東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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とある日常

 

 目の前の対象へと向けて、まっすぐに刃を当てる。

 ためらってはいけない。そして、考えなさ過ぎてもいけない。

 頭に描くそのままの結果を生み出すために、その細胞一つ一つの繋がりさえも観察し、より慎重に、より丁寧に。赤子を抱くような柔さを持ちながら、その片手で火薬を弄ぶような大胆さを持ち合わせて――それ(・・)を、一気と引き降ろす。

 

「……!」

 

 しゅっ――と一瞬の音。

 落とされるのは、その結果。

 

 無言の発声と共に、思い切りよく引かれたそれは、寸分たがわず対象を切り裂いて、その一部だったものを空に散らす。薄く、向こうが透けて見えるようなそれは、一時ひゅるりと漂って、重さに引かれて落ちた。

 目の前に残されるのは、人工的に形を変えられた自然物と切り開かれた断面――まるで、最初からそうであったかのようにまでの綺麗に切り取られた存在。

 

 ごくりと息を呑んで、それを見守っている者達。

 もし、不具合があったとしても、やり直しはきかないのだ。一つ一つが命を摘み取っての行為。無駄にするわけにはいかない。

 だからこそ、この行為のためだけに、一生をかけるほどの鍛錬を重ねる者もいる。

 

「……」

 

 隅々までを丹念に観察し、誤りがないのを確認する。

 無駄にしてはいけない。けれど、それが後の災いとなってしまっては、それこそ意味が無い。もし失敗をしたのなら、その失敗の責任を取るのが筋というものだ。

 決して、それから逃げてはいけない。

 たとえ、それが――決して取り返しのつかないことでも。

 

「――よし」

 

 小さく呟いた。

 それと共に、待ちきれないというように拳を握る男衆。にこりとそちらに振り向いて、指していった。

 

「大丈夫です」

 

 一瞬の沈黙。

 そして――

 

 

「おおお!!」

 

 

 周りを囲む者達が一斉にあげた歓声に、空気が揺れた。

 そのままの勢いで手が伸ばされて、背中や肩に打ちつけられる。

 

 

「痛い。ちょっと痛いですって……おい」

 親愛の情だと理解しながらも、普段からの力仕事で鍛えられた腕力は並ではない。次々と降りかかる衝撃を防御しながら、その間を抜けていった。

 その先にいたのは、深いしわが刻まれ、鋭い眼光でこちらを見つめる老人。

 短く刈り込まれた頭に、白い布をねじりこんで巻きつけ、視線の先にあるそれを見つめている。

 

 騒ぎ立てていた若者達がそれに気づいて黙り込んだ。

 ゆっくりと立ち上がった老人が、じろりとその完成品を観察した後、こちらに振り向く。

 頑固そうなその顔が歪み、若者達が一筋の汗を垂らす。

 

そして――

 

「――やるじゃねえか若えの。久々にいい技見せてもらったぜ」

 

 

 にやりと持ち上げられた口端とともに呟かれた言葉。

 若者たちは二度目の爆発を迎えた。

 

「酒もってこい! これが飲まずにいられるかってんだー!」

「いよっしゃー!」

 

 天井知らずに揚がる熱。

 焦げ付くような盛り上がり。

 

 でも、思う。

 

「――いやいや、あんたらこれから仕事でしょうが」

 

 

 漏らした呟きは、誰も聞いてはいなかった。

 

 

 

 

 それが、今朝の作業場の光景であった。

 後に駆けつけた女衆によって駆逐される馬鹿な男達の群である。

 同情はしない――共感はする。

 

 

 

「――ありがとうございました」

 

 ぺこりと頭を下げて、丁寧に礼をする。

「いいってことよ」ときっぷ良くに言い放つ棟梁に、もう一度、「無理を言ってすいません」といって、そこを後にした。

 時間は、早朝過ぎた太陽が東で落ち着いた辺り。

 

――良かった良かった。

 

 木材を削るために道具と場所を貸してほしいという願いを快く受け入れて、さらには、その預かりまで申し出てくれた粋な御仁だった。

 礼はいくらいっても足りないし、こういう人にはちゃんとした礼を示したい。

 

――流石に、そこらにほっぽって置いとくわけにはいかなかったし。

 

 あの場所で一夜を明かした後、そこらを適当に歩き回っていて見つけた倒木。

 樹齢二、三百年にも及びそうな大木が、まるで、何かもの凄い力にでも吹き飛ばされでもしたかのように辺りをなぎ倒して転がっていた。

 そこに放置したままなら、それはただ自然に還っていくのみだったろうが―――こんな好運を利用しない手はない。

 

――こういう自然乾燥した木材ってのは、加工するのにもってこいだ。

 

 家屋に家具に、また、燃料としても受容が高い。

 この辺りに腰を落ち着かせようと思っている自分にとっても、これから有用になるだろう。

 そう考えて、符や札、梃子の原理などを利用しながら、どうにか人里の方まで運び出したのだ。

 多少、門番の人々に驚かれ、ひと悶着もあったが……どうやら、こんなことを出来る者も里の中に幾人かは存在するらしい。思ったよりも簡単に受け入れられて、必要のない部分は、里の共有部分の補強材料に使うという所で交渉は成立。大工たちの加工場での経過を経て、棟梁の手に預けられた。

 

――しかし、久しぶりに大工道具なんて握ったもんだ。

 

 昔に行った何十年かの大工修行や手習い大工の積み重ね。勘を取り戻すのに少々時間はかかったが、なんとか納得の仕事を――鉋がけを行うことができた。

 人間、何事も経験しておくものである。

 

「さて」

 

 そんな今朝までの記憶の整理を終えての、今現在。

 目の前に広がるのは、人里の端に存在する田園地帯。

 

 早朝の大工仕事を終えた後、そこを離れ、人々が働く田畑の様子を眺めながら、朝食代わりに昨日残しておいた薬草汁を腹の中に注ぎこんでいた。具のない汁では少々溜まらない感はあるが、栄養の補給には十分。

 呑み干した後、その入れ物である竹筒を近くの水田に引かれた用水路で洗い、ついでに飲み水も確保しておいた。

 

 そうやって準備が出来たところで、ぐっと伸びをして立ち上がる。

 天気は晴天。

 少々暑すぎるほどの陽光が降り注いでいる。

 

「どう、しますかねぇ」

 

 いつもと同じに呟く言葉。

 いつもと違うのは、その向く先があるというところ。

 

「腰を落ち着ける場所、ねぇ」

 

 仮宿とはいえ、人間一人の一生分程度には居座るつもりなのだ。そのために、自らの止まり木を一体何処に置いておくべきか。

 悩みどころで、考えどころ。

 

――材料は用意した。

 

 今度は、土地探し。

 これほどの面白げな地だ。色々と見回りもせずに決めるのは勿体無いというものだ。

 

――どうせなら、楽しまなきゃ損ですしね。

 

 年寄りの道楽は、今まで見たこともないものを見つけることだ。折角の奇想天外溢れる場、観光がてらの探検も面白い。

 ついでついでと寄り道し――

 

「鬼が出るか蛇が出るか……」

 愉しむこととしよう。

 

 

 浮かれ気分で呟いて、気ままに一歩を踏み出した。

 

 

 

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 うだるような暑い日差しを避けて、木の根を背中に森林浴。葉々の間から洩れる僅かな光の線を眺めながら、片手に持った杯を煽る。

 

 至福の瞬間。

 そう、そのはずだ。

 

「はぁー」

 

 漏れる息は、喜悦が溢れた感慨などではなく。ただの酒臭い空気を吐き出しただけにすぎないもの。頭に回った酒気が醸し出す快楽など微塵も感じられない、ただ水を飲み干しているのと同じこと。

 まったくといってもいいほど、酔えない。

 楽しい酒になっていない。

 

――なんだろうなー……この感覚。

 

 いくら呑んでも愉しくない。

 いくら飲んでも楽しめない。

 

――つまらない。

 

 酒自体は結構な上物。

 いつもなら、これが手に入っただけでも気分は上々。匂いを嗅いだ瞬間から飲み干す瞬間まで、ずっと心地いい酔いの感覚に身を躍らせているところだ。

 けれど、今は全然酔えない。

 

 気分は乗らず。

 呑めば呑むほど胸のうちから萎えていってしまうような気がする。

 典型的な悪酒だ。

 

「ああもうっ!」

 

 腹立ち紛れに殴り飛ばした木が、根元からばりばりと音を立てて崩れ落ちた。

 ちっともすっきりはしない。それどころか、寄りかかる支えがなくなって余計に具合が悪いぐらいだ。

 

「むう・・・・・」

 

 仕方なしに座り込むのをやめて、持っていた杯を散らし(・・・)ながら立ち上がった。

 酒瓶の方はそのままの状態で、片手に抱えて歩き出す。

 

――どっかで飲みなおそうか。

 

 場所を変えれば気分も変わるかもしれない。

 せっかくの上物なのに、こんなに不味く飲んでしまっては酒にも失礼というものだ。何か肴になるものでも調達して、もう少しでも楽しめる形に。

 そう考えて、適当な範囲を決めて、辺りへと意識を散らす。

 

――何か余興でもあったらいいんだけど……。

 

 面白いもの。博打でも喧嘩でもなんでもいい。

 何か熱くなれるものでもあれば、ここ数日のこんなもやもや感覚も晴れるだろう。

 

――あんな夢を、久しぶりに見たから。

 

 込み上げる嫌な感覚はぐるぐると胸のうちに渦巻いて、このうす暗い気持ちをだんだんと強くする。

 この鬱屈した苛々を散らしてしまいたい。こんな自分らしくない感覚から抜け出してしまいたい。

 

 さっさと――(おに)に戻りたい。

 

「――お?」

 

 そんなことを考えていたところで、何やら気になるものを見つけた。

 

――これは……。

 

 森の端に伸びる足跡。

 獣道しかない山の中で草を踏み進むそれは、真っ直ぐと奥へと進んでいる。

 その先にいるのは――

 

 

「――よし!」

 

 久しぶりの獲物。

 もうすぐ、自分たちの縄張りに踏み込みそうにはなっているが……まだ、誰にも見つかっていないようだ。

 

――丁度いい。

 

 憂さ晴らしにも、ちょっとした仕返しにも、これ以上の相手はいない。それ(・・)を正々堂々正面からぶっ飛ばしてやれば、少しは気が晴れるだろう。

 

 

「急がないと」

 誰にとられてしまうともかぎらない。

 鬼は鬼らしく即断即決だ。

 

 素早くその身を散らして、現場へと急ぐ。

 ほんの数秒に過ぎないが、それでももどかしい。

 

――はやくはやく……。

 

 強い相手であってほしい。

 なんなら、私たち相手の専門家でもいい。

 

――いい喧嘩をすれば、きっと酒も美味くなる。

 

 

 能力さえ効かないこの感情を疎ませてしまうためにも―――そう願って、血を沸かす。

 

 

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「どっこらしょっ、と」

 

 村の用水路から水源を辿り、川原を上流へ上流へと遡っていた。

 目の前に転がる岩を乗り越えて、その先のごつごつとした小石だらけの地面に降りて――すると周りは、既に緑で覆われた森の中。その中で真っ直ぐに伸びる透明な水の流れと灰色の河原。

 この川は、どうやらあの一際大きい山の方から流れ出しているらしい。

 そう把握して、また歩を進める。

 

 途中までは人の気配を醸し、河原に沿うようにして伸びていた道も草に覆われた獣道へと変わり、辺りを囲む緑はその数を増して、水気を含む独特の匂いがどんどん濃くなっている。

 煩いほどの虫の声はもはや気にならないほどに当たり前のものとなり、微かにあった人が通ったことがあるような痕跡もほとんど見かけなくなった。

 

「ふーむ」

 

 顎に手を置き、歩きながら考える。

 

――どうするか。

 

 転びやすい砂利道を避けての移動はしているが、そろそろ足腰への負担が大きなものになってきた。人が入り込むような場所ではなくなっている模様であるし、里山という面影からも完全に離れてしまっている。

 そろそろ引き返した方がいい頃合なのかもしれない。

 流石にこれ以上踏み込めば、何か(・・)に触れてしまわないとも限らない。そうなってしまってもおかしくはないところまで来てしまっている。

 

「……」

 

 一応、目立たないように静かに移動はしているが、あまり初日から冒険するというのも本意ではない。

 怪我も治りきってはいないことだし、もう少しいったところで引き返すことにしよう。

 

「あの辺りまでってことで……いいか」

 

 適当に、視界の先に見えた目立つものを目標として、緩い歩みで進む。

 どのみち、この辺りは住むのには向いていなさそうだ。元々、水源の確認としてといった思惑ではあったため、ただの散歩と確認ということにしておけば悪くない。

 

――いい天気、ですしねぇ。

 

 河原の涼しげな風に目を細めると、虫の勢いのよい叫びの中に、さらさらという川のせせらぎが僅かに聞こえる。

 時折混じる飲み込んだ空気のぼこぼこという音、大岩にぶつかった白い飛沫。

 人の手が入っていない。

 そこにあるままの風景の音がする。

 

 これほど豊かにそれが自然が残っているというのは、人里の近くでは珍しいことだろう。川辺は人の生命線として、誰かが手を加えていることの方も多い。

 

――それだけ、近寄りがたいってことかね。

 

 

 狭い狭い人の縄張り。周りを囲う全てが違う領域で、何か別のものが住む世界。

 恐れ、敬いながら。惑い、狼狽えながら。

 それと戦い、補い合いながら――生きる。

 まだまだ、丁度いい具合とはいえない。

 人が弱く、神秘が強い。

 今は、そんな時代だ。

 

――この先どうなるかはわかりませんがねぇ……。

 

 寄った振り子がこれから先にどう変化をしていくのか。そして、その中でも特異点ともなり得そうなこの土地がどうなっていくのか。

 

 いくら生きても、未来(さき)のことはわからない。

 

「おっと」

 

 つらつらとそんな適当なことを考えているうちに、目標としていた場所に到着してしまっていた。無意識のままに脚を進めていた分、今の今まで気づかなかった。

 

「それじゃ、ちょっと一休みしてから」

 引き返しますか。

 

 そう呟いて息を吐く。

 荷物を降ろし、近くの手ごろな岩を椅子として腰を下ろしながら、取り出した竹筒に口をつけ、乾いたのどを潤した。

 

 そうして眺めるのは、標とした印。

辺りの音を打ち消す轟音の(ぬし)である。

 

 

 

――

 

 

 

「ふぃー」

 

 身体の疲労感を吐き出すように思い切り息をついた。

 ごうごうと音を立てて下り落ちる滝の流れは見ていてなかなかに清々しい。

「風流風流」などと呟きながら、一杯やりたい気分である。

 さぞや心地いいことだろう。

 

――まあ、流石にそこまで気は抜けないが。

 

 一応、それはある。

 わざわざ荷物の中で強化を施してまで保存し続けている一品だ。とある伝手で手に入れて以来、ずっと機会を待って荷の奥へと仕舞いこんでいる。

 しかし、ここで呑むには――あまりに、落ち着きがなさそうだ。

 

――もうちょっと気のおけないところで呑みたいもんですしねぇ……。

 

 ちゃんと住居を構えてから、一人でひっそり飲むことにでもするか。それとも、誰かと適当な祝いで空けることにするか。

 結構な悩みどころであるが、とりあえずは、今は我慢。

 

「――……」

「む?」

 

 そんなところに、一瞬、妙な感覚を感じた。

 薄い――限りなく薄いが、何かが蠢くような気配。

 

――……?

 

 生憎、辺りは元々妖怪の巣窟であるらしい。その残り香といった感じの気配が強すぎて、それをはっきりとは感じられない。けれど、確かに何かがいるような――混ざっているような感覚がする。

 

――滝壺、森……空。いや、どこだ?

 

 周り一帯を改めて確認しても何も見つけられない。ただ、滝が放つ飛沫が辺りに薄く漂っているだけ……いや、これだけ大きな滝とはいえ、こんなにも(・・・・・)濃く、その飛沫を感じることがあるだろうか。

 それは靄か霧にでも包まれてしまったかのように辺りに満ちていて――己を囲う。

 まるで、意志を持っているように、包み込む。

 

「――こいつは、また」

 

 気づいたと同時に、はっきりと蠢き始めた靄の塊。

 辺りの空気を吸い込むように、一箇所に向けて風が集まって――何かが渦となり、圧縮されていく。

 辺りに漂っていた気配全てがそこへと集約し、僅かだったそれらが異様な濃さで形をとる。

 

「……」

 

 どうやら、のんびりしていられるのもここまでのことらしい。地面に放っておいた荷物を持ち上げて、しっかりと身体に結びつける。

 そして、懐に差し込んでいた腕から、こっそりと包帯を剥いでおく。

 

――こういう引きがいいのは、いつものことですねぇ。

 

 「まったく」と悪態をつきたくもなる。

 高まっていく気配――力の塊は、まごうことなき大妖のもの。

 どうにも、再びの規格外。

 

「……少し、最近は豪華すぎやしませんかね」

 

 観光気分で訪れたにしては、少し胃にもたれすぎる歓迎だ。地元民の不況を買ったのか、随分とまあ風当たりが世強い――いつものことか。

 何にせよ。多分、簡単に逃げられることはない。

 そういう状況だ。

 

 

 

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――上物だね。

 

 姿が収束する前にこちらの気配へと気づき、対応しようと身構える男。

 まるでなってないようで、力の抜けた隙のない姿を見せる様子に、思わず口端が持ち上がる。

 

――久しぶりに愉しめそうだ。

 

 いい喧嘩相手になりそうな人間。

 この鬱屈を吹き飛ばせそうな予感に血が沸き、肉が踊る。

 これこそが自分といえる感覚がして、鬼としての本能が騒ぐ。

 

「――よしっ!」

 

 完全に姿を表したところで、がつんと拳をぶつけ合わせて、男を正面から見据えた。

 人間にしては多少の長身、痩せ方で、前髪が目にかかる程度に伸びている。

 決して見た目から強そうに見える相手ではないが――、こういう人間こそ油断がならないということもある。

 人間は見た目では判断ができないことの方が多い――私が言うのもなんだが――その証拠に、私の姿をいつもの姿を見つめて、男は油断するどころか驚きの様子すら見せない。

 髪の間から見える細く絞られた目で、こちらをじっくりと観察している。推し量っている。

 

――ちゃんと私の力を解ってる。

 

 どうやら、簡単に終わる相手ではない。

 嬉しい限り。

 

「おっと」

 

 そんな高揚するそれを押さえながら、一つ咳払い。

 まだ、己は姿を現したばかりで何を名乗ってもいない。

 まずは、始めなければ――

 

「――そこの人間。こんな所(・・・)で何してるんだい?」

 

 通りがかりにふらりと声をかけたという印象で声を出す。

 男は、それに――にこりと微笑んで言葉を返した。

 

「いえいえ、ちょっと散歩をね……お嬢さんこそ、こんな所(・・・)でどうしました?」

 

 返る言葉に笑み深く。

 その慣れた調子に気分が乗る。

 

「こっちこそ、ただの気まぐれだよ」

 ただの散歩。

 

 愉しげに言葉を重ねる。

 馬鹿馬鹿しいやりとり――けれど、これは儀礼のようなもの。

 祭りの前準備、立ち位置の確認。

 これから始まる人間と妖怪との関係を示すことで、その合図とする。

 

「ここらは危ないよ。恐ろしい妖怪の住処だからね」

「そりゃ怖い。そろそろお暇しないといけないですかねぇ」

 

 まったく怖くなさそうな表情で男は応える。

 少し大きめの着物が、その動きに従って揺れた。

 

「近くに私の家がある。そっちでゆっくりするといい」

「いえいえ、それには及びません」

 自分で帰れますから。

 

 踵を返して立ち去ろうとするわざとらしい背中には、微塵の隙もない。

 警戒し、気を張って――その上で付き合っている。

 

 形式だけの行為。

 それでも、まるで合わせてくれているように。盛り上がる気分をさらに持ち上げて、一層愉しい舞台に引き上げてる。

 

――愉しい。愉しいけど……。

 

「――いや、いけないよ」

 

 ギシリ、と握った拳が音を立てた。

 もうそろそろ我慢が効かない。

 

「鬼を前にしたんだ。ちゃんと攫われて(・・・・)くれないと」

 

 男は歩みを止めて、ゆっくりと振り向いた。

 その手には、先ほどまで持っていなかった札――術者が使う補助式を指に挟みこんでいる。

 

 感じるのは、やはり愉しい戦の気配。

 

「用事があるんですよ。どうしたら帰れますかね?」

 

 慇懃無礼に。

 気の抜けたままの姿勢で。

 

 男は、自然体で構えをとった。

 

「勿論」

 

 その姿に笑みを深めながら、再び拳同士を打ち鳴らし、威風堂々言い放つ。

 真正面から真っ直ぐに。

 鬼らしく。私らしく。

 

「私に勝てたらさ!」

 

 気合をいれた叫び共に、脚を思い切り踏み出して地面を叩く。

 辺りが揺れて、木々の葉っぱが揺れ落ちる。

 

 それが開戦の合図。

 喧嘩の始まり。

 

 思い切り拳を振り上げて、勢いのままに私は飛びかかる。

 

 人と鬼。

 血と肉と、拳で語る関係性。

 

 

 今日は、喧嘩にもってこいの日だ。

 

 

 

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 こちらの背丈を越えて跳躍し、上から降りかかるように落ち来る少女。

 

 見えない、というほどではない。

 多少、手加減でもしてくれているのか、その速度は、人間でもある程度の心得あるものならば、十分に出せるものだ。

 

 避けられないほどではない。

 

――けれど

 

「……っ!」

 

 今の体調で出せる最高速度で、飛び退いた。

 紙一重などではなく、不恰好なほどに大げさな距離を開けて、体勢を崩しながらもなんとか着地する。

 

「おぉ!?」

 

 数間ほどに距離の空いた地面に向けて、その勢いのまま拳は打ち下ろされる。

 勢い余ったという印象の間の抜けた声と共に弾けたのは――先ほどまで自分がいたはずの場所。

 

 

 どごんっと、派手な音と共に地面が陥没した。

 

「っぐ!」

 

 その衝撃で飛んできた砂利を両腕を盾にして受け止めつ。川辺で地面が湿っている分、あまり土煙があがらなかったのが幸いだ。

 相手を見失う心配はない。

 

「――悪いね」

 

 可愛らしい小さな姿。

 身体の所々に着けられた無骨な鎖。

 

 そして――

 

「久しぶりで加減が効かないんだ」

 

 その橙色の髪の間から聳え立つ強靭な角。

 妖怪の――鬼としての証。

 

「それじゃあ、次いくよ」

 

 ぐるぐると肩を回して話す少女。

 手首の先に鎖で繋がれた分銅のようなものがその度にカチャカチャと揺れ、音を立てて擦れ合っている。

 

――あれも武器かね?

 

 三角錐と球型の飾り。

 あんなものでも人間の身体ぐらい簡単に砕いてしまえるだろう。

 小さな体躯からは考えられない剛力が、立ち上るような妖気が――その証拠。

 

――流石鬼ってとこですかね。

 

 怪異の中でも、故実共に有名で……・さらに際立つ特別な存在。古来より悪しきもの、超常的なものへの代名詞としてすら扱われてきた。

 他の有象無象とは比べ物にならないほどの力を持ち、人知が及ばないほどの災いを引き起こし、知勇共に恐ろしさと強さを示す。

 力の代名詞。

 ある意味では、人の社会へと大きく関わってき続けた物の怪である。そして、その分だけ、力と逸話を手にし続けてきた存在でもある。

 

 原初から、敵役としての位置を持つ。

 

――武器もない。身体も万全じゃない。

 

 こんな状態で敵う相手ではない。

 けれど、泣いて頼んだって謝ったって退いてくれる相手でもなさそうな――そういう闘気を纏った少女。

 

「ほらほらどうした!」

 

 気風も気前も調子もいいが、何より喧嘩好き。

 それが鬼というものだ。

 

「……っと!」

 

 愉しそうな笑みを浮かべたまま振り下ろされる拳。

 それ振るわれる度にぎりぎりまで強化した脚力を使って飛び退き続ける。

 

「反撃しないとどうにもならないよ!」

 

 避ける度、すぐさまこちらに接近して拳を振るう少女。

 言葉はごもっともだが、こちらはそう簡単にはいかないのだ。

 

 当たれば終わり。受けても吹き飛ぶ。

 つまり――

 

「そうですねっ、と!」

 

――避けるしかない。

 

 相手が飛び込み拳を振り下ろした瞬間に、その腕の内側へと滑り込み、相手の正面へと入り込む。

 いつもならもっと時間をかけて癖を掴んでからの行為だが……今はそんなことをしている暇はない。

 

――動けるうちに。

 

 力が残っているうちに――なるべく早く終わらせてしまわなければ、身体の方が保たない。ある程度まで回復したとはいえ、全開の状態で動ける時間には限りがありすぎる。

 相手の動きはだんだんと速くなっているのだ。

 まだまだ油断してくれているうちに、一気に決めてしまうしかない。

 そういう単純な考えで。

 

「はあっ!」

 

 裂帛の気合と共に打ち込む掌底。

 背格好の違いから上から振り下ろすような形ではなったそれは、地面に打ち込む震脚によって力を存分に伝え、その小さな身体に吸い込まれ――振りぬいた方とは別の、もう片方の腕によって受け止められた。

 まるで、巨岩にでも拳を叩き込んだような……そんなその姿は考えられないような重さが体に響き、傷口に走る痛みに顔を顰める。

 

 少女は、微動だにもしていない。

 

「なかなかの一撃だね」

 

 それでも、こちらを認めるような笑みを見せる少女。

 そのまま腕を振り抜いて、こちらを吹き飛ばそうとするが――その前に。

 

「そりゃあ、光栄ですよ!」

 

 右手に持った本命の札を少女に叩きつけるようにしながら発動させる。

 威力も乏しく、簡易的なものでしかないが――多少の時間稼ぎには成る封印の符。

 上手くいけば数瞬だけでも相手の動きを止められる。

 その間に逃げればいい。

 

――逃げるだけなら、色々と方法はある。

 

 これだけ濃い力に包まれた土地。

 上手く工夫すれば気配の誤認などいくらでも行うことが出来る。

 そういう策だ。

 

 が――

 

「ぐっ……」

 

 思い切り振りぬいた掌が空を切り、無茶な稼動に身体が悲鳴をあげる。右腕の骨が軋み、傷口を中心に身体全体へと痛みを運ぶ。

 

 その呻きが、そのまま声に出た。

 

――こりゃあ……。

 

 込み上げる感覚を押し殺しながら、後ろ(・・)へ回った気配に向き直る。そこには不敵な笑みを浮かべる少女の顔と―――半分ほどが霧散し、霧のような状態になっている姿現し。

 

「いい手だ。楽しいねぇ」

 

 余裕に余裕と笑う鬼。

「お次はどうする?」と好奇心にて呼びかける期待の大きな大きな瞳。きらきらと輝いて、少女は老人に期待する。

 その眩しい限りの姿に。

 

――そう簡単にはいってくれない、ってことですかね。

 

 爺は苦笑い。

 どうにも、一筋縄でもいきそうにない。

「それじゃあ」と次策を練る。勿論、どうやって逃げ切るか。

 

――能力、それも随分と応用の利きそうな。

 

 多分、少女個人が持つ特有な力。

 どう判断すればよいかはわからないが、こちらの攻撃が当たる瞬間――少女は、その身体を何かのような実体のないものに変化させ、こちらの攻撃をすり抜けさせた。

 そのような感じだ。

 

 最初は受けてくれたが、その気になれば、直接的な攻撃は絶対に通じないというものなのか。それとも、何か条件や弱点といったものが存在するのか。

 まだまだ判らない。

 

 ただ、思う――随分な面倒事なのだと。

 

「こりゃまた、でたらめですねぇ」

 

 能力持ち。

 それもその種族でも、培った技術というわけでもなく、その個人だけで発生し、独特の力を発揮する特異的なもの。

 勿論、鍛錬や工夫を重ねなければその力も微々たる物のはずだが……個人個人でまったく別々の力であり、独自に作り上げられた創始物。どう進化し、積み上げられていくのかも、それぞれ違う。

 初見で見抜くということは難しい。

 

――どうにか当たりをつけて……。

 

 その場しのぎで対応するしかない。

 そう覚悟して、息を吐く。

 

 

「おや、こないならこっちからいこうか?」

 

 少女は腕を組んで待っている。

 威風堂々、意気揚々――喧嘩好きと血を沸かす。

 

 その凶暴そうな笑み受けて。

 

「――どうぞ」

 

 ゆるりと左手を前に、右手をだらりと袖に隠して――構えをとった。

 顔には笑みを、身体には強がりを張り付けて。

 

「今度は、そっちの手番です」

 

 さらに手札の少なくなった不利を覆い隠すようにして、不敵に頬を吊り上げる。

 やってやろうと、成し遂げてやろうと気合いを充実させて――隙があればいつでも逃げ出せるように、知恵回す。

 

 

 それに少女はさらに笑って――

 

「そうそう……その意気だ」

 

 力込めて言い放つ。

 まだまだ、満足していない。

 もっと喰わせろ。もっと遊ばせろ。

 

「それじゃあ、いくよ!」

 

 喧嘩はこれからだと、腹ぺこを叫んでいる。

 その腹の音は、どうにも轟音。

 

――さてはて……。

 

 どうやら、長い祭りにつき合わされることになりそうだ。

 ごうごうと流れ続ける滝の音を聞きながら、そんなことを思った。

 

 

 





 順調に幻想郷を巡り、いつも通りに日常を事に出遇う。
 そういう話。


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