そっかあ、子作り。据え膳食わぬは男の恥部とか言うし……言うっけ? せっかくなので頂いて……いやいやいや! さっきの決意どこ行った!? 猿か僕は!
ここはきっぱり断ってろう。その方が精神とか肉体とか諸々のためだ。
「あの、アレックス」
「なんです?」
「そういうのはさ、もっと段階を踏んで、本当に好きになった人とすべきなんじゃないかな?」
「私好きですよ。ライトさんのこと。本当に大好きです」
それが僕には分からなかった。アレックスが僕を好きになる理由が、このアインクラッドの思い出を見渡しても見つからないのだ。
彼女は常に快活だが、時折、どうしようもなく影を見せる。その一瞬、僕にはアレックスが分からなくなるのだ。彼女が思っていることも、感じていることも、薄いベールがかかっているようにぼんやりしてしまう。
僕は今までそこに踏み込むことを避けていた。アレックスにだって話せないことはあるのだろうと思っていた。けれど、今日だけは聞かなきゃいけないと思ったのだ。
「君は僕の何が好きなの?」
「…………」
答えは沈黙だった。
答えられないんだ。少しだけショックだった。何か言えない理由があるのか、それとも本当は……。
これ以上考えるのはよしておこう。部屋を満たす静けさが、冷たい夜風を一層引き立てる。
やっぱり今日は別々の部屋で寝るべきだ。思ったことを伝えるべく振り返ると────アレックスは泣いていた。
「あの……アレックス? どうしたの?」
「ごめん……なさい……」
「な、なんで謝るのさ?」
「私は……甘えてたんですよね。もう1人の貴方と貴方を重ねて、こんな世界まで逃げてきた。最低……ですね」
何を言ってるんだ?
アレックスの話が異界の言語のようにも感じられる。
なにがなんだか分からないけど、少なくとも滂沱するアレックスを放置することだけは僕は許せなかった。
「ねえ、もう1人の僕ってなに? なんでアレックスは泣いてるの? 僕バカだからさ、ちゃんと説明してくれないと分からないんだ」
できる限り優しい声音で話しかけた。
アレックスは伏せ目がちに首を横に振った。嗚咽まじりで辿々しく呟く。
「ダメ……ですよ。だって貴方は優しいから……」
「優しいからって……なんで……」
優しくちゃなんでいけないんだ。そう言おうとしたとき、アレックスは僕を強く、強く抱きしめた。ハッと息を呑む。抱擁する力はこんなにも強いのに、彼女のか細い身体は何かに脅えるようにブルブルと震えている。
アレックスは、何を恐れているんだ?
彼女を安心させたい一心で背中に手を回して抱き返す。僅かに震えは治まったが、それでも根本的には変わらなかった。
アレックスの背中をさすってやっていると、ポツリポツリと彼女は口を動かし始めた。
「…………ライトは誰よりも優しかったよ。夜が怖かったら一緒に寝てくれたし、転んで怪我したらおぶってくれた。いつも私のこと気遣ってくれて……私が連れていかれてからも奪い返しにきてくれたよね」
強烈な寂寥感が僕の胸を痛打した。
アレックスの語る思い出に覚えはない。
なのに、なぜこんなにも胸が裂かれるような気持ちになるんだろう。なぜ、アレックスが語ったこと以上の思い出が、次から次へと湧き出してくるんだろう。
なんなんだ、この記憶は。
幼少期のほとんどを2人で過ごした。毎日毎日飽きもせず、草原を駆け回り泥んこになって家に帰った。仕事に就いてからはともにいる時間は減ってしまったけれど、それで週に一回は必ずご飯を一緒に食べた。アレックスが作るときもあれば僕が作るときもあって。
あるとき、僕はアレックスに告白した。彼女は泣いて喜んで、2人で暮らす家を建てて、式を挙げようとしていた。そして……どうなったんだっけ……。そこからの記憶はブラックホールみたいに暗く、その部分だけ切り取られたかのような虚ろさだ。
自分のものではないけれど、自分のものに違いない記憶。体験したわけじゃないのに、なんでこんなにも────涙が溢れてくるんだろう。
アレックスは親指の腹で僕の涙を拭った。
「そっか。フラクトライトはカーディナルシステム経由でリンクしてるんだね。じゃあきっと、今泣いているライトは『君』なんだ……。だったら、届くかは分からないけど言うね」
アレックスは仮想の肺いっぱいに息を吸い込んでから吐き出すと、真っ直ぐな視線で僕を射抜いた。
「私が君を助ける。何があっても、絶対に。だって、そのために私はここに来たんだから」
覚悟を決めた顔と言葉は、言い終わった次の瞬間に崩れていた。残されたのはいつもの笑顔。1ついつもと違うのは、笑みに込められた感情が寂しさだけということだ。
僕の腕を振りほどくと、アレックスは寝具から立ち上がる。
「ごめんなさい、ライトさん。お邪魔しました」
「待って! アレックス!」
僕の言葉に返答もせず、アレックスはそそくさと部屋を出た。扉の閉まる音が、暗い部屋に耳障りに響く。
そのまま立ち去るかと思えたアレックスがドアのすぐ向こうで腰を下ろしたことは、聞き耳スキルで強化された聴覚がすぐに感じ取った。
そして、聞いたこともないくらい弱々しい声が囁かれた。
『会いたいよ……』
啜り泣く彼女に、僕は駆け寄ってあげることすらできなかった。今彼女の前に出ては行けないと思った。そうしてしまえば、きっと決定的に何が壊れる。そう理性ではわかっているのに、僕の中の誰かが強烈に身体を動かそうとする。自分の胸元を痛いくらいに掴んで、その気持ちを必死に押し留めた。
一通り泣きしきった後、アレックスが離れ去った。彼女はなんて強いのだろう。心が折れないという何物にも代え難い強さ。
彼女に何があったのかは分からない。きっと想像を絶する絶望が在ったのだろうということはわかる。そうでなければ割りに合わない。だってアレックスは笑っているべきだ。────そう、心の中の誰かが叫んでる。
ベットの上で膝を抱えて物思いにふける。アレックスとの思い出、アレックスの感情、1つ1つを頁をめくるように丹念に紐解いていく。それが、何も分からない僕が彼女がために今できる全てなのだと信じて。
夜は深まる。それが、今宵はやけに早い気がして。
ただ、少しだけ愚痴をこぼしたくなった。
「なんだよ……ちょっとぐらい教えてくれたっていいじゃないか……」
☆
「結局一睡もできなかった……」
一晩中アレックスのことを考えてしまった。しかしどこまでいっても堂々巡りだ。つまるところ、情報が少な過ぎて何をすれば良いのかすら分からない。彼女が何かしらで困っていることは確かなんだけど……。
またもや思考の深みを嵌ろうとする僕を連れ戻すように、メッセージの着信音がけたたましく響いた。
『黒鉄宮の入り口で集合。10時半から探索開始だ。遅刻厳禁な! キリト』
時計を見ると今は9時過ぎだ。集合時間まで余裕はあるが、一眠りするほど長いわけでもない。
しょうがない。今日はこのままいこうか。オール明け特有のちょっとブルーな気分になりながら、僕はベットから立ち上がって支度を始めた。
メニューウィンドウを操作していると、メッセージのアイコンが目に入る。アレックスに連絡すべきだろうか……。
正直気まずい。アレックスのことだからきっと普段と変わらず接してくるだろうが、今はその笑顔を直視できる気がしない。昨日の夜見たがらんどうの笑顔。あんなものを見てしまえば、どうしてもいつもの微笑みすら塗り固められた仮面に勘ぐってしまう。
「はあ……ダメだよね、こんなんじゃ……。アレックスは隠し事してるだけで、僕が勝手に気を張っちゃってるだけなんだし」
「ダメなことないですよっ!」
「うええ!? アレックス!? なんでここに……」
「なんでって、システム的には私の部屋でもありますし? そんなことはどうでも良くってですね。ここに来たのは他でもなく、昨日のことを謝りたくて参ったんです」
アレックスは浮つきを取り払った顔で僕を見る。裏表など感じられず、今の僕にとってはいつもの笑顔より安心できた。
「謝るなんて……アレックスが悪いことしたわけじゃないんだし」
「いいえ、悪い子でしたよ。昨日の私は。だから言葉にしておきたいんです。昨日の私の行動で何かしらを感じたかもしれませんが、忘れて下さい。これは私の問題ですから。……そう分かってるはずなのに私は貴方に甘えてしまった。だから……ごめんなさい」
それは明確な拒絶だった。踏み込んでくるな。ここでこの話は終わらせようという。悲壮な決意を面持ちに宿らせていう彼女を、僕は────
「嫌だ!」
「ほぇ!?」
「やだよそんなの。見過ごせないし見過ごす気もない。たとえアレックスに嫌われたって、僕は首を突っ込むよ!」
正直な気持ちを打ち明けた。
エゴでしかない。僕がそうしたいからそうするだけ。それがアレックスのためになるかすら分からない。けど、一晩無い頭を振り絞って得た答えがこれなんだ。だから貫き通そうって思う。
僕の言葉が飲み込めないという顔をアレックスは作る。その直後、アレックスのほおが湯だったように紅潮した。
「ど、どうしたのアレックス!? 具合悪い?」
慌てた僕を見てアレックスは吹き出した。意味が分からず、僕は頭に疑問符を浮かべてしまう。
笑いの治まったらしいアレックスは、柄にもなくもじもじと、いつも通りの屈託無い笑顔で言った。
「ほんっと、ライトさんなそういうとこズルいですよねっ!」
「へ? 何が?」
「なーんにもっ! さ、行きましょうっ! ライトさんもキリトさんに呼ばれてますよねっ?」
急にテンションの高くなったアレックスに腕を引かれて、僕らは宿屋を後にした。僕の袖をぐいぐいと引くアレックスの横顔には、さっきまで無かった希望の光が灯っていた。
僕とアレックスが集合場所である国鉄宮の入り口に着いたとき、すでにキリトとアスナ、そしてユイはそこで待ち受けていた。無理に起こされたのか、ユイはまだ眠気と戦うように欠伸を噛み殺している。
僕らの姿を確認すると挨拶もそこそこに、キリトは早速本題を切り出した。
「さて、今日集まってもらった意図はみんなも分かってると思う」
「PoHのことだよね。具体的には何するの?」
「良い質問だ、ライト。現状、ぶっちゃけ手がかりは0に等しい。ので、まずはとっかかりを見つけるところからだ」
「というと?」
「国鉄宮に潜る」
妥当な案だ。わざわざ国鉄宮の前を待ち合わせ場所に指定したのだから当たり前といえば当たり前なのだが。
それは誰もが予想していたようで、キリトに向かって3人で同時に頷いた。それへの返答は堂に入ったシニカルな笑みだ。
「よし、じゃ出発!」
探検に出かけるようなノリでキリトは勢い良く滑らかな鉄の扉を開け放った。
「あのさあ……キリト? 遠足じゃないんだよ?」
「手を繋ぎながらの奴に言われても説得力ないなあ」
ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながらキリトが言う。確かに僕とアレックスは手を繋いでいる。別に嫌では無いのだが、恥ずかしいのは事実だ。
「あの、アレックス? 一旦手を……」
「いやですっ!」
きっぱり笑顔で断るアレックス。
困った。その笑顔があんまりにも幸せそうなものだから、無理に振り払うこともできやしない。
僕の表情も自然と綻ぶのを感じる。
「そっか。じゃあ、このままで」
「ふふ……ありがとうございますっ!」
アレックスは更に一歩、僕の方へと近づいてきた。黒曜石のように美しい黒髪が、風になびいてふわりと広がった。昨日までポニーテールだったのに、今日は下ろしていることにやっと気づいた。
「髪、下ろしたんだね」
「……ええ」
なぜか寂しそうにアレックスは相槌を打つ。
個人的には下ろしているより括っている方が好きなのだが、それは言わぬが花だろう。
視線を前に向けると、黒鉄宮の正門の奥からキリト、アスナ、ユイの3人が笑顔でこちらを見ている。
「待たせちゃってるね。行こっか」
「はいっ!」
監獄塔の中に入ると、すぐに正門が閉まり始めた。それはこの魔城が侵入者を逃さないと意志を持って動いているかのようだ。
扉が閉まると廊下を照らすのは薄ぼんやりとした灯篭だけになってしまう。妙な寒気を背筋に感じながら、アレックスと繋いだ手を強く握って歩みを速めた。
黒鉄宮の中はダンジョン形式になっており、奥に行くほど強大なモンスターが行く手を阻む。とは言え最前線プレイヤー4人のパーティーなのだから、生半可な強さでは障害にすらなりえない。30戦ほどこなして回復せずに体力が1割も減っていないのがその証拠だ。まあ、僕とキリトは自動回復スキルを所持しているのだが。
というか、戦闘の厳しさを感じるというよりむしろ……
「ライト、スイッチ!」
「はいよ!」
めちゃくちゃ楽しい。
今相手どっているのはブカブカのフーデットローブを目深く被り、大きな鎌を携えた獄吏だった。
獄吏が鎌を振り下ろすより疾くその懐に入り込む。鎌を握る手元めがけて閃打を繰り出す。それで鎌の動きが止まった。
ここぞとばかりに拳術スキル正拳突き『封炎』を獄吏の腹に狙いを定めてくりだした。
拳に分厚い脂肪の感覚が伝わる。腹パンされた獄吏は1メートルほど吹き飛んだ。更に追い討ちをかけようと、マスターメイサーが疾駆する。
「ライトさんっ! スイッチですっ!」
「オーケー! 決めちゃえアレックス!」
「うりゃあっ!!」
大上段からの振り下ろし。Mobの脳天に直撃し、その身体は木っ端微塵に砕け散った。リザルト画面を確認した後、3人でハイタッチ。
すると、後ろで見ていたアスナが不満気な声を出した。
「もう……」
「すねるなよ、アスナ。次は代わるからさ」
「そうじゃないよーだ」
アスナはほおを膨らませ、そっぽを向いてしまう。そんなアスナを見るキリトの視線は慈しみのこもったものだった。
アスナの後ろからひょこりと顔を出したユイも、母と同様不満顔だ。
「パパ! ママを困らせちゃダメなんだよ!」
「ははは! こめんなユイ。反省だ」
「ほんとに?」
「ほんとほんと! このとおりだって」
キリトは手を合わせて頭を下げる。それを見たアスナは破顔して言った。
「ねえユイちゃん。パパも反省してるみたいだし、そろそろ許してあげよっか」
「うん!」
「ありがとなー、ユイ」
キリトも笑顔になってユイの頭を優しく撫でた。
なんというか、こう、若年夫婦かな?
僕とアレックスからの微妙な視線を感じ取ったのか、キリトはバツ悪そうに仕切り直した。
「ま、ともかく先へ進もうぜ。PoHが投獄されてたのは最下層なんだから早くしないと日が暮れるしな!」
「う、うん! そうだね!」
同意するアスナもどこか恥ずかしそうだ。
もう少しいじっても良いのだが、口論ではキリトとアスナの方が確実に上手なのでやめておく。大人しくキリトの言葉に従って階段を下りていく。
更に数度の戦闘を重ねた後、僕らは黒鉄宮の最下層へと至った。それは同時にこの浮遊城アインクラッドの最下層でもある。
事前に確認した資料によると、途中にMobの湧かない安全地帯が存在し、その更に奥にPoHの牢屋が存在するそうだ。
地の底に足を着けると、今まで和らいでいた緊張が戻ってきた。硬質な床が立てる足音が、否が応でも背筋を強張らせる。
その感覚は誰もが共通なのか、キリト、アスナ、アレックス、そしてユイまでもが緊張をあらわにしている。
ここは1度発言して少しばかり空気を柔らかくしよう。
「PoH、見つかるといいね」
「いや、見つかったら見つかったで良くないだろ」
確かに。
うわあああ……。余計に空気が重くなった。
もうこれ無理に喋らない方が───
ゴオォォオォオン。
地響きのような厳しさで何かが鳴った。
頭の回転が早いアスナとキリトが即座に言葉を発する。
「なんの音!?」
「やばいな……っ! モンスターだ。しかもデカいぞ! みんな! 一旦退避だ!」
索敵スキルか長年の経験か、即決したキリトに従って僕ら来た道を戻る。しかし……
「ダメだ! 階段への通路が閉まってる!」
いち早く角を曲がった僕が、見た光景をありのままに説明する。廊下には元から何も無かったとでも言うかのように、周囲と同質の壁がせり上がっていた。当然ながら黒鉄の壁は破壊不能オブジェクトだ。
さすがにこの状況は危険に過ぎる。敵の強さもわからないのだからまずは撤退すべきだ。
「転移結晶展開するね!」
「いや、ダメだ! ポップ後即全体攻撃のパターンだと転移失敗する!」
キリトの冷静な判断に助けられる。転移結晶で転移する時、1ダメージでもくらえば即転移失敗しはじき出させる。それが致命的な間を生んでしまうこともある。実際にそれが原因で部隊の過半数を失ったパーティも存在するのだ。
キリトと同様に身体を構え、これから広間に現れるであろう巨影を凝視する。そこに現れた赤いカーソルが1つ。やがて、眼前に地獄の猛火が立ち上がる。浮遊城の最深部、罪人達の楽土で顕現するその死神の名は────
「《The Fatalscythe》───運命の鎌、か」
キリトが独りごちる。
Theという定冠詞はボスモンスターの証だ。これは相当な強敵を覚悟せねばならない。
名前の通り幾つもの命を吸ってきたであろう巨大な鎌。それを持つのはフーデットローブを着た巨大な骸骨。その姿まさしく死神そのものだ。
放たれる威圧感はフロアボスと同等のものを感じられる。そう思った僕より一際深刻な声音でキリトは独りごちた。
「初撃を見切れたらアスナはユイを連れて安全地帯まで逃げてくれ」
「え……?」
「こいつ、やばい。俺の識別スキルでもデータが見えない。強さ的には多分90層クラスだ……」
「…………!?」
この場の誰もが息を飲む。その間にも刻一刻とボスの身体が実体化していく。
「アレックスも逃げて。僕らが時間を稼ぐ」
「な……私も戦いますよっ!」
「そうだよ! キリトくんとライトくんも一緒に……」
「俺たちは後から行く! 早く!!」
僕とキリトは静かに目を合わせて頷きあう。2人でこの場を乗り切ろう。その決意とともにキリトと拳を打ちつけた。
男2人で覚悟完了したは良いが、女子2人はそうもいかなかったらしい。アレックスとアスナは全く同時に武器を構え直し、
「アレックスはユイちゃんと一緒に───」
「アスナさんはユイちゃんと一緒に───」
全く同時に真逆の言葉を発した。
その時だった。遂に実体化した死神がゆらりと鎌を振りかぶり、猛烈な勢いで突進してきた。
僕はアレックスの前に、キリトはアスナの前にそれぞれ仁王立ちになる。そんな僕らなど眼中に無いように死神は突進の速度を緩めない。必死の大鎌を振り上げ、そして、閃光、爆発。
何が起こったか分からない。ただ理解できるのは、自分の身体が中空に吹き飛ばされたということ。地面に打ち付けられてから、チカチカと明滅する視界にやっと色彩が戻りだす。確認した体力ゲージは7割を割り込んでいた。直撃でなくてこれだ。当たれば即死は免れない。周りを見るとキリトも同様だった。むしろキリトは直に受け止めたらしく、僕より酷い有様だった。アスナとアレックスは体力が半分というところ。つまり、誰もが次の一撃に耐えられない。
立たなきゃ。立って、回復して、皆んなを拾って逃げなきゃ。そう思うのに身体がついてこない。動けるわけないだろ、無茶も大概にしろと抗議してくるかのようだ。
「それでも無茶は通さなきゃ……」
これまでみたいに、これからも。
足と拳に力を込めて、全身全霊で起き上がろうと奮起する。
────その時だった。
そんな僕の横を軽やかな足取りの少女が通った。
「ユイちゃん!?」
思わず素っ頓狂な声がもれる。他の3人も同様に驚愕している。
小さな身体で、細い手足で、あとけない瞳で、少女は恐れ無く死神を睥睨する。
「ばかっ! はやく逃げろ!!」
キリトが喉が張り裂けんとばかりに叫ぶ。当然の反応だ。我が子のように慈しんだ少女の命が風前の灯火なのだから。
だが、そんな僕らなどお構いなしにユイの身に奇跡が起きた。
「大丈夫だよ、みんな」
ユイの身体が宙に浮かぶ。
あまりにも自然な、翼を羽ばたかせたかのような移動に唖然とする。そのまま高度を増していき、2メートルほどのところでピタリと静止する。
「だめっ………! 逃げて! 逃げてユイちゃん!!」
アスナの絶叫を両断するが如く、死神は少女に大鎌を振り下ろす。容赦の無い豪速の刃。まちがい無くユイの体力を消し飛ばすであろうそれが、飛行する少女の脳天へと落ちて────
ガキィィィン!!
甲高い金属音とともに弾き返された。
そこに表示されていたのは【Immortal Object】。プレイヤーが持つことは許されない不死の証明だ。
理解の範疇を超えたらしい死神が、目玉をぐるぐると動かして少女を観察する。
その直後、更に信じられないことが起こった。小さなユイの右手から炎が立ち上がり、みるみると細長く伸びていった。空間を焼け焦がした炎熱は徐々に形を持ち始め、1つの刀となって現れた。刃渡3メートルはあろうかという巨剣を携えるユイ。あの小さな身体のどこにそんな力が眠っていたのか。炎色は辺りを明るく照らし、暗澹とした牢獄に煌々と少女を浮かばせる。
ユイは身の丈を優に超える剣を高々と振り上げ、白刃一線、死神へと無慈悲に叩きつけた。
《運命の鎌》を騙る死神とって、自分より遥かに小柄な少女こそが死神に見えたのだろうか。恐慌一歩手前の動きでボスは後ずさり、鎌を盾にするように構えた。
長大な得物同士がぶつかり合う。それはユイの持つ剣の熱量が故か、鎌の柄を溶かすように刃はじりじりと食い込んでいく。膨大な熱量が放たれ、死神のローブと純白のワンピースが千切れんばかりにたなびく。火花は四方へ飛び散り、地獄は昼間のように染め上げられる。
爆音が鼓膜を揺らしたとき、刃はついに死神の鎌を断ち切った。そこから鋒は更に加速し、保持していたエネルギーの全てをボスの顔へと集中させた。
「────っ!!」
生まれた火球は恒星の如く爛々と煌めく。身を焦がすほどの熱量が倒れ伏す僕らにまで伝わってくる。紅蓮の炎は死神の身体を灰も残さず灼いていく。轟音の背後に微かに響く断末魔は、命の狩人自身が事切れたことを意味していた。
暴風と爆音が収束してから、思わず閉じていた目を開けると既に死神の姿は無かった。少女の手に握られた大剣が、元の炎に還りながら失われていく。
残り火が揺らめく広間の中央には、俯き立ち尽くす少女が1人。
「ユイ……ちゃん……」
よろめきながらアスナはユイへと声をかける。アスナへと振り向いた瞳には、大粒の涙が今にも溢れそうに溜まっていた。
僕ら全員を見渡した後、ユイは言った。
「ぜんぶ、思い出したよ……。だから、話すね。そしてみんなに知って欲しいの。《あの人》の、最後を…………」
今回の話を書くにあたってラフコフ戦争編を読み返していたのですが、なんかこう、すごい! こんな必死に書いてるんだ! って自画自賛気味に恥ずかしくなりました。
時間が経過してあの熱量を忘れてしまっていたようなのでもう一度気合いを入れ直し、これからも精進してまいります!