僕とキリトとSAO   作:MUUK

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すごいタイミングで期間空けてしまいまして申し訳ありません……。テストも終わりましたので、投稿速度上げていきます。どうかこの浮遊城の最後まではお付き合いいただけますように。


第八十六話「災禍の鎧」

アレックスの上体が堕ちていく。

それは折れた金木犀のよう。

地に堕すわずか前、彼女はポリゴンの欠片となった。

灼きついているのは死の暇に見せた表情。場違いな彼女の笑顔が、頭の中で、ぐるり、グルリ、なって。



 

「──────あ…………あぁ……ああっああぁぁぁああぁああああああぁぁっぁぁぁぁぁあああっあああああああああぁぁっぁぁぁぁぁああぁぁぁァァアアアアァァァァアアッアアアアァァアアアアアッァァァアアアァァァァアアアアアァァアアァァアアアアアアァァッァアアアアアアアアァァッァア■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーーーーーッッ!!!!!」



 

触れたのは、虎の尾か、竜の逆鱗か。
怒髪はこの天空城、アインクラッドを流星が如く貫いた。
いや、憤怒だけではない。それだけであろう筈が無い。
この叫びが内包するのは、嘆きの慟哭であり、狂った怨嗟であり、壊された思い出だ。

死んだ。
死んだ。
─────が死んだ。
─────が死んだ?

そんなことがあってたまるか。

否定する材料が何処に在る?

意味が解らない。

解る筈だ。自分の眼で見たのだから。

嘘だ。

本当さ。

他人事のように響く自問自答。
それすらも、黒いナニカに押し潰される。
ただ、この世界が憎かった。
─────という存在を消去(デリート)した、この世界が。
自分の手が届くのならば、誰をも救えるのだと、信じて疑わなかった。信じ込んでいた。いつの間にか自惚れていた。
もしそうなら、今のライトが、こんなに凄惨たる想いに侵食されているだろうか。
視界は暗い。
何も見えない。
ああ────だと言うのに。
はっきりと視えるモノがある。
誘蛾に魅せられた陳腐な蟲のように、ライトは、そっと手を添えた。
暗黒に満たされた心の奥の奥。そこに、災禍はあった。

これなら、壊せる。

世界の全ても、僕の心も。

☆

眼前に展開された光景を、アインクラッド七十五層の守護者(ガーディアン)AIは、一体どう判じたと言うのだろう。
目下に屹立するは、フルプレートアーマーを纏った戦士であった。
数秒前、スカルリーパーは戦闘AIの領分として、プレイヤーの少女を突き刺した。と同時に、眼前の『彼』はその身の変容を始動させたのだ。纏った鎧には滴る闇が浸みていく。鎧の節々は鋭利に尖り、戦士の身体を覆っていく。最後には貌を兜で包み隠した。
甲冑から撒き散らされる獅子奮迅の激昂は、相対する鋼鉄の心に叩きつけられた。
瞬間。
あまりに原始的な感情が、スカルリーパーを突き刺した。
───即ち、恐怖だ。
それは絶対にあり得ない物だ。スカルリーパーは単なる戦闘AIでしかない。与えられた思考回路は、ひたすらに敵を殺すこと。
だが、異形の骸骨は畏怖を覚えた。
対する鎧。その在り方に。
黒い。
唯ひたすらに黒い。
漆黒でなく暗黒。
そうとしか形容出来ぬ程に、目前の鎧は災厄の如き瘴気を放つ。
それは、原初が闇の体現か?
───否。
それは、終焉へ至る混沌か?
───否。
これは、ヒトが生み、ヒトが培った膨大な悪意の収斂だ。
憤怒だ。殺意だ。憎悪だ。呪詛だ。悲哀だ。絶望だ。破壊だ。嫉妬だ。諦観だ。恐怖だ。嫌悪だ。不安だ。軽蔑だ。罪悪だ。刻苦だ。詭弁だ。詐称だ。偏見だ。懺悔だ。────愛だ。
人間が持ち得る、負の感情、その決算がアレなのだ。
故に────スカルリーパーの恐怖は、あまりに順当だった。
それも、無機質なAIに心を持たせる程に。
ぞわり、と。
急所に鎌を当てられたような悪寒が、スカルリーパーを抱擁した。
結果、恐怖心は一つの方向へと収束する。
殺す。
殺される前に殺し切る。
それが、スカルリーパーの下した結論だった。
目の前の敵は、度し難い害悪だ。
そう、これは。万物を破滅へと導く、害悪。
────“災禍”。
目の前のソレは、人間の悪意が『災害』の域にまで昇華された結果なのだ。
白刃一閃。
システム的セーフティをも振り切って、スカルリーパーは最速の鎌を振り下ろす。
疾く。速く。
極限まで鍛え上げられた音速の斬撃は、愚直なまでに戦士の脳天へと向けられる。
取った───!!
そんな安堵が、百足の怪異を支配した。
刹那。

戦士の姿が消えた。

索敵の限りを尽くしてスカルリーパーは男を探す。果たして、彼はスカルリーパーの側面にいた。音速など生温い。其は光速。たとえ心が死に絶えようと、身に刻まれた絶技に一寸の衰えも無い。

追撃するべく異形の百足は身体を回転させようとする。だが、足に違和感があった。百ある足の一本が石化したように動かない。

原因は明白。暗黒の戦士が何食わぬように足を掴んでいた。そして、

 

────ブチィッ!

 

何の抵抗も無く、掴まれた足がもがれる。無造作に足が放り捨てられる。ポリゴン片となって霧消する。

戦意で誤魔化したスカルリーパーの心に、再び恐怖が影を落としていく。

それでも止まれない。臆せば死ぬだけ。戦いを挑んだ時点で既に退くという選択は残されていない。攪拌された心に任せて、我武者羅に鎌を振るう。

スカルリーパーはその鎌もまた避けられるのだろうと予測した。しかし、その予測は裏切られた。

鎌は止まった。戦士の小さな手が、造作も無いとばかりに刃を掴む。
災禍の鎧が、口角を釣り上げた。───ような気がした。

ガチリ。

音となった絶望が、集音機能に伝播する。

ギチ。ギチギチギチ。

圧搾される。圧縮される。収縮せらる。そして───

バリン。

砕け散った。
腕の延長として備えられた大鎌は、見るも無残な変貌を遂げた。この刃では、もはや何をも斬り裂けまい。
部位欠損ダメージにより、スカルリーパーの体力ゲージがずぶりと抉れる。
憤然と立つ鎧は、幽鬼のような気配の無さだ。
いや違う。
押し潰されると判断した意識が、その圧力をわざと解していないだけ。
暗黒の拳士が持つ殺気は、最早、此の世が理すらも超越している。

「ギ────ッッ!!」

骨を鳴らしながら、怪物は追撃する。
鎌が効かぬと云うのなら、他の攻撃を試すまで。
右側の腹部を伸長させ、左側の腹部を凝縮する。さきほどライトとキリトに放ったのと同じ攻撃。勢いをつけた体当たりだ。
このとき、スカルリーパーは正常な判断力を失っていた。鎌すら破る膂力なのだ。胴体程度、反撃できぬはずがない。

「……殺す」

呟かれた殺意を死神は遮断する。ソレを理解すれば心が壊れると悟ったから。
スカルリーパーの必死の攻撃が、災禍の鎧へと差し迫る。対する暗黒の戦士は、脇腹に拳を沿えて絞り込んだ。
バンッ!!
衝撃音が伝播する。それは戦士の拳から放たれたもの。このアインクラッドで間違いなく最速の一撃が撃ち込まれる。音すら置き去りにする絶対の速さ。その拳には何人たりとも追いつけない。打撃がスカルリーパーの胴体へと到達した瞬間、地震を思わせる轟音が鳴り響く。

スカルリーパーは吹き飛んだ。数十メートルの巨体が紙のように浮き上がり、容赦無く対向の石壁へと叩きつけられる。

倒れ伏したスカルリーパーが顔を上げる。

既に目鼻の先に、其れはいた。

絶望の具現たる暗黒の騎士。暗澹たる影の瘴気は底が無く、周囲さえも蝕んでいく。

このとき、スカルリーパーの中で恐怖が殺意に勝った。これと戦ってはいけない。いや、そもそもとして戦いにならない。殺戮機構たるAIは、自らの存在意義を否定した。

神速の小手がスカルリーパーの顔面にめり込む。顔面が握力だけで潰される。5段あった体力ゲージは残り3本となっていた。

 

「ギギギギギ───ッッ!?」

 

奇声を上げて、スカルリーパーは逃げ出した。そこからは一方的な蹂躙だった。粗雑な石床を踏み抜くかという勢いで百足の怪物は疾駆する。化物が起こす突風で、備え付けられた松明が震えるように揺らめいた。絶望の具現たる騎士はスカルリーパーを追走し、傷を付け、足を千切り、穴を開ける。

 

「お前のせいだ……お前が……お前が!」

 

ライト『だったもの』はうわ言を呟く。言葉に混ぜられた感情は黒く染みて、忖度などつけようもない。ただ、明確な殺意があった。

ああ、その殺戮は狂詩曲(ラプソディ)のようで。

 

 

「おい……なんだよアレ……」

 

呆然としていた攻略組の1人、アインクラッド連合軍幹部のラフロイグが特徴的なタラコ唇を震わせた。

 

「なんだよあの力! チートじゃねえか!」

 

誰もの思いをラフロイグが代弁する。眼前で力を振るう暗黒の騎士。それがサーヴァンツのライトであることは誰しもが確かに見た。だがその力は道理に合わない。あれは災害。プレイヤーの持って良い能力ではない。

混乱と恐怖から絶句していたプレイヤー達は、ラフロイグの糾弾を皮切りに呟き始める。その大半は理解の埒外にあるという表明だった。

『なんだアレ……』

『分かんねえよ……アレ、本当にライトなのか?』

『こっちは攻撃してこないよな? 大丈夫だよな!?』

『大半』に属さないプレイヤーも当然いる。血盟騎士団の古株、ディーノが落ち着いた声で反論する。

 

「SAOでチートとかあり得ないだろ……。それこそ開発者側じゃないと……」

「それが答えだろ! あいつはゲームスタッフ────つまり俺たちな敵だったってことじゃねえか!」

 

半ば狂乱したラフロイグの金切声に、攻略組が一斉にざわつく。ラフロイグの仮説が正しいなら、確かにライトの変貌にも説明がつく。ライトがスタッフだと言うなら、ステータスや装備なんて自由自在に決まってる。

その通りだと頷く者、スタッフがボスの相手をするのはおかしいと主張する者、ただ厳しい顔で状況を見る者。

喧々囂々のプレイヤー達を鎮めたのは、サーヴァンツリーダー、ユウの一声だった。

 

「一旦落ち着け! 少なくともあいつはボスと戦っている! 俺たちの敵じゃねえ! だったら今のところはあいつに任せて、各々がすべきことを考えろ! 体力削れてる奴は補給しろ! 装備の耐久が下がってるなら付け替えろ! できるだけ安全な場所に移動しろ! ぼーっとしてるヒマがあんなら、やるべきことを先にやれ!」

 

ユウの指示に攻略組は顔色を変えた。このデスゲームを生き抜いてきたプレイヤーは、誰もが自分の安全を確保することに現実以上に重きを置いている。その価値観に合致するユウの言葉は飲み込みやすい物だった。そうなるようにユウは言葉を選んだのだ。

だがそこに叛逆の徒が1人。それは先ほどの、ライトを標的に雑言を発した大剣使い、ラフロイグだった。ラフロイグは睨みを利かせながら、威圧するような小さく重い歩調でユウに詰め寄った。

 

「おい、ユウさんよ。そんなに自分の仲間が大切か?」

「どういう意味だ? 大切に決まってるだろ」

「しらばっくれんな! 見え見えなんだよ。あんたもライトと同じ開発者側なんだろうが! だから攻略組の連中の気を、必死で逸そうとしてるんだろうがよ!」

「なっ……!?」

 

予想だにしない批難にユウは息をのんだ。相手の立場に立ってみればそう考えるのは自然だ。そしてライトから全体の意識を逸そうとしたのは事実。こうなると簡単に否定はできない。

その直後、ユウはあることに気づいて苦い顔をした。

 

(こいつ……笑ってやがる!)

 

非難を叫んだ軍の男の口角が緩んでいるのだ。本当にユウが敵だという妄執に憑かれているのなら、笑顔を見せるはずがない。

となると、この男の目的は疑心暗鬼の状況そのものか。

男にだけ伝わる音量でユウは喉を震わせた。

 

「てめえ……そういうハラか」

「するどいねえ。だったらどうする? こいつらはあんたほど頭良くないぜ?」

 

ラフロイグはアゴでくいっと周囲のプレイヤー達を指す。

悔しいがその通りだった。もしここでユウが男を非難したとして、その行為は周囲には自暴自棄の反撃にしか映らないだろう。ユウへの信頼は失墜する。反論の材料が揃わない限り、支持されるのはライトという状況証拠があるラフロイグ。

ユウが打開を試みて思考を始めた、その時。

 

「ぐあっ!?」

 

男が何の前触れも無く殴り飛ばされた。攻撃したのは、悪鬼の如き表情のまま涙を流す優子だった。優子を指すマーカーがオレンジに切り替わる。

優子は倒れそうになる男の襟首を掴むと、更に2度、3度と拳を振るう。

 

「あんたが! あんたがアレックスを唆したんでしょうが! ふざけてんじゃないわよ!」

「おい、優子! 一旦落ち着け!」

「落ち着いてられるわけないでしょ! アレックスが死んじゃったのよ!? アンタは何でそんなに平気そうなのよ!」

「平気なわけ、ねえだろうが」

 

優子の叫びとは対照的な、呟くような声だった。それでも、噛み切るような声には優子に冷静さを取り戻させる激情があった。

 

「ごめん……そうよね。ユウは指揮官だもんね。勝手なこと言っちゃった」

「大丈夫だ。気にしてない。それより、こいつがアレックスを唆したってどういうことだ?」

 

ユウが倒れ伏す男を指差して言った。優子は嫌悪がありありと分かる目線で男を睨みつける。

 

「さっきね、アタシとアレックスは一緒に行動してたの。そこにラフロイグがやってきて『聞き違えかもしれねえけど、ライトがさっき回復ポーション忘れたかも、とか言ってたぜ』って言ってきた。アタシは、いくらライトでもそこまでバカじゃないって言ったんだけど、アレックスは『万が一ってこともありますし、一応ライトさんのところに行ってきますっ!』って行っちゃったの」

「なるほど……」

 

優子の言葉を噛み砕く限り、確かにラフロイグはアレックスを狙ったのだろう。だが、不可解な点が幾つかある。

アレックス1人を殺す意味とは。それは薄い。ユウは正直言ってアレックスに戦力として過剰な期待はしていなかった。それよりもキリトやライトといった攻略の要となるプレイヤーを陥れるなら意味が分かる。

ならばなぜアレックスを狙ったのか? いや、違う。その前提が間違いだ。ラフロイグはアレックスと優子に同時にライトの危機を伝えた。つまり、アレックスでも優子でもどちらでも良かったと考えるのが自然だ。

となると目的は? それは明白。ライトを暗黒の鎧を纏った状態にすることだ。ラフロイグの言に則ると、ライトの前で優子かアレックスを殺すことが目標だったと取れる。それにどんな意味があるのか。ライトの心が壊れ、あの黒い鎧に侵食される。実際、最初にライトの兇状を指摘したのはラフロイグだ。

しかし不確定要素が多過ぎる。ただアレックスをボスの近くに移動させただけで、アレックスが必ず死亡するわけがない。アレックスだって攻略組の一員だ。ちょっとやそっとじゃ倒されない。そう考えるとラフロイグの目的がまたも不鮮明になる。いや、ここまで計画性が薄いなら、愉快犯と捉えるのが最適か? 確たる信念で殺したわけではなく、ただそう動けば都合が良かった、と言ったところか? 成功すれば大儲け、失敗でも損はしない、ということか。

黒い鎧のことは、優子やアレックスから目撃証言を聞いていた。そのトリガーが心だと言うことも分かっていた。

しかし疑問が再燃する。なぜラフロイグは鎧のことを知っていた? 知らないと仮定すれば違う疑問が現れる。すなわち、なぜ優子、アレックスをピンポイントで狙ったのかということだ。

だから一旦ここでは、ラフロイグが鎧のことを知っている、という前提で思考する。となるとラフロイグの出自は自明。鎧のことを知っていて、攻略組に対して悪意を持って動く。そんな行動を取るのは、あの組織しかあり得ない。

 

「やっと尻尾現しよったな、ラフロイグ!」

 

唐突に声を張り上げたのは、ラフロイグの所属ギルド、アインクラッド解放軍のリーダーたるキバオウだった。

キバオウの後ろにはから顔を出した軍の副リーダー、シンカーはいつもの温和な顔からは想像もつかないような厳しい目をしていた。

 

「君のことは調べさせてもらってたよ、ラフロイグ。いやまあ、君だけでなく数百人を総ざらいしたんだけどね」

「お、おい! 何の冗談だよ!? シンカーさん! キバオウさん!?」

 

ラフロイグは分かりやすく狼狽してみせる。ここまできてその演技に怪しさが無いのだから相当な喰わせ者だ。

縋り付くラフロイグを無視して、シンカーは淡々と続ける。

 

「ラフィンコフィンとの決戦において、明らかに我々の作戦が漏れている場面が多々見受けられた。そこで軍では、それ以前から軍に所属している全てのプレイヤーの中から、ラフコフ攻略作戦を知る可能性のあるメンバーを調べ尽くした。そこで、君の経歴だけが異色だった」

「な、なにを! 俺には怪しい経歴なんて1つも……」

「そう。1つも無かったんだよ。君だけは、軍に入る以前の過去が全く浮かんでこなかった。所属ギルドはおろか、誰かと即席パーティーを組んだ事実さえ、ね。これじゃあ疑ってくれと言っているようなものだ」

「そこまでいったんやけどな、わしらには確たる証拠が無かった。ほんまに、今まで誰とも関わらんかったままの奴、という可能性がゼロやないからな。けどこれでもう詰みや。ライトのやつが暴走する条件はユウはんから聞いとる。それをお前が狙ったであろうことは状況から見て明らかや。自白せい、ラフロイグ! 今なら黒鉄宮送りで手を打ったる!」

 

シンカーの言葉を引き継いだキバオウは、冷静ながらも強い語調を叩きつけた。それは、長く連れ添ったギルドメンバーへの、彼なりの温情なのか。

広場の空気がシンと軋む。

冷ややかな目線が一点に投げられている。

誰もが待った男の回答は、つまらなさげな唾棄から始まった。

 

「あーあ。めっちゃうまくいってたのになあ……。うーん……コソコソ調べられてんのに気づかなかった俺も間抜けか」

「それは罪を認めるってことでええんやな? 何が目的なんや!?」

「目的ィ? 知らねえよ。俺はただのスケープゴートだかんな。あのヒトが『こうなりゃ最高にCOOLじゃねえか?』って考えた筋書きに乗っかっただけ。ちょっとばかしコトが上手く回り過ぎたけどな」

「それは、PoHのか?」

 

口を挟んだのはユウだった。ユウには裏でPoHが糸を引いているという可能性しか思い至らなかった。それを確認するためにもラフロイグに強く問うた。

睨めつけるユウをバカにするようにラフロイグは肩を竦める。

 

「それを俺が言う必要が?」

「口を割らねえならお前の腹を割ってやろうか? 物理的に」

「おいおい! 殺人は良くねえぞ! 道徳の授業はちゃんと受けたか?」

「お前どの口が!」

「この口だよ。俺がいつ人殺ししたって言うんだ? ただ忠告しただけだぜ? 愛しのライト君が回復ポーション忘れてるかもしれねえってよ。血相変えて飛んで行ったのは、あのバカ女の責任だろうがよ。傑作だったぜ? あの心配で堪らねえってアホ面! ほんと、上手くいきすぎて笑っちまうよなあ!ハハハ────ガッ!?」

 

雄叫びじみた笑い声を出すラフロイグの頬に、暗黒のガントレットがめりこんだ。

怒りに任せたパンチはラフロイグを殴り抜き、愉快犯の図体を水平に十数メートル吹き飛ばした。

怒り心頭だったユウは、咄嗟のことに唖然となる。持ち前の頭の回転でなんとか思考を立て直すと、ラフロイグを殴り飛ばした張本人に視線を向けた。目で捉えるまでも無く、ユウにはそれが誰か分かっていたのだが。

 

「ライ……ト……。いや、待て。スカルリーパーは────」

 

どうなった、と言いかけたところで。視界にポップアップウィンドウが現れた。

書かれていたのはコングラチュレーションの文字と、ボス討伐の達成報酬だった。

 

 

世界の全てが遠いのに、感覚器官は鋭利さを増していく。自分という存在が壊れていくのに、それに無頓着な自分がライトには意外だった。

そんなこと、もうどうだって良かったのだ。ライトは自らの未来を想う。スカルリーパーを倒したら、自分は先へ進むだろう。そうしてきっと、この世界を(クリア)してみせる。

だって、この憎悪は収まらない。ぶつける相手がいない報刀は、世界にぶつけるしかあり得ない。彼女を殺したのはこの世界なのだから。

 

「畜生……畜生!」

 

咬みちぎらんとばかりに唇を噛んだ。

彼女を護れなかった自分の不甲斐なさを、いったい誰になすりつければいいのだろう。

今、ライトはボスを圧倒している。倒しきるのも時間の問題だ。そんな力を持てるなら、なぜもっと早く身につけられなかったのか。そうすればアレックスを救えたろうに。

意味のない後悔がシナプスを巡る。思考とは切り離されて、災禍の鎧は寸分の誤謬も無く哀れな化物を蹂躙する。

 

「畜生畜生畜生畜生ゥウウゥゥ……アアアァァァッッ!!」

 

憂さ晴らしとばかりにボスの横腹を右拳で打つ。

もはや思考も纏まらない。相手を殺す術だけはごまんと沸き立つのに、言葉は一つすら上手に出せない。

自分はバカだ。すぐに頭に血が上って周りが見えなくなる。けれど、今までのそれは少なくとも方向性のある怒りだった。何か目的を達しようとせんための怒りだった。

今のライトに宿るのは本質的に違う。憎しみだ。それも世界全てに対する、止まる事無き殺意。こんな感情を抱いたことがなかった。思えば、今まで吉井明久という人間は、怒りたいから怒るということをしてこなかった。

もし怒ってもどうしようも無いなら、一頻り嘆いて未来へ目を向ける。そんな精神性だった。

その在り方は清廉に過ぎた。怒るべきだったのだ。自分が嫌だと思ったなら、痛いと感じたなら、子どもらしくただ怒れば良かった。そうすれば、この怒りにも向き合うことができたかもしれないのに。

たかが外れればもう止まらない。感情のダムは粉々だった。とどのつまり、耐えられる憤怒の閾値など、優に超越していたのだ。

それでもたった一欠片だけ理性は残っていた。仲間は攻撃したくない。

だから溢れる瞋恚を叩きつけるのは、目の前のスカルリーパーだけと決めていた。破壊欲求を満たし続けなければ、次はプレイヤーにも手を掛けてしまいそうだったから。

 

「グルル………」

 

声はいつしか獣のそれとなっていた。

やっと自覚する。ああ、もう自分は後戻りができないところまで来てしまったのだ。

五体を覆うのは爪牙を想起させる鋭利な甲冑。暗黒を体現するそれは、今のライトをこれでもかと的確に象徴している。

 

「ギ──ギギ────!」

 

スカルリーパーが断末魔を漏らす。体力ゲージは最後の一本、その半分まで来ていた。

心の奥底でどこか冷静に、ライトはこれからを考えた。戦いが終わったら、1人で先に進もう。ここで停滞していれば、自分は必ず仲間達を傷つけてしまう。そんな衝動すら抑えられない獣の身に堕してしまったのだから。

これがトドメとばかりに、渾身の拳を振りかぶる。悲痛に叫び、逃げ惑う蟲に狙いを定め、殴り殺した。────その時だった。

 

『…………ただ忠告しただけだぜ? 愛しのライト君が回復ポーション忘れてるかもしれねえってよ。血相変えて飛んで行ったのは、あのバカ女の責任だろうがよ。ホント傑作だったわ。あの心配で堪らねえってアホ面!』

 

なに、言ってるんだ?

聞いたことがある声。たしか軍のラフロイグとかいう男だ。ただし、普段のラフロイグとは似ても似つかぬ下劣な金切声なのだが。

数秒の空白を経て、やっとラフロイグの言葉を飲み込み始める。だが、その内容は到底看過できぬものだ。

つまりは、アレックスが死んだのは偶然でなく────

 

────殺せ! アレがオマエの敵だ!

 

裡なる誰かが叫んだ。言葉は容赦無くライトの心を抉る。だって、どうしようもなくその通りなのだから。あの男がアレックスを貶めた一端なのなら、それは間違い無くライトの敵で。だったら殺さなきゃ。殴って、切り裂いて、千切って、刺して、広げて、殺して殺して殺してやる殺してやる殺してやる!

 

────さあ、オマエの力で鏖殺しろ!

 

我に返ったとき、右拳に確かな手応えがあった。ラフロイグが紙のように吹き飛んだ。

ライトはそこでやっと気づいた。もうとっくに手遅れなんだと。理性と心が分離して、身体は自由に動かない。今の今まで考え至るのを拒んでいただけだ。だって本当は、憎くて憎くて仕方ないんだから。ヒトに攻撃しちゃいけないなんて、そんなこと考えてられない。

赤熱した感情が激流となって心の殻を破壊する。身体のどこもかしこもが沸騰しそうで。籠る熱は全てが殺意に置換される。

もう止まれない。ラフロイグの息の根を止めるまで。

あいつがアレックスが死んだ理由の一つ。だったら躊躇する理由なんて────無い!

刹那で肉薄し、凶器(こぶし)を構え、心臓目掛け────

 

───ずぶり。

 

肉を貫いた。

それは他の誰でもなく────

 

「優……子……? なん……で……」

 

畜生に堕ちたはずの身から言語が漏れた。

 

「バカライト……。アンタが苦しそうだったからに決まってんでしょ」

 

暗転。


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