東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

33 / 59
春眠る

――嘘をつく。

 

 理屈に合わず。理に乗らず。

 

――騙しきる。

 

 常識に外れ。道理を無視し。

 

――そう思い込む。

 

 周りの人間を

 辺りのすべてを

 自他共に

 

「信じるも信じぬも八卦」

 

 そうやって作り上げる世界。

 そうして創りだす形象。

 

「描かれた幻想を、現実に」

 

 説明できぬ力。理解できぬ現象。

 

――夢も現も……。

 

 そこにいるのが妖怪。

 そこにあるのが不可思議。

 

 自分という存在も

 

「――どう生まれようが」

 

 現を夢に

 夢を現に

 

 己の意志でねじ曲げる。相手の遺志を否定する。

 

「わざわざ、そのまんまに生きてやる必要はない」

 

 道を外れ 日常を越えて。

 誰とも違い 何者なれず。

 

「死んでやる義理もない」

 

 非日常に生きている。

 道理外れて生きて――やる。

 

「――そうでしょう」

 

 

 そう嘯いて――

 

 

 

 

____________________________________

 

 

 

 

 失う可能性。

 得られる可能性。

 

――よくある話だ。

 

 ぎりぎりの状態も。絶体絶命の状況も。

 

――どうにかこうにか乗り越えてきたもんですよねぇ。

 

 煙に撒いての有耶無耶な誤魔化し。

 あるもの全部を使っての猫だまし。

 

 つまりは――

 

「――はったり」

 

 保証も何もありはしない。

 嘘でも本当でもないただの幻想。

 

 運次第の神様任せ。

 引き分け狙いの泥沼頼り。

 

「それでも――」

 

『勝手に世話をやいてやる。それが年寄りの役目だ』

 生かされた記憶が叫ぶ。

『生きてほしいと、想う。それが友達ってでしょう』

 届かなかった想い出が笑う。

 

――こっちこそ嫌だ。

 

 独りでいくのは辛いから。

 独りぼっちは悲しいから。

 

「不幸も幸福も等分に――一緒くたにして・・・・・」

 

 あの時届かなかった手を伸ばす。

 あの日の後悔を振りきるために叫ぶ。

 

「背負わせてやる」

 

 盛大な嫌がらせ。

 老人の理不尽な我が儘。

 

 手前勝手な八つ当たり。

 

「――!!」

 

 声にならない叫び声をあげ

 

「――幽々子!」

 ごうつくばりな妖怪隣に並べ

 

「幽々子さま!」

 主の意志を無視した侍を前に置き

 

「――……」

 

 望みを果たそうとする少女の邪魔をする。

 

――どういう話だ。

 

 とんだ滑稽話に笑みが浮かんだ。

 この世の中にはこんな勝手なやつらしかいないのかと愉快になった。

 

 そして――

 

「もう少し、今世を楽しんだっていいだろう」

 どんな形でも。

 

 

 心からそう思えた。

 

 

 

――だから。

 

 

 

 

 

 そういう、夢を見た。

 

 

 

「うん……?」

 

 上品に整えられた調度が飾られた一室。

 風通しに開けられた襖より吹き込む一陣の音響に目が覚めた。

 

――ああっと……?

 

 少々、錆びついている頭。

 どうやら自分は布団でぐっすりといった具合に眠りこけていたようだが……その前後の経緯が中々浮かび上がってこない。寝ぼけているのか……とうとう惚けてしまったのか。

 どちらにしても、今の状況が掴めていないのは確かだ。

 

――とりあえず……。

 

 動き出そう、そう思って――

 

「――うぐぁっ」

 

 胸の上に圧し掛かる掛け布団をのけ、上半身を持ち上げようとしたところに――鋭い痛み。

 

――痛っ・・・・・おもっ……。

 

 まるで電流のように身体中に広がる刺激。

 筋繊維全てに鉛を仕込んだかのような重量感。

 

「ぬぐ……あ、が・・・・・」

 

 その感覚に身じろぐ反射の動きにさえも連鎖的に襲い掛かる(いたみ)の群れに思わずうめき声を上げる。

 

――な・・・・・に、したんだっけかな。俺は?

 

 一夜にして壊れた人形のように成り下がった己の身体。

 一体どんな状態になっているのだと、そのえげつい感覚に耐え、必死に意識を集中して、どうにかこうにかと身体を起こした。

 

 そして、改めて自分の身体を見直してみると――

 

「うわー……」

 

 傷だらけ――というよりもすでに、傷んでいないところがないといったぐらいに燦々たる者だった。

 

――こりゃまた……。

 

 切り傷、骨折、擦過傷……そういった外傷はほとんどない。血は滲んでおらず、関節などの具合も大体のところで無事なもの。

 

 ただ、その内側が酷い。

 

――内出血に筋肉痛……霊力枯渇による疲労と栄養不足……。

 

 身体全体を何かが通り抜けたような――膨大な嵐が身体の内側だけを通り過ぎていったような状態だ。内々にあった調度品があらかた壊れ、部屋全体にガラクタが散乱し……主人はその災害にもむにもまれて憔悴しきっている。

 立て直すにしても片付けるにしても、これはかなりの日数をかけないとだめだろう。

 そのくらいは回復に充てないとまともには動けない。

 

――骨組みが残ってる分まだましってもんだが・・・・・。

 

 屋根ごと全部張り替えのようなものである。

 回復するための準備を整えることの方に時間がかかるくらいだ。

 すっかり乱れてしまった身体の波長から治さねばならない。

 

――どんな無茶を……。

 

 そう考えていたところに、がらりという音。

 

「――あら、起きたの?」

 

 部屋の内側。

 奥へと続いている方の襖が開き、そこから良く知った顔が覗いていた……それを見ると同時に、少しだけ浮き上がる(きおく)

 

「――ああ」

 

 薄紅に染まる雪。

 月の灯りと舞い飛ぶ蝶。

 

 死に向かう少女。

 

「――おはようさん」

 

 合点がいって、目を細めた。

 

 疼く腕を持ち上げて、何故だか握りこんだままだった拳を広げてみると――くずくずになった紙片と乾いた花片が塵となって飛んでいく……封印に使った札の切れ端と思わず握りこんだ花の欠片だろう。

 

「……何日寝てた?」

 

 その時から――それが終わってからずっと起きていただろう妖怪の少女に問う。

 

――そりゃそうだ……。

 

 あの時行った無茶な所業、現在の疲労具合……・それを鑑みれば、今この時があの夜の翌朝でしかないなんてことはありえない。そんなものですむはずがない。

 

 少なくとも――

 

「三日よ……」

 

 そのくらいは経っているだろう。

 むしろ、そんなものですむなら御の字だ。

 

――あの(・・)ときと比べりゃ……屁でもない。

 

 寝ている間に多少は回復できている。

 ずっと眠りこけたまま、衰えきった身体で動けなくなるよりは、ましというものだ。あれは――一度体験しただけでも地獄めいたものだった。

 

――それに比べれば……大丈夫。

 

 まだまだ眠り足りないという身体から漏れ出る欠伸。

 それを噛み殺して笑みを浮かべる。

 

「どうりで……身体が重いわけだ」

 寝すぎたんですねぇ、と無理やりに伸びをして――同時に打ちつけられた痛みという電流によって、「ぐぎゃう」という妙な奇声と共に崩れ落ちた。

 ……どうやら、このくらいの運動も今の自分には無茶なものだったらしい。強がろうとしたところに食らった予想以上の刺激に思わず悶絶。

 

「ぐぎぎ……が」

 痛みに耐えながら再び上体を戻し、なるべく身体に負担がかからない体勢に移行する。

 それだけでもかなりの労力を要し、精神力が削られる。

 

――ああー、年寄りにゃあ、きついもんだこりゃ。

 

 昔に経験したものよりもずっと軽いもの。

 けれど、かなりの久しぶりの体験にもなると妙に辛いものとなる。

 これも年かね……なんてことを考えながら相手の方を見ると――思いっきり笑いこけている少女の姿があった。

 

 しかも、二人も――

 

「ねえ、面白いでしょう?」

 こちらを指差していやらしく顔を歪ませる金髪の少女と――

 

「ほんとうね」

 くすくすと上品に微笑む桃色の髪をした少女。

 

 愉しそうに……嬉しそうに笑っている。

 

 とても人間とは思えないような白い肌をして、空気のように軽い身体を揺らし、辺りには漂う死霊を従えて――それでも、楽しく笑っている。

 

――……。

 

 一瞬。笑えばいいのか……悲しめばいいのかわからなくなった。

 今ここにいる彼女は――決して、そのままの彼女ではない。全てを掴み取れたわけでも、掬い取れたわけでもなく・・・・・ただ、己勝手な言い分に周りを惑わせ、無理やりにでもつなぎとめただけだ。

 

 その遺志に反して――

 

「おかしな人」

 

 逝くべきところに逝かせなかった。

 

 もう、彼女の中に想い出は残っていない。

 その宝物すら、一緒に奪ってしまったのだ。

 

「――まったく」

 

 それは恥じるべきことなのかもしれない。

 昔から、張り切ってしまうと失敗するのが己の常だ。らしくなく、間違い進めてしまうのが、己の恒常だ。

 

ーーそれでも、手を伸ばした。

 

 だから、ここまできて泣き言はいってられない。

 そのような、言い訳重ねて逃げ口上にはしていられない。

 

 己を進めて、己で背負う。

 己の分は、己で歩く。

 

「年寄りは労わるもんですよ。それを笑いものになんて……」

 片手で頭を抱え、片側の表情を隠すようにして、もう片方で口端を持ち上げた。

 

 気持ちを半分。後は、おどけ調子の道化を織り込んで、精一杯の笑みを送る。

 その罪に手を貸したものとして、その罪業の共犯者として――ここで笑わないわけにはいかないと、途中まではそう考えて……。

 

「ひどいお嬢さん方もいたもんだ」

 その少女が笑っていることを喜ばずにはいられないという素直な感覚に――そのまま笑う。

 

――嘘をつく必要もない。

 

 痛む身体を揺らし、引きつる腹に耐え――それでも、笑わずにはいられない。

 

「失礼なことをいうわね」

 口元に笑みを浮かべたままで頬を膨らます妖怪と

 

「あらあら、ごめんなさい」

 同じく笑んだままに謝る少女――その亡霊。

 

「まったく……」

 

 それに困り顔を浮かべながらも、口元は緩んでいる自分。

 とても歪で―――それでも全員が心から笑えている滑稽な空間。

 

 どれだけ理に反していようと、常識からはみ出していようと、今この瞬間を楽しめている自分たちに、きっと間違いはない。

 たとえ間違っていようと、自分たちには正解だ。

 

 今この瞬間だけは、正解なのだ。

 それでいい。

 

――年寄りは後のことなんて考えず・・・・・。

 

 残り少ない時間をどう楽しく生きれるか試行錯誤するのみ。

 

 そう思う。

 

 

____________________________________

 

 

 葉もなく。花もなく。

 その茶痩けた肌をそのままに晒す姿。

 

――あるべき、冬の姿……。

 

 その木を見て思う。

 

 やはり、あれは偶然にして起きた不幸な出来事であり、悪いときに悪いものが重なってしまった不運なめぐり合わせにすぎないのだと。

 

「――しかし」

 

 それでも、その不運を乗り越えて生きなければならないのが人生である。

 それでも、その不幸を呑み込んで進んでいけるのが人生である。

 

「お主にはすまぬかも知れぬが……」

 

 どのみち、あのままの状態が続けば歪みが起きていた。いずれは、外的にしろ内的にしろその存在を脅かす何かに呑みこまれていたに違いない。

 遅かれ早かれ、どうにかなっていたのだ。

 

 だから、それを自分たちの勝手な形に歪めた。

 それだけの話だ。

 

――悪いことをしたというなら、お互い様というものだろう。

 

 あちらはその美しき本性を奪われ――こちらは大事なものを一つ持っていかれた。

 お互いに失うものがあり、得たものもある。

 

 等分に傷ついて、互いに少しだけ譲ったという形。

 落とし所としては上々のもの。

 

「――といっても」

 

 結局自分は何もできていない。

 出来たのは、その時間を作ること……引き伸ばしていることしか出来なかった。

 

――情けない……。

 

 その少しの利をもぎ取ったのは、ずっとその隣にいた親友の少女とその命賭してでも責を果たそうとした男。血を流し、身を削っていたその者たちの、その盾となることぐらいしか出来なかった。

 その程度しか、出来なかったのだ。

 

――あの時……。

 

 己の剣は、蝶を斬った。

 死の権化、死の写し身であるその蝶の群れを、確かに切り払ったのだ。その二刀を持って、少しでも……ほんのわずかな間でも確かに。

 

 その時、思った。

 

「――未熟だったのは、儂自身。この老いぼれの心根の方だったということだな」

 

 全てを切る。

 そんなこと、本当はいつでも出来たのだ。

 

「ただ……迷っていただけ。刀を振る理由を見つけられなかっただけ」

 

 主の想いに。主の哀しみに。

 その腕を振るっていのかを、心が迷っていただけ。

 

――覚悟があれば、死に惑わされることなどなかった。

 

 己の魂は剣に写る。

 その迷いは己を鈍らせる。

 

「――それを斬って……初めて自らを思い知らされた気分だ」

 

 呟く言葉はほとんど己自身に向けたもの。

 剣を振ってきた己の年月に向けた悔いの言葉。

 

 応えなど求めていない。

 けれど――

 

「なかなか深いこといってますねぇ……お侍さん」

 

 背中側から聞こえた声。

 

「何か掴みましたか」

 

 ゆるりと・・・・・少し疲れたような声で、男が現れる。

 足取りこそしっかりとはしているが、やはり、無理をしているのだろう。何処か覚束ない雰囲気がある。声も、動きも……いつもの余裕がない。

 無理をしているのがありありと判る。

 

「――もう動いて大丈夫なのか?」

 

 それもそうだろう。

 自分があの屋敷を出たときには、まだ目覚めてすらいなかった。

 あの後すぐに起きたのだとしても半日も経っていない。

 

「ええ、歩ける程度には……」

 特性の秘薬をちょっとね。

 

 そういって笑む。

 その表情に影はない。

 

「まだまだ寝ていればいいだろうに……わざわざこんなところまで」

 

 足労させたことへの詫びと労い……加えて、ここにくる必要もなかっただろうという意味を込めての言葉に、男は軽く欠伸をしながら答えた。

 

「――そうしたいのは山々なんですけどねぇ」

 

 うーんと呻き声をあげながら伸びをして、ぽきぽきと関節を鳴らす。

 年寄り臭い仕草で、年寄り染みた物言いで。

 

 それで、何かを覆うようにして――

 

「若いのが元気な手前……いい大人が寝たきりじゃあ格好つかないでしょう」

 

 ふざけた調子に笑う。

 

――変わらぬ……。

 

 釣られて少し笑みが浮かんだ――わずかに気分が安らいだ。

 こんな時でもこの男は変わらぬ調子なのだと、少しだけ、安心したような気分に……相変わらずだと、息をつくことが出来る。

 

「それで……こんなところでどうしました?」

 

 隣を通り抜けるようにして、その桜の木に近づく男。

 時折、何かを考え込むように目を細めながらその木に触れている。

 何かの確認か……自分が行ったことに対しての責任を考えているのか。この調子で、なかなかに義理堅く、気のつく男なのだ――そう、今は素直に考えられる自分がいる。

 

――云う通りかも知れんな。

 

 失いはしたが、それで理解できたことがある。

 何も出来ずではあったが、自らの腕の程を知った。

 

――これも一つの悟りというものか……。

 

 己の分を理解した。

 そういうことだろう。

 

「いやなに――」

 

 既に花びら一枚すら残らぬ雪の下。

 その下に眠る一つの身体。

 

「少し、己の身の上を考えていた」

 

 先代から仕え続けた主。

 長命な時間を捧げ続けてきた年月。

 報いようとし続けてきた自分。

 

「未熟だな」

 

 肝心な時。

 極限の状況が迫ってからでなければ、その腕を振るいきることすらできない。

 死におびえ、意義に迷い、若者のようななりの者たちに説教されて……やっと動けた。

 

「迷ってばかりだ」

 

 誰かの手を借り、自らの力を使いきり――主の命に逆らってでも掴もうとした。

 

 それでも、全てを守りきることは出来なかった。

 与えられた役を果たせなかったというのだから――

 

「情けない……。情けなくて涙が出るほどだ」

 

 悔しさ。後悔。

 

――違うか……。

 

 悔恨か。追憶か。

 どんなものかも判らぬものが胸に溜まっている。

 意味のわからぬものに囚われている。

 

――笑えばいいのか……泣けばいいのか。

 

 ただ、重い。

 それを正面で受け止められるのか――己は逃げてしまうのではないだろうか。

 

 それが、怖ろしい。

 

――まったく・・・。

 

 出会うこと。

 『再会』を恐れているなど、この歳になって滑稽で仕方がない。

 

「……・」

 

 地面に手を置き、その冷たさに浸る。

 この下に埋めた記憶を想う。

 

 弔いとして――そうやって迷いを誤魔化している。

 時を稼いでいるのだ。

 

 

「――ふむ」

 

 頷いた男。

 呆れたのか。納得したのかは判らない。

 

「――それでも」

 

 雪を掻いて、何かを置いた。

 何か微かに呟いたようだが、こちらまでは聞こえない。

 

「なんだ?」

 

 とんとんと柔らかくそれを埋め堅め、よっこらせと、と年寄り臭く立ち上がる。

 

「――昔の誰かがいってたんですけどね」

 

 思い起こすように目を細め、遠くを見るようにしながら――こちらを振り向き、口を開く。

 

「どんなに苦しくても――」

 

 その表情を隠すように、その片側だけを見せないように、片手で髪をかきあげるようにして。年寄り臭く――説教染みた口調で、言葉を造った。

 

「――大人(としより)が先に泣いてちゃ、子ども(わかいの)が安心して泣けないだろう」

 

 何かを真似るようにして

 何かを想い出すようにして

 強く。静かに。

 

 染みた言葉を言った。

 

「――笑えないだろう」

 

 深く言い放たれた言葉。

 らしくなく……いい終わったところで息を吐く。

 

――……・。

 

 少しの沈黙が落ち、その寒さの中に溶けていく。

 さくりさくりと、男が歩くたびに立てる音が辺りに響く。

 

 一瞬の静けさ。

 それを経て――

 

「――まあ、ここにいるのは大年寄……・ここで、我慢する必要もないっちゃないですがね」

 

 その姿はいつも通りのもの。

 冗談めかした雰囲気も今までどおり。

 

 先ほどまでの雰囲気など吹き飛ばして、男は笑う。

 

――ああ、そうか……。

 

 一瞬だけ奪われていた思考。

 その言葉の意味を少しだけ受けてとめて、やっと動き出す感情。

 

「――なあに」

 

 思い至ると同時に、言葉が出ていた。

 考え込む自分の柄ではない姿に恥じ入って――

 

「まだまだ、わしも格好をつけたい歳だ」

 

 強がりの言葉を使う。

 虚勢を張った笑いを使う。

 

「どうせ泣くなら……」

 

 拳を握り、背筋を伸ばし……刀を抱えなおして、しゃんと。

 自然に、無理をして

 

――儂だけが甘えているわけにはいかんか。

 

 年寄りらしく、侍らしく高楊枝。

 男を睨みつける様に鋭く目を向けてから。

 

「若者に全てを託して、何もすることの無くなった余暇に、ほろりとこぼす――そのくらいでなければ、格好つかぬ」

 そうできるように、と。

 

 不敵に笑う。

 まだまだ隠居は出来ないのだと、厚顔無恥に。

 

「――ああ、それもいい」

 

 くくく、と含み笑いながら、同じ年寄りが笑う。

 自分よりもずっと若作りの老人が笑う。

 

「なかなか、感慨深くて、ね」

 

 ずっと、歳をとれぬままに。

 変われぬままに。

 

――諦めきれぬままに……。

 

 その重さは自分には量りきれない。

 ただ一つでも、潰れてしまいそうに苦しいのだ。

 

「ああ、そういえば」

 

 ならば、自分の重さぐらいは背負わねばならない。

 自らの矜持として――

 

「あのお嬢さんがね――」

 

 知らされるのは、その先。

 未来と残る遺恨の上。

 

――全てを失ったわけではないのだから。

 

 男の言葉に思わず笑い声を上げながら、そんなことを考えた。

 迷いを固めて意志とした。

 

____________________________________

 

 

 

 

「ねえ、幽々子」

 

 白く染まった美しい庭園。

 それを見下ろしながら、隣に座る少女に呼びかけた。

 

「なあに?」

 

 屈託なく……歳相応の笑顔を浮かべて笑う。

 影もなく、闇もなく。

 

 ただの一人の少女として。

 

「……本当に、覚えていないのね」

 

 それだけで

 それだけで理解できてしまう。

 

 その悲しみを忘れられたのだと。

 その哀しみを忘れてしまったのだと。

 

「紫と私が友達だったってこと?」

 

 一緒にいた時間。

 一緒にいたという思い出。

 

 悲しみと一緒に流れてしまったもの。

 

「ごめんなさい」

 

 少し申し訳なさそうな声。

 でも、彼女に罪はないのだ。

 これは――

 

「いいの。確認したかっただけだから」

 

 私たちの罪。

 私たちの勝手でやったこと。

 

――わがまま。

 

 その遺志を――意志を無視したのだ。

 このくらいの……これくらいの悲しみなど、喜んで受け入れよう。

 

「こちらこそ、ごめんなさいね」

 この寒い中、月を見ようなんていって。

 

 息が白く染まる縁のふち。

 二人並んで座る場所。

 

――それを得られただけでも……。

 

「いいわよ」

 こんなに綺麗なんだから。

 

 失うはずだった時間。

 終わるはずだった場所。

 

 姿を変えて残ったもの。

 

「それより」

 

 ぽんと可愛らしく手を叩く。

 こんな姿も、あの時には見られなかった。

 そんな余裕はなかった。

 

――知らないものを知っていく。

 

 きっと内にはあったのだろう部分。

 そのままでは埋められたままだったろうものの綻び。

 

――きっと、こういうのも悪くない。

 

 少しの寂しさと悦び。

 そんな複雑の感情。

 

 それを噛み締めて――

 

「お腹が空いたわ」

「――え・・・・・?」

 

 いたところへの不意の言葉。

 わけもわからず、ぽかんと口が空く。

 

「だから、お腹が空いたのよ」

 

 念を押すように強くなる声。

 こちらに人差し指を向け、その冷たくなった肌を寄せる。

 

「――お腹・・・・・?」

「ええ」

 

 重さのない身体。

 周りには幾つかの亡霊を従わせての笑み。

 

 それで「お腹が空いた」。

 

「お腹……・空くの?」

 

 混乱に少し片言になってしまった。

 当然だろう。まさか、生身を持たない亡霊が食事を取るだなんて思わない。

 

「うーん……どうしてかしら?」

 

 その疑問に少女は首を傾げる、

 自分でも不思議だと感じながら、それでも何だかそれが正しいというように。

 

「さっき、あの男の人にあったでしょう? そうしたら――」

 

 布団の中で再び眠りについているだろう男。

 そちらの方を指しながら――

 

「なんだか、何か食べたいなって、思ったのよ」

 

 そういった。

 

 理由にもなっておらず。

 理屈にも合わない。

 

「だって、私、元気でしょう」

 

 それでも、当然のようにいう。

 

「――」

 

 僅かに残る何かが告げているのかもしれない。

 微かに望む何かが囁いているのかもしれない。

 

 そう思うのは――

 

「一緒に御飯にしましょう」

 

――私の勝手。

 

 目を細め、あの最初のときを思い出す。

 あの『仲間外れ』を、実はずっと根に持っていたのかと思うと、何だか笑ってしまう。そして、ずっとそうしたかったのだと思うと、少し寂しくなる。

 

「――そうですね」

 

 がらりと後ろの襖が開き、温められた空気が流れ出した。

 

「誰も料理なんてしないだろうし……ちょっと時間をくださいよ」

 

 まるで、呑みすぎた次の日のような顔をして、男が立っていた。頭を抱え、少しでも動くのが億劫だというように顔ゆがめながら――確かに、微笑んで。

 

「あら、楽しみだわー」

 

 ふわりと笑う少女を見下ろして、心底楽しそうに。

 

「――疲れているからって手抜き料理は駄目よ」

 

 それにさらに笑いが込み上げる。

 それでも、その空気に加わりたくて声を出す。

 

「はいはい、わがままな娘さんだ」

 

 呆れたように顔をゆがめて笑う男。

 それを見て、少女は楽しそうに微笑む。

 

「それじゃ、私もついでに何か頼んじゃおうかしら」

 

 今度は彼女もそこに加わっているのだ。

 二人だけでも、一人と二人でもなく――

 

「大丈夫よ」

 

 自分の欲しいものを望む。

 そんな簡単なことが簡単に出来る。

 

――ただの三人として。

 

「今日は一緒に楽しみましょう」

 

 触れられなかった部分。

 失わなかった部分。

 

 もう、届かないことは数あれど、今幸せにしてはいけない理由にはならない。それで見捨ててしまっては、そっちの方がどれほど勝手というものだ。

 

「ありがとう」

 

 あの時聞いた言葉。

 あの時とは違う言葉。

 

 

 この先に何が起ころうとも、その二つを忘れない。

 その一つを忘れない。

 

 

 それでいいのだと思う。

 それだけで、いいのだと思う。

 

 

 

 

____________________________________

 

 

 

 きっと、それは歪な生き方だ。

 多分、それは歪んだ生きざまだ。

 

 正常でも、清浄でもない。

 無理やりに引き伸ばした型外れの幻想譚。

 

 幸せにもなりきれない。

 『めでたしめでたし』とは締めくくることのできない。

 

 そんなお話。

 

 

 けれど

 

 

「少しも、笑えないわけじゃない」

 

 そう思う者もいる。

 その程度の理由がある。

 

 それで、十分だと――。

 

 

 

 

 手前勝手な老人は、そんなことを考える。

 

 

 




 幽霊の正体見たり、なんとやら。
 老人と化けの皮うち、どうとやら。

 化けてこそ、しゃんと腰を曲げても立っていられる。

 そのようなもので。


 読了ありがとうございました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。