東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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旧題 袖触れ合うも永月の縁


永月の縁

 この世に起こりうる様々な事象。万象に彩られている世界。

 数え切れないほどのことが世界には溢れ、そして、消えていく。

 

 様々な原因を基に、様々な要因を基に、

 何かが起こり、何かが消える。

 

 では、その世界に起きる様々な事象。その最も多い原因とは何なのだろう。

 

 自然現象、天変地異、天災地変。

 人為的、超自然的、連鎖的。

 

 蝶の羽ばたきで世界が揺れるように、この世界には様々な事象が起こり、何かを原因として何かが現れる。

 ほんのわずかな、どんな大きな物事にも発生条件が――生まれた理由が存在する。

 

 望んでも、望まずとも、そこにあるのだから。

 

 

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「――むぅぅ……」

 

 久方ぶりに浴びた朝の光に瞼を瞬かせながら呻き声と共に上げた。

 多少の睡眠をとったとはいえ、長時間にわたって酷使し続けた目とっては、太陽は刃物のようにも鋭く刺さり、視界を歪ませる。

 

「おや。もう、ご出立ですか」

 

 光に順応するために立ち止まっていたこちらへと、一人の女性の声が向く。

 片手に箒を抱えているところを見ると、どうやら庭掃除をしていたらしい。

 

「ええ、お世話になりました」

 

 そういいながら軽く頭を下げると、「いえいえ」と丁寧に返された。

 

「こちらこそ。往来物の翻訳をしてくださったそうで、主人が大層喜んでおりました」

 まるで子どもみたいに、そういってくすくすと笑う女性。

「それは良かった」と返しながらにこりと返す。

 

 互いに思い浮かんでいるのは、結構な年ながら屈託無く笑う御仁。

 

――確かに、子どもの様な人だった。

 

 古今東西の書籍。物語、神仏書、どんなものかをも問わずに収集し、貿易品に紛れ込んでいた落書きのような冊子までに喜悦を上げる。

 そんな物好き、好事家の人。

 

――まあ、でも……。

 

 だからこそ、気が合ったのかもしれない。

 変わり者――変人ともいってしまえるような人間。

 様々な知識を差別することなく集め、それを知ることに喜びを得る。知らないことを、素直に知ろうとする、世界には、知らないことがあるのだと、知っている人間。

 多少、偏った所はあったが――それでも、面白かった。

 

 

 子供のように自らの好きなことに打ち込む姿。

 何かに懸命になる姿を眺めているのは、楽しいものだ。

 それは、生きているということなのだから。

 望んだ場所で、願う場所で。

 

 自分らしくいられる場所で。

 

 

 

 

――

 

 

 

 

「――っとに、計画性がないな。俺は」

 

 そんなことを考えながら、その屋敷を出たのが、ほんの半日前といったところ。

 現在、太陽は西の山々の向こうへと姿を隠し、頭上には数え切れないほどの星の群れが、月の明かりを中心として舞っている。申し訳程度に踏み均された緑の間に走る土の線は、視線の先を何処までも進んでおり、一つの灯火さえも存在しない。

 つまり――

 

「また、野宿か」

 

 小さく吐き出した息は夜の闇へと溶け、近くからは何の気配も感じられない。

 精々、鳥と虫の声が響くのみ。

 人の営みなど、少しも感じられない場所である。

 

――少し、のんびりしすぎたかね。

 

 そんなことを思いながら、途中で食った道草を思い出す。

 口に放り込んだのは、その戦利品。

 

――薬草に果物の採取……昼寝、貰った本の歩き読み。

 

 適当に進んだ獣道に何も考えずの右折に左折。

 茸や山菜を採取しながらさらに横道へと。

 

――そりゃ、進まないはずだ。

 

 あまりに適当すぎる道行に、思わず苦笑いがこみ上げる。

 流石に、気を抜きすぎだと己で呆れてしまうほど。

 

「まあ、とはいっても……」

 

 目的地もない道楽遊行。

 急ぐわけでもなく、目的があるわけでもなく、ただ、風任せに進むだけ。そんな道程に、速度も何もあったものではない。

 その時々に、何かを見つけ、何かを探し―――何かをしては暇を潰す。それ以外のなんでもない。気分任せの道のりに、計画も何もあるものではないのだ。

 ならば、寄り道ばかりで足が進まないのも良くわかるというものだろう。

 それも、旅の目的の一つなのだから。

 

「――まあ、しかし」

 

 そういうことにして――おきたいものではあるのだが、少々気分は乗ってはくれない。

 ここ数日は、屋根のある場所で寝泊りしていた分、いささか身体がお上品になってしまっているのだ。野宿なんぞは嫌だと、わがままに小言を呟いている。

 無理やりに眠ってしまうにも、途中で睡眠をとった分、大した眠気も感じていないのだ。

 計画性の無さがどこまでも尾を引いている。

 

――もう、どうせならこのまま進んじまうかな。

 

 幸いなことに、今夜は月が明るい。これなら、道を外れることもないだろう。

 そう大きな獣も居ないようだし、昼夜の寒暖の差もそれほど激しくはない。文句をいう怠けた精神に活をいれるには、丁度いい強行軍になるかもしれない。

 

――二、三日分の予備食料もあることだし……。

 

 ある程度時間は潰れてしまってもいい余裕はある。

 その考えも悪くない。

 

「よし」

 

 一応方角ぐらいは決めて進んでみることにする。

 そう考えて、夜の空を見上げた。

 星の方角。太古よりそうは変わっていないそれを把握し、方位を見極める。

 

 その渦中に――

 

「……む?」

 

 一瞬、見間違いかと思ってしまうような、それほどに微かな光の反射があった。

 星の合間に紛れた、いつもの空には無き別種の煌めき。

 

――あれは……。

 

 鋭く向かう何かの切っ先。

 尖り射抜く形の――幾筋もの銀光。

 

 それに(・・)思い至った瞬間には、目の前へと迫っているもの。

 

「――おいおい」

 

 月光を反射しながら飛ぶそれは――鏃。

 此方の中心線。致命となる部位へと向かい真っ直ぐと進む凶器の、その群れ。

 

 見た瞬間に、本能で理解する。

 

――避けきれない!

 

 咄嗟に構えを取って逃げ場を探すが、足場も悪いこともあって大きくは動けない。

 それでなくとも、絶妙な間合いをとって配置されたその矢群。無造作にばら撒かれているようで、何処に避けようとも幾本かの範囲には収まってしまうだろう、空間を抑え切った布陣。

 そんな計算された攻撃が――

 

「何で、こっちに……!?」

 

 

 

 己に向かう凶器の群れ。

 それから染まる脅威。

 

 これをいつも通りの不運といってしまうには、理不尽にも程がある。

 

 

 

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 怖い、違う。

 嬉しい、違う。

 驚き、確かにそれもあるが多分違う。

 

 わからない。

 

 それが一番近い。

 

 

 別に大切なものではなかった。

 ただ、興味深かっただけ、良い研究材料だっただけ。

 あれの完成に必要な、一番根幹の情報を持っていただけの存在。

 だからこそ、一番最初にその役割を終えていた。

 その後のことに、私は関係していない。

 手を出す前に、それは消えていた。

 

――けれど。

 

 情報として、それが死んだはずだということは知っていた。

 生きられるはずがないと、自らも判断を下した。

 

 そして、消えるべき存在だった。

 

――それでも。

 

 自分にとってはどうでもいい、ほんの些細なこと。

 けれど、人々にとっては、彼は否定すべき存在―――許してはならない存在だった。

 ほんの偶然であっても、ただの事故的発生のものだったとしても。

 

 彼の存在は、特別を特別でなくしてしまうものだった。

 

――確かにあったはずの。

 

 だからこそ、あそこ(・・・)で抹消してしまう。

 なかったことにしてしまう。

 

 

 

 そう、聞いていた。

 

 

 

―――

 

 

「これは……」

 

――当たった?

 

 射線の先。

 矢を射ち放った標的の気配を探りながら思う。

 

――掠りだけでもすれば動けなくなるはずだけど……。

 

一撃で仕留めるよりも、手傷を負わせるため攻撃。その本命は、鏃自体に仕込まれた薬の作用。

 わざと傷が少なくすむ様な避け場を作っておいて、相手に少しの傷を負わせるのだ。そして、何のとか生き残れたと相手が安心した後、その薄皮一つを掠るだけでも致死へといたる毒の刃に気付くことになる。

 相手に僅かな希望を与えて、その油断を突く。残酷ではあるが、効果的なもの。

 大体の相手は、それで仕留められるはず、なのだが。

 

――気配は消えた。けれど……。

 

 残心の姿勢。 油断なく構えたままの弓。

 その妙な違和感に身体は警戒を緩めない。

 

――何なのかしら、これは?

 

 どうにもざらつく心。けれど、頭では理解できていること。

 確かにこれほどの遠距離射撃なら、相手を仕留めたという手応えも感じられないというのは理解している。相手の仕留めたかどうかの判断は、その気配で探る方法によるしかない。

 そして、確かに今、その気配は消えたのだ。

 そう知覚できている。

 けれど――

 

「……」

 

 それは標的の命中。死亡か、もしくは戦闘不能を意味するはずである。

 そのはずなのに、なぜか納得がいかない。

 

――いや、その理由は判っている。

 

 それは、わずかな計算違い。

 

 数瞬、ほんの瞬き二つ分程の時間だけ、計算していたよりも標的への命中が早い。加えて、その気配が消えるまでの間が少し長く感じた。

 勿論、その個体差や種別によってその毒が効くまでの速度も変化するし、相手の突拍子のない行動によっては、矢の命中にずれが生じることもあるだろう。

 それも可能性の中には入っている。

 けれど。

 

「そんなことが……」

 

 有り得るのだろうか。

 あったとすれば、それは数百年ぶりにもなる失敗である。

 私は、重力や大気、相手の動作や反応……そういう不確定要素までの総て含めて、計算していたはずなのなのだ。自らの力の最低値と最高値も視野に入れ、場の状況や武器の能力なども考慮した。不完全さえ視差に入れた上で完璧な予測をたてていた。

 それが――

 

――誤差範囲からさえ、ずれているだなんて。

 

 そんなことが有り得るだろうか。

 その疑念に「本当に仕留められているのだろうか」という不安が浮かぶ。

 

――私のことを範疇に入れた追っ手?

 

 事態を把握してのものなら、明らかに早すぎる。報告する側は全滅しているのだから、まずは行われるのはその確認のはずである。では、あの中に生き残りが居たという線は……それも無い。そんな万が一が合った場合でも、あれから月を行き来できるだけの時間はなかった。そして、そんな手練れをすぐさまに遣す余裕もあちらにはないはずである。

 予想外の事態に、警戒と並列した思考が巡る。総ての可能性を探ろうとする。

 しかし、答えはでない。

 

――では、それを予測していた。

 

 それこそありえない。

 そんなこと――

 

「……っん」

 

 牛車の後ろ、微かな寝息をたて静かに眠る少女の身体が揺れた。

 起きてはいない、僅かに寝返りをうっただけ。

 

 それに――ほっと、胸を撫で下ろす。

 

――大丈夫、ね。

 

 息を吐いて、心を落ち着ける。

 警戒したままの意識を置いて、もう一度、じっくりと気配を探る。

 それでも、そこには何も感じられない。

 

――もしかすると、ちょっと焦ってるのかもしれないわね。

 

 それは私でさえ予想だにしないことであったために、微塵も考えていなかった行動をとったからこそ、少し過敏になってしまっているのかもしれない。そんな些細な計算違いを――その計算自体を間違っていてもおかしくないほどに、私は揺れてしまっていたのだ。

 珍しい、そんな百年は感じていないような揺れのために、少々調子が狂っていても仕方がない。こんなに、こんなにも私らしくない短絡的な行動をとってしまっているのだから。

 

「……」

 

 正直、今でも不思議で仕方がないのだ。

 なぜ自分がこんな行動をとっているのか、こんな馬鹿なことをしているのか。

 

「――やっぱり、少し、おかしくなっているのかもしれないわね」

 

 長い時、永遠に続く時間の中で起きた、ほんの小さな事件。

 ただの我がまま。一つの勝手な願い事。

 

 それでも、なぜだか、放っておけなかった。

 今まで、何度だって経験してきたこと、通りすぎたはずのものだったのに。

 なぜか、手を貸そうとしてしまった。

 

――私はあの時……。

 

 この少女の中に、何を見たのだろう。

 それがわからない。

 

 けれど――

 

「あの時の……」

 

 いつか見たものに、それは似ていた気がする。

 僅かに抱えた後悔。遠い過去の幻。

 

 何かを、想いだしてしまう。

 

――……。

 

 おぼろげに浮かんだ何か。

 ほとんど忘れてしまったもの。

 そんな思考を遮るように、一陣の風が通り過ぎる。

 懐かしい――幾時振りかもわからない空気の匂い。

 

――私は酔っているのかもしれない。

 

 この星の大気に。

 懐かしい、己の生まれた世界に触れて、酔っ払っているのだ。

 

 だって――

 

「――これはこれは」

 

 こんなものが見えている。

 

「懐かしい気配だと思ったら」

 

 予想、予測、理解、計算……そんなものの範疇を超えている。

 言葉も出ないぐらいに、ありえない。

 

「こんな縁も、あるのかね」

 

 永い時の中では、そんなことを呟く男の姿は、ひどく歪んで見えた。

 

 まるで――

 

「お久しぶりで、■■さん」

 

 幻のように。

 

 

 

―――

 

 

 

 

 

―――生きていた。

 

 無いはずのもの。

 消えてしまったはずのもの。

 忘れてすら、いたもの。

 

 そんなものを目の前にして――

 

「――生きて」

 

 そこにはもう、おかしなことだという考えしか浮かばない。

 驚きを通り越して、疑問にしか――不思議だという感覚しか沸かないのだ。

 奇妙な奇天烈さしか、感じない。

 

――……。

 

 どうやら私は、彼の気配を追っ手と勘違いしていたようだ。その気配は、紛うこと無き知ったものであり、それと似たもので、ほんの少しの違いはあれど、ほとんど違いはない。

 間違えるのも無理はないことだった。

 

 少しずつ落ち着いてきた頭が、そう考えをまとめる。

 そう。まったくの無関係だった。

 

―-それに、攻撃を加えてしまった。

 

 自ら蜂の巣の手を突っ込んだ。いらぬ煙を立ててしまった。

 彼は――こちらを敵と見做しているのだろうか。

 元々、それに関わりがあろうとなかろうと、こちらは彼らを見捨てた側であり、彼は見捨てられた側の人間なのだ。どう思われていようとも不思議はない。

 

「……」

 

 沈黙が続く中、再び風が通り抜け、草木を揺らす。

 重苦しい――肩に重荷を背負っているような、そんな感覚。

 

「――ふむ」

 

 口を開いたのは、今度は向こうから

 何かを考えこむように腕を組みながら、男は軽く息をもらした。

 そして――

 

「さて、どうするか」

 

 独り言のように呟かれたその言葉には、少しの重苦しさも感じられない。

 この邂逅の奇跡を――そんなものを感じていないかのように軽く呟かれる。

 何の衒いもなく。少しの敵意もなく。

 隙だらけの様子で、目を瞑り――しばらくしてから、近くにあった両手で抱えるほどの岩を指差した。

 そして、こちらにゆっくりと顔を向けて、一言、こういった。

 

「とりあえず、座って話しますか」

 

 

随分と、気軽な言葉だった。

 

 

 

 

________________________________________

 

 

 

 

「■■さん」

 

 口にした言葉は、ひどく遠い言葉だった。

 

 とっくの昔に置いてきてしまった言葉。

 懐かしい……そういうには、あまりにも、遠くなり過ぎてしまった名前。

 

「こんなところで会うとは、思っても見なかった」

 

 有り得るはずがないと思っていたもの。

 永遠の時間にすら存在しないと思っていた。

 

 それは、自らの過去と対面したような、そんな不思議な感覚。

 

――まるで……。

 

 普通の人間にでもなった気分だ。

 いつもの調子を忘れて、そんなことを考えてしまう。

 それくらいの久方振り――遠い昔にぶつかってしまった大きな驚き。

 忘れていたようなその感覚に。

 少しだけ――。

 

「……」

 

 風が止み、木の葉の擦れる音が消える。

 残るのは、夜空に浮かぶ星と月、そして、ほの明るく輝く牛と車。

 

 郷愁。

 その静けさに名をつけるなら、そう呼ぶのだろうか。

 少なくとも、自らにとってはそうだった。

 

 遠い・・・…過去に呑まれた時間。

 

「――あなたは」

 

 口を開いたのは、向こうが先。

 声こそ落ち着いていたが、言葉を探しながら話すその様子に、まだ混乱が治まっていないということが容易に理解できた。

 それは、昔の記憶では見られなかった光景で、妙な感慨を覚えてしまう。

 

「あなたは、生きていたの?」

 

――あの時間から、ずっと。

 

 そう聞こえた気がする。

 実際、本当に聞きたかったことはそれなのだろう。

 

 ずっと生きていたのか。

 この世界で、この場所で、たった一人で――言外には、そんな想いが込められている。

 

「――」

 

 その問いへの答えは――決まっている。

 はいか、いいえかの二択の、どちらよりかといえば。

 

「――生きていた」

 

 ぎりぎりの処で。その境目で。

 何かが消えてしまいそうな中で――それなりに生きていた。

 

 全てを喪ったこの場所で。総てを失くしたこの場所で。

 少なくとも――

 

「今、こうして五体満足には――生きていましたよ」

 

 微かに残った自分を持って。

 僅かな、幻のような人間らしさを抱いて。

 

 それでも――

 

「随分と、長生きしたもんです」

 

 

 そういってしまえる老人程度には、生きている。

 まだまだ、惚けていないはずだ。

 

 

―――

 

 

 

 それから。

 

 

「へええ、そんなことが・・・」

 

 月明かりに照らされた下、手ごろな岩を腰掛にして、さして雅もない話しをしていた。

 星空の下、月明りが灯り、隣には、ぼんやりと輝く牛車。

 そんな中で話す、男と女。

 

 人が聞けば、邪推しても仕方がないようなそんな雰囲気の中、話題に上がるのは、ただの日常の話。なんの赴きもない日常譚。

 

ただし――

 

「変わらないですねぇ。月の都ってのも」

「顔ぶれが変わらないもの。さして、大きな変化はないわ」

 

 交わされるのは、空に浮かぶ対の一つ――届かぬ月のこと。

 諸人には通じぬ話題。

 

「そりゃ、退屈もするでしょう。姫さんの気持ちもわかりますよ」

「月にとっては一大事だったのだけれどね」

 

 不可思議な会話。

 けれど、ある意味自分たちにとってはその方が正しく――普通なはずのもの。

 交わされるのは、数万、億振りの世間話。

 

「まあ、それじゃあ、完成はしたんですね」

「ええ、やっと完成品が」

 

 永遠の中でこそ、交わされる会話。

 隔てた時の継ぎ合わせ。

 

――懐かしい、のかね・・・…?

 

 そんな会話を続ける中、胸中に渦巻くのは微かな違和感。

 まるで、物語を読んでいるかのような、実感の伴わない世界を聞いているだけの感覚。

 それは、今までの――仮宿と同じ。置いてきた名前たちを話すのと等しげな。

 いや、それ以上に過ぎて、終わっているもの。

 

――ああ、そうか。

 

 響く言葉は理解できても、その内側へは響かない。

 僅かな郷愁はあれど、望郷の念はない。

 

――とっくの昔に、失くしてたってことか。

 

 それは、何度も繰り返してきた記憶と同じ。

 過去の先祖に手を合わせるのと同じこと。

 

――あの(・・)時に……。

 

 その場所は“仮のもの”に過ぎず。

 愛着も親愛も廃れきっている。

 思い浮かぶのは、ただの過去のことだというだけ。

 

――もう、帰る場所ではなくなった。

 

 想い出ではない記憶。

 もはや、故郷ではないということ。

 

 

「……」

 

 辿りついた結論は、至極納得いくものだった。

 

 数千、数万と時を重ね、億をも越える時間が過ぎる中。

 それすらも、ただ“通り過ぎた場所”の一つでしかなくなっていた。

 そういうことらしい。

 

――考えてみりゃあ……。

 

 あそこにはもう、帰りたいと思う理由もなくなっている。

 もう、あの時の時点で。

 

 それを想おうとして浮かぶのは、最後の光景―――終わりの瞬間。そこで、帰る理由はなくなっている。

 待っていても誰も帰ってはこない。

 

「――ふぅ」

 

 改めて実感する時の流れ――その重さに何故か笑みがこぼれる。

 案外、それを意識するのは、こういうときなのかもしれない、と。

 やっと、昔のことだと実感するのだ。

 どうやら、そういうものであるらしい。

 

「どうかしたの?」

 

 不自然に浮かべた笑みに、疑問の声を上げる旧知の女性。

 似て非なる時を生きる薬師。

 昔の知り合い。世話にもなったし、ある意味では貸しもある。

 恨み辛みも、それなりに背負わされていて――しかし、それも、昔の話となってしまった。

 だから――

 

「いやいや、なんでもありませんよ」

 ただの思い出し笑いです、と笑って返す。 

 そう、と小さく返す彼女に、何をするでもない。

 

 眺める月は、相も変わらず遠いままで。

 すっかり、遠くなってしまったままで、手を伸ばす気にはなれないものだ。

 眺めて愉しむもの。

 今はそういう今である。

 昔と今の自分は、続いてはいても同じではなくなっている。

 

「それよりも――」

 

 先のことを、今の自分として考える。

 今の己を演じてみせる。

 

――そういうことにしておいて……。

 

 続きの話。

 

「その状態で、これからどうするんです?」

 

 互いの事情を理解し、それに納得したところで、その話題を切り出した。

 向こうもこちらも、無駄に争う意味もない――偶然、死にかけただけ。

 そんなことには慣れている。

 

「――身を隠すわ。姫様の能力を使えば、それも可能なはず」

「能力?」

 

 力を持っている。

 先ほど見かけた少女にそれほどの力があるようには思えなかったが――見た目で人が判断いかぬということは当然のこと。

 この月の賢者が信頼するほどなのだ。

 どんなものかは判らないが、それならば――

 

「そう、私の能力を使う」

 

 そこまで話したところで、後ろから声が響いた。

 響くように涼やかな声。

 

「あら、お目覚めね」

 

 長い着物のすれる音。

 その音の方向に振り向くと、そこに立つのは――優麗さを体現したかのような柔らかき美しさを持つ少女。

 

――なるほど、あの噂は本当だったか。

 

 竹の中より産まれし少女、その美しさはこの世のものとは思えないほど。見惚れた五人の貴族が無理難題に身を崩し、天の長が我を失うほどに入れ込んだ。

 はるか都まで伝わり、この片田舎まで伝わる噂。

 

「私の能力を使えば、月の追っ手からも見つからない」

 

 なよたけのかぐや姫。

 高尚なる美しさは、確かに、この世ならざる美麗さを誇っている。

 まるで、別世界の――別種としての美しさをもつかのような、そんな姿でそこにいる。

 

 その姿を前にして――

 

「立ち聞きってのは品が良くないですよ。竹取の姫さまよ」

「聞こえてしまったの。仕方がないじゃない」

 

 放った言葉に、なんの悪びれた様子もなく返す姫。

 そのまま、手ごろな岩を見つけてそこに座りこむ。

 

 どうにも、見た目どおりの箱入り娘というだけではないらしい。

 

「そのための場所を探していたところなの。ねえ、永琳」

 そういって、優雅に従者を指し示す様。

 

 そうしながらこちらを見つめているのは、都で有象無象の貴族を相手にしてきた慧眼か。

 このみすぼらしい男は一体何者なのかと探るように視線が送られる。

 

「永琳……?」

「こちらでの名よ」

 地上の人間に、私の名前は理解できないようだから、との補足。

 なるほど、と軽く頷いた。

 

 そうして――

 

――さてさて……。

 

 妙なことに巻き込まれるのはいつものことながら、ここまで遠い邂逅を果たしたことはない。

 出会ったというより、もはや行き会ったとでも行くべきもの珍しい気分。

 

――どうなることやら。

 

 ずっと変わらない月の下で、少しだけ変わった時を見た。

 退屈な永遠の中で、そんなものと出会うのは、本当に稀なこと。

 本当に稀で――とても面白いものだ。

 

 

 

 そんなことを

 今更ながらに――深く実感した。

 

 

 

 

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「姫様の力なら、あちら側に発見されない――発見されたとしても手出しができないような結界を張ることが出来る」

 

 当てもなく空を彷徨っていた理由。

 わざわざ、人気のない夜を飛び回っていた訳を説明する。

 誰を警戒していたのかを――

 

「そのためにはまず、大きな力を使っても、それとわからない場所を探さないといけないのよ」

 その力の源である姫が、後を引き継いで補足を加えた。

 「ふむ」と小さく頷いて男は理解を示す。

 

――そう。

 

 私たちはその場所を探さなければならないのだ。

 確かに、姫の力を使えば、余程のことがない限り、それが露見することのない結界を創ることが出来る。けれど、そのためには大きな力――多面から見れば、いかにも怪しげなほどの力を使わねばならない。

 そうなれば、いくら強固な結界を張ろうとも――

 

「――結界を張るための力によって、居場所がばれる、と。そういうことですか」

「理解が早いわね。正解よ」

 

 説明の手間が省けて嬉しいのか、輝夜が微笑みながら答える。

 なんだか妙に愉しそうである。

 もしかしたら、私以外に話す相手も負わず退屈していたのかもしれない。

 

「足取りをかく乱することぐらいはできるのだけど」

 流石に、一箇所に留まっている間わね。

 

 苦悩を滲ませた言葉に、男は納得がいったというふうに頷いている。

 目を細め、何かを思い出すようにして――

 

「それで、永琳。場所は見つかったの?」

「――まだ、ね」

 

 輝夜が上げた疑問に、暗い調子で返した。

 月の者たちにすら通じる結界―――それほどのものを拵えるには、余程の大きな力を使わなければならない。そしてそれが、紛れてしまうほどの力を秘めた土地となると――滅多なことでは見つからないだろう。

 元々そんな力を持つ土地というのも知ってはいるが、そういうものは予め管理されているものの方が多く。月の者達にも知られているものばかり。

 目立たず隠れてというには難しい。

 実質、動き回って情報を探していくしかないのだ。

 

 「そう……」

 

 気落ちしたように呟く輝夜の顔には精彩がない。

 元々、家からあまり出たがらない性質の人間だ。

 長期間の野外生活に、肉体的には大丈夫でも、精神的に疲れが溜まってきているのかもしれない。

 

――早く見つけないと……

 

 そんな焦燥感がこみ上げる。

 そこに――

 

「――それは」

 

 何かを考え込むように、腕を組んでいた男。

 それが、ぼそりと呟くように言葉を発した。

 

「例えば、龍脈――土地自体に力が集まりやすい場所。力を惹きやすい場所ってことでいいんですかね?」

「――ええ、かなりの規模は必要になるけれど、そういう強い力を秘めた場所なら大丈夫」

 

 答えた私に「ふむ」と何かを思い起こすかのように顎に手を当てる男。

 こちらの様子を探るようにして、低い声で問う。

 

「そこに暮らす住人には、何の影響も?」

「隠れる場所さえあれば、その者達が近づかないような結界も張ることができるわ」

 

 

 「よし」と軽い声を上げ、男は膝を叩いて立ち上がる。

 

 そして、こちらから少し離れ、ぶつぶつと何か呟きながら空を見上げた。

 どうやら、月や星の位置を見て、方向を測っているらしい。

 

「――ふむ、ここからなら向こうの方角か。距離は……」

 

 

 そう呟いて、ある一点の方向を指差した。

 

「ここから真っ直ぐ―――まあ、歩けば半……月といった処に、変わった土地がある」

 

 指し示された方向にあるのは、険しい山々。

 空を行っても、随分と大回りになってしまいそうな方角。

 

「人間と――妖怪もいるはずですが、まあ、上手く位置を調整すれば、隠れる場所くらいあるだろう、多分」

 そこなら大丈夫ですよ、そういって男は振り向いた。 

 にこりと、緩い笑みを浮かべていて――少々、胡散臭い。

 

「あら、そんな場所、噂にも聞いた事もないけど?」

「化け物連中が多くてね。あんまり危ないから人には知られてないんでしょう」

 

 輝夜の問いに男は笑って答える。

 「危ないから、覚悟はしてくことですね」と言外に込めて。

 

――……。

 

 歩いて半月ほどの距離。目立たぬようにではあるが、最高速で飛ばしたとして大体二、三日ほどだろうか 男が話した距離を自分たちの速度に換算する。

 

――それくらいなら、それほど手間もかからない。

 

 それに、何より今は――

 

「老人の記憶は当てになりませんがね。手がかり無しに探すより、よっぽど楽でしょう?」

 

 手がかりがない。

 そんなこちらの思考を読むように呟かれた言葉に、思わず男の顔を見ると、男はにやにやと胡散臭げに笑っている。

 

「なんだか、信用しづらいわね」

「嘘は――ついてませんよ」

 

 疑わしげに目を細めた輝夜に対して、男はそのままの表情で答えた。

 からからと、緩く笑いながら。

 

「――ま、参考程度に聞いといてください」

 

 そういって、元に位置に座りなおす。

 眠たそうに欠伸をしながら話すその姿は、ほとんど信頼できるようなものではない。どちらかというと、信用ならない類のもの。

 胡散臭く、底意地の悪そうな老人の――。

 

「――そうね」

 

 それでも、長く生きた知識ある人間言葉。

 

――手がかりも何もないのだから。

 

「行きましょうか。姫様」

「え、信じるの? 永琳……」

 

 あっさりと男の話に乗った私に、輝夜が不思議そうに声を上げる。

 確かに、いつもの自分ならもう少し情報を得てから動くだろう。

 

 けれど。

 

「――たまには、騙されてみるのもいいでしょう?」

 微笑みながらいった言葉に、信じられないと驚いた様子を見せる輝夜――自分でも、なんだかおかしな気分ではあるのだ。

 なんとなくそうしてみたい、そんな気分になってしまっている。

 その源泉となるのは、やはり、この邂逅。

 

「おや、信用してくれるんですか?」

 慇懃無礼に微笑む男に。

「ええ、折角の縁なのだもの」

 自然と浮かんだ笑みで返す。

 

 輝夜は、その様子を不思議そうに眺め――それから、何故か微笑んだ。

 何かに安心したように。何かに納得したように。

 

 それを疑問に思ったが、それは後で聞けばいいこと。

 それよりも――

 

「それじゃあ、また、縁があれば■■―――いや、八意永琳殿、か」

「ええ、また」

 

 それは、ここにいると決めた名前(あかし)

 そう、きっとここ(・・)にいれば、また会うこととなる。

 

――今度は、ゆっくりと話してみたい。

 

 いつになるかはわからない。

 けれど――

 

――私達の時間は……無限に等しいもの。

 

 永遠に続く時の中。永遠に浮かぶ月の下。

 決して終わりはない。

 

 ならば、急ぐこともない。

 

 

 

 

________________________________________

 

 

 

 

 

 

 

「で、結局、あの男は誰だったの」

 

 光り輝く牛の車に乗り、空を駆ける中。

 先程から浮かんでいた疑問をぶつけることとした。

 

「あら、聞いていたんでしょう?」

「あれだけじゃよくわからないわよ」

 

 断片的に交わされていた会話からは、二人が昔馴染みだということは理解できても、男が何者なのかということはわからなかった。

 ただ、この月の頭脳と対等に会話しているという時点で、何かしらの秘密を秘めているということだけは推測できたが――それも曖昧なものである。

 

「教えなさい。永琳――彼は何者なの?」

 

 そんな疑問に、答えを探すように遠くを見る従者。

 その様子は何かを誤魔化そうとする、そんなものではなく。ただ、わからないのだといった表情。何でも知っているような彼女には、とても珍しい姿で――長い付き合いである自分にとっても、ほとんど見たことのないものだった。

 

 そんな状態の従者に、ますます疑念がわく。

 あれは一体何なのか。

 

「――切っ掛け、かしらね」

 

 しばらくして、囁くように呟かれた答え。

 それもまた、理解しづらい曖昧なもの。

 

「え?」

 思わず聞き返したこちらに、彼女も己の考えを整理するようにぽつぽつと呟く。

 それも、私の知らない表情で。

 

「最初の――可能性というものを知った、初めの切っ掛けといったところ、なのかしら」

 

 曖昧に答える。

 自分でも答えを持っていない。

 わからない表情で、彼女は答えを探す。

 

――わけがわからない。

 

 そう思った。

 人の問いに、わざとでもなくそう答えているのは、彼女らしくない。

 今まで一度も――

 

「――そういえば、輝夜。あなた、彼に何か渡していたみたいだけど……あれは?」

「ああ、なんでもないの」

 道案内の褒美よ、尋ねられた疑問に用意しておいた言葉を返す。

 

 そう、お礼なのだ。

 

「珍しいものを見せてもらったものね」

「――?」

 

 ぼそりと零した呟きに、私の大切な従者は不思議そうな顔をする。

 何でもないと答えると、怪訝に首を傾げてから、「まあ、いいわ」といって、探索の続きを始めた。

 

――本当に珍しい。

 

 妙に表情の豊かなその様子を眺めながら思う。

 

――こんなに迷っている永琳は初めてだわ。

 

 いつものようにみえて、なぜだか調子を崩している様子の従者――長年の友人。

 それを見て思う。

 なぜだか、嬉しい――と。

 

「……」

 

 ずっと見てきたものの新しい部分を知ったからなのか。

 この友人が、何だか、少し楽しそうに見えたからなのか。

 それはわからない。

 

 けれど

 

「よかった」

 

 ぽつりとこぼした言葉。

 それは心が安じたからこそいえたもの。

 

――地上(ここ)にきて良かった。

 

 

 あらためて、そう思えた。

 

 思えたことに、私は安心した。

 

 





 
 改訂の上での視点の修正。
 色々とやってみてはいますが、やはりおかしくなってしまっているような気もします。もうちょっと時間を書けたほうがいいのかもしれません。

 読了ありがとうございました。

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