東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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境界に触れる

「囲まれた、か」

 

 無数に林立する針葉樹。そのうちの一つに手を当てて、小さく息を潜めながら、周りの音に耳を澄ます。感じようとしているのは、人の息遣いや不自然に揺れる葉擦れの音。生き物が発している力の気配。

 

――さてさて……。

 

 数は―、三……全部で八から九、多くて十二といったところか。動きから察するに、素人に毛の生えた程度のものがほとんどで、あとは、場慣れしているだろうものが二人と、それなりの実力の者が一人といった具合だろう。木々の深さにまぎれてしまって全容ははっきりしないが、多分、この似通った力の者達は一連としてこちらを狙っている。

 通りすがりの物取りの一団か、ここらを根城にした盗賊の一派か、どちらにしても面倒な相手だ。多少統率が取れている分、その半端に拙い動きが余計にこちらの動きを制限する。障害物としては申し分ない。

 この状況から逃げ切るには、一点を突破してのひた走りか、隠業尽くしての根気ある地道なかく乱策か。けれど、そうしたにしても、向こう方が地理に明るい土着の盗人だという可能性もある。中途半端に手を尽くし、散々追い詰め疲労させられ、やっと逃げ切れたというところに、誰か(・・)が漁夫の利を狙いにくるという可能性もある。

 

 

――もうすぐ日も落ちる……。

 

 時間をかければ夜通し歩くことになるかもしれない。旅疲れに野宿の疲労。簡易的な食事しかとれないのが今の身の上だ。あまり、見通しのつかない無駄遣いはしたくない。

 出立した幾日もたっていない。今はまだ十分に力が残っているという状態だ。その序段において、こんな災難が訪れたというところを考えれば、ただたんに不運というものだが、経験上、どうせ自分はこれから幾度もこういうことに出くわすことになると、身に染みて知っている。こういう相手以上のものに巻き込まれ、災難苦難に追い立てられる。そういう廻り合わせに……宿星に生きているのだと、そんな間の悪い人間なのだと、理解している、

 今のうち。まだまだ体力のある最初のうち。

 今日訪れたこの災難を切っ掛けとして、先に備えての勘を取り戻しておくには、丁度いい機会かもしれない。幾度か会った地獄巡りのような連続戦よりは随分と楽なものだ。

 

――仕方ない。

 

 あの時よりはまし。あの状況よりは楽。後回しよりはいい。

 いつものこと。毎度の苦難。何度も通った道。

 

 ならば、繰り返した数だけ楽になっているはず。

 それを思い出すだけ。

 

「――ということで」

 

 細々と、覚悟を決めるための理論武装を終え、ふっと一息。

 小さく呟いてから、背負った荷袋をしっかりと身体に巻きつけた。

 

――これを落としちゃ、どうなったって大損だ。

 

 邪魔にならぬように位置も調整し、丁度いい具合になったところで、音をたてぬように注意しながら、辺りを見回す。探すのは、使えそうな得物になりそうなもの。

 

「……ま、こんなもんだろう」

 

 近くに落ちていた自分の身長の半分といったところの長さの木の枝。太さは手のひらに丁度収まる程度のものを持ち上げて、その強度を調べる。

 あまり硬いものではないが、まだまだ水を多く含んだその枝は、軽く曲げてみても軋みの音をたてることはない。よく曲がってよくしなり、丁度いい具合の柔らかさを持つ。

 

――あとは……・

 

 それを肩に担ぎ、今度はもう二つ、適当な枝をもう一方の手に握りこみ、ついでに、手ごろな大きさ石ころをいくつか懐へといれる。取り出しやすいように位置を調整し、何度か手のひらと懐を行き来させ――準備を完了する。

 

「さて……」

 

 もう一度、ふっと一息吐き出して、目を瞑っての精神統一。

 面倒くさいという気持ちを押し込めて、どうにかこうにか戦闘態勢に。

 まずは、相手の確認から――そう決めて

 

 

「――よいしょっ、と」

 

 

 軽い掛け声で始めることとする。

 

 

 

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「おい、お前ら。逃がすなよ」

 

 左右に展開する手下へと激をとばす。

 久しぶりの獲物だ。逃す余地はない。

 

「にしても、こんな旧道にあんな馬鹿がいるなんてねえ」

「本当いい獲物ですよ」

 にたにたと下品に笑う手下達。その緩んだ態度に一方の尻を蹴り飛ばし、もう一方の頭を殴りつけ、諌めの言葉を飛ばす……けれど、そう言いながらも、己が笑ってしまっていることにも気づいている。

 それだけ楽しい狩りなのだ。ついつい口角も上がってしまうというもの。

 

――本当に、いい獲物だ。

 

 こんな荒れた旧道に独り。武器も持たずに簡素な軽装で。

 細身に緩そうな顔。腕が立つようにも見えず、何か隠してそうな恐ろしさも感じない。

 

――地獄に仏ってのはこのことだ。

 

 お上に目を付けられ、盗賊討伐から逃げ出しての不幸続き。こんな獣道と変わらないような旧道に逃げのびて、泥をすすり、木の根を齧って生き延びてきた。

 そんな中で、たった一つの幸運だけ幸運が訪れたのだ。

 これを逃してしまう手はない。

 

「――さあて」

 

 金や食料などはあまり持っていなさそうではあるが、殺して楽しむには丁度イイ。

 慣れていない逃走劇、長旅による鬱憤、長い苦行の日々に耐えてきた自分たちの不幸。それを晴らす相手としては丁度イイ。

 追い詰めて、追い詰めて。痛ぶって、苦しめて――楽しんで、殺す。

 

「ひひひ」

 

 思わず笑いがこぼれてしまう。

 部下を諌めた手前、すぐに表情を引き締めるが、皆同じような表情を浮かべているのはわかっている。獣のように笑っていることを知っている。

 

――ああ……。

 

 確かに、始めは生きるため、食うための盗賊業、だった。仕方なく始めた生業だった。

 けれど、今はそれ以上に――

 

――殺すことが楽しいんだ。

 

 無抵抗の相手を、必死で抗う相手を、泣いて縋る相手を。殺す、殺し尽くす。

 自分たちの圧倒的に有利な状況で、ほんの僅かな希望に縋ろうとする者どもを苦しめて、ぎりぎりまで生かしておいたところで、殺す。

 これは力を持っている側の権利だ。弱者を好きにして楽しむ権利。呪うなら、弱く生まれた己を呪うべきだ。

 

――どうやって殺してやろうか。

 

 すでに、全方位から囲いを組んで相手の逃げ道は塞ぎきっている。もはや、逃げ場はない。万が一、なりふり構わずそれを突っ切り、逃げ出してしまおうとしても、そのような奴にはとっておきの隠し玉が準備してある。

 油断はない。

 

「お頭ぁ」

「おう」

 

 全員に見えるように右腕を高く上げる。これを振り下ろした瞬間、一斉に攻撃を開始するのだ。 狙うのはまず足だという命令も徹底してある。それさえ止めればもう逃げられない。そうすれば、あとは楽しむだけだ。

 

 堪えきれない笑いが顔全体に広がる。己たちは血も涙もない化け物なのだと自覚する。

 人を苦しめ、人を貶め、遊んで殺す。笑って殺す。どうしようもなく人を辞めていて、人を超えた化生の存在だ。

 そんなものに、たかが一人の人間が適うはずがない。

 

――そんなもんに遭っちまったことを恨め。

 

 持ち上がった口端から洩れる唾液を舐め取って、最高潮に盛り上がる興奮。

 「やれっ」という怒号と共に、全員が飛び出して、何も気づいていない男を取り囲む。

 心の底から驚いて、怯え逃げ出そうとするその後ろから足を切りつけ、泣き喚くその顔を蹴り飛ばす。生かして、生かして、ぎりぎりで殺す。

 

 そんな宴の始まり。

 

「い――」

 

 その合図がなる。寸前で――

 

 

 

「うひゃっ!」

 

 

 手下の1人から悲鳴が上がった。

 

 

「なんだ。おい、どうした?」

「何かあったのか?」

 

 すぐさま近くにいた者達が声を掛け、その様子を確認する。

 その視線が集まる先にいる一人は。

 

「い、いや、驚いただけだ。何でもねえ」

 

 五体満足で立っている。何があったのかすらわからない。

 その意味のわからなさに苛ついて、そいつにじろりと視線を向けた。それだけで、その臆病者は震え上がる。

 

「す、すいません。こ、こいつが飛んできて……」

 

 そういって、手下が拾い上げたのは一本の木の枝。薪に丁度いい程度の、乾いて脆くなった軽いものだ。少なくとも、今落ちてきたものではない。

 

「あ、あいつが投げたんですぜ。こっちに気づいてやがったんだ!」

 

 指したのは狙われる側だったはずの男の方向。それを投げると同時に隠れたのか、その姿は見えない。木々の間にでも紛れ込んだんだろう。

 

――無駄なまねを……

 

 こちらが気づかれたのに対しては驚いた。が、木の枝を投げるという幼稚な抵抗。しかも、投げてきたものは当たっても大した痛みも与えられないだろう華奢なものだ。

 か弱い抵抗にもほどがある。

 

「――とんだ馬鹿だ」

 

 その愚かさ加減を嘲笑い、近くにいた手下の一人と顔を見合わせる。

 とても楽しそうに歪んだその姿は、とても歪で恐ろしく、きっと自分も同じ表情を――

 

「ぷぎゃあ!」

 

 吹っ飛んだ。

 目の前で見ていた手下の顔に、細長い何かがものすごい速度でぶつかってきて――そ

の速度に引きずられるようにして、その顔が身体ごと吹っ飛んだ。

 

「……な、なんだぁ!?」

 

 同じようにそれを眺めていた手下が叫び……その瞬間に折れ曲がった。

 今度も何かがぶつかって、腹の辺りから折りたたまれるようにして、よだれを吐きながら後ろにあった木に叩きつけられる。

 

「ひゃあ!」

「う、うわああ!」

 

 叫び声。倒れ伏した手下。痛みに呻く声。

 混乱する場。溢れる疑問。

 

――な、なんだ?

 

 近くで風を切るようなするどい音がして、隣に立っていた手下倒れた。

 見れば、何か鈍器のようなもので殴られたように赤くなった足と痛みにもだえる姿。その前に転がる割れた石ころ。

 

「……投擲だ! 全員伏せろ!」

 

 がむしゃらに叫びながら、頭を腕で囲って地面に身体を放り出す――瞬間、隣にあった木の幹がぎゃりりっと鈍い音をたてて削られた。その直線状、幹に当たらなければ飛んでいたはずの方向にあったのは、自分の頭。

 

――まさか……。

 

 

「おかしぃ……ひぎゃあ!」

 

 喚きまわっって、急いで逃げ出そうとしていた一人が背中に投擲を受けて倒れこんだ。息を詰まらせ、何かを吐き出そうとするように咳き込みながらのた打ち回る。

 

「……っ!」

 

 

 間違いない。

 相手はこちらが驚き、怯えた声を出した場所を狙っている。どうやってかは知らないが、その怯えた声でこちらの位置がばれてしまうのだ。

 

「いてぇ、いて……!」

 

 その証拠に、痛みに大きなうめき声を上げていた手下に向かって、攻撃が飛んできた。今度は最初にあったような木の棒で、殺傷力自体は低いだろうが、それが頭に直撃したことで、ぷつりとその声が途絶えた。

 多分、気絶したのだろう。

 

「お、お頭ぁ……」

「やばいですぜ……まわりの連中も、ほとんど」

 

 ずりずりと這いずるようにして残った手下が集まってくる。

 もう人数は心少ない。後ろから迫っていた連中もやられたか逃げ出したのだろう。でなければ、既に襲い掛かり、相手の投擲が止まっているはずだ。

 そういう指示を予め出している。そうなっていないということは、向こうは当てにできないということだ。

 

――くそっ……!

 

 襲う側だった自分。強い側だったはずの自分が、今劣勢に立たされている。訳がわからない……というより、ありえない事態だ。

 たかが、一人の人間に十人以上いる自分たちが怯え、脅かされている。

 皆が半狂乱。混乱に巻き込まれ、指示も届かない。

 

「……どうすりゃいい!?」

 

 怖い怖い。恐ろしい。

 俺たちは一方的に殺す側のはず、なんでこちらが攻撃を。

 いったいなんだ。この状況は。

 

 次々と、頭をめぐる疑問。

 それでも、己はお上からの追っ手も見事に撒いてみせた手腕の持ち主だ。こんな状況でも十分に落ち着いて、考えをまとめることが出来る。

 名案を思いつける。

 

「てめーら! 俺が合図したと同時に走れ! ――全員で俺のまとまって、一気に駆け抜けるぞ!」

 伏せている連中全員に叫ぶ。

 勿論、木を盾にして身を縮めてだ。

 

――そうだ。

 

 近くにいる連中。怪我をして動けない連中を抜いても、まだ四、五人は数がいる。それに円陣を組ませ、自分がその中心となれば、投擲にぶつかることはない。そのまま全速力で走れば、そのまま逃げ切れるはずだ。

 

――俺さえいりゃあ、立て直せる。

 

 元々、自分の力によって成り立っていた集団だ。何も考えていないこの連中を上手く使ってやったからこそ、今までの狩りは成功してきたといっていい。

 この中で一番価値があるのは自分。それ以外はいくらでも補充がきく間抜けものばかり。手足がいくら痛もうと、頭さえ守れていれば大丈夫なのだ。

 

「へ、へい!」

「お前ら、遅れるな!」

 

 ずりずりと這いずって、己の周りに集まる手下達。

 その表情は、何の疑いもなく頭の出す命令を信じきっている。

 

――ほらみろ……。

 

 こいつらの頭は空っぽなのだ。

 何も考えず、ただ命令どおりに従っていれば上手くいくと思っている。だからこそ、骨の髄まで使ってやる。それが手下どもの幸せである。

 

――俺の役に立てる……それだけで。

 

 十分な価値がある。

 

 

「よし……いくぞ!」

 

 合図と共に走り出す。

 己を中心として、周りを囲むようにして組んだ陣。

 これならば、どこから攻撃がこようとも、少なくとも、一発は耐えられる。自分にだけは当たらない。

 

――このまま……。

 

 そこまで考えたところで、思考が止まる。

 冴えているはずの頭が、動きを止める。

 

――どこまで、逃げればいい?

 

 走り出した後。既に始めてしまった後。

 行く先など決めず、ただ、そこから遠ざかろうとしか考えていなかった。訳もわからず、落ち着いた振りをして、逃げることしか考えていなかった。

 

「俺は……」

 

 どうすればいいのだろう。

 このまま走って、何処まで逃げられる。何処まで行けば、見逃してもらえる。

 わからない。恐ろしい。わからない。怖ろしい。

 なんなんだ。あれは、追いかけてくるあれは……

 

「うう、うああ……」

 

 零れる恐怖。必死でその脅えを噛み殺す。

 まだ周りには五体満足の部下たちが立っているのだ。それさえいれば、しばらくは大丈夫だ。大丈夫なのだ、そう言い聞かせて、ただただ走る。

 

――怖い……怖い……。

 

 そうだ。

 自分は脅えているのだ。

 部下達ほど鈍くなく、思考を止めてしまわないからこそ、その恐怖を感じている。

 これが、こういうのものが……

 

 

「……見ーつけた、と」

 

 小さな呟きと頭上の葉々が揺れる音。

 それが聞こえた瞬間、前に走っていた手下の肩を掴んでいた。

 

「お、お頭ぁあ!」

「ひいぃ……!」

 

 音もなく、目の前にその男が降ってきた。

 そして、軽い仕草で肩を振り上げ、掌に握りこんでいた何かを――-投げつける。

 

「ぎゃああ!」

「うああ!」

「ああああ!」

 

 ザガガッ、という細かな炸裂音。

 目の前に広がる砂利と飛礫。

 決して殺傷力など持たないであろう、地面から掬っただけの砂の群れ。

 

 それが、ものすごい勢いで飛んできて、こちらを呑みこんだ。

 それだけで、前にいた三人の手下が倒れ付した。

 

「う、うわあ、あぁっ!」

 

 後ろに付いていた一人が、叫び声を上げて男から遠ざかろうと走り出す。

 その後頭部へ、ドコンッと何処か軽い音がして、木の棒が投げつけられた。

 

 

 それで、静かになった。

 

 

 

 

 

 

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「ふう……」

 

 息を吐く。

 吐き出すのは、一応の一段落だという安心とわずかな疲労。

 そして、ちょっとした反省。

 

――やり過ぎたか……。

 

 見下ろすのは、盗賊の頭らしき、ぼうぼうと髭をはやした荒くれの身体。

 振り切った棒が綺麗に頭に入り、まるで眠るようにして、ぐったりと気絶している。

 しばらくは目を覚まさないだろう。

 

 久方ぶりの運動に、少々、大人気なくも加減を間違えた。

 ある程度数を残して、倒れた者達を持って帰らせようとしていたのに、全員を身動き取れない夢の中にへと送ってしまった。

 どうにも失敗である。

 

――しかし、まあ……

 

 もう一度、溜息ついての思案。

 手で弄ぶのは、先ほど飛んできた石の鏃。その切っ先が支点となるようにして、くるくると回転させる手遊びをしながら、先ほどのことを考える。

 

「――自業自得だが……それでも、面倒だ」

 

 睨むのは、倒れた頭の眠り顔。

 命乞い。頭を地面に擦り付けての助命を願った男への蔑みの視線。

 

――こっちだってさっさと終わらせて眠りこけたいってのに……。

 

 手下の回収と手当て。道先の案内。以後同じことを繰り返さぬように――などと適当な説教し、後始末は任せて、さっさとずらかってしまおうとしたところに、潜んでいた弓持ちとの連携した不意打ち。

 ついつい反応して、たまたま持っていた棒でぶん殴ってしまった。顔は大丈夫だろうか。へこんでないだろうか。

 

 

「……狙いは良かったんですけどねぇ」

 

 わざわざこちらに「手下を治療する方法はないか?」などと質問をし、それに対して、薬草の一つを説明しようと、こちらがしゃがみ込んだところに、飛んできた矢。

 それを避けようとしたところに、さらに自らの短刀による刺突。

 二段重ねの、なかなかに上手くできた攻撃である。

 しかし――。

 

「――手下を盾に攻撃を避けたような奴が、仲間の傷のために薬草なんて欲しがるはずがないでしょうに……わざわざ、自分たちをぼこぼこにした相手に聞いてまで、ね」

 

 あからさまに怪しげな行為に、一瞬だけぎらついた視線。

 多分、後ろに隠れていた弓持ちに気づいたのだろうが、ちょっと演技が過剰であった。わざわざ慣れないことに頭を回したために、余計に不自然な動きを重ねてしまった。

 どうにも、自業自得な結末である。

 下手な考え休むに似たり、ということであろう。あまりにも考えすぎても意味がない。自分ひとりの頭で、全てが上手くいくはずがない。

 

――敵わないもんだっていくらだってある……。

 

 それを弁えて、上手いこと切り抜けていかなければならない。

 世の中、そういうものだ。

 

 

「……」

 

 

 そこまで考えてところで、ぐっとひと伸び。

 木の上やら枝の上やら葉っぱの上やらを走り回っていた身体をほぐしての一段落。

 息を吐き出し、気合を補給し、怠惰を隠し、本性塗し――深呼吸。

 

 

 幕上げの一声として、 軽く一言。

 

 

 

 

「――そうは思いませんかね。そこのヒト」

 

 

 

 中空に向ける視線。

 何もない空気の層に向けて言葉を放つ。

 そこにはなにもない。

 

 何もなかったはずの場所。

 

 けれど、それを鍵として――

 

 

「――あらあら、随分と勘がいいのね」

 

 

 ずるりとずれて、何かが開く。

 開いたそこに何かが現れる。

 

―-……。

 

 光を跳ね返すような金の髪。ひらひらとした見たこともない高級そうな衣装――異装を身に纏う姿。とても……同じ人間とは思えない少女が、真暗な、見通せない空間を背に顔を出す。

 その表情は、楽しそうに、興味深げに。

 こちらを見下ろして、微笑んでいる。

 

 

「――妙に落ち着かない気分でしてねぇ。老人は普段と違う感覚ってのには敏感なもんなんですよ。ついつい気になってしまう」

 これじゃあ時代についていけませんねぇ。

 

 そういって、にこりと微笑んで、その存在に顔を上げる。

 合った視線にあるのは、値踏みと鑑定。面白いものか、そうではないものかを判断するための、気まぐれに変化する判断基準。

 

――あなたは一体何なのかしら?

 

 そんな疑問の解決を欲する。

 こちらの心中を探ろうと覗き込む瞳。

 

「随分とお若く見えるのだけど……あなたはそれでいて結構なお年なのかしら?」

 

 美麗ではあるが、ひどく妖しい笑み共に投げかけられる疑問。

 その質問に意味はない。

 

 ただただ、戯言を交わしているだけ。

 

「ええ、これでも随分長生きでしてね。さっきの運動で随分とへとへとですよ」

 若い人の相手は大変です。

 

 くすりくすりと笑いあい、互いの裏に向けたままの手札を回す。

 判るのはその感触のみ。相手に触れてその概観を探りあう。

 互い互いの譲り合い。

 

「随分と若作りなご老人ですのね。羨ましい」

「いえいえ、ただ年相応の風格がないだけの若輩者ですよ。貴女こそ、随分とお美しい。何処かの良家のご令嬢ですか?」

「あら、ありがとう。お上手ね。けれど、それよりも、あなたの力の方が面白いでしょう? あれほどの攻撃を間単に裁いてしまうのだから随分と名が知られているんではなくて」

「いえいえ、矢を掴み取るなんてのは大道芸じゃよくあるもんですよ。自慢にもならない慣れの技。それよりなにより、お嬢さんの登場だ。一体どんな技術なんです?」

 

 煙に巻きあい、誤魔化し合い。 

 答えを出さず質問ばかり。平行線に話は進み、弾まず乗らずにすり抜ける。

 相手の正体は掴めず、こちらの素性も明かさず。

 仕方ないので話は逸れる。

 

 天気、ご機嫌、用向き。

 知識、趣味、好みの味、嫌いな食べ物。

 何やらどうと外れていく。どうでもよく崩れていく。

 

――何が何だか……。

 

 狸と狐のなんとやら。

 化かしあいはどこまでも続く。

 面倒くさく終わらない。

 いい加減に、それはもう――

 

「――きりがない」

「――きりがないわね」

 

 辿りつくのも同時のこと。

 互いに意味がないと互いに理解して、そのまま続けて無駄ごとだ。価値のない交わしはこれまでとして、そろそろと我慢も限界に近づいて――

 

「いい加減、尻尾を出してくれないかしらね、狐さん……私も暇じゃないの」

「暇じゃないなら、どうぞご自由に御行きください。それに……狐ってんならそっちの方がお似合いでしょう、女狐さん。こっちは精々、間抜けな狸爺がお似合いだ」

「ああそう、なら間抜けらしく先に口を開いてくれないかしら……いえ、ここは年長者らしくって言い方の方がいいかしらね」

 

 じとりとそんな笑顔の差込に……流石に、呆れて息を吐く。

 どうしようもなく強情なお嬢さんだ。相手が根を上げた後が勝負の、値切りの流儀も弁えている。どうにもこうにも、このままでは終わらない、終わりがない。

 これはもう、どちらかが大人になって、口を滑らせるしかないと、そう諦めざるをえない。

 

――まったく、面倒な……。

 

 こういう時は、年上が折れるのが常というものだ。あんまりも若者の時間を削っては年寄りとしてもいい気分ではない。加えて、それよりなにより、時間がない。

 さっさと終わらせて夜営の準備に入りたいのだ。そろそろ本当に日が暮れてしまう。

 ぐっすり眠る時間がなくなってしまう。それは嫌だ。

 

――根気負けってのは癪ではあるが……。

 

 まあ、それも大人の余裕を見せる機会。

 負けてみせる懐の深さ。そういう情けない翁の屁理屈。

 

 

「――ということで」

「……?」

 

 穴だらけの飾り袖を見せつけて、底の浅さを知らせることとする。

 それくらいしてしまえば、呆れて何処かに行ってくれるのではないかと考える。

 その程度で、誤魔化すこととする。

 

 そのために――

 

「――流石に面倒ですから、そろそろ腹を割って終わりにしますか、妖怪さん」

 

 そう、笑顔で伝えて――背中を向けた。

 何の備えもなく、前に出た。

 

「……!?」

 

 致命的な油断。徹底的な弱さをさらす自身の身。

 少々、呆気にとられる少女を置いて、無防備にだらけきった背中を晒し、ゆるりと進む。

 手を伸ばせば一突き。一瞬で終わる弱さ。

 それを盾にして、先に促す。

 

 命は相手、主導は自分。

 賭け握るのは矜持と覚悟。

 

 強い者にある強さの証に縋ることにして――

 

「こんなところで立ち話もなんです――」

 

 弱さを晒す誤魔化しで、己の場へと、底抜けのぬるま湯へと駆け込む。

 惚けたように、ふらりとぬるりと指し示す。

 

「どっかで飯でも食いながら、ゆっくり話すことにしましょう」

 食事はこちらが用意しますので。

 

 まるで、友人でもあるかのように気軽に振る舞い、畳み込む。

 礼儀は失せぬ程度に、怒れば己が小心者となるような感じに、無防備に慇懃無礼。

 

 その程度を意識して笑みをつくる。

 

――誘いに乗らねば、お前が下だと……。

 

 そう伝えるように、意地悪く。

 

 そして――

 

「……ふふ」

 

 それに返るのは、似たような笑み。

 精神で生きる妖怪の退けぬ部分を描いたものと、純粋な興味の色が混じる、随分と変わり映えした、一筋縄ではいかなそうな笑み、。

 

「ええ、喜んで」

 

 美しくも胡散臭い、愉悦に楽しむその表情。

 どうにも、器の違いを見せつけてくれるその器量。

 

――こりゃあ……早まったかねぇ。

 

 どうやら、尻尾を巻いて死ぬ気で逃げるのが正解だったようだ。

 そんな後悔が込み上げる、が――もう遅い。釣り上がった笑顔は、楽しく標的を見定めて、愉しそうに偽装された玩具を狙っている。

 どうにも重い、期待外れだ。手にとられれば誤魔化せない。

 

――まあ、それでも……。

 

 どうせ、旅の恥は掛け捨てだ。 

 いざとなれば、なりふり構わず逃げ出すか。地面に頭でも擦り付けて情けなく命を請おう。その場しのぎ恥でも何でも、見逃してもらえれば、命の分だけ得をする。

 どうとでも、どんな手段でも使ってでも生き残り、なんとなくで命を繋ぐ。

 それもまた、生きるための繋ぎの方法。

 ここら辺りは、恥をかき慣れた老人の便利な性分である。

 

――とにかく今は……。

 

 上手い食事にありついて、それが最期の晩餐とならぬように祈りながらいくとしよう。

 そう考えて、とりあえず、歩くこととする。

 

 

 

 

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境界に触れた一幕

 

 




改訂分

状況も弁えて、ゆっくり更新していこうと思っています。
何か気になる点、おかしな点があればご一報下さい。
感想もお待ちしております。

読了ありがとうございました。


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