東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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旧題:怖いながらも


通りゃんせ

 独りで行くのは怖くない。

 失うものがないから。

 

 けれど

 

 独りで帰るのは少し怖い。

 そこに何があるかを知っている。

 そこに何がないのかを知っている。

 

 失くすことができるのだから。

 

 

 新しいもの。古いもの。

 未来。過去。

 

 進むなら、先を知らないのは当たり前のことだ。

 

 帰ることは、何が変わってしまったのかを知ることになる。

 何をしてしまったのかを見てしまうことになる。

 

 

 だからこそ、怖いのだ。

 己が――

 

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 最後の一撃を食らい、上空に浮かんでいた影の片割れが落ちていく。

 

 

 見下ろす神と落ちていく神。

 それは、ある意味では象徴的な光景。

 栄華を誇っていた王が落ち、新たな王が立つ。

 神としての格付けがそこで決まる。

 

「――惜しかった、ってところか」

 

 作り出していた術式。

 結界として込めていた力を解きながら、その情景を眺めた。

 

 最後の最後の、相手の虚をついた一撃。

 それは、避けられるはず(・・)のない攻撃であった。

 確かに届いて、全てを逆転させるのに十分なものであるはずのものだった。 

 それだけの力が込められていたものだと、理解できた。

 けれど――

 

「運が――巡り会わせが悪かった、かな」

 

 神器。神に捧げられた神聖な器。

 人が作り出した物でありながら、神の祝福を受け、その一部として力を顕す存在へと至ったもの。確かにそれは、相手を仕留め、その存在へと届きうる十分な資格を持っていたに違いない。そのための布石も十分に出来ていた。

 ただ、悪いところがあったのだとすれば、それが、この国に伝わって日が浅い最先端の技術によるものであったということであろうか。その力が、“鉄”という新たな存在で造られた力であったから。

 あれがもし、(・・)の輪でさえなければ、結果は変わっていた可能性もある。

 

――先端の、渡来した(・・・・)技術よって担われたもの。

 

 つまり、それは伝えられたもの。この国では最新ではあっても、それを伝えた大陸の歴史の中でおいては、昔から知られていたものであったということだ。こちらよりも、ずっと古くから研鑽研磨を重ね、研究を重ねてきた時間が別の場所にはあった。技術として練り上げられてきた度合いが、練度の違う経験があったのだ。

 いくら努力を重ねようと、その差が僅かな間に埋まるものではない。それは知恵ではなく知識の差であり、それと関わった密度の差でもある。

 

――いくら力を込めようと、その骨子は知らない……知る暇がなかった。

 

 相手は大和の神。

 伝わり伝え、先の技術を遣したもの。そこに座する者達が信仰する存在。

 ならば、その扱いには一日の長がある。

 

「せめて、時間があれば……それを知るため歴史があれば」

 

 その結果は違っていたのかもしれない。

 けれど、勝負は時の運。それを選んだのは自分、信じたのは己。一番良いと思う方法を選んで――負けた。この巡り会わせが百年後ならば、また別の場所でのことであったなら、全く逆の立場であったなら、様々に違う道筋があったのだろう。

 けれど、後悔も反省もあれども、結果は覆らない。

 これが、今回の結果である。

 

――負けは負け。

 

 不運だろうと、偶然だろうと、それを語り継ぐのは勝者。歴史を語る権利は勝った者にある。

 信仰を、畏怖を力と変える神にとって、それは致命的なこと。

 敗れたものよりも勝ったもの。

 より強大なものに靡くのが人の性。

 

――まあ、それでも割り切れないのも人間ってものでもあるが……。

 

 強さに憧れながら、弱さに拘るのも人間というもの。変わるということを恐れるもの、取り残されるものは必ず存在する。

 大多数のものは新たな流れに乗って、今までのことなどほとんど忘れてしまうものだろうが、そこに残されたものは違うのだ。ずっと、川底に張り付いた古き石のように、苔むして、もうその場から動くことは出来ない。流れに丸くなっていく他の石を、通り過ぎていく魚を眺めているのみで、己の変化は、既に終わってしまっている。

 

「……」

 

 特に年寄りや何かは、その腰が重い。

 今まで積み重ねてきた時間を忘れられず、縛り付ける記憶を流し落とすことも出来ずに、ただただ呆然と取り残される。

 

――昔を忘れるというのは案外、難しい。

 

 幸福であれ、恐怖であれ、それは深く刻まれている。己を形作る――作ってきた年輪として記憶は刻まれている。ある意味、新たなものを得たからこそに、その対比として強く残ることになるのだろう。

 昔と違う。今までとは違う。そういうものは、それだけでも十分な苦痛ともなりえるのだ。

 新たなことを始めるたびに、どうしても昔と今の自分を比べてみる事になるのだから。

 

「――はてさて」

 あの神さまはそれを一体どうするのか。

 

 諏訪の神が落ちた方へと飛んでいく大和の神。

 その姿を視界に納めながらそんなことを想う。

 おそらく、力――その信仰の岐路を決めるための何かをあそこで行うつもりなのだろう。最後の締めを行うのだろう。

 

 つまりは――

 

「――相変わらず、間の悪いときに居合わせるもんだ」

 ただ、様子を見るだけ、ただ、観光のために訪れた。

 そのはずだった。けれど、それはその前日に、ほんの少しだけその目的は色を含み、他生の縁が生まれてしまったのだ。そして、そのために今回の件に巻き込まれたともいえる。

 だからこそ、白蛇の案内に脱兎のごとく逃げ出さず、そこまで付いていくことにしたのだから。

 

「ほんとに……」

 何か悪いことをしただろうかと、一人ごちる。

 

 間の悪いにも程があるというものだ。

 罰の当たるようなことに思い当たる節は――それなりにあるが。

 しかし、これだけ長く生きていて心当たるのは、ほんの数ひゃ……千程度だ。きっと、十分に許容範囲といえるところだろう。

 そもそも、そういうことに巻き込まれるからこそ、そんな日常を繰り返しているのだ。己に非があることなど、そのほんの数割程度でしかない。それも、ちゃんと跡を濁さぬ程度に掃除して、証拠の限りを潰してから逃げているし、足がつくことなどないはずだ。よっぽどのことがなければ、それらが追いかけてくることはない。

 そのはずなのに。

 

「はあ……」

 

 巻き込まれている。

 その事実に肩が落ちる。ついでに、中途半端に掘り起こした過去の事件の数々に気も重くなってしまった。いやなことはさっさと忘れてしまいたいものである。

 

――まあ、そのためにも……今を懸命に身体を動かしますか。

 

 嘆息一つ。

 それから、伸びを。

 

「まったく――」

 面倒事に巻き込まれたものだ。

 そう呟いて空笑う。

 

――神さま相手に連続でお話とは、随分しんどいもんだが……。

 

 地面に放り出していた荷を肩にしっかりと結びつけた。ついでに、すっかり襤褸となってしまった袖を適当に結びつけ、不恰好ながらも動きやすい服装に変えておく。

 そして――

 

「頼まれごともあることですし、ね」

 

 理由を立てて奮い立たせる。

 及び腰を叱咤する。

 

 そうして動く。

 神話の裏へ――

 

――まあ、それに……。

 

 

 折角の友人をただ見捨てるほど、人間(・・)を捨ててもいない。

 柄にもないが、年寄りのおせっかい含みの理屈もある、というものである。

 

 

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 ぎりぎりのところだった。

 気を失い、地に落ちた神を見下ろしながらそう思った。

 

――もしあれが、()の武器でなければ、倒れていたのは私の方だったかもしれない。

 

 眼前にまで迫っていた鉄の刃を思い起こす。

 それは、寸前のことだった。

 咄嗟に発した力―――植物の力によって赤く錆びつき、落ちていった鉄の輪。もし、その鉄の知識、その概念を知らなければ――負けていたのは己のほうだったかもしれない。

 それほどに、追い詰められた。

 

――けれど……。

 

 そうはいっても、勝ったのは自分。

 古の土着神が負け、新たな大和の神が立ったのである。

 そのことに間違いはない。

 

 己は、勝ったのだ。

 

「ふう……」

 

 息を吐く。

 

 何はともあれ、これで自らの存在を確立させることができるのである。

 ここに訪れた目的のほとんどは達してしまったといってもいい。

 

――あとは……。

 

 目の前に倒れた神。

 その力を奪い取るだけである。

 

「…………」

 

 正直、あまり気は進まない。

 自分たちは侵略者であり―――今ある平和を乱しにきた側の者なのである。

 いわば、盗人で略奪者。

 

――それでも……。

 

 これが神というものであり――信仰を得るということなのだ。新たな為政者として認められ、その存在を示すためにも、代替わりを公言せねばならない。

 今、この強き神を下し、私は新たな強き神となったのだ。

 それだけでも、私は崇められる神となった。

 

――あと、もう一つ。

 

 今度は――

 

「恐れられる神にならなければならない――ってところですか」

 

 その身体に手が届く、そこまで近づいたところで声がした。

 

「強きものとして認められ、崇められる理由を得た。今度は、それを崇めなければならないという理由をつくらなければならない」

 

 後ろ。

 先程越えてきた湖側から響く低い声。

 

「望み、願う。それと同時に、恐れ、怖がり――畏怖する」

 

 今の今まで感じすらできなかった気配。

 通常の人間としての気配すら殺しきっていた存在。

 

「それが神を崇めるということであり、信仰するということに繋がる」

 

 静かに、呟くように発せられた声は、不思議とよく聞こえた。

 

「だから、それを示す――そんな感じ、ですかね」

 

 疲れたように――まるで、面倒事にも巻き込まれたのだというように、やる気なく締めくくられた声。

 そこに立っていたのは、ボロボロの格好をした人間。

 何の変哲もないただの人間の男。

 

「――まあ、正しいっちゃ正しい方法ですが」

 

 纏わりついた砂を落とすように、軽く裾を払いながら、こちらを見据えるその姿。

 多少の汚れはそれで消えたが、すでにボロボロとなった着衣のせいで、ほとんど変わったようには見えない。随分と、みすぼらしいままの姿で――真っ直ぐにこちらを見据える。

 

「何者だ――」

 

 よくわからない。

 けれど、多少の警戒を抱きながら睨みつける。

 普通の人間なら威圧されるようなその睨みに――まったく怯んだ様子も見せないままに、男はゆるりと答えた。

 

 

「何の変哲もない人間ですよ―――ただ、長生きしてきただけのね」

 

 

 にこりと笑う。

 その顔に、余計に意味がわからなくなった。

 

 

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 カサカサと木の葉が音を立て、風が通り抜ける。

 後ろからは湖が波立ち、空気を飲み込む音がする。

 先程の戦によって荒れていた波もどうやら治まってきたらしい。

 多少の余韻はあれど、ほとんど今朝と変わらない静けさが戻ってきている。

 

 そんな関係ないことを考えながら、こちらを観察する大和の神を見つめる。

 

――赤い衣装に青の髪……諏訪の神さまよりも背は高い、と。

 

 神といってもやはり、一人一人……一柱一柱違うものだな、とそんなことを思う。

 どちらかというと少女に近い諏訪の神と、大人の女性といった様子の大和の神。

 これは神としての性質の違いからくるのだろうか。それとも、その性格がその姿に影響を与えているのか――。

 

「――ただの人間が、何の用だ?」

 身を竦ませるような睨みを聞かせた声。

 冗談ではすまない神の攻撃的な威厳。

 

――とっとと……。

 

 なんともなしに続けていていた思考を急いで止めた。

 そんな馬鹿なことを考えている時ではない。

 機嫌を損ねれば粉微塵、命がけの会話である。

 

「いえ、まあ――そちらの神さんに少し縁がありましてね」

 どうする気なのか。

 

 そう言いながら、気を失っている様子の諏訪の神へと視線を向ける。

 気絶してしまって少々小さく見えるその倒れ付した姿。かなりの力を消費し、傷を負ってはいるが、その存在に支障が出るほどではないようだ。しばらくの時間をかけて療養すれば、それなりには回復するだろう。

 戦いに負けた――それがまだまだ知られていないということもあるが、それは、その信仰は簡単に人々の心から剥がれるものではないということを示しているのだろう。根強く、深くこの地に根を張っている、ということだ。

 

「――ただの人間と神が。どうやって縁を結ぶと」

 訝しげな視線が、こちらと後ろ往復して、疑わし気に放たれる声。

 

 確かに、余程のことがなければ、関係者以外の者がその土地を治める神と直接的に関係を持つということはないだろう。

 まして、今の自分の襤褸姿を見れば、たとえそれがおかしくないことだったとしても疑ってしまうほどだ。

 そこらを歩く間抜けな浮浪者にしかみえない――いや、そう遠くはないような気もするが。

 

――まあ、それは置いといて……。

 

 とりあえずは、話を繋ぐこと。

 そのために――

 

「――色々と妙縁重なりまして」

 ただの偶然ですよ、と笑って返す。

 返されるのは信用がならないという表情。

 

 そういっている自分であってもおかしく感じているのだから仕方がない。何とも傷つく限りであるが――そんなに胡散臭いのだろうか。

 もう少し身なりに気を使うべきだろうか。

 

「――まあ、証明する方法はありませんし」

 少々悩みを抱えながらも、視線を向ける。

 

 これ以上、証明ができない話を続ける意味も無い。

 

「それよりも――」

 

 先に聴くべきことがある。 

 聞きたいことがあって、ここに来たのだから。

 

――確認すべきこと。

 

 知らなければならないことは、ただ一つ。

 一つ頼まれた約束事。

 

「――そちらさんをどうするつもりでしょうか?」

「…………」

 

 すっと伸ばした指の先にいるのは、気絶した神の姿。

 その前に立つ威厳溢れる軍神はそれをじろりと睨みつける。

 

 まるで、その行為が失礼だとでもいうように。

 

「――ああ、すいません。お名前を聞きそびれていたもので」

 

 指を下げ、深々と頭を下げる。

 首を差し出し、気に入らなければ、裁いてくれとでもいうように。

 

「……」

 

 黙り込んだままの神は、そのままじっとこちらを見据える。

 見透かそうと、何の魂胆があるのだと見抜こうとするように。

 

 そして――力を込めて片手を上げて。

 

「――逃げないのか?」

「逃げても、一緒でしょう?」

 

 問われた問いに。

 返した言葉。

 

 ぶるんと風が吹き抜けて――何かの重さが消える。

 吐き出されるのは、呆れたような息。

 

「おかしな人間ねぇ」

 

 力の抜けた声に、下ろされた手。

「顔をあげなさい」という言葉に甘え、ゆっくりと頭を上げる。

 そして――

 

「――で、どうなんでしょう?」

「――強情ね」

 

 再びの言葉に、呆れてしまった笑み。

 それにゆるりと笑み返す。

 

 そして――

 

「あなたのいった通り、力を奪い取って消えてもらうことになる」

 

 低く、呟かれた言葉。

 

「――まあ、そうでしょうね」

 

 その答えは、予想通りのもの。

 

 己の恐怖を示すための『見せしめ』としての処理。

 それは、正しく神の行いであり――勝者の行い。強さの証明し、逆らったものに対する制裁という恐怖を示す。

 それは、決して間違ったことではない。

 

「神話――歴史ってのはそういうもの、か」

 

 敗者が力を失い、その利益と恐怖を失くすからこそ、信仰は失われる。そして、その積み上げた力の歴史は、そのまま新たな勝者に奪われる。

 そのための、下地作り。

 

「そう。そしてこれは、神同士の決め事みたいなもの。この国の神として、この子にもその覚悟はあったはずよ」

「神としての覚悟、ね」

 

 確かに、神さまとはそんな存在だ。

 力あるものがその頂点に立ち、力がなければ取って代られる。それが、戦神――人間と密接に関わるものならばなおのこと。諏訪の神は力を持ち――その頂きに君臨したのだ。

 得たからこそ、それを奪われる覚悟も持たなければならない。

 それが、力あるものの宿命。

 あるべき形の決まり事。

 

 今まで、山になるほどに見てきたことでもある。

 繰り返し、繰り返しと慣れたこと。

 

 けれど――

 

 

「――あんまり好きじゃない、な」

 そういうのは。

 

 ぽつりと突然呟いた言葉に、相手は怪訝な顔となった。

 警戒、というよりも意味が分からないといった表情。

 そう。この言葉に意味などない。

 分からなくて当然のことだ。

 

――ただのぼやき。

 

 こ自分にとっての好き嫌い。

 己が不味くて、食べたくはないというだけのこと。

 しかし、だからこそ――

 

「――いえね。大和の神さま」

 

 不味いもの。食べたくないものを誤魔化す。

 そのために味付けを考えるのだ。不味いものをどうやって料理するか。年甲斐もない好き嫌いを誤魔化すために随分と手を尽くしたものだ。時間だけは随分とあった分、そういうことには上手くなった。

 気に入らない答えを塗りつぶし、問題すらすり替えて年寄りの我がままを突き通す。切って繋いで話を煙に巻く。

 誰に頼まれたものでもない勝手な行動。

 嫌なことに首を振る子供の駄々のようなもの。

 けれど、足掻かぬよりはずっとまし。遣り残しは夢見に悪い。

 ぐーすかと、気楽に何も考えずに寝られるのが、やはり一番良いことだ。

 だから、そのための努力は欠かせない。

 

「一つ年寄りの戯言を聞いてみませんか?」

 

 ますます意味の分からない表情をする大和の神。

 それをにこりと笑んで、言葉を紡ぐ。

 

「一足す一を、そのまま二にする方法なんてものを、ね」

 

 

 自分勝手な自己満足を口八丁に語りだす。

 騙すなら、世の中ごと――己も一緒に騙してしまえ、と。

 

 襤褸と錦を、一緒くたにしてしまう。

 

 

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「――ううぅ」

 

 温かい風を感じて、暗くなっていた視界に少し光が差し込んだ。

 散り散りになっていた意識が一つとなって、やっと、自らの状態を理解し始める。

 

「むぐっ、ぐっう……」

 

 体中の骨が軋みを上げるような感覚に、思わずうめき声を上げた。

 あまりの重さに、ぶるりと震えて止まる。

 

「体が、だるい」

 

 腕一つ、指一本動かすだけでも多大な精神力を必要とする状態。

 徐々に身体の感覚がはっきりし始めたことで、余計にそれを実感していく。

 

――ええと……何をしてたんだっけ?

 

 身体の疲労と共に朦朧としていた記憶が少しずつ焦点を結び、微かずつにだが、自らがこんな状況に陥った経緯が浮かび上がってくる。

 ゆっくりと、のんびりと、痛みと共に自覚する。

 

――ええと、確か……。

 

 朝一番に妙な人間にちょっかいをかけて――ホントにみょうちくりんな人間で。

 その後、大和の神だとかいう女が現れて――国を寄越せだとかなんとか……。

 

 激しい戦闘。

 明滅する弾幕。

 荒れ狂う雲。

 

 最後の情景は――錆びつき、赤く変色した円形の刃。

 そして、意識の途切れ。

 

――ああ……負けちゃったのか。

 

 その光景――落ちていく自らの神具が思い浮かんだとき、それを理解した。

 己は、負けたのだ。

 

「あーあ……」

 

 折角築き上げた力も――負けてしまえば、そこでおしまい。

 全て奪われて、白紙に戻される。そういう最期。

 

――私の神話も、ここで御終い。

 

 後は、敗者として名を残すだけ。

 威勢の良い負けっぷりを遺して、勝利に花を沿えるだけである。

 

「ふう……」

 

――あっけないもんだね……。

 

 栄華を誇り、力を振るっていたのはつい先程までで、崩れ落ちるのには、ほとんど時間はいらないだろう。ほんの数年も立たないうちに、私の名前も埋もれてしまうこととなる。

 これまで、繰り返されてきたことと同じ。

 己に負けて、忘れられていったものと同じだ。

 

――いつか滅びるもの、か。

 

 永遠に続くと思っていたわけではないけれど、こんなにも簡単に壊れてしまうとは思っていなかった。

 砂で作った造形が、風で解けてしまうような、そんな呆気なさ。

 

――こうして意識を保っていられるのもいつまでだろう。

 

 きっとすぐに、自分は堕ちていく。

 敗者として、落ちぶれた神として、その存在を変えていく。

 今の自分を保てないほどに、八百万の一つにも数えられないほどに。

 下手すれば、そのまま忘れられて―――消えてしまうかもしれない。

 

 その歴史――記憶ごと。

 

――少なくとも、今のままではいられない。

 

 走馬灯のように巡るのは

 神としての日々。

 重ねてきた時間。

 自ら望んだこともあった。 望まずそうなったこともあった。

 それは、いつの間にか築いていた場所。

 けれど、確かな、自分の時間。

 

 それも、消えてしまうのかもしれない。

 

「………」

 

 薄く開いた瞼から差し込む光。

 前髪を揺らす優しい風。

 流れるのは、古代の記憶。そして――

 

――折角、面白いやつも見つけたのになぁ。

 

 つい先程まで、笑いあっていた相手までを思い出す。

 

 変り種のおかしな人間。

 久々に出会った新しいもの。

 

 こんな人間もいるのかと、神と人の関係でしかなかったものへ――新たな興味が生まれた起点。

 

――少し、勿体無いなぁ。

 

 ここで終わりってのは。

 そんな名残惜しさがこみ上げる。

 まだ生き飽きていないのに、と。

 

 けれど、仕方がない。

 今まで自分が下してきたもの達だって、そう思っていたのに違いないのだから。

 だから、仕方ない。

 

――もう怨霊にでもなっちゃおうかなぁ……。

 

 薄い笑いを浮かばて、そんなことを考えたところで――

 

 

「――そろそろ、目を覚ましてくれませんかねぇ」

 

 

 そんな考えを遮るように、気の抜けた声が落ちてきた。

 

「折角の焼き魚が冷めちまいますよ」

 

 間の抜けた、ゆるりとした声。

 丁度、思い返していたものが――そこに。

 

「それとも――ふむ、魚の匂いじゃ目覚ましにはならないか……なら、この大陸からの香辛料を」

「あ……れ? 何で――」

 あんたが、そう続けようとした言葉.

 けれど、目を開ければ飛び込んできた妙な光景によって、それは塞がれる。

 

 

「おや、やっとお目覚めですか」

 諏訪の神さん、と気軽に声を上げたのは、確かに、あの妙な人間だった。

 その隣には焚き火がたかれ、木の棒に刺された魚が置かれている。

 先程から話しているのはそれのことだろう。

 

 そして――その焚き火を挟んだ向こう側にいる問題の存在。

 先程まで自分と戦っていた――

 

――大和の神……?

 

 上手く理解できない光景に、思考が停まる。

 違う意味でぼうっとしてしまう。

 

――え、あれ……?

 

 言葉が出ない。

 それでも。

 

「そっちは……まだ少し時間が要りますね。こっちが焼けてますよ」

「おや、ありがとう」

 

 差し出された焼き魚を受け取る神と「いえいえ」と笑いながら答える人間。

 状況についていけず、ますます混乱が増していく。

 

「にしても、本当に美味しい……何かコツでもあるの?」

「まあ、ここの魚がいいのと、あとは海で採ってきたこの塩がね」

 これがまたいい出来なんです。

 

 美味しそうに焼き魚を頬張る大和の神。

 それに対して受け答えする人間。

 決して呑みこめない違和感に満ちているが、本人達はあくまで普通。

 一体どういう変遷を経てこういう状況に陥ったのか。疑問ばかりがあふれて、言葉が出ない。わけがわからず呆然としてしまう。

 

「さて――」

 

 その元凶。

 ここに居てはおかしい人間。

 

「混乱するのも解りますが、とりあえず、ここに座って飯でも食べませんか?」

 

 人――神をも食ったような悪戯っぽい笑みを浮かべて笑う男。

 大和の神は、少し複雑そうな表情をしているが、こちらに敵意をもっている様子はなく。なんだか、面白そうにこちらを見ている。

 

――ああ、もう。

 

 よくわからない。

 わからないが――

 

「…………」

 

 痛む身体を押して立ち上がり、焚き火を囲むように男の隣へと腰を下した。

 香るのは香ばしい焼ける魚の香り。

 

――どうせこの先は相手次第なんだ。

 

 殺到する混乱を無理やり押し込めて、言葉を発す。

 

「それじゃあ、いただかせてもらうよ」

 

 伊達に長い年月を生きていない。

 こうなりゃ、なりゆきまかせだと開き直る。

 

 そしてそのまま、男が手渡した魚を乱暴に頬張った。

 さくりと、やわらくそれは解れて――

 

――美味しい。

 

 

 そう思った。

 

 

 

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「―――つまり、こういうこと?」

 

 

 残りの魚を食べ尽くし、食後の一服をいれてから、それまでの経緯を多少要約しながら説明する。

 それを聞き、しばらく黙り込んだ後、諏訪の神は確認するように尋ねる。

 

「信仰を少しずつ変化させ、それに大和の神の力を加えていくことで――今ある信仰(・・・・・)を保ったままでその力を取り込む」

「ああ、そのために、信仰の対象が少しずつずれていくように細工をする。社の改名とか、新たな形としての御神体をつくっておくとか……あとは、神としての格付けを何か(・・)で示しておくとか、ね」

 上手くいけば、現在の信仰を保ったままで、土着と大和、両方の信仰を得ることができる。過去から続く伝統ごと、その信仰を呑みこんでしまえるのだ。

 しかも、対面と矜持さえ考えなければ、実際として諏訪の側にもほとんど損がない。実質的な利益としては、新たに大和の力が得られる分、その針は利の方へと傾く。

 

「なるほど、ね」

 

 諏訪の神は、納得したように頷いた。

 

「確かに、こちらとしても益が多い――何より、負けた側のこちらとしては願ったり叶ったりだ……だけど」

 

 そこでふと、その表情が曇った。

 じろりと、訝しげな目を隣に向けて――

 

「――あんたは、それでいいの?」

 

 黙り込んでいた大和の神へと向けた問い。

 それは当然のものだろう。

 今まで語ったのは、全てが上手くいった時の話。

 もし、諏訪の神が反旗を翻せば、人々がやはり過去の伝統から変化できなければ――それが一つでも上手くいかなければ、成り立たないものである。そして、大和の側にとっては、獅子身中の虫を飼うにも等しい行為だ。

 わざわざ、自分達が失脚する可能性を抱え込むこととなる。

 だから、これは都合の良い幻想――絵空事のようなものだ。

 己の描いた絵に描いた美味しそうな餅。

 

――しかし、それでも……。

 

 諏訪の神の真っ直ぐとした視線を受け止めて、大和の神は口を開く。

 

「私としては構わない。ミシャクジに対する人々の畏怖は根強いし、その力も強い。それをそのまま取り込めるのなら、こんな願ってもないことはない。それに――」

 

 その目には、強い光が灯っている。

 新たなものを得るために、どんな苦難も乗り越えていくような強靭な。

 

「この国全体を治める神なら――その程度の困難は望むところよ」

 

 絵の中に住む獣ですら震え上がってしまいそうな強き魂。

 そんな強さが、宿っている。

 

――ああ、こりゃ……こっちも心配だ。

 

 強く、真っ直ぐな強さ。

 折れずに、信じた道を突き進む勇猛さ。

 

――強い……。

 

 その強さは感心すべきものであり、そんな強さを持つからこそ、この神はここまでの力をつけてきたのだろう。事実として感銘を受けるものであり、求心力も十分にある。

 これが、この神の強さであり、力といえるだろう。

 ただ――

 

――これで国を治めるってのは、少し怖くなるな。

 

 治世を保ち、信仰を維持するには、ある程度の知恵と経験、そして周到さを必要とする。

 新たなものを根付かせ、それを広げていくならなおさらのこと。

 

――知性は高い分、土地神として経験を重ねれば何とかなりそうなものだが……。

 

 今現在においては器用さが足りないようにも感じられるのだ。

 いや、力が強すぎるためにある弱さへの不理解なのか。だからこそ、この地に暮らす人々が少しでも外れてしまうことが怖い。

 そうなってしまえば修正が聞かないようなことも――

 

「――っくく…」

 

 そんなことを考えているところで、隣から小さな声が聞こえた。

 漏れ出たような、小さな笑い声。

 

「確かにね。この国を統一するなんて息巻いてるんだ。私くらいの力なんて簡単に操っちゃわないとね」

 

 不適に笑うのは諏訪の神。

 その表情は新しい玩具を見つけたように、楽しげに。

 

――そういう意味でも、得にはなるか。

 

 その表情。違う面での強さ、

 長く、この土地を治めてきた土着神であり、一癖も二癖もあるミシャクジを統制してきた能力を持つ神。その経験は、この国でも有数のもの。その二つが合わされば、確かに、この国全体に及ぶほどの信仰を得ることができるかもしれない。

 もしかすれば、千年以上万年以上の、強き信仰を築けるのかもしれない。

 

「望むところよ」

 

 微笑み返しながら、不遜に返す大和の神。

 互いに勝気な笑いを浮かべながら、力強く手を合わせた。

 これで、契約成立、といったところだろうか。

 対峙する二柱の神――女神を見て思う。

 

――まあ、下手な考えは休むのと同じ。

 

 ここで己が考え込んでいても意味がない。

 選択を出したのは自分であっても、選んだのは若者達。

 

 責任を取らないのが、小ずるい大人というものだ。

 

 

 

 

 

「さてさて、お話もまとまったようで」

 

 そのように話がまとまり、丁度一段落したところで、今まで閉じていた口を開いた。

 すぐ横に置いておいた荷を探り、この間手に入れたとっておきの一品を取り出す。

 

 

「新たな門出を祝って、宴会とでも参りましょうか」

 

 

 

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「ぷはー!」

 

 注がれた杯を一気に傾け、その中身を飲み干した。

 とろりとした液体が喉を通り抜け、内腑が熱くなる感覚がこみ上げる。

 

「――折角の上品なんだ。ゆっくり味わってくださいよ?」

「ああ、ごめんごめん」

 

 ちびちびと器を傾けながら、じっくりとその味を楽しんでいる男。

 そうはいいながらも、こちらの空いた器へと新たな酒と注いでくれている。

 

「にしても、本当においしいわね。このお酒」

 

 注がれた酒―――男がその荷から取り出した一品は、神である自分にとっても飲んだことのないようなすっきりとした味わいで、呑むたびに、身体に力が戻ってくるような、滋養のような効果も感じられる。

 

「まあ、秘伝の薬草酒ですからね」

 熟成させた十年物ですよ、と自慢げに酒の器を揺らしながら答える男。

 

「十年……? よく腐っちゃわないわね」

 少し驚いたように八坂の神が声をあげ、自分の器に注がれた液体を不思議そうに眺めた。

 

「保存状態さえしっかり管理すればね。長年の成果ですよ」

 まあ、それだけ暇な時間が多かったってことですがねぇ、と笑いながら答える男。

 その様子からは、神への畏敬など全くといっていいほど感じられない。

 そして、神である私達も、それに対してなんの嫌味も感じていない。

 

 お互いに、全くの自然体。

 それでいいのだと、自然とそう思えてしまう雰囲気。

 

 男からは、そんな不思議な感覚を受ける。

 

 

――本当に、妙な状況だ。

 

 ほんの少し前まで、お互いに力をぶつけ合っていた相手。

 侵略する側とされる側。

 

 それが手を取り合って、酒を酌み交す。

 

「杯、空いてますよ?」

「ああ、ありがとう」

 

 それも、こんな人間の男と一緒に

 

「――不思議なもんだねぇ」

「まったくよ」

 

 感慨深く呟いた言葉に、いつの間にか隣に来ていた大和の神が相槌を打った。

 

「――最初は、力なんて奪い取ってしまえばいいと思っていたんだけどね」

 

 それは、本音なのだろう。

 自分がその立場であっても、同じ選択をする。

 そういうもののはず、当たり前のこと。

 

「まったく――神に意見するなんて、生意気な人間もいたものよ」

 その表情は、何処かすっきりしたような――なんとなく楽しげに見えた。

 

 そして――

 

「同感だね」

 自分も同じような顔をしているのだろうと、なんとなく思えた。

 

 知らないものを――新しいものを知らされて、違う可能性を知ってしまった。

 私達の常識が、1人の人間によって煙に撒かれてしまったように曖昧になってしまったのだ。

 

――それが、なんともなしに面白く感じている。

 

 新鮮な感覚であって、悪くもない。

 

「――俺は意見をいっただけですよ」

 話が聞こえていたのか、男が声を発した。

 

「結局のところ、答えを出すのは―――選ぶのは自分次第、こっちは見てて後味の悪くない提案をしただけです」

 ここでの仕事を終わらせるためにも、ね。

 そういって胡散臭く笑う男。

 

「そういえば、何か用事があるっていってたね」

 何だったの、と尋ねると、男は曖昧に笑って返した。

 秘密、ということなのだろう。

 

 なら、それでもいい。

 

「――それでも、一応いっとくよ」

 

 助けられたのは、確かなことだ。

 残してくれたのは、確かなこと。

 

 だから――

 

 

「ありがとう」

 

 

________________________________________

 

 

 

 

「ふぅぅ…」

 

 

 息をついた拍子にずり下がった荷物を背負いなおした。

 西の方に大分傾いてきた太陽の光に照らされて、影が随分と長く伸びている。

 

――失敗したなぁ…

 

 もう半時もしないうちに日は完全に落ちてしまう。

 そうなれば、また夜の道を進むことになるだろう。

 また野宿ということもありえるかもしれない。

 

―――宿を借りておけばよかったと思うのも、これが二度目だ。

 

 自分の情けなさに少しの笑いがこみ上げる。

 

――酒もなくなっちまったしなぁ。

 

 幾分軽くなった荷物、それに、神様に振舞ってしまった秘蔵の酒を思い起こした。

 

 村を出立するときに荷物に詰めてきたものの最後の一つ。

 それが、あれだった。

 眠る時分にちびちび飲みながら楽しんでいたのだが、それも最後。

 少しずつ気温が下がり始めたこの季節に、夜の友がないというのもなかなか辛い話ではある。折角に、命の瀬戸際であっても決して出さぬように誤魔化してきたというのに――いや、実際には荷物の底に沈んで忘れていたのだが。

 あれほど見つけて狂喜乱舞したのだ。やはり勿体無かったかもしれない。

 

 「はあ」ともう一声ため息をつく。

 

「でもまあ……」

 

 こちらの出発を見送りながら笑っていた二柱の神。

 もらった手土産。

 

――恩は返せた、かね。

 

 そんなことを思いながら、ここまで来た道を振り向いた。

 広がるのは大きな湖といくつかの建物。

 

その(・・)ずっと向こうまで広がる森を見据えて呟いた。

 

「――お知り合いの娘さんは、お元気でしたよ」

 

 

 深い深い森の奥。

 その中でも一際大きい、古い大樹へ向けて

 一宿の恩は果たした、と。

 

「重畳重畳、ってことで」

 

 自分に言い聞かせるように、そう呟いて。

 

「――はっ……くしょい!」

 

 砂埃を巻き上げながら吹いた風に思わずくしゃみをした。

 むずむずとする鼻を擦りながら、これから進む方向へと向き直る。

 道は暗くて危なっかしい。未知は相も変わらず面白い。

 

 そう独りごちて――

 

――しまらないなぁ……。

 

 そんな格好の悪い自分を誤魔化して、歩き出す。

 知らない場所に行く道を――。

 

 

 

――帰る場所のない道を。

 

 

 

 空は星降り。

 嵐の後の静けさである、

 

 

________________________________________

 

 

 

 

 二人で歩くのは難しい。

 

 上手くいかなくてすれ違う。

 些細なことで喧嘩する。

 

 食費も二倍、苦労も二倍。

 

 二人いればぶつかって、二人いれば狭くなる。

 必要なものが多くなり、不必要なものも多くなる

 

 口争って、喧嘩して

 たまに笑いあって、また罵り合い

 

 そんなことに夢中になっている間に

 

 いつの間にか、帰り着く。

 

 

 たくさんならば、なおのこと。

 

 




 少々視点を割りすぎました。
 おかげで前の分加えて長く――削ってもよかったのですが、あまり変えすぎては全面的な書き直しになってしまいますので。
 一応早さ重視ということでそのままに。
 どうにも言い訳ですね――どうぞ、ご自由にご批評を。

 読了ありがとうございました。

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