東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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枯れ桜花

 

 

 日常を続けていた。日常が続いていた。

 

 一つの場所へと腰を下ろし。

 一つの場所で他者と繋がり。

 安らぎを得て、平穏に身を落としていた。

 

 久方ぶりの居場所に――

 

 

 酔っていたのかもしれない。

 緩んでいたのかもしれない。

 

 それくらい、その楽園は心地がよかった。

 

 たとえ、幻想《かりそめ》のものだったとしても。

 

 

 けれど――

 

 世界は優しさだけでは出来ていない。

 温かさだけの世界は存在しない。

 

 どんな場所でも、現実というのは残酷だと。

 

 

 いつも、そう思い出す。

 思い直させられる。

 

 

____________________________________

 

 

 

 いつかの邂逅は春のことだっただろうか。

 

 薄紅色が舞い落ちる美しさの中での諍いを経て、彼女と彼女は出会った。

 その始まりはあまりにお粗末なもので、お世辞にも素晴らしいものだったとはいえない。目の前でそれを見ていたのにも関わらず、それがこんな未来に繋がるなど夢にも思わぬ有様。

 それほどに、そうまでいってしまえるほどに、酷い切っ掛けだった。

 

 それが、ここまでの実をつけるのだから、やはり未来とは、予想つかない不条理に満ちたものなのだなと感じてしまう。

 考え及ばず、そのどんでん返しが小気味いいと感じてしまう。

 

――己を巻き込むほどに、大きくなるなんて、ね。

 

 考えもしなかった事象に、自分もその渦に巻き込まれてしまいたくなった。その手を伸ばしたのはあちらだが、同じほどに、自分も手を出したくなった。

 

 だから、掴んだ。

 

 そして――

 

 夏を越え、秋が過ぎ、冬が来て。

 

「――もう、時間が無いわね」

 

 再び巡りくる春はすぐそこ。

 多分、それが刻限となるだろう。

 

「完成度はどれくらい?」

 

 冷静に――己の内の焦りを押し殺しながら彼女は問う。

 ゆっくりと振り向いた己は、正直な答えを。

 

「――七・八割……まだまだ、実験段階ってとこか」

 そういって指したのは、家の周りに植わっている桜の木。

 

 辺りが雪で埋もれているにも関わらず、桃色の花をその身に宿して、ひらひらと宙に舞わせている様は、明らかに自然の摂理からは外れたものだ。

 

「いくつか変化も見られたが、それが妖力を宿したものに通じるかはわからない」

 投げ渡すのは、自らが考案した封印の式と陣が描かれた筆記帳。今まで生きてきた全ての知識を動員して作り上げる緻密な設計図。

 

「そう」

 それを受け取り、ぱらぱらと軽く目を通す。

 それだけで、全てを理解してしまったのだろう。

 投げ返される帳面。

 

「まだまだ出力が足らないわね」

「元々、こっちの専門は低燃費での最大活用……地力がない分の埋め合わせが前提」

 並外れた力を基礎とする大規模発動など考えることがない。

 

 そういって、その帳面の中にある一つの図式。それを描いた札を表の桜の方へと投げつけた。

 

「複雑になればなるほど扱いが難しくなる」

 小さな力なら、その分扱いは易い。

 

 木の幹の中端。

 丁度真ん中辺りにそれが張り付いた瞬間――ばちっという小さな音がして、全ての花が一斉と散り落ちる。

 

「――それでも、これじゃああれには通じないでしょう?」

 

 残された丸裸の木に対して、その大妖怪はすっと、空中に線を引くような動作をした――それだけで、張り付いていた札は塵となり、瞬きの間に、元の花の咲き誇る状態へと戻る。

 

――境界……大妖としての力と能力。

 

 季節外れの桜を満開に芽吹かせて、その力によって簡単な封印程度、指一本で無効化してしまう。

 

 大妖。力あるものとしての能力。

 小さな力をいくら組み合わせようとも、支えきれないような巨大なものに押し潰されてしまうのは道理。

 力尽く、力任せで大体のことは可能(まま)となってしまう。

 

 けれど――

 

「その力を完璧に受け止められる術式……どういう難題だ、まったく……」

 

 しかも、それを行使すべき対象は脆弱な肉体しか持たない人。ほんの僅かに力の矛先がずれるだけで、それは粉微塵にと砕け散ってしまう。

 細く、鋭く、強く――柔らかく。

 

――下手すりゃ竹取の姫さんのよりも難しい……。

 

 時折、自分が料理しに訪れている館の主。

 それが出したという無理難題にも及ぶほどに困難な題目だ。

 

――しかも制限時間付き、と。

 

 どうにも、縛りのきつい条件である。

 

「――やっぱり、無理かしらね」

 

 柄にもなく沈んだ声で、彼女は言う。

 その手をすり抜けていくだろう――失ってしまうだろう未来を想像し、強く拳を握りこむ。

 

 自らの未熟さに。

 力の及ばぬ歯がゆさに。

 

 それを見て――

 

――変わった、のかね……。

 

 そんなことを考える。

 

 昔からは考えられない姿で、彼女は頭を垂れた。

 自分の力だけで何もかもを通してきた気概を捨てて、寄る辺を望んだ。

 

 欲のままに赴く妖怪だ。

 ならば、それは本当に正直な感情なのだろう。

 

 その想いも――十分に汲み取れる。

 共感として、己に通じる。

 

「……」

 

 仕方ない。

 諦め肝心。

 

 だからこそ――

 

「――ま、経験だけは積んでますからね」

 

 ぱらりぱらりと帳面を捲った。

 新たに書き込んでいくのは、さらに古き記憶の引き出し。

 

「今までの記憶全部ひっくり返せば、ちったあ、ましなもんも出来るかもしれない」

 

 無駄に生きた年月の発掘。年寄りの知恵袋の使い時。

 そういうものを、根こそぎと。

 

「どっかの仙人も、人生を振り返るのが長生きの秘訣だっていってたことだし」

 健康のためにも、踏ん張るさ。

 

 そういって、冗談っぽくと笑う。

 軽い調子に、請けて負う。

 

――そうさね。

 

 法力や陰陽術の併用。

 霊術や仙法の利用や西洋の魔術媒介の使用。

 

 まだまだ試していないことは腐るほどにある。

 どうせ、暇つぶしに学んできた器用貧乏な知識でしかないのだから、そのまま腐らせてしまうよりも何かに活用した方が面白いというものだろう。

 煮こごりも、味と調理と使いよう。

 

「たまにゃ、老骨にも鞭打たないとってね」

 

 その言葉に顔を挙げ、くすくすと笑う少女。

 それは既に、いつも通りのものへと変わっている。

 

 そう、いつも通り。

 

「そうね。甘え癖がついたら駄目だもの」

 精一杯、こき使ってあげなくちゃ。

 

 無責任に投げつけられる手間と苦労。

 やれやれやれと、己は苦笑に身を窶す。

 

――恒常通り、と解決願い。

 

 胡散臭く笑いあい、適当に今の事態を乗り切る。

 それが長く生きたものの生活の知恵であり――

 

――思考を止めないためにも楽観し。

 

 たとえどんなに追い詰められようとも思考には余裕をもつ。精神だけは殺さない。

 そういう生き汚さを――往生際悪く。

 

 妖怪として

 人間として

 

 欲深く。

 

「ま、がんばりましょう」

「ええ」

 

 

 精一杯と、強がった。

 

 

 

____________________________________

 

 

 

 

 それを話したのが、ほんの数日前。

 つい昨日の話か、一昨日ほどのものだったろうか。

 

 私の体感としても数秒に過ぎず。

 彼の歴史からすれば一秒にも満たない。

 ほんの僅かな時間。

 

 けれど

 それは、突然始まった。

 

 いや、目を覚ましたのだろうか。

 

「――なに、これは?」

 

 突然、辺りが真っ暗になったような――何もかもがなくなってしまったような気がした。

 この世界を支えていた糸がぷつりと切れて、足もつかないような暗い空間の中に沈んでいく。

 

 ずぶずぶと

 ぶくぶくと

 

「ゆゆっ――」

 

 叫ぼうとした瞬間、引き込まれた。

 

――あれ……・?

 

 どうしようもない空虚が。

 堪えようのない絶望が。

 

――ああ、あああ……・。

 

 私の中を侵していく。

 

 

「――■■■」

 

 声にもならない声が喉から漏れて、苦しくて仕方がないのに呼吸ができない。暗い何処かに沈んでいくのに、辺りが眩しくて仕方がない。

 

 喉を切り裂きたい。

 目玉を取り出してしまいたい。

 

「うあ、ああああ……・」

 

 壊して

 失くして

 

 ■んでしまいたい。

 

 

「紫様っ!!」

 

 何を考えているかもわからない混乱の中。

 そのわずかな隙間から、叫ぶような呼び声が届いた。

 

「っぐ・・・・・!?」

 

 いきなり息が詰まった。

 

 現れた誰かの腕が私の首根っこを捕まえて後ろに引いたのだ。後ろ襟を取られ、急激な負荷と共に気管が塞がり息ができない。

 

 それでも、わずかに自分を取り戻す。

 

「――紫!」

 

 

 遠ざかっていく声と姿。

 倒れ伏す友人と――あまりにも美しい蝶の姿が見えた。

 

 

 それに、手を伸ばし――

 

 

 

―――   ―――

 

 

 

 

「――げほっげほっ・・・!」

 

 喉の痛みと呼吸困難。

 直接的な刺激によって先ほどまでの混乱が薄れ、冷静な意識が浮かび上がってくる。

 

――いったい何が……。

 

 辺りはいつも自分が扱っている空間。

 私の能力によって開かれた隙間の中。

 

「ご無事ですか?」

 

 私の背中を抱え、隣で呼びかけているのは藍――私の式である八雲藍だ。

 

 先ほど私を引いた腕は彼女のものだろう。

 式としての力――命じられた通りに動いたのなら主と同程度の力を発揮できる。

 それを利用し、私の能力を借りて、私自身をこの空間へと引き込んだ。

 

――つまり……。

 

 それは私の命令どおりに行動したということ。

 『主を守れ』という命に忠実に従ったということだ。

 

「藍……状況は?」

 

 自分が置かれている現状を理解した共に、すぐに立ち上がる。

 喉の痛みは一瞬のもの。多少、頭が重い気もするが気にするほどのことではない。

 

――それよりも……。

 

 意識を飛ばしていたのは一瞬のこと。

 それが始まったのもついさっきのことだ。

 

 けれど、既に何かが起こっていてもおかしくはない。

 

「お待ちください」

 

 私が落ち着いたのがわかったのだろう。

 ほっと胸を撫で下ろし、すぐさま私の力を利用した情報収集へと取り掛かる藍。

 

 こちらは任せておいてもいい。

 

――私は今のうちに……。

 

 宙に手を翳し、様々な空間に意識を巡らせながら、それが何処にいるのかを突き止める。

 目印は渡してあるため、相当の力場や妙な空間に紛れ込んでいなければ判るはずだ。

 

「――見つけた!」

 

 らしくもない声を上げながら、空間に線を引く。

 開かれた空間はそれがいる場所へと真っ直ぐに隙間を開く。

 

 そこにあるのは、人間の男の後姿。

 

「――っ……」

 

 呼びかける名がないことに、僅かに逡巡した。

 この急いでいる中での余分な手間に、思わず唇を噛み――気配に気づいて振り返った男に理不尽な怒りが込み上げる。

 

 だが、そんなこと気にしている暇はない。

 

「緊急事態よ!」

 

 言葉足らずの呼びかけに、男は胡乱に振り向いた。

 そして、私の顔を見て――

 

「――すぐ準備する」

 

 すぐさまと答える。

 

 そう。

 予想の範囲内なのだ。

 

 最悪の、想定内。

 

 不幸中の幸いで、男がいたのは自宅の部屋。

 それほど準備に時間もかからない。

 

――次は……。

 

「――紫様」

 

 そうやってとるべき行動を考えている間に、情報の収集を終えた藍が報告に来た。

 片側で必要物の手配を行いながら耳を傾ける。

 

「遠目からですが、西行妖が七分……八分程が開花しているのが確認できました。辺りには、妙な力場が発生していて、辺り中の生物に影響を与えています――おそらく、幽々子様の力によってのものです」

 このままでは数日中に……。

 

 そこで言葉を濁した藍を制して、さらに詳細な情報を集めるように命じて下がらせた。

 言われるまでもなく、その先は、容易に想像つくものであったから。

 

――はやく……。

 

 状況は刻々と悪くなるだろう。

 急がなければならない。

 

「西行妖……幽々子の力。妖忌は? ――いや、それよりも……」

 

 今できること。

 今しておかねばならないこと。

 可能性。危険性。

 

 あらゆることを思考し、取るべき行動を探る。

 

 見落とし一つないように。

 髪の毛一つの希望も見逃さぬように。

 

――お願い……。

 

 

 願いのために

 望みのために

 

 私にできることの全てをする。

 

 その最悪から逃れるために

 

 

 

 

____________________________________

 

 

 

 

 随分と時間が経った気がした。

 

「……」

 

 沈みかけていた夕日が完全に姿を消したからそう思うのか。久しぶりに自分の脚で歩いた疲労感によってそう思うのか。

 本当は一刻ほどの時が過ぎたのみでしかないだろう。

 

 けれど、そう思う。

 

 

「――貴方はきれいね」

 

 呟いた言葉が白く凍えて、その静けさの中に染み入ってしまうように消えていく。

 舞い落ちた薄紅は雪白の地面に彩りという化粧を与え、降り積もった二層の色が咲き誇る花のような偶像の形を描き出した。

 

 在り得ぬ景色。成らざる光景。

 

 当たり前ではない。

 

「雪月花……」

 

 日常を越えた風景。

 

「――」

 

 深く吸った息が胸中に冷たく満ちて、自らが透き通っていくような感覚がする。

 冷えた身体はすでに寒さの域を抜け、震えもせずにその世界をそのままに享受している。

 

 空に月。

 地には雪氷。

 

 舞い落ちる桜花。

 

 その美麗さに身を委ねる――委ねられるのは、自らが人の身をはみ出したという証だろうか。すでに、考える力すら失い始めた思考がそんなことを告げている気がした。

 

――そう、人間ごっこは、もう終わり。

 

 そんな思考。

 それでも、一つ想った。

 

「きれい……」

 

 その残酷さも。その空虚さも。

 全てを含めて美しいのだと思える。

 

 それほどに――

 

「――ねえ、そう思わない?」

 

 空に響く声。

 自分の声しか響かない空間。

 

 その後ろを振り返ると―――まだ、少しだけの温かさが残っていた。

 

「――綺麗、だとは思いますけどね」

 

 答えたのは、緩い男の声。

 いつも通りの気の抜けた調子で――細く引き絞った目をしていた。

 

「でしょう。ねえ、紫」

 

 その隣で顔を伏せていた少女――自分の親友へと向けて呼びかける。

 自分でも驚くほどに穏やかな気持ちで、静かな声がでた。

 

「そう、ね……」

 

 僅かに笑んで、こちらを見つめる。

 瞳を震わせ、何かを必死に押し込めた目で――

 

「妖忌も……ここにきて大丈夫なの?」

 

 既に暇を与えたはずの従者。

 唇を噛み締め、鋭い眼光のままに耐える老公。

 

「……」

 

 黙したままで、真っ直ぐにこちらを見る――私の背後にある老木を睨む。

 刀に手をかけて……それを抜けぬ自分を恨みながら。

 

「――大丈夫ですよ」

 特製のお守りで、しばらくの間ぐらいは。

 

 代わりに答えたのは、ただ一人落ちついた様子の男。

 黙り込んだ二人の代わりに、一人で語る。

 

「それにしても寒いですね……さっさと帰って鍋にでもしましょうか」

 

 あくまで飄々と――日常(いつも)通りに話す。

 緩く笑み、軽い調子で。

 

「それもいいわね」

 

 込み上げる笑い。

 こんなに穏やかな気分になったのはとても久しぶりのことで、こんなに自然に笑えているのは不思議なことなのだと思える。

 

 愉しくて。嬉しくて。

 

――哀しい。

 

「――でも、遠慮しておくわ」

 

 きっと温かい。きっと心地よい。

 

 けれど、駄目なのだ。

 

「幽々子……!!」

 

 伸ばされかけた手。

 それは広げられる前に萎み、止まった。

 

 辺りに舞う蝶の群れによって――。

 

「これは……」

 

 半人半霊。

 その身体半分が霊である妖忌にとって、それは余計に敏感に感じてしまうものなのだろう。

 隣に浮かぶ半身がその危険に身を竦ませ、警戒に動きを堅くする。

 

――そう……。

 

 これは、死を誘う存在だ。

 ここにいれば、例外なく枯れ落ちる。

 

 その身も。

 その魂も。

 

「――私はこの子達と用事があるの」

 だから、またの機会に。

 

 そういって微笑んだ。

 自分でも信じていない先の話に笑った。

 

 それを――

 

「ふざけないで!!」

 

 糾弾する声。

 

「まだ間に合う……まだ何とかできるわ!」

 

 能力を使って蝶を遠ざけ、掻き分けるようにして進む。

 私に向けて伸ばされる腕。

 

「私たちが……私が何とかして見せる!」

 だから――

 

 触れかけた指先が、ゆらりと揺れる。

 落ちた花びらが彼女に振り落ちて――蝶へと変わった力が、その身に罹る。

 

「――っ!」

 

 それが障る前に、男が紫を無理やり退かせた。

 一瞬間に合わず、僅かに触れた力によってその身体が傾ぐ。

 顔が歪み、額に汗が落ちて――それでも。

 

「放して!」

 

 それを無視してでも、前に進もうとする。

 男の腕を振り払い、力の元凶へと近づく。

 

 大妖怪。

 力ある妖怪でさえ誘う力。

 

 それを判っていながら――

 

――紫……。

 

「ありがとう」

 

 胸に満ちるのは、温かな空気。

 ずっと一緒にいてくれた友が与えてくれる最後の温度。

 

「でも、いかないといけないの」

 一緒に。

 

 もたれた桜の木。

 背中を合わせた桜花に触れた。

 

 それだけで、力が満ちていく。

 

「――っ……」

 

 彼女たちを遠ざけるために振った腕。

 向かうべき先を決められた力が彼女らに降り注ぎ、その動きを阻害する。

 

「そんなもの……そんなもののために」

 あなたが犠牲になる必要はない。

 

 二刀の剣を掲げ、それに耐えながら忠老が叫ぶ。

 呑まれてしまわぬよう、必死に掻き集めた意志によって――刃を向ける。

 

 私の後ろの存在に。

 

「妖忌……」

 ありがとう。

 

 小さく呟いた。

 

「――がっ……!?」

 

 さらに増す力。

 その手から刃が滑り落ちかけて、ぎりぎりのところで掴みとめた。

 けれど、一度抜けてしまった力は戻らず、剣を支えにして無理やりにこちらに目を向けている。

 

 なぜだ、と。

 

「――この子は、決して悪いことはしていないのだと思うの」

 

 舞い落ちる薄紅の花片。

 それを手中に、そっと受け止める。

 

「そう生まれてしまっただけ」

 

 風に舞うそれは美しい。

 その身に何を内包しようとも、それは変わらない。

 

「そして――私がそばにいた」

 

 その場に伏して死んだ父――それに憧れた死んだ人間。

 私が得た能力――私によって強められた力。

 

「ここで――」

 

 父が死ななければ。

 それを誰かが真似なければ。

 

「私が傍にいなければ――」

 

 この子は、ただの美しい花だった。

 春の訪れと共に咲き散り、世界を彩るただの桜の花であれた。

 

――ほんの偶然で。

 

 父はここで死ぬことを望んだ。

 

――僅かな憧れで。

 

 誰かがそれと同じ事を繰り返した。

 

「そこにいたのが私でなければ」

 

 力の素養を持っていなければ

 この桜のことを知らなければ

 父の娘でなければ

 

 ただの人間であったなら――

 

「こんなことにはならなかった」

 

 

 たまたま。

 偶然。

 

 歯車が合ってしまった。

 

 私も

 この桜の木も

 

「こういうのを、運命というのかしらね」

 

 噛みあって、繋がってしまった。

 合わさって、繋いでしまった。

 

 必然に、巻き込んだ。

 

「そうなるように生まれてしまった」

 

 笑う。

 哂う。

 

 その滑稽な考えに

 その安易な考察に

 

「――けれど」

 

 『だから、こんなに大切な友だちと出会えた』

 

 そんな陳腐な宝物を想って――微笑んだ。

 

 出会わせてくれた幸運に。

 出会えたという幸福に。

 

「私は独りじゃないと死んでいける」

 

 誰かのために

 友だちのために

 

 幸福に終わりを告げられる。

 

――だから。

 

 最後は、笑顔を見せて逝きたいと

 幸せに生きていたことを知らせたいと

 

 

 締めくくる。

 

 

____________________________________

 

 

 

 そうやって

 悟りきった存在に

 語りきった彼女に

 

「――ふざけるな……」

 

 静かにいった。

 

 いつもの調子を忘れ

 いつもの『らしさ』を崩し

 

「何を笑ってる」

 

 強く言葉を使う。

 

「そんなに―――幸せだったなんて想いで終わりたいのか」

 

 ふらつく足を地面に叩きつけた。

 伝わる痛みに意識を繋ぎとめ、無理やりに進む。

 

「そういう運命だったからしかたない。そういうめぐり合わせだから仕方ない。そう生まれたから――諦めろ、とでもいうのか」

 

 前には、伏したまま動けずにいる紫。

 その前へと進む。

 

「潔いねぇ……まだまだ若い奴が」

 袖に仕込んだ札が我先にと散り尽きていく。

 加護も守りも関係なく、力に中てられて。

 

 それでも、無理をして進む。

 

「そんなにこの世に未練がない、とでもいうのか」

 こっちはこんだけ年を食っても欲しいものがあるというのに。

 

 意識が遠くなる。意志が薄れていく。

 

 叱咤し、激励しても、まったく足りない。

 だから―――

 

「まだまだ死にたくない」

 

 自分を騙す。自分に嘘をつく。

能力を使って(ちからづく)で押し通す。

 

「そうは思わないのかねぇ……」

 

 辿りついたのは、手を伸ばせば届く距離。

 

「――無理よ」

 

 初めてその表情が歪んだ。

 作り上げた笑みが崩れて、今にも泣き出しそうな少女の顔だけが残る。

 

「私だって……私だって一緒にいたいけど」

 

 伏せた顔に、震える肩。

 それに反応するように膨れ上がる気配。

 

「でも――駄目なのよ」

 

 

 増した圧力。

 縋りついていた命綱が大きく揺れて振り落とされそうになる。地面が崩れて、中空へ放り出されたような感覚が襲う。

 

「あなたたちを……大切なものを殺してしまうのは嫌」

 

 簡単に思い至ってしまう未来。

 確実に訪れる破局。

 

「そう分かりきっているのに、続けることなんてできない」

 

 すでに幕は開けている。

 閉幕も時間の問題。

 

――ぐっ……・。

 

 意志を反して足が下がる。

 これ以上近寄りたくないと、本能が叫ぶ。

 

 忌避して――生きたいと願う。

 

「もう、決めたの――」

 

 強い意志。

 守るため、叶えるため。

 

 絶対に譲れないという想い。

 

――それほど。

 

 瞳から色が抜けていき、残る意志は一つのみ。

 その終わりへと至るため、力が収束させる。

 

――もう……。

 

 何も聞こえないだろう。

 言葉では届かないだろう。

 

 彼女は一人で終わらせるつもりだ。

 その身と力ごと沈んでいくつもりだ。

 

「決めた・・・・・ね」

 

 前に進むのをとめて、その場に棒立ちとなった。

 その想いを見届けて、深く息をつき――

 

 

 

「――なら、勝手にしなさい」

 

 荒れ狂う蝶の群れの中、そう呟いた。

 年老いた老人として。

 

――そうだ。

 

 死にたいなら死ねばいい。

 生きたくないなら生きなければいい。

 

 それが願いなら

 それが想いなら

 

 否定はしない。

 

――それも自由……人の意志。

 

 過ぎるのは今までの見てきた死の数々。

 理不尽に、意味もなく逝ってしまった友人や知人。

 

 そういうことには既に慣れきった身だ。

 別れなどいくらでも経験している。

 

 

 

 

 

 だからこそ

 

「そっちが勝手にするなら」

 

 その手を放すのは向こうの意志だというなら、どれだけ固い意志だろうと――こちらには関係がない。

 

「こっちも勝手にするだけだ」

 

 応援もしない。

 付き合ってやる義理もない。

 

「いくら逃げようとしても」

 

 子どものような屁理屈で勝手なことを

 常識では考えられないようなわがままを

 

「――離してやらないわよ」

 

 ふらりと立ち上がった大妖怪。

 迷いなく睨みつけるのは――その獲物(しんゆう)

 

「老人も、妖怪も――」

 

 刀を握った姿。

 自らの迷いを断ち切り、自らの恐れを振り払い、二刀を持って立つのは半人半霊。

 

「しつこいことにゃあ限りはないってね」

 

 死の暴風を防ぐ盾となる姿に――笑う。

 

「――女もね」

 

 背に当てられた腕。

 身体に通される力。

 

「――っがああああ!」

 

 

 大妖怪の全力の力が身体の芯を駆け巡る。

 

 

 

 

 

____________________________________

 

 

 

 男は笑っていた。

 

「――なあに」

 

 懐に仕込んだ取り出した数種の札。

 数ヶ月かけて作り上げた未完成の品。

 

「簡単にはいかないなら」

 

 上着の裏地に仕込んだ方陣に力を流し、札に刻んだ術式と連結させる。

 足りない部分、欠けた部分を補うように力を込めて、自らをその一部とする。

 

 そんな無茶なまねをして――

 

「無理をして、埋め合わせるまでです」

 

 

 そういって笑っていた。

 

 

 強大な力に堰が切れて、押し寄せる水によって溺れ死ぬ。

 押し寄せる嵐に操舵を誤り、波に飲まれて沈む。

 

 そんな可能性を秘めながらも――

 

「帳尻合わせは得意ですから」

 

 

 飄々と、笑っていた。

 

 





 自由気ままに。
 自分と勝手に。

 他の意志は無視して――

 
 続きは夜に。
 読了ありがとうございました。

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