東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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過去を根ざして、今を知る。

 

 

 

「――さてさて、と」

 

 新しい薬と包帯を用意し、それらを手の届く位置に並べる。切り傷に塗布するものや火傷に効く湿布薬。滋養強壮のための丸薬に、化膿止めの煎じ薬などなど。

 これらが、先ほど村の医家で買い求めたもの併せ、今現在用意できる最上の治療体制である。

 このような田舎に手には入るものとしては、なかなかに質が良く、処方してくれた薬師の手際も見事なものであったため、思った以上の待遇で己の身体を看護できるというものだ――ある意味では、それはこの村では、傷を負うものが多いという、何やら匂わせる一端も伺えるのだが……まあ、今回は都合が良いというものだ。

 

――この傷じゃ、薬草集めもきついと、ね。

 

 着物をはだけさせ、半身に散らばる傷を外気に当てる。

 その瞬間に、体中に軽い疼きが走って思わず身震いし、ぶるりと身体全体を揺らして顔をしかめた。

 中でも、包帯を取り外した後の右腕に酷く、未だにしびれるような痛みが頭に響くほど。

 

――全治、どのくらいとなるか。

 

 至るところにある擦過と火傷自体は、それほどではない。痛みは感じる分、その熱が神経までは達していないことがと判断がきく。よく寝て、気力と体力を回復させれば、自分の今の回復力なら十分に自然治癒が可能だろう。

 無理させなければ二、三日で包帯もとれる。

 けれど、この右腕……爆発の衝撃に一番近い位置だった右手の方は、骨にまで異常をきたしている。

 折れている――ほどではないが、罅程度は入っている。回復に時間はかかるのは当然のことで、治った後も、ある程度の慣らしが済んでからでなければ元のようには動かせないだろう。

 

――流石に、無茶させすぎとね。

 

 文句でもいうように、鈍い熱さを訴える右腕。

 それを正位置へ固定して、ずれてしまわないように包帯でぐるぐる巻きにしながら――それを思い出す。

 

「――まあ、そうしなけりゃ、死んでましたが」

 

 伸ばした右腕の先。そのほんの手前で起こった衝撃。

 過剰な力を無理矢理に札に押し込めたことで、行き場をなくした力が暴発した――そのわざと起こした失敗によって、空中の推進力として利用して、逃げとして使用したもの。

 勿論、質の悪いそれらの札では、加減などできるはずもなく。一歩間違えば、かなりの後遺症、右腕を失うような大事態にもなっていたかもしれない。

 まだ、この結果は随分ましというものでもあった、が――。

 

――流石に、緩んでたか……。

 

 包帯を巻き終えた右腕。

 それと身体全体に負った傷を感じながら、今の己の弱さを思う。

 全盛の自分なら、せめて、昔にやっていた程度の前準備を行っていれば、もう少しくらいはやりようもあったはず――真っ正面から真っ当に、堂々と逃げ切ってしまうことぐらいはできていた。

 運任せではなく、不意を着いている間に脱出してしまう程度には、昔なら動けていたはずなのだ。

 この数百年。いや、千年以上の間に、随分と錆びついてしまったということだろう。己の身すら満足に動かせぬほどに忘れすぎて――こと、争いごとに関しては、過去の積み上げでどうにかもっている程度。

 日々の研鑽も、積み上げてきた努力も忘れ、ぐーたらと平和に眠りこけ過ぎた。鼠のように研ぎすました本能すらもなくしてしまい、沈没する船から前もって逃げ出すほどに磨いていた逃げ足も、もはや、そこらのこそ泥程度でしか振るえない。

 己の命一つ拾えないほどに、弛みきっている。

 だらけて抜けている。

 

――いや、まあ。

 

 それはそれで、平和でいいということだが、

 そういう状況に陥るということ自体が問題で。

 

「……」

 

 とはいっても、それでも、どうしようもないことはあるものだ。

 生まれもっての天運やら、背中で並ぶ疫病殿の行列やら、通り雨のように襲いくる悪業の数々など、避けようのなく出くわすものもある。

 その折りに、昔出来ていたことができないせいで後悔をする。怠けていたせいで、死を迎えるというのは、なんともなしにお粗末だ。

 なかなかに小物めいた死に様で、らしいといえばらしいのだが、やはり、ここまで生きておいてのそれは体裁も悪く感じてしまうというもの。

 

 加えて。

 

「――ちょっと、ね」

 

 それが、己一人のことならば納得がいっても、あいにく、この力と技術は自分一人(…・)のものとはいえないものだ。

 借りてきた看板に傷をつけて逝くのは、あの世で不況を買うだろう。泥をかけて置いてきたなどと言えば、不満を山と積まれるだろう。

 足掻くのならば、全力を使い切って敗れろ。

 でなければ、顔向けどころか向こうにいってから――怒鳴り殺され、叩きのめされ、無理矢理にでも逝き返されて、やり直させられる。

 

――この歳になって……そいつは、御免。

 

 笑い話には丁度いいかもしれないが――まあ、そのまま死んでいたならまだしも、今はそれを考える時間が出来てしまったのだ。

 どうせ暇なら、やっておかなければ――それ(じごく)があることはしっているのだから、後顧の……死後の憂いを払っておくのに損はない。

 

――まあ、どうせなら。

 

 花を咲かせて死にたいと、ごうつく爺は欲を張る。

 花の下にて眠りこけ、いつの間にか死んでいる。そういうものが理想に殉じるというものだ。

 

 何か違うが、そういうものだ。

 

「――っと、こんなもんか」

 

 身体全体に薬を染ました包帯を巻きつけて、打ち身や火傷に湿布を張って固定した。右腕はあまり動かさない方がいいので、一応肩からたらした布で吊っておく。

 これで大体の治療は完了。

 治療符などの使用は、もう少し力が回復してからのことになるだろう。

 

――あまり急ぐこともねえでしょう。も少しゆっくり療養してから……。

 

 こんなことを考えているから腕が錆びていくのだ、そんな思考は封印しておくこととする。

 年寄りは気が長いところがいいところ。

 

 のんびり、のほほんやっていく。

 

 

 そうやって、老人治療中……

 

 

 

 

 

 

 であったといったところであった。

 先ほどまで。

 

 そして、現在。

 

「おお、兄ちゃん! 傷の具合はどうだい?」

「おかげ様で」

 

 包帯塗れの腕を晒しながらも、その言葉に笑って「大丈夫だと」答える。

 声をかけてくれた荒武者のような体躯を持つ中年の男性は、今手入れをしていた畑の耕作を止め、多少心配そうにもしながらも、良かったと笑って返してくれた。

 

――いい御仁だねぇ……。

 

 村の入り口に放り出された自分に一晩の宿を貸してくれ、必要だといったら医家まで足を運んで薬を調達してきてくれた。

 見ず知らずの、見るからに怪しい男に対して、実に親切な御仁である。

 

「どうも、ご心配おかけしまして」

「いやいや、元気なってなによりだ」

 

 礼をいうこちらに「気にすんな!」と豪快に返す。

 ばんばんと肩を叩くおまけつき。その力強い腕によって視界が揺らされて――正直、傷に障って痛い。

 本当に、見かけ通りに豪快な人物だ。

 

「ちょ、ちょっと……」

 落ち着いて、とでも言おうとするが、その豪快な態度を伴ってか全く聴こえていない。

 叩き続けられる肩、揺れる視界。

 耳元での大きな笑い声。

 

「いやいや、兄ちゃんもあれだろう。ここらは妖怪も多いから、それに襲われたかなんかだろう。いいっていいって気にすんな!困ったときはお互い様よぉ!」

「いや、あの、ちょ……」

 

 打たれる衝撃と込み上げる痛みによって声はか細いままにかき消される。

 声が届かない。聞いていない。聞く気がない。

 

「いやいや、あれだろう! 最近のにゃあ色っぺえのが多いから、それに気ぃとられて逃げ遅れたとかそんな感じだろう。なあに、俺だって若い頃はこっそり覗きなんかしようとしてよくボロボロにされたもんだ! 若いときの無茶は買ってでもしろってねぇ。いいさ、それが若いってことさね」

「いや、あの……おい」

 

 勢いのままに続けられる話に「一緒にするな」だとか「あんたより随分と年上だ」だとか言い返したい。

 けれど、なぜかこの中年親父の合間合間にたたき込む衝撃は、こちらの負傷部位を狙うように的確に浸透し、いちいち動きを止めてくる。

 こちらの言葉の骨を折る。

 

「いいっていいって気にすんな!」

 

 どんっと、響く衝撃。

 その恐ろしく太い腕は本当に農作のみで鍛えたものなのか。何かの武術か何かじゃないのか――そう思ってしまうぐらいに、妙に身体の芯にくる。素人とは思えない。悪意があるのではないかというくらいの的確さで急所を突いてくる。

 傷口が開かない程度なのが絶妙だ。

 怒るに怒れない。

 

「ああそういや、森の妖怪といやあ―――」

 

 そうして、こちらが動けない状態を作り出してから、強制的に話を続ける。悪意のない世間話だが、それでも、質が悪いことには変わりない。

 言い返す間も、与えてくれない。

 

――こういう相手は……昔から、ね。

 

 がはは笑いと奔放な勝手さ。

 自分の歩調で相手巻き込む広大さ。

 噛み合わせが悪いというか。ついつい、相手の空気に呑まれてしまう。苦手意識のようなものが、随分昔に植え付けられてしまっている気がするのだ。

 

 どうしても、想い出してしまう。

 

「……」

 

 とは、いっても、このままずっと話を聞いているわけにはいかない。

 この肩に置かれた手もそろそろ止めてもらいたい。傷の治りが遅れるのは御免である。

 

――ということで。

 

 そういう意志を結集して、萎えかけた気持ちを奮い立たせ、言葉を放つ。

 昔を払拭するにはいい機会――

 

「すいま……」

「あなた?」

 

 寸前に、その厳つい親父さんの後ろに細身の女性が現れる。

 

――うん……?

 

 たたらを踏んで、少しの疑問。

 現れた女性。服装自体はその辺りの農家と変わらない。けれど、その細い腕や白い肌は、こんな陽に晒されることの多い農作地の中ではなかなかに珍しい。

 

「あら、こちらは確か」

 

 片手を頬に添えながらの言葉。

 上品で慎ましげな仕草に、こちらに近づく歩き方。

 多分、きちんとした着物を着て、かるく紅でも挿せば、そこらの貴族の娘と比べても遜色はないといったような。

 それくらい、場違いな女性。

 

「おお、おそとか」

 

 その女性に、親しそうに近づく野太い男。

 まるで、山猿とお姫様といったよう。

 

「何をしているんですか?」

「いやー。昨日拾った兄ちゃんが元気になったみたいでよ」

 良かった良かった。

 そういって再び笑う親父さん。

「それは良かった」と上品に笑う女性。

 

 なかなかに妙ちくりんな立ち絵だが、互いの呼び方からして――あれは夫婦なのだろうか。

 子女をさらった山賊、というようにも見えなくはない。いや、どちらかというとそう見てしまう者の方が多いだろう。

 いや、ある意味では、そのチグハグ具合が逆に丁度いい釣り合いになっているようにも。

 美女と野獣。荒武者と美姫、といった具合に。

 ただ。

 

――ありゃあ、奥さん苦労しているだろうな。

 

 そうは感じてしまう。

 豪放磊落な夫と上品で小奇麗な奥さん。

 それは随分と、奥さんの方へとの負担が……。

 

「――で、お仕事は?」

 

 静かに、響いた。

 冷たい何か。

 

「おう?」

 

 瞬間、親父さんの巨体がくるりと回っていた。

 浮き上がって落っこちた。

 

「……っ!」

 

 その場で宙返りしようとして失敗したような形で、地面へと背中を打ちつけて。

 下はある程度耕された土壌の上であったのでそれほど遺体もないだろうが、何の予備動作もなく投げ落とされた(……・)親父さんは、あまりの驚きにぱくぱくと口を開け閉めした後――すーっと、青くなった。

 

「い、いや違うんだ、おそと……ただ、おりゃあ兄ちゃんのことが嬉しくて」

「――で、それが仕事をさぼった理由になるのかしら? ああ、旅人さん、なのかしらね。この人が迷惑かけてごめんなさい」

 怪我人に向けて、あんな態度とっちゃいけないわよねぇ。

 

 にこにこと笑いながら、こちらにぺこりと頭を下げる――けれど、確かに見た。この女性が男を軽く投げ飛ばす様を……自分から見ても、あれは美しい、完成された投げの技だった。

 なかなかの達人技だと、一目で理解できるものだった。

 

「い、いや、すまなかったな兄ちゃん……お、おれは仕事をしなけりゃいけねえから、これで――」

「はいはい、いいからお仕事」

 

 奥方が、ぱんっと手を叩いた瞬間に立ち上がり、すぐさま鍬を構える親父さん。多少声を震わせながらも、なんとか引きつった笑顔を浮かべて。

 

「それじゃあな、兄ちゃん!」

 

 いい終わった後、すごい速さで畑を耕し始めた。

 本当に、ものすごい勢いで。

 

「い、いえ、ありがとうございました」

 

 その背中に向けて、一応聞こえる様に礼を言っておいた。聞こえていないようだったが――忙しそうなので、仕方もないだろう。

 仕方ないので、くるりと背中を向けて、早々にそこを歩き去る。

 

「あ、旅人さん」

「はい?」

 

 そうしかけたところで、穏やかに笑いながら、こちらを呼び止める女性。

 先ほどまでの親父さんに向けていたような圧力はすっかり霧散しているが、少々、居住まいを正してしまう……あの花の妖怪の笑みとはまた違う、妙な迫力に、しゃんとしてしまう。

 こういうのを、旦那を持った女の強さというのだろうか。

 

「身体はもうすっかりいいので?」

 

 優美な仕草で髪に手櫛、こちらを観察するように眺めながら心配そうに問う――その立ち振る舞いは、素人というには余りにも隙がなく。確実に、何かの武術を齧っている柔さをもったもの。

 

「ええ、歩き回るに障りはありません」

 

 一応、油断せぬようにしながら答えた。

 妙に丁寧に、礼儀正しいものとなったのは、気持ちの表れである……無論、助けてもらったことへの感謝の念。

 

――恩人にはちゃんと礼をする。

 

 それが自分の流儀だ。嘘ではない。

 いいわけでもない。

 

「それは良かった」

 

 口元に手を当てて微笑む女性。

 その優美な仕草からは、先ほどまでのやり取りなどまるでなかったよう。けれど、その後ろの方では、ものすごい勢いで鍬を振り、鋤を振り回す親父さんの姿。

 

――そこは畑じゃありませんよ……。

 

 新たに開墾されていく土地に、生暖かい目を向けながら、そんなことを思った。

 というか、なぜ彼は二刀流なのだろう。その妙に業物めいた光を放つ農耕器具は、一体どうやって手に入れたものなのだろう。

 謎は尽きぬ限り。

 

「――どうも、お世話になりました」

 お大事に。

 

 このにこにことしたきれいな笑顔からは、どうやったって逃げられないだろうが、一応心で伝えておく。

 多分、さっきの軽口も聞こえていただろうが――奥さんは、きれいに笑っている。

 

 なら、それでいいのだ。

 多分。

 

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「ええ、そうですか」

 ありがとう、と軽く礼を言って、挨拶もそこそこに歩き出した。

 どうやら、ここも外れだったらしい。

 

 少し気落ちした気分を抱え、額にかかる汗を拭う。

 かんかんに照る太陽の日差しに目を向けると、雲ひとつもない快晴。まだまだ半ばにさしかかったばかりの暑さに、思わず長い息を漏らす。

 

――日傘でも持ってくれば良かった……。

 

 民家の軒先の影を借り、壁を背にして少し休む。

 使用人が持たせてくれた水筒を取り出して、その中身を口に移してみるが、すっかり温くなってしまっているそれでは、のどは潤ったように感じなかった。

 むしろ、身体の中に熱を取り込んでしまっているような気すらしてしまう。

 暑さは、すぐには抜けていってくれない。

 

「うむむ」

 

 のぼせる頭。熱くなった髪の熱。

 渇いたのどと、進む気力。

 

――少し、早まったかな。

 

 いくら拭っても収まることのない汗をうっとおしく思いながら、数刻前の自分の行動を後悔した。いくら感覚が残っているとはいえ、自分の身体はまだまだ幼いもの。あまり運動にも向かない体質であることは、重々承知していたはずなのに、随分な失敗をしてしまったものだ。

 これでは、使用人たちに笑われようとも仕方ない。自分で自分の世話ができないのなら、まだまだ一人前とは呼べないものなのに。

 

――といって、わざわざ付いてきてもらうのも。

 

 気恥ずかしい。

 どうせなら、誰かを使いにやって探してきてもらえば良かったかもしれない。

 いや、それもあまりいい気持ちではないが、こんなところでへたり込んでいるところを見られるよりはましといったもの。

 

――わざわざ無理をいって外に出たっていうのに、これじゃあ本当に背伸びした子どもみたい。

 

 力ない笑みが浮かんでしまう。

 これで屋敷に担ぎ込まれるなんてことになれば、もう誰にも顔向けできなくなってしまう。しばらく、外に出ることすらままならなくもなるだろう。

 

――もう少し休んでから……。

 

 せめて、近くの茶屋へ。

 そこでお茶でも貰って休憩しよう。

 そうすれば、屋敷に帰るくらいは大丈夫なはずだ。

 

「よし……」

 

 力強く拳を握りこみ、立ち上がろうとした。

 

「どうかしたんですかね? お嬢さん」

「ひゃっ!」

 

 その瞬間に声をかけられた。

 思わず声を上げて狼狽してしまう。

 

「む……? ああ、驚かせたか」

 すまんね。

 

 そういって謝る男の声。

 見上げると、そこには――

 

「で、こんなところでどうかしましたか?」

 

 

 緩く笑う私の知らない(・・・・・・)男が立っていた。

 

 

「あ……!」

「……?」

 

 

 一目で、それが探し人だと理解した。

 

 

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「ええ、ですから。あなたが襲われたという妖怪の話を聞きに来たのですが――」

「ふむ、なるほど」

 

 

 茶店の前に置かれた縁台に座りながら、温いお茶に舌鼓を打つ。

 暑い日差しの中ではあるが、野点傘の作る影の下では、それもまた美味しく感じられることもある。これもまた、趣を知るということなのだろう。

 あの奥さん――おそとさんの案内で、里の警備を担当する法師や術者による、一応の取調べのようなものを受けていた間、何も飲んでいなかった分もある。

 親父さんが言っていた通り、妖縁者の類が多いというのなら当然の備えではあるのだろう……少々、肩苦しいが、まあ、よそ者を迎えるにしては、存外軽い尋問ですんだものだ。

 まだまし、といったところだろう。

 

――歓迎は、しませんがねぇ。

 

 ぐっと、身体をほぐすように伸びをする。

 襟元緩く。帯紐軽く。

 やっとゆっくりのんびりできるのだ。気を抜かないわけにはいかない。

 

「ふう」

 

 息を吐いて、もう一口。

 隣に座る少女も、ゆっくりとお茶をすすっている。

 観察するに、その姿形よりも大人びた様子の落ちついた振る舞い。着物といい、髪飾りといい、なかなか上質な素材が使われていて、風雅な装いながらも、それを綺麗に着こなしている。

 よく躾られているといった印象だ。

 何処かしら、格式ある家の子女か何かなのかもしれない。

 

――ふむ……。

 

 ただ、少し気になるのが、不思議そうにこちらの様子をちらちらと伺っている視線――何やら腑に落ちないことでもあるよといった表情だ。

 まるで、おかしなものでも見つけたとでもいうように、しきりに首を傾げては、こちらをちらちらと観察している。何かを、思いだそうとでもしているように。

 それに加えて――。

 

――何、かね?

 

 自分も似たような感覚。妙な違和感がある。

 この少女には会ったことがないはずだ。けれど、何処か、僅かに記憶の中で疼くものがある。

 じわじわと滲み、朧気にぼやけ、遠く近くと入れ替わりながらも――何処か、暖かい。

 楽しげに、こみ上げる。

 

 それは――

 

「懐かしい、のか?」

 

 ぽつりと呟いた言葉。

 確信ではないが、それが一番しっくり(…・)くる言葉である。

 その容姿には見覚えが無いにも関わらず、何処か、この少女に懐かしさを感じてしまっている。

 誰かに似ているというのではなく、その本人として、知っている気がしてしまう。

 おかしな感覚。

 そして、それが聞こえたのかどうか。

 少女は、こちらにはっきりと視線を向けて、思い切るように一息ついてから、言葉を発した。

 

「――あの」

 

 小さな少女。

 まだ、十代に入ったところかそれくらいの年齢だろう。

 少し言葉が安定しないのは身体が成長しきっていないからだろうか。わずかに舌足らずなところがある。

 けれど、その言葉遣い(…・)は――

 

「もし間違っていたらすみませんが、一つ質問を宜しいでしょうか?」

 

 妙に、洗練されている。

 その雰囲気、纏う空気といったものも、同じ齢の少女とは少し違って感じられる。

 

――……。

 

 気配は、人間にしか思えない。けれど、長く生きた妖怪のように、どこか浮世離れしているようにも――ほんの僅かにだが、自分に似ているようにも、そう思えた。

 知識としてではなく、感覚として感じるものがある。

 それが何かであるか、が掴めない。はっきりと違うと訴えて、ぼんやりとそうだと言っている。

 ちぐはぐな、確かな感覚。

 

「――何でしょう?」

 

 先を促すこちらに、少女は、もう一度息を吐く。

 緊張しているというよりも、何かを迷っているような素振り。自分でも、その感覚を信じきれず困惑しているような、そんな様子で――それでも、それを振り払い。

 

「あなたは――」

 

 躊躇うように言葉を区切る。

 迷いながらも、言葉を進める。

 

 

「私の前世を、知っていますね」

 

 

 突拍子もなく、芯をつく。

 遠い確かを、投げられる。 

 

「……」

 

 半信半疑、というものではない。

 ほとんど確信しているといった拍子の言葉。

 その言葉は、この感覚の核心に――己の中にもストンと落ちたようだった。

 

 

「――なるほど」

 

 知識として知っている。

 そういう記録も確認したことがある。

 

――そういうことか。

 

 こちらも、掛け金があった。

 そういう、ことなのだろう。

 

「そりゃ、随分と珍しいが――」

 

 転生、記憶の継承。

 前世の記憶、魂継ぎ。

 生まれ変わり。

 先の自分へと、己自信を残す方法。

 

 いずれのものかは判らないけれど、この少女がそれに関係する何かを行った人間であることは――確かなのだろう。

 少なくとも、自分の感覚がそれを証明している。前に、違う(・・)出会いがあったことを、告げている。それも、ちゃんとした会話を、印象に残るほどの話をした――多生の縁に噛み合ったものとして、轍の名残を心に映す。

それが、この違和感の根っこ――懐かしさの正体なのだろう。思い出しきれてはいないが、感じているからこそ、こみ上げるのだ。

 

 ならば――

 

「こっちも、随分と長生きしていますからね」

 昔の知り合いも多い。

 

 言いながら記憶を探る。

 少女の面影を探る。肉体に刻まれずとも判るかもしれない、想い出の中の一幕を――

 

「貴女のお名前は?」

 

 確信に至るための鍵。

 それを、少女に問う。

 

「――失礼しました」

 

 少女は、顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見た。

 年甲斐以上に貫禄のある振る舞いで。居住まい整え、襟元正し――それを語る。

 自らの負った荷を、任と共に継ぐものを、誇りとして。

 

 

「稗田阿未――今世の幻想郷縁起の編纂を担う者です」

 

 

 名を語る。

 己を語る。

 

 

「……」

 

 

 

 

 見知らぬ少女と、初対面の再会。

 縁というのは、異なもので――別に、男女の仲というわけではないのだけれど、やはり、味なものだと思ってしまう。

 

 

 

 

 

 

____________________________________

 

 

 古き記憶は薄れて消える。

 古き記録は崩れて消える。

 

 けれど

 

 それを継ぐものがいるのなら

 それを写すものがいるのなら

 その意志が失われることはない。

 その意味が失くなることはない。

 

 受け継ぐものがいる限り。

 それは繋がり、積み重なる。

 想い出として。歴として。

 記憶として。記録として。

 

 確かに繋がり、印を刻む。

 根深く強く、花実を咲く。

 

 

 






 名前を遺して、話を伝う。

 少々短めに。


 改稿版が終わるまであと15話といったところ。
 色々と加えすぎてもはや別物のような気もしますが、とりあえず、道半ば。
 間に新作を挿むかどうかを考えながらなるべく速くしていこうと思っています。
 
 読了ありがとうございました。
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