東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

48 / 59
空家の怪

 

 

「――かっかっか!」

 

 愉しそうに笑う侍の声。

 その何処か老成した響きの声が――

 

「……」

 

 妙に懐かしく、なぜかとても……安堵するものとして、耳に残った。

 良かったと染み入るように笑み浮かぶ。

 

 そして

 

「ありがとう」

 

 なぜか。

 

 そう、言いたくなった。

 そう、伝えたくなった。 

 

 

________________________________________

 

 

 

 

「さてさて」

 

 僅かな緑葉を残す生きた枝。

 一尺ほどにだけ姿を残す樹の片を地面に真っ直ぐと突き立てる。

風で倒れぬよう、そこからずれぬよう、入念に確認を重ねて。

 

「――こんなもんかね」

 ぼんやりと呟いた。

 

 本当は根を張ったもの。しっかりと大地と繋がったそのまま(・・・・)である木々を使う方が、より優れた組立の基点となる。術式もなじみ、抵抗も少ない、元から存在するものにもう一つの要素を加えるだけという、そんな簡単な作業として置き換えられるのだ。

 そうなれば、こうやって細かな手間を加える必要もなく、使用する力もその大部分を削減して、安全で強大な力を発揮することも簡単になる……まあ、そのために仕込みをするのはそれだけでもかなりの時間がかかる。それほどの暇がない状況であるからこそ、こうやって細かな調整ばかりに気を取られているのだが。

 

――まったく、今回も……。

 

 まったくと。

どうもこうもと行き当たりばったりで、いつも通りに急場しのぎのお茶で濁すばかり。

 忙しい駆け足ばかりで……少し、嘆息を吐きたい気分にもなるものだ。

たまにはじっくりといきたい。そういう想いもある。

 

「……時間かけて何かを完成させるってのも、久しぶりに楽しみたいもんですねぇ」

 肩を落として呟く。

それ自体はただの老人のぼやき。

 しかし、考えてみれば、せっかく腰を落ち着けて一所に留まっているのだから、ここらで一丁そういうことを試みるというのも面白いかもしれない。時間をかけねば出来ぬ、大がかりな仕掛けの制作に取り組むのだ。

 時間と労力をかけなければ完成できぬ一品。己の能力を駆使し、年月を積み重ね、悩みに悩んで絞り出した知恵と知識の結晶として――一つの形としてそれをやってみたいというのも、一種の人心(ひとごころ)というものだろう。

 日がな一日……月、年と暇は持て余す人生である。その年輪として、その区切りとしてのものとして何かを作り上げてみるのもなかなかの一興だ。

たまには全力を出してみなければ、己の器も忘れてしまう。時には心魂夢中と頑張りに寄ってみなければ、己が生きているのだということすら朧と薄く感じてしまう。

 柄でなくとも、熱くなる。肌に合わずとも、袖を通してみる。

 似合わぬ己を演じてそれを顧みるというのもまた、長生きの秘訣で若さの秘訣。何より、いい暇つぶしとなるだろう。

 

「――今度、こっそりとでも」

 一人内緒に何かをしてみようか。

 むくむくと、そんな想いが込み上げる。

 

 時には一人。人の邪魔をするのを楽しむ連中に余計な茶々が入れられないようにして垣根の裏でひっそりと趣味に走る。

 少しずつ仕込んでおいて、とっておきの種と大仕掛けにまで仕立ててから。

急場に突然披露、皆々全てに驚きを。

 そういうのもまた、面白い。

 

――何か、考えてみますかねぇ。

 

 普段巻き込まれていることが多い分、そのお返しとして思い切りひっくり返してやるというのも爽快だ。たまには爺の意地の悪さに恨みの引きずり加減というのを味合わせてやる――それは大人げなくて、随分と己に似合いの悪巧みである。

 

「……ききき」

 意地の悪い笑い。

 

 そうだ。近頃は少しお人好しにすぎたのだ。

 たまには羽目を外し、己を押し出して高笑うというのも良い趣向で――何より、それが己の愉しみだ。そういうことを忘れてはいない。

 

「若人揶揄い、己の知恵袋をひけらかし……目の上のたんこぶとして厄介者に」

 

 それが正しい老人姿。それが由緒正しき老害翁。

 渋々仕様がなく、涙ながらにそれに流されてしまう。

己は弱い、強気意志なきちゃらんぽらん、仕方ないったら仕方ない。

 

――生きるってのはそういうことだ。

 

 そうやって、己とする。

 両目を瞑ってにたりと笑い、ぐっと伸びして爺臭く背中を叩く。

歳をとったと己で演じ、年寄り翁と己を戻し――いつも通りと息を吐く。

 

 それで、愉しき生き方と。

 

「――と、こんなもんか」

 

 そこまで考えたところで、片手間に動かしていた手が止まる。

作業が終わり、ちゃんと考えなければならない次が来る。

 

 そろそろ、つらつら退屈しのぎに考えていた皮算用も止めて、今現在の作業へと戻らなくてはならなくなる。

 

「ふむふむ、と」

 一声呟き、次の段階へ。

 膝を折り、視線を低くして全体を眺める。

 目の前にあるのは基点として広く設置された枝葉と石柱、札に針といったもの。それぞれは決して特別なものではなく、それなりの力しか持っていない使い捨てといったものばかり。

 

「少し見窄らしいが……まあ、何とか保つだろう」

 それら全てを俯瞰して、それなりと評を下す。

 うまくは作動するだろう。

 

「よし」

 

 頷いて、ひざに手を当て立ち上がる。

 どうせ、一人でそれを行うわけではないのだ。

己の役目は印付け、上手く繋ぐだけのものでいい。必要な力は源泉を別とするのだから、この程度で十分――そう見切りをつけて。

 

――そこまで凝る必要もないだろう。

 

 その際に「どっこらしょ」と吐き出した息は、随分と立ち仕事を続けていたための疲労を、爺臭く慰めるためのもの。それでも、腰の痛みは少しも引いてくれないが、そこは気分というものだろう。

老人気分、さっさと隠居したいという気持ちの表れ。

 そして――それと少しと考える。

 

「……少し運動不足かねぇ。ちっとは鍛錬した方がいいか」

 

 身体の芯に残る鈍い重み。

 最近立て続けに起こった事件に無理をして対応していたための弊害――とはいえ、それが随分と遅れてやってきている。

 老人の二日遅れの筋肉痛のようなものにも感じるが……これは、怠けていた身体に急に火を入れたことで起こった焼付けのようなものでもあるのかもしれない。身体がびっくりして、その感覚を受け止めることすら忘れていた、という感じである。

 

――何をするにしても。

 

 これは先に、少し気を入れて己の身体を打ち直しておいたほうがいいかもしれない。いくらなまくら刀であろうとも、このまま錆び付き折れ曲がるのは、貧乏性にとっては少々惜しい。まだまだ倉庫にある酒も呑みきっていないことであるし、少しここらで勘を取り戻しておくのもありである。

 これでも、命は惜しい(旨い酒を呑みたい)

 冗談込みで。

 

「これで――全部かしら」

 

 そんな三日坊主で終わりそうな気まぐれな考えを巡らしているところに届く声。

 振り向けば「ああ、疲れた」といった表情で、いつもの裂け目から顔を出す隙間妖怪が一妖。

 

「出たな化け物!」

 

 そう叫び、己に降りかかる数々の不幸の一因を取り除くため、一心を込めた封印の陣を呼び起こす。いくら膨大な力を持つ妖であるとはいえ、敷地全体に張り巡らされたこの強大な法陣を使ってでの力には逆らえまい。

 己の歴史・経験、知識全てを注ぎ込み、敵自身が持つ力すら利用して、一種の別世界へと相手を区切る。世界に穴を空けるといってしまってもいい術。

 

――それを使うためには、己の命すら差し出す必要がある。

 

 たかが、人間。その人間が身の丈に合わぬ願いを叶えるために、全てを使い切る。

たった一人分の犠牲で、被害はそれだけで済んでしまう大妖怪退治。

 伝説伝奇級の偉業を成し遂げる英雄の業。

 

 それは大層な。

 

「――楽そうだが、楽しくはないだろうな」

 

 ふと、過ぎった妄想の類。

 命を捨てて、人生の意味を見出す最短路。

 讃えるための懲悪節。

 

――物語としては正しいが……。

 

 随分と、自分勝手に滅私奉公なその潔さは、ここまで生きた道楽翁にとってはふさわしくない。もっと生き汚く、ごちゃごちゃ有耶無耶と煙に巻いての若者頼りが、未練たらしい己に似合いの生き様だ。

 何より、相手は己の悪友である。

 

――もし、そんな場面が訪れるなら……懸命に働く側よりも、舞台だけ用意して笑ってる裏方の方が楽しいってもんですしねぇ。

 

 鼻提灯を燈してのうたた寝混じり。解説役での高み見物。

そういう役であるならば、のんびり酒でも呑めるというもの。

 ぬらりひょんっと、のらくら生きる。

 そんな感じでありたいものである。

 

 それが、人生の目標。だからこそ、仕込みに時間をかけるのだから。

 

「どうしたの?」

「なんでもない」

 呼びかけられる声に、ふっと返す。

 

 未来針路に将来照準。少々、横道に迷い込んだ気がするが、まあ、妄想の類とはそういうものだ。そういうことを信じ込んだ才人が後の世に残る偉業を成し遂げることもあるが。凡庸な己はそれを考えるだけ考えて、終止符とすることとしよう。

 

――どうせ思う通りにはならない日常譚。

 

 偶然、必然。運命とはさもありなん。生きてみたい生き方を選ぶのは難しい。

 ここでこうしていることも、何やらなんと回りまわった結果。予想などつくはずもなく、精々、暇つぶしに一番ありえないだろう妄想でもして楽しむ程度。

 そうして決める。

 

「どうとでもなるだろうって開き直るのが一番の覚悟――と、あらためて人生を見返していただけでね」

「それは諦めているだけなんじゃないかしら……まあ、どうでもいいけど、ちゃんとは仕事しなさいよね」

 私ばっかり働かせておいて、と疲労に満ちた表情を見せる少女。

 その割に汗一つなく、大して動いていた様子にも見えないのは何故だろうか。

 任せた仕事の量も己の半分以下、能力を使えば、指一本動かすだけの労力で済んでしまうものだったはず。

 というか――

 

「紫様、配置の確認も全て終わりました! 全作業終了です」

 

 隙間の向こうから聞こえる声にその演技は白々しすぎる。もしかしたら、全ての作業を任せきり――なのだろうなぁ、と予想できてしまうのは付き合いの長さゆえの確信か。

 働き者の狐さんは、どうやら今回もきっちり働かされているらしい。

 

「それはそれは、ご苦労様だ」

 狐さん、と口の中だけで呟いて、曖昧に笑む。

 それを耳聡く聞きつけて「何かしら?」とわざとらしく微笑まれるのも恒常通り。

いつも通りのやり取り線上。

 

――後で差し入れでもしとくかね。

 

 色々と言ってやりたい気もするが、「式神というのも私の力の一部……あの子の成果は私の成果でもあるわ」とか何とか適当なことを言われるのがオチであろう。

それならば、後でこっそり労いのものを送っておく……それも、いつものことである。

 なんとなく、あの狐さんの姿は他人な気がしないのだ。

 

「まあ……それじゃあ、とりあえず準備は整ったってことでいいですね」

「ええ、大丈夫よ。私の優秀な式の仕事だもの」

 

 間違いなどあろうはずがない。

 確信に満ちた目で、主人は信頼の言を放つ。

 

それに。

 

――……妙な感じにまとまってるもんだ。

 

 自慢の従者。心の底ではそう思っているのだろう。

 それを表に出すことはない。出す必要もなく、その従者も弁えている。

 そういう関係なのだ。言葉で表す以上に深く、縁は連なり繋がっている。

 

「――素直じゃないねぇ」

 そんな関係になんとなく笑ってしまいながら、足を進める。

 進むのは、作り出したその結界の中心地。

 

「あなたこそ――」

 

 後ろからかかる声。

 外側から力を流し込みながら、紫が応える。

 

「あんな飄々としてたのに、この考え込まれた陣――そんなに前の失敗が気に入らなかったのかしら」

 負けず嫌いねぇと、くすくすとした笑いが響く。

 何やら勘違いしているようだが……わざわざ、否定することもない。

 

「――今度はちゃんと力も受け止められる。わざわざこっちが痛い思いをするつもりはないってことですよ」

 そういい返しながら、中心となる木戸の向こうへ。

 家主のいない戸口を潜り、いつか通ったはずの廊下を歩く。

 

――大分埃が溜まって……一度大掃除だな、こりゃ。

 

 多少は手を入れていたのだろう。

 荒れている、というほどではない。

けれど、やはり人の住んでいない家というのは火が消えている。温かみも親しみも、何処かしらから抜け落ちて、元の姿を失くしてしまう。いつかの光景、いつかの憧憬、いろいろと思い浮かぶのだけれど――

 

「――抜け殻ってのは、やっぱり寂しいもんだ」

 

 あったはずの光景は、想い出の中にこそしか残らない。

 同じ記憶を重ねても、やはり何かが滑り落ちていく。

 物悲しい、吹き錆びた場所。

魂抜けて、温もり失せた場所。

 

「ま、だからこそ」

 

 誰もいない場所の真ん中――そこに描いた円を中心に、それをさらに広くなぞった陣へと繋ぐ。そこに通じる力は大妖のもの、境界操る異常な能力。たかが、人間が手を出すには少々荷が重い。

けれど。

 

――それでも、二回目ってんなら少しは慣れますとね。

 

 今度は準備も十全。

 予定通りと回すだけ。

 

「怪奇に奇怪に物事起こり、魑魅魍魎も沸きやすい」

 

 己の力で誘導し、流れを一つに巻きとめる。

 進む先は目印通り。

 その主人の待つ居場所へ。

 

「……幽霊屋敷にゃ、お似合いだ」

 

 やはり、伝え話となるよりは怪談を語る方が合っている。それが己が由縁のものならば、余計に語りやすくもなるというものだ。

 

――いつかに涼を騙るには、丁度いい。

 

そういうことで、その切っ掛け仕込み。

明日と未来に種を植える。

 

 

________________________________________

 

 

「――もぎ取ってやったよ」

 そういって、自慢げに胸を張り、侍は酒水を揺らした。

とくご機嫌に笑みを浮かべ、くいっと一息にそれを飲み干して「どうだ」というばかりに笑っている。

 

「そりゃまた……」

「随分とまあ、大きなお土産ね」

 

 他の二人も珍しい様子で驚きの表情を見せ、その事柄に瞬いた。

 男は「よくやったもんです」と賞賛の言葉を送り、紫は直接言葉にして褒めることはしないが、ふっと笑って背に隠していた徳利を前へと差し出している。

 祝い酒、ということだろうか。

 元々自分のものではないものを手渡しているだけだが、今回の手腕を評価しているのだろうということはよくわかる。

 

――……。

 

 けれど、私にはわからない。

 その喜びが何によるものなのか。

 一体どうして皆が笑っているのか。

 

 その笑いに、つられてしまうことができない

 

――どうして、かしら……?

 

 少々の疎外感。

 なんとなくの蚊帳の外気分……それは、構わない。

 多少の寂しさこそ感じれども、一番に近い位置にある友人も、全てが重なって共有できるわけではない。わからない部分もあるのは当たり前。ただ、今一時の話題を共有できないというだけということに、いちいち目くじらをたてるようなことはない。

 それくらいは、弁えている。

 

 けれど――けれど、なぜか、ずれがある。

 目の前で会話を、何処か物足りないと感じている自分がいる――しっくりこないと。

 

――もう一人……。

 

 誰か。

 ■が足りないと、胸の奥がざわついている。

 よく知っている誰かが、訴えている。

 

 ずっと、ずっと近い場所にいたはずの――

 

「――幽々子?」

 

 記憶の底。沈んでしまった想い。

 その蓋が僅かに開きそうで。

 

「え……?」

 

 顔を上げれば、金色に揺れる糸。

 大切な親友が不思議そうにこちらを覗きこんでいる。

 

「どうしたの? ぼうっとして」

 熱でもあるの。

 

 そう言いながら伸ばされる手。

 体温のない額に涼やかな手が触れる。

 その僅かな熱が身体に染み入る。

 

 それも――

 

――知って、る?

 

 見たことのある光景。感じたことのある感覚。

 それを私は何処から見ていたのだろうか。

 誰を、見たのだろうか。

 

 わからない。思い出せない。

 とても大事なことだった気がするのに。

 

「――あ……」

 

 閉じられた箱から泡が洩れる。

 僅かな残響が内側へと響く。

 

 けれど、その鍵が見つからない。

 

――私は……。

 

 言葉にならない。

 その前に、露へと散ってしまう。

 

――何を、言いたかったの?

 

 掴めない。実感のない感情。

 重さを捨ててしまった己の、失くしてしまった浮遊感。これも、私が亡霊である故の宙ぶらりんなのだろうか……咎、なのだろうか。

 

「――何でも、ないの」

 

 放り込んだ飛礫に、巻き上がる泥の霧。

 五里霧中に迷い込んだ心底で、波紋に歪む追の記憶。

 純粋に私を心配する目。

 

 とくとくと。じくじくと。

 疼くしこり。

 

 それを――。

 

「ちょっと、考え事してただけよ」

 

 呑み込んだ。

 

 片手を上げて口元を隠し、大丈夫だと微笑んだ。

 何でもないと、否定した。

 

――きっと……。

 

 それが形となっても。答えはでない。

 それが問えても、教えてはくれない。

 そうしてくれないのなら、それを隠しているのなら、それ相応の理由があるのだ。意味のないことはするけれど――決して、裏切ることはない大切な友人達。

 いくら惑っても、迷いなくそれを言い切る自分もいる。

 それは変わってない(……)

 

――なら、今は埋めておこう。

 

 心の隙間に詰めておく。

 鍵を見つけるまで埋めておく。

 それが、きっと私の――

 

「それより、一体何の話をしてるのかしら?」

 ふわりと浮いて、円に飛び込む。

 知らない話に、混ざりこむ。

 

 今の私、そのままに。

 

「――ああ、すみませんねぇ。ちゃんと、楽しいことは共有しないとですね」

「そうね。ちゃんと幽々子にも伝えておかないと――なにせ、貴女がこれから暮らす場所なんですから」

 軽く頭を下げながら、男が悪戯っぽく笑って応える。

 優しげに微笑みながら、紫が隣に座るようにと促してくれる。

 

 その場所に壁はない。ただ、違う時間があるだけ。

 

「そうよ。仲間はずれは御免だわ」

 手を伸ばせば、届く輪の内。

 わからないことも多くあるけれど、きっと寂しくも思ってしまうけれど、それ以上に、私がその内にいられないのは嫌なのだ。

 

 面白くない、のだ。

 

――隠し事があっても、迷っていても……。

 

 一緒に楽しめる場所。

 そこにいることを迷う必要はない。 

 

 私の居場所は――ここなのだから。

 

「どんな悪巧みなの?」

 

 とりあえずは、笑っていよう。

 そう思う。

 

 

 

 

「――かっかっか!」

 愉しそうに笑う声。

 

 

________________________________________

 

 

 

「――来たか」

 

 彼岸の花散る冥界の地。

 その広大な大地に一陣の風が吹きこむ。

 冷ややかな、死に冷やされたものでない温かな生を含んだもの。

 懐かしき場所の――その感触を添えて。

 

「ふむ……」

 

 そこにあるのは、あばら家といってしまってもいいような襤褸吹き抜け。新参の亡霊姫に与えられた広さだけはある古物置のような屋敷。

 そして、その周りを囲むようにして印された円状の陣。

 

 それが――

 

「……」

 

 音無く、ずれる。

 鈍い光を放ち――ずるりと、その中にある景色が乱れて混ざる。

あったはずの確かなものが揺れて、幻のように景色が歪んでいく。

 

――……。

 

 屋根が塞がり、戸窓に障子が。割れ戸が消えて、代わりに木戸が。

 縁側から奥までを見通せてしまった吹き抜けが、襖で仕切られた小分けの部屋へと変わり、虫食いの床板が緑の畳となって調度と共に姿を整える。辺りにあったはずの伸び放題の雑草は、木々と草花が並ぶ少々形を崩した庭園へと整えられ、石灯籠と池が湧き出る。

 

 抜け落ちて、成り代わり。

 元在ったものが別のもの。

 

 姿が入れて替わる。形が生え変わる。

 

「どうやら――」

 

 現れる其れは――主の館。己が主人の生前の場所。

 不備なく上手くいったその万全に。

 

 

「上手く、いったようだな」

 ほっと息を吐いた。

 

 あちらにあったものと全く同じもの。

 正真正銘の本物が、そのままの形でそこにある。

 

 そっくりそのまま、ここにある。

 

――ああ……。

 

 その感慨が、少々胸を突く。

 一つやり遂げたのだと、目じりが落ちる。

 

 随分、回った。

 己への酔いに。

 

 

________________________________________

 

 

 

 

「――よくやるものだ」

 

 石段の下から見上げる光。

 その外側(・・・・)からは、見えないようにしている光を見上げながら思う。

 よく、そんなことが出来るものだと。

 

――本当にあの男は人間なのか……。

 

 つくづく、疑問に思ってしまう。

 それはもはや、人の尺度で測ってしまえる事ではない。

 

「大妖の力を利用しての転移陣……それも、冥界と繋がるものなど」

 

 たかが人間……そんなことを言っている者に出来てしまう所業ではない。どこが「何の変哲もない老人」なのかと、頭を抱えたくもなる。

 誰も、そんなことを信じてしまえるはずがないというのに、何でも『長く生きているから』、なんて理由で答えになるとでも思っているのだろうか。

 

――あの男は……。

 

 一体何処で学んだ知識であるのか。どうやって手に入れた技術であるのか。

 一昼夜どころか数年がかりで研究してもわからぬほどに、複雑に簡略されてしまっている力の使い様。あの男以外に使いこなせるものではなく、他の誰にも有用にはならない専用式。

あまりに、癖が強すぎる。

 

――億年ものの……熟成済みか。

 

 味に深みがあるというほどの話ではない。それが酒であるのかどうかすら判断できない。

 理解の範疇を超えて――非常識(あやかし)の測りですら、見切れてしまう。

 

――本当に、それだけ生きる人間がいるのかどうか。

 

 少なくとも、やっていることは常識外。

 信じられないその言を、本当なのではないのかと思ってしまうほどに埒外だ。

 嘘も真もわからなくなるほどに――おかしな存在。

 

「――やっていることは、馬鹿らしいことばかりだというに」

 

 己が主人と共に幾度かこなしていた馬鹿騒ぎ。

 そのほとんどが大妖怪やそれに近い位置にいる人間が関わるような事柄ではない。瑣末な、小さなことばかりに関わって、無駄に苦労を背負って終わる。

「嫌だ嫌だ」といいながら、愉しそうに――その苦しみに並ぶ。

 

「――まったく」

 わけがわからない。

 そう呆れかえってしまって吐いた息と――僅かな笑い。

 

 可笑しい。何だか笑ってしまう。

 あの男を見ていると。

 

――どうにも、狂わされる。

 

 築き上げてきた自分。

 今まで信じていた何かを、煙に巻いて惑わせて――迷い込ませた上で、道を示す。

 戻るも自由、進むも勝手と、指針を問われる。

 今まで通りか、また違う『いつも』を見るのか。

 

――選ぶのは、自分だけれど。

 

 今まで見ていなかったもの。けれど、己の中に確かにあったものを知らされて、どうしようと迷ってしまう。初心(うぶ)な想いをさせられてしまう。

 

「――どちらが妖怪だか」

 

 化かすのが得意技。誤魔化すのが茶飯。

 騙しにかけては化け物以上に化け物らしい。

 熟練極みの謀り手。

 

――紫様も……。

 

 それはきっと同じなのだろう。

 その感情を掘り起こされて、いつの間にか埋められなくなった。

興味を持って、愛着を持ってしまった。

 もう、逃げてはしまえないぐらいに。

 

「――大切なもの、か」

 

 あそこで行われているのは昔の感慨――想い出の回収といったようなもの。

 その長く生きた年月と比べると、ほんの数刻にもみたないだろう時間の場所を必死で守ろうとしている。

 あまりに無駄な、労力が利益に見合わぬ、大損な力の使いよう。勘定下手にも程がある。

 昔の自分なら、滑稽だとして笑っていただろう。

 

――けれど……。

 

 関わっているのは己が主人。

 頭を抱えようにも抱えられないのだ。

 そんなことをすれば仕置き確定だから――もう、あんな隙間には落とされたくはない。

 だから――

 

「私も、ちゃんと自分の仕事をしなければ……怒られてしまう」

 

 それは嫌だから、格好つけてなどいられない。

 私など、手も届かないほどの能力持ち。

 逆らっては我が身が危ない。

 

――たとえそれが雑用であろうと……お屋敷を襤褸屋といれかえるだけの小心な悪巧みでも。

 

 真剣に取り組む理由がある。ならば、頑張らねばなるまい。

 己が主人の期待に応えるためにも、その程度の仕事もこなせないと笑われないためにも、力を惜しむことはない。嫌々ながらも、全力で――

 

「――なんてな」

 

 くすりと、笑いが洩れる。

 そんな誤魔化しを得ている、己を笑う。

 

――毒されているな。

 

 私も、己が主のように――紫様のように笑っている。

 楽しく、可笑しく愉しんでいる。それを悪くないと思っている。

 それがまた、どうにもおかしい。

 

「ああ、そろそろいかないと」

 

 昔、楔をうったのは自分。

 もう一つの場所では、私の印を使うことになる。

 そちらを確認しておかねばならない。

 

――忙しいものだ。

 

 雑用係というのも。

 

「――にしても」

 

 もう一度だけ上を見上げて、その場所を思う。

 今頃、元あったはずのお屋敷が消え、ぼろぼろとなった古屋敷だけが残っているだろうはずの場所。次にそれを知っている誰かが訪れた時には、霊験豊かな狐か性質の悪い狸にでも化かされたのかと、己の頭を疑うことになるだろう。

 本当に、どちらが妖怪なのかどうかわからない。

 

――そのために、あの堅物の侍が有象無象の者ども相手に、持ち出せるものだけは持ち出していいなどという、ふざけた権利を勝ち取ってきたというのだから。

 

 それ考えて、また笑う。

 笑いながら締めなおす。

 

――まあ、当人達には大切なことなのだから。

 

 当の妖獣である自分が笑ってしまう程度の化かし。

 けれど、とても『らしい』悪巧みだと。そう思ってしまえる気分。時には、幼い頃を思い出してみようかと己も少し楽しんでいる。

 

 そんな己に、余計と笑う。

 

 

 

 





 怪し妖しと。
 悪巧む爺。


 そんなこんなと最新話として再開です。
 これからは少し更新間隔も落ちると思いますが、どうかよろしくお付き合いお願いします。

 読了ありがとうございました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。