東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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開運道中案内

「――じゃあ、そろそろお暇しようかしら」

 

 

 夜も大分と更けて、月もそろそろ下降に切り替わる頃。

 

 

「おや、そうですか」

 

 うーんと伸びをして眠たそうな欠伸を放った後、持ってくるのは私の渡した陶器の器。

 男が洗い乾かしておいたもの。

 

「ありがとうございました」

 

 差し出されるそれに、少々考えて――

 

「それは預けておくわ」

 

 そう言いながら、自らの隣へと線を引いた。

 開くのは、自らの能力の証である空間の隙間。

 そこに体を滑り込ませながらいう。

 

「また、一緒にお話するときにでも使いましょう」

 

 

 縁を結ぶ品として、一つの関わりを残しておく。

 

 折角の縁が切れてしまわぬように。

 こんな面白いものを見逃さぬように。

 

 

 逃げられない紐を繋いでおく。

 

 

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 打つ。払う。薙ぐ。流す。

 

 右手を前へと打ち出し、そのまま腕を内へと曲げ、肘を正面へと押し出す。そしてそのまま、前へと進む力を殺さぬように足を踏み換え、地面を強く叩きながらの左掌底。

 一拍置いて、右手での打ち上げから蹴り込み、構えを崩さぬように気を配りながら、体重移動、軸の取り方を確認し、相手を浮かべ、想像し、仮定しながら繰り返す。

 鈍った身体、狂った調子を合わせなおす作業。

 

 幾度も、何度も。身体に染み付いた動きを思い出すように。

 一手一手を確認しながら、その澱みを打ち消していくように。

 身体の動かし方を思い出す。

 

――しかし、また……ね。

 

 そうやって寝ぼけた身体を目覚ましながら、思い出すのはこの前の夜のこと。

 あの八雲という少女が、自分に預けていった器と言葉を考える。

 

――さてさて……。

 

 色々と一癖も二癖もありそうな相手ではあった。

 今までの経験からいくと、災難苦難を引き込む縁を結んだようにも感じる……というか多分、そうだろう。

 そんな感じに、色々試して遊んでやろうといったものを含めて笑んでいた。

 あれは愉しむ笑みだ。

 

 似たような人間――自分を省みてみればよくわかる。

 面白いもの、見ていてしばらくは飽きないだろう事物を発見して喜んでいる。

 そのための印付け、理由作りとして贈り物を置いていった、ということだ。

 自分はそこまで執着心は強くないのだが……

 

「――何やら面倒になりそうだ」

 

 嫌な予感に過去の様々が蘇り、重ねた苦労に心が曇る。

 どうにもこうにも、相変わらず暗雲しかみえない未来空模様だ。

 地震雷火事大山風なんて目じゃないほどに、妙な苦労が降りかかるような気がしないでもない。

 

――はあ……。

 

 ふっと一息吐き出して、なんとか心を切り替える。

 楽天思考に誤魔化して、自分自身を煙に巻く。

 結局のところ――

 

「――まあ、なるようにかならないだろう」

 

 現実をそのまま受け止めるしかない。

 そう諦めて、受け入れるしかないのだ。

 

――精々気をつけるのは、戸棚を打ちつけ、雨漏り直して……。

 

 備えておくこと。

 せめて、それなりに健康な身体と打たれ慣れた精神を用意して、いざとなれば迷わず逃げ出す。そんな自分を保っておくこと。

 

 そのために、少しは訓練しておかねばと、身体を動かしていたのだ。

 決して、寝過ごしたために早くに日が暮れ、余った体力を発散していたわけではない。

 ぐっすりとよく眠るための適度な運動というのも、生きるには必要なことだ。

 

「さて、こんなもんだろう」

 

 そこまで考えたところで動きを止める。

 多少の熱をもって茹だる身体を、川の水を頭からかぶり、汗でべたつく身体を流すことで癒した。季節としてまだまだ暑くなっていないが、火照った身体に冷たい山の清水は気持ちがいいのだ。

 

――ああ、生き返る。

 

 年寄りらしくしみじみとその感覚を十分に味わってから、先に熾しておいた焚き火へと向かう。

 あまり身体を冷やしすぎると後が怖い。まだまだ夜は冷え込む時はあり、年よりの体はそんなに丈夫でもないのだ。

 

「――しかしまあ、鈍ってますねぇ」

 

 集めておいた太めの薪を放り込みながら、焚き火の前に座って考える。

 かなりの年月を平和に過ごしてきた分、身体がかなりの割合でなまっているのだ。

 一応、村での仕事のほとんど肉体労働であったため、基本的な筋力の衰えこそ少ないようだが、これは精神的な方。戦うという状況に、頭がついていっていないという日和見具合の精神面だ。

 どうにも、上手く切り替わらない。

 

――先のことといい……今現在といい、ちょっと不安か。

 

 格下がならば良いが、相手が十分な力をもった実力者の場合、どうにも逃げ切れるかどうか心配である。色々と準備をし、旅支度にも仕込みをしておいた方がいいかもしれない。

 防犯上、護身用、非常用……色々あるが、ぼちぼち揃えていった方がいいだろう。

 準備を怠っては、今現在に支障がふりかかる。

 

「――ということで、そこの兎さん」

「なあに?」

 

 焚き火の向かいに座る小さな少女が一羽。

 ひらひらとした白色の服を着ていて、頭には長い兎の耳がついている。

 首にかけているのは人参だろうか。変わった形の首飾りである。

 

「その抱えている荷物を使わせてくれないかい? 顔を拭いたいんだが」

「ああ、これでしょ。はい」

「どうも」

 

 荷袋の中から取り出した手ぬぐいを投げ渡される。

 それで顔を拭い、浴びた水の残りを拭き取る。

 

「いやー、めっきり温かくなってきましたねぇ。夜の冷え込みだけ注意してれば上着も必要ないぐらいだ」

「そうね。私達にも過ごし易い季節よ……その分、頭が緩い連中もよくわいてくるんだけどね」

 

 可愛いなりをして、なかなかに酷いことをいう。

 頭の緩い連中というのは、今しがた、木々を掻っ切って現れたえらく凶暴そうな連中だろうか。

 

「まあ、深くは聞きませんが――後ろのあれはなんだ?」

「か弱い女の子に襲い掛かろうとする悪漢よ」

 追われてるの、と怯えてみせる少女。

 そのまま焚き火を回り込み、こちらの後ろに隠れるように移動する。

 

――ふむ……。

 

 そうやって隣に並んだ少女は自分よりも大分小さい。子どもといってもいいくらいの体躯をしている。後ろで鼻息荒くしている連中は、その目方の大体三倍ほど……いや四倍近くはあるだろうか。

 確かに、襲われればひとたまりはないだろう。それほどの体格差である。

 震えているのも無理はない。

 

――しかし、なんだろうなぁ……。

 

 妙な違和感。

 この少女には、どこか自分と似た感覚を感じるのだ。

 その姿だけでは理解できない何か――逸脱した弱さを感じる。

 

――それに……。

 

「――何やら、仇がどうとかいってるようなんですが」

「あんなごついのに……私が悪いことなんて、できるわけないわ」

 小さな声で、震えながらこちらの袖を掴む兎耳少女。

 

 その姿はか細く、弱々しい。

 相手が睨みつけると、「きゃっ」と叫んで、背中へと隠れた。

 こちらを前へと押し出し、他称悪漢さん方から見れば、まるで自分が少女を庇っているようにも見えるだろう。

 相手もそう判断したようで、あきらかにこちらも獲物として狙っている気がする。

 

「……ごめんなさい。巻き込んじゃったみたいね」

 

 言いながら、決してこちらの背中から手を離さない――僅かに笑っているようにも見えるのは、気のせいだろうか。上手くこちらを盾にして、相手の視線から逃れるように身を縮ませている。

 

「なんだ人間……ソヤツの仲間か? 邪魔をするならキサマも容赦シナイ」

 

 使い慣れていないのだろう。聞き取りづらい……が、冷たい声で話す妖怪。

 身の丈はこちらの倍以上、背から顔にかけての濃い紺と腹側の青白い肌。体の割に小さい眼は、何の感情も感じさせないような、光を見せぬ暗さを持っている。

 その姿だけで、人に恐怖を抱かせるに十分のもの。

 

「――すいませんが、こっちはただの通りすがりなんですよ。見逃してくれませんか?」

 

 こういう相手は腰を低くし、下手に出るべきだ。怒らせれば、その場で襲い掛かられる。

 まだ、話していてくれるうちに、穏便に離れた方がいい。

 

「……ナラバ、さっさと消エロ。喰ろうてしまうゾ、人間」

 

 ブツブツと途切れ、朴訥とした印象を抱かせる冷たさ。

 けれど、その瞳はぎらぎらと光を返し、内に秘めた凶暴さを示す。

 その女を置いていけ、と語らず示す。

 

「――ちなみに、こちらの兎さんはどうするんです?」

 

 その様子に、思わず問いを投げかける。

 それは、村で子供の面倒を見てきた影響か。

 

――聞かなきゃいいのに……。

 

 そうしてしまう。

 それを知ろうとしてしまう。

 

「――ワレラは、ソヤツに思い知らせてヤル、だけだ。ジブンが、何に手を出したのカヲ」

 

 それは笑っているのか。

 大きく裂けた口には、残忍な牙が並ぶ。

 

――鱶、か……。

 

 妖怪として、陸に適応した鮫。

 元々、獰猛なその気性は良く知られており、特に血の匂いに反応するといわれる元の存在からして、海の恐怖を表すもの。案外、その恐怖自体が、妖怪となった理由なのかもしれない。

 元来、存在しないはずの不恰好な手足がその異形さを語り、その鋭く何列にも並んだ歯が、その獰猛さが失われていないことを示す。

 

 水場で出会うよりはマシなものの、普通は相手にしたくはない相手だろう。

 

――しかし、ね。

 

 さっさと逃げてしまおうにも、後ろに隠れる少女は、それとは判らぬようにこっちの体を押さえつけている。向こうから見れば、自分が少女をかばっているように見えるが、実は動けないように盾として掴まえられているだけだ。

 

「放してくれません?」

「助けて……」

 

 怯えた声をあげ、恐怖に顔を歪めている少女。

 けれど、その裏で笑っているようにも感じるのは、気のせいではないだろう。

 その証拠に――

 

「何を、グズグズ……やっていル? ソンナに喰われ、タイか」

 

 荒々しくうなり声を上げながら、牙をむき出しにするサメの妖怪。

 余計にたどたどしくなる言葉遣いは、その理性の限界を示しているのか。

 

「――だ、そうですけど、逃げてもいいですかね」

「そんな、助けてくれないの? ――荷物は預かってるよ」

 

 信じられないというふうに上げる悲痛な声と、後半にぼそっと呟かれた脅しの文句。

 隠れた方の片手で、ゆらゆらと己の荷袋が揺れる。

 

――兎が猫を被る、か……しかも、手癖が悪くてしたたか、と。

 

 変わった妖怪もいたものだと、少々感慨深い。

 いつまで生きても、世の中には知らないことがたくさんあるものだ。

 

――そっちの中身は……と。

 

 ほとんどは値打ちのない簡単な旅支度のみ。失くして困るが、命を懸けるほどではない。けれど……そこには昨日に貰った器が入っている。

 あれだけは替えがきかない。

 食事の約束があるのだ。破ればそっちの方が面倒である。

 

「……はあ」

 

 前門に魚、後門に底の知れない少女。その一体どちらを選ぶのか。

 それを思い至って、ため息を出る。

 

 すっかり、流れに乗せられているのだ。

 

「――取り引きだ」

 

 向こうには聞こえないように、口を動かさずに囁く。

 これも大道芸の一種。

 

「……いってみな」

 

 それに一瞬驚いた様子を見せたものの、こっちの背中に隠れた側で笑うにやりと少女。

 似合いの――それがいつもの表情なのであろう。

 

「道案内と情報……あと、荷物をちゃんと返すこと」

「――のった」

 

 せめての抵抗だが、明らかに不当労働である。

 だが、ただ働きよりはましだろう。

 

「ナニを、してイルと、イッテいる。まさか、ソイツを庇うつもりカ?」

 

 馬鹿にしたように笑いあう妖怪たち、こちらも馬鹿になったような気分だが――仕方がない。

 こちらは上手いこと餌を取られてしまったのだ。それに食いついてしか、取り返せない。

 

「――釣られるのはどっちかっていうと、そっちの方だと思うんだが、な」

 

 諦観の想いで呟いた言葉に、相手は怪訝な顔をする。

 こんな弱そうな人間が、本当に自分たちに逆らおうとしているのかと怪しんでいる。

 

――精々、油断して下さいよ。

 

 それを眺めながら、頭を切り換えていく。

 調子が良いとはとてもいえないが、まあ、年寄りとしてはましなもの。

 そういうことにしておいて――

 

――なまった体を動かすには丁度いい。

 

 息を吐き出し諦める。

 諦め調子で前を向く。

 

「悪いが――」

 

 精々やる気なく。

 か弱く侘しく――

 

 

「邪魔をすることになりましたよ。お魚様よ」

 

 格好つけた弱音を吐いた。

 

 

 

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――上手くさばけた。

 

 凶暴なサメたちの前へと立つ男を眺めながら思う。

 これで逃げ切れる、と。

 

 この森は海に近い地域だ。

 しかし、だからといって基本的に水中が生活の場であるサメが、いくら妖怪だからといっても、地上生きる自分よりも早く動けるはずがない。そんな計算で、ちょいと昔の意趣返しといこうかと考え、少しの悪戯を実行した。

 けれど、それが見違いだった。

 

 確かに、地上での移動速度は自分のほうが速く、絶対に逃げ切れるはずだった。

 

――まさかまさかだよ。

 

 この身に降りかかった不幸を思いながら、自らの脚に手をやる。

 もしかすると、サメという生物自体、徹底的に相性が悪いのかもしれない。

 昔のことを思い出しながらそう思った。

 

――それでもまあ。

 

 適当に隠れた草むらから、男が武術か何かの訓練をしている姿を見つけ、これは利用できると思った。

 ああいう武者修行とかいうのに明け暮れる人間というのは、大概が頭の回転が鈍く。恐ろしい化け物を打ち倒してやろうという、馬鹿げた幻想を抱いた奴がいる。

 自分が捕まりそうになっている原因であることだし、上手く利用でもしてやろう。

 

 そういうことで、今の状況がある。

 

 考えていたよりは頭が回るようで、どうにかここから逃げ出そうとしている様だったが、なんとか上手くいった。相手にも少しの条件を突きつけられたが、こちらとしては不利はない、十分許容範囲だ。

 元々、時間稼ぎの障害造り、こいつらが暴れだすと同時に逃げ出してしまえば関係がない。

 

――ただ……。

 

 少しだけ心配なのが、この男の様子。

 交渉自体は上手くいったはずだが、妙に飄々として掴み所のない様子だった。

 目の前に迫る危険よりも、今不安要素を呼び込んでしまうような、そんな油断のならない印象を――自分の長年の勘が告げている。

 

「邪魔? キサマがワレワレに敵うとデモ、思っているノカ」

 

 馬鹿にした響きを持たせながら嘲るサメたち。

 男はそれに胡散臭く笑いながら答える。

 

「いえいえ、まあ、邪魔というか――お仕事をとっちゃおうかと思いましてね」

 低く、笑いと共に呟かれた言葉。

 なんとなくだが、この男からは、自分と同じ匂いがする。

 

――これは……。

 

 妙な同調の感覚。本能として、感じるものがある。

 その中心を考えようと、意識を寄せた瞬間-―男の片手が動き、首の後ろに軽い衝撃が走る。

 

「あ……」

 

 ふらりと、視界が地面に近づく。

 見上げた男のにやりとした笑みに。

 

――そういうことか。

 

そう思った。

 

 

 

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「さて、これを引き取ってさっさといってくれませんか」

「ムう……?」

 

 地面に倒れこんだ兎の少女を指して、鮫の妖怪たちに告げる。

 相手はこちらの豹変振りに驚き、困惑している様子だ。

 無理もない。

 

「――まあ、皆さんのお仕事をとっちゃったのは謝りますが、さっさと終わらせてお引取りいただきたいんだ」

 お願いしますよ、と殊勝な声で言ってのける。

 勿論、丁寧に頭を下げながら、だ。

 

 なにやら、相手は「えげつない」やら「さすが人間だ」とか言っている気がするが気にしないこととする。

 

―――まだまだ序の口だ。

 

「まあ、いいだろう。ワレラはソイツと連れて行ければイイ」

「では、どうぞ」

 

 こちらの言葉に頷いて、少女に近づいていく妖怪たち。

 それが少女に手の届く所まで近づいたところで――

 

「ああ、そういえば」

 

 声を上げた。

 少女の方へ手を伸ばしていた妖怪が反応してこちらを向く。

 

「やっぱりその子……酷い目にあうんですかね」

 

 同情したように、少女の顔を伺って一歩近づく。

 両手を挙げて、相手に敵意がないのを見せるようにして、近づく。

 

「アタリ前だろう。我らを愚弄したのだ……ソレに、地上の肉は、久しく食べてイナイ。特に、兎のニクは美味いのダロウ?」

 

 下卑た笑い。

 本能から離れ、僅かな理性を得たからこそ、持つ望み。

 

――それを悪いとはいいませんがね……。

 

 それでも、目の前にいる少女が引き裂かれる様など、想像するに気分良くない。

 

「確かに兎の肉ってのは美味いですけどね――ちゃんと、調理しないと」

 中りますよ。

 

 にこりと笑って呟いて――距離に入った所で、足を鳴らす。

 

「――ナッ!」

 

 ドンッと地面に響く振動。

 それと共に飛び上がり、走り出す兎。

 

「マ、マテ!?」

 

 その背中に尖った鼻を向け、追いかけようとする背ビレのある後姿。

 ぬるりとした大きな頭頂へ向けて――力を込めて、棒のようにまっすぐと突き出した掌をぶつけた。

 

「――ッガ!」

 

 口から何やら液体を吐き出しながら、その巨体が倒れこむ妖怪。

 その上に思い切り飛び乗り、踏み台として――

 

「――な、なにを!」

 

 その驚きに襲われているもう一方の頭の上へと、宙を返った。

 胸を中心として、腹に力を込めての回転。その勢いをそのままにして。

 

――よいしょっ、と。

 

 その後頭辺りに向けて蹴りを放つ。

 伝わる感触は、柔らかいような硬いような不思議なもの。

 

「げぐっ……」

 

 舌でも噛んだのか、中途な叫びを上げて、ゆっくりと前のめりに倒れそうになる背中――その背ビレを空中で無理やりしがみつき、倒れる方向へと己の体重をかけて――

 

「ぶぐっ……」

 

 そのまま地面に叩きつける。

 息が吐き出しながら、その勢いに一瞬浮かび上がるその身体。

 

 それをさらに蹴って、平らな地面に着地。

 

「――やっぱり、釣られるのはそっちの方が似合いだろう」

 

 そう呟いて、息をつく――息をつこうとしたところに。

 風を切る音。

 

「――っと……!」

 

 悪寒を感じて、そのまま後ろへと跳んだ。

 一瞬前まで自分の身体があった場所へと、獰猛な(あぎと)が噛み合わされる。

 

「っち…外したか」

 

 ギチリ、と音をたてて閉じられた牙がこちらを向く。

 仲間をやられ、騙された怒りによって細く引き絞られた瞳孔。

 

 本来の生物としては持っていない、怒りの表情。

 

 

 

「ヤッテくれたナ、人間。ワレラを騙すとはイイ度胸だ」

 願いどおりに食い殺してくれよう。

 

 そういって、うなり声を上げながらカチカチと歯を打ち鳴らす。

 本能と感情をむき出して、目は赤く染まり、てらてらと照る肌から蒸気が上がる。

 もはや、その姿は化け物以外の何者でもない。

 

―――残りの一匹だが……。

 

 異形の恐怖。

 妖怪――妖しき、怪しきもの。

 当たり前の尺度では、測れない。

 

「――そりゃ御免ですね。謝ったら許してくれますか?」

 先に倒した二匹が立ち上がってこないのを横目で確認し、相手を挑発するように言葉を連ねる。

 

「もう遅い!」

 

 激昂とともにこちらに飛び掛る妖怪。

 水中ではないものの、その姿はサメが真っ直ぐに獲物に突進する様とよく似ている。

 その速さも――

 

「っ!」

 

 軽く息を吐きながら、横っ飛びに回避する。

 位置は最初の場所に近い、焚き火の近く――

 

「――アマいっ!」

 

 叫びを上げて、真っ直ぐと進んでいた妖怪が、どんっという激しい音を背に、勢いをそのままに(・・・・・・)して方向を変えた。

 普通、全力で相手に突っ込んだ者がそんなに急激に向きを変えることができるはずがない。

 けれど、本来を水中の浮力の中で生きる彼らには、水を蹴り、方向転換するための足以外の部位がある。

 

――尻尾……!?

 

 地面には、何かが叩きつけられたような跡。

 こちらに突っ込んできていた妖怪は、その尻尾を地面に叩きつけることでその方向を変えたらしい。そして、叩きつけた勢いによって、身体は浮かび、飛びかかるようにしてその上下の牙がこちらを追っている。

 このままでは、その牙に食いちぎられることになる。

 

―――ぎりぎり、だが……。

 

 着地した瞬間、地面擦るようにして、右腕を振り上げる。向かうのは、下を経由しての口の中。その刃が並ぶ中心に向けて、それ(・・)を突き出す。

 

「……!」

 

 腕を犠牲にするのか、そう思ったのだろう。

 相手の目には、少しの笑みが浮かんでいるのが見えた。

 けれど――

 

「そんな痛いこと、するわけないでしょうよ」

 

 そういって、にこりと笑う。

 その前で突き出された右腕を呑み込んで、開いた円が閉じていく。

 食いちぎろうとするその口が、こちらの右腕を食いちぎ――れなかった。

 

「――アガッ、ギャ!」

 

 声にならない声を上げて、痛みの叫びが上げる。

 ぎしぎしと軋む感触に、ほっと胸を撫で下ろす。 

 

「口内炎には気をつけてくださいよ」

 

 右腕の先、開いた口に僅かに刺さり、支えて残るのは茶色の棒。

 焚き火のために集めた薪の一本。

 

――やっぱり、釣られるのはそっちが似合いだ。

 

 くすりと笑いながら、苦しみの声を上げるその妖怪の足を払う。

 狂乱に呻いていたその身体は簡単に傾ぎ、こちらの目の前へと頭を差し出す。

 そこへ――

 

「――大丈夫、それに返しはついてませんから」

 

 言いながら、その枝が折れる勢いで、その脳天へと踵を振り下ろした。

 殺しはしていない。

 

 けれど、多分しばらくは海に浸かることはできないだろう。

 塩水はよく傷に染みるものである。

 

 

 

 

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「うわあ」

 えげつない、こっそりと隠れて覗いた惨状に、思わずそう呟いた。

 

――思った以上の掘り出し物だったね。こりゃ…。

 

 最後の一匹が倒れたところで、男は服にまとわりついてしまった砂を払いながら立ち上がり、油断なく相手が本当に動けないのかを確認する。

 そして、それが本当だとわかると、「疲れた疲れた」といって腰を叩いて、気の抜けた声を出した。

 その姿からは、先程の戦闘中のような覇気は感じられない。

 ただの、か弱い人間のように見える。

 

――ああいう奴が一番怖い。

 

 その姿に、そんなことを思う。

 圧倒的とは言わぬものの、男はその知恵と力によって、凶暴な妖怪を退けたのだ。

 逃げる時間を稼ぐどころか、逃げる必要をなくしてしまった。

 相手に、一切自分を強いと見せることなく、である。

 

「――さて」

 そういって振り向く男。

 どうやら、逃げずに覗いていたことは知っていたらしい。

 

「凄いのね、あなた。本当にありがとうー」

「うるせい詐欺兎。さっさと人質を解放しろってんですよ」

 

 可愛子ぶったこちらの言葉は、にべもなく返される。

 丁寧な言葉も抜けて、目も胡乱気、なんだかやさぐれた感じである。

 

「こちらとしても――ここまで強い相手に素直に交渉権を渡すと思うの?」

「こっちは、基本約束は守るたちだ」

「さっき攻撃してきたのに……」

「とっさに策を呑み込んで、合わせた相手に言われたくないですね」

 

 とぼけてみせるこちらに、男は嘆息しながら答える。

 実力は確実にこちらより上だというのに、手を上げようとはしてこない。

 

――どうやら、こいつはあれね……。

 

 小声だが、何で俺はこんなやつばっかりと知り合うんだろうな、と呟いているのが聞こえる。

 なんとなく、そういう星の下に生まれたからだ、とそう思えた。

 

――なんか、そんな感じ。

 

 はあ、ともう一度ため息をついてから、男が口を開く。

 今度は、ちゃんと手を出して――

 

「いいから、さっさと荷物を返す――そうしたら、足の傷も見てあげますから」

 

 深い息と共に吐き出された言葉に、思わず眼が丸くなった。

 

 

 

 

 

「お人好しっていわれない?」

鬼畜生(おにちくしょう)といわれたことはありますよ」

 薬草を染ました薄布を私の足に巻きつけながら、男は答える。

 

――まあ確かに。

 

 先程の戦闘と今の状態には、大きなずれがある。

 先ほどは恐ろしいほどに容赦なく相手の意識を刈り取り、えげつない攻撃を繰り出していた。それからすれば、今私を治療しているこの男の姿は違和感ばかり。

 

――その方が妙に似合ってるんだけど……。

 

 一体、どちらが本性であるのか。

 

「切り傷ね……あいつらにやられたとしちゃ、軽いもんだが」

「そんなにドジじゃないわよ。ただ、木の間に人間の罠があっただけ」

 

 男の問いに、今度は正直な答えを返す。

 多分、もう騙す意味はないだろう。

 

――それにしても……。

 

 とっさに反応して深手ではなかったが、足に切り傷を負ってしまった。

 血の匂いに敏感な奴らからは逃げるのに、この傷は辛い。悪い時に悪いものが重なってしまったのだ。

 

――だからこその時間稼ぎだったんだけど。

 

「人間の所為で傷を負って、人間に助けられるとはね」

「まあ、そんなもんでしょうよ」

 これでよし、と呟いて男が立ち上がる。

 布が巻かれた足は、確かに、先程よりもずっと痛みが引いていた。

 

「無理をしなけりゃ二日、三日で治るだろう―――にしても罠ねえ」

 ここらに人間は住んでなさそうですけどねぇ、と男が呟く。

 

「最近は色々ときな臭いよ」

 脚の様子を確認するように立ち上がり、軽く足踏みをする。多少の痛みは感じるが、全力で走ったりしなければ大丈夫なようだ。

 随分とよく聞く薬である。男の手製だろうか。

 

「大陸の方からごちゃごちゃと妙な連中が流れ込んできてるからね。色んなとこで揉め事ばかり」

「なるほど」

 

 男は納得したように頷いて、なにやら考え込む様子を見せる。

 色々と思うところがあるのか、その表情は複雑なものだが――

 

「ま、考え事はおいといて、ここを移動しようよ」

 あいつらが目を覚ますと困る。

 

 そう促して道を指す。

 すると、荷物をよこせといわれた。

 

 

 忘れていた。

 

 

 

「――はい」

「どうも」

 

 やっと荷物を返してもらい、ほっとした様子で男が後ろを付いてくる。

 失礼なことに、中身を確認しているようだが、何も取ってはいない。私の役に立ちそうなものは一つもなかった。

 

「――それで、どこに案内すればいいの?」

 

 そのまま男の前を歩きながら、後ろを振り向いて尋ねる。

 その素直な様子に、男は少々首を傾げた。

 

「おや、素直に案内してくれんのかい?」

「まあ、取引だしね。 ―――それに、少し昔のことを思い出したから」

 

 少々恥ずかしくなりながら、そんなことを小さく呟く。

 懐かし気なものが含まれたのは、自分の中にある一つの記憶から生まれた風だ。

 男に傷を見てもらったときに、あるヒトのことを少し思い出したのだ。

 

――懐かしい……。

 

 想い出す太古の香り。

 それと何処か同じものを感じさせる男の雰囲気に、なんとなく、信用してしまってもいいように思えてしまう。この私ともあろうものが、少々感傷的だ。

 

――まあ、でも……。

 

 たまにはいいだろう。

 今日は朝からそういう日なのである。

 

「で、どうするの?」

 

 多少、甘くなっている自分を自覚して、少々笑いが浮かんでしまいながら、男を眺める。

 今なら、本当に幸運を授けてやるぞ、と太っ腹な気分だが――

 

「――さて、そういえば目的地なんて決めてなかったな」

 

 男はそんなことを言い出した。

 折角の百年に一度あるかないかの気紛れが、意味なくから回る。

 

「今はまだ、すすんで人里の方へ向かおうとも思わないし……旅を続けたい。しばらく、ふらふらと放浪でもするきなんですがね」

 どうしますか。

 

 顎に手を当て、何やら悩み出す男。

 どうにも、掴めない。調子の狂う男だ。

 

――切れるのか。なまくらなのか……。

 

 判断に迷ってしまう。

 

「――最近で何か噂とか、ここらで見物できるものでもないか?」

 少し悩んでから、そう聞いた。

 男の表情は何も考えていない様子だ。

 

――どうせなら、名所巡りでもしていこうとか。面白いものでもないのかとか……。

 

 子供の好奇心のような、老人の気まぐれのような。

 それくらいの感覚、その程度で旅の指針を決める。

 

 そういうのが明け透けて見える、そんな感じの軽い質問である。

 

「……そうだね。最近は蛇のやつかなー」

 

 その様子に呆れてしまい、何だかもうどうでもよくなりながら、それを教える。

 騙すのも、騙さされるのも、何だか今日は面倒くさい。

 

 

 そう疲れきって、正直な言葉で今を語った。

 

 

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「じゃ、ありがとさん」

「こっちこそ」

 

 一通り話を聞いた後、森の真ん中辺りで別れることとなった。

 少女も、あの妖怪たちに悪戯がばれてしまったので住処を変えるらしい。

 すぐに戻って、引越しの準備と傷の療養をとるようだ。

 

「妙に素直ですねえ――何か裏がありそうだ」

「失礼な話ね。まあ、なるべく借りを作っていたほうがいいとも思ってるけど」

 

 そう笑っていってのける兎に、こちらも肩の力が抜ける。

 ここまで開き直られると、逆に気持ちがい良いくらいだ。

 

――どうにも、憎めない。

 

 そんなこんなで、手を振って分かれる寸前、少女が振り向いていった。

 

「あ、もう一つだけ、森をあっちに抜けると面白いものがあるらしいよ」

「面白いもの?」

 

 野良兎からの情報、と付け加える。

 どうやら、自分で確認したものではないらしい。

 

「それも借りの一つか?」

「まあ、長生きのよしみってことにしとくよ。幸運の兎、因幡てゐちゃんからのね」

 

 そういって悪戯兎らしく笑う表情に少しの不安を覚えるが―――これといった指針もない。

 

「ま、折角だから行ってみますよ。ありがとう」

「そう。じゃあね――ええと……」

 

 こちらを見ながら、悩む姿を見せる少女。

 その呻きの見当が付いて、少し困りながら言った。

 

「すまないが、今は名のる名がない―――ただの長生きの人間ってことで」

「そう。じゃあ、またね長生きさん、ってことで」

 

 何か察してくれたのか、明るく笑って少女はいった。

 こちらも笑って返す。

 

「――ああ、また。悪戯兎の因幡てゐさん」

 

 お互いに悪戯っぽく笑った。

 

 そして、あっさりと振り返る事もなく別れる。

 

 互いに、飄々と。

 何もなかったかのように。

 

 

――長く生き……長く生き過ぎたものたちの邂逅なんて、そんなもんだろう。

 

 縁があればまた出会う。縁がなければすれ違う。

 

 そんなもの。

 

 ただ、少しだけ、いつかの楽しみの種を得る。

 咲くかもわからず。芽吹くかもわからず。

 長い道の少し光明として

 

 

 長き日々を生きた者の一時の出会いというのも面白い。

 

 

 

 うーんと一つ、伸びをして

 少女が指した方向へと歩き出した。

 

 

 

 

 




いくらかというか、だんだんと伸びてます。
修正にしても前の分を残そうとしてしまって間延びしているのか。
どうにもくどい文章になってしまっていますかね。
難しいものです。

読了ありがとうございました。

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