東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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旧題『暗中模索に五里霧中』


暗中霧中と五里模索

「やあ、邪魔するよ」

 

 薄煙る囲炉裏の前、床に広げた紙片に静かに筆を揺らす老翁。その先端に向けて、鋭く細められた目蓋がじろりとこちらに振り向いて、ゆるゆると開かれた。

 軽く手を上げて会釈すると、呆れたように小さく溜め息をついて――

 

「嬢ちゃんも物好きだねぇ」

 

 そう言いながら、老翁は筆を置いた。

 呆れるような仕草に、私は少々照れくさくなりながらも、ぺこりと頭を下げて、老人の座る囲炉裏の向かい側へと腰を降ろす。

 

「今日もお願いします」

 

 もう一度、今度は深々と頭を下げて、丁寧に礼の形をとった。その様子に翁は仕方ないといった感じに首を振って――一枚の紙をこちらに差し出した。

 

「それじゃあ、今回は――」

 

 

 

 ろうろうと響く声。

 暗い部屋の中、ちらちらと揺れる炭の赤。

 壁に映るやわらかな影。

 

 そんな、ぼうとした薄暗い景色の中にある――理を学ぶ時間。

 

――まさか、こんな勉強をすることになるなんてね。

 

 老人の、その齢にしては随分と力強い声に耳を傾けながら、今の自分の身の上を思う。

 その不思議さ――あの妙な縁に引かれた日のこと。

 

「……」

 

 指示通りに描く線。

 少しずつだけれど、上手く動くようになった指先と流暢になっている筆さばき――これも習練の成果だろう。

 力の使い方も、その抑え方も、なんとなくだが理解できるようになってきた。

 やっとのことで、わかるようになってきた。

 

――でも。

 

 油断してはいけない。

 髪に触れると、少しのほつれを感じさせる薄絹の感触。

 

――まだ、待ってほしい。

 

 自信をつけるまで。

 自分を抑えられるほどの力を得たと思えるまで。

 

――時間がほしい。

 

 あの時に誓った想いを、叶えるために。

 

 

 

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――こりゃあ、きついな……。

 

 獣道ともいえないほどに荒れ果てて、腰ほどにも届く草木に覆われてしまった荒れ道中。両腕で掻き分け、多少なりともましだと思える地面を選り分けて――本格的にまずい模様を醸し始めた空を見上げた。

 それは、日光を遮るほどに濃く、黒ずんだ雲々がもうすぐ開戦だぞとでもいうように、湿った空気を吐き出している。

 合図はまだかと、今か今かと待っている。

 

――こりゃあ、掴まっちまうかもしれんね。

 

 幾分水気の多くなった気がする空気を胸中に取り込み、迫りくる気配に眉を顰めた。

 ごろごろと際限なく転がる小石や雑草に邪魔されながらも、出来るだけの速度で先へと進み、なるべく早くここを抜けてしまおうと足を早めるのだが……やはり、その歩みは遅々としたもの。

 

――せめて雨宿りできる場所までは……。

 

 この辺りの地形を思い返し、少しは雨を凌げそうな場所を思い起こす。記憶は数十年前のものだが、参考程度にはなるだろう。

 野営に使った諸処の記憶と、その道中にある荒れる前の参考図――昼寝とうたた寝、一休みへと使える居心地のいい空間。無駄に培った道草の経験の賜物。

 

「しかし――それにしても、やっぱり妙だな」

 

 爪先に当たる石を蹴り飛ばし、道の端へと弾き出しながら思った。記憶の中の光景と目の前に広がる景色との大きな差――それに、首を傾げてしまう。

 

――流石に、荒れすぎてる。

 

 山と山との間をすり抜けるようにして存在する山越えの道。正規の街道ではない知る人ぞ知る抜け道のようなものだが、それを利用するものもそれなりの数は存在していたはずだ。地元のものは当然として、急ぎの訳があるもの、退治屋や祓い師などの裏家業の住人、盗賊や落ち武者など、あまり日の当たらない素性を持つものにとっては、ある意味で公道のようなものであった。

 それは、隠し道として有名な方であったのだ。

 

――それが、ね。

 

 元々は、ある武将が戦のおり、相手陣へ奇襲をかけるために森を開いたものが、この道の元々となっていたはずだが……今それは関係がないはずだ。

 重要なのは、人々がある程度行き来していたはずの場所だということである。直接的な整備はされないまでも、そこそこに人が訪れ、通り過ぎるたびに地面は踏み固められていく。森に住む動物たちが開いていく獣道のように、そこを通った人々の分だけ森を開き、歩きやすい場所になっていた。

 それが、今は獣道とさえいえないほどに、荒れている。道の名残が少し残る程度にしか、その姿を残していない。

 

――何かあって使われなくなったのか……?

 

 何かの事故、事件か何かがこの道で起きたことにより、誰もこの旧道を使うことがなくなった。そのために、どんどんと道は森に浸食されて、今の姿までに形をなくしてしまった。

 そういうことだろうか。

 

――それなら、一体何が?

 

 道の真ん中にまで侵食した蔦を払いながら、そんなことを考える。

 予定では悪天候に掴まる前――もう少し早くこの場所を抜けてしまうはずだった。それが記憶と違う荒れ果てた道に足を止められたため、半分も進めていないのだ。

 そして、その荒れ具合というのも、どうにも不安を煽るものである。

 

「……」

 

 不運は重なり降り注ぐ。苦難は雪崩と連鎖する。泣きっ面には蜂は憑き物と、誰かは言っていた。

 その誰かとは――いつかの自分だったか。

 経験として体験済みだと、嘆き節の記憶。

 

 

「――まあ」

 

 一息はいて、それを追い出す。

 目を瞑って、気づかぬ振りを。

 

「人生にゃあ予定外はつきものです、と」

 

 これもまた、良い経験となる。

 夜間行、苦労を乗り越えれば、一回りにも人は成長するものだ。何度も繰り返したことであっても、新たな気づきと忘れていたものを思い出すという特典もある。

 

――何事も、無駄にはならぬもの。

 

 そうやって、無理やりにでも前向きに考える。

 胸に過ぎる嫌な感覚は、考えないように蓋をして――それでも、なんとなくの予感を感じながら、先を急ぐ。

 

 

 薄暗く、闇に曇る旧道を。

 背筋を冷やして、先へと急ぐ。

 

 

 

 逃れられぬと、叫ぶ記憶を押し殺して――。

 

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「これは……?」

 

 男から差し出されたのは、何枚かの紙束。

 妙な印の描かれた封書に包まれる幾通かの書状。

 

「紹介状――陰陽術や法術なんかを扱っている人何かへのね」

「……?」

 

 一体何のために。

 意図を読めずに訝しげな顔をする私に、男は「ふむ」と小さく呟いて、懐から何枚かの紙の束を取り出した。

 それらをこちらに見えやすいように広げて床に置き、その内一枚に指を置く。

 

「これは『火除け』。火を沈め、退ける力をこめた術式の描いたものです」

 

 男の指の先、長方形の白い紙の列には、それぞれ複雑に絡み合った線が詳細に書き込まれており、それは何かの形を象っているようにも見える。

 貰った髪留め――のように使っている布にも、同じような模様が描かれていた気がするが、その中心に書かれている『水』や『土』といった文字以外に、理解できる文字はない。

 多分、これが術式や方術を使うための意味を持っているものなのだろうが、私には、全く分からないものだ。

 

「――これが一体何なんだ?」

 

 首を傾げる私に男は、自分の右隣、部屋の中央にある囲炉裏を指差した。

 それは先ほど、鍋を煮るために使ったため、まだちろちろとした炎が残っており、もくもくと細い煙とあげている。

 

「少し、待ってくださいよ」

 

 そういって、男はその中からいくつかの焚き木を放り込んだ。そして、しばらく、息を吹きかけたり、薪を動かしたりと調整し、それに火を燃え移らせて――炎の勢いがある程度高まったところで手を止めた。

 

「さて」

 

 また、小さく呟いて、こちらに振り向く。

 その顔は、どこか楽しげで――。

 

「火を消すものといえば?」

「え……?」

 

 そのまま、そんなことを聞いた。

 意図を読めずに眉を顰めるが、男は何も答えずにこちらの答えを待っている。

 

――え、えっと……。

 

 何か、深い意味を持つ問いかけなのだろうか。ちょっとした題目――難題と考えると、少々苛つく顔がちらついたのでそれを必死でかき消して。

 訳がわからないが、とりあえず、最初に浮かんだ答えを返す。

 

「――水、じゃないの?」

 

 極単純な答え。

 色々と考えては見たが、それ以上のものは思いつかない。火を消すには水をかければいい。子どもだって知っていることだ。

 それが、当たり前の答え。

 

「そうですね」

 

 そんな答えに、男は軽く頷いて見せる。

 一応、正解ということなのか。

 

 なんとなくほっとしてしまって胸をなで下ろす私をよそに、男は並べた札のうちの一枚を掴み、それをこちらに見えやすいように掲げて見せた。

 

「これは水符……霊力を使って水気を集め、それを力とするもの」

 

 言いながら、薪を持ち上げる。

 その先を囲炉裏の炎にかざし、炙るようにしながら、もう片方の腕で私の方を指す。

 

「こういうのは、込める力の他にも、その場の環境にも左右されるということがあります」

 

 水気が多き場所ならそれだけ強い力を発揮するし、からからに干上がった場所であるならば、その分弱くなる。あまりにも、それが向いていない(……)状況であれば、下手すれば発動すらしないことすらあるらしい。

 その場における状況、天気や気候といったものなどに左右されて力の強弱が決まる。世の中の流れに従って、その答えとなるもの、であるらしい。

 そんなことを説明しながら、男は、囲炉裏の火に当てていた焚き木を掲げるように持ち替えた。その先端は炎に炙られ、赤色の火花を放ちながらパチパチと音を立てている。

 

「つまりね」

 

 それに向かって、片手に持った札を男がゆっくりと近づけていく。すると、その札が近づくごとに徐々に炎の勢いが和らぎ、それが弱まっていくのがわかった。

 

「こうなる、と」

「へええ」

 

 まるで、芸事か何かを見ているような気分で、思わず感心の声を上げてしまった。

 それに対して、男はにこりと笑む。案外、誰かに何かを教えること、何かを教えて驚かすことが好きなのかもしれない。

 少々、悪戯っぽくはあるが。

 

「そして」

 

 そういってまた、男は、今度はそのある程度まで近づけた札をぱっと引き離し、その札をひょいと囲炉裏の中へと放り込んでしまった。

 ひらひらと、しばらく炎の中を踊るように揺れたそれ。

 それが燃え尽きるまでの一瞬の間、わずかにだが、炎の勢いが緩んだように見えた――が、次の瞬間には札は燃え尽き、炎も元の勢いを取り戻してしまった。

 

「水気や力が足りなけりゃ、こうなります、」

 

 黒く焼け残った札の燃え滓が小さく舞い上がる。

 男は、それを手で払いながら、片手にもった焚き木をくるくると回した。先ほどの札によって勢いを弱めていたその火種は、その回転によって送られた風を飲み込み、また、再び赤々とした姿を取り戻していく。

 

「つまりね」

 

 そんな手遊びをする左手。

 その一方で、右手がむけられる――私の顔より少し上方の頭の辺り。

 渡された髪留めのことを、それは指す。

 

「それが水だとしても――もし、上手く作用しなければ」

 

 くるりと手首が回転し、炎の灯る焚き木が上方を向いて止まる。そこに宿った炎はパチパチと音をたて、細かな火の粉を散らし――

 

「炎は止まらない」

 

 赤々とした灯りが、男の顔を下から照らしてみせた。

 ちろちろと揺らめく炎にあてられて、天井に伸びた影がゆらゆらと揺らめく。

 

「それは絶対のものじゃない、ということです」

 

 伸ばされた指の先――炎よりも暗い紅の、そのするりとした肌触りを確かめて、私は息をのむ。

 触れた指先に感じるしっかりとした強さを持った生地は、確かにそこにある。

 けれど――

 

「ああ、わかってる」

 

 いつかは綻びてなくなってしまうもの。

 それはこれを受け取るとき、最初に説明されたことだ。

 

――いつかは……あの札のように燃え尽きる。

 

 それまでに、力を制御できるようになる。

 私自身で抑えられるように――力をつける。

 それが私の誓ったこと。

 

「ちゃんと、するさ」

 

 改めて言った言葉に、男はうんと頷いてみせた。

 そして、目を細め、何処か年老いた雰囲気の、昔を思い出す瞳を見せた。

 何度も、出会ったときから時折見せる男の目。

 

「ああ、それが一番いいんだがね」

 

 一瞬だけ覗かせた何かを打ち消して、男はいった。

 

「いくら水を探しても――火を消そうとしても、それがない場合もある」

「どういうこと?」

 

 小首をかしげる私に、男はにこりと――何処か自嘲するような笑みを浮かべて、低い声を出した。

 

「抑えられないもんってのもあるでしょう。自分自身では――いや、自分自身であるからこそ、どうしても、治められないこともある」

 

 男には珍しく、小さく、今までにない様子で、何か噛み締めるように目を伏せた。その目に――なにが写っているのか。

 それは、まったくわからない――けれど。

 

――抑えられないもの……。

 

 共感めいたもの。

 私の中にある、その場所を重なった。

 犯した罪の記憶とその原因となった怒り――僅かにでも思い出せば、息もできなくなってしまうほどに苦しい、後悔と激情。

 

――私も……。

 

 もし、それを目の前にすれば――

 

「――だから」

 

 ひゅっと。

 風を切る音がした。

 

「他の方法も考えておくんです」

 

 松明のように掲げられていた焚き木が、私の目に明るい残像を刻みながら、素早く振り下ろされて――その先端の炎が、吹き飛ぶように消え散った。

 そしてそのまま、囲炉裏の中へと投げ入れられ――その下にある灰の中へと突き刺さり、その姿を消す。

 

「火を消すのは水だけじゃない――土に埋めてしまえば息はできずに、風で散らせば咲けぬままに」

 

 男は、炎の消えたことを示すように再びその焚き木を持ち上げて、それの先端をこちらに向けた。その赤く燃え上がっていた木炭は、ぶすぶすと細い煙を上げながら窒息したようにその活動を止めている。

 

「風に散り、地の止まり――薪を加えなくても、それは続くことがない」

 

 囲炉裏の炎中心へとそれを放り込む。

 半分が焦げついた薪はすぐに炎呑まれて、その勢いの中へと加わった。

 

「――だから、色々な方法を身につけておく」

 

 勢いを増す炎。

 少量の水では、消えない炎。

 

「消えない炎を止めるために」

 

 水を留めて、岩で囲う。

 風で散らして、砂に覆う。

 

 炎を、己の工夫で保つこと。

 

「知っておくだけで、用心しておくだけでなんとかなるかもしれない」

 

 一つの手で足らぬなら、もう一つ。

 一つの方法が叶わぬなら、また別に。

 

「だから、その気があるのなら――」

 

 

 

――――

 

 

――学ぶ。

 

 陰陽術でも、法術でも――何かの力を身につけておけば、この力を抑えられるかもしれない。我を失っても、意識をなくしても、どうにか(…・)なる可能性が残る。足掻いて、足掻いて、どうにかしようともがき続ければ、少しだけでも変わるものがあるかもしれない。

 その少しだけを得るために――その方法を学ぶ。

 

「――ふぅ……」

 

 額に流れる汗を拭い、その腕の強張りを吐き出すようにして、大きく息を吐いた。

 

――なんとか……形になった

 

 やっとのことで完成させた一枚の札。

 老人が描いた札や――あの男が作った札とは比べようもないが、数ヶ月かかって、やっと少しコツがつかめてきたもの。

 少しずつだが、自分が成長しているのが分かる。

 

『成功すれば万々歳――それでも、何かしてれば気は紛れるってもんです』

 

 そう言って笑っていた男。

 何の役にも立たないかもしれないし、意味のないことかもしれない。

 

――けど。

 

 役に立つかもしれないし、身を結ぶかもしれない。

 そんな僅かな可能性に。

 

――努力したいのならすればいい。頑張りたいなら頑張ればいい。

 

 そのための、きっかけとして――

 

『――手助けぐらいにはなるかもしれませんよ』

 

 そういった差し出された書状は、半分は役に立たず、もう半分も半信半疑に疑われるものがほとんどだった。

 

――当然だ。

 

 どうやら長生きしているのは本当であるらしい。

 だって、あの書状の先にいたのは、その子孫であったり、弟子のそのまた弟子であったりと――何世代も後のものが首を傾げるばかり。昔の縁からの紹介状といえど、その縁自体が忘れられていたり、伝わっていなかったりして――結局、地図の代わり程度にしか、役に立たないものばかりだった。

 

――まったく……いい加減だな。

 

 けらけらと胡散臭い表情で笑う男の顔が浮かんで、少しむっとなった。案外、それを知っていて、わざとそんなものを混ぜていたのかもしれない。

 そういう、人をからかう様子が、あの男には多々あった。

 

――もし、わざとだったってんなら、今度あった時はぶん殴ってやる。

 

 そう決めている――まあ、助かったことも確かだけど。

 

「ふむ、なかなかいい出来だよ。嬢ちゃん」

 

 この老人――そして、他の何人かも。

 妖怪退治屋や呪い師など、伝手を知らなければどうしようすることもできない人たちに出会うことができた。特に、地方に住む実力者や隠遁者などは、教えられなければ知ることすらできなかっただろう場所で、私はそれを見つけることができた。

 

――それに……。

 

 まだ生きていた人。

 男を直接知っている人は、揃って笑って迎えてくれたのだ。

 相変わらずだねとか、変わらないようだ、とか――そんなことを言って可笑しそうに男の話をせがんできた。幾人かは、若いままだという男の姿のことに驚きを見せながらも、何処か納得するように頷いて――

 

「お嬢さんもからかわれたのかい?」

 

 なんて面白そうに聞かれたときは、何だか笑ってしまった。あれが男の、いつも調子だったのだと――ずっとずっとそうして生きているのだと、なんとなく、おかしくなって。

 

 

『まあ、それでもどうしようもなければ――雨でも降るように祈るしかないんですが、ね』

 

 最後は、そんなことをいって、けらけらと笑っていた男。

 あの人を食った男にいつか一泡吹かせてやろう。

 世話になった分の礼をいって、からかわれた分、思いっきりぶん殴って……。

 

――こんなに上手に、力を使えるようになったんだって。

 

 そういってやる。

 そういうことができるかもしれない。

 

 そんな。ずっと続く時の中にできた可能性。

 

「……」

 

 ぐっと伸びをして――私は、また筆をとった。

 今頃、あのおかしな男は何をしているのだろうと、少し思い浮かべながら――

 

 

 私の道を、先へと進んでいく。

 

 

 

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「ああもう――」

 どうしてこう、間が悪いのか。

 疫病神以上に死神に気に入られていそうな、自分の生まれついての天運を呪う。

 

――といっても、両方見知っている気はするが……。

 

 しかも、どちらも一緒に酒を飲んだ仲である。そんな光景が記憶の中にはある。

 なかなかに楽しかった。

 

「――っと……」

 

 頭の中に浮かんだ馬鹿な記憶を振り払いながら、地面を蹴り飛ばすようにして左へ跳んだ。強く踏みしめられて地面には深い足型が残り――その上方をいくつもの黒が通り過ぎていく。

 真っ暗な、光のない塊。

 

――もう一つ。

 

 着地先。

 地面に右足が触れた瞬間にそれを回転させて、無理矢理に推進力を生み出し、さらに遠くへと跳ぶ。乱れた体勢からの無理な跳躍によって脚には鈍い痛みが響くが――

 

「――っぐ!」

 

 ドンッ――とそんな破砕の音が響き、細かな砂利が身体へとぶつかった。一瞬目を瞑り、再びそれを開くと、一寸手前まで己がいた場所に――巨大な穴があいている。

 

――あれを食らうよりはまし、か。

 

 避けなければ脚が吹っ飛んでいたかもしれない。

 その威力に肝を冷やしながら、身体を回転させて、両腕の向かってきた飛来する黒の塊を避ける。

 一応の余裕をもって回避したその球体は、己の後方にある荒れた地面へと着弾し、その道をさらに歩きにくいものへと変えていく。

 

――まったく……。

 

「怖ろしいことで――」

 

 そう呟く暇もなく、襲来し続ける弾幕の群れ。

 立て直した体勢を崩しに、さらに苛烈に襲い来る。

 

――どっか良い場所は……?

 

 地面を穿ち、空気を切り裂き、こちらを追い詰めようとする球弾。それを紙一重のところでかわし続けながら、辺りを観察する。

 

 周りあるのは、鬱蒼と茂る木々の群れ。

 まだ時刻は昼時ほどのはずだが、その奥は見通せないほどに暗い。太陽が雲で隠れてしまっているせいだろう。

 

――あっちの方に逃げこむとしても……。

 

 動きを先読みするように逃げる方向へと群がる黒。

 迫るその群を察知しながらも、目の前にある木に向けてそのまままっすぐに走った。そして、その勢いまま脚を上げで、そのこぶや枝、表面のひび割れを使ってかけあがり――上方へと逃げようとするところに。

 

「――っと!」

 

 その球体が幹に直撃し、まるで爆発でもするように周りを巻き込んで、木々が吹き飛ぶ。

 ぎりぎりとのところでそれを蹴り、何とか元の地面へと飛び降りるが、着地した先へとさらに攻撃が迫っている。

 どこかへ逃げようとしても――

 

――そんな暇がない、と。

 

 身体に巡る力を凝縮し、瞬発的に力の底上げを繰り返しながら――それでも、ぎりぎりやっとといったところ。

 避け続けるだけで手一杯。目一杯に逃げている。

 

――何か切っ掛けでもないと……。

 

 逃げきれない。

 

「――いつになったら大人しくしてくれるの?」

 

 そう思い至ったところに、凛とした声が響いた。

 歌うように高らかに――涼やかな声。

 

「のらりくらりと……」

 

 暴風のように降り注いでいた弾幕の嵐が止み、森の中に静けさが戻る――けれど、その静けさこそが重さをもって、肌に突き刺さる。

 

「楽しそうに逃げ回って」

 

 ほんの数間先に見える大きな黒い塊。

 いつのまにか現れた、暗い森の闇をさらに濃く塗り固めたかのような黒。それが、生き物のように身震いし、凝縮するように、小さく形を変えていく。

 

「早くお食事にしたいのだけど」

 

 響く声。

 連なってく圧力。

 闇が凝固したような――小さな人型がそこに。

 

――……。

 

 ぽっかりと、穴が空いたように現れた。

 この国の人間とは思えない金色の長い髪。細長いすらりとした体躯に、闇に溶け込むかのような黒の衣装。

 にっこりと、無邪気に、どこか上品な笑みを浮かべている――女の形が、そこにある。

 

「まだ、じっとしてくれないの?」

 人間さん。

 

 そういって可憐に笑う。

 それは、人知を超えた――おかしな存在。

 妖怪。そういってもいいのかもわからなくなるような、大物以上の存在が、そこにたっている。

 小柄な体から、それとは信じられないような濃密な力。ぴりぴりと、空気を揺るがしているようにすら感じられるほどの。

 それほどに、重いもの。

 

――まったく……。

 

 死神どころか、禍神やら祟り神やらが寄ってたかって己を呪っているのか。

心当たりはないでもないが、勘弁してほしい。

 

「――まだまだ、いい味だせるほどに熟成した自信がないもので」

 来世の楽しみにでもとっておいてください。

 

 こちらもにこりと愛想笑いを浮かべ、慇懃無礼にそう返す。

 首もとに流れる汗を片手で拭い――

 

「そう」

 

 細められる赤い瞳――と、無数に浮かび上がる黒の塊。

 

「なら、私が美味しく調理すればいいわ」

 

 振り降ろされる腕と同時にそれは降り注ぐ。

 より苛烈に、より鮮烈に。

 

――難儀な相手だ。

 

 脚や腕を中心としたこちらの四肢を削ぐように襲いかかる攻撃。

 遊ばれているのか。食べる部分が減るのが嫌なのか。どちらにしても、この攻撃を食らっても多分すぐに死ぬことはない――ただ、数が減る。

 命の残りが減っていく。

 

「――達磨になるのは御免ですってね」

 

 降り注ぐ弾幕。

 それを真っ直ぐに見据え、その位置を頭に叩き込んだ。

 

――老人の知恵袋、と。

 

 その弾道、性質を読み、先ほどまでの攻撃の分析と合わせて、回避方法を構築する。塊と塊の合間、球と球の隙間にあった、その僅かに残る生の場所を予想する。

 そして、あとはそれに従い、腕を引き、脚を弾くだけ。

 

「……っ!」

 

 上方から落ちる球体。

 瞬き一つ分前には右手があった部分を、真っ黒な塊が通り過ぎていく。それに安心するまもなく、左腕を下げ、右足を退き、次弾を肩に、その次を袖先に掠めさせ、紙一重の形でその黒の塊のわきをすり抜ける。

 

「へえ……」

 

 経験によって造る先読みでの動き。

 先ほどまでよりも小さく。

 必要最小限の動きによって攻撃を避けるこちらに、女性は感心するような声を上げた。

 愉しそうに口元を歪め、鋭い視線で探るようにこちらを見つめ――。

 

「なら――これはどう?」

 

 すっと優雅に伸ばされた両腕。

 その先から伸びるのは――二筋の光。

 

「そらまた――」

 えげつない。

 

 口の中で呟きながら、その眩しさに思わず目を瞑った。

 僅かにだけ視界に収めたそれは、地面と水平に、こちらを両端から挟みこむような形で振るわれているようだった。

 そして、目を瞑ったまま感じられるのは、射線上にあった木々をなぎ倒しながら、両脇から迫る音。

 

――つまり。

 

 蟹鋏にこちらを迫っている。

 それに飲まれれば、真っ二つと上下に分けられるのか。それとも光に焼け焦げ、上手に焼かれることとなるのか。

 どちらも――ごめんである。

 

――逃げ場は……。

 

「そう、上空のみね」

 

 垂直に地面を蹴り、光線に挟み込まれる前に空へと舞い上がった。

 何かが下でぶつかる衝撃。

 やっと感応した目を開くと、二筋の光が真下でぶつかっているのが見えた――そして、その瞬間にぞわっとした悪寒が背中を駆け上がる。

 

「――こんどこそ」

 美味しく焼けるかな。

 

 小さく届く声。

 

「こりゃまた……」

 

 周りを取り囲む球体の群れ。

 足場のない空中に、敷き詰められた暴力の塊。

 

 それが、己の視界を埋める。

 

――引っ掛った、か。

 

 回避行動をとろうにも、ここは空中。空でも飛べない限り、普通の人間にはどうしようもできない。

 悪戯が成功したというように、視界の端でくすりと笑う少女。

 

――ああくそっ……ほんとに、とんだ災難だ。

 

 暗い闇の中、金色の長い髪がゆらゆらと明滅し、紅く裂けたような口に鋭い犬歯が見え隠れしている。

 愉しそうにこちらを眺める眼は、玩具で遊ぶ子供のような好奇心か、活きの良い獲物に舌を濡らす妖怪としての食い道楽か。

 

 どちらにしても、このまま呑まれてしまう。

 無駄に長生きしているとはいえ、そんな最期は真っ平御免だ。

 

「なけなしの……なんですがね」

 

 小さく呟いて、もはや用をなしていない、ぼろぼろの袖へと手を引っ込めた(……・)

 

 

 

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 音と共に空気が振動した。

 力と力が衝突し、互いの威力を持って相殺しあった余波の広がり。辺りに散らばっていた木々の残骸を吹き飛んで、そこら中に飛沫を撒き散らす。

 

 そして、それが晴れた先に――

 

「――耳が痛い、ですねこりゃ」

 

 ぼろぼろの格好で立つ男の姿。

 先ほどの爆音に耳をやられたのか、顔を顰めて片手でそれを抑えている。

 

「……あれ?」

 

 動きのとりようのない空中を狙った集中攻撃。

 相手を囲い、逃げ場なく撃ち込んだはずの数の暴力。

よしんば耐えることが出来たとしても、無傷のままでいられるはずがない。ばらばらになって、食べやすい大きさの肉が残る程度に調整した――はずなのに。

 

「一体何をしたの?」

 

 汚れた男に、大きな傷はない。

 精々、泥まみれに擦り傷が混ざるだけ。

 

 おいしそうな匂いは、まだまだ薄い。

 

「さて――」

 

 首を傾げた私に、男は不敵に笑う。

 土を払い、ぐっと伸びをして――笑う。

 

「ちょっとした手品、ですかね」

 

 にこにこと胡散臭く歪んだ表情。

 ぼろぼろの上着に片手を引っかけて、余裕を見せつけるように首を回して――。

 

「まあ、思った以上に簡単に避けられたんでびっくりしましたが……手加減でもしてくれたんですかね?」

 

 口端を持ち上げて、からかうように言う。

 そんな男の姿に。

 

「――馬鹿にしてるの?」

 

 すっと、視界が細まった。

この程度のやり取りで馬鹿にされるほど、私の底は浅くない。

図に乗られるのは、気に食わないと――怒りがこみ上げる。

 

「いえいえ」

 

 こちらの視線――程度の低いものなら、それだけで動けなくなるほどの力を放っているのにも関わらず、男は平然とした様子で私を見返す。

 片手を懐中に、もう片手を袖に引っ込めたふざけた格好で。

 

「まあ、この程度なら――反撃もできるんじゃないかとも思いましたが、ね」

 

 そう言った。

 

 そう言われてしまって――

 

 

「――ふふ」

 

 込み上げる、抑えきらない感情の嵐。

 この人間に対しての――馬鹿げた存在に対しての、おかしな感情。

 

「あは、はははは!」

 

 笑いが吹き出す。

 この程度の存在が――こんな食物でしかないものが私を馬鹿にして、対等になるとでも思っているのだろうか。

 手が届くとでも考えているのだろうか。

 

――笑いがとまらない。

 

 可笑しくておかしくてオカシクテ。

 楽しくて愉しくてタノシクテ。

 

「いいわ。かかってきて――」

 

 オカシクなってしまう。

 本当に愉しい獲物だと、笑い転げてしまう。

 

 その愚かしさ。間抜けな自信の表れに。

 愉しく、オカシく――狂ってしまいそうなものが、胸に溢れる。

 

――美味しく……きっと、とってもオイシク食べられる。

 

 壊して、砕いて、潰して――出来るだけのことをして、散々に遊び尽くせば。

 崩して、解して、踊らせて――やれるだけのことに手を尽くしてやれば。

 手間をかけた分だけ、美味しくなる。

 時間をかけた分だけ、味はよくなる。

 

 これは、そういう食材だ。

 

――その希望(ひかり)を叩き潰して、絶望(やみ)の中に閉じ込めて……上手に利用理して。

 

 きっと愉しく味わえる。

 きっと美味しく食べられる。

 

 食事は愉しく味わうものだから――大事に、大切に。

 

「ちゃんと、最後の最後まで――一口も無駄にせず」

 

 そう声に出した。

 両腕を広げ、まるで磔にされた罪人か何かのような姿で。

 

「いただきます」

 

 

 そう言った。

 

 

 

 

____________________________________

 

 

 

 

 

 

 

 濃くなる気配を身体全体で感じながら――目の前の相手を眺めた。

 

 光を返す長い髪。少し小柄な身体と細長い体躯。

 闇に溶け込むような真っ黒な衣装は、そのすらりとした体型にきっちりと沿って、美しく妖艶な雰囲気を引き立てる。

 

――まあ、それだけならただの美人ってことで済むんですがね……。

 

 そこから感じられるのは、ただ、目の保養になるというものではなく――暗く、巨大な力。数少ない大妖の、それもその中でも選りすぐりの者に並ぶか、それ以上に強大な存在。

 

――まったく……。

 

 不敵に笑うその姿が型に嵌りすぎて、本当にお似合いなものである。これに敵う者など、この国中を探しても数えるほどにしか存在しないだろう。

 圧倒的な姿のみで、押しつぶされてしまいそうになるほどに、身体の芯が震えている。

 

――加減したので、あの威力だ。

 

 辺りにあるのは穴ぼこだらけになった地の情景。

岩砕け、木々が穿たれ、飛沫が散り落ちた、暴風でも通り過ぎたような破砕の後。

 まともに相手しても、ただ殺されるだけ。遊んでいるうちに、ばらばらとされるだけ。

 

そんな予想が頭によぎるほど、力に差がありすぎる。どうしようもないと諦めたくもなる。

 

「……さて」

 

 何気ない仕草で懐から右手を引き抜き、そこにあった札を袖に引き込んだ。

その内に仕込んだ幾つかの札とそれを足し――さらに濃くなる気配に体勢を整え、何時でも飛び出せるように構えをとる。

 

「そろそろ?」

 

 余裕を見せ付けるように尊大に微笑んで、こちらを見下す妖怪少女。

 猫が捕まえた鼠をなぶって遊ぶように、彼女にとってはこちらの抵抗も、ネズミのひと噛み程度か、それ以下のものにしか思えていないのだろう。

 油断して、舐めきって――侮ってくれている。

 

「まあ、そろそろ(…・)ですかね」

 

 袖から取り出した札を見せ付けるように掲げて、こちらもにこりと笑んだ。

相手と違い、こちらは虚勢を張るだけのもの――けれど、それも己の数少ない手札の一つ。

 

――一応、時間は稼げている。

 

 上手くいくことを祈るのみ。

 天のご機嫌次第。

 

 そんな薄っぺらな希望を握りしめ、精一杯に敵意を見せる。

 動けぬままに――動かぬままに、じっとそれを待つ。

 

――にしても……。

 

 待ち受ける強大な妖怪。それに立ち向かう矮小な人間。

 何処かの物語のようだと、なんとなくに思い浮かんだ先の創造。それに、くすりと微かな笑いが漏れて、怪訝に眉を顰める敵役。

 

――もっとも、こっちがやるのは主人公なんて格好のいいもんじゃないですが。

 

 少々、緩んで柔らかくなった身体。

 油断を誘い、時間を稼ぎ、後ろ手で準備を整えて――それが満ちるのを待つだけ。

 希望にすがり、偶然を待ち、奇跡に頼り――可能性を掴み取るために、今までの経験すべてでその始まりを感じとろうとする。

 

「……」

 

 濃くなる気配。肌に感じる感覚。

 わずかに香るその匂い。

 

 ぴりぴりと痛いような沈黙が流れ、空気が張り詰める。

 それでも、大気に満ちる湿気に身体は暑さを訴えて汗が流れる。

 

 のろのろと進む時間。

 どろどろと濁る時間。

 

 

 

 そして――

 

 

 

 

「あ……」

 

 

 

 

 ぽたりと、雫が落ちた。

 

 






 闇巻かれ、霧に包まれ命からがら。
 遠く見る灯りに向けての道中路。

 そういうところで。

 時間が空いている内に更新を、ということで早めに。
 改訂自体はある程度の速度で進んでいますが、良くなっているのか劣化しているのか。
 読みづらくなっていないかというところも心配なところであります。くどく書きすぎているのかもしれません。


 読了ありがとうございました。
 ご批評、ご感想をお待ちしております。


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