――予想通り、あの二人は自分達の主力をほとんど永安に連れていったな
――ここまでは計画通りというわけか。……報告? なんだ?
――……知らない男が一緒? 構わん、放っておけ。どうせ意味はないんだ。それに邪魔になるのであれば……
――殺せ
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
永安にたどり着いたのは日が沈む少し前だった。宿は厳顔将軍が取ってくれた、ちょっとした高級旅館を使用している。正直そこまでしてもらわなくてもと思い「安宿に泊まりますから」と何度も言ったのだが、どうも面子の問題らしい。
まぁ、路銀を使わずに贅沢できるのならば悪くはない。そう思ったのは、めったに口に出来ない暖かく豪華な食事と酒を腹に納め、久方ぶりの湯浴みを楽しんでから寝所に入るまでの事。
そして今――
「おい、貴様いつまで寝ている! もう朝だぞ!」
「…………いや、もう起きていますし。そもそもなんで貴女が来ているのですか、魏延将軍」
「貴様の世話係を命じられたからだ!」
「一将軍に身の回りの世話をさせるとか庶民である自分の胃がストレスでマッハなんですけど!!?」
「うるさい、良く分からん言葉を使うな!!」
野宿生活の多い旅の癖で日が昇るのとほぼ同時に目を覚ました恭介は、やはり旅の癖ですぐに装備品の確認を始めていた。寝る前の手入れと、起きた後の再確認。これを怠れば、それはそのまま自分の危機へと直結すると、世話になった河賊の娘に耳がタコになるほど聞かされた言葉だ。
部屋の戸がやけに乱暴にノックされたのは、ちょうど確認と、一部手入れのやり直しを終えて一息つく――そんな時だった。
こういう宿にしては随分と乱暴だなと思い警戒しながら戸をあけると、そこには昨日いやというほど見た顔が、仏頂面を見せていた。
―― いや、ほんとになんで?
「とにかく行くぞ! 桔梗様と紫苑様がお前に街を案内しろと言うので仕方なく案内してやる! あ、夜には宴もあるからな!?」
「……俺――いえ、私も出るのですか?」
「うむ、昨晩の非礼を詫びねばならんのでな!」
「…………」
恐らく非礼というのは魏延将軍のあの重い一撃の事だろうし、つまりは自分に非礼を働いたのは目の前にいる魏延将軍に他ならないわけで……
(どうしてそんな自信満々に言ってんのさ)
ものすごく突っ込みたいのだが、同じ仏頂面でも昨日に比べたら少しはマシに見えなくもない将軍の顔を見ているとそれも野暮かと思ってしまう。
加えて言うならば、昨晩までの時点でかなりお世話になっているというのにこれ以上の謝罪を重ねようとする黄忠、厳顔両将軍の姿も不自然だ。
思い当るとすれば――
「魏延将軍、つかぬ事を伺いますが……」
「なんだ!?」
「……ひょっとしてこの益州――いえ、黄忠・厳顔両将軍の下では、人材が不足していらっしゃるのでしょうか?」
「……ふん」
なぜか、こっちが質問をしたときにこれから斬り合いでも始めかねない程警戒をしていた将軍が、それを聞くと同時に妙に自信に満ち溢れた様子でふんぞり返った。
「人手など十分に足りておるわ! この魏文長がいるのだからな!」
――あぁ……。これ、致命的だわ
* * * * * *
(やっぱり、市から商人たちが立ち去った跡が見えるな……。数もかなりのものだ)
恭介が魏延の案内である程度の場所を把握した後、一人で歩き回っていたのは市の中だった。
案内役の魏延も一応は務めを果たそうと色々案内をしてはくれたのだが、恭介が気にかかったことに関しては知らなかったようで、
『いちいち細かい事を気にするな!』
という一言で押し切られてしまった。
軍に関する所は、やはり成り立てとはいえ将軍を名乗るだけあって、程々に詳しく教えてくれたのだが……。
(将軍達、苦労してるんだろうなぁ……。良くも悪くも。)
心の中で厳顔・黄忠両将軍に手を合わせた恭介は、そのまま市の中を歩いていく。
ここに到着した際に大きな市を通ってはきたが、そこはここまで目立つ痕跡はなかった。
恐らくは、風評などを気にした将軍がある程度手を廻して商人たちを留まらせたのだろう。
(税率で優遇……程度じゃ無理か。堅実かつ現実的なものだと、商隊の護衛に益州兵を貸し出しているのかな。ついでにそれにかかる糧食関係はその商人から買い取ってんのかな)
おそらく、商人からすれば固定客の確保に加え、州の有力者との太いパイプを繋ぐことができる。盗賊の件に関しても、両将軍から貸し与えられた兵ならば信頼は置けるし、兵士たちとの間のつながりも、商いをする者として軽視はできない物だ。
(荊州寄りの街というだけあって、元々はかなり栄えていたみたいだけど……やっぱり賊の影響が根強い、か)
商人というものは、情報を集め、吟味して動く生き物だ。
当然かなり早い段階で賊の情報を手に入れていたはず。恐らくは州牧――あるいはその配下の将軍達の力量を見てこの地に拠点を残した者たちも多かったハズだが、今ではここまで減っている。それはつまり――
(州牧劉焉、そして将軍達の力量を疑問視する者が増えた何よりの証拠。だからこそ、とっておきの将軍……いわば切り札を二枚切った訳か)
賊の影響が、自分が想像していたそれよりもはるかに大きく、そして根強いものになりつつあることを感じながら、恭介は辺りを見渡して目的の店を見つけ、その戸をくぐる。
「いらっしゃいませー! お好きな席へどうぞー!」
恭介が探していたのは、飲食を満たせる店――酒家だった。
店に入るなり、元気な少女の声が響き渡り店の中へと案内される。
店内の雰囲気は明るく、客も多い訳ではないが、悲壮感に満ちた顔で酒に溺れる者は一人もいない。
「おぅい、店の者よ、酒のお代りを頼む! つまみのメンマはまた大盛りでな!」
「はーい、ただいまーっ!」
――なぜか不機嫌な顔で酔い潰れようとしているものならばいるが。
(……どんだけ飲んでんだこの人?)
白を基調とした、やや肩や足周りの露出の多い服を着た蒼い髪の女は、文字通り水代わり――いや、それにしても多い量の酒を文字通りガブガブ飲んでいる。一見ある程度飲んでいるだけのようだが、仕切り越しに僅かに見える厨房の方には、あまりの多さに処理の追いつかない大量の酒瓶が見え隠れしている。
(…………まぁ、いいや。深く気にしない事にしよう)
その女性――正直、かなりの美人なのでもう少し観察していたかったが、経験上大酒飲みの美人に絡むとろくな目に遭わないのがいつものことだったの――本当にいつもの事なので、それを無視して席につく。
「すみません、今日の定食と水を一杯お願いできますか」
通りがかった給仕に注文を頼むと、やはり元気のよい声で「はい、かしこまりました」と返事を返し、厨房の方へと消えていった。やはり雰囲気は悪くない。
(まぁ、ああいう人が飲んでられるのならば、まだこの街は大丈夫かなぁ……)
午前の間に魏延と街を見て回って分かった事は、黄忠・厳顔両将軍の人気の高さだ。
魏延将軍も、意外や街の人間からの人気は高いようで、道を通れば様々な街の人から手を振られていた。
この三人がいるのであれば、永安は揺らがない。そう信じている節がある。
(って当然か……三国志のゲームでもこの三人が常駐してる都市なんてそれだけで攻撃ためらうし、賊が発生しても即座に鎮圧できるしなぁ……)
自分が向こう側にいた頃にちょくちょくやっていたゲームを思い出した。
むろん今現実としてここにいる以上、それや本から得た知識が役に立たないというのは重々承知してはいる。
いわば、この世界で自分だけが持つだろう先入観は、当然、この世界の人間が持ちえない視点だ。役に立つこともあれば、足を掬われることだってある。
そも、全員が女という時点ですでに色々ずれているのだ。
(今考えるべきは自分の動きか。出来る事ならば明日――は、どう考えても無理か。明後日くらいにはここを発ちたいんだけど……)
どうにもそれが可能な感じがしない。というか、明日がだめなら明後日という訳でもなく、そのままずるずるとあの二人の将軍に引き伸ばされそうだという妙な確信があった。
(何があの二人の気を引いたのか……)
魏延将軍の言のように一人でノコノコやってきたのが疑われる原因なのだろうか?
いやいや、一人で旅する連中など、それこそ山の様にいる。
確かに、その半分ほどは何らかの理由で故郷を追われたり、どこかで罪を犯して逃げたりするものが多いのも間違いではないが――
――あれ? いややっぱこれじゃね?
「お待たせいたしましたー。本日の定食でございます!」
ちょっと思考が鬱な方向に向かい掛けていたところに、まるでタイミングを図ったように給仕が定食を運んできた。
昔からの癖で反射的に軽く頭を下げて、定食の乗った盆を受け取る。
(賊の目的はなんだろうな……)
賊さえいなければ、この益州への旅も複雑な事を考えずに済んだというのに。
(もうだいぶ商人も道を変えているんだから、この場所で賊を続ける旨みってあるのかな? いや、いきなり州の将軍に襲われた逆恨みとかじゃなくて……別にさっさと違うとこ行けよとか思ってるわけじゃなくて――まぁ、死ねボケェというかイヤイヤ……)
ともあれ、賊の目的次第では成都までの道、そして益州から出る道で遭遇する可能性は十分にある。賊の一人二人程度ならばどうにかする自身はあるが、集団ともなると厄介なことになる。
(……考え方を変えよう。荊州と益州の道を封鎖する事で何が変わった?)
益州内はともかく、一番変わったのはやはり流通路だろう。
水が入った湯呑みの様な陶器の中に指をさし、机の上に水で軽く地図を描く。
益州の主要都市である成都、梓潼、江州、そしてここ永安の位置を水滴で指し示していく。
(これまでは、江陵、武陵に続くこの永安がいわば出入り口だった。その出入り口が狭まったとなると……)
ここ益州は作物の種類こそ違うが、北部に次ぐ穀倉地帯だ。その需要はかなり高い。
現に荊州などはなんらかの理由――たとえば災害などで足りない分は商人が益州から仕入れて売りさばいている。
(そうでなくても、この世界では益州経由で香辛料なんかが豊富に出回っている。商人から益州の物は高く売れるというのはよく聞いていたし)
海がないため需要の高い塩と香辛料の類の取引は盛んに行われており、そのため荊州などでは益州との交易で立場を築いた商人が多くいる。―― 一攫千金を夢見て落ちぶれた者も少なくないが……。
恭介は永安を指し示す水滴の隣に、濡らした指で×を書く。
(こうなると……物の流れは当然変わる)
次に金になりそうな中原に出るには、道を外れて山を越えるか漢中を経由するしかない。
大量の荷を抱えるならば山を越えるルートは不可能。個人レベルの荷物ではどれだけ効果でも小遣い稼ぎにしかならないだろうし、それも現実的ではない。
となれば、商人に残されたのは漢中を経由するルートしかない。
(益州商人はこれまで主に荊州との交易でやりくりしてきた。その物流……いや、富の流れから荊州が外れる)
そして物流が変わるという事は益州にとっても大きな変化がある。これまで塩を入手するのに大きな労力を必要としなかった美味しいルートを変更せざるを得なくなる。
市場的な意味合いで、次点でもっとも旨みがあるだろう漢中から中央へと至る道を書いてみるが、
(漢中を経由すればある程度は稼げるだろうが、今までの様にはいかないだろう。そもそも単純にこれまでよりも距離が増えて日数がかかる。それだけでも道中で落とす金は結構な額になるだろうし……)
長期的――いや、戦の香りが濃くなってきている今の情勢ではもっと短い時間で、益・荊両州の力を削ぐことになるだろうという事になるが……一介の賊がそこまで考えるだろうか?
いや、賊だと想定した考えで行き詰ったのだから、それは無視すべきだ。
(だいたい、獲物が少なくなっている狩り場に居座り続けている時点で普通の賊じゃないんだよな。これまでの略奪で十分に稼ぎはあったのだから、その金を使っても移動すれば――いや、もっと言えば)
そもそも、荊州への道は益州にとって最重要と言っていい交易路だ。
当然、配備されている兵は精鋭だったはず。いや、そうでなければならない。それが何度も裏をかかれているというのが気になる。
交易路の警備という仕事に慣れて油断していたとしても、これほど被害が出るというのは普通あり得ないし、痕跡すらつかめないなど尚更である。
(相手がずば抜けた精鋭だった? 正規の訓練を受けた兵士より……というのはあり得ないか)
仮に敵が兵士並みの技量を持った存在だとしても、ここまで一方的な事になる筈がない。
なんらかの方法――例えば末端兵士への買収、あるいは潜入させての情報収集など――で、警備隊の情報を抜き取っているのだとしても、確実に裏をかき続けられるハズなどあるはずがない。
仮に裏をかけ続けるとすれば、――
(…………やっぱり早い段階でこの街――いや、とんぼ帰りでもいいから益州を出よう。無茶苦茶ヤバイ感じがする。情報よりも命だ)
考え事に集中しすぎていたため、机の上には漢のおおよそ三分の一ほどを簡単に描いた地図が出来ていた。
とりあえず、目の前の食事を食べながら今後の計画を立てようと箸を取って焼いた川魚を口に入れた瞬間。
「これ、そこの御仁よ、何を辛気くさい顔をして……その様な顔で酒家に来るのはいかがなものか?」
「…………ぁん?」
まさかの伏兵が現れた。
「先ほどから何やら難しい顔で延々延々、悶々悶々とまるで稟のように――あの者も、やれ路銀の使い過ぎだ、メンマの買いこみ過ぎだの……別れの時ですらネチネチネチネチ昔のことを引き合いにいつまでも――」
「なんの話をしている!!?」
思わず振り返って言い返すと、その反応を待っていたと言わんばかりにこちらの顔を覗き込んでいる先ほどの女が立っていた。
ニヤリと笑う女は、こちらの肩をつかんだまま、隣に仁王立ちしている。もう片方の手にはメンマが入っているのだろう壺がある。……いや、でもなんでメンマ?
「よいか、御仁。ここはウジウジとどうでもいいことを考える場所ではない。嫌なことを全て忘れる場なのだ!」
「勝手に酒家を現実逃避の場所にしてんじゃねぇ!!」
「それを貴殿は――酒に対して申し訳ないとは思わんのか!?」
「一滴も飲んでねぇよ! これは水だ! み・ず!」
「水!? 酒家に来て水とこんな安そうな定食だけですと!? なんと……なんと恥知らずなっ!!」
「恥を知るのはてめぇだろうが!? これ美味ぇんだぞ!!?」
いきなりいちゃもんを付けてきた女は、思いっきり不機嫌そうな顔で――しかし慣れ慣れしくこちらの肩に手を廻したかと思うと、驚くほどに自然な身のこなしで自分の隣に腰を下ろした。
「そこで、どうでしょう? 何か悩みがあるのならば申してみては?」
「なんで初対面の女に話さにゃならん。――そもそもお前は誰だ」
「ふむ、人に名を名乗る時は自分からというのが礼儀では?」
「昼間っから酒飲んだくれたあげくに他人に絡んでいる奴に言われたかねぇ!!」
本当にどうして、自分に絡んでくる女は癖の強い奴ばかりなのか。
相手をしなければ絡まれ続け、相手をすればすればでやはり絡み続けるのだろう。
頑として肩から手を離さない女の顔を睨みつけながら、半ば恭介は確信していた。
「……橘恭介。旅人だ。」
「それは……なんとも妙な名ですな」
「ほっとけ。それで? そっちの名は?」
「それにしても、この時勢に一人旅とは豪気な事。一体いくつの土地を歩き回ったので?」
「無視か!? 自由か!!?」
「まぁそれは置いておきましょう。旅人というなら土産話の一つや二つは持って当然のハズ。ここは私が奢りますから、酒の肴に一つ……。おーい、酒の追加を頼む!!」
「だ・か・ら――」
「人の話を聞けやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
* * * * * *
「ふむ、行ってしまったか」
自らを旅人だという男が去った後、彼に先ほどまで絡んでいた女はそのまま男が座っていた席で、メンマを肴に酒をちびりちびりと飲んでいた。
「実にからかい甲斐のある――いやいや、面白そうな御仁であったが……」
一目見た瞬間に、あの男がそこらの町人でない事はすぐにわかった。
服飾の生地の隙間から垣間見えた体つきは、ただの旅人にしてはかなり鍛え上げられていた。
どうしても気になり、絡み酒の振りをしてその身体に触れてみれば――なかなかどうして、鍛えている肉付きだ。惜しむらくは、いわば完成している武人の肉体には程遠いが……
(あれは私のような武人や、切り込むための将とは違う肉の付き方……)
例えるならば、状況に対応できるように訓練した兵士の身体だ。その上で、将に求められる武を身につけるような訓練をしたと言ったところだろう。
そのような訓練、才のない人間ならばちぐはぐになり、常人よりもやや力がある程度にしかならないはず。
だが、あの旅人は間違いなくそれで生き残ってきているのだ。
触れた時に感じた、そして布地の隙間から見えた傷跡が、あの旅人がくぐってきた修羅場を物語っていた。
(あの肉の付き方かして……恐らく得物は腰に差していた剣と……そして恐らくは弓)
持っている様には見えなかったが、恐らく鍛錬はかなりしているはずだ。いや、今も続けているはずと言うべきだろう。
しかし、あの男との会話は、どこか浮世離れした物を感じさせた。
この街、この州、……いや、この大陸に生きる者とはどこか違う空気。
この大陸に生まれた者は、どこか争いの匂いを染み付けて育ってくる。
街の中では商人や役人――あるいは兵士のいざこざが、離れた村に生まれたのであれば、今度は賊や不貞兵士と脅威があるように、この大陸に生まれた者は必ずと言っていいほど血や暴力に揉まれて育っていく。
その中で自然と染み付く、ある種の血の匂いという者が、あの旅人からはしなかった。
好物であるメンマを咀嚼し、飲み込んだ女は、今度は机の上の半ば乾きかかっている水滴で描かれた絵――地図に目を落とす。
「これが恐らく永安。この印は荊州との交易路ならば、この点は恐らく漢中……そして」
女の指が、恐らくは男が何度も指でつついたのだろう、未だにやや大きな水滴となって残っている一点でぴたっと止まる。
かなりおおよその地図ではあるが、恐らくこの場所は――
「……なるほど……」
自然と女の頬が緩み、口元が釣り上がる。
女は、直感に近いが、確信した。あの男はきっと普通ではない、只者ではないと。
これでも多くの人間を見てきたのが女の自慢なのだ。だからこそ、分かる。
ごく稀に、ああいった人間が出てくる。
恐らくは己の目的のために生きようとしているのだろうが、気がつけば大きな流れの中にいる。流れに流されるか、流れに乗るか――あるいは、流れに逆らうか。
「旅人、橘恭介……」
手にした杯を煽り、酒精を身体に取り込む。
この益州に、目当てとする物がなくて飲んでいたのだが、今日はこれからいい気分で飲めそうだ。
まだ、この大陸に、可能性を感じさせる者がいる。
これから戦乱へと向かうだろうこの時代に、修羅場をくぐり抜けた身体と、どこか浮世離れしたような空気を纏うちぐはぐな存在がいる。
それが女には、どうにも愉快で仕方がなかった。
「……興味深い御仁だ……」