東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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心二つ

 

 

 決して届かぬ同じ像。知った姿の知らぬ像。

 左右対称の己。差異詳細の反転図。

 写しあっても大違い。

 

 見れば一目で判るもの。視ずには少しも知れぬもの。

 開いた扉と閉じた扉。開け放しと閉じ切り。

 持ち続けた。失くした。

 

 逆向き逆さま向こう側。心合わせのあっち側。

 

 決して届かぬ、違う像。

 

 

 

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「――もう、大体のことは予想がついているんでしょう」

 私の能力(ちから)のことも。

 

 逃げ場を失くす断定調に突きつけられた言葉。

 どうやら、もう隠しておく気はないらしい。相対する少女は、ここで自分を見極めてしまうつもりだ。

 

「貴方の心は視えている。その上で聞きます……なぜ、こいしにあんなことを言ったの?」

 

 問うのは、その妹のこと。

 見通しながらの質問。心に描くだけで通じてしまうはずなのに、あえて彼女はそれを問い、答えを待つ。

 つまりそれは――

 

「そういうことよ。特に貴方の心は読みづらい。だからこそ、はっきりとした言葉(答え)が欲しい」

 

 嘘か本当か程度には見破っている。けれど、全てが見通せてしまうわけではない――と、先に明かされてしまう。

 胸襟広げて……というよりも、こちらの性質を読んだ上で、わざと弱みを見せている。明かされた情報の分、こちらもそれに見合った何かを返さなければならないと、そういう引け目を持たせるために。

 

「ええ、貴方は案外義理堅いようだから」

 

 思考を見通し、感情を理解し、心を読む――その上で、己の意へと落とし込む。それが、彼女の戦う方法で、守るための方法なのだ。

 生きるため、生き延び守り続けるために身につけた話術。妖怪として、力を持った存在として、それを存分に振るう手腕として、それを振るう。

 

――思考なぞりて惑わせて、語り乱して狂わせる。

 

 自分で考えているつもりが上手い具合に乗せられて、それに気づいてはまた惑う。今考えているのは己が考え出したことなのか、それとも誘導されてそう思わされているのか。

 自分を信じることすら迷ってしまう。

 

――心を惑わし、鼓動を奪う……。

 

 相手を、追い込んでいく。

 疑う心暗きに、鬼を呼び込む。

 

 その感情を――心を握る妖怪の業。

 

「――恐ろしい、ことで」

 

 その気になれば、簡単に人を操れる。

 上手く導いて、あとは背中を押してやるだけ。

 それだけのことが、簡単に行える能力を彼女は持っている。

 

「否定はしないわ」

 少女は表情を変えないままと答えた。

 心を知っているからこそ、弱みとなる感情を隠す術に長けている。

 それが弱点となることを知っている。

 

 そういうことだろう――そういうものだろう。

 

「……」

 

 苦手な――話を聞かない相手(あいて)とはまた違った意味で、敵にしたくない相手である。自分の得手を活かす方法を知っていて、その上油断をしない。自分の弱さも強さも利用して、それを大胆にと使う修羅場(けいけん)をくぐり抜けている。

 随分と苦労して――それを学びと変えている。

 

――だからこそ……。

 

 面倒事、厄介事には慣れている。

 だからこそ、いつもの己ならば、こういう状況になる前にとっくと逃げる準備も済ませているだろう。背中を見せて、尻尾を巻いて――逃げるが勝ちと、どろんを決め込んでいる。

 それほどに、厄介で、関わるに難しい。勝ちの目薄く、負けと混むのが見えている。

 

 そういう相手、だというのに――

 

――さてはて……。

 

 口元を押さえて呟く。

 悩みの加減。

 

 ここまで、ちょっかいを出してしまったのは――己の業なのだ。

 逆さの鱗に躓いて、蜂の巣にへと頭を突っ込み――姉想いの妹さんに茶々を入れ、心配性な少女の怒りに触れた。自業自得と間抜けに踏み抜いた、己の失言。

 

――まったくの大失敗。

 

 ぼそりと吐くのは嘆息と――己の情けなさ。

 黙っているべき時に黙らず、話すべきことを語り足らずに信用されない理由を作った自分。

 

 小火を熾したのは、張本人。

 

――それを誤魔化し、逃げるのか。

 

 自問と自答。

 

 ここで逃げなくては、面倒事を負うことになる。

 ここで逃げても、面倒事に追われることになる。

 どちらにしても、厄介事で。

 

――ちなみに……。

 

 厚顔に期待する希望。

 思い浮かべた言葉は。

 

「次に出会ったときには覚悟してもらうことになるわ」

 

 吐き出す前に、すげなく答え。

 逃げればどうなるのか、その目は当たり前にと告げている。『やるだけやって、ただですむと思うのか』と……きっと、今度までには大火事に育っていることになる、その未来像を。

 

「……かかか」

 嘲笑と吐き出す自嘲の息。

 

――これはもう、笑ってしまうしかない。

 

 どうにもこうにも逃げ場はないのだ。

 そもそも、まだここに訪れた理由も終えていないのに――ついでに酒も買ってないのに。

 この先にも仕事があり、脅しでも牽制でも、この辺りの出入りが難しくなるというのは、いただけない――加えて、酒を買いに通うこともできなくなってしまう。

 後々、己の首を絞め続けてしまうものとなってしまうのだ。

 

――そもそも、その仕事のためにここまできて……お嬢さんにも声をかけたんですがねぇ。

 

 それにしては、随分と失敗を重ねすぎてしまったものだ……一応、今回は真面目な理由を持ってきたというのに――いや、だからこそなのか。

 らしくないからこその、大失敗なのだろうか。

 

「いやいや、まったく――笑うしかない」

 今度はくっきりと言葉に出して、訝しげに細まった少女の瞳を見返す。

 

――そりゃそうだ。

 

 これほどの相手に、慣れぬ借り物では敵うはずがない。

 馬鹿丁寧な振舞は穴だらけ。雇われ面には罅が入り、妖化粧も通じない。煙に巻くにも薪を湿らせ、口八丁にも舌を噛む。

 故意に、偶然に――化けの皮はとっくと剥げている。

 

「はてさて……」

 

 どうしてここまで、と疑問に思うほど。

 けれど、こうまでなってしまった以上、文句を言っている暇はない。もはや役割がどうかなど関係なく、後々のことを考えて、今にしがみついてるわけにはいかぬのだ。

 少々勿体ないが――今回は諦めて、『らしくない』現状を巻き返さなければならないだろう。

 

――どうせ、急ぎのもんじゃないですし……。

 

 涙を呑んで、後回し。

 面と向かって面を上げて、仕切り直して少女と向き合う。

 そういう覚悟でやり直す。

 

 そう、決めて。

 

「それじゃあ」

 

 力を抜いて、構えを解いた。

 仕事を忘れて空っぽに。

 

――我が身の安全、通える酒屋……。

 

 ここからは己以外の打算抜き。

 一介の年寄りと、ちゃらんぽらんな道楽者と。

 一皮剥いて、いつも通りに。

 

――明日のためにその一、と。

 

 禍は根の張らないうちに取り除く。恨み辛みは後に引かないように濁さず逃げる――とくに女性の場合は――そういう言葉を心に留めて。

 隅に置いた逃走案をうっちゃって、及んだ腰を据えなおす。

損得数えの仕事人は溜息とともに吐き出し、引き直すのは、いつも通りの老人像。責任など放り出した、長生き翁。

 

――そんな程度の戯言と。

 

 微睡み加減に――微笑んで。

 

「お聞きになりたいのなら、誠心誠意に話し合いましょう」

 

 

 大仰に――我ながら、胡散臭くと日常(いつも)へ戻った。

 惚けた眼鏡をかけ直し、心通しと対峙した。

 

 

 

 少女は、疑わしげに受け止める。

 

 

 

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 しばらく歩いた細い路地裏。

 隠れ場所から遠くも近くも無い辺り。

 転がっていた空箱を椅子代わりに向かい合う――場所を変えたのは、多分、私のため。

 それをちゃんと見通してから、口を開いた。

 

「――私は古明地さとり。名前通りの能力を持つ妖怪です」

 

 改めての自己紹介。改めての仕切りなおし。

 能力(ちから)を明かしてしまう名前を告げて外套を剥ぐ――じっと、三つの目をもって男を見つめる。

 

「――どうも、ご丁寧に」

 

 既に看破されていたこと。それはっきりとしただけ。

 故に、そのもう一つの目を晒しても、男はまったくと動じない。こちらの名乗りににこりと笑い、丁寧な礼を返す。

 

 そして――

 

「こっちは……現在名無し。人より幾分長く――どれだけ生きたかを忘れてしまうくらいには、長く生きている年寄り翁。ただいま、地獄庁からの使い走りの、そのまた代理人として、この灼熱地獄の一部管理を任せられる者を探索中、ってところです」

 改めてよろしくお願いします。

 

 そうやって。男はきわめて正直に返礼と渡した。

 自らの素性を、その妙な境遇を当たり前のことのように、緩い調子で。

 

――……。

 

 それは確かなもの。

 少なくとも、男がそう思い込んでいるだけでない限り極めて誠実な答えのはずなのだが。

 

――本当に……わけがわからない。

 

 思わず、眉を顰めてしまう。

 本当に人間なのか。そう、疑問に思ってしまう経歴だ。それに加えてその――雰囲気、思考、動き方も、総てを踏まえてそうは思えない。長く人の心を読んできた私だからこそ、それがおかしなものだと感じてしまう――視えてしまう。

 その、ただの人に似つかわしくもない器の中身。

 

「……」

 

 そのおかしな光景が、少しだけ気になって(・・・・・)しまうのだ。

 心を読む妖怪としての本能……相手の精神への興味が頭をもたげて、私を揺らそうとする。この人間を揺らしてみたいと、その奥を引き出してみたいと――その心を、はっきりと視てみたいと感じてしまう。

 わけのわからない、その光景の理由を――

 

 けれど。

 

――そんなことは、今関係がない。

 

 そんなことをするためにあの場を離れたのではない。そんなことをしている場合でもないのだ。

 私の目的は、先ほどのこと――男が放ったものを打ち消すことが、今私がここにいる理由なのだ。

 

――そう。

 

 ただ、私は妹に吹き込んだ戯言を否定したいだけ。

 男の勝手に、怒りを示したいだけ。

 

 何かを知りたいだなんて――そんなことは、どうでもいい。

 

「――では、とね」

 

 少しの迷い。私が研ぎ直すための時間。

 その、いつまでたっても聞きたいことを聞こうとしない私に業を煮やしたのか。

 男が先手と口を開いた。

 

「で、どこまで聞いてたんです、心配性のお姉さん――見ていたんでしょう?」

 

 やんわりとしながら断定調で。

 確信を持ってそれを問う。

 

「大事な妹さんを知り合ったばかりの男と二人きりにする――そんなことできるわけがない。心配になるのは当たり前、少し、様子を見にいこうと思ったって当然のこと」

 別に悪いことでもなんでもない。

 

 つらつらと、こちらが読むまでもなくその理由を話し、己の予想と予断を語る。

 都合のいい(・・・・・)ように、勝手な理由と言い訳を重ねて。

 

「こっちも調子が悪かった――言わなくてもいいことを言いました」

 全面的に自分が悪い。

 そうされる理由を作ったのは自分。

 

「本当に――」

 

 そういって、こちらの罪悪感を削る。

 楽にさせて、自分を許させようとする。

 

そうすれば、棘が落ちると――知っている。

 

 傷を薄めて、害意を奪い、痛みを麻痺させ、敵意を崩す。

 心の動きをよく理解している――私もよく使う、話の進め方。

 

――己に痛みを伴うからこそ、感情は余計とささくれ立つ。

 

 痛みや恥。罪の意識や恐怖感。

 そんな負の方向への乱れが、他の存在の排除へと向かう。己が楽となるために、重さを相手へ押しつけようとする。だから、それをすすんで持ってくれるという人がいるのなら、誰も文句はいわない。人身御供がいれば、自分は犠牲ならなくてもいい。

 とても楽で――痛みも苦しみもなくて済む。

 

――けれど……。

 

 だからこそ、私は――それ(痛み)から逃げるつもりはない。

 それは、渡してしまっていいものではない。

 

「――すいま」

「大体は、正解といったところですね――けれど、私はあの子を信じられなかったから後を付けた。それだけの理由しかありません」

 勝手な理由を語るその男の言葉を遮った。

 私の責を奪うなと――茨を引いた。

 

――これは、私たちの問題。

 

 妹のことを思ってやったことに、言い訳などしない。その業は私が背負わなければならないことだ。

 家族として、姉妹として、それを譲ることはない。

 私は、その痛みを捨てることはない。

 

「ちゃんと――私が妹に謝ります」

 私は、あの子の『お姉ちゃん』なのだから。

 

「……」

 

 強い言葉。言い放った感情。

 それに――男は目を丸くして黙り込む。

 何か変わったものでも見つけたというように目を細め――。

 

「くくっ……」

 

 どこか、愉しそうに――笑った。

 一瞬だけ、その中身を――。

 

 

「それはそれは」

 

 ふっと、それは消える。

 まるで幻のように解れて――なかったことになる。

 

 

「すいませんでした」

 勝手なことを。

 

 そういって、男は深々と頭を下げた。

 愉しそうに――実際に愉しくてたまらないという感情を押し殺しながら、丁寧に謝りの言葉を紡ぐ。湧き上がる何かを、今の自分の形と変えて……また、さきほどとは違った様に笑う。

 まるで、心が入れ替わりでもしたように――素直なままで。

 

――何……?

 

 予想もしない心の動き。

 相も変わらないそのわけのわからない跳ね返り加減に、こちらも乱される。あまりに特異で、不規則に変化するその男は――全くと言っていいほど、私に手綱を握らせない。

 見たこともない心に、私が通じない。

 

「お嬢さん――あの妹さんのお姉さんに対して、それは失礼でした」

 

 天然の。

 入念に作り上げられた作戦よりも、私にとっては御し難い自然と湧き出た感情で。しかも、今までの視たことのない未体験の思考間隔を持つ――まったく、別種の思考で動いている人間。

 さとり妖怪(わたし)が当然と掴むことのできるはずの会話の主導権。それが、何処にあるのかすら見失ってしまう――心象の光景。

 

――見えているものが……ぼけてしまう。

 

 初めて出会う気質。

 心を読んでも、それが何に繋がるのかが判らない相手。

 それを視ているだけで、こちらが惑ってしまう。

 判っているはずのなのに、全然解らない。

 

 それは

 

――まるで……。

 

 思い浮かぶのは――

 

「……」

 

 一瞬、誰かの顔が浮かんだ。

 でも、それは掴む間もなく消える。

 

「あなたは……」

 

 怖い。

何故かそう思った

 

 それを必死で押し込めて平坦な声を出す――何かを思い出してしまわないように。

 

 

「――と、話が逸れましたね」

 年寄りは話の寄り道が多くて困る。

 

 男はそういって笑っている。

 笑っているけれど、わからない。

 色々と混ざりすぎていて、解らない。

 

「妹さんにいったことでしたね」

 

 寂しくて笑っている。苦しくて笑っている。

 楽しくて笑っている。面白くて笑っている。

 

――……ああ。

 

 なんだか、とても嫌な気分になる。

 何かを突きつけられているような気分で、厭になる。

 

「さて……」

 

 この気分はいつも。この怖さはいつも。

 

――違う。

 

 それとこれとは別だ。

 まったく別のものだ。

 

 正反対の――視えないもの。

 

「お姉さんが気になったって部分ってのは……どこですかね」

 男が問う。

 

 それに答える。

 その間違いを思い浮かべて、答える。

 

「あなたは私が……」

 

 否定するだけ。ただ、それだけのこと。

 そんなものは妄想だと男に突きつけて訂正させる。二度とそんなことを言わないようにと忠告する。

 

――ただ、それだけ。

 

 なのに

 

「わ、たしが……あの子を」

 

 あの子のことを■っている。

 

「そんな、わけが……」

 

 言葉にできない。

 言葉にならない。

 

――違う。

 

 形に。言葉に。

 

 そうしてしまえば決めなくてはならない。

 嘘をつくか。真実を述べるのか。

 

「――違う!」

 

 自覚してしまえば、逃げられない。

 理解してしまったら、留めてはおけない。

 

――私、は……。

 

 私の方が。

 私自身の心が。

 

「私は――」

 

 

 堰が、切れる。

 心が――

 

 

 

 意識していなかった何かが、流れ落ちる。

 

 

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 変わっていく。

 

 人が。友人が。家族が。

 少しずつ、急激に変わってしまう。

 

 知らない間に。知っているところで。

 変わってしまう。

 

――そして……。

 

 置いていく。

 誰かを。自分を。残していく。

 

 それは悲しい。

 

――けれど……。

 

 本当は。

 

 

「私は……」

 

 少女の仮面が崩れてしまう。

 作り上げた姿が剥がれてしまう。

 

――それは……。

 

 

「あの子を、怖がっていた?」

 

 手が震えている。肩が揺れている。

 怯えているのが、全てと見える。

 

――本当は……。

 

「自分の方が、変わってしまっている」

 

 小さく放った言葉に、びくりと少女が震えた。

 何かを確かめるようにして、その掌を見つめて――握りしめる。

 

 その姿は、今までとうって変って姿相応のもの。

 長く生きた経験など感じさせないただの少女のもの。

 

――……。

 

 それを視て、一つ息を吐いた。

 その姿に、少し何かを思い出した。

 

 誰かのこと。誰かということにしているもの。

 己の中に――留まっている何か。

 

 それを思い出して――

 

「ああ……」

 

 一息吐いて――語る。

 年寄りとして、昔を語る。

 

「――そういうことはよくあるものですよ」

 

 己の中にあるもの……あったもの。

 それを拾い上げての与太話。

 

「知らないうちに、自分が自分じゃなくなっている――昔通りにはいかなくなっている」

 

 ただの経験談。老人の記憶巡り。

 それは気を利かせた話などではなく、ただ思い浮かぶままのもの。

 少女――古明地さとりという妖怪の少女のことなど、ほとんど知っていない。ましてや、その妹さんのことなど、わかるはずもない。

 何となく感じたことに、自分勝手な記憶を足しているだけ。それらしく見せかけていくだけ。

 

 けれど――

 

「違う……私は」

 

 それがよくあるものだということも知っている。

 誰のうちにも眠っているものだと知っている。

 

「誰かの変化に惑って、大事なものだからこそ……掛け違う」

 

 狂っているのはわずかだけ。違っているのは少しだけ。

 

 だからこそ、それが気になって――変わってしまう。

 

「あの子が……心を閉じてしまったから」

 

 か細い声は、すぐ近くにいる自分にすら聞こえない。

 だから、無視をして言葉を続ける。

 

「――妹さんのことを怖がっていた」

 何故かは知らない。

 どういう理由なのかはわからない。

 

――予想がついても、関係がない。

 

 己には――彼女の本心としては。

 

「――それは本当のことでしょう?」

 

 自覚した感情。

 理解した真実を逃げさせない。

 真っ直ぐに突きつけて、留めて――とどめを刺すように、打ち付ける。

 

「変わっていたのは、あんたの方だ」

 

 静かに強く。低く鋭く。

 その言葉を放つ。

 

 

 

 己には、慣れた痛みを感じながら――蓋の下から。

 

 

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「怖くても、それは本当でしょう?」

 

 心の隙間に、それが入り込んだ。

 落ちた言葉に、亀裂が広がった。

 

――なんで……。

 

 何でそんなことがわかる。そんなわけがない。

 ふざけるな。黙れ。人間風情が。通りすがりが。

 

「どんなに嫌でも……苦しくとも、それはわかってしまっている」

 

 色々な言葉が頭をめぐる。

 様々な罵倒が飛び出しそうになる。

 

 けれど、形にはならない。

 

「だってそれは――」

 

 それは。

 それを知っているから。

 否定してしまえないから。

 

 投げられる言葉は、何処かと自嘲を踏んだもの。

 誰に言うのでもなく、まるで、己自身と話しているかのような――

 

「――己自身のことなのだから」

 

 妙な空気をそのままに吐き出した。

 放り出しただけの小石のようなもの。

 

「……」

 

 

 だから、勝手に聞こえてしまった。

 素直に、受け止めてしまった。

 

――ああ、そうか。

 

 私は怖がっていたのだ。

 

 心を閉じた妹を。

 その読めない心の中を。

 

――わからなくなったから、怖かった。

 

 いつもの行動が。いつもの言動が。

 真実かどうかわからない。本当なのかわからない。

 

 それが嫌だった。それが怖かった。

 

――知っている、はずなのに。

 

 妹のことを私が一番よく知っているはず。

 それなのに、それを確かめるすべがないから、なくなってしまったから。

 

「私は……」

 

 私は目を背けた。私は逃げていた。

 受け止めた振りをして。

 

――頑張っている、ことにして。

 

 そんな私が一番あの子を傷つけていたのかもしれない。

 そんな私の言葉が妹を一番避難していたのかもしれない。

 

「私は……知っている、つもりだったのに」

 

 一番近くにいたのは私。

 一番近くで傷つけたのも私。

 

「私はあの子を……」

 苦しめていた。

 

 ぷつりと音がする。

 落ちてきた罪悪が私を押しつぶす。

 

――もう……。

 

 私がいなくなってしまった方が――あの子にとって幸せなのではないだろうか

 あの子を自由にさせてあげられるのではないだろうか。

 

――帰る場所なんて……。

 

 本当は――

 

「……まったく」

 

 不意と、男の言葉が耳に入る。

 先ほどとは違う――とても、嫌味な調子で。

 

「妹さんも人が悪い」

 

 まるで、私に聞かせたいような響く声で。

 それを言う。

 

「――ここまでくると、その性格を疑ってしまう」

 

 冷え切った心に少しだけ火が入る。

 罅の間から血が沸き出す。

 

「――誰の……ことをいっているの」

 

 妹を責めること。傷つけること。

 私の妹を、悪くいうこと――

 

――……。

 

 どんなに私が馬鹿だと思い知らされても、それは変わらない。

 どうあっても――だからこそ、許さない。

 

「何を――勝手なことを」

 

 力を込めて、怒りを込めて――私は睨む。

 いつの間にかと、両手を構えて、力を振るおうと。

 無意識と、心は動く。

 

「……」

 それに、男は小さく笑う。

 

 愉しそうに、嬉しそうに。

 何かを――私の妹のことを思い浮かべて、笑みを浮かべる。

 

「何がおかしいの!?」

 

 やつ当たりに近い感覚で声を荒げる。

 混乱しているからこそ、感情に抑えが効かない。自分でもよくわからないくらいに、溢れ出している。

 

 色々なものが混ぜこぜで、ぐちゃぐちゃで――どうしようもない。

 

 そして――それなのに。

 

「ああ、すいませんね」

 

 嬉しい。楽しい。

 愉快で堪らない。

 

 

「あんまりにも……微笑ましくて、ね」

 

 羨ましい、と心に置いて。

 

 寂しいも苦しいもそこにある。

 嫉妬も羨望も、希望も絶望も秘めている。

 諦めてもいて、期待もしていて――空っぽにあいた穴に、混ざりあったままのごちゃごちゃを置いたまま。

 

 当たり前と、笑っている。

 

「なに、を……」

 

 矛盾した感情。訳のわからない感情。

 再びの混乱を、私に落とすもの。

 

 そんなものが、目の前にいて。

 

「お嬢――古明地さとりさん……あなたは一番妹さんのことを知っている。だからこそ、苦しいんでしょうね」

 

 そんなもので干からび溢れた心が語る。

 

「同じように」

 

 指したのは、私の後ろ。

 誰もいないはずの場所を指差して――

 

「大切な姉のことを、一番よく知っている者がそれをわからないはずがない――何で苦しんでいるのかを、姉想いの誰かさんが、知らないはずがない」

 

 いつの間にか、誰かの両手があった。

 気配のない誰かが、私を包んでいた。

 

「ねえ、古明地――こいしさん」

 

 空に呼びかけられた言葉。

 誰かに向けられた言葉。

 

 ふっと現れた何かを――私は掴みかえしていた。

 ごく自然に、当たり前のように触れていた。

 

 

 

 

 その暖かさに、心の底から安堵していた。

 

 

 

 

 ああ、大丈夫だと――なんとなく。

 

 

 

 

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 触れぬ。知れぬ。

 けれど、意識も無意識も、自分の中にあるものであることには変わりない。

その望み――想っていることに、違いはない。

 ずっと想っていたものは、既に心に染み入っている。

 芯として、心を造り上げている。

 重ならずとも、隣と並ぶ。

 寄り添い、並ぶ――それもまた、無と有の形。

 

 

 そう想う。

 

 

 






 裏も表も根は同じ。
 変化も不変も、今までは何も変わらず。

 といったところで。



 なかなか、改定前と変わっています。
 よくなっているのかなっていないのか。
 

 読了ありがとうございました。

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