東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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誰そを尋ねて

 

「お忙しいところすみません」

 

 そんな言葉が飛んできたのは、ちょうど拳を振り上げた瞬間だった。

 

「……!?」

 

 気合と喜悦が身体に充填し、いざ始まりが告げられる開戦の瀬戸際。戦いへと意識が切り替わるその間際に落とされた声。

 

 思い切り、意識が乱された。

 

「……んがっと!」

 

 空回った勢いが体幹を崩し、それを無理やりに立て直そうとするが止まらない。浮き上がった片足はそのままの勢いで地面に落ちる。床板を踏み抜いたような形で、足先が地面へとめり込む。

 身体が、流れる。

 

――まずったね、こりゃ……。

 

 致命的な隙。

 普段なら絶対しないような失敗。

 

 けれど、それはその瞬間に落ちてきた。

 意識の切り替わりを予知したように、予備動作に入る瞬間を狙うように――入り込んできた言葉に、私を乱されてしまった。

 

――呑み込む瞬間に、背中を叩かれた。

 

 飲み込んだ液体が気管に入り込む。よく冷えた指で首筋を撫でられる。

 そんな感じに、動きを止めてしまった身体。

 慣性に流れたそれを立て直そうとして、さらに片足がつんのめってしまうというおまけ付き。

 

――こんなことが他にしれちゃあ、馬鹿にされちまうね。

 

 自分自身でも、そう思うのだ。

 愉しい愉しい喧嘩の始まりに、ちょっと声がかけられたぐらいで乱されてしまうとは……。

 

――間抜けにも程がある。

 

 一度くらいぶん殴られた方が身のためだ。

 

「……」

 

 そう考えて身構える。

 絶対にこの隙を見逃さないだろう相手を待つ。

 

 どうせ食らうなら、その分力を込めて殴り返してやろうと。

 

 

――……・?

 

 けれど、それはなかなか訪れない。

 踏み砕き、舞い上がった岩の破片が辺りにぱらぱらと音を立て、それが落ちきった後に訪れた静寂。先ほどの攻撃をあれほど見事に避けてみせた動きがあるならば、十分に攻撃が届くはずの時間。

 

 それでも、それは落とされない。

 いつまでたっても、襲ってこない。

 

 不思議に思って、はっきりとそちらに意識を向ければ――男の方も動きを止めていた。

 こちらのように体勢を崩したというようにはなっていないが、何かを取り出そうとするように懐に手を入れたままの状態のまま――固まっていた。

 

「うん……?」

 

 その視線は、私を通しながらその後ろへと向かっている。つまり、その声が聴こえた方、だ。

 私の意識を乱したものに、その男も捕まっていたのだろうか。

 

「すいません。お邪魔をしてしまったようで」

 

 その張本人。

 高い……・少し幼いくらいの声。聴こえた感じと比べて、その口調は随分と落ち着いたものだが、妖怪には姿形も年齢も印象のみで知れるものなどほとんど存在しないため、それほど珍しいというわけではない。

 その声そのままの姿なのか。それが一体どんなものなのかと確認しようにも、私はその姿を確認するために後ろを振り向かねばならないのだ

 前にはまだ、喧嘩の相手が立っている。

 人間相手に油断してはいけないと、以前の経験(むかしのいくさ)で知って――

 

「こちらを振り向いても大丈夫ですよ。そちらの男性にそんな敵意はないようですから」

 

 そんな思考を乱すようにして届けられる言葉。

 見通すようにして――判っているから、とでもいうよう此方を誘う。

 

 そして――。

 

「ふむ」

 

 その言葉の通りに、男は構えを解いた。

 何もする気がないということを強調するように両手を広げ、ぐるりと私を中心に円を描くようにして移動する。

 

 私が――その声の主と自らの姿が同時に見渡させる位置へと。

 

「ありがとうございます。これでそちらの鬼さんも構えを解けるでしょう。あ、私はこの男の人と何の関係もありませんよ――最初から手を組んでいた罠とかそういうわけではありません。そうだったらまとめてぶっ飛ばしてやろうとなんて思わないでください」

 

 そこに立っていたのは、紫色の髪をした小柄な少女。

 この暑い地底では不便そうな分厚い外套を身につけ、時折その内で腕を組み直して裾をはためかす。

 

「私は貴方達を敵に回したくは無いですし、何かをする気もありません。ただ、少し尋ねたいことがあるだけの通りすがりです」

 

 無表情に、淡々と並べられる言葉の羅列。

 感情の見えない表情で少女は話す。

 

「ええ、無遠慮なときに話しかけてしまったことはすいません。けれど、貴方にもあまりやる気が見受けられなかったので。まあ、構わないかと……助かった? ああ、それなら良かった――まあ、あちらはあまり喜んでいないみたいで」

 

 すっかり戦闘態勢を解いてしまった様子で、男はこちらに背を向けている。

 何かを話しているようには見えないが……何やら、一応の会話は成立しているようだ。男自身の声こそ聴こえてこないが、頷いたり両手を広げたりといった仕草を見せている。

 

「ああ、そうですか。見ていませんか。どうもありがとうございました」

 

 ぺこりと頭を下げる少女。

 男は構わないといった感じに片手を挙げてみせた。

 

「……・」

 

 少女はこちらへと視線を向け、ゆっくりと近づいてくる。見通すようなその目に少しの違和感を覚えながらも、それをぎろりと迎える。

 

「――何だい?」

 

 聞きたいこと――それがあったから、私の喧嘩の邪魔をした。

 それはいったい何なのか。

 足る理由――それが面白いことなのなら、歓迎して応えよう……つまらないことなら、喧嘩の邪魔された分も一緒に払い戻してもらう。

 そういう勘定を頭の中で弾いて。

 

「あ……」

 

 少女が一瞬怯んだようにも見えたが気にしない。

 何やらじっと観られている(……)、というような感覚もするが、気にするほどのことでもない。

 

 私は、決めたように動くだけで。

 

「……」

 

 じっとこちらを見て、少女は「こほん」と一つ、息をついた。そして、少し迷う素振りを見せながらも、思い切るように――一言。

 

「すいませんが、私の妹を見ませんでしたか?」

 

 

 そんなことを、宣った。

 

 

 

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「あ、あはははっ!」

 

 転がる笑い声。

 楽しそうな反響。

 

「……」

 

 それを耳にしながら考える。

 腕を組んで思い悩む。

 

 これから――

 

――どうするか。

 

 上手い具合に腑抜けた空気。

 肩透かしを食らった空転で辺りは満ちている。

 空回って、躓いている。

 

――今なら逃げられる、か?

 

 突然現れ、空気をぶち壊した少女。

 己を語らず、姿のほとんども晒さず――こちらを見透かしたような顔をして、聞きたいことがあると現れた。絶妙な、妙に都合の良い間の中に。そして、聞きたいことだけさっさと聞いて、すたこらと姿を消してしまった。

 緩んだままの空気はそのまま残し、向かった方向は妖怪が作ったという都の方だろうか。自分もこれからそっちの方向に向かわねばならないため、後でもう一度顔を会わすことになるかもしれない。

 

――まあ……。

 

 それもこれも今の状況を乗り越えられたら、という限定つきだが。

 

「さて……」

「はははっ! 全く、傑作だねぇ」

 

 その判断を下すだろう鬼さんは何やら大笑いの渦中。

 今、この状況での質問として、少女の言葉によっぽど面を食らったのだろう。

 

――この状況で……。

 

『私の妹を見ていませんか?』

 

 そんなことを問われたのだから。

 しかも、目の前にいるのは悪名高き鬼。性質の悪いのならば、同族だろうとなんだろうと一口に呑んでしまうかもしれない相手。

 それに向かって、あんな具合に突拍子の無いことを聞くのは――よっぽどの馬鹿か大物だろう。

 

 それか――

 

――……。

 

 少女の表情。自分との会話。

 話の持っていき方。

 

――相手がそういう性質をしているってのを、見抜ける力を持っている、とか。

 

 なんとなくの想像。経験からの予断。

 それでも、正解から遠くはないだろう。

 

 そう――感じている(・・・・・)

 

「――妹、ね」

 

 その背格好やら姿形やら、何やら特徴的な部分だけを色々と説明された。そして、何処かで一瞬でも見たような(・・・)気はしなかったか、というよく判らない聞き方もされた。

 一体、あれは何であったのか。

 

――ちょっとこっちを不思議な感じでも見ていたし……・。

 

 腑に落ちない。納得がいかない。

 自分と相対する少女は、何処かそんな表情を端々に見せていた。

 知り合い――ではないはずだが、もしやこちらの知らない内に何処かですれ違ったことでもあったのか。いや、あれはどちらかというと、妙なものでもみた、という感じの違和を覗かせる表情だった。

 『こんな変なもの、初めて見た!』といった感じに、少々失礼な感じの――なるべく、こちらからも視線を外していたようだった。

 

――さてさて。

 

 一体どういうことか。

 そもそも、どうして、彼女は自分達が妹のことを知っていると思ったのか。

 この辺りで見失ったにしても、確信する何かがあるような様子での質問だった。でなければ、わざわざこんな火中で栗を拾うような真似はしまい。

 いや、それよりも酷い状況だったというのに、だ。

 

――油壺を抱きかかえて火事場に飛び込むようなものだ。

 

 鬼の喧嘩とはそんなもの。

 人間なんぞは塵芥……妖怪だろうと灰燼に帰す。

 もらい火程度でも、十分と焼け野原。

 

「はあー……笑った笑った」

 

 いい気風をしている。

 面白かったからそれでいいと、流してしまえるほどの器を持っている。

 そんな相手だからこそ、良かったのだ。

 

――まあ……。

 

 だからこそ、敵に回したくないという相手ではあるのだが。

 

「――さて」

 

 それを持ち合わせるというだけの自分。

 それだけの我欲を……我を通してきた強引さと力強さを持つ。

 

「仕切りなおし、かね」

 

 その我というのは『鬼らしさ』か。

 多大な惧れを纏いながらも、何処か憧れてしまう――そんな力の象徴として、その存在は生まれているのかもしれない。

 そして、彼女はその中でもさらに、それを色濃く見せ付ける。

 

――格好がいい、とは思うがね。

 

 ちゃらんぽらんな老人としては憧れるところもあるが……今は、はた迷惑な話。

 

「そうなる、んですかね?」

 

 そう口にしながら上体を下げ、とっさに動きやすい体勢を取る。また片手を懐に引き込んで、精一杯にと逃げに構える。

 

――出来れば遠慮したいが……。

 

 通じないだろう。

 強引さにかけては、その右に出る者はいない。

 そういう伝え説かれるのが鬼というものだ。

 

「ああ……・そうしたい。そうしたい、んだけど」

 

 けれど、予想外に彼女は止まる。

 困ったように。残念そうに。

 

「悪いね。用事を思い出した」

 

 申し訳ないといった感じに後頭部に手をやりながら、少し気まずいといった様子で一言。

 らしくない感じに片手を身体の前にたて、軽く頭を下げる。

 

「……・・」

 

 思わず、固まってしまう。

 それほどに、わけのわからぬ状況で。

 

「いやー、よく考えりゃあ、この酒は地上の奴らに持ってきてくれって頼まれたやつだった。今度大喧嘩があるってんで、その前祝い。失くしちゃ、私が大目玉食らっちまう」

「……あ、ああ。そう、なんですか」

 

 切り換えかけていた思考ががくんと躓いた。大歓迎なことであるはずなのに、釈然としない気持ちが込み上げて、微妙さと一緒に器から零れだした。

 

 つまり、混乱した。

 

「悪いね……」

 ははは、と少し照れたように彼女は笑う。

 悪い悪いと、今から喧嘩をおっぱじめることはできないと、申し訳なさそうに。

 

――いえいえ、全然構いませんよ。

 

 降りかかってきた幸運への驚きに、出そうとした声が出なかった。流れるままの常態に任せておいて、問題が勝手に上手く解決することなど何世紀ぶりだろうと――今まで経験した様々な辛い記憶たちが脳裏を過ぎる。

 暗い気持ちが込み上げる。

 

――いやいや、まあ、落ち着け。

 

 状況を飲み込み、口上を読み込み……乱れた気分を落ち着けて、都合のいい現実を受け入れる。

 何故か不運に出会ったときの方が簡単に行く精神の建て直しに時間をかけて「ふう」と一息を吐く。

 

――大丈夫……明日の天気は明日に心配しろ。

 

 嵐か雹か。

 そんな悩みを放り出してどうにか落ち着いた。

 

 そうして――

 

「――そりゃ、残念。少しはその酒も呑んでみたかったんですがね」

 

 これ幸いにと話を合わせ始める。

 折角訪れた幸運を投げ出してしまうわけにはいかない。

 

「おや。私に勝つつもりだったのかい?」

「……いやいや」

 

 あまりつついては藪蛇になる。

 さっさとお流れにするべきだ。

 

「いえ、本当に呑んで見たかったってだけで・・・・・どこで売ってるか気になっただけですよ」

 人間でも売ってくれますかねぇ。

 

 そう言って、にこりと笑う。

 

――いや待て、何故それを聞く。

 

 自重できていない。

 いや、確かに呑んでは見たかったのだが。

 

「どうだろうねぇ、都にある特級品だから。よっぽどのお宝でもつまないといけないよ」

 まあ、人間は食われて終わりかもしれないけどね。

 

 かかか、と愉しそうに笑う鬼。

 自分の都合で喧嘩を中途するのを悪いと思っているのか。その都の何処に酒が売っているのかを詳しく教えてくれた。

 いい姐さんである。

 

「ありがとうございます」

「いや、こちらこそすまなかったね」

 

 本当はこちらを見かけた時、そのまま通り過ぎてしまうつもりだった。それが何故か……ちょっと気が向いてしまってちょっかいをかけてしまった。

 

 そういう話らしい。

 

「あんたとやるのは面白そうだが……地上の奴らとの約束を破るわけにはいかないんだよ」

 だから、また今度の機会に。

 

 

 そういって、彼女は去っていった。

 その名をおいて――

 

 

 そして、そこから少し歩いたところで。

 

「星熊勇儀、ね」

 ぽつりと呟く。

 

 大層に豪儀な鬼だった。

 実力もそれ相応……伊吹のやつと同格ぐらいあるかもしれないと。

 

『今度はお互いに時間がある時に』

 

 そういって名前を預けていった。

 

「できれば……それを呼ぶ機会がない方がいい気もするが」

 

 まあ、それも運次第。

 普段どおりなら……考えないでおこう。

 

――それまでに作者さんの気でも変わっているかもしれないしね。

 

 急に世界一幸運な人間になったとしてもおかしくはない。この世は不思議で満ちている。

 

 そういうことを――願っておこう。

 

 

 

 

 

「――しかし、偶然気が向いたから、ね」

 

 

 そこはかとない不安。

 信じるには少し出来すぎた気分の傾き。

 少しだけ感じている違和感。

 

――まさか、ね。

 

 慣れない幸運の揺り返し。

 それを心配しながら、先を急ぐ。

 

 

――きっと、速く仕事を済ませれば何にも巻き込まれない。

 

 そう願って――期待して。

 

 

 

____________________________________

 

 

 

 

――本当に……何処にいるのかしら?

 

 雑多と並ぶ大小ばらばらの家屋。

 通り過ぎていく多種多様な妖怪たち。

 

 その内にある思考を少しずつ拾い上げながら、その手がかりを探す、

 

――多分、この辺りにいるはずなんだけど……。

 

 少しの違和。目的との差異。

 無意識下での行動の変化。

 

 意識の空白を探す。

 

「おい。またあれ食べにいこうぜ」

「いいな……ん、でも? この前も食べなかったっけ」

「いいじゃんいいじゃん」

 

 あれは違う。

 

「よお! 聞いたか地上の話」

「おうおう、あれだろう。鬼の大将に話が来たってやつ」

 

 関係がない。

 

「っち……いけすかねえ」

「ああ、俺らに声をかけねえなんてよ」

「まったくね」

 

 これも違う。

 

――やっぱり、さっきのところだったのかしら。

 

 幾多の思考。

 幾数の心を読んでの、あまりの手がかりの無さに息をつく。

 

――さっきの鬼と・・・・・人間の男。

 

 先ほど、少しだけ感じた妹の気配。

 僅かにだが、確かに誘導されていた思考。

 

「――あの男……あれさえ判っていれば」

 

 鬼の方は極単純。

 己の性としての感情を少し押された程度。

 それに思考が切り替わった瞬間、元からある自分のままに動いている。

 

 だから、あまり参考にはならなかった。

 けれど――

 

「おや、さっきの……」

 

 あの男は確かな考えの基に行動を決めていた。

 そこにある微妙なずれを探っていけば、上手く行けば妹の足跡を辿れたのかもしれないのだ。少なくとも、いつどの位までその場所にいたのかを探ることが出来る。

 

――なのに……。

 

 あの人間の思考は一体なんだったのだろう。

 見ることはできても、読むことは出来ない。

 大雑把な感情の動きでしか、男の心を判断することが出来なかった。

 

「もう少し時間があれば……」

 

 しかし、そうしていればその戦いに巻き込まれてしまったかもしれない。

 表層を浚う程度で満足するしかなかった。

 

――もどかしいわね。

 

 本当に面倒なことばかりだ。

 それもこれも――

 

「お嬢さん」

 

 あの妹のせいだ。

 まったく世話を焼かせてくれる。

 

「――お嬢さん?」

 

 いつものことながら、これほど繰り返せばそろそろと怒り心頭というもの。一度思いっきり叱ってやった方がいいのかもしれない……ただでさえ、通じているかどうかすらわからないのだから。

 

「お嬢……」

 

 そもそも、なぜあの子は――

 

「あの、すいません」

「ひゃっ……!」

 

 そんな自らの思考に没頭していた所に、すぐ傍からの声がかけられた。

 慌てて視線を向けてみると、目の前には一人の男。手をのばせば届く距離で、こちらを不思議そうに覗きこんでいる。

 

――一体、何……?

 

 突然至近距離に出現した男に跳ね上がった心臓。

 それを必死に押さえ込みながら、深く息を吐く。

 

 落ち着いて、相手を視るのだ。

 

「――あなたは」

「ああ、やっと気づいた……」

 

 ふっと息を吐く男。

 それを視て――

 

「お嬢さん。先ほどは世話になりましたね――助かったよ」

 

 こちらの言葉より先に話し出す男。

 何の悪意も感じられないそのままの感情。

 そして――

 

――これは……。

 

 不可思議な思考。

 これは、先ほど視たものと同じ。

 

「おや、こんななりをしてるから判らないか?」

 にやりと笑う。

 

 そして、そっとその身につけていた外套の袖を捲り、そこにある札を見せてみせた。

 

「妖怪除けならぬ妖怪混じり。木を隠すのに森の香りを纏うという感じなんですが――どうやら、上手く行っているようですね」

 

 「くくくっ」と愉しそうに笑う。

 その少しふざけているような調子も、同じ思考の間隔で。

 

「あなたはさっきの……」

「ふむ、気付きましたか」

 

 男は口元に指を上げ、それを黙っているようにと促した。そうして私がもたれていた家屋の壁に隣り合うようにして座り込む。

 

「どうやら、色々と判るようですから余分かもしれませんが」

 

 そうして口にするのは――

 

「ここにいるのは、しがない地獄の使いっ走り」

 

 一応は本当のところだろう言葉。

 嘘には感じられない――揺れぬままのもの。

 

「それ以上でもそれ以下でもない――まあ、邪魔はしませんので、内緒にしといてください」

 

 そういって、男は町の雑踏を見る。

 すれ違っていく妖怪の群れを。

 

――……。

 

 視線(・・)を男の方へ向けながら、前を向いたままに話す。

 

「言いたいことはわかりました。けれど、何故私に声を?」

「先ほどの礼ですよ。おかげで助かりましたってね」

 

 その脳裏に浮かんでいるのは、先ほどの鬼と別れる場面。

 別れ間際の会話と情景。

 

「……私は何もしてませんよ」

「いえいえ、こっちが勝手に礼をするだけです――元々の仕事のついでにね」

 

 嘘ではない。

 それは読み取れる。

 

「その仕事というのは?」

 

 浮かんでいるのは、えらく柄の悪い大男。

 多分、それが男の言う仕事の依頼主……何故だか恨みがましい感情を向けているのが伝わってくるが、一応、友人なのだろうか。

 

「人探し――ちょっとした代理人探しです」

「それは……」

 

 本当だ。

 そして、その対象として。

 

「観察と探索……そのついでにその妹さんってののことも探しときましょうか?」

 

 互いに利益のあるものとして……・例え、男の方の仕事ととして無駄骨となっても別に構わない。それで一つの可能性を潰すことが出来る。

 多少の損得勘定はあれども、そこに私を害するような悪意は無い。

 

 そんな、感じと推察(・・)できた。

 

「助かります、けど……」

 

 しかし、信用してもいいのだろうか。

 いくら悪意を感じられないとはいえ、こんな読みづらい人間を。

 

――けれど。

 

 妹を探すには確かに誰かの手伝いが必要だ。

 私一人の手ではここは広すぎる。

 

――見つけようとしても見つけられない……それなら、偶然に頼るしかないのだから。

 

 それに出会う可能性は、数があった方がいい。

 これも一つの縁かもしれない。

 役に立たなかったら、役に立たないで放り出してしまえばいい。

 そう考えて――

 

「利用するだけ、したらいいですよ」

 

 私の思考を先読みしたかのような言葉に驚いた。

 びくりと僅かに肩が震え、それを感じ取った男が緩く笑む。

 

「こっちはついでの探し物……見つかったら報告しますし、見つからなくても責任は無い。手がかり探しのついで要員として扱っておけばいい」

 適当に待ち合わせだけを決めとけば情報が手に入る。

 

 そう思っておけばいい。

 

 男はそう考えて、そう話している。

 正直に。そのままに。

 

「……」

 

 男の考えが余計に訝しく感じてしまう。

 その、大元を視ているのだから、それが信用できると判っているはずなのに――何処か胡散臭い。

 

 判っているのに、掴めない。

 

――底が……。

 

 浅いのか深いのか。

 底抜けなのか底無しなのか。

 

 理解まで、及ばない。

 

「――お願い、します」

 

 それでも、その手を取ることにしたのは――。

 

――何かある。

 

 男のその不透明な隙間の中に、何か、私たち(・・・)の好む何かが垣間見えたような気がしたからだろうか。

 

 人の感情。

 心を読み、それを知ろうとする私たちの原動。

 その中でも一番『らしい』ものが、そこには沈んでいるように視えた。

 

――ほの暗い、とても簡単な、おかしなもの。

 

 解らないけれど、知っている。

 見通せないけれど、視たことがある。

 

「ご助力ください」

 

 そんな、僅かな香りに『惹かれる』ものもあるかもしれない。

 そう考えて、私は頼むことにした。

 この土地に来て間もない私たちの僅かな助けになるかもしれないという望みに賭けて、少なくとも、嘘はついていない男の言葉を――一応と、使うことにした。

 

 今度はちゃんと、その両の目を男に向けて、小さく頭を下げる。

 男はにこりと笑って「了解です」といって立ち上がる。

 

「そんな畏まらずに――期待はしないでください」

 ただ、手伝うだけです。ついでにね。

 

 そう軽い調子に嘯いて、それでも、心に留めている。

 薄く柔い――胡乱な決意。

 

 妙な……おかしな光景を、私は視ている。

 

「さて、それじゃあ。とりあえず歩きながら話を聞きますか」

 

 男はこちらを先へと促した。

 進む方向は都の中心の方、人通りの多い方向。

 

「あ、こっちはただの使いっ走り。それ以上でもそれ以下でもないいちの通りすがり――そういうことで、宜しくお願いします」

 

 もう一度、強調するように言って、ちゃんと守ってくれるようにと、念を押すように片手で袖の内側を指す。

 そこにあるのは、先ほどの。

 

「……わかりました」

 

 自らの弱点を曝して、男は笑んだ。

 油断も隙もありながら、少しのことでは揺るぎそうに無い性根を覗かせる。

 

――不思議な、よくわからない人間ね。

 

 そんなことを考えながら、前へと進む。

 妹のことを先程より詳しく説明しながら歩く。

 

「ほうほう」

 

 そこにあるのは、妖怪の気配(・・・・・)を纏わせる、おかしな人間の姿だった。

 

 

 

 

 

____________________________________

 

 

 

 

『面白そう』

 

『楽しそう』

 

『何か起こりそう』

 

 

 気づいたら、私の足は向いている。

 気づけば、私の心は歩いている。

 

 

『行ってきます』

 

 

 そう言ったつもりで、出かけてしまう。

 ふらりふらりと、私はどこかへ。

 

 

 

 

 





 地獄巡りと、調子の狂いに進む老人。
 幸運訪れれば揺り返しを気にする日常譚。


 そんな感じ、ということで。


 明けましておめでとうございます。
 どうぞ今年も宜しくお願いします。

 読了ありがとうございました。


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