東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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談笑

 

「さあて、今回はこっちが管を巻いてもいい席だろう。若者相手にぐだぐだ文句を連ねて酒の肴にでもさせてもらいますかな……理由もあることだし」

「あら、何のことかしら……年寄りは昔のことばかり言って困るわ。こんな良いお酒に余計な茶々を入れて台無しにするなんて、そんな狭量な心しかもっていないの?」

 

 くるくると指の上にて酒杯回す。

 くすくすと口元手を当て唇隠す。

 

「おやおや、そんなことを言っていると、近頃の若者はなんてありきたりなことをいって、大して輝かしくもない昔話でも始めますよ。間抜けに苦労な無駄話……随分と長くなるが」

「それは怖いわ。一体どんな太古のおとぎ話になるのかしら。きっと言葉もないような時代のこと……その作法にのとって身振り手振りで頑張って伝えてくれますのよね」

 

 からからと合わせて笑う。

 にこにこと煽りて微笑む。

 

「ほうほう。つまりは動きで感情を表せと……少しは今の時風に合わせる気もあったんですがねぇ。こりゃあ古風に拳骨の一つでも落とすとしますか。妖怪を力で懲らしめるのは昔話の作法通りだ」

「まあ、野蛮ね。それじゃあこちらも昔風に身代わりでもたてようかしら。よくあるでしょう? 誠の忠臣が主の身代わりとして痛みを負うお話が」

 

 あはは。うふふ。

 

 不気味に笑うは互いとも。

 胡散臭い笑みを鏡合わせに酒をすすめる。

 向こうで狐さんが悲しげな目をする。

 

「……」

「――」

 

 あーだこーだ。

 うんぬんかんぬん。

 うんだかんだ。

 

 酒には花咲く戯言空言。

 笑い弾ける歓談団欒。

 

――どうにもこうにも。

 

 端から見れば。

 外から見れば。

 

「――狐と狸のなんとやら、だな」

 

 するりと差し込む低い声。

 冷めた温度の常温句。

 

 耳にし一言。

 

「……オチをつけないでください、侍さん」

 

 ため息ついて吐き出して――頭を抱える。

 

 

――

 

 

「すまんすまん」

 

 少し離れた壁を背にして呟く侍どの。

 そう言いながら、かっかっと笑うその表情はどうにも緩んだもの。昔ながらのやりとり眺め、頬をゆるませ懐かしむ大人の視線。

 端から眺めて浸る楽しみと、どうにも自分と重なる老人の態度である。

 頭に血が上りやすいのは変わらぬものの、どことなく所帯染みた懐の深さを感じるようにもなった様子で……どうにも年寄り臭い。

 見た目は若返ったというのに。

 

――何か、心機一転するようなことでもあったんですかねぇ。

 

 それも、性質を変えてしまうようなそれなりのもの。

 少し勘ぐってしまうような……そういう態度だ。

 

「あら、もうやめちゃうの?」

 緩い声。

 

 そんなところに差し込むのは、楽しそうに笑う少女の囁きである。

 人を肴に楽しむ外れた道に暮らすもの。

 

「――そっちはそっちでつまみ食いをやめなさい。その戸棚の菓子は来客用だ。断じて故人へのお供えじゃない」

「ならいいわよね。私は故あってここにきた亡霊のお客様……決して人ではないんだから」

 

 干した果実を加工した、手間のかかった甘露菓子。

 それを美味しそうに口に含む血色のよい亡霊。

 酒とは合わぬとは思うのだけれど、そこは甘いものなら舌が別になるという女性の業か……か弱く図太く、欲望に忠実なものである。

 

――元々はいいとこのお嬢さんだってのに。

 

 誰の悪影響を受けたのか。

 死んだ者にすら影響を与えるのだから大層に灰汁の強い奴に違いない。

 くわばらくわばら、である。いや、これは雷除けの呪いだったか。

 

――ああ、雷と言えば。

 

 なんとなく思い浮かぶもの。

 ふらりと思考が傾ぐ。

 

「あの菅原っておん……幽霊さんは元気ですかねぇ。もう成仏したのかどうか」

「急に何の話を始めるのよ――その菅原ってあの天神のこと?」

「……うん?」

 

 天神。それが雷を操るといったものならばそうかもしれない。

 あやふやな条件ながらも、そう答えた。

 

「そうねぇ。それが、あの菅原なら、確か今はどこかの神様として祭られているんじゃなかったかしら。結構な地位にいるはずよ――あるところに雷撃を落としたことを切っ掛けとしてね」

「……」

 

「知り合いなの?」と訪ねられたので「少し話したことがあるだけ」と返した。

 なんというか、適当に呟いただけの相手を知われていたことの方が驚きなのである。

 流石、何処に現れても不思議ではない隙間覗き。何処にでも神出鬼没に出現し、雑多なことに知識を持っている。

 

――しかし……そうか。

 

 そんな存在になっている。

 昔、狙ったところに雷を落とせないなんて悩んでいた若者に、「それなら落としやすいところを狙って練習すればいい」なんて適当なことを話しただけのことだったが、どうやら、その小さな切っ掛けをものにする者もいるらしい。

 高いところとか、引き寄せやすいものとか。ただ、その程度の助言を努力で引き上げて、己の地位を作り上げる足場の足しにした。一体何をしたのかはなんだか聞きたくはないが、ただ一介の人の霊であったものが、随分と上り詰めるほどのもの。

 なかなかの大胆なことをしでかしたのであろう。

 随分な剛胆で……野心家だったものである。

 

「――何かがきっかけとなるかはわからない。いや、そういうよりも、何をきっかけとしてでも、己を高みへと導く精神をもてるかどうか、か」

 

 人間も心がけ次第ということだろう。

 人生の妙な縁、それを何として生きるのか――いや、それは死しても同じことなのだろう。良きに悪しきに、為したことは後々利いてくる。

 己も、それに従ってこうなったのではあるのだろうから。

 

「……だから、何の話をしているのよ」

 

 胡乱な目でこちらを見つめる紫。

「またこの年寄りはわけのわからない話を……」なんて、朦朧と彷徨い気味の己の思考に呆れているのだろう。この前も、食事を強請りに来たくせに、こっちの話なんて聞き流し通しでどうにも失礼な態度だった。

 

――まあ、気持ちは分かるが……。

 

昔は己もよくそれで苦労したものだ。

 老人の相手をするとはそういうことで……特に無駄話が好き、語りたがりの人間などは性質が悪い。同じ話を幾度何度と、芯なき言葉を四方山塵と積もらせ、終わりなく勝手気ままに口を回し続ける。

 きりのないまま、実りのないまま――どうにも、時間を無駄にするだけ。

 

――あの時は心底嫌にもなったもんだが……。

 

 己ももはや老人過ぎて……そして、歴史は繰り返すもの。

止めようとしない限りは惰性と続く。己の味わったものを誰かにやり返そうと続けられる。

 だから、これは仕方がないことだ。

 

「これを教訓として、長話や無駄話は人を困らせるだけだと覚えておけばいい。絡まれる方はたまったもんじゃないとね」

「……だから、私が今、それに困っているのだけれど」

 

 それはそう。こっちは止める気がない。

 八つ当たる気満々であるのだから。

 

――だから……せいぜい忍耐を。

 

 面倒くさそうに、息を吐く。それを肴に、話を長引かせる。

 不幸を蜜に。苦労を弾みに。

 若者の苦労姿に、意地悪く愉しむ。

 

「――今日くらいは」

 

 こっちを走り回らせた分。誰かに痛みを与えた分。己を軽んじた分。

 

 そんな理由を盾に、これ幸いと。

 

「……今日くらいは、老人の戯言に苦しんどくことですよ――助けられたお姫さま」

 そうして背負った重荷を思い出せ、と。

 

 したり顔で知ったかぶりに、老人は己の説教に酔う。

 何かをしたつもりとなって、自慢げにそれを旗と振る。

 

――それが若さの秘訣で……

 

 老人を働かせると、そんな面倒に付き合うことになる。

 そういう教訓にもなる。

 

「今度は酌ぐらいじゃすみませんよ、とね」

 

 にたりと笑って、杯を差し出した。

 その言葉に一瞬とまり、すぐに口端を持ち上げ、紫は酒を注ぐ。

 少々不服そうなその様子に、いい気味だと微笑んだ。

 我ながら、意地の悪い老人振り。

 

――……それに加えて。

 

 己だけではない。

 恨みを持つ者。

 

「そうよ。大変だったんだから」

 

 その後ろから飛び込んできた亡霊姫。

 金に輝く長い髪ごと両腕で包み込み、隣に顔を並ばせる。

 金の隣に並ぶ桃。

 

「たまたま妖忌さんが私の所に来ていなかったら……間に合わなかったかもしれない。この人が見つかったのも偶然。それが帰り際でなかったら、もっと時間がかかっていた」

 もし、誰か一人でもそこですれ違っていれば、終わっていたかもしれない。

 そんな可能性もあったのだ。

 

 口元に笑みを浮かべながら、けれども、どこか重みを含ませた声で、彼女は大事な友人を抱きしめる。

 なくならないように、抱きとめる。

 

「……ごめんなさい」

 

 その手に自らの手を重ね、同じように微笑む紫。

 そこに浮かんでいるのは、一つの記憶だろう。

 一度、失いかけた――失った経験をもっているからこそ、それはわかっているはずなのだ。同じ心を、知っているはずなのだ。

 

 知っているけれど、知らないもの。

 近いのに、遠いもの。

 明るいうちに通った道が、夜は全く別の姿を見せるのと同じ。与える側と与えられる側では、それぞれ感じているものは違っていることと等しきこと。

 

――大切なものは案外見えていない。

 

反転しては、違う姿。己の背中は見えぬ。

 逆位置ならば、意味をも変わる。

 

「精々、不格好にならないよう気を配ってないと――己の姿も見えぬ愚か者ってのは、随分な間抜け面になることはうけ合いです」

 

 ちゃんと、鏡を見て確認しなければ、鏡を鏡としてみなければ、己の姿も――己の後悔も見えることはない。

 知ってはいても、見えてはいない。

 

 だからこそ――

 

「忘れなさんなよ。惚けるにゃまだ早い」

 

 かかか、と冗談めかしてそういった。

 冗談めかして、意地を悪くに空気に混ぜた。

 

「失礼ね」

 

 気の抜ける調子での言葉。

 それくらい、聞き流してしまえるほどで丁度いい。

 

「言われなくても、わかってるわよ」

 

 そう軽く、耳聡い者なら勝手に気づく。

 安請け合いで負ってしまえるものなのだから。

 

 

――その程度で十分だ。

 

 老人は、ごちゃごちゃと喚くだけ。

 それを勝手に拾い上げるのが――飾りたてて、意味とするのが良き若者。

 

 そんなことと、無責任にと考えた。

 ぐいと呑み込み、早速忘れた。

 

 その程度の、酒の話である。

 

 

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「そういえば、侍さん……結局、どうしてこっちにきたんですっけ?」

 詳しく聞いていなかった。

 

 酒杯を傾けつつ、男がいった。

 今更ながらの質問に「む?」と頓狂な声を上げて、壁際にもたれる白髪の侍が応える。

 

――そういえば、そうね。

 

 随分と落ち着いた雰囲気。慣れた空間。

 確かに、いつも通りの感覚で流してしまっていたが、なぜその侍がここにいるのだろうか。

 その理由を私は知らなかった。

 髭を剃り、髪を整えて……傍目からはまったく同じ人物とは思えないほどに若返った姿となっている、己の親友の元従者。半人半霊の剣士である魂魄妖忌。

 月の都においてその正体を教えられた当初は、信じられないと目を疑い、思わず笑い転げてしまいそうにもなったが……まあ、それはそれ。

 あの事件の後、その後始末をするために西行寺の家へと残り、さほど断絶しながらもわずかには残っていた縁者親類関係との細々を整理し、遺品や所領の管理などの取り決めなどに口添えをするため、そこへ残った。

 それが終わった後は、しばらく自分を見つめ直すための旅に出るなどともいっていたはずだが、それがなぜ、遙々この幻想郷まで足を延ばしたのか。

 何かを知らせにきたのだろうか。

 

「ああ、まだ言っていなかったな」

 すっかり忘れていた。

 

 そういって、ちらりとこちらに視線を向けて、ふっと鼻で笑う。

 癇に障る表情……これは怒ってもいいのだろうか。

 

――いつもの仕返しのつもり……?

 

 何度も出し抜き、からかい遊んでやった生真面目な侍。

 この度、晴れて、己の計画に失敗して捕まった間抜けな妖怪を仕方なく助けてやったという優位な側へと立った。

 それを傘に、こちらを笑うつもりなのか。

 

 良い度胸だ。

 

「……」

「待て、そこの妖怪」

 

 すっと、線を書こうとした腕が止められた。

 見れば、正面に座っていた男が私の腕を掴んで止めている。

 

「何をする気だ。何を」

「何よ。あちらのお酒が足りないみたいだからお酌して上げようとしただけじゃない――命の恩人さんに、お礼としてね」

「酒樽をひっくり返すことをお酌とはいわん……人の倉に手を出すな」

 

 少し本気の目で、男がにこりと笑った。

 それに、にこりと微笑み返し――開きかけていた隙間を閉じた。

 

――仕方ないわね。

 

 それがつながっていた先。この家にある男の倉庫。

 そういえば、酒の保管場所付近には一際強力な結界が張られていたのだった。その中には私の力ですら出し抜けない感知用のものも存在していたらしい。

 どうにも、流石の力の入れようである。

 

「――侍さんも」

 

 にこりと細めた目で男が睨む――少々、背筋にぞっとくる。

 酒樽に手を出されかけて怒ったのか。

 怒る場面はそこでいいのか。

 少し疑問ではあるが、その怒気は結構なもの。

 

「あ、ああ、すまん」

 

 少したじろいだ様子で妖忌は首を引っ込めた。 

 

――……。

 

 それに、妙な笑みがこみ上げる。

 私がちょっかいを出し、妖忌がそれを戒めようとし、男が両成敗に締める。いつもと逆ではある――が、それは、妙に既視感を感じてしまうやりとりで。

 

 なんだか、少し。

 

「懐かしい感じがするわねぇ」

 

 頭に浮かんだ感覚を、隣に座る少女がほろりとこぼした。それになんだか、おかしな気分になってしまって――少し寂しく、それ以上に楽しくて。

 

――私ともあろうものが、妙な心持ちねぇ。

 

 くつくつとこみ上げる笑い。

 強く吹きこぼれるものではなく、恒温に保たれた日常にある温度。そこにいて、何も疑問を感じない無意識となれる場所。

 

――これが……。

 

 昔、男が言っていた言葉を思い出す。

 少しだけ、心に留まっていたことを思い返す。

 

――私の居場所、ということなのかしら。

 

 意識はしていなかった。

 意志など持っていなかった。

 

 けれど

 

 いつの間にか、出来ていた場所。

 いつの間にか、当たり前となった空間。

 安心して、眠ってしまえる。

 心を置ける場所。

 

「――紫様」

 

 ふわりと、黄色い髪が揺れる。

 隣に座ったのは、己の従者。私のことを、己を縛る力がなくなった後でも、変わらぬ心で、助けようとしてくれた忠義の狐。

 

「藍、あなたも――どう?」

 

 差し出されたとっくりから酒を受け取りながら、もう一方の手で杯を差し出した。

 いつもはしないだろうその行為に、目を瞬かせながらも、藍は照れたような表情で目を細め、笑ってその杯を受け取った。

 

「ありがとうございます」

 

 両手で包まれた杯に、受け取った酒を注ぐ。

 なみなみと、そのふちぎりぎりまでに注ぎ込む。

 

「……」

 

 注ぎ込んだ後、そこに落ち着いた水鏡に映る藍の表情。

 それは、とても嬉しそうな――安心した笑顔だった。

 

 元の鞘に収まれたという、心を置いた姿だった。

 

――……。

 

 不甲斐ない。

 それほど、彼女をそれほどに乱してしまうほど、心配をかけてしまった。

 もう、元には戻れないというぐらい。取り返しのつかない記憶を植えつけてしまうぐらいに、怖い想いをさせてしまったのだ。

 情けない、本当に愚かな主人だ。

 

――心配要らないと……信じていられる姿さえ、見せられないなんて。

 

 負けてもいい。逃げ出してしまってもいい。

 けれど、それでも信じていられる。

 そんな根拠のない自信さえ抱いてしまえるような安心感。

 ずっと、変わらないままに。そこにいる。

 そんなしなやかな強さ。

 

 そういうものになるには――

 

「――私も、まだまだねぇ」

 

 まだまだ経験が足りないということだろう。

 濁り惑わせ見通せずとも、手を伸ばせば底に届いてしまうのでは……その程度の深さでは、きっと足りないのだ。

 もっと、もっと、重ねていかねばならない。

 私という器を広げるために。

 

 そうでなければ――

 

「――欲しいものも、手に入らない」

 

 私にも精進が必要だ。

 叶えたい望みを、理想の形で叶えるために。

 少しは努力しなければならない。怠けてばかりではいられない。

 怠けるためにも――

 

「頑張らないと」

 

 ほろりとこぼした心情。

 自戒として、胸に留めておく縛りに。

 

「大丈夫ですよ」

 

 隣に座る従者が言葉を添える。

 

「紫様も、まだまだお若いのですから」

 

 悪戯っぽく笑いながら、視線を向けるのは例の男。

 生き抜き生き過ぎ、もはや人には思えないほどの高さにまで折り重なった歴史を持つけれど――そうは見えない。底抜け気ままに、気の抜けてしまう気楽な姿ばかりを見せる、腑抜けた老人。

 そこには人の完成形――あの月で見たような、優麗な完璧さはない。

 

 とても人間らしく。

 それでいて、おかしな加減に堂に入った姿。

 棘のない、隙間風吹くぼろ錦。

 

「――そうね」

 美味しそうに酒をすする。

 そのあまりに平和そうな緩い表情に、なんとなくだが笑ってしまう。おかしなものだと、ほどけてしまう。

 

 随分と、気が抜ける。

 

「気を張りすぎても、駄目なのよね」

 

 死ぬ気で急ぐ必要はない。

 頑張りすぎて、倒れてしまうことはない。

 それなりに頑張って、時折急いで進んでいけばいい。

 

――花も団子もなければ、遊びの心も忘れてしまう。

 

 心を殺してしまっては、意味がない。

 私が憧れる日常は、そんなものではない。

 

「花に親しみ、団子を味わい――酒を愉しむ」

 

 今も、未来も。

 楽しみを味わいながら進んでく。

 いつも、己を忘れぬように生きていく。

 

 わがままに。奔放に。

 泥臭い――そんな欲深さ。

 それが、心で生きる妖怪に必要なこと。

 私という存在に、大切なこと。

 

――私は、私らしく生きていればいい。

 

 それが、一番の成長に繋がる。

 そのためにも――

 

「仕返しを企まないなんて、私らしくないわよね」

 

 己を磨き、力を身につけ、知識を得る。

 策を練り、時機を見て、益を取る。

 

 今度はあんな失態は犯さない。

 突拍子のない短慮な考えではなく、深謀遠慮に練った計画をもって隙間を射抜く。

 

 その仕返しを愉しむために、精一杯、のんびりと身につけていくことにしよう。力を蓄えていくことにしよう。

 のらりくらりと、楽に利を得るために――私はあんぐりと口を開け、摘みと置かれた小魚を頬張る。

 

「美味しいところだけをいただく――」

 

 勝たなくてもいい。

 ただ、出し抜いて惑わせてやればいい。

 それが私のやり方というもの――私たちのやりかたというもの。

 

「そんないつかを愉しみに――今を楽しむことにしましょう」

 

 不思議そうに眉をひそめる藍を促し、空になった杯を注がせる。その味に舌鼓を打ち、十分に堪能してから飲み下す。

 

――急ぐということはない。

 

 時間を掛けて、のんびりとやっていけばいい。

 

「……紫さま」

 

 可愛い従者。

 頼りになる友人。

 経験豊かな知恵袋。

 

 これだけあれば、いつかは叶う。

 そのいつかを愉しみとして、抱え込んでおく。

 

「――その時は、あなたにも働いてもらうわよ」

 

 今は伝えない。

 実行できない夢幻。

 

 それでも、忠実な私の分身は答えてくれる。

 

「はい。私は紫様の式ですから」

 

 いつか、その幻想をものにするために。

 私は、今という時間を楽しんでおく。

 

 美味しい酒と楽しい友人を。

 

 

 

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「最近、欲の皮が突っ張った有象無象ばかりを相手にしていてな、どうにも鬱憤が溜まっていかん」

 

 どうにも調子が狂った、というように侍さんが頭を掻いた。その様子に「気持ちはわかりますがね」と答えながら、酒を注ぐ。

 

――まあ、色々あったんだろう。

 

 多分、後処理の上で、色々と性の悪い者達と言葉を交わすことになったのだろう。

 計略謀略なんでもありの、意地の悪いだましあい――残った利を貪るために、都合の悪いしわ寄せのよらないように、裏の掻きあい擦り付け合い。

 そういうものは、疲れるものだ。

 特に、侍さんのような根が真っ直ぐなものにとっては、面倒で仕方がなかったものだろう。

 鞘を当てても、決してそれを抜いてはいけないのだから。

 

 ご苦労様といった所である。

 

「ふう……」

 

 吐き出される嘆息は年月を経た疲労感。

 苦労を滲ませ、老成した老人のもの。

 その感覚は、自分にもよく慣れ親しんだものだ。

 よくわかり、同情してしまう。

 

「――それとも、歳をとって性格が悪くなったか」

「何でこっちを見てるんですかね」

 

 そんなことを考えて、少しは労わってやろうかと思っていた。

 そう考えていたのに、その一言。

 何を勘違いしているのだろう。

 

「まったく……そんな性の悪い老人にはならぬと思っていたんだがなぁ」

「いやいや、だから何を見てるんです。ここにいるのは、心の底から若者を心配している世話焼きな老人だけですよ」

 

 何をいっているのかと大笑いする老侍。

 姿こそ若返っているが、どうにも悪い諧謔を身につけてしまったようだ。あの亡霊姫様といい、この侍さんといい、出会った当初と比べては随分と性格が悪くなっている。

 一体どういうことなのだろうか。

 

「ああ、その通り、心の底から若者を心配している――まあ、その分、楽しみにもしているがな」

「いやいや、お前もそうだろうなんて、そんな視線は止めて下さいよ。こっちはそんなこと一欠片としては持ち合わせちゃいないぐらいなんですから」

 

 まったくわかっていない。

 気持ちはわかるが、そういうのは心の底に秘めておいてのんびり肴にするものだ。

 たとえ大きな塊で抱えているのだとしても、はっきりと公言してしまっては風評に関わる。もう少し包み込み、物陰に隠れてこっそりと見守り微笑みながら、最後の最後にだけやんわりと騙し打――手助けしてやるべきである。

 でないと、恩に着せて揶揄ってやることもできない。それが愉しいのだというのに。

 

「……性質の悪そうな笑みを浮かべてるわねぇ」

「意地の悪さが滲み出ているのよ。ああはなりたくないものねぇ」

 まったく胡散臭いと、笑いあう少女達。

 狐の従者も苦笑い。

 

 まことに遺憾である。

 これほど誠実なものもいないだろう――己には正直に生きるものだ。

 

「かかかっ!」

 

 楽しそうに笑う侍。

 何がそんなにも可笑しいのか。いやまあ、全部おかしいのか。

 いい具合に、皆酒が回ってきている。

 

「――まったく」

 

 酔わない程度を心得てしまっている自分が、少し恨めしい。どうにもこうにも、残される側というのは苦労するものだ。

 後始末に、世話焼きに。

 片付けに、残った酒の処理に。

 最期の看取り。

 

 随分、苦労を掛けられることになる。

 

――結局、侍さんも何しに来たんだかね……。

 

 それも今日のところは聞けなさそうだ。

 空気も酔っ払って、酒気にふやけてしまってしまらない。何を語っても冗談にしか聞こえない具合だ。

 それほどに、緩んでしまっている。

 

――まあ、それもいいだろう。

 

 疲れた後。

 一仕事終えた後は、何も考えずにのんびりと。

 それも、また、長く生きるには必要なこと。

 

「今日のところは一段落――明日は明日の雲が行く、と」

 

 そんなところで、治めておこう。

 まどろむにもいい時間。

 真摯に酒に向き合うには丁度いい。

 

「さてさて――そろそろとっておきを」

 

 ごそごそと、隠しておいた荷を探る。

 皆々酔っ払っているうちに、堪能する。

 

 そういうこずるさ。

 

「あらぁ、美味しそうなお酒ねぇ」

「今日の大一番かしら。いい色だわ」

 

 そういうものが見抜かれているのも、長い付き合い故だろう。

 

「ほう、呑み比べてみるかな……どうぞ、幽々子様。新しい器です」

「おつまみの追加もできましたよ」

 

 その空気にそのまま悪乗りする侍殿となんだか機嫌のよさそうな狐の従者殿。

 どうやら手加減はしてくれなさそうである。

 

――ああ、ったく……。

 

 頭を抱えてしまう。

 そんな日常譚。

 

――こりゃ、隠してた分も出さないともちそうにない。

 

 とんだ負債にとんだ散在で……それでも、少し笑みが浮かんでしまっているのだ。

 その時点で、己は負けてしまっているのだろう。

 

「――酒には手を出すなといっただろう」

 

 溜息一つに小言つけ。

 若者どもに灸据えて。

 

「乾杯は、全員そろってきちんといかないと」

 

 笑って歩む。

 笑いになじむ。

 

 この居心地のよさに。

 

 

 

「それじゃあ」

 

 精々、今を楽しむこととする。

 乾杯の杯を鳴らす。

 

 

 

 

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 談を区切りて笑みと呑む。

 爺は呑み惚け戯言を呟く。

 

 実りなくとも、花と笑いに。

 




 
 酒と締める、と。

 ……これで、改訂分は終わりだった、ろうか。
 少し心配ですが、一応、随分かかった改訂も終わりです。
 ストックやらは寂しく、更新間隔もかかるようになってしまいそうですが――これからも宜しくしていただければこれ幸い。どうか、ご贔屓に。

 読了ありがとうございました。

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