東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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間話旧題

「――そろそろ寿命か」

 焦げつき、血に塗れ、幾度となくその汚れを纏ってきたその身。引き裂かれ、穿たれ、擦り切れるほどに刻まれた無数の跡を遺すもの。

 

「もう保たない」

 

 これ以上、それを使い続けることは不可能だろう。どれ程繕い、いくら代わりを接いでも――もう、その元となる部分自体が強度を保てないところまできている。

 寿命――存在できる時間を過ぎてしまっているのだ。叩いて叩いて、いくら薄く引き伸ばして補おうとも、これ以上は穴が空く。余地もなく、これで最期。

 

「仕方ない、か」

 

 往生際の悪い老人――そうはいえども、だからこそ、その終わり際というものを弁えている。際の際を何度も経験しているからこそ、無駄な足掻きだとわかっている。

 諦め刻を、知っている。

 

「代わりを用意するしかないか」

 

 そう一人呟いた。

 申し訳程度に形を保つそれを動かして、感慨深く息を吐く。

 

「近くに村でもあればいいが」

 

 諦めと共に回す思考。

 代わりを用意できるまでの間、これが保ってくれなければ少々面倒なことになると、己の身の上を心配する。

 失くしてからでは遅いのだと、肝に銘じて思案する。

 

――しかし、まあ……。

 

「よくもったもんだ」

 

 過ぎた日の長さ。

 木々の間から差し込む陽光に片手を上げ、掲げるようにそれを伸ばした。ぼろぼろになったそれの、所々に残る傷に光を透かして――ちらちらとしか見えないその先を眺める。

 薄氷の向こうは眩しく揺れていて、その新しい光を塞げはしないほどに、もはやその身は擦り切れているのだと示している。

 それほどに――そんなにも長い年月を共にいたのだ。ならば、仕方がないというものだろう。

 

「なるべく……今度も丈夫なものが欲しいもんだな」

 

 季節が変わりはじめてからでは遅すぎる。今のうち、まだ、ぎりぎり形を保っているうちに愛着を振り切って――先を生きるのならば、変わっていかねばならない。

 見えずとも、見ぬ振りしても時間は過ぎていく。

 

――同じでも、僅かに違う。芯変わらずとも、外身は変ずる。

 

 いくら若いと思っていても、身体はいつの間にかと衰える。癒えぬと断じた諦めも、いつの日にかは忘却し、繰り返してと元鞘に。

 くるくる回り、からから返る。

 ぐるぐる()りて、とうとう巡る。

 続き続きて、終わり始まり。

 振り出し上がり。最初と最期。

 

 そして、それでも確かに過ぎていく。

 確かに擦り切れ、変わっていく。

 似たようなもの、けれどちゃんと別の顔を持ったものが現れる。

 

 そういう世界を――己は眺め続けているのだ。

 

――空回るのも随分長い。

 

 古くさく、しつこく落ちない染み一つ。

 どうにも消えぬ在る物一人。

 

 ただ、それを眺めるままの変わらぬ己の形。

 

「――ふむ」

 

 何処まで、続くのだろう。

 どれほどに――何時となれば終わるのだろう。

 

 どれだけ生きても、わからぬ答え。

 

「……」

 

 いっそ自ら幕を引くのも一興かもしれない。

 そんな想いも、僅かにだがこみ上げる。ほんの僅かに、隅にある。

 そんな恒常の想い。

 けれど――それでも。

 

「――なるべく、ね」

 

 在るのは、失くなっていたものの記憶。

 巡るのは、消えていったものの姿形。

 

 その最期を看取った日々を描いて――願う。

 

「痛いのも苦しいのも、嫌ですからねぇ」

 

 ぼんやりと、軽くつぶやく情けなき言葉。

 まったくに、甘えてばかりの己の性根。

 

――わざわざ、苦しい想いをすることもない。

 

 そう思う。そして――

 

「いつかそれは必ず来る」

 

 そう想う。

 だから、急ぐこともない、と。

 せめて、安らかな最期を、と。

 

――そのためにも、面倒くさがらずに今のうちにやっとかないといけません、とね。

 

 まだまだ早いうちから、用意を整えておく。それもまた、旅を続ける上、楽に生きていく上で大切なことである。面倒事でも敏速に、である。

 そのために、このぼろぼろとなった布――元は外套であったというものを買い換えねばならない。

 寒くなってからでは遅い。人から奇異にみられるほどにおかしな格好になってからでは苦労する。

 そういうのは御免である、という当たり前の考え。

 

「続けるのなら、日常必需を整えよ、と」

 

 恒常、続けなければならない生活というもの。

 そんなことを考えるのに、随分と回り道に横道の思考を重ねてしまったもので。

 なんとなく、己を笑ってしまう。

 歳をとったと、鈍い己を省みる。

 

「まあ、長いつきあいでしたしねぇ」

 

 襤褸となったその上着。

 何度かも仕立て直し、当て布で補いながら、新たな糸で穴塞ぎ――随分と長く、身に纏ってきたもので。

 それだけつきあいも長く、愛着も重なった。

 ならば、それだけ感慨も深くなるというものだろう。これほど長く使えた道具というのは、己の長い人生経験の中でも初めてに近いことなのだ。

 それだけ、感謝の気持ちも遺すというもの。

 

――こんだけ保ったのは、あの神様たちのおかげだろうが……それでもね。

 

 ご利益は以上に頑張ってくれた。

 神授以上に寒さ暑さを堪え忍んでくれた。

 それは、きっと良い器物であったということだ。

 

「本当に、いいものくれたもんだ」

 

 それを与えてくれた。

 土産代わりに持たせてくれたその顔を思い浮かべて、そちらにも感謝の念を。

 あれ以来会っていないが、音に聞こえているその名前に、心の中で頭を下げる。

 

――今度、土産でも持っていってみようか。

 

 そんなことを考えて、襤褸布めいた外套をばさり広げて方へと羽織る。

 そうして、一休み終え、歩き出す。

 

 道中、昔を思い巡るもいいだろうと――鼻歌混じりに道進む。

 

 

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「それにしてもまた……盛大にやったもんだね」

 

 男が纏う着物。

 その袖に当たる部分を指しながら言った。

 「うん?」と反応した男は、その羽織った上着を広げて

自らの格好を確認しながら答えた。

 

「まあ、仕方ない――あの規模の力を受けたとして、形が残っているだけでも上々なもんですよ」

 

 そういって笑う男の姿は――本当に酷いもの。

 元々が何色であったのかすらも解らないほどに焦げついて、布きれとさえいえないぐらいに解けた襤褸袖の外套は――もはや、着物とは呼べないものだろう。

 よくて襤褸布。見たまま述べれば糸くずが絡まっただけの分しか残っていない。すでに袖というべき部分が残っていないのだ。

 

――まあ、それでも……。

 

 それだけしか被害がないともいえるのだが――それは、どうやって。

 

 

「本当に――よく私たちの攻撃を防いでいたものね」

 一体何をして、それを防いだのか。

 

 私が思い浮かべたそのままの疑問を、隣で器を傾けていた侵略者の方――大和の神である八坂神奈子が口に出した――多少場に慣れてきているのか、少しだけ口調に砕けてきている。

 これは、先ほど差し入れられた酒の影響もあるのかもしれないが――案外、順応が早い。

 

「まあ、信者を減らさずにすんで良かったといえば良かったのだけど……」

 

 すでにその圧力も仕舞われてすっかり出来上がった酩酊の空気。酒と食事と四方山話。

 先ほどまで国を争っての大戦を繰り広げていたというのに――妙な雰囲気で、けれど、居心地は悪くないという不思議。

 男が作ったつまみはなかなかの珍味であるし、何より酒に合い、どうにも調子が上がってしまう。だらだらと、いつもを忘れて管を巻いてしまう。

 わけのわからぬぬるま湯の感覚。

 

――やっぱり、変な人間だ。

 

 私も八坂の神も、どちらもこの国有数の力を持っている。それに対して、この振る舞い。不敬にもほどがあるというのに、なぜだか怒りをわかせない。力が抜けて、ゆるんでしまう。

 妙な、懐の深さを感じさせる男。

 

――ただ、それでも……。

 

 少しの疑問。

 

「流れ弾とはいえ、一応私の全力だった攻撃を――よくもまあ」

 

 目を細めていぶかしむ八坂の神の視線。

 それは、私と同じ疑問を持つ物の眼差し。

 

 そう。それが不思議なのだ。

 私たちの戦いの余波。その被害を、僅かながらも防いでいたという男は、一体どれほどの、どんな力を持っているのか。

 たとえ同じ神であったとしても、そう簡単には防げぬほどの私たちの力にどうやって対抗していたのか。

 それが引っかかっている。

 

「そうだね。私も手加減なんてしなかったのに……」

 

 そんな余裕はなかった。あの時には、周りへの被害も何も考えていない。そんなことをすれば一気にもっていかれる、そんな状況であった。

 だからこそ、本気の力――その余波も相応のものだったはずだ。

 

――だから、あんなになっちゃったしね。

 

 横目に見るのは、自らの名を刻む湖。

 自分達の攻撃の余波によって、一回りか二回りほど広がってしまった水溜り。

 

――私でも、地震くらいは起こして……地形もちょっと変わっちゃったかな。

 

 天候を左右し、地形を変えてしまうほどの神のぶつかり合い。地を穿ち、山を砕いて地図を書き換える規模で起こったそれ。

 それを、たかが人間の力で、曲がりなりにでも被害に抑えていたというのなら――それは『おかしな』ことなのだ。

 

――何か秘密でも……。

 

 同じようなことを考えているのだろう。興味深げに、新しいものを取り込もうとする旺盛な姿勢で八坂の神は構えている。威勢良く、前に進む獰猛な神。

 かくいう私も、そういうものには目がない。新しく――おもしろいものなら、見てみたい。そう思って様々に手を伸ばす。

 

 そういう部分でなら、気が合うのかもしれない、とそんなことを考える。

 

「ふむ」

 

 そんな二つの好奇の視線を当てられて、男は小さく呟いた。顎に手を当て、一瞬考える仕草を見せてから――そのボロ布と化している着物の袖に手を突っ込んだ。

 そこから取り出されたのは、数枚の紙片。

 

「それは……」

「一種の護符……力の媒介ですよ」

 

 そう言いながら、こちらに見えやすいようにそれを広げる。

 男の手の中で扇状に重ねられたその紙片には、意味のわからない文字や複雑に交差する線、象形文字のようなものや呪いの言葉が重なりあって、不思議な文様を描いている。

 そこから感じる力は――

 

――守護の力……それも大分複雑な。

 

 力を持つ文字・文様・図形といった存在。

 それは、この世に存在する様々な力――もしくは、存在しないはずの力を固定化、現在させるための、一種の印として刻まれたもの。『呼び出す・借りる・起こす・使う』など、様々な役割でそれは使用され、また、創造される。

 お守り、破魔矢、お札、などなど、私たち(かみ)の利益を人々に還元するためのそれと似通った媒介も数多く存在する。

 これも、その一種、ということなのだろう。

 

――けど、これは……。

 

 見たことのない。そして、何を引きだそうとしているのかもわからない。

 中には、知っている術式や陣、文字も混ざっているのだが、それにあまりに手が加えられすぎていて、もはやどんな効果を発揮するのかすらもわからないのだ。

 組み替えられ、組み合わされ、あまりにも調整されすぎているそれは、神である己あっても見通せないほどに洗練されすぎている。混ざりものであることすらわからぬほどに、一つとなって。――男専用の力として、当人にしかわからぬほどのものへと成り果てているのだ。

 ある意味では、無駄に凝りすぎているといってもいいだろう。それなら、他のことに労力を費やした方がいい。その方がずっと先に進めるというものである。

 

「――まあ、色々と手を加えてる分、多少、独特のものにはなってますがね」

 

 いいながら、男はその妙な方向への努力の粋を袖の中へと仕舞いこむ。そこは、ボロボロとほとんど形を保っていないものだが、本当ならその内側へとそれは大量に仕込まれていたのだろう。

 破れ目から見える着物の裏地には、貼り付けられていたはずの紙の切れ端や力を行使した後の無数の残骸が見え隠れしている。

 その中で、唯一形を保つそれを取り込んで――

 

「これを媒介にして、結界を構築する。そして、その力を――」

 そこまで言葉を切って、男は地面から小さな石を拾い上げた。そして、それを上空へと軽く投げ上げる。

 

「……?」

 

 ひゅんと、音を立てて空へ上がった小石は、その重さに従って勢いを失っていく。

 そして、それが落ちてきたところを――

 

「――こうする」

 

 着物の袖の垂れた部分。

 その腕の下に広がるまったく硬さのない部分を、その落ちてきたちょうどの所にぶつけた。

 風に歪みながらも、ぼろぼろの布地はゆらりと柔らかく揺れて――そこに触れた小石は、何か硬い物にでもぶつかったかのように横殴りに吹き飛んだ。

 まるで棒か何かで殴られでもしたように、その勢いを真横へと変えて飛んでいったのだ。

 

「これは……」

「硬いものでぶん殴った。ただそれだけです」

 

 そういって目の前に拡げられた袖は――いつの間にか、半透明の壁のようなもので固められていた。布の間から垣間見える、先ほどの紙符が微かに光を放ち、そこから力が発生して一つの形をなしているのだ。

 それを、小石へとぶつけたのだ。

 

「つまり――結界を盾として袖に仕込んで、それで私たちの力を逸らしていた。そういうこと?」

 八坂の神の確認の言葉に、男は小さく頷いて肯定の意を示す。

 

――なんて……妙ちくりんなことを。

 

 固定や隔離、封印を主とする結界としての障壁を、そのように使う。即興の壁として前面に張るならまだしも、それを仕込み武器のように使うのだ。

 多分、かなりの高度な技術や変則的な術式を扱わなければ、実現できない。そして、誰もそうしようとは思わないだろう――それは、人にとって一生をかけて習得するものをさらに変形させたものであり、あまりにも時間がかかりすぎる。いくら積み重ねても、人間には過ぎた――人の一生では足りないほどの時間をかけて、それは身につけなければならない。

 私たちのような存在――神といったものであってさえも、そんな面倒(・・)なことはしない。それなら、もっと自分の地力を上げたり、ほかの能力を身につけるなど、違う方法で高みを目指す。

 それは、竹で作った槍を使って石の壁を貫こうという方法だ。わざわざ用途の違うものを使って、事をなそうとするのである。

 一点突破――人だからこそ目指し、人だからこそたどり着く技術の粋ではあるが、もっと別の近き道がある。そんなにも回り道をしてまで、なすべき事ではない。

 

「おかげで袖がぼろぼろで――長年かけて貯めた札も全部なくなっちゃいましたけどね」

 

 からからと笑いながら軽い調子で話す男。

 とても、そんな高度な技術を持っている存在だとは思えないほどにゆるく――が、ただ、確かにそのような物好きする力をなら、持っていそう、ではある。

 おかしな、本当に妙な人間。

 

 どこかずれて――ある意味では、狂っている(…・・)。底が抜けて、過ぎてしまっているちぐはぐさ。

 

 私たち神以上に、反した()存在だ。

 

「――しかし、それだけじゃ足りないでしょう?」

 そして、そんな変な(・・)存在に、八坂の神は、神として(…・)当然の疑問の口に出した。

 

 そう――それでも足りないのだ。

 たとえ優れていようと、たとえ過ぎた力を持っていようと、私が八坂の神に対して押し切られてしまったように。

 力の規模が違えば、そんなものは衝立にすらならない。千年、万年の時間をかけようと、竹の槍は竹を素材としたものでしかなく。持てる力の許容量が違えば、自ずとその差は現れる。

 ましてや、男から感じられる力は達人程度――人として限界の境地に達している力は感じられても、決して人の枠を大きく超えたものではない。

 精々、下級の神か中級以上の妖怪程度に届くかどうかの力しか持っていないだろう。

 その程度の力で張られた結界がいくら高度であろうとも、私達に届くはずがない。

 

「そう、ですねぇ」

 

 男は、少し困ったように笑った。

 その疑問にどう答えるかを僅かに悩む様子を見せる。

 何かを迷うように。何かを思案するようにして――

 

「それじゃあ……」

  

 にこりと、何かを企むような怪しい笑みを浮かべた。

 そして、ゆらりと、その右手を持ち上げて――

 

――うん?

 

 のんびりと、ゆっくりと動く腕。

 まるで鳥の羽か何かが落ちるようにふわりと揺らされるそれは――なぜか、はっきりと捉えられない。

 ぶれて、揺れて、まるで幻か何かのように。

 

「……何?」

 

 その腕は、焚き火を囲んで向かいに座る八坂の神の方へとゆっくりと伸びる。

 距離を感じさせず。存在を思わせず。

 すっと差し込まれるように。

 

 

――目の前に。

 

 

「――おや、この魚が食べごろですね」

 

 いつの間にか。

 それは、下方にそれて、香ばしい匂いを放つ魚の刺さった棒を持ち上げていた。

 がくりと、一瞬だけの妙な雰囲気が消え去って、気づかぬ間に強ばっていた身体の力が、抜けた。

 

――何か……するのかと思った。

 

 それは八坂の神も同じだったのだろう。反応しかけた体から急に力が抜けて……妙に気の抜ける不恰好な体勢で固まっている。

 身構えかけた腕が空を切っている。

 

――一体……今のは?

 

「はい、どうぞ」

 

 そんな、妙な感覚に襲われた私の前に、ひょいと頭から尻尾までを棒で突き刺した、温かい湯気を立てる一匹の魚が差し出された。

 見ると、指に挟んだ棒を差し出してにこりと笑う男がいる。

 

「あ、ああ、ありがと」

「ほら、そちらさまも――」

 

 言いながら、もう片方の腕に持っていた同じものを八坂の神の方に放り投げた。

「ととっ」と慌てた調子にそれを受け取って、落とさずにすんだことに安心した顔を見せる軍神。

 

――……。

 

「まあ、大体のことはこんな感じですよ」

 

 もう一つ。

 今度は自分の分を焚き火の前から取り出して、齧りつきながら男は口を開く。

 

「年寄りの知恵袋……亀の甲より何とやらってやつでなんとかした、という感じですよ」

 魚の焼き加減と同じで、今までの危険です。

 そういって笑う。

 

 その、なにやら胡散臭い笑みは――何かを隠しているようで。

 

――これ以上は『語らない』ってことかな。

 

 そんなふうにはぐらかしているように感じさせた。

 それに不満の様子の八坂の神に、どこからか取り出したまた違う酒を見せてさらに誤魔化そうとしている。

 それほどに、語る気のないことなのか。

 

――まあ、借りもあるしね。

 

 私も少々気になりはするが……そこまで立ち入らせてくれるようには見えない無理に話させるのも不義理というものだろう。

 

――お酒もおいしいし……。

 

 憮然とした様子を見せながらも、その妙に美味い酒に杯を向ける神。「はいはい」と酒を差し出す人間の男。

 

――わざわざ、これを壊すのももったいない。

 

 妙な光景。

 なんだか込み上げてくる愉快な気分。

 その感覚に押されて、こちらも催促するように杯を向けた。男は笑いながらそれに応え、なみなみと酒を満たしてくれる。

 

「ありがとう」

 

 ずいぶんと、楽しい気分なのだ。

 全て失って負けたはずなのに、今までよりずっと――

 

――そんなときに、真面目な話なんてもったいない。

 

 酒杯を傾けながら、その原因となった不思議な存在を眺める。その珍奇でおもしろき存在を。

 

「――それで、その神の力すら防ぐぼろ袖はどうするんだい」

 それじゃ、まるっきり怪しい人間だよ、とからかうような調子でそれをさして見せた。

 すると、男は「ふむ」と、小さく呟いて――隣に置いていた荷袋から小さな短刀を取り出す。

 古びてはいるが、この辺りでは珍しい形のそれを使って――肩口からばっさりと、そのぼろぼろとなっていた袖を切り落とした。

 

「……!?」

 

 驚くこちらの様子を気にしないまま、具合を確認するように肩をぐるぐると回して――「よし」とまた小さく呟いて――。

 

「こうすりゃ、まだまだ着られますよ」

 不格好ですがね。

 

 そういって、おどけるように肩を回して見せた。

 

――ほんとに、行動の読めない。

 

 いちいち人を食ったような……神をからかうわけのわからない調子で動く。

 おどけた道化者。

 

「――それじゃあ、もう札は隠せないわね」

 

 慣れてきたのか、呆れた様子を見せながらも八坂の神はそんなことをいって。

 

「なあに、適当に上から何かを羽織ればそれでいいでしょう」

 適当に男が返す。

 

 おかしな神と人とのやりとり。

 そんな調子で酒宴は続いたのだ。

 

 

 

 敵と味方と、その仲介をした妙な人間と愉快な時を刻んで――その日の負け戦は幕を閉じた。

 

 

 

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 あれからもうかなりの年月が経っている。

 

――あの二柱の神様はなんとかやっているのか。

 

 一応、自分がその間に立ったのだ。少しくらいは様子を見にいってもいいかもしれない。

 

――礼にと貰った布で作った上着も、この通りのことだし……。

 

 なんだかそんな気分なのだといって贈られたものは、確かな加護受けた丈夫なもので、仕込んだ札の力やらも通しやすい良い品だった。

 今まで、存分に役に立ったのだ。

 

――少し礼くらいを返してもいいだろう。

 

 十分以上に返された借りを返しておくのもいいかもしれない。なんとなく浮かんだそんな想いを中心に――と次の目的地を定めて、背負った荷を抱えなおした。

 

「――おっ」

 

 その瞬間、ごうっと音をたてて、風が通り過ぎていった。空を見上げると、雲の流れが妙に早い。

 そして、遠くに眺める黒と灰。

 

「こりゃ一雨くるかね」

 

 遠く見える己に注ぐかもしれぬもの。

 

――まあ、矢の雨が降るよりはまし、と。

 

 妙なふうに連想してしまったそれ。

 いつかの日が思い浮かんで、なんとなくに笑ってしまう。あのとき、同じように貰ったお礼という品も、ちゃんと今でも荷の底に眠っている。

 

――あの二人は、上手く辿りつけたのかねぇ?

 

 少々意地の悪い道案内だったと反省しながらも、こみ上げる笑い。

 微妙に湿り始めた気もする大気に足を速めながら、また、違う日の記憶を辿る。

 

 予期せぬ再会の日を――。

 

 

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「もう、いらいらするわね。あの男」

「はいはい」

 

 不満そうな声に適当な返事を返しながら、辺りの様子を確認する。

 静かに、風に軋む音しか聞こえぬ竹林には、何の気配も感じられない。天然なのか、何か作為的なものによっての仕組まれたものなのかはわからないが、どうやらこの辺り一体には妙な地場が発生していて、生き物の感覚を狂わせる効果があるらしい。

 

――これは利用できるわね。

 

 私たちのような存在へ影響するほどではないが、確かに力をもつそれに対して、自分達が張ろうとする結界の一部として活用できそうな部分を計算する。

 

――確かにこの場所なら、かなりの規模の力を使っても目立つことはない。

 

 霊脈、地脈……とにかく力が集まりやすい場所であろうようだ。それもかなりの有数の規模を持つこの場所は、私達が隠れるのにはうってつけのものといえるだろう。

 

――確かに嘘ではなかったわね。

 

 ここのことを教えてくれた男。

 半信半疑ではあったが、なるほど、嘘は言っていなかった。

 ただ――

 

「ちゃんと、お礼まであげたっていうのに……」

 たちの悪い詐欺師ね。

 

 ぷりぷりと頬を膨らませている姫。

 確かにそうだ。

 歩いて半月――まるまる半月の時をずっと歩きっぱなしと計算すれば、という意味ならそういっておいてほしかった。

 それならば、休みなしにぶっ通しで進んで輝夜の機嫌を損ねることもなかっただろう。

 

――彼なりの復讐だったのだったのかしら。

 

 子どもの悪戯のようなその行為。

 その程度でいいのかと、なんだか笑ってしまうようなもの。

 

「何笑ってるのよ、永琳」

 私達をからかったのよ、とこちらに指を向けながら憤った様子を見せる姫。

 月の都でいつも退屈そうにしていたこの子は、地上に来て随分と表情豊かになった。

 何があったのか、何を見たのか――それでも、それは私が教えられなかったこと。

 

「もう! 都を震撼させた絶世の美姫に対して…・・」

「……」

 

 少しだけ不安にもなるが……まあ、良い傾向だろう。

 様々なものをみて、この子もいろいろなものを得た。だからこそ、誇りを持っている。

 それを讃えてくれた者たちのためにも。

 

 それは、己の価値を認めることだ。

 

「……」

 

 それにしても、である。

 それ以上に、不思議な面もちでもある。

 

――本当に、生きていたのね。

 

 忘れていたはずの、失われたはずの――過去の記録。抹消されて、その記憶からすらも封印された。

 罪人にすらされなかった(……)男が、罪人となった私の道案内を勤める。

 ずいぶんとご都合主義のお話。

 まるで、お伽噺のような、不思議な――何ともいえない感覚に襲われてしまう出来事。

 

 恨まれても仕方がなく。復讐されても文句はいえない相手。

 けれど、彼は笑っていた。

 

――何を考えているのかしらね。

 

 月の頭脳とも呼ばれた自分が想像もつかない。

 人の頭の中――どこまでも生きた男の思考回路。

 

 わからない、という理解。

 

「――これくらいかしらね」

 

 片手間にそんな思考を巡らしながらも、この場所に点在する利用できそうなものと不確定要素を理解した。

 大体の完成を頭の中に描き、必要な構築式を組み上げていく。

 

――何かしらの情報源……外の様子を探る伝手も必要ね。

 

 結界に対する例外、内と外を行き来できる存在。

 相手方に利用されず、目立たない、この辺りに居ても不思議ではないもの。

 

――そんな都合の良い存在が……。

 

「永琳、見て。兎があんなにいるわ」

 月のとは全然違うのね、と楽しそうに輝夜が指を差す。その先には、竹林の間に隠れた白い小動物が群をなして。

 

「あれは……」

 

 感じられる気配には、微かにだが、妙な混じりものを感じる。ただの動物ではない――少し、化けたもの。

 この竹林に適応したその赤い瞳は、僅かに知性の光が見て取れる。

 月のものとは似ても似つかず、それほど役に立つ存在とは思えないが――その分、単純そう。

 

――使える、かしらね。

 

 おそらく、この竹林の作用――訪れる者を惑わす効果を利用して外敵から身を守っているのだろう。自然を利用し、その場に適応しながら共生する。この大地に生きる動物としては、ありふれたもの。

 そして、長い時間をかけて進化してきた分、幾分の知能も持ち合わせていると考えられる――ただ単純に妖怪化しただけかもしれないが――これは、上手くすれば利用できるかもしれない。

 

――手懐けることが出来れば……。

 

 ずっとこの土地で生活してきた個体だ。

 誰にも怪しまれることもないだ。

 渡りに船のような存在に、思わず目を細めてしまう。

 

「――何を悪い顔してるの? あんまり苛めてあげちゃ駄目よ」

 

 失礼なことをいう輝夜。

 けれど、確かに兎たちは姿を消している。

 

――臆病な生き物ってところは変わらないのね。

 

 自分の迂闊さに、少しおかしさ込み上げて、自然と口端が持ち上がる。どうにも、失敗が多い――予想外ばかりを繰り返しているからだろうか。

 

――こんな感覚、久しぶりね。

 

 おかしな、少し若返ったような気分。

 随分と変わりなく保たれていた私の時間に訪れた、変化の波に――少し、惑っている。このあまりにも早い地上の世界の流れに、昔を、忘れた自分を思いだしているのかもしれない。懐かしむこともなかった日々が、少しずつ身に染みている。

 

――今から、また変わらない世界に行くというのに。

 

 本当に、笑ってしまう。

 

「……」

 

 そんな私を見ながら、輝夜はなぜか、微妙な表情をしていた。

 

「どうしたの?」

「いや、まあ、なんていうかね……」

 変な感じ、と小さく呟いて、こちらを不思議そうに眺める。

 そして、私の顔を指差した。

 

「あの男に会ってから、妙に表情豊かじゃない?」

 

 まっすぐにこちらを指差すその表情は、なんだか楽しそうで――何処か、優しそうな笑みを浮かべていた。

 まるで、手のかかる幼子を見るような、そんな保護者のような温かな瞳で――

 

「ふふ……」

 

 柔らかな、邪推の笑みを浮かべている。

 いつもは手に取るように分かるこのお姫様の気持ちだが――何を考えているのか、今の表情の意味が分からない。

 

「なんでしょうか、蓬莱山輝夜さま」

「いいえ、なんでもなくてよ。八意永琳」

 

 姫と従者。

 なんだかその立場が逆転しまったような様子を見せる輝夜の含み笑い。

 

「……」

 

 やはりこれは、私の方の調子が狂っているのか。

 幾年の年月振りにこの大地に降りて、ありえないはずの再会を経て――少し揺らいでいる感情。

 

――少しくらいおかしくなっていても、仕方のないことなのだけど……。

 

 私の様子が可笑しいのか、相変わらずにやにやと笑みを浮かべ続ける輝夜。

 

――よくわからないけれど……。

 

 妙に癪に障る。

 

「……何を考えているのかは知らないけど、大体の目処は立てましたよ」

 

 それでも、続けていた計算が今終わった。

 あとは準備を整えるだけ――それを終わらせてから、きっちり聞き出してやればいい。

 

「そう」

 

 その言葉に、輝夜はこくりと頷いて、表情を引き締めた。

 

「時を閉じ込める永遠の結界、ね――細かい術式なんかは任せるわよ」

「ええ、固定は私が担当するわ」

 

 じゃあ、と小さく呟いて、輝夜の身体から薄い光のような力の高まりが感じ始められた。展開されていく力は、空間を固定し、今ここにあるものとは違う異次元の空間を形造っていく。

 

――時の狭間、永遠と須臾の……境界。

 

 永遠と須臾を操る力。

 姫の持つ全く別種の世界をも創り出すといえる能力。

 

「そういえば――」

 

 そんな桁外れの力を発揮しながら、それを片手間に口を開いてみせる姫君。その優美な黒の髪を揺らして、意味あり気に笑ってみせる。

 それに――

 

「なにかしら」

 

 輝夜の力を基にして結界の式を構築しながら、半分ほどの意識を向ける。

 月の都にも気づかれないものにしなければならないのだ。そのかなりの精密作業には、私でもそれなりの集中力を要する。

 あまり他に意識をさくわけにはいかない。

 

「貴方も怒っていいのよ」

「……?」

 

 意味のつかめない言葉に眉を顰めた。

 それに対して、輝夜はさらに笑みを深くする。

 

「――こんな美人二人を騙したんだもの。今度あったら文句いってあげなくちゃ」

 あの妙な男に。

 

 放たれたのは、そんな言葉。

 一瞬、驚きに目を丸くして。

 

「ね、永琳」

 

 

 念を押すその言葉に――なんだか、笑ってしまう。

 不思議な心持ちに、吹き出してしまう。

 

――何を勘違いしてるのだか……。

 

 何か馬鹿なことを考えているのだろう。

 この姫様には少し再教育かもしれない――けれど、それでも、私に一考させるほど、彼女も成長している。

 私を揺らすほどに、大きくなって――

 

「――ええ、そうね」

 

 確かに、色々と話したいこともある。

 是非、文句をいう機会ぐらいはつくっておかないと。

 

――……。

 

 完璧に組み上げていた式に、少しだけ、小さな細工を加えた。

 再び相見えるためのほんの小さな工夫。

 

――ただ、危険を増やすだけかもしれないけれど。

 

 それでも、そうしておきたい。

 

 

 そう少しだけ思った。

 わがままを、叶えてみようと思った。

 

 

 

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「さてさて――」

 

 結んだ縁も数多く。

 何やら付き合いも長くなりそうな知友もできて。

 

――ここ千年ほどは、随分と騒がしい。

 

 過ぎ去る時に親しみつつ、決して同じ日々を歩めぬままに生きてきた――ただ、眺めてきた世界。

 それもなかなかに楽しかったが――。

 

「……」

 

 極短い時間だけを共にする人々。

 いつもと己だけが取り残されて――それでも、残る記憶に喜愛を得てきた。己だけしか味わえぬものとして、それも価値としてきた。

 しかし、やはりそれでも。

 

――長く付き合える知り合いがいるのは……悪くない。

 

 慣れた寂しさ……けれど、消えぬ淋しさ。

 もし、この道の隣に誰かが居てくれるなら、きっと、それは喜びとなる。

 今までとは違う、新たな日々を得る。

 

「――楽しくなってきたもんだ」

 

 まだまだ、生きていたい。

 十分に……人並みはずれて生きていても、そんなことを想ってしまう。

 今の楽しさというもの。

 何処まで続くか分からずとも、確かに見えぬ果て模様。

 

「まあ、こんな思い出ばかりふけっても意味はないか、と」

 

 一人ぽつりと呟いて――そろそろと、昔巡りの思考を終わりとする。

 

 空を見上げれば、そこにあるのは黒と染まる雲模様。

 とりあえずは、この雲行きの中を、濡れずに行く方法を考えなければならない、といまの慕情を止めとする。

 過去は後で楽しむ。

 未来を考え、とりあえずと今を乗り切ることとする。

 

 そう決めて――

 

――あんまり過去に溺れてちゃ、走馬灯とも変わりない

 

 そういうのは、もっと死に際で考える。

 まだまだ、時間はあるとして――次へと進む。

 

 そこまで考えた――ところで。

 

「ん……?」

 

 少々思う。

 

――これこそ物語の最後のようじゃないか。

 

「――くくっ」

 

 昔に読んだ御伽噺の最後。

 冒険活劇の、その最終幕――主人公はこれと同じような思考をしながら、その終わりに向かうことになる。

 最後の序幕、お話の約束事、よくある展開。

 

 終わりを描く前準備。

 

――まさかまさか、だが……なんとも、ね。

 

 折角面白くなっている物語を、ここで終わられては敵わない――が、それも似合いの己である。もし、己の物語に書き手がいるのなら、今がその時とでも思っているのかもしれない。

 

「そりゃ、御免ですがね」

 

 少々浮かぶ不吉な予感。

 それでも、己はあきらめの悪い――脳天気な老人だ。

 

――今考えるべき事は……。

 

 このぼろ布の使い道。

 今日の食事をどうするか。

 雨に濡れたくない。

 

 そんなことを最優先と考える。

 それが己の生き方で――

 

「よいよいと、行けるうちに行っちまいましょう」

 

 

 日が翳り、暗くなり始めた森の道を進む。

 せいぜい不運に会わぬよう祈りながら――今日も今日とて。

 

 

 

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――何かが動いている。

 

 暗い影の道の中、雲を通した微かな灯り。

 先ほどまでも眩しさはすっかりと潜み、生温かい風が通り抜けていく。

 

――もう、暗いのね。

 

 普通は、はっきりと見通すことは出来ないだろう。

 

 そこは境界。人の領域と別の領域とを分かつものであり、違うモノの生ける場所である。

 明るい陽の中を活動する動物もいれば、夜の月明かりを歩く獣もいる。

 それを分かつ二つの顔。

 今は混じった灰の色。

 

――そこにいるのは狩るモノと狩られるモノ。

 

 入り込めば、その常識は通じない。

 踏み込めば、命の保障はない。

 

――そこは、私たちの領域。

 

 ほの温かい闇に目を細めながら、暗い影を見通した。

 そこにあるのは、一つの命。

 

 だんだんと闇の色濃くする黒雲の下。

 飛んで火にいった虫の肉――私の場所に踏み入れた人間に、私は笑みを浮かべた。

 

「いらっしゃい」

 

 歓迎の言葉。

 そして、音もなく空に立つ。

 

 

 今宵の晩餐は、きっと美しく彩られることになるだろう。

 思い浮かべた赤と黒。

 

 私は、にっこり笑んでいる。

 

 

 





間の話。旧い題目。
それはさておく前に。

色々と基準に変化があり、評価も大分推移しているようですね。
まだまだ未熟な作品ですが、それでもやはり、少しずつにでも成長していけるのならうれしく思います。
なかなか進まぬ遅筆の身ですが、どうかお付き合いを。

読了ありがとうございました。
ご批評、感想・意見をお待ちしております。

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