる笑みは、久方ぶりに舌を蘇らせる。

 持った瓢箪が、また色づいて。

 

 横目に見れば、同じような笑み。楽しいことがやってきたと、笑う同胞()がいる。

 

――ああ、そうだ。こんなのだ。

 

 同じ阿呆でも、底抜けならば。

 少しは付き合ってみたくもなる。

 

 だからこそ、愉しいと思えるものもある。

 

 

____________________________________

 

 

「――ほんに」

 

 呆れたような声をもって、それは己に放たれた。

 どこか、愉しそうな響きを持って。

 

「口の減らぬ人間よのお」

 

 空振りひとつ。

 ぶんと拳が振るわれて、それだけで空気が揺れたような錯覚に襲われる。

 当たれば終わり、触れれば塵の、圧倒の力の差。

 

「そりゃ、減りません」

 

 それを見せつけられて、それでもなお――いや、だからこそ己は口を回す。

 語りに語り、言葉に言葉、重ね重ねて重々承知を繰り返し、まだまだ足りぬと話してしゃべる。口を動かし手を動かし、伝えられるだけのことだけを伝おうと止まらず終わらず語り続ける。

 どこまでも、そこまでも、どれだけそうしても。

 

「いくらすり減らしても――酸っぱくなるほど話続けても」

 

 動かし続けながら、もう一つ。

 にへらと笑い、片手を向けて。姿勢を低く、鋭く研いで。

 

「誰かに何かを伝えようってんなら、まったく足りないってもんでしょう」

 

 構えて笑い、力を抜いた。まっすぐ構えて、力を込めた。

 そうして、一言。

 

「言葉足らずにゃ、かわりない」

 

 言い放って、とんと蹴った。

 軽く、緩く――また変えて。

 

「っは……」

 

 迎えてくれるは暴風暴力。単純簡素な拳と力。

 にたりと三日月吊り上がり――

 

「違いない!」

 

 鬼は笑って、己を迎う。

 

 嵐時々血しぶき地震。

 生き残れるのは爺かどうか。

 

 そんな正念場で――不思議と、己も笑んでいた。

 

 





 ちょっとした始まり。色々と厄介ごとに。
 そんな感じです。
 

 読了ありがとうございました。

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