東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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いつもの飯事

 

 

「さて……」

 

 沸き上がる気泡。

 ぶくぶくと、その内に巻き込まれた具材が揺れ、浮かび上がっては沈んでいく。ほどよく空気を含み、呑みこんだ熱に従って流れを起こし、少しずつ……少しずつ、溶け広がっていく、その時間が内包したもの。

 波紋となって、円状に染み出していく風味と旨味。

 成長し、熟成してきたその形自体が溶け出して、一つの形を――調和を作り出す。そのままの全てを現す。

 

 己に出来るのは、そう成りやすい環境を整えることのみ。その身の内に元々から存在する力を、味として引き出すだけ。

 それだけに全力を注ぐ。

 

「よし」

 

 それが、料理をつくるということである。

 無論、己にとっての、という我流ではあるが――

 

 

「完成完成……っと」

 

 少し輪郭を崩した山芋が浮かび、細く切り刻んだごぼうが散るその液体。山で野生化していた作物の風味。それをそのまま生かして、少々味付けをしただけの特性山菜汁。

 食欲をそそる温かい湯気と香りには、どこか懐かしさのような郷愁を含み、まろやかな舌触りが、優しき日々の暖かさを現す。

 

 それが、今日の朝食である。

 

 

「いやー。お待たせしました」

 

 少々高級そうな膳の上へとそれを乗せ、主食である焼き魚と玄米粥と共にそこへ置く。

 

「……」

 

 その姿に、少女は少々驚いて、目を丸くしていたようだが――隣にいる女中さんのことを思い出したようで、慌てて居住まいを正した。

 こほんっと軽く咳払いをして、精一杯当主としての威厳のあるように背筋を伸ばす――女中さん自体は、それを微笑ましそうに生暖かい目をしているのだが……そこはまあ、突っ込まないでおこう。

 色々と、世の中うまいことはいかないものだ。

 

――さて……。

 

 落ち着いたところで、冷めないうちに。

 

「早朝にとった山菜と川魚でつくったものです。お口に合えば幸いですが――どうぞ」

 

 そういって頭を下げてから、自分もその真向かいに席に腰を下ろし、渡した方と別の方の膳を置く。

 内容は同じ、ただ、身体の大きさを考えて、少々自分のほうを多く盛ってある。少し失礼あたるかもしれないが……まあ、相手も気にしないだろう。

 残すよりはまし、というものだ。

 

「汁のお代わりはお勝手の方にまだあるので……使用人の皆さんの分ぐらいには多めに作ってあるので、そちらの女中さんもどうぞ」

 冷めないうちに。

 

 そんな呼びかけ。

 女中さんも少し迷ったようだが、正面に座る主が頷き、それを許可出したので、丁寧に礼を述べてから出て行った。

 これで、残ったのは自分とこの屋敷の主のみ。

 

「……」

 

 僅かに開けた障子の隙間から気持ちのいい風が通り過ぎ、静寂を揺らす。

 少女は肩を揺らして、静かに息をつく。

 

 静かな空間。

 閑寂と強ばった空気。

 主の威厳。

 

「――付き合っていただいてありがとうございました」

 

 それが、ふっと緩んだ。

 するりと抜けて、肩の力を抜けたのだ。

 

「いえいえ、何処の馬の骨ともいえない男を逗留させて、宿まで貸してくれたんです。そりゃあ、礼儀くらいは通さないと」

 

 正していた居住まいを崩し、正座に組んでいた足を胡坐へと組み替える。流石にこの年にもなれば、多少の礼儀には慣れているとものだとはいえ、あまり堅苦しいのは柄ではない。

 緩みて暢気に。ふわふわとぬるま湯に。

 その方が相手も気兼ねなく話すことが出来るだろうし……ある程度に気を抜いていたほうが、食事も会話も弾むというものだ。振る舞いのみとはいえ、型に嵌められたままの状態でいては、おちおち気も抜けない。

 まず、空気の方から揺るませなければ、間合いだって詰められない。

 

――まあ、これも手を抜くためのいいわけみたいなもんですが……。

 

 完全に嘘ともいえないのでよしということにしておこう。その証拠に、少女は姿勢を崩さないまでも、先程よりも少し肩の力を抜いた表情となっている――ただ、呆れているだけかもしれないが、それはそれで、気が緩んだということだろう。

 

「本当に、食事まで作ってもらったようで」

「そっちは趣味みたいなもんですから。こっちこそ無理いってすいませんでした」

 

 ぺこりと頭を下げる少女を制し、逆に頭を上げる。

 いくら持ち込みの食材、材料を使用しての料理だからといって、主人の客であるはずの男が、許可を貰ったとはいえ、ご勝手に立って朝餉の準備をし始めたのだ。使用人にとっては眉を顰め、己達の仕事に余計な茶々と怒鳴りあげてもいいくらいだ。。

 褒められたことではない。

 

――しかし、折角の食材だ。

 

 人間は滅多に立ち入れないという別種の縄張りで食材集め。

 あまり手の入っていない幻想郷という秘境。その山林の内には、珍しく、それでいて新鮮な食材たちがこれでもかというほどに溢れていた。

 余程の山奥や長大な時間をかけて探索せねば見つからないような山菜や茸類、薬草などが一つ二つどころか、ごろごろと。宝の山だと広がっていた。

 それを目の前にすれば、ついつい腕も振るってみたくなる。

 

――ついでに弁当もつくっておきたかったですし。

 

 仕方ない、ということにしてもらおう。

 全員分の食事をつくったのは、その許しを請うためでもあるのだ。

 

――味は確かなはず、だ。

 

 多分、それなりに。

 一応、食材のあまりも置いてきた。

 

「では、こちらも冷めないうちに」

 

 いただきます。

 それとその前に――

 

「――此度は一宿と一飯の助け、一無宿人に対する稗田家のご温情、厚くお礼申し上げます」

 

 再び姿勢を正し、深く頭を下げ、その礼を述べる。

 一瞬驚き、呆けた表情を見せた少女は、すぐ表情を引き締め、堂々とした当主としての表情へと移る。

 

「こちらこそ、昨夜の有意義な化物諸々の話等、怪異に関する知識の数々。幻想郷縁起の書き手、稗田家当主として、感謝の意を述べずにはいられません。この度は――」

 

互いに深く頭を下げ、数瞬。

 

 

「有難う御座いました」

 

 揃えたように同時にいった。

 そして、互いに顔を上げて笑い合う。

 

 礼儀作法もやりすぎれば滑稽なだけ、童の遊戯と大差ない。

これもまた、襖から覗いた誰かの視線に向けての合わせ芝居。

 

――食事は美味しく食べる、と。

 

 愉し気に悪戯めいて笑う。

肴に丁度いい、誰かを惑わす一芝居。

 

 その楽しみを食前に。

 

 

「いただきます」と、食始める。

 

 

 

 

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「しかし、これからどうするんです」

「ん……?」

 

 食後のお茶(これもこの目の前にいる男がいれてくれたものだが)。それを口にしながら尋ねる。

 

――あ、美味しい。

 

 今日の朝食といい、このお茶といい、妙なところでこの人は所帯染みたところがある。料理やら炊事やら、どこで覚えたのかはわからないが、下手すれば、専門の料理人よりも技量が上なのではないか、などと思ってしまうぐらいだ。

 

――長く生きているだけある。

 

 人のことはいえないが、この男を見ているとくにそう思う。見かけだけなら全くそんなことは思えない相手なのだが……それもまた、私も同じだろうか。

 それでも、やはり、ずっと続けているのと休み休みというのでは、年期の深さが違う、ということなのだろう――決して、私が家事をできないだけなどということではない。する必要がないから、していないので、上達していないだけだ。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 

「この辺りに居を構えるのでしょう? 必要なら私が用立てますが」

 

 尋ねるべきことを問うておく。

 この人を里に迎えるという利益はかなりのものなのだ。

手助けは惜しまない。

 私と対等以上に知識の交換ができる相手。能力をとっても、人柄を見ても、近くにいてくれて損になることないだろう。

 自分にとっても、この里にとってもきっと有益なものをもたらしてくれるはず。

 

「いや、それには及びませんよ」

 

 けれど、男はそう返した。

 そして、「大体見当をつけてますので」と、懐からなにやら一枚の紙を取り出し、こちらに見えやすいように広げてみせる。

 それは――

 

「これは……地図、ですか?」

「ええ、この土地――幻想郷の妖怪縄張り図です」

「は?」

 

 簡易的に描写された山や丘の分布図と川や水路を表した緩やかな線。その所々に書き込まれた文字と丸い印。

 その小さな点を指差しながら説明を加えていく男。

 

「こことここ辺りは鬼の縄張り。ここは、小妖の群生地……」

 この辺りが狩場で、ここから伸びてる先には天狗が、河童が……。

 

 つらつらと。

すらすらと、当たり前のように語られていく――おかしなこと。

 

「え、ええと……ちょっと、待ってください」

 

 片手を上げて、それを制した。

 慌てた調子の私の声に、男は手を止めて、訝しげに視線を上げる。

「何かおかしなことでも」といった具合に首を傾げるが……それが、おかしなことと思っていないことの方がおかしいのだ。

 

――だって、そんなこと。

 

 この里に住む誰一人だって知らないはずのこと――私だって、知らないことなのだ

 

「そんなもの、いったいどこで手にいれたんですか?」

 

 広げられた紙。

 妖怪の生息地を記しているという地図。

 

 確かに、僅かばかりの伝達……今まで積み重ねてきた里の人々の蓄積された経験によって、どの妖怪がどの辺りに出やすいか、どこか危険で、どんな場所が比較的安全なのかなどの記録は集められている。むしろ、それがこの屋敷の書庫……私が書きとめてきたものの、もっとも重要な部分といってもいい。

 それは、戦えない――力なき人々にとっての命綱。『妖怪に出会わないようにする』という、決して破ってはいけない掟の――いや、日常に溶け込んだ習慣ともいうべき鉄則なのだ。誰もが知っている『いつも』を守るもの。

 

――それでも、だからこそ。

 

 だからこそ、私たちは、どこからどこまでが妖怪の縄張りなのかを知らない。その境界に僅かでも踏み入ったものは――ほとんどは、生きてはいないのだから。

 まともな者なら、まず、その領域すら近づかない。

 腕に覚えのあるなら、なおさらのことで、そこに踏み込むのは、命の覚悟をもってのことと理解している。

 だからこそ、僅かにしか記録は残っていない。それで十分で、すべてだ。

 

――けれど……。

 

 けれど、そこには私の知らない(・・・・・)ことだって描かれている。その数少ない証言の、そのほとんどが集まっているはずの記録を上回っている。

 それは、おかしなこと。

そんなものを誰が作れるというのか、ということ。

 

「ああ、なるほど」

 

 私のいいたいことが伝わったのだろう。

 男は、納得したと手を打った。

 

 そして。

 

「これは……ちょっとした友人の手を借りましてね」

 

 言いながら、急須を持ち上げて、空になっていた自分の器に注ぎ、ついでに、減っていた私の分にも足してくれる。

 まだ温かいお茶がちょろちょろと音を立て、心地よい香りが部屋へと広がる。

 それを受け取りながら――さらに問う。

 

「一体誰に……?」

 

 茶を啜りながら、男は事も無げに言った。

 

「ええ、昨日知り合った鬼のお嬢さんにね」

 

 

 

 

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――あんなに驚かれるとは、ね……・。

 

 そんな今朝のことを思い起こしながら、目の前の障害となる草木の間を潜るようにして、その僅かばかりに開けている方へと進んでいく。

 片腕を吊っている分、少々進みづらいが、どうやら本当に質の悪い妖怪がいないようなので、その分気が抜けるというものだ。時折気配を感じて辺りを見回すも、いるのは草食系の兎――多少、力は感じるが人間に襲い掛かる類ではない。

 身の危険さえないのならば、多少時間をかかっても損はないというものだ。

 

――さっすが鬼……その言葉に嘘偽りはない。

 

 自分の居場所にしても、誰にも迷惑のかからないところ。

 他の妖怪や何かの存在の気に触れないところということでいくつかの居場所を教えてもらった……稗田の主は驚いてはいたが、きちんと交渉できたなら、鬼という存在ほど信頼できるものはない。多少大雑把なきらいあるが、その力によって様々な事象に有用な力を貸してくれる、とも言っていた。

 昔話にある通り、だ。

 

―――人里との利便が悪くない、誰の縄張りでもないところ、と。

 

 そんなあやふやな条件ながら、きちっと仕事はしてくれた。

 代わりに大事にしていた酒瓢箪をとられてしまったが……まあ、いい取引だったというところだろう。入れ物は、また時間をかけて酒ごと造ればいい。

 腰を落ち着ければ、そんな暇も出来る。

 

――そのためにも……。

 

 土地の確認。

 立地条件を確認せねばならない。

 

 ここは『幻想郷』。

 山勘で住居を建ててどうにかなるというわけではない。

 

「――とりあえず先住の痕跡は無しかな、と」

 

 その辺り一体――多少の範囲を探ってみたかぎり、好戦的な妖怪がいないということは確かなことらしい。何かがいるという気配もなければ、何かがいたという痕跡もない。

 時折、小動物や虫々が鳴いているのを見かけるくらいである

 平和そのものだ。

 

「よっこらせっと」

 

 肩に担いだ荷物を降ろし、少々辺りが開けた処で腰を下ろした。

 稗田の屋敷を出てから数刻ほど、高く繁った葉々によってわかりづらいが、そろそろ太陽が真上に昇った辺り、昼時といったところだろう。

 そろそろ休憩を取っておくべきだ。

 

――一休み一休みと。

 

 そのまま後ろにぐっと伸びをして、疲れのたまった身体の凝りをほぐす。

 不測の事態は起きてないとはいえ、怪我をしている片腕を動かさないようにしている分、他の部分に負担が大きくなっている分はある。

 不足の事態に備えて、多めに休息をとっておく方がいいだろう。

 

――あんまり無理する必要もありませんからね。

 

 おもわぬ協力者を得て、候補先だけでも決まっている。

 そう急ぐ必要もないほどに、余暇はあるのだ。

 

――稗田の方に迷惑をかけるわけにもいかないが……。

 

 またしばらくは野宿といった具合でもいい。

 場所の下見もかねて、辺りを巡りながら考えていくこととしよう。

 

「のんびりと、ね」

 

 まだ、自分が必要とされる場面はきていない。

 お呼びがかかるまでは、ゆっくりとしていればいい。

 

――どうせ、何かが起こるときは向こうからやってくる。

 

 巻き込まれるのは毎度のこと。

 自分から飛び込むまでもなく、縁に引かれた事象は結ぶ。

 

「さてさて」

 

――お次は何がおきるやら。

 

 自分の引きの良さ――ある意味での巡り合せの良さは身に染みている。それは損とも得ともいえないが、『退屈しない』ということだけは確か。

 この年にもなると、そんな突発的な事故だとしても一種の刺激だとして呑み込んでしまえるもので、生きるのに飽きてしまうよりはずっといい……そういうようにも、留められる。

 生命の危険に曝されるのはこりごりだが、それを悪くばかり受け止めていては、おちおち生きてもいられない。そういうのはもう、とっくの昔に通り過ぎている。

 

――喉もと過ぎればなんとやら、とね。

 

 そんなふうに自問自答。

 そのようにも適当な理論立て。

 

 騙し騙しで生きていく。

 

 それが自分の生き方だ。

 でないとやってられない人生だ。

 それなりにやっていければいい。

 

 だから、この現状も――

 

「大丈夫――そういうことにする、と」

 

 そう呟いて、ふっと一息。

 

 諦め半分、楽観半分。

 ちゃらんぽらんと現状を受け止めて、軽い気持ちで対抗策を考える。

 経験だけは人の人生の何百倍以上も積んできているのだ。きっといい方法もあるだろう。

 

「年寄りの知恵袋ってね」

 

 一人呟く言葉は、辺りの閑散とした空気の中に消えていく。

 

 辺りを囲うのは、真っ直ぐに伸びた中空の植物たち。

 鮮やかに緑を照り返す竹の林は、回り全体を囲っていて、どこをどう通ってきたのかすらわからない。つけていたはずの目印も、当たりをつけていたはず方向感覚も、どこかしらから外れてしまっている。

 今はもう、当てにはならないと実感してしまった。

 

――何やらおかしいとは思ってたんだが、なるほどねぇ。

 

 妖怪のいない場所。

 誰の縄張りにも出来ない居場所。

 

 つまり、そういう由縁(いわく)つきの場所だということ。

 

「感覚を狂わせ――訪れたものを迷わせる」

 

 自然にできたものなのか。はたまた、誰かや何かの手が加わったのか。

 土を見れば、何やらこの土地とは別のものが流れ込んだという感じの痕跡は見えるが、それは大分と大昔のことだろう。今は関係がなさそうだ。

 何かの妖怪、というにはそういう気配を感じない。

誰かの仕業、というのは何のためにという目的がわからない。

 自然にできた、とするなら手の打ちようはない。

 

 どうであったとしても、簡単には逃れられそうにはない。

 

「一度抜けれたからって楽観しすぎましたかねぇ」

 

 昔、一度訪れたはずの場所。

 この土地に初めて訪れた時には抜け出せたはずの場所。

 

 けれど、それはもう、今は昔のことだ。

 世界というのは、目まぐるしい速度で変化している。経験や記憶が当てにならないことだってざらにある。

 

 そういうものに捕まった、ということなのだろう。

 予想を上回るものに出会えた。

 そう思い込めば悪くない。

 

「そういうことに……しておきましょう」

 

 もう一度呟いて、息をつく。

 目の前の竹林は、何も応えてはくれないが。

 

――とりあえず、飯でも食いながら考えますか。

 

 現実から逃避するようにして、置いておいた荷を探る。

 取り出すのは、今朝の作り置き。

 

――腹が減っては戦は出来ぬ。

 

 それを知っているぐらいには成長はしている。

 だからよし。

 

 時の流れは残酷だが、その積み重ねは裏切ることはない

老兵迷えども、戦場に弁当は忘れず、といったところである。

 

 

 

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 いつもどおりの食事。

 いつもどおりの生活。

 いつもどおりの暮らし。

 

 まるで、時が止まってしまったかのように変わらない。

 

 それは本当に。

 本当に―――

 

 

 

 

 

「退屈ね」

 

 

 ぽつりと吐き出した言葉は、そのままの形で辺りへと響き、薄く消える。

 

 変わることのない『いつも』。私を捕らえて放さない『いつも』。

 退屈な日常。

 

 それを捨てたくて。それから逃れたくて。

 私はそれに手を出した。

 

 変わらぬ私を変えるために。変わろうとしない世界から逃れるために。

 ほんの僅かな希望を抱いて、罪を犯した。

 微かな憧れを満たそうとした。

 

――けれど……。

 

 知ってしまえば、もう戻れなかった。

 

――私は。

 

 変わるということを知ってしまった。

 移ろうということを感じてしまった。

 

 だからこそ、彼女に縋ってしまった。

 

 私のわがままに付き合い、私の願いを叶えてくれて――そのことすら、自らの罪として抱えてしまうような優しい友人を、私は巻き込んだ。

 

 自分の欲のために。

 

 確かに、私は穢れているのだろう。

 確かに、私は毒されているのかもしれない。

 

――それでも、そうしたかった。

 

 これは、そのための贖罪の時間。

 罪を償うための時間なのかもしれない。

 

「姫、お食事の準備が……」

「ありがとう永琳。でも、今日はいらないわ」

 

――いや、今日も、か。

 

 僅かばかりの空間から採れた野菜。

 数少ない食材から造られた端正な料理。

 見るからに手がかかっていて、見ただけでその美味しさが伝わってくるようで。

 

――想像通りに、美味しいのだろう

 

 それを知ってしまっている。

 それがずっと続けば、飽きてしまう。

 

 ずっと変わらないなら、もはや、何も感じないのと同じ。刺激など、存在しない。

 

――ただの愉しみにすら……ならない。

 

 平坦な『いつも』という道。

 平常の『いつも』という繰り返し。

 

 同じ日々。

 

「それよりも――永琳、あなた無理しすぎてない?わざわざ、毎日食事を作る必要なんてないのよ。私たちには」

 

 そんな言葉に、彼女は困ったような顔をしながら「大丈夫」といって微笑んでみせる。

 このくらいのことしかできないという自責からなのか――それとも、ずっと抱えたままの罪の意識によるものか。 どちらにしても、それは私のためのものだろう。

 

――あなたにも、ちゃんと笑っていてほしいのに。

 

 私の好奇心から始まったもの。

 その償いに、付き合わされる友人の姿。

 

 『いつも』から逃げ出した先で見つけたのは、どうやら、確かに罪人な私の姿であった。

 

――あと、どれほどの時を待てばいいのだろう。

 

 それはわからない。

 

 いつ、許されるのか。いつ、逃れられるのか。

 

――せめて、この不器用な友人だけは……。

 

 ずっと、私の犠牲になる必要はない。

 ずっと、私ばかりに構っていることはない。

 

――離れたくないけれど、幸せにもなってほしい。

 

 未だに抱えたままの我がままが、ゆっくりと私を締め付ける。そんな都合のいい夢想が泡沫のように浮いては消える。

 

『変わらない』

 

 

 こうやって、『いつも』は過ぎて行くのだ。

 変化しない退屈の中、絶えず巻き起こっては消えていく後悔と懺悔。懐かしい思い出と過ぎていった記憶たち。

 少しの幸福と諦感。

 

「……」

 

 好奇心は猫をも殺す。

 そして、退屈は『永遠』をも色褪せさせる――変わらぬ色を、飽きさせる。

 

「はあ……」

 

 踏み出したのは、僅かに含まれた庭園の中。

 領域内の数少ない緑の場所の内。

 

――やめておけばよかったのかもしれない。

 

 そんな手前勝手な考えが浮かんだ時。

 そんな諦観の思いに至ろうとした時。

 

 

「おやおや――こりゃまた」

 

 

 

 停まった刻の中に、一つの風が吹き込んだ。

 

 

 

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 ふと、見つめた先にあったのは、今まで無かったはずの道。まるで、誘うように口を開いて待ち構える――1つの可能性。

 

 何かの罠かもしれない。

 何かに巻き込まれてしまうかもしれない。

 あからさまな歓迎に、危機察知の感覚が大きく叫ぶ。

 

――それでも。

 

 この先で待っているものがいる。

 鬼か蛇か。

 化物のような人間か。化け物が化けた人間か

 何が何やら解らぬものか。

 

――それでも、道を示してくれていることは確かだ。

 

 手段も思いつかず。方法もわからない。

 そんな迷い人にできることは二つだけ。

 

――その場に留まるか。何かを見つけるために進むのか。

 

 前者は他人頼り。寄る辺が無ければ意味が無い。

 ならば、どうにか自分で進むしかないのだ。

 

「……」

 

 たとえ、その先が化物の胃袋の中でも、それを食い破るほどの覚悟を持って――はたまた、いつでも逃げ出せるような余裕を持って、前へと進む。

 

――まあ、どうにかなるでしょう。

 

 年寄り特有の楽観をもって、いつもに通りに歩く。

 それが、自分なりのやり方で、ずっと続けてきた方法。そのために、逃げ口上と忍び足だけはいっちょ前。

 煙に巻くのは得意技。

 

 だから――

 

「おやおや――こりゃまた」

 

 その先で見つけた憂鬱そうな少女にこういったのも必然(いつも)のこと。恒常(いつも)通りの藪つつき。

 

「お久しぶりで」

 

 恨み辛みの蛇が飛び出し、喉元狙うか。

 罠にかかった獲物をどう料理しようと狙うマタギの舌なめずりか。

 

 どちらとしても、前へと進む。

 

「そこのお姫様――退屈なのでしたら、ちょっと珍しい食事でもご一緒しませんか?」

 

 軽く緩くと声かける。

 退屈を紛らわせるために。ひいては、わけのわからない事柄に巻き込まれる前に。

 餌を差し出し我が身の安全を。

 

――誰も腹いっぱいの時に暴れたくはない。

 

 騙した相手との再会には、手土産の一つでも持って誤魔化すものだ。手持ちは己の特製弁当一式のみ。

 

「文句は……その後に」

 

 にやりと微笑んだ少女の笑みを、何やらぞわっと毛を逆立てながら受け止めて――どうにかこうにかと言い訳を考える。

 今日も今日とて、武器はありあわせ。

 言葉と誠意と誤魔化して、のらりくらりとかわす道筋暗く。

 

――本当に……。

 

 厄介ごとには、困らない。

 そういう『いつも』の調子。

 

――日常茶飯に退屈しない人生だ。

 

 ため息交じりに笑み合わす。

 そういう日々を、日々歩む。

 

 

 

 





 いつもいつもと日常茶飯のこと。
 日常、茶を飲み、飯を食う。

 そんな感じと縁が巡るお話です。





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