東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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順行地獄巡り

 

 

 ドゴンと、大きな音が響き渡った。

 落ちてきたのは、一つの影。

 

「……」

 

 一寸手前まで歩いていた場所に、大穴が空いていた。

 

「――あなたは?」

「なあに、ただの見張り番さ」

 

 落ちてきた影――それを起こした存在。

 それは、女性らしい起伏にとんだ体つきに、長く伸びた黄色の髪、平常以上の大きめの背格好をしているが、きちんとそれなりの格好をすれば、きっと栄えるだろう姿形をもつ端麗な容姿を持つ妖怪。

 その美しさと謀略をもって人を誘って騙すのか――いや、その顔に浮かぶ好戦的な暴虐の笑みと気風よさげな豪放な態度がそれを否定している。

 

「こんなところに人間がいるなんてねぇ」

 

 面白いものを見つけたという態度で、持ち上げられた口角から覗く鋭い犬歯。人のものには見えない、何かを食らうための形。

 

 そして――

 

「こっちこそ――山の支配者殿がなんでそんなことを?」

 

 かきあげた髪の間、その額から伸びるのは堂々たる一本角。それがある限り、畏れられこそすれ、彼女にそんな気を抱く者などいないだろう。

 

 その前に、震え上がって縮こまる。

 

「ちょっと酒代稼ぎにね……地底の酒は少々割高なんだ」

 

 鬼の象徴――まっすぐと伸びた一本の角がそこにある限り。彼女は、その象徴なのだ。

 

「ほう……鬼がきちんと金を払って呑むぐらいなら相当なもんでしょうね」

「おや、いける口かい? なら丁度いいね」

 

 腰にぶら下げられていたやたらと大きな酒甕を見せつける。それは彼女は『らしい』妖怪であることの照明だろう。

 勿論、その中身は――

 

「一丁、この酒をかけて一勝負と行かないかい? 罪人の獄卒ってだけじゃどうにも身体がなまっちまってね」

 

 拳と拳。

 右手と左手をごつんと叩き合わせて彼女は笑う。

 手首の鎖ががしゃりと揺れる。

 

 それが全て。

 

 

 彼女は――堂々とした『鬼』振りでそこに立つ。

 

 

「ご遠慮……願いたいんですがねぇ」

 

 牽制。試し。

 それにしては重すぎる一撃として削られた地面。

 円を描いた衝撃痕。

 

「そりゃあ無理だ」

 

 それを避けた自分の動きを見て……彼女の表情がとても嬉しそうに歪んだのはわかっていた。分かっていても、避ける仕方がなかった。

 

 それを見極めた攻撃だった。

 

「――人拐いは、鬼の性だろう?」

 

 そういう建て前。そういう理由付。

 闘うための大義名分。

 

 そのために作られた鬼の理屈。

 

「拐かされるのはもっと美人さんの方がお似合いですって――こんな色気もそっけもないが我楽多なんぞ」

 

 言い訳を盾にかわしてしまおうにも。

 

「じゃあ、妖怪らしく人喰いといこうか」

 

 逃げ口上の通じぬ相手。

 

「味もそっけない骨と皮だけの老人ですよ?」

 

 自らの欲求に従って。妖怪の本分に従って。

 笑み(おに)を浮かべて――

 

「そりゃあ」

 

 腕をぐるりと一回転。

 拳を握る。

 

「いい出汁がとれそうだ」

 

 遊び相手を見つけたと。

 人で遊ぶと決めている。

 

 もはや、頑と動かない。

 梃子を踏み抜き譲らない。

 

「……」

 

 息を吐いて、目を瞑る。

 開きなおして向き直る。

 

「……まったく」

 

 最近は、すっかり慣れてしまった意識の切り替え。

 こきこきっと首を曲げ、背中に縛った荷をほどけぬようにきつくと縛る。

 

 そして、一言。

 

「――らしい、鬼だ」

 

 もう一息ついて諦め調子。

 仕込んだ札を右手に掲げ、特別製のそれを左手に握る。

 

 見せかけと本音の構え。

 

「それではまあ、人間らしく」

 

 威嚇の笑みと威勢の言葉。

 取り繕いとやけっぱち。

 

 きれいに全てを押し込んで。

 

「必死に、抵抗してみせますか」

 

 

 いつも通りと覚悟を決めて、やる気なさげに嘯いた。

 

 

 

 _______

 

 

 

 

 

「地底の大洞穴?」

「ええ、そうよ」

 

 三途の河での一件を経てから数日後。

 死神親分を仲介としてのあれこれのやり取りを終えての一服に、我が家での食事を愉しんでいた。そこににゅっと沸いて出たのは、やはりというべき隙間妖怪。今度は一体どんな悪行を働こうというのか。いや、この身の平穏を乱す輩を許すわけにはいかぬ。全力で、逃げきってみせたい。そのためにも……。

 

 次号の隠居翁逃げ口上の大活躍にこうご期待。

 では、また来世で。ご縁があれば――

 

 

「……・ということで、まあ、厄介ごとは勘弁ですよ」

「何がと、いうことよ?」

 

 何となく後を引く芝居のような幕引きを演じて、どうにかこうにか降りかかる災難を後回しにしようとする思考感覚――どうやら、大分疲れているらしい。

 逃げ切れないことは想定済みのところに、自らの弁え加減が何となく出ている気もするが、少々危ない。

 

――最近、休む暇もないくらいに色々とあったですしねぇ・・・・・。

 

 年寄り染みた息が出る。いや、年寄りなのだが。

 

「いや、まあ特に意味はない」

 

 よくわからない戯言を呟いてしまったのも、まあ、仕方がないだろう。最近はいろいろ立て込みすぎていたのだ。

 まだ、惚けてはいない……はずだ。

 

「なんなのよ一体?」

 

 おかしな対応に首を傾げる紫。

 川魚と山菜をよく煮込み、少々の薬草と塩や鷹の爪などで味を整え、いい具合に味と薬効を両立させた鍋料理。それを口に含み、はふはふと空気を加えて冷ましながら嚥下する。

 急な来客によって途中から割り増したにしてはなかなか上手くいった。少し味を濃い目にしておいたし、一緒に作った粥も、腹の足しと舌休めにて箸を進めさせることになるだろう。最後は勿論、合わせての雑炊である。

 

――まったく、苦労させてくれる……。

 

 先に連絡ぐらいはくれてもいいだろうに……そのくらいの能力は十分に持っているというのに、やはりと前の知らせはない。晩酌まで持参するくらいの余裕もあったというのに。

 

「良いわねぇ。燗に合ってて美味しいわ」

 

 隣でほっこりと頬を染める幽々子。

 一緒にやってきて、食事を要求し、酒を温めさせて――とても幸せそうだ。

 人の苦労も知らず、まったく、どうにも図々しい客分二人である。

 

 そうほろりとした気持ちに目頭を押さえながら一口。

 

「む……」

 

 温められた酒が程良い暑さと甘み――そして、香りを運ぶ。身体の芯まで届き、熱されてなお、風味を少しも損なうことのないしっかりとした輪郭を持っている。

 含まれた熟成の時間は余すことなくその味を高める方向へと向かっており、他の無駄は全て省かれ、ただ、酒としての価値だけを高めている。

 この濃度と味は――

 

「二十年もの、くらいか」

 

 そう当たりをつける。

 

――……。

 

 いやまあ、つまり……そのなかなかに良い酒が惜しくて門前払いにし損なった自分がここにいるわけだが――一応のところは、後悔はない。

 

――うん。若いもんの世話を焼くのは愉しいもんです。

 

 いつも通りの言い訳……・をしてみるが、こちらの嗜好が徐々に把握されてきているという気がしないでもない。少しばかり隙を見せすぎていて、なんだかうまく使われているような……。

 

――まあ、悪いことばかりではない、か。

 

 持ちつ持たれつ。

 同じように、こちらも相手の弱い部分をいくつかは覗いてきているのだ。化かし合いの利用し合いも身内内での通過儀礼。無害なじゃれあいの類である。

 何より、良い酒を飲む機会は増える――はずだ。

 

「……まあ、いいわ。とりあえず、そんな場所があるのよ」

 

 そんな残念な爺さんの思考はさておき、話は進む。

 お流れにならないということは、一応、伝えなければならない用事ではあったのだろう。

 のんびりと杯を傾けながら、その話題を聞くことと――

 

「あなた、ちょっとそこで仕事をすることになったわ」

「うん?」

 

 口に運ぼうとした杯が中途のところで止まる。

 沸き立つ湯気が視界を横切る。

 

――仕事……?

 

 聞き捨てならない言葉。

 

「あら、そういう話なんじゃなかったのかしら?」

 

 寝耳に水の話にあげた疑問の声に――「あれ?」という顔をする紫。どうやら、当人自身が仕掛けた趣向のものではないらしい。

 ということは――交渉に行っていた相手の方。

 

「いや、確かに仕事は請け負ったが……」

 

 地獄庁――大将を通して交渉相手。

 そのやりとりのために扱ったのは……技術提供という話だった。

 仕事の効率を高めるために、ある技術の確立するためのを手伝いをする、という話であったはずだ。既にその要旨は口伝と写し紙によって伝えて、確かに対価は払い終わったはずなのだが……。

 

「でも……藍」

 

 首を傾げるこちらに、紫は扉を開き、何処かで何かの作業を行っていたのだろう自らの式を呼び出す。そして、一言二言を伝えて、何かの紙包みを受け取った。

 

「はい、これよ」

 

 それをそのまま渡され、中を開いてみる。

 内側にあったのは、豪快な達筆で書かれた伝え書き。

 

 内容は『酒代と交渉料の分の奉公を要求する……報酬として三途の河産の名酒を送っておくのでご勘弁を』。

 

 それだけの文字。

 その下にはするべき仕事――多分、自分に下されたのだろう仕事の横流し。面倒くさくなって押しつけてきた厄介事。

 

 それを確認し――

 

「なあ……その酒」

「お土産にって渡されたわよ。一緒にどうぞって」

 

 いつもと違って悪意のない表情でご愁傷様、と事情を察した妖怪さん。普段にはない心遣いが身に染みる――が、急いで残り少なくなってきた酒を自分の杯に注ぎこんだのは見逃さない。

 

「……残り全部、こっちのもんですよ」

 

 そんな「えー」とか口を歪めても許さない。

 それくらいはもらっておかないと割に合わない。酒には妥協しない。それが己である。

 

――というか……。

 

 あの悪たれ死神は、体よく己仕事を押し付けたいだけだろう。こちらが逆らいにくい状況であることを利用して、それを口実とするつもりである。

 まだ、結果が出ていない内に。

 

――ああ、くそっ……。

 

 今度あったら問答無用でぶん殴……いや、あの喧嘩好きは活き活きと殴り返してくるだろう。もっと陰湿に――いつでも居場所がわかる術式でも仕込んで部下に渡しておくか。仕事中に酒を呑めば問答無用で電流が走る(警笛つき)仕掛けにでも造ってやるか……いくら呑んでも酔えないようにしてやるのもいい。

 とりあえず、ただではすまないように軽い嫌がらせか呪いでもぶつけてやる。

 そんな僅かな悪意が頭を巡る。

 

 せめて――己一人に酒を渡しておくべきだろうに。

 

「地底なんて面白いものがありそう。お土産お願いね」

 

 そんな暗い想いを浮かべたところに、幽々子の無邪気な要求……というか、亡霊になってから本当にちゃっかりとした感じになってきたような気がするのは気のせいだろうか。生前鬱屈としていたための弊害か、それとも元々はそんな性格だったのか。

 どちらにしてもこの残りの酒を譲る気はない。こっそりと人魂を使っても無駄である。

 

「紫様……そろそろいっても宜しいでしょうか」

 

 そんながっくりとする状況が嫌になったのか。軽い嘆息をつきながら苦労性の式が疲れた声を出した。

 きっとまだまだ仕事が残っているのだろう――何をやっているかはわからないが、きっと性質の悪い主による性質の悪いお仕事だ。

 今の自分と重ねて余計に同情してしまう。

 

「帰るならお勝手の方に団子があるので持っていってください。稗田のお嬢さんから戴いたんですが量が多くて」

「あら、私たちの分は?」

「ちゃんととってありますって……」

「じゃあお茶も用意しないと」

 

 そんなことをいいながら勝手所の方へとふよふよと飛んでいく幽々子。

 手伝うわ、といいながら隣に並ぶ紫。

 

 仲のいいことである。

 

 その後ろ姿を見送って――

 

「――お疲れ様です」

「――こちらこそ」

 

 ぺこりと一言。

 皮肉にもなっていない互いの労いに苦笑いを交し合う。

 

 

「はあ……」

 

 溜め息もほとんど同時。

 悲しいぐらいに気が合っていた。

 

 

 

____________________________________

 

 

 

 

「……はあ」

 

 主が出かけた後のがらんどうの部屋。

 その茶の間でゆっくりとお茶を啜る。

 

――流石に疲れたわね……・。

 

 しばらくの期間、張り続けていた糸を緩め、だらんとだらしなく身体を投げ出した。

 傍から見ればはしたない格好にも思えるが、今は自分しか居ないのだからいいだろう。それもこれもあの男が作っている妙に人……人妖共に落ち着かせてしまう雰囲気が悪いのだ。当の本人が居らずとも、この適度に片付けられ、適度に散らかされている調度の具合がそれを冗長させる。

 

――まったく、何者なのかしらね。

 

 ただの長生き老人。無害で平凡な隠居翁。

 何処にでもいる凡庸な人間。

 よくあの男はそんなことを口にする。

 自分はなんでもない――ただ、長く生きてきただけの人間だと。

 

――そんな訳がないじゃないの。

 

 天界から地獄まであらゆる所に知り合いがいて、人妖、神や亡霊……・種族に問わぬ友人を作り、千年以上をも生きた天人や仙人以上の記憶と知識を持っていて、この時代何処を見回しても存在しないような技術を知っている。

どこにそんな一般人がいるというのか。

 成り立ち方が真っ当とはいえない妖である己にとっても、その存在はおかしさを感じるものなのだ。

 

「本当に、よくわからない人間」

 

 本当に人間なのか。

 そう考えてしまうほど、おかしな生き方をしている。

 そして――

 

――友人……。

 

 いつの間にか、本当に大切なその一人となっていた。

 欠けさせてしまうには、随分と比重の重い――長い長い付き合いとなってしまっていた。なくなってしまえば、一つ穴が空いてしまったと思ってしまうだろうほどに。

 

――けれど……。

 

 それは、嘘ではない。

 そうなのだけれど。

 

――私はあの人間(・・・・)のことをほとんど知っていない。

 

 漏れ聞いた記憶。

 溢した言葉の数々から、その(きざはし)ぐらいには手は届いただろう。けれど、その本当の芯の部分には、まだ少しも触れていない。

 

「過去、記憶……思い出、歴史」

 

 よく口にされている男の切れ端。

 今まで得てきたもの――失くしたものの数だけ、男は変わり続けてきたのだろう。ただの人間という言葉が、飾りとなってしまうくらいに。

 長く、続いていた。

 

「その中心は、一体何だったのかしらね……」

 

 彼は生きてきたのだ。

 気の遠くなるような――何もかもが磨り潰されてしまうような年月を、それでも、人として。

 

 その理由となったもの。その心をつくったもの。

 その覆いを外す鍵が――今回のことで、僅かに見えた。

 

――せっかく、その手がかりを見つけたのだから。

 

 友のため。友愛のために自らの一部を差し出した。

 線を超えて、初めてその手の内を晒したのだ。

 

「隠してはいない――けれど、話してもくれなかったもの」

 見えてはいる。けれども見通せないその先を。

 

――……。

 

 探ってみるくらいは、良いだろう。

 元来、私は人を眺めているのが――その隙間を眺めているのが、好きなのだ。

 

 その混沌とした心の皹を。その懊悩とする想いの疵を。

 

 それを知るからこそ、誰かは誰かを愛しく思う。

 

 自らと重ねて。自らと比べて。

 距離を決める。境界を決める。

 近づくために。遠ざけるために。

 

――『わからない』を『知ろう』とする。

 

 妖としての本能。人としての感情。

 

 伸ばせば届くかもしれない。

 なら、手を伸ばすのが私という存在。

 

「……」

 

 猿猴捉月。水面に写った月に手を伸ばす愚か者。

 けれど、そんな幻想から生まれた存在ならば、その手は届くのかもしれない。幻が幻に触れるなど、私たちにとってはよくある常のこと。

 当然の不思議。

 

「偽物も本物も……愚者も賢者も等価値を持つ、幻想の世界ならば」

 

 夢も叶うのだろう。

 人の夢を描いた、儚い幻影の私たちならば。

 

「……さて」

 

 これから始まる一つの節目。

 その準備のためにも英気を養っておかねばならない。

 

――どこかに秘蔵のお酒でも隠してないかしら。

 

 しばらく家主が帰ってこないその間にちょっと探してみようかと、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべた。あの道楽翁が隠している一品ならば、相当のものだろう。

 

 気持ちを高めるためには、十分すぎる。

 

「ふふふ……」

 

 

 悪巧みは、愉しいもので。

 私は、楽しげな企みを頭に巡らせていく

 

 

 己の望みのままに。 

 

 

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「――ったく」

 

 人の悪巧みに巻き込まれるほど面倒なことはない。

 折角の一時の安らぎの時間すらそれに奪い取られて、どうしようもなく走り回ることとなる。

 先々の予定も、これでほとんどとおじゃんというものだ。

 

 溜め込んでいた積み本も読めないし、誘われていた宴会にも顔を出せない。試してみようと思っていた新型術式の実験も出来ず、色々と研究を重ねようとしていた調理法の習得にもまた時間がかかってしまう。

 明日やろう明日やろうと思っていたことが、本当に後でしか出来なくなってしまうのだ。やるかどうかはまだわからなかったとはいえ、完全に出来なくなってしまうのは、どうにも気に食わないものである。

 人間、そういうものだ。

 

「せっかく、これの改良もしてしてやろうと思ってたのに……」

 

 懐に入れてある包みも、心なしか重く感じてしまう。

 元々はあの時(・・・)の状況を打破するために作っていたものだったとはいえ、捨ててしまうには惜しいぐらいには完成していた。急ごしらえであった部分をなんとか改造し、上手い具合に補助用具として使えるように持っていくつもりだったのだが。

 

――まだ、試用としてすらいないですしねぇ……。

 

 とりあえず、明日、裏の森辺りで扱ってみようかと思っていたが――どうにも間が悪い。上手くいかないものである。こうも、暇がとれなくなってしまっているのだ。

 

――まったく、面倒ごとに首を突っ込んでますねぇ。

 

 そろそろ腰から下がどっぷり嵌り込んでしまったぐらい、深く深くのめりこんでしまっている様な気もする。自業自得ではあるが、よくここまで深く入ってしまったものかと、自身としても感慨深い。

 

「八雲のに……」

 

 そこまで立ち入った仲になるつもりはなった。

 長く付き合うことにはなるとは思っていなかった。

 

「幽々子嬢、と」

 

 少し手を貸す。少々の借りを返す。

 知り合い――友人としての縁として。

 

 その程度の気まぐれ。

 

――それが、随分と……。

 

 深い縁となったものである。

 

「……」

 

 自分の身を削ってしまうぐらい。

 枷した鎖を解いてしまうくらい。

 

 失くしたくないと、思ってしまった。

 

――居心地も……いいですしねぇ。

 

 それなりに大事なものとなってしまった。

 背負ってしまった記憶の方が多くなってしまった。

 

 どうにも――捨てるには惜しいと願ってしまった。

 

「――まったく」

 

 往生際の悪い老人だ――と、もう一度、悪態をつくように洩らす。この年になってまだ、根っこが枯れていないとは、しつこいものだと。

 

 存外、気分は悪くないのだが。

 

「――ふぅー」

 

 息を吐いて思い起こす。

 あれこれと降りかかった幸運とも災難ともいえない数々のこと。

 

 紫の妖怪と出会い、幸運の兎に導かれ、花の妖怪と言葉を交わし、神々の対決を見物し、旧月と再会し、火の鳥落とし、儚き桃色を眺め、闇に囚われ、鬼と喧嘩し――この幻想の地にて、記憶の書へと目を通した。

 この小さな島国で出会ったことだけでも、随分と揉まれたものだ。己の中にも、印象深く挟み込まれてしまっている。

 

「最近はどうにも……面白いことがあり過ぎますねぇ」

 

 この何千年かは本当に充実しすぎている。

 こうして考えると、何かの物語の主人公としてもやっていけるんじゃないかというぐらい、妙な巻き込まれ加減だ。きっと眺めているだけなら随分と面白い見せ物だろう――いや、あんまりにご都合的に動きすぎて駄作なってしまうのだろうか。

 

――まあ、こんな訳のわからない真似ばっかに巻き込む書き手なんぞがいれば、ぶんなぐってやりたいもんだが……。

 

 少しは休ませてほしい。

 切実に、そう願う。

 

 そんなことを考えていて――

 

「――あー」

 

 思考が訳の判らない方向へととっ散らかっていると気づく。

 自分でも何を考えているだかが滅茶苦茶だ。

 

「まったく……」

 

 三度目の呟きにだらりと額に垂れた汗を拭う。

 着物に染みこんだ汗が随分と重い。

 

 それもこれも全て――

 

「――暑い」

 

 この茹だるような灼熱のせいだ。

 進めば進むほど暑くなっていく道程に、今にも心がめげそうになっている。魂も、暑さを忘れようとそこらをぼやっと身体を残して散歩にでもでかけてしまいそうだ。

 そこに留まっていることだけでも辛い。嫌になってしまう有様である。

 

――何か、考えこんででもいないと……。

 

 すぐに中てられてしまう。

 そういう暑さ。

 

 水符や風符。霊力やら術式やらで補助をして随分とはましになっているのだが、それでも辛い。外はまだ涼しいか肌寒いかといったぐらいの気温であった分、余計にそう感じるといったところだろう。

 

「流石と地獄……灼熱の責め苦でその罪の重さを実感させる、とね」

 

 そのとばっちりとして少々ひどい目にあっている自分だが――まあ、今までの行いを省みてみれば、それなりに悪行やら非道やらも行っているような気がしないでもない。今の内に少しぐらいは支払いをしておかねば、いざ地獄行きとなったころには既に破産していてもおかしくない。

 これは、その先のための償いとして。

 そう思えば、少しぐらいは耐えられる。

 

 長生きしている分、気だけは長くなったものだ。

 

――まあ、向かうのは地獄のもっと手前……これ以上暑くなることはないだろう。

 

 真夏の少々厳しいぐらいの暑さ。

 それに吹き上がる蒸気が混ざってじめじめとした気質になったという程度――辛くはあるが、耐え切れないほどではない。

 

「――溶岩煮え立つ細道の逃避行よりは随分とましってもんだ」

 

 息をするだけで火傷しそうなほどの地獄ではない。

 それなら大丈夫だと――やせ我慢。

 

「ここで、また悪いことでもおきりゃあ……本気でぶん殴りにいってもいいってぐらいのもんですがね」

 その作者とやらを。

 

 そんなことをぶつぶつと呟きながら歩く。

 傍から見ればおかしな存在。

 

――ずっと昔から変わらない。

 

 おかしなおかしな存在だ。

 

「……・ずっと、壊れない」

 

 無意識に、紡いだ言葉。

 浮き上がったのは埋没した感情の泡沫(あれそれ)

 

「それも―――」

 

 何故、こんなことを考えているのだろう。

 こんなこと、もうとっくの昔に考え飽きたことだ。ずっとぶら下げていて、慣れきってしまった平常の疑問を、いまさら考え直すこともない。意識せずとも、いつも何処かで少しだけ考えている。

 それだけで十分。

 答えの出るものではない。扉を開ける必要はない。

 

「――随分、おかしな話だな」

 

 なぜ、こんなことを考えてしまっているのだろう。

 考えようとしていないのに、思索に沈んで――どろどろと舞い上がる。底溜まった泥やら砂が、ぶくぶくと泡を吐く。

 

「……」

 

 らしくない。

 けれど、いつも何処かで考えていたものでもあるもの。それがまるで、何かに先導でもされているかのように己を巻き込んでいく。

 ゆるゆる止まらない。ぐるぐる引き込まれる。

 からからと絡まって、くるくると転がって――『誰かに呼ばれている』。そんな感じに、振り向いてしまう。

 

「勝手に――連れていかれる」

 

 そういうもの。

 いつのまにか、そうなってしまうもの。

 

 こういう感覚を指すものが――もしかしたら、運命だとか宿命だとか呼ばれて、世界の意志なんて名付けられるのかもしれない。

 

 それほどに、止まらない。

 

――だとすると、今度は……・。

 

 もし、そんな存在がいるのだとしたら。

 もし、その方向へと導くモノがあるのだとしたら。

 

――一体、何をさせる気なのかね?

 

 誰かがその物語を作っている。

 何かが己の行動を決めている。

 

 そうなのだとすれば。

 

――こんな登場人物を造った変わり者の作者さんとやらは……何を考えているのやら。

 

 ありえない仮定。証明できるはずのない仮説。

 覗けるわけのない答え。

 

 けれど――

 

「本当にぶん殴ってでもやりたいですねぇ。そんな人を苦しめて喜んでいるような大馬鹿野郎は」

 

 それでも、時々考えてしまうもの。

 

 

 そして

 

 そう。呟いたのが悪かったのだろうか。

 

 

「――そこにいると、危ないよ」

 

 

 小さな呟きと共に――落ちてきたのは、やはり災難だった。

 

 

 

 

 





 
 読了ありがとうございました。

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