東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

19 / 59
暗夜行路

 

 

 

「ねえ、紫」

 

 振り落ちる桃色の雨を眺めながら、彼女はまるで囁くように言った。

 ゆるやかに笑んだその顔が薄い日の光に照らされて、血の気のない白い肌をますます色のないものへと透かす。

 

 まるで、散り際の花のように、薄く。

 

「なあに」

 

 にこりと微笑み返して、背中に這い登る違和感を振り払う。

 盛りの季節は過ぎたというのに、私がそう意識しなければならないほどの力が、それ(・・)には芽生え始めている。

 

「私ね。この子はきっと悪くないのだと思うの」

 

 細く痩せこけた手が伸ばされる。

 その先にあるものに向けて

 

「この子は……ただ、普通に生きていただけ」

 

 ひらひらと舞い落ちる桃色の欠片。

 その一枚を掴み取りながら、彼女は言う。

 

「決して、呪われてなんていない。ただ、そのままに生きて……・美しく咲いただけ」

 

 宙へ手放された花びらは、一時吹き抜けた風にのって、空遠く舞い上がっていく。

 まるで、溶けていくかのように姿を消していくそれは、美しく――どこか儚げに。

 

「ずっと、生きようとしていただけ」

 

 それが、歪んでしまったというのなら――違ってしまったというのなら、それはきっと……。

 

 

 

 

________________________________________

 

 

 

 

 

 

 天から降り注ぐ数え切れない滴の群れ。

 灰色だった雲はいよいよ濃度をまして、黒くその姿を染め上げる。時折、ごろごろと唸るような声を上げるのは、天の神が怒りの声を発しているのか。それとも、ただ腹を空かしているだけなのか。

 どちらにしても、癇癪をおこしているのには違いない。

 

「さて、ここまでは大丈夫、か」

 

 辺りの気配を探りながら、目の前の緑を両手でかきわけるようにして道を開く。ちりちりと肌の露出した部分に触れる草々が、くすぐったくてうっとうしい。

 

――にしても、きついもんだ。

 

 塩辛い汗交じりの雨水が頬を流れ落ちていく。

 それでも、休まずに進み続ける。

 

 正道どころか裏道ですらないこの逃走路は、進みづらいことこの上ない。悪天候であるならなおさらのこと、湿った着物がさらなる負担を身体に強いて、残りの体力をじわじわと削り取っていく。

 

――まあ、でも……。

 

 この雨のお蔭で助かったということは確かなのだ。

 あの時、この天の助けがなければ、こんな風に逃げ出せていなかった。少なくとも、それだけは感謝しなければならない

 

――残りの札は十枚程度、か。

 

 袖に仕込んだ分と荷袋の中にしまってある分――この前に作っておいた分はそれだけで、心もとないことは確か。あの場に残してきた身代わりは、そろそろ一掃されているところだろう。

 いや、もうとっくの昔に吹き飛ばされていているかもしれない。

 

「――運が悪いかどうなのか」

 

 それが問題である。

 上手く時間を稼げているのか。上手く引っ掛ってくれているのか。

 

――どれを引いたのか。

 

 どちらにしても、脚は動かし続けなければならない。

 あんな規格外の妖怪を正面から相手するなど真っ平御免である。

 

――さてはて……どうなることやら。

 

 もはや、お決まりとなった思考に僅かに笑いを漏らし、視界を塞ぐ雨水を拭う。

 ぬかるんだ地面は、ひどく歩き辛い。

 

 

 

 

 

________________________________________

 

 

 

 

 

 

 

「――うっとうしい」

 

 額に張りついた前髪を払う。水を吸った髪は、すぐに目に入りそうになって面倒だ。

 同じく、多量に水を吸った衣服もぴたりと肌に張りついて、身体を重くする。

 

――本当にうっとうしい。

 

 すっかりの濡れ鼠。一張羅が台無し。

 とても、それが不快。

 

「ああ、もう……」

 

 それもこれもあの人間の――あの胡散臭い男のせい。

 あの男さえ手早く食べられていてくれれば、こんなことにはならなかったのに。

 

 込み上げる怒りに、思わず手の中のそれ(・・)を握り締めた。くしゃりと小さく潰れたそれは、元あった形を失くし、破れ散ってしまいそうになる。

 

――ああ、いけない。

 

 感情に任せて失ってしまうわけにはいかない。

 これは手がかりなのだ。

 あの男を捕まえるためにも大切に扱わないといけない。

 

 折角の材料を――自らの手で壊してしまう。それでは意味がない。

 

「……」

 

 雨で大分薄まりながらも、微かにあの人間の香りが染み付いているそれ。

 多分、血と何かを混ぜて作ったのだろう。意味はわからないが、複雑な文様が描かれているもの。

 

 人型に切り取られた白い紙。

 

――こんなもので……。

 

 

―――

 

 

 

「これは……?」

 

 落ちた雫が地面を染めて、それが斑点となり、徐々に範囲を広げていく。

 空気に満ちた水の気配は、とうとう形そのものとなって辺り一面を埋めていく。

 

 天から落ちているのは無数の水禍の塊――つまり、雨だ。

 

――とうとう降ってきた。

 

 感想はそれだけ。

 

 ずっと空は雲で覆われていたし、徐々に雨の気配が濃くなっているのを感じていた。そもそも、太陽が雲に隠れきっていたからこそ、私はここまで来たのだ。

 いつもなら、余程お腹が空いた時でないと夜以外に出歩こうとは思わない。

 辺りが暗かったから、散歩をしようと思った。

 

 だから、雨が降ってきたのは予想通り。特別、思うこともない。

 けれど――

 

「……何?」

 

 多分ずっと待っていたのだ。

 この偶然に見つけた獲物は、その時を待っていた。

 

 だから、その瞬間(・・・・)にはもう、動き出していた。

 

 

「――雨巡り、火炎と結べ、とね」

 

 聞こえるか聞こえないか程度の小さな呟きと共に、投げられた何枚かの紙片。男の手によって、まるで弓で射られでもしたかのような速度で打ち出されたそれは、空気の抵抗すら感じさせず、真っ直ぐとこちらへと向かい――

 

「へえ」

 

 多分、周りの水気を吸っているのだろう。

 その紙片の内のいくつかが、鈍い光りを放ちながら、辺りの水滴を絡めとり、力を増していくのがわかる。雨を吸い、水気を吞みこみ、球形に力を留め――私に向かう。

 

――さっきまでの私のと同じくらいかな。

 

 人間がよく扱う、環境を利用した術というものなのかもしれない

 力を増強させた札が、空気を切り裂きながらこちらへと飛んでくる。

 

――でも、その程度で……。

 

 それに応戦するようにして、無数の妖力の塊を辺りへ生み出し、相手へと打ち放った。その数は、男が飛ばした札の――倍以上の数。込められた力も数倍のもの。

 そんなほんの少し増した程度の攻撃では、覆せるような差ではない。

 相手の攻撃すら呑みこんで、男に襲い掛かることになる。

 物量差で、質量差。人間と妖怪の、持って生まれた歴然の差というものだ。いくら人間が力を得ようとも、同じ以上に力を持つ妖怪に敵うはずがない。

 

「まず、一つ」

 

 黒の光球は、真っ直ぐと札を吞み込んで、そのままの速度で男に襲い掛かる。

 そこ落ちるのは、待ちに待った策すら通じないという絶望か。己の持つ力が全く届かないという矜持の破壊か――それとも、ただたんに血を流し、身体の何処かしらを失くしてしまうという欠損か。

 どうなってしまうにしても、男は何かを損うことになる。

 削れて、失っていくことになる。

 その――

 

「さて――」

 

 ――はずだった。

 

 

「火と水が打ち消しあって――混ざり合って何となる、とね」

 

 それが届く前、打ち出された攻撃がぶつかり合う寸前に――呟く様に男がいった。

 その瞬間に――

 

「……何?」

 

 

 目の前が、真っ白に覆われた。

 

――煙……違う、これは。 

 

 まるで、何かが爆発でもしたように、円形に広がった白が、辺り一面を吞み込んでいく。視界を覆い、こちらもあちらを呑み込んで――触れた瞬間、冷やりと肌が湿る感触に襲われた。

 それは――

 

「さっきの札はそのための……?」

 

 霧や靄のようなもの。降り注ぐ雨の中、突然に水の煙幕が現れたのだ。

 空気に溶けきれない膨張した水分が、粒となって辺りを漂い、視界のほとんどを奪い去る。

 

「――こんなもので」

 

 それに紛れるようにして飛び掛ってくる気配。

 この状況で、動揺している私の不意を討つつもりなのだろう。今まで感じていた以上に素早い動きに、一瞬の焦りが生まれるが――本気でなかったのはこちらも同じこと。

 

――残念ね。

 

 ふっと息をはいて、それを待つ。

 そして、迫ったその影に向けて――真っ直ぐと手を伸ばした。

 

 ひゅん――っという小さな風切り音。

 

 指先を伸ばし、そのまま真っ直ぐと腕を突き出しただけの、贅力にものをいわせただけの突き。それでも、たかが人間の身体は容易く突き破れる。

 

――もう少し遊びたかったけれど……。

 

 狩られる側の獲物が狩人に牙を向いたのだ。それは仕方のないこと。

 白い靄の中から飛び出しだそうとした影の中心を、私の腕がしっかりと貫いた――が。

 

「……?」

 

 感触がない。

 

 その人型の真ん中を、確かに私の腕は貫いている。それは、予想通りに向こう側へと突き抜けた――はずなのに、まるで、何ないところに手を振るっているような、そんな感覚しか残らない。

 ただ、靄を貫いただけの――

 

「おやおや、何をしているんですか」

「な……!」

 

 右手側からの声。

 振り向いた瞬間には眼前にまで迫っていた影――に対して、右腕を薙ぐことで応えた。

 しかし、返ってきたのは――

 

「また……」

 

 ただ、靄をかき回しただけの空を切った感触。

 振り払われたはずの影は、まるでその中に溶け込けこんでいくように消えうせて、感じていた気配も掻き消える。

 

「これは」

 

――にせもの?

 

 再び表れる気配と、靄の中にうっすらと写る影。

 よく見ると、周りには無数の影が写り込み――私の周りを囲っている。

 

「あんまり長くは保たないんですが――さてさて」

 どれが本物でしょう。

 

 おどけるような調子の声が辺りに響き、その影の一つがこちらへと飛び掛ってきた。それを片腕で振り払って、切り裂くが――それもまた、粉微塵に散り失せる。

 

――幻術。

 

 術者が作り出した幻――何かの形に象った幻で相手を惑わせる術だ。

 昔、私を退治しようとした祓い師が似たようなことをしていた。予め用意していた結界に私を誘い込み、そこに無数の分身を用意して、その物量によって勝とうとしたのだ。

 入念に準備された力の満ちた場所に、私を囲う多勢の力を持った写し身たち――それらの全てをなぎ払った後、私は獲物の数が思ったよりも少なかったことにがっかりしたことを覚えている。

 

 これは、あの時ほど上等なものではない。

 あるのは影と気配だけで、完全な人型を作り出しているわけではなく、霧はその細かな差異を隠すためのものであるのだろう。数もそれほどでなく、先ほどのように触れてしまえば消えてしまう。こちらに攻撃することも、防御に使うことも出来ない。

 霧が晴れれば、消えうせてしまうような脆弱なもの。

 ただの身代わりの影。

 

「――で、どうするの?」

 

 種が割れてしまえば、どうということもない。

 ただの幻で、ただの張りぼてだ。

 

――何をできるわけでもないし……その中に本物が紛れ込んでいたとしても。

 

 動き回る影。見通せない霧の奥。

 その内の二体が左右同時に飛び掛ってきたのを――両腕で吹き飛ばす。

 

――全てをなぎ払ってしまえばいい。

 

 それで終わる。とても簡単なことだ。

 再び飛び掛ってきたそれらを幾つかなぎ払い、また、その数を減らす。

 手応え――当たりはないが、それでも、だんだんと可能性は上がっていく。目に見える形で追い詰められて、死に近づいていくのだ。

 これは、食前に行う運動――と余興。

 そう考えれば、まだ我慢はきく。 愉しみに、待っていられる。

 

「……」

 

 また二つ。

 今度は前後からかかってきた影を――私の影が食らう。形を変えて、針のようにとがったその黒の先端が、人の形を串刺しとする。

 

 ぐさりと、早贄の形。

 それが、いつか訪れる最期。

 

「また、外れ」

 

 血も流さず、肉も溢さず散っていく影たち。

 そのたび――それが殺される度、自らの最期の姿が描かれる。

 貫かれるのか、砕かれるのか。真っ二つとなるのか。喰いちぎられるのか。

 

 ぼろぼろと散る。

 ぐちゃぐちゃと消える。

 

 音はなくとも、それは視えている――想像が、ついているはずだ。

 

「ほら、どうしたの?」

 

 挑発するように言い放った言葉。

 

 何時の間にか、私を中心に動いていた影たちは随分と数を減らして、その動きを止めている。こちらの様子を伺って、その場に留まるのみでまったく動こうとしない。

 このままでは意味がない。ただ悪戯に数を減らすだけだと、策を変えようとしているのか。

 

――それとも。

 

 ただ、怖くなったのか。

 

 散漫に時間を使い、少しでも減らさないようにする。

 生きている可能性を、わずかにでも増やそうとする。

 

「……」

 

 声を殺して、隠れ潜んで――その、微かな時に縋ろうとする姿。

 この霧が晴れる(・・・)までは、大丈夫。自分の命を守れると思っている愚鈍な思考。

 

「何もしないの?」

 

 問い掛ける。

 何の反応も見せない相手へと。

 

――諦めてしまったの?

 

 周りに漂う霧は少しずつ薄まっている。

 時間が過ぎれば、その仕掛けも露出して、万に一つの可能性も失くなるだろう。そうなれば、何もせずとも終わってしまう。一目で殺せてしまう。

 そこで終わってしまうのだ。

 私にとって、それが一番楽なのだろう――けれど。

 

――それじゃあ、面白くない。

 

 こうやって少しずつ追い詰めていくのもいいが、私はもっと能動的に動きたい。逃げる獲物を、自らの力によって追い詰めて、怯えさせて蹂躙して、狩りを楽しみたいのだ。

 なにより、先ほどから驚かされてばかり。通じないといえども、相手の思惑の中にいる今の状況は、あまり快いものではない。

 少しは、こちらからも驚かしてやらなければならない。諦める時間さえ遺されていないのだと、思い知らせてやらねばならない。

 

 それが、正しい化け物というものだろう。

 怖さを知る、ということだろう。

 

「なら、こっちの番ね」

 

 驚かされた時間を返す。

 思いつくのは、ただ単純な嫌がらせ。

 洗練された技術に工夫を重ね、骨身を削るようにして作り上げたその努力。男がやっとのことで作り出した結晶を――

 

 

「柔らかく、ばらばらに」

 

 

 私は振り下ろす。

 暴力という塊を――

 

 

 

 

―――

 

 

 

 

 あの瞬間。

 私は確かに吹き飛ばした。

 

 その水蒸気ごと、姿を隠す仕切りごと、あの影達を吹き飛ばした。それ(・・)が振り落とされた地面は、辺りにあったものごと全て消し飛んで――何もなくなったのだ。

 

 そう、そこには何もなかった。

 

 

 みしりっ。

 

 そんな音を立てて、支えにしていた木が揺れた。

 どうやら、当てていた手に思わず力を込めてしまったらしい。右手にあった、その千切りとってしまった残骸を放り捨てる。

 

 そして、見つめるのは――

 

――本当、ご丁寧に。

 

 左手の紙片。

 

 激昂した私は、すぐさまその気配を追いかけた。騙されたという屈辱感にはらわたを煮えたぎらせながら、遠くへと逃げていくその形を察知して、全速を持って追ったのだ。

 そこで見つけたのは――

 

「本当に――」

 

 より高密度に造られた、さらなる分身体。

 気配と僅かな霊力を放つ、霊符を媒介とした身代わりの人形。

 

 それが、男の代わりに浮かんでいるだけだった。

 

 

「……」

 

 

 真っ白になった頭。何も見えなくなった視界。

 それを通り越して(・・・・・)――私は冷えた。

 

 ただ――

 

「捕まえてあげないと」

 

 そんなことだけを考えて。

 

 くしゃくしゃになってしまったそれを、緩く濁りなおして――その感情(おもい)を呑みこむ。

 これを吐き出すのは、それを目の前にしてからだ。

 そう決めて――

 

 

 片手を上げた。

 

 

「行って――」

 

 

 真っ暗な形を、空に放る。

 それはすぐに暗い雲に溶けて、何処かへと消えた。

 

 

――必ず、みつけるの。

 

 

 それを見送る。

 私は笑う。

 

 

 ぽっかりと森の中に空いた広場で――それを待つ。

 

 

 

 

________________________________________

 

 

 

 

「――ふう……」

 

 こんなものだろう。

 これで、出来るだけのことはした。

 

 森の中に存在する小高い丘の上の、さらに一際高い一本の木の枝の上で、景色を見下ろすようにしながら呟いた。

 弱冠小降りにはなったが、雨は依然治まらず、雲は晴れないままで――多分、この僅かに緩んだ小雨も、小休止程度の時のものだろう。

 台風の目のようなもので、きっとさらなる暴風が、後々ここを襲うことになる

 

 

「――しかも、二つ以上、か」

 

 そんなことを考えながら握り締めたのは、先ほど自分が使ったはず(・・)の札。

 人形(ひとがた)を媒介としたはずの、霊力を込めた幻身の符――の切れ端。

 

――力を伝えるためとはいえ、血を使ったのがまずかったかね。

 

 よりらしく(・・・)錯覚させるための一工夫。

 それが仇となったのかもしれない。

 妖怪というものは、殊に人間の臭いに敏感で――それ以上に、その血の臭いに敏感だ。

 人を食う。そんな本能に従う型の化け物は、それを使って人を追う。

 

「雨だから、大丈夫だと思ったんですがね――まさか、そんな方法でくるとは」

 

 感心するように、ぼそりと吐き出して、見下ろすのは、辺りに集まっている黒い塊。

 先程より数の増えたそれは、こちらを監視するかのように周りを囲んでいて――今から何処へ逃げたとしても、すぐに追いついてくるだろうことを語っている。

 一度見つかってしまえば終わり。

 もう見逃すことはないと、その形は言っている。

 

「見逃しちゃ……くれませんよねえ、鳥さんよ」

 返事のないそれに、小さく呼びかけて、嘆息を漏らす、

 

――まったく……。

 

 何の鳴き声も放たず。瞳も継ぎ目もない、ただ形をなぞっただけのもの。

 まるで、夜を切り取り無理やり固めてしまったかのように、闇に溶ける色彩の――鳥型に造られた力の塊。主の命に従う方向性と、その身の内に仕込まれた手掛かりを追うという念を込められた小さな化生。

 自らの意志持たぬ夜の鳥。

 

 その報告は、已に届けられている。

 

――上手い力の使い方だ。

 

 自分の能力を把握し、それに合った使い方を創りだす。それは鍛錬によってつくられた努力の結晶なのか。はたまた、本能に従って生み出した天性のものなのか。

 もしかしたら、生まれたときには既に知っていた天然のものなのか。

 往々にして、妖怪というものは、そういうことに長けている。

 自然から――その恐怖から生まれ、未知を扱う。化けたもの。

 

「さてはて――一体何から生まれたもんなんでしょうね」

 

 今までの相手の様子を思い起こしながら、それを考える。

 

 妖の由来。その根源となる偶像。

 元となり、原型を作り、それを産みだした何か。

 どう考えても、今あるだけの情報では推理できるはずのないものを――考える。

 ただの時間つぶし程度に――ではあるが、そこから何かを思いつくというのも、人間というものだ。圧倒的な力に対してどう対応するのか。工夫に工夫を重ね、新たな段階へと繋げることでどうにか乗り越えられないか。

 それ考えていくことが、発展であり、進化であり――人間のもった特性だ。

 生きるために、自分と周りのものを最大限に活用する。出来るだけのことを、あるだけのものを使い込んで実現する。

 それが、生きていく――生き残っていくための方法である。

 

 だから、考えられるだけ考える。

 

 

「と、まあ、そんな具合に如何にかしたいもんですが」

 

 

 

 一瞬、世界が揺れたかのように感じた。

 

 森の一部が、その部分だけ歪んでいるように。

 まるで、陽炎か何かのように揺らめいている。それは、抑えきれないほどに昂ぶった力が、空気を震わせているのか。それとも、ただたんに己が震えているだけなのか。

 

 それほどに出鱈目で、障ってはいけないものを――覗き込んでいる気がする。

 

「……」

 

 背中に流れる冷や汗は、露出した肩を流れる雨水と混ざって衣服を濡らす。

 手首に巻きつけた布とそれに挟んだ残りの札を確認し、雨や汗が視界を塞ぐことのないように、額にもしっかりと手ぬぐいを結びつけた。

 

 そして、深く息を吸い――また吐いて、それを繰り返して落ち着ける。

 心と身体。全会一致で逃げてしまいたいのを、どうにか押し留める。

 

 ぶつぶつと――

 

「最後は運次第――風にまかせるしかない」

 この場合は雲行きに。

 

 そう、出来るだけのことはやったのだと諦めの言葉を言い聞かせ、最後の覚悟。諦めの境地にて、己の身を軽くする。

 

 

「伸るか反るか――何とか、稼いでみせますか」

 

 

 すっと脚を踏み出す。

 浮遊感に身を任す。

 

 神のご利益があるのか。

 自己の不運に呑まれてしまうのか。

 

 

――全ては悪運……神のみぞ知る、と。

 

 

 一人ごちて、その前に。

 一対の黒翼ひろげる、美しい闇の化身の――その前へと、降り立った。

 

 

 

 

________________________________________

 

 

 

 

 

 ごろごろと音を鳴らし、降り止まない雨。

 濡れた植物が埋め尽くす地面の上に。

 

 ふわりと、まるで重さを感じさせない様子で、男は落ちてきた。

 

「おやおや、また会うとは偶然ですね」

 

 軽い調子で嘯いて、おっくうそうに肩を回す。

 身体の調子を確認しているだけというように、今から作業を始める農夫のような普段着といった調子で。

 

「ええ、落し物を返そうと思って」

 

 重みを感じさせない相手の言葉に応じるように、こちらもにこりとそう返す。

 持ち上げた片腕に舞い降りたその黒の塊を撫で、薄く笑む。

 

「そりゃあ、ご苦労様で――お礼にお茶でもどうですか」

 

 変わらぬ様子でそう提案し、布を巻いた手首に手を当てる男。

 額に巻かれた布きれにより、その細く引き絞られた目が、鋭くこちらを見据えているのがわかる。

 どうやら、今度は本気で相手をしてくれるらしい。

 

 

「いえ、遠慮しておくわ――それより、お腹が空いたな」

 

 口の両端を持ち上げて、私は牙をさらす。

 そろそろ、限界なのだ。

 

――これ以上は、待てない。

 

 身体が熱くなって、意識が焦げついて――壊レソウニ、欲シテイル。

 

 

「――早く」

 

 抑えていた激情が溢れ出す。

 これ以上我慢できないと身体が震えだす。

 

 

「ハヤク……ハヤク」

 

 止まらない。止める必要もない。

 ただ、身を任せるのだ。

 

「食ベサセテ」

 

 その本能に。

 

 

 持ち上げた片手から飛び去る夜鳥。

 辺り一面を囲う、黒の群れ。

 

 

 合図を待つその前で――

 

 

「――さてさて」

 

 男は首を振る。

 息を吐いて、肩を落とす。

 

 諦めの――どうしようもないと、疲れた姿を持って。

 

「それじゃあ」

 

 呟く――そこに、私の感情に影響されたのか。空を飛び回るうちの一匹が、我慢ができないというように男に向かった。

 疾く、雨を切り裂くようにして進むそれは、鋭く尖る嘴をもってその肉に迫り――

 

「届けてもらった分はご馳走しますか」

 

――こともなげに掴み取られて、霧散した。

 

 

 残ったのは、小さな紙片。

 追跡に利用した、男のものだったもの。

 それを受け取って(・・・・・)、男は構えをとる。ゆらりと、まるで力を込めない姿で、その手を揺らす。

 

 

「ご満足いただけたら、お引取り願いますよ」

「ええ、満足したら」

 

 

 変わらぬ調子に男は微笑んで、

 こちらも心地いい開放感に身をゆだねて

 

 

「イタダキマス」

 

 

 晩餐の幕が開く。

 

 

 

 

________________________________________

 

 

 

 

 

 

 静かに寝息を立てて、肩に寄りかかる少しの重さ。

 確かな温かさと――そうは思えないほどの軽さに、そう遠くはないだろう未来の光景が浮かぶ。

 

「大丈夫、よね」

 

 振り払うのは、ゆっくりと迫る期日のこと。

 それを実現させないために、私は力を尽くしているのだ。

 間に合わなければ――間に合わせなければならない。

 

――もう、私は知ってしまったのだから。

 

 一陣の風が吹きぬけて、辺りに散った花びらが舞い飛ぶ。

 薄い芳香を纏ったそれは、遠くの――季節違いの木々の間へと降り注いでいく。

 

「――早く、探しにいかないと」

 

 このまどろみのような一時がせめて……せめて、きちんとした最期を迎えるように。

 ほんの僅かな胡蝶の夢が、その最中で覚めてしまうことのないように。

 

「もう少しだけ……」

 この時間を過ごしたら。

 

 

 振り切れない想いを重ね――私は手を伸ばす。

 降り落ちる花片と、まるでその色を映してしまったかのように染まる、その薄紅色の隙間に手をいれて――その柔らかい髪ををやさしく撫でる。

 

「もう少し、だから――」

 

 

 視線の先にあるのは、季節外れの老木の――その咲き誇る姿。

 枯れない桜は美しく、その身に紅を纏っている。

 

 







 二話をまとめようとしたのですが、やはり長くなってしまったので二つのままに。
 そのため、少々短めです。やはり、戦闘描写は難しいですね。
 上手くかけているかどうかがわかりません。


 読了ありがとうございました。
 ご感想・意見をお待ちしております。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。