荷車に荷物を載せる。
大きなものから小さなものまで
簡単に運べるように
なるべく楽になるように
そこにあれば楽だから
そこにあれば簡単だから
全て載せて
全て一緒くたにして
一つまとめに運んでしまった。
背中に乗っていた重荷も
両手に抱えていた嵩張りも
大事には包み込んだ大切も
一緒くたにして
そして、ある日気づいた。
この荷車を失くせば、私はどうなってしまうのだろう。
たった一つを失くしただけで、私はどうなってしまうのだろう。
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「西洋式……いや、ここは、法力に変換して――魔力と神力の複合式。しかし、それでいて……」
ぶつぶつと呟きながら、拡げた布の表面を指でなぞる。
そこに描かれているのは、細かな文様と奇妙な文字によって組み上げられてた一つの形。
――封印式、か。
特殊な道具で描かれた線が複雑に絡み合い、意味を込めての文字を通して一つの方向へと発言させる――方陣として造り上げられているそれ。
法師が描く守りの札や術者が作る忌み札などともよく似た系統のものだが……ただ、所々に混じる文字、力の方向性が違う。この国の基本にあるもの――主流となっている力よりも、随分とずれている。
――和洋折衷……いや、和式の魔法陣ってところか。
正道とは外れた形に組まれた式、法師が描く法力――霊力によって造られる札とは違い、この札は、西洋の方法。俗にいう、魔法使いというものが主として扱う魔力という力の系統を混合して造られている。
行動阻害、思考低下、妖力封殺、能力制限、等々……様々に込められた力は、それでいて妖怪の封印を主とするもの。
力を削ぎ、思考を奪い、行動を縛り――その対象から自由を奪う。
それも――
「――この規模なら大妖すらも無力化できる、ってくらいのものか」
並の妖怪なら生命活動まで停止してしまうほどの力が織り込まれた――一種の封印兵器ともいえるほどの、それくらいの力が練りこまれている。
おそらく、超一流の術者が、かなりの年月をかけて、重々の労力を込めて作り上げたもの。
決して。
『何だかわからないからあげる。お礼よ』
そんな程度のこととして渡されるものではない。そうするには、いささか貴重に過ぎる一品である。
――確か、空飛ぶ鉢を操っただとか、帝を快癒させただとか、そんな逸話を持つ聖……その姉が造った、霊験あらたかな札だとかいって献上された胡散臭い品だとか何とかいっていたが。
随分と作り話めいた、うそ臭い話である。
けれど、そこに込められている力が本物である――異常ともいえるほどのものである以上、案外それは本当のことだったのかもしれない。
それくらしに、おかしな品だ。
「まあ、だからこそ、面白いともいえるんだが……」
眺めるほどに自然とつりあがる頬。
どうにも愉しくなってしまう己の性分。
――この式を繋ぎとして反発を緩和……この線は循環と固定か?
元々は法力を基本とする方陣に、西洋式の方を取り入れて、それらが打ち消しあっていない。それぞれを上手く混合させ、相互に高めあうようにして、より強力な封印を作り出している。
長い間生きている自分としても、なかなかに珍しい品。
刻まれている意味のある線、その一つ一つを確認し、分析していくたびに新たな発見と認識がある。
――こういうものは面白いと思うのは、昔から変わらない。
自分にはない発想、着眼点によって造られて技術は、どれだけ永く生きようとも、どこかで現れる。長い経験、積み重ねによって。独創的な発想、天才の発現によって――偶然の一致、神の気まぐれなどからも発現する。
そんなものを眺め、知り、学んでいく。
知識を得て、知恵を知り、新たなものについて考える。
――年寄りにとっちゃ、この上ない道楽だ。
既存の知識と新たに得た知識を組み合わせる。
知らないものを知って、新たな発想が生まれる。
都市を経るごとに少なくはなり、しかし、だからこそ面白い発見というもの。
零とはならない愉しみの一つ。
それに酔いしれている時間は、確かに己は人間なのだと思う。そう感じられている。
「……む?」
その時、扉の向こうが妙に騒がしいことに気がついた。
日が暮れてから大分時間が経つのに、複数の人間が走り回っている気配がする。
――何かあったのか?
慌ただしくなる気配。
その様子に耳を澄ませて警戒を強めながら、広げていた荷物を一つにまとめる。
いざとなれば、すぐさま飛び出せる準備と普段の旅衣装に整えて、逃げ出せる準備する。
そこへ――
「火事だー!!」
喧しい叫び声が飛び込んできた。
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身体が熱い。
暑いのではなく、熱いのだ。
焦げつくような熱さがこの身を包み、周り中の全てが緋色に染まっている。
ただ一つしか、そこには存在しない。
――楽だな。
そう思った。
身を任せれば、何も考えずにすむ。
この熱さ以外に何も。
「……」
心の内、そのずっと奥でくすぶり続ける何かも、この炎に包まれている間は感じない。
――ぜんぶ……。
自分の全てが一つとなる。
憎しみも愛しさも。苦しみも悲しさも。
全てがなくなって、ただ一つだけ
――いっそ……。
このまま失くしてしまいたい。
一緒に壊れてしまいたい。
――このまま灰に。
消えてしまえれば、楽なのだろう。
そんなこと――
絶対にありえないのだろうけれど。
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「こりゃまた」
赤い灯りを灯され、白い煙に包みこまれる木々。
風に煽られ、何かの呻き声のようなおどろおどろしい音を間に潜らせて、その勢いは轟々と増していく。
――回りが早い……。
煙に巻かれないように口に布を巻き、なるべく低い体勢をとりながら走る。曇る視界に、その効果は全くといってもいいほど軽微にしか感じられないがが、やらないよりはずっとまし。
少なくとも、頬をあおる熱風の痛みを僅かに防ぐ程度にはなる。
「……」
山火事。
実りある緑の木々が緋色の炎に包まれ、周りのもの全てを呑み込んでいく。
そこに暮らす者にとって、致命的な災害。
――雷にしては雲がない。誰かが不始末でもしでかしたか……?
それは自然に起こることもままあるが、その原因の大概は火を使うもの――人間が原因であることが多い。
里山、この辺りが村の近隣であり、人の生活圏の一部であることを考えれば、それはなおのこと。誰かの僅かな不始末により山一つが焼けきってしまうこともある。
火事というのは、どんなに小さな原因からでも、思う以上の被害をもたらすものだ。
――消し止めるのは無理……何処かで食い止めるくらいかね。
村人の誰かが副業として林業でも行っていたのかもしれない。木々の隙間が、それぞれの成長を阻害しないように、一本一本がある程度の距離をとって構成されている。風が通り、空気の通りも良い分も加えて――次々と連鎖するようにして火勢が増していく。
煙の流れる勢いからしても、このままでは被害が広がっていくばかりだろう。
「ここらは水も豊富じゃない」
近くに水源をないことを考えれば、あとは、どれだけ規模を小さくして治めるか、という話だ。それなりの被害を覚悟して、残りを守るしかない。
――といっても、そう簡単に決断はできないだろうが。
それほど冷静に対応できるもの。
一を切り捨て、残りの九を守るという方向にすぐさま走りだせるほどの者はなかなかいない。たとえ、火消しの玄人であろうとも、一寸の迷いを見せることはままあることだ。
――それも、焼けてるのが自分の知っている場所ってんなら……。
止まってしまうのも仕方がない。
戸惑ってしまうのも悪くはない。
けれど、相手は待ってはくれない。
「――それじゃ、ここらから」
小さく呟いて、拳を握る。
――小さなお節介、と……。
ふっと息を吐き出しながら、地面を蹴った。
速力を維持し、身体に巡る力を活性化させるように腹の辺りに力を込めて――気を練る。
脚回りを中心に、残りは身体全体に。
充たし、回し――
「……!」
一気に息を吐き出して、高まった力を燃焼させる。普段とは比べものにならない力を溜め込んだものによって発揮させる。
身体強化の技法、筋力と体力の底上げ。
昔百年くらいかけて覚えた、ちょっとした身体の使い方。
それを使って――
「どっこらせ、っと!」
火が回ったその一番端の位置、火の勢いの足されてしまう寸前の木々に向かい、その柱芯に一撃の打突。
少々上向きに放たれたそれは、その中心へと勢いをそのままに伝え、その木々を根こそぎにして、引き抜かれるように吹き飛ばす。
土塊をまき散らし、打ち上げられたその跡地に、火炎に干渉する燃料は残らない。
――類焼を防ぐためだ……勘弁願いますよ。
そんなふうに心で謝りながら、まだ生きた木を削る。
円を描くように火の発生源を中心にして、炎と木々の間を空けていく。それは、破壊消火の――それと似たようなもの。
周りの木に燃え移り続ける火炎、その一番端から木々を減らしていくことで、さらなる拡がりを削っていく。燃え移る先をなくした炎はそこで動きを止め、今ある燃料分しか姿を保つことができない。
炎を閉じ込める、そういう策である。
その範囲こそ完全に焼き尽くされてしまうかもしれないが、それ以上に拡がることもない。
「――あとは」
簡易用の結界。
軽い火避け程度の力を込めた符を散りばめて、その線を強化する。
――実験用の符紙を随分用意したが……妙なところで使いどころがあったもんだ。
握りしめる長方形の紙の束――元々、あの竹取りの姫様に貰った符の解析と実験用に用意したものだ。術式の点検と実験、模倣など、それを簡易的に再現しようとしてたもの。
そのため、質こそ並以下のものであっても、数だけはたくさんある。
――風避け、火除け、水縁、土符……。
炎を避け、防ぎ、消し去る力をもった様々な符。
指先についた煤と血液を使って新たに式を書き込みながら、それをばら撒くようにして走る。
簡略化しているために効果はまちまちだが、それなりに意味はあるだろう。
線を引くには十分。
――あそこで一周と……。
自分が描いた線――森の切れ目を視界に捉える。
このままこの境界線を繋げば、完全に炎を閉じ込められるはずだ。あとは、放っておいての自然鎮火を願うのみ。
いらぬ邪魔さえ入らなければ、どうにでもなる。
「これで最後っ、と――」
そう呟きながら、最後の一本を弾き飛ばす。
半分ほど火の回り始めていた広葉樹は、勢いよく吹き飛んで、燃え上がる火炎の内側へと飛んでいく。
これで終わり。
やれるだけのことはやった。
――あとは野となれ、灰となれと。
そう願うだけ。
そう考えた――そこに。
「――ありゃ?」
緋色の何か―――炎の塊のようなものが飛んできて、
ドゴンッという鈍い音と共にその樹木へとぶつかった。
とても痛そうな音がした。
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「……っ」
目が覚めた途端、頭に痛みが走る。
軽い鈍痛。すぐに治る程度のものだろうが、そのせいですぐに意識が覚醒する。
「……?」
視界がはっきりしたところに飛び込んできたのは、茶色い木目――民家の屋根だった。
作りの荒い、所々を継ぎ接いだ様子の、何の変哲もない当たり前の家屋。
その屋根の下に、私はいた。
――なんで、こんなところに…?
意識を失ったせいか、しばらくの間の記憶が飛んでいる。
自分が何をしていたかもわからない。
――いや、もしかすると……。
痛みの名残はあれど、傷のない頭に触れながら思う。
長く伸びた髪の間に触れる肌には、何の跡もない。腫れた瘤も、僅かなかさぶたも――感じたはずの痛みは、もうなかったことになっている。
――また、死んでいたのかもしれない。
その再認に目を細め――
「お、目が覚めたかい。お嬢さん」
低い男の声。
ぼうっとしていた意識がすっと引き締まり、寝ころんでいた体が跳ね上がる――女の一人旅は危ないことが多い、その経験から身につけた習性で、警戒を露わに構えをとる。
「……」
状況は掴めない。
それでも、何があってもいいように身構えて、警戒を強める。
もし、
相手が誰であろうとも、気を抜くわけにはいかない。
「ふむ、大丈夫そうだ」
視線の先――壁にもたれるようにして座っていた男が、こちらの様子を観察しながら呟いた。
その声に悪意は感じられない――が、何を考えているのかもわからない。
「誰なの?」
「まあ、通りすがりのもんですよ」
警戒の言葉にゆるりと返す男。
聞いてもいないのに、「お嬢さんが森でぶっ倒れてたから拾ってきたってとこです」と、勝手に説明してくれた。 そして、敵意はないと示すように、両腕を上げる。
――……。
長身で細身。
少し年寄り臭くも感じるが、見た目自体は若い。
凡庸そうな、なんとなくやる気のないようにも見える表情で、嘘をついてる様子は見られない。。
けれど――
「あんたは――」
どことなくだが、妙な雰囲気を持っている。
それは、昔に感じたことのあるような、何処かで見たことがあるような――永遠をもつ美麗な黒髪の……。
「……っ」
頭の中をよぎった映像に、一瞬身体が熱くなり、我を忘れそうになった。
それを無理やり押し込めるようにして唇を噛み、なんとか意識を食い留める。
――違う……こいつは違うんだ。
言い聞かせる言葉。
相手は、
ただ、似ているだけ。
――それだけのこと。
暴れだしそうな熱を抑えて、頭を平静に保つ。
深く息をついて、焦げ付く情を吐き出す。
――あいつはもういない。
あの晩、あの場所で消えてしまった。
すでに手も届かなくなってしまったのだから。
「――何処か、痛むんですか?」
心配するような声で男がいって、こちらに気遣うような視線を向けた。
「なんでもない」と無理やりに落ち着けた声で返すと、少し訝しげな表情はしてから、「そうですか」と小さく笑んだ――そして、すっと目を細めた。
「まあ――」
もたれかかっていた壁から上体を起こして、真っ直ぐにこちらを見据える。
じっと、何かを見透かすように視線を合わせて――
「――ここも燃やされてしまっちゃあ、困りますからね」
そういった。
「……お前!」
男の言葉に反応して右腕が振り抜かれた。
先程の熱さの塊が――赤々とした火が手首より先を覆い、まるで手のひら全体が炎に変わってしまったような形となる。
――落ち着いて……上手く制御すれば大丈夫。
自らに言い聞かせるように意識して放ったそれは、ただの威し。
男の首元に突きつけて、戦意を削ぐ。
そうやって、ただ、何者かを聞きだすつもりだった。
それを――
「――ああ、やっぱりあんただったか」
こともあろうに、男は
熱々と、燃える腕に掌が重ねられていた。
「えっ…あっ……」
緋色の光をあげ、その身すらも焦がし、焼けつかせる炎。その前では、人間はおろか、妖怪すら長くはもたない。
そのはずのもの。
それを―――男は素手で掴んでいる。
「あ、あ……」
あまりの光景に、思わず声を漏れた。
それと共に――
「む……」
勢いを増した熱さに男が顔を歪ませる。
制御が乱れ、手を覆っていた炎が揺れ蠢いた。
――あ、また……。
押さえつけていた蓋が緩んで、炎が、火炎がその勢いを顕し始める。
煌々と。轟々と。
揺れる。揺らめいている。
「――逃げろ!」
腕の方にまで拡がり始めた炎を無理やり抑え、制御を取り戻そうとするが、一度乱れた思考は元には戻らない。
それどころか、その焦りに同調して、炎の揺らめきは余計に酷くなっていく。
焦げつくような炎の匂いと、熱くなっていく身体。
何度も繰り返した失敗が、過ちが、脳裏に蘇って――
「――駄目……!」
諦めの叫びと共に、完全に制御を失った炎はこちらの全てを呑み込み、私の全身を緋色が包む。
熱さが呑み込み、私が消える。
――また、繰り返し。
そう思った。
諦めてしまった。
そこに。
「落ちつけ、お嬢さん」
そんな言葉と共に、腕から何か暖かいものが流れ込んだ。
男の触れている部分、そこから入り込んだ何かが、私の中で爆発寸前になっていた熱さとぶつかりあって――霧散する。
「っは……えっ……?」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
高まり始めていた力が急速に薄まって、体中から力が抜ける。
「落ちつけ――落ちついて下さい。ゆっくりと息をして」
「――くっ……っはあ、はあ」
ぽんぽんと背中を叩きながら、言い聞かせるようにして呼吸が促がされる。熱くはない、人肌の温さがゆっくりと身体に浸透し、息を留めていた肺が今までの分を取り返そうとするように働き始める。
苦しく――その苦さに、己が帰る。
――何が……。
徐々に落ちついていく意識。
それと共に、自分の意思とは無関係に消えた炎へと疑問がわく。
――一体、どうして、何で?
ぐるぐると巡る疑問。
混乱する頭。
「なるほど、制御ができてないみたいだな」
ぽつりと、男が呟くようにいって、やっと我にかえった。
そうして感じるのは、背中に当たる掌の温度とすぐ側にある人の気配。
「……!?」
さっと男から距離をとり、身構えた。
久しぶりに近くに感じた人の気配に、身体全体が驚いている。己の内にある胸の鼓動に驚いてしまう――それくらい、人に近づいていなかった。
「な、何をしたのよ」
それを誤魔化すためにも疑問を投げる。
しかし、まだ冷静になりきれていないのか、地の口調がでてしまった。舐められてしまう。そう思って慌てて口を抑え、こほんと一つ咳払いをしたあと、「何をした」と言い直す。
「……」
男は僅かに逡巡したが、さほど気にした様子は見せず、「さて、ね」と小さく呟いて、面倒くさそうに頭をかいて横を向く。それを睨みつけるようにして先を促すと、しぶしぶといった様子で――ゆっくりと、こちらに向き直った。
そして――
「相殺……まあ、火に水をかけて消しただけですよ」
お嬢さんが火を出したからこっちは水をだした。
それだけだと、男はそういった。
簡単そうに。
当たり前だというように。
「何を……!?」
火は水で消える。
そんなことは子供でも知っている当然のこと。
けれど、そんなことでは説明できない。
「そんなものでどうして――」
「まあまあ、落ち着いて」
再び熱しかける私を、男は手を挙げて制した。
にへりと笑う緩い表情と向けられる掌――火傷一つもない、丈夫に使い込まれた硬い肌。
――なん……。
わからない。
溢れてしまう疑念。
息ができない位置までせり上がった水かさに、思考が止まってしまう。
その隙に――すっと男は立ち上がり、間合いから外れてしまう。
「そう構えないでください」
こっちに害意はありませんよ。
そういって気楽に笑う。
「……」
ゆっくりと足を進めて、部屋の真ん中辺りにあった囲炉裏の前に座りこむ。そして、向かい側を指し示して、座るように促した。
腰を落ち着けて話そうということなのだろうか。
――わけがわからない。
行動が読めない。
まるで幻でも相手にしているように、つかみ所を感じない。地が足に着かないような――空に浮かされているような、そんな感覚。
――でも……。
言葉の端々に引っかかりは感じようとも、まだ、向こうは手を出していない。言い当てられてだけで、害となるようなものは、まだ感じていない。
私を敵だと見なしていない。
それは、確かなことだと思う。
「――わかった」
出来るだけの警戒をしながらも、相手の向かい側へと乱暴に腰を下す。
そんな、自分でも子供染みていると思ってしまう行動に男は僅かに笑みながら、「どうぞ」と差し出した。
どこからかとり出した器に、囲炉裏にかけられていた鍋から湯を掬ってのものを二人分。
何もおかしなものは入っていないと示すように、先に口に含んでみせて――。
――確かに、のどは渇いてるよ。
先程までのやり取りや眠り込んでいた時間も含めて、ずっと何も口にしていない。身体自体は好調そのものだが、のどの渇きと空腹は確かなものだ。
それを我慢するには少々辛いものがある。
――よしんば毒だったとしても、どうせ私には効かないんだから。
そういう言い訳。
けれど、ちゃんとした事実で自分を誤魔化して、精一杯に睨みを効かせながら、その白湯を口に含んだ。
待ち望んでいた水分に乾いた舌が歓喜を示し、ただの水の味が何よりも身体を癒す。人間の限界を超えた我慢が、一気に裏返るのだ。
それだけは、この身体でしか感じられない快い感覚だと、僅かに思ってしまう時間でもあって――その温さに少しだけ頭が冷えた。
「少し落ち着いてから……ゆっくり説明しますよ」
それを見届け、男はのんびりとした口調でいう。
じとりと目を細めた私に片手を上げて――一気に飲んでしまった私の器に湯を注ぐ。
そして、囲炉裏にかけていた鍋を外して、隣へと置いた。
「とりあえずは――」
そう呟いて、立ち上がる。
「何?」
疑問の言葉に頷いてから、部屋の端、扉ある方へとゆったりと歩く。
無防備に背中を晒して――
――安心は出来ない。
一挙一動を見逃さぬように、油断なくそれを見守る。
まだまだ安心する要素など存在しない。そう気を引き締める。
「いい具合に冷めただろう」
扉の向こう側。
そこに置いてあった風呂敷包みを持ち上げ、そのまま元の位置まで戻る。
――何だ?
ずしりと丸い何かがそこにある。
僅かに上げる白い靄は――この香りは。
浮かぶ何か。
引き締まる口。
「……っ」
ぐっと腹に力を込めた。
それを抑えるために。
けれど、男は「さてさて」と呟きながら、その結び目を解く。こちらに見せつけるようにしてそれはふわりと中身を曝す。
そこには――
「腹が減っては戦もできないでしょう?」
白い湯気を放つ、美味しそうなお粥。
粟や稗だけでない、ちゃんとしたお米が混ぜられた鍋。
「あ……」
懐かしい――ずっと前に食べたきりのそれ。
口の中に溢れる何かを抑えようと慌てて口を閉じるが――
「うん。すぐに食べれますよ――どうぞ」
差し出された椀に煙る湯気。
漂う香りにその美味しさを覗かれて。
「――あ、ありがとう」
受け取った温かさ。
顔にあたる暖さ。
お腹がぐぅとなった気がして――少し恥ずかしかった。
少々遅くなりましたが更新です。(ちょっと日常が忙しいので、この先も低速気味となるかもしれません)
それと、申し訳ありませんが、出先での活動ですので細かい場所で誤字・脱字の可能性が――ちょっと落ち着けてから修正になると思います。
何かおかしいところがあればどんどんとつついてやってください。どうにか頑張ります。
読了ありがとうございました。