東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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光芒一閃

 

 今。

 

 今、目にしているものは、この世界という現実の中にあって、ありえない存在――可能性はあれど、決して目にすることのできない非現実のものであるのだろう。

 この世界――この星の地表において、己のような人間……視覚というものが存在する生き物。いや、触覚や何かしらの器官によって、光を知覚することができるどんな生き物にも、訪れるはずのないもの。

 光を遮り、灯りを塞ぎ、目を閉じて――それに夜が訪れても、まるで足りないような。

 あの天照が隠れた時でさえ、炎を灯し、光を焚くことで、少しの光源を得ることができた。

 けれど、この闇にはそれさえ叶わない。

 

 触れてはいけない。見てもいけない。

 壊れてしまう。崩れてしまう。

 この世に光があることを、何かが存在することを忘れてしまう。真っ暗な一色だけに、塗りつぶされて、見えなくなってしまう。

 

 そんな、光を失ってしまう別世界。

 あらためて――初めて実感する、その規格外。

 

「――化け物以上、とね」

 

 気配はない。

 けれど、そこに何かがあるのはわかりきっている。

 そこに地面があることすら、そこに空気が存在することすら感じさせないけれど、だからこそ、何かがないことを理解する。そこにある空間が、まるで、何かに切り取られて消えてしまったような――そこには何も存在しないような、あるはずのもの(せかい)がない。

 そんな違和を見せつける。

 

――逃げろ。

 

 本能が叫ぶ。感情が呼ぶ。

 

 あれに触れるな。近寄るな。

 一分一秒でも早く走り出せ。

 怖い。恐ろしい。苦しい。

 この場から逃げ出せと叫ぶ声。

 

――しかし、ね。

 

 それでも。

 途方もない年月に培った経験が、生き延びる為の知恵が――命を支えた理性が、全力でそれを抑え込む。

 逃げ出せば終わると、心を止める。

 

――考えろ。何ができる。何をすればいい。

 

 今、何も考えずに逃げ出せば、そんな感情のままの逃亡では命を拾えない。全力で、全霊で、ただ一つのことに全てのものを注ぎ込まねば、ここで生きていることはできない。

 

――考えるな。感じたままに。そのままに動け。

 

 ゆらりと揺れる球体の闇。

 その先に存在するのは、もはや、別の世界。

 触れれば終わり、障れば食らう。

 

――感じて、考えて、本能のままに理性に従って……。

 

 そんな矛盾した思考を実現させるほどに、研ぎ澄ますのだ。

 眠りこけた原初の獣を引きずり出して、それに人の知識と知恵を上乗せて――狂いながらも正常に、余力を残さず全力以上に余裕をもって挑む。

 それくらい――自分自身を騙し(・・)きり、嘘を本当にする気概をもってあたらなければ、賽の目に『生存』という文字すら浮かばない。

 

「想い描くは――現実以上の()を」

 

 その発現を言葉とする。

 形にして想いを乗せる。

 

 そして――

 

「……っ!」 

 

 

 その場を全力で飛び退いた。

 迫るのは、目の前にあった球状の別世界が、ばらばら(……)と弾け飛んだ破片。

 

――随分と乱雑な。

 

 弾けた破片。不定形の塊。

 そこにあった何かが弾け、その破片が凶器としてばらまかれる。

 先ほどまでの攻撃の癖や型など存在しない。規則性など持たず、制御などを考えもしない、ただ、飛び散っただけの破片が襲い繰る。

 

 まるで、陶の器が割れたかのような――そんな、ばらばらが。

 

「こりゃしんど――」

「いきなさい」

 

 気合いで避けて回るしかない――そう思ったと同時に響く声。大小や形、その速度までそれぞれに違う乱雑な攻撃を避ける最中に、どこからか届く号令。

 

「――ちゃんと、頭は残すのよ」

 

 破弾の間より迫るのは、明らかにこちらを認識して進む曲線状の攻撃。ばら撒かれた弾幕の中に潜んだ、獲物を穿つ嘴の群れ。

 

「おいおい、ちょっと……」

 

 数は数十匹以上。妖力で編まれた鳥の群れが、今度はこちらの肉を抉る武器として。

 標的を見つけだすというのはあくまで二時的作用であったのだ。本来の用途は遊撃――自ら達がある程度の意志を持つことによって、その獲物の逃げる先へと群がるように襲撃する。

 

――散弾と合間合間からの鳥による曲射、ね……。

 

 物量に加えた狙い撃ち。

 

「大判振るまいしすぎですって――」

 

 迫り続ける真っ黒の群れに対して、微かにも、緩む暇はない。一つの黒を避けても、その先に闇が追う。

 

――こんな老人相手に……!

 

 ちりちりと、毛が逆立つほどの力の奔流。

 そんな嵐に晒されながらも、その合間をすり抜けるように身体を滑り込ませる。

右に、左に、いくらかの薄皮を削られながらも、それが肉まで届くことはないように、踏み外せば終わりの綱の上を渡り続ける。

 大小の間を半身に、緩急の差を転がり抜けて、尖り、欠けた弾幕の隙間を不格好にも、身体を曲げて通り抜ける。

 

 そして、そのぎりぎりの間隙を埋めるようにして迫る黒い嘴、その群を――

 

「お客さんは……物を投げないでくださいよ、っと」

 

 こちらに届く前に、羽根や胴体の部分を狙って、身体の何処かしら(……・)を叩きつけることによって弾き飛ばす。幸い、この鳥達に込められた力はそれほどのものではない。

 嘴の部分に触れさえしなければ――火傷程度ですむ。

この雨だ。それほど酷いことにはならない、そう思いこむ()

 

 

「無茶をするわね」

 

 そんなやせ我慢の最中に響く、くすくすと笑う声。

 辺り中が黒に囲まれ、ほとんど視界が覆われてしまっている今の状況では、それが何処から聞こえてくるのか特定できない。

 今はまず、この攻撃を避け切ってから。

 そう判断して――

 

「――っ!?」

 

 ぞくりと背筋が震えた瞬間――全力で上へと跳んだ。

 振り落ちる雨に逆らいながら見下ろす視界にあるのは、一歩手前まで自分がいた場所に伸びる、一本の大剣。

 

「おしい」

 

 一際大きな破片の中から覗く、漆黒の剣を携えた黒衣の少女。

 

――あんな中から。

 

 弾けた破片は囮。本命は、それを隠れ蓑にしての直接攻撃であったのか。その急襲にぎりぎりの所で反応しながらも、こちらは体制を崩している。

 そこに――

 

「でも、今度も避けられる?」

 

 足場のない空中で迫るのは、幾匹かの黒の鳥と無数の黒球。

 奇しくも、先と状況を同じでの危機。

 

「――ああ、もう」

 ほんとうになけなしだ。

 

 使わされてしまったという状況を悔いながら、手首に巻いた布に仕込んだ札を取り出す。

 そして、その攻撃の隙間、追撃が少ないだろうと考えられる方向を察し――思い切り、足を蹴り出す。

 

「っぐ……」

 

 空中を進む身体。

 急激に方向を転換するこちらに対応して動いた一匹の嘴が、僅かに肩を掠めた。

 血が流れる感触と、鈍い痛みが集中を乱すが――どうにか、届く。

 

――まだ、大丈夫。

 

 先にあった木の幹を蹴り、手早く地面に着地する。

 どうにか距離を空け、その包囲網を抜け出す。

 

 それをやり遂げた己を――少女は面白そうに笑う。

 

「そんなことをしていたのね」

 

 やっと種が割れた、と楽しそう。

 どうやら、今の攻撃はそれを探るものでもあったらしい。

 

「ただの、手品ですよ」

 

 こちらは前と同じような台詞で返した。

 また一つ手を失ったと、内心で汗流しながら。

 

 そう、ある意味では簡単なことであったのだ。

 踏みしめたのは、札で作り出した固定式の結界。大した予備動作もなく、作り出した結界ではその暴風を防ぐことは出来ない――が、ただの足場代わりにはなることを利用した、緊急時の回避方法。

 それを、どうにか誤魔化し、ばれないように隠していた――種が割れれば、その分、可能性は減っていく。

 

 

「ええ、面白い見せ物だったわ」

 

 未だ遊びの少女を前に、有り合わせの武器はがらくたと化していく。

 

「――お礼をしないと」

 

 そう口にしながら、宙へと浮かび上がっていく少女。

 さらに高まる妖力と共に、背に広がる闇を塗り固めたかのような翼が現れ、大きく広げられた。

 片手に掲げられた漆黒の大剣は暗く明滅し、その気配をさらに色濃いものへと昇華する。

 

 その力を前に――。

 

「――ここから、本気ってことですかね」

 

 間を取ろうと、口を開く。

 上がる息をどうにか隠し、深く吐いて落ち着ける。

 

「ええ、知りたいこともなくなったから――」

 

 伏せられた金糸の合間からのぞく妖の瞳。

 らんらんとした光は――狂気を秘めて。

 

「もう、いいや」

 

 軽い調子で呟かれたのは、僅かにあった好奇の終わり。

 今度は、試しではなく、明確な殺意を持って――凶弾が辺りを埋める。

 

「――さっさと幕は降ろしたいんですがね」

 

 手品の種の残りは四枚。稼げる時間はそれほどのものではない。

 対して、相手に打ち止めの兆しなく、まだまだ余裕たっぷりといった状況。

 

――さてはて、当たり目があるのかどうか。

 

 あまりに分の悪い賭け。

 死地に逃げ回り続ける己の身。

 

 しかし、未だ犀は転がり続けている。

 まだまだ、その結果はでていない。

 残り時間は、あと少し――程度には残っている。

 

 ならば。

 

「――ぎりぎりまで踏ん張ってみますか」

 

 年寄りは気が長いのがいい所と、そう言い聞かせ――疲労した身体を叱咤する。 

 

 

 

 雨は、さらに激しく降り注いでいる。

 

 

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――右に、左に。

 

 迫る弾幕の間をすり抜けて、飛び掛る夜鳥を叩き落して。

 

――上に、下に

 

 落ちていた木の棒をつっかえにして跳ねたかと思うと、私の攻撃によってできた隆起に身を潜める。

 

――よく、避ける。

 

 攻撃が当たらない。

 さっきの不意打ちに対応してからは、札を使わせることすらできていない。

 そうさせないように男は動き、距離を保っている。二番煎じも――通じない。

 

――ほんとに、面倒……。

 

 いい加減に飽きがきてしまう。

 いつまで繰り返せば、いつまで同じままでいるのか。

 どこまで続くのか。

 

――なぜ……。

 

「なんで、反撃してこないの?」

 

 辺り全体を破壊し尽くして、もう、ほとんど平らな地面など残っていない。

 囲んでいて木々のほとんどを吹き飛ばされて、もはや、残るのは、奇跡的に残っている一本程度。それも、男がそちらに近づかなかったからこそ巻き込まれずに済んだだけのものだ。

 それほどの攻撃を繰り返して、それほどの破壊を繰り広げて――それでも男は大きな傷を負ってはいない。

 掠り傷や火傷などの軽傷も多くに増えて、だんだんと息も乱れている。動きが遅くなっているような気がしないでもない。

 それでも、致命傷どころか、動きを損なうような傷は負わない。明らかに、こちらの攻撃に慣れて――最小限の動きを覚えていく。

 放っている私自身がわからない逃げ道を確保する――だというのに。

 

 

「何で、動かないの」

 

 何もしてこない。

 見せた隙にも、作った隙にも――偶然にできた隙にさえ、何の反応も見せない。

 ただ、避けて、逃げて、それを繰り返す。

 

――どうして?

 

 いくらそれを続けようとも、人間の体力が妖怪に叶うはずもない。ジリ貧だというのはわかりきっている。

 このままでは、いたずらに体力を減らすのみで、何もせずに終わってしまう。打開せねば、終わってしまう(命を落とす)ことは解りきっている。

 

 それなのに。

 

「さてさて、何のことでしょう」

 

 疑問と共に手が止まる。

 そして、攻撃が止まったのを見て、男も肩を上下させながら動きを止めた。

 雨に濡れた肩の傷へと手を当てて、深く息をつく。

 

「あんまり買い被られても……たかが、人間。そう大したもんじゃありませんよ」

 

 ひらひらと片手を振って、覇気のない様子で微笑む。

 そこには、死に直面しているという絶望感も、絶対に生を掴み取るという気負いも見られない。

 何かの流れそのままに身をまかせているかのような自然体。

 

「変な手品は、もうお終い?」

「ほとんどを上着と一緒に置いてきてしまったので――出し惜しんでます」

 

 ふざけた調子を崩さないままに答える男。

 にこりと人の良さそうに微笑む笑みは、とても、とてつもなく――

 

「また、何か企んでるんじゃない?」

 

――胡散臭く、気に障る。

 

「さて、どうでしょう?」

 

 人を食ったような笑み。

 食われる側が、化け物(わたし)食う(わらう)

 これでは、どちらが化かす方なのか。

 

――……。

 

 はったりなのか。ただ、狂っているだけなのか。

 どちらにしも、このままでは時間がかかる――面倒に、磨きが掛かる。

 なら――。

 

「……」

 

 男の動き。

 その最高速は、先ほどに追いつめられたときのもの。

 では、それ以上をもって。

 

「月が出るには少し早いけれど」

「うん?」

 

 言葉に共に、両腕を伸ばし、男の方へとまっすぐに伸ばした。

 疑問の声を上げながらも身構える男に対して――

 

「この暗闇には、映えるでしょう?」

 

 にこりと笑い――力を放つ。

 打ち出されるのは、月の光を模した白の線。

 

「――とっ!?」

 

 一度見せた攻撃だからだろう。

 真っ直ぐに伸びた光線を男は危なげなく横に跳んでかわす。それを追いかけて、そのままなぎ払うこともできるが、それでは多分当たらない。

 

 だから――

 

「……っ!」

 

 光の余韻を残したまま、私は地面を蹴った。

 ダンッという、地面を穿つ音を置き去りにした、私の最高速度。雨が染みた土によって多少の減速は免れないが、それでも、人間の動きに追い抜くには十分以上の早さでもって――背の翼が空気を切り裂く共に、目の前に迫るのは男の狼狽する姿。

 

「ここから先は、出し惜しみは無しよ」

 そんなことをしたら、一瞬で消し飛ばす。

 そう告げて――。

 

「っが――」

 

 右手に掲げた剣をその胴体を狙って薙ぎ払う。

 どす黒い闇をはらんだその切っ先は、そのまま男の身体に吸い込まれる寸前――投げられた札から出現した障壁にぶつかって、それを消し飛ばす。

 

「――あっ、ぶないですねぇ!」

「まだまだ、よ」

 

 その一瞬に生まれた均衡の間に後ろに跳んで回避した男に対して、真っ直ぐに左手を向け、そこに溜めた妖力を撃ち出す。

 今度は数ではなく、質の――威力による範囲攻撃。当てる攻撃ではない、巻き込み、吹き飛ばす規模の砲撃。

 

――これで……。

 

「こりゃまた、豪勢な!」

 

 目の前まで迫るその大規模攻撃。

 それでも、男の余裕――空気は変わらない。

 

 柳に風。

 暖簾に腕押し。

 

――というよりもぬかに釘。

 

 高尚ものではなく薄っぺらなまま。

 雲のように、崩れない。

 

 

 男はそのままに――飄々と、命の危機をすり抜ける。

 

 

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「――っぐ!」

 

 元の形をほとんど無くてしまったでこぼこの地面を転がって、その勢いを止める。体中に出来た擦過傷や火傷が小石や砂利に擦れてさらなる痛みを誘うが――どうにか、止まる。

 そして。

 

「い、ったいなぁ。こりゃ……」

 

 そんな軽い悲鳴を漏らしながらも、手のひらをぐーぱーし、手足の状態を確認しながら立ち上がる。

 痛みが響き、若干と耳が痛いが――どうにか、生きている。

 

――右手が弱冠ひどい、が何とか。両足も十全程度には大丈夫……邪魔にはならない。

 

「――なんとかって、とこですかね」

 

 負傷の具合を知らせないように、わざと明るい声を出しながら、土ぼこりの晴れた先に立つ影に向かって言い放つ。

 そこにあるのは――攻撃的に尖る闇。

 

「――いい加減にしてほしいわね」

 

 そろそろとさかにきているのか。

 そこにはもう、優雅に微笑む姿の少女など存在しない。ただただ、にらみ殺そうとでもするように、殺意に満ちた瞳を向ける、妖怪としての姿のみ。

 その視線だけでも、気の弱い者なら石にでもされてしまいそうなもの。

 いい加減と、己の身は死の淵に。

 

――流石に、これ以上は難しい。

 

 だんだんと激しくなる攻撃。

 少しずつ、少女の機嫌が取り返しのつかない方向へと進んでいっていることがよくわかる。

 周り全部を吹き飛ばしてしまいそうな攻撃は、もはや、食べるためというよりも、ただ、殺してしまおうというものへと移行して――先ほどの攻撃をまともに食らっていれば、多分、己は原型も残らなかった。

 ただでさえの、少しだけの付け込み先がだんだんと薄くなり――死が間近まで迫り始めている。

 

――待つか……賭けるか。

 

 そろそろ、決めなければならない。

 先ほど、自らを吹き飛ばす(…・・)ために、札をさらに一枚を使ってしまった。おかげで命は拾えたものの、右手は重症。残りの手札は一枚。

 自分の力だけでの反撃は、今が最後の機会だろう。

 

――荒れ具合は上々……あとの確率は、大目にも積もっても五分程度あるかどうかってとこか。

 

 それを待つか。一か八かの突撃か。

 命を拾う選択。

 その決心を決めかねる。

 

「ふむ」

 

 聞こえづらい耳にやっとのところで届くのは、くぐもった雲の鳴る音。小さな明るさが黒雲を照らす。

 

 届く光と遅れる音。

 降り続く雨と煙る地面。

 

――最後の最後まで……粘ってみますかね。

 

 選択は、最後まで戦う覚悟。

 

「――ねえ、妖怪のお嬢さん」

 

 口八丁手八丁。老人の知恵の使いどころで、長話というのは自分の得意分野。

 自分より二桁以上も下の相手に対して大人気ないが――血気盛んな若人に体力で敵うはずが無い。なら、自分の方法で戦う……相手の土俵で戦わないようにするしかない。

 

「貴女の力が大体わかった気がしますよ」

「……?」

 

 突然語り始めるこちらに対して、少女は多少の警戒を見せながらも、動きを止める。

 最後の言葉を聞き届けてやろうというわずかな慈悲か――それともただの気まぐれか。

 

 どちらとしても、意地の悪い老人はそういうものにつけ込むだけ。

 

「あなたが操っているのは『闇』……そして、それを象徴する『夜』ってところですかね」

 

 並べ立てる言葉。

 それは、相手の攻撃を分析し続けた結果――それを含んではいるが、そのほとんどは出鱈目と山勘で語るもの。

 ただ、それらしいことをそれらしくしゃべっている。嘘八百で、詭弁の騙し。耳を傾けさせるためだけに弁舌を回しているだけ。

 

「暗がりってのは、古来から恐ろしさを誘うものとしての代表例。ならば、それを原点として産まれた妖怪が強力ってのは当然というもの――それなら、お嬢さんがそんなに強いのだって頷ける」

 敵わないことです。

 

 両手を広げ、嘆息を吐きながらいった言葉。

 少女は右手に持った剣を構えなおし、こちらに向けながら口を開く。

 

「何が言いたいの?」

「夜の闇を固めて、月の光を降らせる――なかなか洒落た能力です、とね」

 

 再び集まり始める妖力を感じて、肌があわ立つ。

 先ほどの比ではない。ここら辺りごと吹き飛ばしてしまうような力。

 それでも、無防備に近い状態で言葉を続ける。

 

「しかし――そうなると、もしかしたらって考えが沸きますし」

 

 ここまできたら、それを続けるしかない。

 一か八か――一か零化の綱渡り。

 

「何かしら?」

 

 今まで最大の攻撃を出すためだろう。

 溜めの状態に入った少女は、まだ動く気配は無い。

 まだ、時間を稼ぐことは出来るということで――聞き届けた後で、とどめとしてくれるということだろうか。

 そうでなければ、その前()に己は塵と化す。

 

「例えば、夜――闇とは対を為す光であるならば、それを打ち消せる……まではいかないまでも、苦手(・・)ではあるんじゃないかと思いまして」

 

 少女は無言でこちらをにらみつける。

 この答えは正解であったのか、それとも内心で笑い飛ばしているのか。どちらとしても、予測(・・)が当たっていなければ、一貫の終わり。

 

「もし――それが正解だったとして、あなたはどうするの?」

 

――一歩。

 

 こちらに踏み出しながら、少女は話す。

 周りに渦巻いていた黒く濁った塊が姿を消して、その姿をはっきりと捉えることが出来る。

 

「この天気では、太陽なんてでるはずがない――それとも、あなたは、それに匹敵する力でも持っているというの」

 

 そこにあった暗闇はすっかり仕舞われて(…・・)いる。不気味に明滅する剣は、その身の内に何かを孕み、早く吐き出してしまいたいと訴えている。

 暴風を、一身と固めている。

 

――……。

 

 あんなものを振り下ろされれば、ここは更地となってしまう。塵など残さず、消されてしまう。

 まっさらと、穴が空く。

 

「――いえいえ」

 

 最後の覚悟。

 心に決めて――歩みを進める少女に対して、こちらも一歩踏み込んだ。

 右手首に巻いた布を解き、そこから最後の札を取り出す。

 

「俺にゃあそんな力はありません――あるとすれば」

 

 左手に札を挟んで、解いた布を右手に持ち直す。

 手の平に疼く傷に触れたそれは、そこから漏れる血液に触れ、赤い染みが伸びる。

 

 その痛みをおして。

 

「助けを呼ぶくらいですよ」

「助け?」

 

 一歩。

 

 あと、一歩で踏み込むことが出来る距離に立ち、少女は可笑しそうに首を傾げた。こんな場所で、誰の助けがあるのだと――何が助けてくれるのだと。

 

「ええ、誰かに。――天に助けをってね」

 

 地面を踏みしめ、切っ先を向けて掲げられた剣に、向かい合うようにして、左手に挟んだ札を少女に向けた。

 

「努力して、工夫して、頑張って――自分に出来るだけのことをして」

 

 激しさを増す雨。

 空から鳴り響く轟音。

 

「――最後は、運次第」

 

 生きるか死ぬか。不運か好運か。

 それ次第――

 

「じゃあ、運が無かったのね。こんな天気の悪い日に――」

 私の前に通ってしまったのだから。

 

 言葉と共に膨れ上がり、一気に噴出す暗闇。

 夜を纏った剣が、暴発するまでに溜め込んだ力を吐き出して――それが、振り下ろされる。

 

 真っ暗と、細長い影が伸びた。

 

「それでも――」

 

 視界を塞ぐように、鉢巻代わりの布を降ろした。

 迫る衝撃から目をそむけるようにして――

 

 

「昔から、大吉と大凶だけは引いたことがないんですよ」

「……!?」

 

 そう吐いた。

 なにも見えない――真っ白になった視界で、その音が届く前に跳び出した。

 

 

 

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――■■!!

 

 

 もはや、音にすらなってしないほどの轟音。

 視覚も聴覚も、全てが真っ白になって、何もかもがわからなくなる。

 

――何で。

 

 太古より――この世界に水が生まれ、雲が生み出された瞬間より存在する原初の光。

 太陽がない空の中、ただ一つ、闇に亀裂を入れる存在。

 

――何でこんな近くに。

 

 

 神鳴(かみなり)

 

 音より早き光と遅れ響く轟音を引き連れて、それは、そこに残っていた一本の木に落ちた。

 一際高い場所にある、一番背の高い木の天辺に。

 

 確かに、それはそういう場所に落ちやすいことは知っている。そういう性質だと知っている。しかし、それが今、この瞬間に落ちてくる確率はどのくらいのものだというのだろう。こんなに間近でその光を浴びることに、一体いかほどの可能性があるというのだろう。

 

――それなのに。

 

 今、この瞬間。

 この時の中に、偶然に落ちてきた稲妻に――どうして、この男は反応しているのだろう。

 

「――うぅあ!?」

 

 何も見えず、聴こえない中で、一つの気配が飛び込んでくるのがわかる。

 光が視界を埋めた瞬間。その次の瞬間には、もう動き始めていたそれが――やってくる。

 

――一体、どうやって?

 

 まるで予見していたかのように、今この瞬間を狙った攻撃。これ以上にない機会に、これ以上にない可能性を――男は待っていたのか。そのために時間を稼いでいたのだろうか。

 そんな、おかしなことに命を懸けたのか。

 

――狂ってる。

 

 私より。

 私のような存在よりも、おかしな存在だ。

 わけが、わからない。

 馬鹿げた、理解の及ばないもの。

 

 当たり前の人間、から逸脱した人間。

 

 

 ただ――

 

「――それでも」

 

 それでも、相手は人間だ。

 この目も耳もきかない状況でも、その居場所さえわかれば、対応できる。その気配は察せている。

 

――まっすぐに飛び込んでくる。

 

 最短に、最速に――それでも対応できる速さ。

 

 右手に構えた剣を、その気配向けて振り下す。

込めていた妖力は、この光によって霧散してしまっていえうが、それでも十分。

 たかが、人間なら、それで――いや、この思考は、どこかで感じたことがなかっただろうか。つい、先ほども――こんな感覚で。

 

「あ……!?」

 

 それに気づいた時には、剣を振るった後だった。

 返ってきたのは、空を斬る感触と―――落ちてきた声。

 

「――封結」

 

 しゅるりと音がして、何かが髪に巻きつく感触。

 身体から力が抜けて、意識が遠くへ飛んでいく感覚。

 

 

 

 そして

 

 

 

 

 何も、考えられなくなった。

 

 

 

 

 

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「――かはっ。がっ……あ」

 

 今さっき呼吸を思い出したように、一気に空気を吐き出して、体を放り出す。柔らかに地面にぶつかる感触と共に、鈍い鋭いを通り越して、ただ痛いとしか思えない感覚が全身を駆け抜ける。

 

「ぐがっ!」

 

 間抜けな声を上げ、一瞬身体の疼きに耐え忍び、それが落ち着くのを待った。息は乱れ、まさに雷でも落ちたかのように体全体に痺れが広がるが、どうにか受け止める。

 

――流石に、きつかった、か。

 

 身体の筋という筋が悲鳴を上げて、少し腕を動かすたびに骨の軋む音が聞こえてくる気がする。振り落ちる雨が口内に侵入し、微かにでも水分が補給されるのが、たまらなく心地いい。

 

「ああー……疲れた」

 

 身体という身体が、精神という精神が休息を欲している。休まなければ、指一本も動かせない。

 それほどに酷使した。二三日分の精力全てを使いきった。

 

 そんな感覚。

 ただ、それでも――

 

「なんとか、生き延びた、か」

 

 幾度となく逃れた修羅場の中でも、十本の指に入るような危機を――なんとか生き延びた。しばらくは日常生活にすら支障が出るの弊害はあるだろうが、どうにか命だけは拾ったのだ。

 

――ほんとに……助かりましたよ。諏訪と大和の神様さん。

 

 雷を呼ぶための媒介として使った上着と残りの札。

 神の利益を受け、自分の長年の血が染みたそれと札を媒介として陣を作り、それを一番確率の高そうな木に結びつけ、どうにか雷が落ちやすい状況は作れた。

 それでも一か八かの賭けではあったのだが――それでも、それがなければどうしようもなかったことは確かだ。

 

――っとに、運がよかった。

 

 本当に、天に身を任せていただけだったのだ。

 雲の流れのまま、雨に打たれるまま――都合のいい雷が落ちるのを待っていた。

 

――使えないと思っていたものも、思わぬところに使いどころがあるもんだ。

 

 あの夜に参考としていた布製の札。

 強力すぎて使いようがないとおもっていたそれを、最後の切り札として切ることができた。

 あの月の姫様にも、感謝の念を送っておかねばならない。そのおかげで、命を拾えた。

 

――まあ、妖怪さんには悪いことになったかもしれないが……。

 

 多分、その拘束によって押しつぶされてしまっただろう妖怪の少女。規格外の力を持っていたからこそ、それと同等の過剰の力をもって向かうしかなかった。

 加減などできるはずがなかったのだ。

 死ぬか生きるかの瀬戸際では、仕方ないことではあるとはいえ、縄張りを荒らしたのはこちら。

 少々、後味が悪いような気もするものである。とはいえ、これも命を拾ったから故のこと。

 

――せめて、石碑でも作るかね。

 

 その死を悼み、弔うこと。

 それも勝ちを拾った側の特権というものだ。

 自己満足でもあり――倒された妖怪に対しての一つの儀礼のようなもの。場合よっては、強大な存在だったとして、守り神や力の印としてその土地に祀られることもあり、ある種の信仰得ることもある。

 

――確か、近くになかなか絶景な花畑もあったはずですしねぇ。

 

 そこに置いておけば、誰かが訪れることもあるかもしれない。場合によっては、生き返る(……)可能性だってあるだろう。

 

 そういうことも――間々存在するものだ。

 

「――ま、どうするにしても」

 

 そこまで考えて、息を吐く。

 

――今は休んでから……。

 

 そろそろ、本当に限界である。

 全ての機能を眠らして、一休みといかなければぽっくりと逝ってしまいそうだ。

 

――あとであとで、と。

 

 

 そう考えて、気を抜いた。

 そう思って、目を瞑ろうとした――

 

 

「あれ?」

 

 そこに。

 土を蹴る音と、幼い子供の声。

 

「ここで何してるの」

 

 小さな体躯に、高い声。

 まだ、ほん子どもにしかみえない姿の――

 

 

「食べてもいい人、なのかな?」

 

 

 金色の髪をした少女が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 雨は、激しく降り続く。

 僅かに混ざる花の香は、己が黄泉路に咲く彼岸のものか。

 

 どうにも、天は優しいだけではないらしい。

 

 

 

 






 終わり。

 
 戦闘を書くのは難しいです。



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