東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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失敗談

 

 その姿のほとんどを山の向こうへと消した日輪。あと僅かでその全てが沈みいこうというところで、反対側からまた別の円の青白い光が現れる。ぽつぽつと空を削り始めた星々と、その両端に空いた穴のような真円。

 

それに目を細めて――深く、息を吐く。 

 

 見下ろすのは、人里外れて……人の住む世界の外れにある場所。妖怪縁者が跋扈する土地で、僅かながらに切り取られた人の領域。

 

「――やっと着いたか」

 

 呟くのは、疲労の言葉。

 けれど、それでもそこに僅かながらの明るさが灯るのは、訪れるのが旧来の主の暮らす場所であるからだろうか。勤めから放たれながらも、胸に忠義を抱き続けた主君の暮らす世界――それが、もうすぐそこに。

 

「何十年ぶりとなるかな……」

 感慨深く思い浮かべる過去のあれそれ。

 

 未だ志ならずとも、少々の成長と報告すべきことを引っさげて、己の顔を晒しに来た。まだまだ未熟な身ながら、自慢すべきものも得たことを知らせるために足を運んだのだ。

 遠い道のりではあったが……不思議と、心は満ちている。

 

「なかなかに、良い場所だ」

 

 送られてきた手紙。

 多分、あのおせっかいな男の手配によるもの。

 

 そのおかげで、ここにいる。

 

「――礼をいわねばな」

 

 あの時の分も、一緒に加えて。

 素直にそう思える。

 

 それだけで、きっと己は昔より成長している。

 

「さて……あと少し」

 

 目的地まではもうすぐだ。

 もう、半日もかからないだろう。

 

 久しぶりに見た己の顔に目を丸くする主と、その友人たちを浮かぶ。

そしてその報告にさらに驚く姿を夢想して――笑みが浮かんだ。

 

 それは、きっと楽しいものだ。

 

 

「よし!」

 

 一声上げて、少々軽くなった足を踏み出す。

 目的地まで、あと少し。

 

 

________________________________________

 

 

 

「それじゃ、この辺りで」

 

 町の外れ。

 少々ずしりとくる荷を背負い直しながら振り向いた……そこにあるのは、二人並んだ姉妹の姿。

 

「色々と、お世話をお掛けしました」

 その姿に微笑んで、大げさな調子に頭を下げる。

 大して意味のない、なんとなくに行った行為。

 

 そんな態度に――

 

「……?」

 

 少女は戸惑って、

 

「ふふ」

 

 少女は微笑んだ。

 

 その様子にまた笑い、からかっているだけだと見通した少女に睨まれる。そんな姉の様子に、閉じたままの妹はさらにと笑う。

 

 どうにも、微笑ましい。

 その光景。

 

「……」

 

 笑った妹に小言を言う姉。それを笑顔で受け流す妹。

 姉妹の間にあった妙な隔たりは、そこには感じられない。自然なままにやり取りし、気の向くままに笑っている。

 そのままの……最初から在ったのだろう二つの姿。

 

――毒気が抜けたってとこかね。

 

 掛け違っていたものを紡ぎなおした。

 すれ違っていたものに向き直った。

 

――瞑っていた瞳を開いた……なんともおかしな感じにあべこべだが。

 

 そういうこともあるだろう。

 瞳を閉じた側が前を向き、開いたままの側が目を背けていた。たとえ、それが弱さから行った逃避であろうとも、自らの意思で決めたことならば、覚悟することができる――呑み込める。

 けれど、ただ、それを眺めているしかできなかった少女はそこに置いていかれてしまった。一番近くにいた相手が大きく変わってしまったという結果だけを渡されて、迷ってしまった。

 

――それが、怖れへと繋がった。

 

 開いたまま。閉じたまま。

 見えなくなったのは、どちらも同じこと。

 今までと、まったく違った景色の場所に放り出されたということには変わりない。

 

――まあ……。

 

 しかし、それでもその全てが変わったわけではないのだ。失くしたわけではなく、見えなくなっていただけ。

 

――ならば、思い出すだけだ。

 

 最初から持っていたはずの距離。

 今まで積み重ねてきた時間。

 それを取り戻した、というだけのことである。

 全ては晴れることはなくとも、それを認めることぐらいはできた……そのぐらいの確信は持てたから――大丈夫。

 そんなところだろう。

 

 言葉にすればおかしいようだが、そこまで珍しいことでもない。

 大切な者どうしのすれ違い。仲がいいほど喧嘩する。

 姉妹喧嘩など、そういうもの。

 時間さえあれば、自分などいなくともきっと解決していただろう。

 ただ、それが早まっただけ。互いに互いを利用し、それがうまく運んだだけだ。

 

 それぞれ、利があった上での落着である。

 

「ありがとうございます」

 

 だから、それで終わり。

 そんなところでおしまい。

 

 そうであるはずである。

 

「……うん?」

 

 だから、頭を下げられる意味はわからない。

 感謝の言葉など、貰う前から帳尻は合っている。

 

「まだ、言ってませんでしたから……ほら、こいしも」

「ああ、そうだ」

 

 姉の言葉に思い出したように、妹さんが前へ出る。

 そこには、無邪気ながらの正直さ。

 

「あの時はごめんなさい。お兄さん」

 

 そこから放る、ぺこりと頭を下げての謝罪。

 その言葉の――意味がわからない。

 

「……何の、つもりです?」

 

 自分はただ、かき回しただけ。

 混乱の雨を降らせて、たまたま上手く地が固まった。巻き込んでしまった手前、謝りの念など、こちらが渡したほうがいいぐらいのものである。

 

 だから、冗談めかして頭を下げたというのに。

 

「そんなこともありませんよ」

 

 心を読んだ上での言葉。

 こちらの念を汲み取って上での補足。

 

「少なくとも、私たちを置いて逃げようとはしなかった――その方が、ずっと簡単だったでしょう?」

 

 それは、重荷を背負いたくないという考えから。

 自分から関わった少女を見捨てたなんて面倒な罪悪を持ちたくなかったし、無駄な制約にも煩わされたくなかっただけのことである。

 

「私なんて、お兄さんを殺しちゃいそうになったのにね」

 

 それが先ほどの謝罪の理由なのだろうか。

 けれど、それは自分が妹さんの傷に触れたからだろう。人の痛みに触っておいて、何かされたと文句を言うなんて、都合がいいにもほどがある。

 

「それでも、私達は助かった。さっきの宴会でも、上手く取り計らってくれたでしょう」

 

 宴会。

 あの後、酒屋の店主が「酒に謝らせてやる」といって連れてきた連中……それが、自分たちを襲ってきた妖と同じ顔ぶれだったことによって引き起こされた、ひと悶着。

 

 

―――

 

 

 今にも燃え上がりそうな火の種。

 一触即発の雰囲気となる酒屋。

 

 そこに落とされる店主の喝。

 

『喧嘩するなら酒でしろ!』

 

 訳のわからない説法であった。

 暴論であるどころか、もはやただの暴力であるといってもいい滅茶苦茶な言葉であった。

 けれど、それに対して――

 

『おう、やったろうやないか!』

『望む所だっての……』

『はんっ……命がけになるぜ?』

 

 連中はとてものりのりだった。

 上がりに上がって、燃え上がっていた。

 

『……そういえば、この地底を仕切っているのは鬼でしたね』

 

 ぼそりと呟いた少女の言葉に、ふと、頭の上に二つの知った顔が過ぎり……それなら仕方ないか、なんて納得に落ち着く。

 そりゃあ、酒好きにでもならないとやってられない。生きてもいられない。

 地底も世知辛いものだ――そう同情してしまう。

 

『まあ、それでも仕方がない……仕方がないことだ』

『お兄さん?』

 

 いつの間にやら用意された宴会用具一式と、多分、先ほど破損した樽の中身だろうものがなみなみと揺れる酒杯。

 それを前に、ふっと息を吐く。

 これから先々のことを考え、ここで決着をつけておくことが最良だと計算し、後腐れがないように、相手も納得した上での勝利を掴むことが、この姉妹のためにもなるだろうと――年寄りながらのお節介をやくのもやぶさかではない。

 ならば、認めさせるならば相手方のやり方に沿って。こちらの覚悟と礼儀を見せて、それを行う。

 

――それが、交渉事の一番原理……。

 

 そう、一人ごち。

 

『さて……』

 

 一歩前に踏み出して睨みつけるのは、注がれる酒の中でも最上のもの。

 良い酒であるほど、酔いが回りづらく、悪い酔い方にもなりにくいというのは当然の摂理である。その杯を狙って掴みとるのは、決して利己的な考えからではない。

 ただ、良い酒が呑みた……いわけではなく、たかが人間が化け物相手に勝つためには必要なことだからだ。

 

『それじゃあ……』

 

 郷に入っては郷に従え。

 地底での喧嘩なら、地底らしい喧嘩の仕方で。

 

『一勝負といきましょうか』

 

 互いに盃をぶつけ合い。互いに酔いを晒しあい。

 

『乾杯!』

 

 好敵手(酒杯)と向かい合う。

 それが呑み比べ(たたかい)というものだ。

 

 

――合図はなった、いざ勝負。

 

 

 うん。うまい。

 

 

―――

 

 

 そんなこんなと。

 こちらの魂胆を見透かしたお姉さんに睨まれながらも始まった酒呑み合戦。

 いつの間にやら色んな連中がわらわらと集まってきて、ドンちゃん騒ぎとなり、やれ喧嘩だ、やれ一気だと場が酩酊状態となり、勝負は有耶無耶のうちに終わり(お土産の酒を回収し)、少女らに手を出すと「地獄庁の方から仕事がもらえなるかもしれませんね。それどころか閻魔じきじきに説教食らうかも」なんて釘を刺し置き、店主にお礼を言ってー抜け出した。

 

――まあ、あれだけ酔っ払っちまえば、喧嘩も何もない。

 

 呑んでしまえば、争いごとも水に――酒に流す。

 全てを笑い飛ばして忘れてしまう。

 この幻想境にはそんな輩が多くて良い。長く生きてる証拠だろう。

 

 そう笑んで。

 

「いやいや、いい酒でしたね」

 

 そう締める。

 

 楽しければ、それでいい。

 笑ってられるなら、そう進む。

 それも、生きていく上では大切なことだ。

 

――真面目ぶってばかりじゃ、肩が凝る。

 

 ただでさえ、身体が重い年寄りだ。そんな慢性病まで抱え込みたくはない。時には、勢いでの出任せや本決まりでもないたわごとを吐き出して、うだうだと酔っ払いらしく管を巻く。

 そういうことも必要だろう。

だから、そんな酒を呑んでいた時に撒いた戯言など、何の当てにもならない独り言なのだたとえ、そこで何か都合のいいことを話していたのだとしても。

 

「ただ、酔っ払って、わけのわからないことでもいってただけだと思いますよ」

 

 もう忘れてしまった。

 酒の席でのことなど話半分に忘れてしまえばいい――その程度。

 

「お兄さん。その言い訳は私でもどうかと思うよ」

「ええ、私たちは『さとり』なんですから」

 

 くすくすと楽しそうに笑う少女たち。

 なんだかもう、こちらが恥ずかしくなってくる類の笑い――どうにも、居心地が悪く……むず痒い。

 

「――いやまあ、全部が全部冗談とはいいませんがね」

 

 少し心がぐらついて。

 年寄りの意を汲み取ってくれない……というよりも、本当は勝手に酒に釣られていただけの、自分を怒っているのではないだろうか、と疑いも感じてしまう。

 いや、まあ、確かに根回しやら何やらも、後付で思いついた誤魔化しのようなものだったが。

 全て嘘というわけではない。

 少女らのことを思ってやったことも――

 

「――そして、あわよくば本当にその仕事を引き受けてもらおう。そうすれば、肩の荷を下りる――そういう期待、ですか。なかなか面白いことを考えますね」

「いやいや、お嬢さん。それは聞こえてもそっと心に秘めておくのが人情ってものですよ?」

 

 突き刺さる言葉に慈悲を願うが。

 

「私たちは妖怪だよ」と、笑う妹さん。

「いやいや、そこはこのか弱い老人に対する情と言い換えまして」と説得する自分。

「……そんな若作りで元気なお年寄りは見たことありませんね」と見透かしながら、意味ありげに微笑むお姉さん。

 

 なんだかもう、てんやわんやとぐだぐだであった。

 主導権を握られっぱなしのなすがまま。

 

――本当にやりにくい。

 

 誤魔化しが通じない相手というのは本当に骨が折れる。とてもまともにはやってられず恥をかき通しだ。

 今だって、こうやって考えていることが読まれるのではないかと戦々恐々――。

 

「そうですね。地獄庁での立場を持てば、それだけで私たちの暮らしの大部分は保証される……こいしがいつでも帰ってこられる場所として、私が守っていられる居場所を得ることができる――なんて考えていることが判れば、あなたとしては、とても恥ずかしいことになってしまうもの」

「――それを言葉にして言っちゃいますか。なかなか残忍なことをしてくれますねぇ、心読みのお嬢さん」

「ええ、妖怪ですから」

 

 深い深いため息がでる。

 とても辛い。泣きそうだ。

 本当に、嫌われものだということがよくわかる妖怪さんである。

 

――しかしまあ……。

 

 これで、これ以上恥をかくこともない。

 もう、その種も尽きてしまった。

 

「ええ」

 

 無理やり思考を切り替えて、明るい方向へ持っていこうとする。けれど、そんな思考も見透かしているのか。

 とても楽しそうに笑っているさとりの妖怪殿――どうやら、そういう方向に誘導されてしまったということらしい。

 

「これで、素直に受け取ってくれるわね」

「追い詰めるだけ追い詰めといて……」

 

 なかなかに酷なことをいうものだ、と苦く笑う。

 それに一層笑んだ少女は二人。 

 

「お兄さんが面倒な性格してるからだよ」

「いってくれますねぇ」

 

 微笑む姉妹を前にして形無しの老人。

 どうやら、逃げ道のない状況に追い込まれてしまった。

これだけ哂われてしまった後ならば、そうするしかないと諦めてしまうしかない。

 

――こりゃあ、負けだな。

 

 根気負けで、戦略負け。

 どうやら、詰まれてしまったようである。

 

「これだけ人に恥ずかしい思いをさせておいて」と、頭でそんなことを考えながらも、自然と笑いが込みあげる。

 これでは、それを受け取るしかないしかないではないか――なんて、笑ってしまう。

 

「――仕方ない、か」

 

 謂れもないと逃げられない。

 覚えがないと惚けられない。

 

 貸し借りありと、自覚して――覚悟させられる。

 

 そうして――

 

「どうぞご自由に」

 

 そんな言葉を吐く。

 好きではないが、仕方が無いと。

 

「――では」

 

 少女たちは、それににっこりと笑んで――言葉を合わせた。

 「せーの」という合図もなく、連れ添った姉妹の仲良さで。

 

「ありがとう」

「ごめんなさい」

 

 感謝と謝罪。

 どちらも謝の字を含むもの。

 

 正反対の様ながら、多分、気持ちも似たようなもの。

 それを――

 

「有難く、お受け取りします」

 

 目を瞑って、受け止める。

 ため息加減に――腹に呑み込む。

 

――随分と……。

 

 重たい土産として、加わる言葉が二つ。

 自慢するのは格好悪いが、貰ったからには誉としよう。少し年寄りには明るすぎるが、それを眺めて酔うのもきっと――悪くない。

 

 

 そう思える。一つの土産話。

 とある失敗談の締めくくり。

 

 

 

 

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 走る。走る。

 決して歩みを緩めない。

 

 前に立ちふさがる妖怪共を無視して。

 只人では決して通れぬだろう道を突っ切って。

 邪魔なものを全て断ち切って。

 

 それでも、まだ遅いと断じて走る。

 

「……許さんぞ」

 

 

 間に合わぬことは許されない。

 手遅れになることは認められない。

 

「また、あのような顔を……」

 

 させるわけにはいかない。

 

 もう、あの少女はそんなものから解き放たれたはずなのだ。幸せに……己に訪れた以上の幸福を得てもらわなければ、意味がないのだ。

 

 そのための決断だった。

 そのはずであったのに――

 

「――そんな結末など、認められるか!」

 

 吐き出した怒号ともに、障害となっていた大岩を断ち切った。周りを囲おうと動いていた化け物たちが恐れおののいて逃げていく。

 

「……!」

 

 それを最後まで確認することもなく、先へと走る。

 主の前に立ち込める暗雲を、今度こそ払い飛ばすために。

 

 

 己の剣を最速で――真っ直ぐと。

 

 

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 頭がぼうっとしている。

 吹き飛ばされた影響だろうか。

 

「さて、この化け物をどうしてしまおうか」

 

 にやにやと薄気味の悪い笑みを浮かべた者たちが私を見つめている。それは珍しい動物でも見ているかのような、そんな下卑た好奇に満ちた目で、とても癇に障る。

 こんな者たちなどさっさと始末してしまおうと思うのだが、何にせよ力が使えない。

 何かしらの封が施されているらしい。

 背中側に縛り上げられた手も強く締め付けられて、ぴくりとも動かせないのだ。それは、一体何によって作り上げられたものなのか。私のほとんど万能といってしまっても良い能力と持ってしても、少し変化も与えられない。

 随分と頑丈な枷と――檻に囚われている。

 

 つまり、手も足も出ないということ。

 

「都に攻め入ってきたものですよ。すぐに始末します」

「待て。それでは面白くない」

 

 私を捕まえた女が前に立つ一番偉そうな男へと進言する。

 しかし、男は聞き入れない。

 嫌らしい笑みを浮かべて、私を値踏みするようにじろりとした視線を送る。

 

「この都に入り込める能力をもったもの。穢れた存在とはいえ、その力には興味がある」

 

 檻に入れられた動物。

 これから処理される家畜を見るような目。

 

 そして、その前に少しだけ手遊びを加えようかという被虐的な視線だ。珍しい虫を捕まえた子供が「少しの間だけ飼ってみようか」なんて、檻に入れるのによく似ている。

 すぐに飽きて忘れてしまうのに、その場の感情で虫を飼い――殺すのだ。

 

「しばらく観察……いや、実験してみようか?」

 

 さらに性質が悪いのは、それが大人の知識をもっているということ。

 その目的に対して、多数の手段を持っていること。

 手足をちぎる程度ではすまない――残酷な遊び方を知っている。

 

「――しかし、危険ですよ」

 

 女はそれを嗜める。

 そんな危険を犯す意味がないと説く。

 

 けれど、子供にはそんなことは関係がない。

 

「なあに、ここに閉じ込めておけば何もできない。ずっと繋いで動けなくしておけばいい」

 

 楽しそうに。

 新しい玩具を手に入れたと喜ぶ。

 もはや、それが意志あるものだとは思っていない。

 ただの人形か、それ以下のもの。

 

 これは遊んでいいものだと、その目に映して――見ていない。

 

「……では、あなたがこれを引き取るというんですね」

「ああ、なかなかに見上げた化け物じゃないか。いつまで活きがいいのかを試したいのだよ」

 

 私の睨みつける視線に気づいたのか。

 男がこちらに向けて嗤っているようだった。

 随分と下品な笑い。

 

 そんな男に、女は溜息をついて

 

「――全てあなたの責任で処理してください。今後一切、私はこの件に関係がないということで」

 

 無感情にそういって、何かの紙を差し出した。そして、それに男が何かを書き込むと同時に、奥の扉から出て行った。

 

 残ったのは男とその部下と思しき者たち。

 かちゃかちゃと何かの装置を動かす腕とそれを動かす空腹そうな頭――男は、その女の後姿をしばらく見つめていた後。

 

「ふん……戦いしか能がない蛮人めが」

 

 そう吐き捨てた。

 面と向かってそれをいう気概もない癖に、矜持だけは致命的に大きい。

 きっと、その手では何も生み出せていないのだ。だから、何かを持っている誰かを妬んでいる――羨んでいる。

 その程度の輩だからこそ、何かを成そうと何かに手を出しても、途中で飽きてやめてしまう。続ける根気も実を付けるだけの努力もせずに――ただ、混ぜ合わせて駄目にして、無駄に使いきり、何も出来ずに終わる。

 偶然、それが実らないと何も認めず、先に繋がらない失敗を生み続ける。

 

 そういう――程度の輩。

 そう、予想がついた。

 

――けれど……。

 

 その無駄に消費される素材は――今の私。

 実験動物として、ここにいる私がかき回される。

 失敗の上でなかったことにされる。

 

――失敗……。

 

 そう、これは失敗だ。

 

 様々な者たちを利用し、唆してきた私の失敗。

 欲を出し、欲に溺れ、決して手の届かぬ、触れてはいけないものに触れようとした上での失敗。

 

――代償は……大きいもの、ね。

 

 策士は策におぼれ、その策によって溺死する。

 自らの命。しかも、その命を擦り切れるまで使われた上で。

 

――……。

 

 こんな最期は予想していなかった。

 予想していなかった、私の失敗だ。

 

――これほどのものだとは、思わなかった。

 

 私の考えは、その相手の大きさもわからないままの浅知恵にも過ぎなかった。知らないものは、手に入れてから知ってしまえばいいなど、思い上がりでしかなかったのだ。

 猿猴捉月――自らの計算に、自信を持ちすぎていた。

 

――逃げることすら出来ないなんて……。

 

 思ってもいなかった。

 軍勢を囮とし、それが敗れた時点で逃げ出してしまえばよかったのである。

 そうすれば、利用してきた者たちでもある程度は逃げ伸びたというのに、私だけが間に合わないということもなかった。

 

 気づいたときには遅かった――ということもなかったのである。

 

――自らの万能感に酔っていた……己の慢心に気づいていなかった。

 

 己を疑う心。

 疑心を持たなかった私の敗北。

 

「……」

 

 何かの準備にと、誰もいなくなった部屋。

 その檻の中心に座す――己が独り。

 

「ふふ……」

 

 誰もいない場所に、自嘲の笑い声が響く。

 己の愚かさが身に染み入っていく。

 

 能力が使えないだけで、これほどまでに何も出来なくなってしまう己の情けなさ。未熟な万能者の姿に、自嘲と自蔑が混ざり込んでいく。

 穴があったら入りたい。その、いつでも開けられる穴が無いので困っているのだというのに。

 

――ああ……。

 

 力を持ってからの何千、何百の時。

 過去の記憶が巡り――掘り起こされていくたくさんの何か。

 

――こんな無力なのは……いつ以来かしら。

 

 自分がこの世界に現れた始めのこと。

 ここにくる切っ掛けとなった男との出会い。

 苦労して手なずけたかわいい従者との生活。

 親友となった人間の少女との別れ。

 失いながらも再会した大切な人。

 

 失くしたもの。得たもの。

 

 その歴史と日常が――全て、思い出せる。

 

 人間ではありえない長い長い時の記憶。

 自分でも、これほどまでに長い時間を生きてきたのかと、忘れていたくらいのもの。

 それくらい、たくさんが溢れ出る。

 

 待たせている人のことも。

 まだ、遂げていない夢のことも。

 

――きっとこれは……。

 

 

 私が最期に見る夢なのだ。

 

 

 もうすぐ、終わってしまうものの追憶。

 ゆるりと死んでいく前の走馬灯。

 

「ああ、でも……」

 

 

 それは、とても幸せなもので溢れている。

 都合のよい記憶ばかりで回っている。

 

――こんなにも……・楽しかった。

 

 

 そう想えてしまう、想い出巡り。

 止まらない流れと――その終わり。 

 

 

「……」

 

 

 その優しさ――暖かさに、私は少しだけ目を閉じた。

 

 

 

 

 その夢に、ふっと微睡んだ。

 

 

 

 





 それぞれの失敗。
 様々な失敗。

 その答え。


 読了ありがとうございました。

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