東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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間が空いてしまいましたね。申し訳ない。


翁の空笠

「……またですか、()さん」

「いいじゃない。暇なんでしょ?」

 

 お酒臭い雑踏。

揺れる赤提灯。はためく幟旗。

 喧々囂々。熱と灯。

 

「何をいってるんです」

 

 それに混ざった血と肉の、凶暗混ざるおどろの空気。

 妖と怪。異と変。化けと騙し。

 ハレの日常。ケの異常。

 

 おかしなもの(わたしたち)の世界……そこに混ざる、これまたおかしなもの()

 

「見ての通り、酒を呑むのに忙しいんですよ。だからまた今度ってことで……親父さん、いつものをもう一杯」

「――あけすけ過ぎるってのもどうかと思うよ、お兄さん」

 『さとり』である私。けれど、その瞳を閉じてしまったのが『私』――であるはずなのに、まるで丸見えの、その魂胆。

心の底から、抜けている。

 

「老い先短い爺さんは、だからこそ、欲望にも忠実ってもんです。楽しめるうちにちゃんと楽しんどかないと、ってね」

 後で後悔するのは御免ですから。

 

 なんてことを宣って、運ばれてきた酒杯をとても美味しそうに運ぶ――まったく説得力のない、若作りの姿。いつの間にやら、行きつけの店なんかをこの地底に作っていて、いつもふらふらとしている私から見てもおかしな範囲を彷徨い歩いている。

 何処にいても不思議に感じない、不思議な存在。

 つまりは、とてもおかしなもの。

 

――一応、人間。

 

 そう、男はいっている。自称として、語っている。そこに嘘はない――お姉ちゃんも、そういっていた。

 けれど、ではなぜ、こんなにもおかしなものなのか。

 わけのわからない、とても人間とは思えないようなものなのか。

 その不思議――私の興味を惹くもの。心を読んでも、量りきれなったと、お姉ちゃんはいっていた。それは面白そうだと、私は感じた

 だから、気まぐれにそれを見にいく。気が向いて、探してみる。

 すると、たまに見つかる。

 そういう存在――ゆるくてやわく、ふわふわと。印象としては、その程度。

ただそこにあったら気になる程度の、変わった路傍。

 

「――お兄さんは、ずっとふらふらしてばっかりだね」

「……そう聞くと、妙に不安な響きですねぇ」

 

 それは複雑そうな笑みを浮かべた。

 けれど、否定しないのはその自覚があるからだろう。

 

「確かに根無し草。仮宿はあれども定宿はなしと……どうにも先行き不安の昼行灯だ」

 見習っちゃいけませんよ。

 

 男はそういって、ゆるゆるとお猪口を揺らす。

 若く見えるその顔で爺臭く、妙にお似合いの表情で――けたけたと。

 

――……。

 

 張り付けたような笑顔で、いつも笑う。

 

「お兄さんはいつも――」

「……うん?」

 ずっと、そうしてばかり。

 ほとんど、その顔しか見ていない。

 まるで、勝手にそうしてしまっているように――意識無きまま、笑んでいる。

 そんなふうにも視える、そのいつもは――。

 

「……随分と、放蕩な輩のようですね」

 

 凛とした声がした。

 芯の通った――なんだか、融通の効かなそうな石の声。

 

「いや、白と黒を等分に纏って……自らを灰色と保とうとしているのでしょうか」

 

 空気を読まず、それを語ってしまう。

 流されず、まっすぐと突きつける。

 

「どちらとしても……道案内を頼むには少々心配な相手ですね」

 

 なんだか面倒そうなものがやってきた。

 私は、そう感じた。

 

____________________________________

 

 

 

 あの少女はついてこなかった。

 

 ついていきたい。そう思っているようにも見えたけれど、何かを考え込むようにふっと遠くを見るようにして――それから、「今日はいいや」と残念そうに言った。

 興味がある。そうしたい。いってしまおう。

 そう思っているけれど、それでもなんとなく、そうしないと決めた。何かに引き留められたように――秤に掛けるまでもなく、好奇心(自分)よりも大切なものがあると、その足は止まった。

 勝手に自然と。そんな様子で。

 

「地獄の区画整理……いや、実質的な人員整理ですかね」

 

 男は笑ってそれを見送った。

 今までのものとは違い、確かに本当(真実)の色を滲ませて――何だか、愉しそうに。

 

「……ええ、そうなりますね」

 

 確かに人間のようだ。それは真実だと見抜けた。

 けれど、そう感じながらも、その疑念は完全には消えてくれない。

 死人と怨霊と、それ以外のもの(妖怪たち)で構成されているはずの地底――もっとも地獄に近きこの場所で、命をもった人間が一人。とても生き残ってはいけなさそうな、ゆるい様子の只の人。

 それはどうしても、違和感の残る光景である。

 

――あの死神の言っていたとおり。

 

 おかしな人間だ――私の能力(ちから)で見ても、それは秤りづらい。

罪状も酌量もありすぎて、余罪も余地も残しすぎていて……はっきりさせるには、時間が掛かりすぎる。とても片手間に、一朝一夜で裁ける(・・・)類のものではない。

 今あるだけの情報で判断するには、難い案件である。

 

――少なくとも、私がもう少しぐらいそれに慣れるまでは……。

 

 俄然無理な話だ。

 だから、それを下すのは早々に諦めて――少しずつ、内々に進めておくこととしておく。また後と、先延ばし。情けなくとも、見習いではまだ足らぬと。

 

「……今、配置されている人数では数が足りずに、その数合わせとして新たに幾人かが閻魔に採用されました」

 そのうちの一人である私――四季映姫という新任の閻魔として判断する。

担った罪を裁くという役目。その閻魔としての経験はまだごくごく浅い。新たに選ばれた者として、これからその眼を養っていかなければならないのだ。

 そのために、視ておくべきものを知る。

 

「その一人として、自分の担当する地について理解を深めておこうかと思いまして」

 

 そのために、私は男に声をかけたのだから。

 新たに負った己の任のその難しさを知る方法として、そうするのがいいだろうという助言を受けて、『案内人』と指名した……どうやら、あちらに話は通っていなかったようだが。

 それでも、慣れた様子で男はそれを引き受けたのだ。

 

「なるほど」

 男は頷き、けれど疑問を残して口元に手を当てる。

 突然の訪問であったろうに、それほど動じた様子はない。今説明をした閻魔という私の肩書きに対しても、あまり思うことはない様子で鈍い反応のまま――慣れている、のだろうか。

そういう突然に……そういうものと相対すること対しても。

 男から伺えるのはそんな落ちつき。腰を据えての波立たなさ。

 

――まあ、前例がないわけではないですが……。

 

 非常に稀ではあるが、人が人のまま地獄と関わるということはあったのだという。私たちの仕事を手伝い、その一端を担っていたこともあったと聞いた。確かにそれは、人間に負えないことではないのだろう。

 ただ、不思議に感じるのは、そういう側に立つ人間としては、やや男には特別さが欠けているようにも見えるところ。いささか風格に欠けているような、そんな非凡さなど欠片も持っていないように……まあ、それは人それぞれというだけなのかもしれないが。

 

「――しかし、何で自分に?」

「……先任のものが、あなたならそれに詳しいし適任だろうと」

 

少々の疑念を拭いきれない私に「先任?」と男は首をかしげた。

 ごくごくゆるく身の丈のまま。丁寧ではあるが重みは感じない。

 あまりに自然すぎるようにも視える。

違う次元、違う界として生きる私のような存在に対して、少しも変わらないというのは、それはそれとしておかしなことだ。その自然さ(・・・)は、人のあり方としてはいささか逸脱してはいる。

 それは長く積み重ねた経験による揺るぎなさというものなのか――それとも、それほどに擦り切れてしまっているのか。

 確かに、私でも判断しきれないほどに生きて――生き過ぎているのだ。

 どれだけ歪んでいてもおかしくはない。表面上はそれが見えないからこそ、余計にそれは内側で澱んでいるのかもしれない。

 それだけの年月を生きていて、おかしくなってしまわないはずがないのだから。

 

――だからこそ……。

 

 それ(・・)を見ておけと、彼は言っていた

 そういうものを知っておくには、丁度よい機会だと。

 この幻想郷を古くから担当している先達である――

 

「ええ、管轄は違いますが、古参の死神が」

「……ああ、なるほど」

 

 一瞬だけ、男の顔が曇った――が、すぐにそれは元の人の良さそうな笑みへと戻った。

 

――……。

 

 存外、判りやすいのかもしれない。いや、余程その恨みが強いのか。

 確かに、あの放蕩な死神の評判は良くはない……悪い部分ばかりともいえないが、その働きぶりは手放しに褒められる類のものではないのだ。多くの者が振り回され、巻き込み迷惑を被ることが多々とある。問題に問題を重ねることばかりを引き起こす……それでも慕われているのは、その人柄と能力あってのことだが。

 とにもかくにも、問題にはなる男ではある。この男も、それに巻き込まれ、すっかり麻痺してしまっている者の中の一人なのだろうか。

 

「――まあ、今度会ったら『覚えていろ』とでも伝えておいてください」

「……」

 

 苦労人――ではあるのだろう。それだけの数の苦難にまみれているのはわかる。

 けれど、人間というものは学んでいくものだ。年月を経れば経るほど、年齢を重ねれば重ねるほど、そういうものの見分けはついていく。

先を読み、判断し、それを避けて歩くこともできるようになっていく。

 つまり、これだけの時間をかけてなお、それに巻き込まれることばかりだというならば……それは、自身が望んでそれに向かっているということだろう。無意識的にしろ意識的にしろ、この男は好んでそんな厄介事に首を突っ込んでいる。

 自らの命を危険に晒している。

 

「……」

 

 命を粗末する事は、確かに黒の行い()だ。

 けれど――

 

「――と」

 

 そこで男が立ち止まった。

 私より半歩分ほど前、くいといくらか首をこちらに向けて。

 

「そろそろ見えますかね」

 

 片手を持ち上げ、そちらの方向を指す。

 少し高い位置にあるここからなら見下ろすことができる、囲いに囲われた中心地。

 

「あれが幻想郷において唯一の人の場所……見ての通りの人里です」

 

 

 幻想に暮らす人の生。

 営みと生活の場。

 

 私の裁く存在の、その以前。

 

 

―――

 

 

「ありゃ、お兄さんじゃないかい」

「よお、兄ちゃん!」

 

 通り過ぎれば、声が挙がる。

 気軽に気安い身近声。

 

「おう、兄さんか。どうだい一杯?」

「朝から酒なんてもってのほかだよ! それよりこっちで団子とお茶だ!」

 

 歩けば当たる、誘いと呼びかけ。

 明るく軽く、よっていけ。

 その都度、男は緩い笑みを浮かべて丁寧に断りの言葉を返す。「今は忙しいので」「また今度に」と、慣れた様子で片手を降って。

 のんぼり、ゆらゆら。ふらりふらりに飄々と。

 

「……随分、慕われているようですね」

 

 その姿を隣で眺め、そう思った。

 当たり前にそこにいるというその調子。人の里にとけ込み混ざる姿。

 人々の日常として、存在が認められている。

  

「――まあ、長く生きている分、顔は広くなったもので」

 知り合いくらいなら、結構な数がいます。

 

 そういって、先ほど地底でも似たような姿を見せていた男は、同じ笑みでそう返す。

 今通り過ぎたのは、呑み屋と食事処が集まった通り。

 丁度昼時であり、昼食を求める多くの人間でごったがえしていて――そのたくさんが男へと声をかけた。何かしらの職人といった風情の若者に侍風に二本差しの初老の男。厳かな格好をした女の祓い師に厳めしい顔をした法師、休憩にきた大商にたまの贅沢を楽しむ農家の夫婦……数えてみればきりがない。

 雑多にばらばらの相手に対して、男はそのまま変わらぬ態度で接していた。

 特別扱いも区別隔てもなく、ただただ軽い挨拶程度に。

 全てを等分に、ゆるりと過ぎて。

 

――……。

 

 そこに見えるのは、地底と同じもの。

 行きつけに常連、常同じとしての存在がある――同じ距離で、そこにいる。

 

「丁度代替わりに時期ですから……店を継いだ若頭たちも、呼び込みやらに必死のようで」

 こっちも、色々と様変わりしていて愉しいですよ。

 

 そう、それを続ける言葉を語る。

 先ほど通り過ぎた人々……ずっと前に過ぎた者たちを見返しながら、置いて行かれたその中で緩く笑んでいる。只の人間としては決して持たぬはずの年月を過ぎて――なお、それを。

 

「――貴方は」

「……?」

 足を止めた私に、男は首を傾げた。

 ごく当たり前の人の反応――人としての殻(人間)を残したまま外れきってはいない。壊れてもいない。だからこそ、それが余計におかしなもの。

 とっくに違えていてもおかしくはない。

 

「ただ、歳を重ねただけの老人……それと何も変わらない。ただ、人のまま、そんな顔で笑っている」

 

 継ぎ接ぎだらけの、ぎりぎり端で。

 いつ落ちてもおかしくはない。いや、落ちてしまった方が納得がいく。人が狂うだけの、壊れて違うものへと変節してしまうだけの時間を、失くなってしまうだけの時間を生きているはず――それなのに。

 

「貴方はなぜ、それを続けて――」

 

 『人』のままでいるのか。いや、いようしているのか。

 それだけの年月があるならば、何にでもなってしまえただろう――何になっても、おかしくはなかっただろうに、そのまま人を保っている……その理由。

 

――『変わらない』と決めていなければ、そう居続けることはできない。

 

 流されない。変化しない。

 そんな意志を持っていなければ、とても人間で居続けることなどできなかっただろう――そう、聖人や仙人、天人など、特別とならなければ、生きることすら困難となる。

 けれど、彼はそういう(・・・・)類ものとはなっていない。

 化けてもおらず、堕ちてもいない。

 ただ、人としての平凡な生を特別長く続けているだけ。

 まさに、偶然長生きしただけとでもいうように。

 

『なぜそんなにも、人にしがみついているのか』

 

 浮き上がるのはそんな疑問――それだけ長く生きていても、ろくなことにはならないだろう。だからこそ、男のような存在が生まれぬように、天の理は定まっているというのに。

 それを無視するような形で、恒常を保つ。

 

――もし、その内を覗いたなら……。

 

 いったい何が見えるのだろうか。

 渡された鏡と棒。それは決して好奇心で振るうものではない。

 それは人の終わり。その最期を終えた後に使うべきもの。すでに取り返しのない生前の罪を改めるためのものである。

 けれどもし、それがこの男を映したならば――そこに終わりはあるのだろうか。長すぎるその生の時間を見返して、一体いくつの罪と善を眺めればいいのか……想像もつかない。

 

――それでも……。

 

 けれど、確かにやってくるのだ。

 それは必ず訪れる。

 男は死んでいないだけで、死なない存在では決してないのだから。その寿命は、確かに少しずつ刻まれているのだから。

 

 いつか、それはやってくる。

 ならば――それを裁くことになるだろう私は。

 

「――」

「さて、ね」

 

 その先を遮るように、男は声を上げる。

 何もかも理解していて――けれど、何もわかっていなように。

 

「確かにずっと歩き続けでしたし――ちょっくら、そこらで休みましょうか」

 昼時ってのも確かですし。

 

 そういって、やんわりと私を促した。

 

 

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 大陸風の、主に青を基調とした上衣に、汚れ一つないまっさらな白布に包まれた細い両腕。肩口から少し先辺り、片腕ずつでそれぞれ紅と白に分かれた飾り布が袖を絞るようんして結ばれており、余計にとそれを際だてているのだろう。

 隙のない、ぴしりとした印象だ。

 それは少女の性格をそのまま表すようにきっちりとした形で着込まれており、傍から見れば窮屈で動きづらいのではないか、と思ってしまうほど……まったくと、着崩されていない。

少女の所属する組織では、地底にある灼熱地獄などにも訪れることなどもあり、その正装はそれなりに暑さ対策はなされて、それくらいにかっきりと着込んでもちゃんと動きやすくて過ごしやすいようにはなっている――そうは聞いているのだが、他に見かけたことのある地獄庁の役人たちを見ていれば、やはりとそれは苦しそうにも見えるだろう……どちらが正しいことをしているのだとかは、一概には言えないのだが。

 

「どうかしましたか?」

「――いえ」

 

 それに加えて、その身体には少し大き過ぎるのではないかという大きさの帽子。

正しい方向でその頭を飾るその随分と重そうな感じが、余計にその肩書きの重さと正しさを引き立てて……堅苦しそうな印象を倍々に――そこから伸びる翠の髪は、左右互い違いに長く短く。そう分かれているのは、その姿自体が少女の性質を表しているためなのか。

 善きに悪き。良いに悪い。善行と悪行。

 それらをきちりと判断し、白に黒にと裁くはっきりと別たれたものなのだとする正しさを表すのか――どう見るにしても、きっと、自分には相性の悪い相手だろう。

 そう思ってしまう。

 

 特に、こういう(・・・・)場においてもそれが崩れない。

羽目など少しも緩めない調子を見れば、余計にと。

 

お酒(・・)が美味しいな、と思いまして」

 

 そう、思ってしまう。

 

「そうですか」と答える少女。

 その手には、確かに酔いを嗅ぐわす透明が木彫りの器に揺れてきらきらと輝いているはずなのだが――少しも、少女を揺らすことはできていない。

 むしろ、辺り(・・)のその騒がしい様子にむけて、鋭く細められた視線が時々と飛んでいる。厳しく……何かを言いたそうな視線。

 

「……」

 

 それに戦々恐々としながら、自分の手にある杯を傾ける。

 まだまだ若い――というより、拙い酒だ。地底に存在するものと比べれば、まさに天と地の差、あちらの深みと強さにはまったく届かない、幼い浅い酒である。

 

――しかし、まあ……。

 

 それは同時に、懐かしい味でもある。

 あちらに感じる郷愁とは違う。ただ、後ろを振り返る程度の。小さな幼子がやっと立ち上がったという所を目撃したような、微笑ましい気持ち。

 この先が楽しみだという下心もあり、その造り酒屋の頭領に随分な熱が入っているという部分の贔屓目もあり……今現状の状態としては十分以上の及第以上。美味いといってしまってもいいものとなっている。

 もう一口つけて、「うん」と頷くくらいには。

 

「……」

 

 そして、その間も向くじとりとした視線。

 その瞳に含むのは『こんな昼間からお酒を』なんて小言や『案内はどうするのです』なんて苦情に――先ほど誤魔化した質問の答えも込んだものか。

 しかし、それは仕方がないというものだろう。

 

「いやー、めでたいめでたい」

「ほんに立派になったもんでねぇ。ばあちゃん、うれしいよ」

「いやっはー! 酒だ酒だ、祝い酒だー!」

 

 丁度、誘われてしまったのだから。

 

「――ああ、こんなところに」

 そちらを見ないように、なんて視線を逸らしていたところに近づく声。

 びっしりとした正装――いささか古めかしいが、それだけの歴史を経たという証も示す立派な武家袴を着た若者がこちらを向いている。

 隣に並ぶのは、綺麗に化粧し、白無垢と身を染める少女。

 この酒を向けるべき主の席に座るご両人。

 

「今回はありがとうございました。こんな急な誘いにのっていただけて」

「いえいえ、こちらこそ」

 

 微笑み頭を下げる婿殿に、こちらこそと丁寧に礼を返す。

 急な祝いの席――自分がいない間に行われるはずだった祝言にわざわざと誘ってもらった礼。めでたい無礼講だからこそ、隣のお堅そうな閻魔殿もお許しをくれたのだから。

 

「いえ、その節は色々とお世話になりましたから――ぜひ、一緒に祝ってもらいたくて」

 

 そう返すのは、隣に並ぶ。今、その妻となった少女。

 この人里で、なかなかの大家の血筋の人間だ。そのしがらみで、この祝言にありつくまで多くの苦難を乗り越えたのだが――まあ、それもまた、この縁を強めるための一助となるのだろう。ここまで来てしまえば、もはやそれも関係がなく財産の一つなる。

 

「なあに。この盆暗爺は何にもしちゃあいませんよ――ただ、少しお節介を焼いただけ。あとはご両人の努力でこさえたもんでしょう」

 

 己は、僅かにそこに関わっただけ。

ただ、その為の材料をわけてやっただけだ。

 それを組み立て、形として築き上げたのは婿さんの努力――二人で積み重ねた結果だろう。己はただ、丁度いいところにあったきっかけ、魚が飛び上がったり木の実が落ちたりすることにひらめくことができる能力を彼らが持っていたというだけだ。

 だから、そこまで感謝されるという謂れない――あるとすれば。

 

「それでもまあ、何かあるのなら――どうぞお幸せにしてください、というところでしょう」

 そう、祝いの言葉を送る。

 それくらいが、この年寄りには丁度いい。

 

「……」

 

 それを「はい」と声を合わせて受け取って、新婚夫婦は他への挨拶回りへと歩いていく。どうにも仲の良いそれを眺めて――また、戻ってきた視線を感じる。

 先ほどよりも、やや訝しげな……より色濃く滲む疑念。

 

 無視するには、いささか強すぎる。

 

「……何か、御用で?」

 

 根に負けて、声を向ける。

 酔ってごまかすには、少々この酒は軽すぎる。

 

「はい。少し聞きたいことが」

 

 その新任閻魔殿は、気の進まないそんなこちらの様子など何も気にした様子もなく、表情もないままに語りだす。

 まっすぐとこちらを見つめて、まったくと飾らぬ言葉を。

 

「人と人との関係性というのは、その当人自体の行動を写す鏡ともいいます。貴方は、なかなか良い関係を築いている」

「そりゃあ良かった。それなら地獄巡りに向かうとしても――」

「――そのようにも、見えますが」

 

 まっすぐと突きつけようとする。

 こちらの事情などは鑑みてはくれない――少女は、ただその判決を下すだけの役目をもったものなのだから。

 

「しかし、貴方はそれと同時に線を引いている――必要以上、必要最低限。丁度、その境が解らぬ程度に収まるように関わりを制限している」

 

 こちらが言葉を噤んでも、けっして止めてはくれない。

 その場の雰囲気などは関係なく、石の頭でそれを続ける。

 それ以上も以下もないことを伝えて告げる。

 

「天人のように傲ってはいない。仙人のように絶ってもいない――けれど、過ぎている。過ぎているというのに、当たり前であろうとしている」

 

 生きすぎて、留まりすぎて。澱みに澱んで。

 けれど、そのままと己を続く。

 意識しないからこそ、考えずに済んでいる部分すら真面に暴いてしまう。

 

「貴方は、自らを痛ませたままに生きようとしている」

「……」

 

 老爺には――生き過ぎた己には、いささかもたれる言。

 重いそれは問うてくる。『なぜ』という疑問を突き付ける。

 腹の底に沈んだ泥を。

 

「貴方は生き過ぎている――真っ直ぐに、己の道の上に立っていられないほどに」

 

 知っていること。身に染みていること。わかりきっていること。

 それでも、続けている。生き続けていることに――本当に、意味はあるのだろうか。

 

 そんな疑問は――

 

「それでも生きている。その――」

「――おや、杯が空いてますね」

 

 そう声を上がって、徳利を差し出される。

 するりと何気なく――横から手。

 

「祝いの酒です。どうぞ遠慮なさらずに」

 

 短めの髪に厚く重ねた着物。多少着ぶくれしながら、それでもその細腰が見て取れる。眉目秀麗という言葉を体現したような美麗な女性がこちらに向いて――手に持った徳利を差し出している。

 

「あ、ああ。どうも」

 

 それに慌てるように杯を差し出して、それを注いでもらう。

 その女性は微笑みながら、慣れた仕草でそのまま隣の閻魔殿の分も注ぎ、丁寧に礼をした後――少しだけこちらに視線を向けて、そのきれいな黒が一瞬だけ金色に染まって見えた。

 それはきっと、灯りが跳ね返ってそう見えただけ。そういうことにしておくべきことだと。

 

――……どうも。

 

 視線でそれを告げて、背中を見送った。

 後ろ姿に見えるその着ぶくれた着物の帯が妙に膨れているように見えたのも、きっと気のせいだ。ここは祝いの場、お天道さまと雨雫などは同居していないから、それは確実である。

 

「あれは……」

 

 少女は訝しげに眉を顰める。それで先ほどまでの場は切れる。

 己が口を開く機会と相成って――。

 

 

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 私の能力は、『生きている』人間にそう簡単に行使してもよい類のものではない。先にそれを下してしまうのは、摂理に反した行為であり、己の裁量権を越えた行いである。

不条理に人を惑わしてはならない。不当に人を扱ってはならない。

 今までの自分と、これからなるべき規範がある。

 たとえ、私の能力がその曖昧さを断じ、化けの皮をはぎ取って、全てを明るみに出してしまうことができるのだとしても――それは、本当に善といえる行いなのか。正しく生きているものに疑問をぶつけるのが、己として正しい行いなのか。

 白と黒。善と悪。正しきと悪しき。

 その迷いがあってこそ、人は生きているといえる……私が行うのは、あくまでその最期の結果を評価して、判決を下すのみ。その歪みを治すことで私のものではない。

 

――私は……。

 

 閻魔()の存在はそれを止める抑止力となっても、それを説いて治めるものではない。私はそのための機関であり、法であり、理で――同じ目線に立つものではないのだ。

 同じ位置に立って、諭すことはない。それはもっと違う先、違う次元として存在するもの。

 

「……」

 

 そして、『出会ったばかりの私がそれを聞いても良いことなのだろうか』という迷いもあった。それは私の仕事ではなく、相手は私の知っている人間ですらない――ただの、道案内を頼んだだけ。

 その程度の縁で一体何を言うのか。語らせるというのか。

 それに迷って――それでも。

 

『――生きている。その理由は』

 

 それでも口にしようとした。

 中途のところで止められてしまったけれど、それを尋ねようとしたのは――まだ、私が閻魔という存在になりきったわけではないからなのかもしれない。未だ、昔の自分を引きずって、人の迷いに自身が惑う。

 閻魔となるその間際で――まだ。

 

「……はてさて、随分な美人さんでしたね」

 

 その横槍の後ろ姿を眺めながら、男が口を開く。

 軽く、緩く、なんでもない様子で。

「こりゃあ、酒が進むってもんです」などと下世話な調子で言って、杯を傾ける。

 美味しそうに、楽しそうに人の顔。ただの人間の、緩んだ姿。

 

「――こういう酒が呑めるからあるから、やめられない」

「……?」

 

 その調子のまま、男は続ける。

 酒に撓んだように。酔いにまかせて、何も考えていないように。

 

「人と関わること。誰かと縁を結ぶこと。誰かと誰かのこと――それを眺めてじっくりと酒を傾けるなんてのが、年寄りにとっちゃ何よりの贅沢です」

 

 つらつらとした言葉。のらりくらりと言葉。

 誤魔化しめいた詭弁の理屈。

 

「しかし、それは――」

「――勿論、ずっと続けてればいつかは飽きるし、揺らぐこともある……置いていかれて、どうしようもなく空となることなんてのも、ね」

 

 だからこそ、過ぎた命を持つ者は皆、人を捨てていく。

捨てなければ、囚われてしまう。そうなって――そう化けてしまう。人など過ぎて、成ってしまうのだから――それは長く生きていれば仕方のないことともいえるのかもしれない。

 それだけ、人の生とは儚きもので。

 

「それでも、年寄りってのはお節介焼きなもんです」

 

 それでも踏みとどまっている。

 そのままでいることをやめない。

 古臭さにしがみつく埃被り。

 

「いくら枯れてても……どれだけ穴が空こうとも、目の前で何かがあればついつい口を挟みたくもなる」

 

 また傾けて、杯は空となった。

 男は近くを通った使用人に呼びかけて、新しい徳利を一つ。

 

「子どもが泣けばあやしたくもなるし、友人が困ってれば手も貸したくなる――灰があれば撒いてみたい。桃があれば割ってみたい」

 寒そうな地蔵があれば笠かけて。雀がいれば捕まえて。お握り転がりゃ追っかけて。

 

 呟きながら手酌に注ぎ、それからこちらへ。

 私の手にあるのは、先ほど飲み干した空っぽの器。

 

 とぽとぽ。とくとく。

 空に満ちる。

 

「こうやってお節介を焼き、若いのにちょっかいをだして。説教したり長話につき合わせたり……そんな馬鹿なことを続けたいのなら、そのままを続けるしかないでしょう」

 

 また飲み込んで、息を吐き出す。

 眼を瞑り、また開いて。

 

「半成り半化け中途半端に――それでも」

 

 細く眺めて――この場の主演の方に。

 懐かしみ。懐郷重ねて――今見る老翁。

 

「残ってるからこそ、楽しめるものもある」

 

 それを見て――眺めて思った。

 

――ああ、この『人の形』は。

 そんなものすら既に、通り過ぎているのだと。

 

「くるくるからからと風の吹くまま――その傍で、なんてね」

 

 ずっと昔に、とっくの過去に――何度も回って、終わっているのだ。

 ずっと、空回り。ずっと、からからと。

 それが、この男の生き方――続ける理由。

 

 そう気付いて、腑に落ちる。

 

――ああ、そういうこと。

 

 『それを見ておけ』ということ。

 最初に知っておくべき、特異点としての異物。

 

――こんなわけのわからないものを裁くよりもずっと……。

 

 これから先に仕事はずっと楽だということ。

 あの死神は、そう考えて私をそれに引き合わせたのかもしれない。

 輪廻転生の内のまま、ただ、その流れの内に留まり続ける小石。削れに削れ、崩れに崩れ、磨耗し続け――けれど、減らぬ形。減っても継ぎ足され続ける人の形を持った人間。

 ならぬままに続けている。遂げぬままに進んでいる。

 ただ、人のまま――生きたままに繰り返す。

 

 そんな人の皮を被った人間。

 やり直すには、すでに遅いほど――過ぎて、何巡りかを過ぎた人間。

 

「……」

 

 語ってしまえるのは規範のみ。

 教えとして、説くための言葉のみ――自らの感情は二の次とするべき位置に、私はある。そこから語れる言葉など、とっくの昔にしったことばかりだろう。

 知っていて、無視し続けていることばかりだろう。

 

――……。

 

 聞き飽きて、見飽きている。

 

 けれど――まだ、それは始まっていない。

 私は閻魔であるけれど、まだまだ新任の未熟者。

 

――だから……。

 

「――それでも」

「……?」

 

 それを語ることで、この話を終える。

 それが男の狙いであったのだろう――確かに、閻魔の(型にはまった)話が通じることはなさそうだ。

 だから、ここから先は私個人の趣味として続けることとしよう。

 

「貴方は、死なないわけではないのでしょう?」

 

 生き過ぎている。けれど、それは生きている。

 ならば、いつかは死ぬものなのだ。

 

「――ええ、そうですね」

 訝しげな顔をしながらも、男は頷いた。

 何を言っているのだろう。

 折角誤魔化せたのに――という気持ちが透けて見える顔で。

 

「死ぬときは死にますよ――ただ、運よく長生きしているだけで、不老不死の妙薬なんて呑んだわけじゃないですしね」

 

 正直に、そう答えた。

 私はそれに笑う。

 笑って頷いて――

 

「――なら、いつかこちら(・・・)にくることもあるでしょう」

「……」

 

 くぴ、と一口。

 お酒を傾けた。

 

「貴方の裁判は長引きそうだから、今のうちから整理しておいて……なるべく手間を省いておかねばなりません」

 

 そうして言った、私が成さねばならない仕事。

 

――新たに人をいれるくらい、閻魔の仕事は忙しいのだから。

 

 そんな雑用は新人である私が負った方がいいだろう。

 こんな面倒でわけのわからないものに時間をとられてしまうわけにはいかない。休憩時間を使ってその段取りを踏んでおけば、もしそれが回ってきても、手間取ることはない。

 仕事に覚えるまでは、そういう細かな努力が肝要なのである。

 

「……ええ、と?」

 

 面を食らった顔。

 いくらかと落ち着き(・・・・)を失くした顔で、男は惑う。

 それに私は畳み掛け。

 笑みをつくって、今度は私から徳利を。

 

「貴方とは、なるべくじっくりと話し合っておかないと――その時に、迷いなく送ってしまわないといけませんから」

 

 差し出した先にあるのは、また空となった杯。

 吞み干して、また注がれて空に満ちる。

 

 それを受け取って――男は。

 

「……まったく、あの死神親分は相変わらず厄介なものばかりをよこす」

 

 そう呟いて――微かに笑み。

 やれやれと。いやはやと。

 苦しみえづいて、またくりかえし。愚かに振る舞い宿酔いと。

 

「しかし、まあ……若者に怒られるってのもまた、老人の醍醐味ですか」

 

 言葉と共に、くいと一口それを含む。

 美味そうに。苦そうに。

 

「……説教話ぐらいにならつきあいますよ。晩酌なんぞに付き合っていただけるのならね」

 

 いってのけて、またしょいこんだ。

 やはりと、長く生きていてはろくなことにはならないと実感していて――それでも、愉しそうに。

 

「――そうですね。長い話には、口を湿らすものも必要ですから」

 

 つられて笑い、また一口。

 緩い酒を長々と。

 

――つき合いというのも、なれていかないといけませんし。

 

 休みの日ぐらいは好きにしよう。

 誰かを裁くのが私の役割で――諭すのが、私の趣味だ。

 

 

 

 

____________________________________

 

 

 

 

 

「しかし、この宴会はいつまで続くんでしょうか?」

「さて? とりあえず酒はまだまだ運ばれてるようですが」

「……このままでは皆、明日の仕事に差し支えてしまいますよ」

「そりゃあ、祝い事を理由に羽目を外したいって連中ですからね。あわよくば、みんなで寝込んで悪くないってことに……」

「それは、善くないことです」

「……」

「まったく……(閻魔)前でそのような悪行を行うなど――」

「――ああ、親父さん。ちょいとみんな飲み過ぎじゃあないですかね、少し水でも挟んで……じゃないと、後悔することになりますよ」

 

 

 




 読了ありがとうございました。

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