東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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理由を嘯き、答えを探す。

 

 数え切れない魑魅魍魎が列を成し、人知及ばぬ化生亡者が跋扈する。

何が起きても不思議なく、何が在ろうと疑いはない。

 さも当然で、恒常事。さもありなんと、毎夜の頻事。

 現実とは思えぬ現実と、摩訶不思議の常道と。

 寄り添い、いつもと置かれた場。

 

 ある人は、地獄に繋がっているのだといった。

 ある者は、別世界への入り口なのだといった。

 古き妖怪が生まれ育った地だと、力を失った神々が隠れ住む場所だと――確かめに行ったものは、誰も帰らない。

 隠され、拐われ、喰われたか。

 曝され、剥がされ、顕したか。

 誰も知らぬ虚実の居場所。

 誰も語らぬ恐ろしの場所。

 

 公然の幻。

 

 

 そして

 

 時折、その地に命を捨てに行く者がいる。

 誰かが噂した。行く先のなき者達の桃源郷があるのだという『幻想』を抱いて――唯一つの希望を目指す。

 

 嘘か真か。鬼か蛇か。

 語られるのは、風に瞬く噂のみ。

 誰も語らぬ噂のみ。

 

 

____________________________________

 

 

 

 

「記録、か」

「代々、私自身が受け持つ役割です」

 そのために閻魔との交渉も済ませました。

 

 注がれた茶を啜り、慣れた調子で話す少女。

 転生の方法。受け継ぐ役割。その能力。

 同一人物ということで代々という言葉に少しの違和も感じるが、まあ、ある意味では正しいのだろう。記録を残し、記憶を留め、それを継ぐ……その由来と歴史を知れば、なんとなくだが、納得いくものもある。

 

――つまり、これは……。

 

 違和感、というよりちょっとした既視感に近いもの。

 知っているのに知らない。わからないのにわかる――記憶とは、合っているのにずれている。

 おかしな感覚だが、それが正しい。

 同じところと違うところがあり、知っているからこそ差異が目につく。間違っているのに、それが正しいのだと理解している。

 

――おかしくて……けれど、それが現実と。

 

 だからこそ、感覚が戸惑っている。

 そういうものなのだろう。多分、向こうも似たような感覚を味わっている。

 知っているけれど、あるはずのないことに、訪れぬはずの再びに、出会ってしまった――埃被った、もう使うことないはずの記憶に、急に光を当てられた。

 

 それに、惑わぬ人間などいるはずがない。

 

「――随分とまあ、新鮮な感覚です」

 

 なかなかにない体験。

 長い人生でも、そう会うことはないだろう偶然に出会った。己でも、人間相手には叶わぬだろうと思っていたものに、再会した。

 それが、とても面白く――随分と、響く。

 

 それに加えて――

 

「幻想郷……ね」

「ええ、そう呼ばれています」

 

 にわかには信じられぬ少女の言葉。

 けれど、それは真実なのだと、なんとなくに確信している自分。

 

「……」

 

 隣に置かれた団子を一口齧り、「ふむ」と小さく呟いた。

 このような閉鎖された土地にあるものとして、それはなかなかに美味しく出来ている。閉ざされているからこそ、独自の進化を遂げたのか。それとも、単純に作り手の技術が高いのか。

 材料も手には入りづらそうであるのに、ちゃんとしたというもの以上の味を創り出している。

 

「化け物―――妖怪がいるのが当然としている、か」

 

 退治され、祓い清められるのが常識である妖怪。

 それが、当たり前にすむ世界。

 

――なかなか……。

 

 時に、人間との友好的関係を築くものや人の中に混ざり、それと共に生きるものも少々いるが、ほとんどのところ、表だった存在としては認知されないもの。

 それと関係があるという事実は、決して表に出されることはなく――むしろ、明かしてはいけない、禁忌として語られないことが多い。

 日常の裏。ひっそりと、薄く隠れ住むように生きるのが常道で。もし、表に出れば、良きにしろ悪しきにしろ、ただではすまない。

 返さないか。帰れないか。

 それは闇に閉ざされる。互いに遺恨と結果を植え付けられる。

 それが、妖怪として生まれたということであり、そう生み出された存在であるということ。意味として、そう名付けられている。蛇の道にて交わす縁である。

 

――生まれた由縁。存在としての定義……。

 

 そう、決められている。

 型となっている。

 

 ただ、生み出すものが人間であるのなら、それを判断するのも、また人間ということもある。

 人々の常識は往々として変わり、その方が都合が良いというのなら、いくらでも上書きされていくという流体性を持つ。その場所には、その場所なりの常識が生まれるというもので――同じ名を持つものが、全く別の性質を帯びていることも、多々あるのが、そういう存在と云われるものだ。

 

――随分と、面白い土地ですからね。

 

 お代わりしたお茶を啜り、疼く好奇の虫に、口端を持ち上がる。

 そこにしかない伝記伝説、語りに逸話。特殊に特有、玉と稀。随分と積み上げられた、遺失に惜しい泡沫の場所――まさに、幻想郷と呼ぶべき土地。

 まさか、ここまで(・・・・)続くものとなっているとは考えてもいなかった可能性が、胸が突く。

 愉しそうだと、熱を沸かせる。

 

「本当に、縁は異なものってことですかね」

「――何かいいましたか?」

 

 にこりとこぼした言葉に、少女が首をかしげた。

 それに微笑み返しながら、くるりと、団子のなくなった串を指先で回す。

 

「いえね――」

 

 くるくると。ぐるぐると。

 

「随分と、縁ってのは回るものだと思いましてね」

 なんだか笑えてしまって。

 

 くっくっと笑いを噛みしめながら答える

 己でも実感する愉しそうな調子に、少女は、自分との出会いを指しているのだと理解したのかくすりと笑い、「そうですね」と頷いた。

 そう、それも一つ。

 

――上手いこと……。

 

 ひゅるりと回る木製の棒。

 この棒一つをとっても――長き間を経てきた木々を、人が重ねた技術によって加工して、今の形に至るまでの時間と鍛錬重ね、全て乗り越えた上で、今の己の手へと至っている。

 それもまた、一つの奇跡に違いなく。

 当たり前に存在する無数の軌跡の中の一つに過ぎず。

 たとえそれが、偶然の再会であり、ほとんどありえないはずのことであろうとも――この世界を見れば、実はそこら中で、当たり前にいくらでも起こっている何の変哲も無い出来事でもある。

 

 それでも、だからこそ――

 

「良く、巡るもんです」

 

 そう思う。

 

「そうです、ね」

 

 再度頷いて、少女は笑んだ。

 随分と、年の割には大人びて――それでも、繋いだ年月としては、幼い表情で――嬉しそうに笑う。

 

 何かを見つけて、愉しそうに――。

 

 

「……」

「……」

 

 

 少し、互いに黙って茶を飲んだ。

 暑い陽の光を吸った深緑が風に混じりて、その新鮮な香を届ける。

 それを、ゆっくりと楽しんでから――。

 

 

「――で、その幻想郷縁起っていうのは」

「ああ、それはですね」

 

 また続き。

 

 過去から受け継いだ記憶と書き記された記憶。

 残る想い出と、記録から得た微かな残滓。

 どうやら、覚えている部分と覚えていない部分があるらしい――書から読み取った知識だけでは、実感がないものも多いのだ。

 知らぬこと、わからぬこと。

 知っているもの。覚えているもの。

 問答は果てなく続けられる。

 笑って続く話の種は、尽きずに花を、実をつける。

 

「そりゃまた」

「ええ、まったく」

 

 

 珍しき香に、趣深い味に。

 老人と少女は、舌を打つ。

 

 

 

 

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「なるほど、あなたは……」

 生きていた。

 

 薄い記憶。

 おぼろげに感じる懐かしさ……のようなもの。

 

 事実、転生といっても、私自身の全てが受け継がれるわけではない。確実に受け継がれるのは、その役割と能力、一部の幻想郷縁起に関する記憶のみであり、あとは、あまり覚えていないのといったのが実のところ。

 前世に出会ったことがある、といっても、その人間を確実に覚えているとはいえない――そもそも、私が転生する間隔自体が百年程度の間を空けたものである。

 それほどの時間が経ってしまえば、旧知の人物に再び生きて会うなど、全くと言っていいほどに適わないものである。その墓に参り、孫・曾孫といった存在と少しの会話を交わすことが間々あるのみで、記憶自体は己の中に掘り起こされることもなく、片隅で眠っている。

 ほんの時折だけ、記憶の中の実物――妖怪や化生のものといったものを目にすることはあるが、向こうはただ一人の人間にすぎないこちらを覚えているはずもない。

 それが、時の流れというものだ。

 

――それが……。

 

「人間……なんですよね?」

「まあ、多少長生きしてますが」

 一応、種別としては人間ですよ。

 

 そういってからからと笑う男性。

 それだけを見ていれば、本当にただの人間に過ぎない。周りの者と変わらない……少し妙な感じのする人間だというだけ。

 

 けれど、自分の感覚――そして、男に問うた記録と照らし合わせてみれば、それ(・・)が事実であるということには揺るぎがない。

 確かに、事実として、以前の私とこの男は出会っているのだ。

記憶通り、旧知の、『人間』なのだ。

 

――忘れない私と……思い出せない言葉を交わした相手。

 

 経験したことのない感覚に、不思議な感慨がこみ上げる。人間相手に感じるだろうことがないはずの感覚が、妙な響きとして、私の中に落ちていく。

 

 なんだか、それに笑ってしまう。

 

「――何かおかしなことでも?」

 

 微笑む私に、男が問う。

 生きた時間を感じさせない気軽い態度で、おかしなことをいう。

 

 だから、私はにっこりと笑んで答える。

 

「ええ、おかしなところだらけです」

「そりゃまた」

 

 その言葉に、男は困ったように頭を抱えてみせる。

 愉しそうに、頬を持ち上げて。

 

 それは――いつかの記憶と重なって。

 

「なら、証明しないと」

 決して怪しい人物じゃありませんってね。

 

 同じように、飄々回る。

 思い出せない記憶の、その続き。

 

――前も、同じだったかな。

 

 それはわからない。

 けれど、そうなのかもしれないと思う。

 わからないけど、そう感じている。

 

「それじゃあ――」

 

 私が問うて、男が答える。

 それははまり役なのだ。

 

「……それはですね」

 

 長い時間を生きて、私よりもそれに詳しい人物など、本当に珍しい。できるだけ、色々なことを聞いておきたい――これは、私が初代から持ち続ける欲求の一つ。

 『知りたい』という気持ち。

 

――それに……。

 

 なんだか、楽しい。

 誰とも共有できなかったものを、誰かに共感してもらえるということが。わからないことをわかってくれるのが。

 

――まるで。

 

 誰か、親や年長者に甘える子どもにでもなったようで。

 本当は、友人と昔懐かしむ老人の感覚なのかもしれないが――今の私は子どもで、転生前を合わせたって私の方がずっと年下なのだ。

 見た目以上に差は歴然で、間違いもない。

 

――なら、少しくらいならいいでしょう。

 

 なんとなく、自分にそう言い訳して、自分の聞きたいことばかりを聞く。その気分は、なんだか懐かしくて――初めての触れた心地だった。

 年上に、大人に寄りかかる子ども。もしかしたら、昔の私もこんなふうに感じたのかもしれないと。

 そんな気がして――笑ってしまう。

 

――子ども扱いされても、仕方ない。

 

 そんなことを、素直に思ってしまえるのだから。

 

 

 

____________________________________

 

 

 

「ふぃー」

 

 稗田の少女を家まで送り届け、宿を貸すとい誘いを丁寧に断ってから村を出た。先ほどくぐった門から、しばらくと距離を歩いて――先の方にあった草原で、のんびりと寝転がっている。

 すっかり真っ黒になった空には、数え切れないほどの星と、僅かに欠けた月の姿。

 

 それを頭上に、中身が残り少ない荷を枕にし、大きく息を吐く。

 

「……ふむ」

 

 稗田の少女には、まだまだ聞きたいことがあったのだろう。少し残念そうな顔をしていた。また、機会があれば尋ねるといって置いたので、多少納得していたようだが――今度は、ちゃんと行かなければならない。

 相手は、人間なのだ。

 

――それに……。

 

 編纂しているという資料もなかなかに面白そうなものであった。中身をみるのが楽しみである。

 それは、きっとこの先にも役立つものでもあるはずだ。

 

「……」

 

 つらつらとそんなことを考えながら――それを待つ。

 その隣で、ぱきりと音を立てて薪が折れ、崩れる音がした。ぐっと腹に力を入れて、半身を持ち上げ、置いておいた幾本かの木棒を、そこにある火へと放り込む。

 

――そろそろ、か。

 

 その炎――焚き火にかけていた鍋を見て、そう思った。

 少量の湯気を噴く蓋を外して、その中で煮立つ液体を眺めた。そして、荷から木杓を取り出し、同時に取り出した古ぼけた器へと少量注ぐ。

 

「――まあ、いい具合だろう」

 

 夜の草原に上がる白い煙と湯気。

 その味に納得し、もう一つの器へとその中身を注ぐ。

 片方を己の隣、もう片方を手に乗せて、向かいの誰もいない方へと伸ばす。ぐつぐつと、薄く透き通った香りを漂わせるそれ――を、どこからか、ふっと現れた手が受け取った。

 

「――温かい内にお召し上がりください」

「――ええ、ありがたく頂戴いたしますわ」

 

 響く声。

 予定調和の流れにいるように、向かいにあった石の上に腰を下ろしている、特製薬湯に口をつける女性。

 金色の髪と紫色の衣装に身を包む、妖怪の少女。

 こちらも同じように座りなおし、自分の分の器を傾ける。

 

 そして、一杯分の時間、互いに黙ったまま。

 夜の風を楽しむように目を細める。遠くには、人里の明かりが微かに見えて、妖怪を警戒しているのだろう。門の見張り台にも火が見える。不寝番の者は気の毒だが、重要なこと。いくら理由があったとしても、妖怪相手に理屈が通じるとは限らない。

 ならば、力を尽くしておくものだ。

 

――生きるためにも、守るためにも……。

 

 人が生きるための工夫。生き残るための努力。

 自分たちの出来るだけのことをしている良い里なのだ。

 ちゃんと、生きようとしている場所なのだ。

 

 けれど――

 

「あの村は――なぜ、残れているんだろうな、八雲の」

 

 それは、あの村が存在していられる理由にはならない。

 記憶の中。

 浮かぶのは、あの時出会った法師と獣の妖怪。変り種の土地――あの日、交わされた約束は確かでも、それが永劫続くはずが無い。こんな場所に存在する人里が、滅びることなく存続し続ける可能性など、限りなく零に近いものである。

 ずっと、続けられるはずがないのだ。

 もはや、辺りの森にあの妖怪の気配すら、感じられぬのだから。

 けれど、それなのに。

 

「あのときの面影を残したまま――受け継いだままにそこにある」

 

 それは、おかしなことだ。

 

「……」

 

 紫の妖怪は答えない。

 

 誰かの――何か規格外の理由でもなければ、その奇跡が起こるはずはないのに。

 何かしらの強い意志が、誰かがそれを望まなければ――人の手だけでは、実現するはずがない。この場所に、花が咲くはずがない。

 そんな――。

 

「幻でも、見ているのかね」

 

 幻想のようなこと。

 

 少女は、口を閉じたまま、ゆっくりと目を細めた。

 何かを思い起こすように、辺りを……人里だけではなく。辺りの山や森、草原や河川を見回して、小さく息を吐く。

 

――……。

 

 通り抜けた風は少し生温く、周りの枝葉をざわざわと。

 月の明かりはほの明るく、草木を柔らかく染める。

 

 そんな場所。

 

 

 

「――あなたは、どう思ったの?」

 

 この世界のことを。

 

 試すような声音が響く。

 細められた眼はこちらを見透かすように、けれど、どこか不安げな光を放ちつつ、まっすぐに向けられる。

 強いるように、縋るよう――視線は揺れる。

 

 まるで、人のような弱さと強さを込めて。

 

「――変わり者の集まり、ですかね」

 

 一寸、呑まれそうになった視線を外し、人里の方を眺めた。

 

「天然で霊力を扱う赤ん坊や西洋かぶれの実験三昧……妙な能力持ちや妖怪相手に素手で挑もうとする武術家に、ずっと念仏を唱えてる兵法家」

 二刀流を使いこなす農夫に達人級の奥方。

 転生し続ける少女。新たな味をがむしゃらに研究し続ける甘味どころ。

 一日里を歩き回るだけで、それほどの人間を目撃した。

 皆が皆、おかしな者ばかり、わけがわからないままに絡まれて、怒鳴りつけられたり、巻き込まれたり――そして、その隣で普通の、ごく一般の人々が笑いながらそれを見ている。

 当たり前のこととして、受け入れている。

 

 妙なこと。おかしなこと。

 変わっているもので。

 

「随分、可笑しな――」

 笑ってしまうほどに。

 

 くっくっと喉を鳴らしてそう答えた

 正直な気持ちとして、笑う他がないという感覚だ。

 ちょっとした走馬燈でも見た気分である。

 なかなかに。

 

「悪くない場所だと思いますよ」

 

 込み上げる気分に、嘘はない。

 それほどに、楽しい場所だった。

 

「そう」

 

 少し安心したような顔で、彼女も笑う。

 間違っていなかったと、何かにほっとしたように。

 

 器を傾け、一口含む。

 

「――で、何で俺をここに?」

 

 再び、聞きたいことを問うた。

 それが、この場にいた理由――あの時と同じ、眠る場所を作った理由。

 なぜ、それを見せたかったのか。

 

「自分の作ったものを自慢したかったにしては……少し強引じゃないですかね?」

 

 空になった器を、伸ばした人差し指の上でくるくると回す。

 

 あの時、稗田の少女の話を聞いたとき。その初代が会ったという、妖怪の話を聞いた。

 幻想郷の歴史と共に、その成り立ちと関わるという妖怪の話を聞いたのだ。

 

「『賢者』殿」

 

 十中八九、それは知った顔。

 長い付き合いのある、神出鬼没の友人と重なった。

 

 だからこそ、それが一端なのだと理解した。

 

「……」

 

 少女は息を吐く。

 悪戯を終え、観念したように――上手くいったと笑った。

 話が早く、予想通りにたどり着いたと。

 

「全て、私が作ったわけじゃないわ――きっかけは、あなただったでしょう?」

 それを、ただ手伝っただけ。

 

 にこりと、胡散臭くほほえんだ少女。

 金色の髪揺れて、月明かりに輝く。

 

 

 

____________________________________

 

 

 

 語るのは、とある気まぐれから始まった戯れの計画。

 何処かの老人の無責任から始まった場所に、続きを書き足す妖怪の話。

 

 それは――

 

 新たな妖怪が現れる度に、それに仕掛けを施した。

 人がいなくならないように、適当な噂を流した。

 本当に危険なときに、僅かに手を貸した。

 自衛の力を得させるために、知識を供給した。

 

 誰かを導いたり、何かを招きこんだり。

 

 ほんの少し手を貸した。気ままに手を貸した。

 気まぐれで。悪戯のようなもので。

 ただ、少しの興味があっただけ。

 

 それが、いつの間にか大きく育っていた――一つの可能性を生んでいた。

 私の、大きな部分を占めていた。

 

 それだけの話。

 

 

 男はそれを黙って聞いていた。

 

 

「ただ、それだけの話よ」

 

 一息に話し終えたので、少し喉が痛くなってしまった。

 器に残った分を飲み干し、息をつく。

 

――それが、この場所が出来た始まり……。

 

 まだ、肝心なところは語っていない。

 けれど、この場所に関することはこの程度。少しは手を入れたとはいえ、ほとんど勝手にこの土地は成ったのだ。

 そういう人間や妖怪……変わりものが集まる。そんな由縁があるのかもしれない。

 私も、この男も、偶然訪れてそのきっかけを与えていった。

 

「……」

 

 男は、何かを考えるように目を細め、視線を下に向ける。

 自分の器をくるくると回しているのは、何かに集中するための手遊びのようなものか。一本の指の上で器用に器が回転する――それは、随分昔に私が渡したもの。

 勿論、自分の手にある同型も。

 

――本当に、変わり者。

 

 その付き合いが始まってから、もう何百年以上の時間が過ぎている――とはいっても、出会うのは何十年に一度か二度か。時には、百年以上も顔を合わさないこともある。

 それでも男は、私とのほんの時折の邂逅のために、古びたそれを保管し続け、前触れも無く現れる私に食事や飲み物を振舞い、話し相手として私を迎えるのだ。

 人間どころか、妖怪にさえ恐れられ、疎まれる私を相手にして。

 

――本当に……一体何者なの?

 

 変わり者といわれる私としても、そんなおかしな存在はない。

 何百年も、何千年もずっと、人間のまま。

 飄々と、恐れぬままに。妖怪と付き合い続ける人間の男。これほどの変わり者は、そうはいない。

 こんなおかしな存在、どこにもいない。

 

「――で、ここに呼んだ理由は?」

 

 前と同じ問い。

 緩い調子で、変わらぬ調子での再問。

 

――少しは動揺してくれてもいいのに……。

 

 確かに、私が語ったものはその理由にはならない。

 ただのきっかけで、始まりの経緯とはなっても、今のこの状況を説明することはできない。

 それでも、自分の気まぐれがきっかけとなったものが、ここまで大きくなっていたことに対し、少しは揺れてくれてもいいだろう。

 本当に、おかしな器を持っている。

 慣れているのか。面の皮が厚いのか。

 底が抜けているのか。

 

――こんなこと、考えている場合じゃないのだけど。

 

 男の雰囲気か。かもし出す空気か。

 どうにも、真剣になれない。

 どこか緩んで、たわんでしまう。

 けれど、それを無理やりにでも締めなおさねばならない。ここからが、肝心要の正念場で、私のやりたいことに通じる願い。

 

「それは――」

 

 引き込んだ理由。

 そうした目的。

 

「あることの手伝いをしてほしいの」

 

 男は眉を顰める。

 胡乱に歪む。

 

「――手伝い?」

 

 不思議な言葉でも耳にしたように首を傾げた。

 少々失礼にも思うが――それもそうだろう。

 今まで、巻き込んだことがあっても、何かを頼むことはなかった。迷惑をかけるだけかけておいて、謝ることも悪いと思うこともなかった。

 

 そんな相手が、事前にこんなことをいってくる。

 そして、それに加えて――

 

「あなたの手を、貸してほしい」

 

 もう一度。

 男の目を真っ直ぐと見た。

 

「この場所を、偶然のものでない……・必然のものとするために」

 力を、貸してほしい。

 

 そういったのだ。

 随分と面を食らったように男は目を丸くする。

 

「――どうして?」

 

 いつになく――今までにない真剣な言葉に戸惑っているのか――疑っているのか。

 男は、その細めた目で、のぞき込むように私を見る。何かを、見通すように。

 

――……。

 

 興味本位で動き回り、様々な場所で暗躍し、裏で薄笑いを浮かべながら悪戯を楽しむ。神出鬼没で底の知れない――それが自分の立ち位置であったはず。それが、私の求めていた場所であったはず。

 それが、何かを守ろうとしている。

 何かに執着を見せ、誰かの手を借りてでも成そうとしている。

 

 それは――自分でも、おかしく感じてしまうもの。

 

――それでも……。

 

「――居場所をつくるため」

 

 私はそれを望む。

 似合わずとも、見失っても。

 

「私たちのような存在の……安らげる場所を」

 

 その願いを叶えるために、何を捨てても構わない。

 叶えたいことを叶えるために、私が変わってしまってもかまわない。

 

 

「安心して、眠れる居場所を」

 

 

 

____________________________________

 

 

 

 

「いいですよ」

 

 そう答えた。

 

 

「……」

 

 真剣な瞳。

 らしくない態度。

 

 何かを決めた心を持つ少女は――

 

「え?」

 

 あっけらかんとした答えに、口をあけて固まった。

 それを、面白く眺めて、意地の悪い爺は言葉を続ける。

 

「まあ、そういう理由ならやぶさかじゃない――洒落にならん悪戯だったり、極悪な犯罪の片棒ってんなら御免ですがね」

 

 口端を持ち上げて、焚き火に薪を足しながら答える。

 飄々と、軽い調子で口を回す。

 

 八雲のは、まだ固まったまま動かない。

 いや、動けないのか。

 

――どうせ、怪我が治るまではこっちもね。

 

 身体が思うようにいかないのなら仕方がない。

 

「しばらく、この辺りに拠点でも構えますか」

 

 言いながら、薬湯を自分の器に入れなおし、八雲の分も注ぎなおした。

 それを口に含みながら考える。

 

――そろそろ、腰を落ち着けようかとも思ってましたしね。

 

 この土地はなかなかに面白そうだ。

 各地で集めた術や技法を使って実験、研究をするのもいいし、様々な書や話から得た知識を整理し、書き留めておくこともやっておきたい。幸い、あの稗田の少女との協力も取り付けられそうではあるし、互いに利にもなるだろう。

 

――あれだけの大戦(おおいくさ)の後だ。少しのんびりするのもいい。

 

 この先どうするかを考えながら、器を傾ける……久しぶりに酒造に手を出すのもいいかもしれない。

 確か、里には酒屋もあったはずだ。どうにか交渉して、場所を借りるのもいいだろう。

 

「え、っと……」

 

 色々と頭を巡らしている己に、まだ混乱から抜けきれない様子で言葉を取り戻す八雲嬢。先ほどまでとは違うが、また珍しい姿を見せていて、なかなかに面白い。

 

「いい、の?」

 

 毒気の抜けた表情での言葉は、その容姿も擁して妙に幼く感じられる。思わず、こみ上げる笑いに、はっとして、慌ててそっぽを向く姿も――また面白い。

 良い感じに、面白い。

 

――まだまだ、若いもんですねぇ。

 

 けらけらと笑う己に、ふんっと鼻を鳴らす少女。

 けれど、その耳の先がわずかに赤を差していて、様になっていない。いつもは見えない可愛げが覗いている。

 

「まあ、しばらくは――」

 

 憮然する少女に視線で謝りながら、薬湯を注ぎなおした器を渡す――顔を合わせようとしないのは、不覚を取ったという羞恥心からだろう。長い付き合いの相手の知らない表情を見るのはなかなかに、愉しいものだ。

 

――若者をからかうのは、年寄りの楽しみですしね。

 

 そして、特権だ。

 そんなことを考えているのを気づかれたのか。

 こほん、という咳払いと共に、いつもの調子に戻る八雲。器を抱えなおして、そっぽを向いたままに言う。

 

「――全部は聞かないのね」

「――いいたいなら聞くが、ね?」

 

 互いに薬湯を啜りながら、黙り込む。

 目を瞑って、一息入れる。

 

 そうして、空気を回した後に。

 

「なら――」

「ただし」

 

 契約前に最後の確認。

 多分、八雲が語ったのは表の、それが全てではない理由。きっと、その大元にはもっと自分の益となる即物的な理由がある――そうでなければ、周りの、自分以外のもののためとなるようなことはしない。

 自分一人の、それだけの居場所が作れれば十分で、わざわざ、興味のない存在すら守ろうとなんてすることはない。

 そこは、人間だって妖怪だって同じだろう。

 それなりの理由があるから――何かのために必要なことを努力できる。

 そういうものだ。

 

――それでも……。

 

 その中で、そんな気まぐれの中でも、助かる者もいる。

 あの里を守っていたことは確かで――それは自分が発端となった続きでもあるのだ。

 その責任は、僅かなりとも己にある。

 

――それにね。

 

 頼まれた。

 長年の友人に頼まれたのだ。

 それだけで、十分ではある。

 老人としても、若者に頼まれるのは嬉しいことだ。

 

「したくないことはしないし、気が向けば出て行くかもしれない――それでいいなら、猫の手分ぐらいに使ってもいいですよ」

 保障はしませんが。

 

 その程度だと、当てにはさせない。

 己は、軽い調子で笑っているだけの好々爺。

 使い方によっては、火の番程度には使えるというだけ。

 

 ただ――。

 

「まあ、気が向けば……何でもするかもしれませんが、ね」

 

 正直、興味はある。

 この場所がこの先どうなるのか。どんな未来を迎えるのか。

 しばらくの間、それを眺めて過ごすのも、悪くない。

 そうは思えている。

 

「……」

 

 そんな、ちゃらんぽらんないい加減。

 それを眺めて――ふうと一息ついてから、八雲は口を開いた。

 

「それでもいいわ」

 

 呆れたようで、どこか安心したような様子で。

 

「おねがい」と、頼まれた。

「喜んで」と、請け負った。

 

 そうして、また、薬湯を啜った。

 これで、契約は終了。

 

――……。

 

 

 風は温くて、星は明るい。月は大きく。森は豊か。

 利用されるだけだとしても、こういう所で眠れるのなら、悪くない。

 

 

 そう、微笑んだ。

 そうして、しばらくの仮宿を決めた。

 

 

「それじゃあ、よろしく頼みます」

 

 

 自らが出て行くのが先になるのか。

 この場所が滅びるのが先になるのか。

 はたまた、自分の死によって幕が閉じられるのか。

 

 どうなろうとも、愉しめれば重畳と――

 

『貴方の名前を聞かせなさい』

 

 

 何かを探すにも、丁度いいと。

 そんなことを、考えた。

 

 

 






 とりあえずの段落。次に向けての切り替わり。
 やっとそんなところです。

 読了ありがとうございました。



 
 加えての報告。
 多分、近日中に改定前の分を「小説家になろう」の方に再投稿すると思います。
 こちらより先の話はネタバレともなってしまいますが、それでも良い方のみご覧ください。

 ※投稿後、マルチ宣言と活動報告での報告を行います。

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