冬休みと年末イベントでプラマイゼロになって、小説のための時間がいつもとあんまり変わらないです。
喉が詰まる。
呂律が上手く回らない。
漂白剤でも掛けられたかのように頭の中が真っ白だ。
彼女の名前を呼ぼうとするだけなのに、何故か僕の身体が拒んでいる。
その行為に何か不都合があるかのように。
それでも無理やり、咽喉の灼熱に耐えながら、僕は彼女の名を呼んだ。
「ア、アレック、ス……」
刹那。
フラッシュバックした。
思い出した。思い出してしまった。
忘れる去った記憶。
蓋をした記憶が、まるで暴力のように這い出てきて────
『アレックスにとって、僕らは仲間でも何でも無いってことなんだろ!!』
何だ。僕は何を云っている?
この記憶は嘘だ。
こんな僕はまやかしだ。
僕がこんなこと────言ったのか?
虚空を泳いでいた僕の目は、アレックスを捉えた。
そのとき、彼女の目元は、赤く、腫れていた。
途端、吐きそうになる。
逃げたい。
今すぐここから逃げ出して、アレックスの目線を逃れたい。
そんな、そんな────そんな卑怯な事、してたまるか!
「アレックス! ごめん! 僕は君に、何て酷い事を───」
「ごめんなさい、それ以上言わないで。また思い出しちゃいます」
僕を遮って発せられたアレックスの言葉。
責めるわけでも、詰るわけでも無いそれは、僕の胸に、引き裂くような痛みを与えた。
アレックスは謝るなと言った。
謝れば、心の傷が再燃するのだと。
だから、これ以上の謝罪は、きっと自己満足にしかならないのだろう。
だけど僕は謝りたい。
でも、どうすれば……
あ、そうか。そんなの簡単じゃないか。
ごめんなさいという言葉以外で、僕の気持ちを伝えればいいんだ。
謝罪よりも単純で、尚且つ、僕の言を否定する言葉。
それは同時に、とても明瞭な僕自身の気持ちの決着でもあった。
僕は、アレックスにきちんと向き直った。彼女の両肩に手を置き、そして、言った。
「ねえ、アレックス。僕はね、アレックスのこと、大好きだよ」
そう。僕は、嘘偽りなくアレックスの事が好きなのだ。
それが、どういう『好き』なのか自分でも解らないけれど、それでも、好きという言葉だけは伝えられる。
そしてこれが、『お前は仲間じゃない』なんてバカげた言葉を否定する、最大の文句だと想ったのだ。
アレックスは目をパチクリとさせてから、言葉の意味を咀嚼するように俯いた。
そうして、蚊の鳴くような声で呟いた。
「………は、反則ですよ、ライトさん。そんなの、許しちゃうじゃないですかっ!」
そう言って、アレックスは頬を熟れた林檎のように赤らめた。
モジモジと身体を揺らすアレックス。
その後、アレックスは何かを決心したかのように胸の前で拳を握りしめ────
「えいっ!」
という掛け声と共に、僕の腰に手を回した。
所謂、抱擁である。
「!!?!?!???」
「優子さんに気を遣って、今までこんなことしませんでしたけど、もう我慢の限界ですっ!
大好きっ! ライトさん、大好きですっ!」
「え、えええっ!? ちょ、ちょっとまっ! 何してるのさ、アレックス!?」
「何って、ライトさんをぎゅってしてるんじゃですかっ!」
「いや、それは分かる! それは分かるけれども、何故に抱きつくのかって訊いてるんだよ!」
「そんなの、ライトさんが好きだからに決まってるじゃないですかっ! 恥ずかしい事言わせないで下さいよ〜っ!」
本当に幸せそうな笑顔を浮かべながら、アレックスは僕に抱きついている。
けれども僕の心には、罪悪感の芽が再発していた。
彼女の好きという言葉は、僕なんかが持つには贅沢すぎる。
彼女を非難した僕には、アレックスに、大好きなどと言ってもらう資格は無い。
その思いをアレックスに伝えようと、僕は上擦った声を正して言った。
「ねえ、アレックス。僕は君にあんなに酷い事を言ったのに、何故君は、僕をこんなにも……」
続く科白は、どうにも気恥ずかしくて声に出せなかった。
アレックスは、整った顔を憮然とさせ、口を曲げて言った。
「それは言わない約束じゃないんですかー」
「うぅ、ごめ──」
「謝るのも無しって言った筈ですよっ!」
八方塞がりである。なら、僕はどうすれば良いのか。
アレックスは、困った子供でも見るかのように、穏やかに微笑んだ。
「────つまりライトさんは、私がライトさんを好きな理由を知りたい訳ですね?」
アレックスの問いかけに無言で首肯する。
するとアレックスは、意外にも目を伏せた。数刻の間が空く。
アレックスは顔を曇らせたまま、ポツリと回答を発した。
「それは……まだ言えません」
あまりに苦しげな、アレックスの声音。
それは、苦虫を噛み潰したと言ってもまだ生温い、苦渋の決断の顔だった。
じゃあ言わなくても大丈夫だ。そう言いかけた瞬間。
アレックスは出し抜けに顔を上げ、僕の目を射抜く視線で言った。
「けどね、ライトさん。私がライトさんを好きだって事だけは、信じてくれませんか?」
真っ直ぐな瞳でアレックスは言う。
その目元は、直前まで涙に濡れていたことがありありと分かるほど腫れている。
それは、僕の暴言が招いた罪。
それでもこの娘は、僕を好きだと言ってくれる。
もはや理由など必要無い。
僕は、この純粋な心に応えねばなるまい。
僕に抱きつくアレックスの、頭と肩に手を回しす。
そして、僕は力いっぱい彼女を抱き締めた。
「きゃっ!……え、あ……ん、ふふ」
可愛らしい悲鳴を上げてから、アレックスは僕の胸に頭を摺り寄せた。
しかし、自分からやっといて何だが、こうもしっかりと抱きつかれると、こちらとしては恥ずかしいモノが……
「wow! 熱いね、お二人さん。しかし何だ。そういうコトは公共の場ですべきじゃねえと思うぜ。
ましてや、俺らみたいな紳士の前では尚更な。我がギルドの面々が、いきり立っちまってしょうがねぇ」
口元を釣り上げながら、ラフコフのギルマスが楽しげな口調で言った。
いや、あれは苦笑いか。
かく言う僕も、ここが敵の本拠地であることを失念していたという事実に、苦笑を禁じ得なかった。
「えーっと……ボク達もいるよー、なんちゃって……」
なんとも居心地の悪そうな声が、背後から投げかけられた。
ビクリと肩を震わせてから振り向く。すると、そこに居たのは───
「リーベ、それにムッツリーニ!
な、何でここに!?」
「詳しい話は後! それより構えて。もうそろそろ敵さんも待ってくれないみたいだよ!」
緊迫した声調で、リーベは殺人鬼を鋭く睨む。
リーベの言い分は解る。痛いほどよく解る。
だがしかし、今の僕にとって真の敵とは、ラフコフなどではなく───
「……ライト、オマエ、ブチコロス」
嫉妬に狂った
怨念渦巻く言葉を受けて、僕は咄嗟にアレックスから腕を離した。
アレックスは口を尖らせているが、それは後で謝ろう。今は自分の命を優先したい。
「ちょ、ちょっと待ってよ、ムッツリーニ!」
「……何だ? 言い訳が有るなら言ってみるが良い。あと三秒待ってやる」
短過ぎる!?
「え、えーっと! む、ムッツリーニ! やっぱり、仲間同士で傷付け合うなんて良くないと思うな、うん! それにほら、今の状況を鑑みてよ。敵の本拠地でケンカだなんて……」
「……三秒経った」
この野郎!
元から言い訳を聴く気なんて無かったな!
「……さあ、ラフコフに引き渡されるか、俺自ら手を下して欲しいか。今ここで選べ!」
目を見開き、ムッツリーニは声を張り上げる。
親の仇でも見つけたような迫真さで、僕にジリジリと切迫する。
これはもう、応戦するしか無いか……。
まずは、神耀で後ろに回り込み、大上段の蹴りを……。
そんな戦術を思案し始めた瞬間。
────ムッツリーニの頬に、リーベが唇を当てがっていた。
「はい。ムッツリーニ君もライト君もこれでおあいこ、ね?」
そう言って、リーベは悪魔的に微笑んだ。
普段がサッパリとしたものだから、急にこういう事をすると本当に始末が悪い。
「……く…………っ!」
真っ赤に染まった頬を摩りながら、ムッツリーニは歯噛みしている。
どうやら、気が動転して言うべき言葉を失ってしまったようだ。
「じゃあ行くよ、皆! 囚われの姫様を助けにね!」
打って変わって、リーベは勇者然とした表情を作る。
ボーイッシュな美人は、こんな表情さえハマるのだから参ってしまう。
「オレ達を倒すってのか? たった四人で? 『鎧』の力も無しに? ハッ! 笑わせる」
心底おかしそうに、PoHはくぐもった笑いを発した。
まるで、既に自らの勝利を確信しているように。
────ところで、『鎧』って何だ?
それが、どうしても訊きたくなった。
止めろ。
何の事は無い。ただの興味だ。相手の言葉に不明な箇所があったから、それを指摘するだけ。
訊くな。
特に重要性が在る訳でもない。普通の会話だ。
口を開くな。
だから僕は、ごく自然に、少々の敵意を持ってPoHに声をかけた。
「おい、ちょっと待て、PoH」
ヤメろ。
訊くな聞くな聴くなキクナ。
それ以上踏み込むな。
立ち入るな。
興味なんて捨てろ。
好奇心なんて放り出せ。
お前は自分を捨てる気か?
戻れなくなる。
だから、それ以上は────
「『鎧』って、何だ?」
PoHの顔が、嗜虐に歪んだ。
そうして僕/俺は理解した。やはりこの質問は、すべきではなかったのだと。
身体の底から湧出する、嘔吐感と高揚感。
一万の憎悪。
それを手中に収める興奮。
嫌な汗が背中を伝う。
それは轟々と流れる滝のよう。
だけれど、それが与えたのは不快感では無かった。
いやむしろ、僕/俺から全ての不純を、意識を、根刮ぎ奪っていったのだ。
「教えてやろうか?」
知りたい。
その先を識りたい。
答えをシリタイ。
憎むべき殺人鬼の声も、今だけは非道く甘美な蜜だった。
「なら言ってやろう、お前はな───」
「聞いちゃダメです、ライトさんっ!」
「お前はとある『鎧』を着たんだ。その鎧にはな、お前の精神を助長するクスリが籠められていた」
「違いますっ! 『鎧』に籠められていたのは、貴方の精神を侵す毒ですっ!」
「その結果、お前は自らの意思で、どんな行動を採ったと想う?」
「いいえ、決してそれは貴方の意思ではありませんっ!」
相克する二つの声は、僕/俺の中で津波が如く止揚した。
ああ、答えが、聴キタイ。
「お前自身の腕で、爪で、脚で、オレの仲間達をバカバカ倒していきやがったのさ。
そのときのお前はそりゃ見ものだったぜ? 何しろ、人を殺めるのが至上の悦びみてぇに、ニヤニヤ笑ってたんだからよ。
ホント、お前の笑顔にゃ、
なるほど、そうか。
俺は、人を殺して愉しんでたのか。
そりゃ聴きたくなかった訳だ。
僕にそんな趣味は無い。
俺が殺りたかったから殺っただけ。
だから、僕は聴きたくなかった。
けれど、俺は聴きたかった。
自己矛盾は加速する。
それはまるで、初めて人を甚振る事を憶えた子供のような純真無垢。
そうか。だったら、殺さなきゃ。
今迄通り、今迄以上に、俺が俺らしくあるために────
「────ふざけんなっ!!
僕が進んで、そんな事するかってんだ畜生め! ああいいよ。だったらお望み通り、全部『お前』に押し付けてやる! 責任転嫁は僕の十八番だ!
ラフコフを殺したのは『お前』の所為!
それを愉しんだのは『お前』が勝手に思った事!
悔しかったら、ちっとは反論してみやがれ、この野郎!」
振り払うような逃げるような怒号が、岩窟全域を震わした。
僕の口から飛び出したその言葉は、哀叫にも等しき必死さが伴っていた。
それはきっと、否定したかったから。
僕がこの手を、血に濡らしたという事実を。
罪を、罰を、誰かになすりつけたかったのだ。
この叫びは、弱っちい僕の感情の披瀝だ。
────ならば俺は、都合の良い
それは違う。
何故ならば、俺とライトは完全なる別人だ。
両者が両者の
ライトに内在する俺は、歴とした一個人だ。
────っ!?
駄目だ。少しでも気を抜けば、一瞬で意識を奪われる。
自身の意識の与奪だなんて、こんな間抜けたコトをするハメになるとは思わなかった。
「ぁ──っはぁ───っ!」
呼吸を乱すな。
正常に保て。
僕は僕だ。
他の何者でもない。
お前なんかに、僕を渡してやるもんか!
「大丈夫、ライト君? 朦朧としてると思ったら、急に叫び出したりなんかして」
珍しく心配そうなリーベの声。
そんな彼女に右手を向けて、大丈夫だとジェスチャーする。
ようやく架空の肺が落ち着いてきた。
中腰だった身体を伸ばす。
すると、僕に背中を向けたまま、アレックスがいつにも増して冷やかに言った。
「ライトさん。貴方は帰って下さい」
「…………」
アレックスの言いたい事は解る。
つまり彼女は、僕が暴走する可能性を危惧しているのだ。
それはもっともな心配だ。今だって、危うく意識がトビかけたんだから。
けれど、その命令は飲めなかった。
「こんな中途半端に
はっと息を飲んでから振り返り、アレックスは口を結んだ。
そうして、糾弾するような視線で、僕を見据えて言った。
「ダメです。そんなガタガタの精神で、貴方に何が出来るって言うんですか?」
「闘える」
僕がそう言うと、アレックスは閉口した。
アレックスから目線を外し、正面に向き直る。
そこに佇むのは、この事件の元凶だ。
憎しみの焦点を見据える。
嘔吐感を堪え、歯を食いしばりながら一歩進む。
左脚で地面を踏み締めた瞬間、紫電に貫かれたかのような激痛が僕を襲った。
「ぅ───あっ──」
呻き声が洩れる。
ただ歩くだけで、こんなにも堪えるとは思わなかった。まあでも、大丈夫だろう。死にはしない。
こんな思考の時点で末期だな、なんて自嘲しつつ、次の一歩を繰り出す。
けれど僕の右脚は、亡者の腕に絡め取られたように微動だにしない。
駄目だ。
気をしっかり持て。でないと飲み込まれるぞ。
人を殺したショックで前に進めないってのか?
冗談キツイ。
殺したのは僕じゃない。『あいつ』だ。
『あいつ』が僕の身体を乗っ取って、勝手に人を殺したんだ。
そう思わないと。
そう思い込まないと、僕は拳を振るえなくなる。
「ライトさん。貴方は、貴方が……いえ、貴方の身体が殺人を犯した事を何とも思っていないのですか?」
アレックスは、心許なさげに呟いた。
そんな彼女に、僕は最大限の笑顔を見せた。
けれど、表情筋が上手く動かない。それは、本当に笑顔として、彼女の目に映ったのだろうか?
そんな気掛かりと共に、僕は彼女の問いに応えた。
「違うよ、アレックス。何とも思ってないんじゃない。気にしていないだけなんだ」
そう。ただ、現実から目を逸らしているだけ。
それを気にしてしまったのなら、僕は今すぐ自殺する。
殺人。
今の僕には、その言葉はあまりにも重過ぎた。
故に、僕は闘わねばなるまい。
それが、この世界における
凶器たるこの腕で敵を穿つ事のみが、僕の
だからこそ、敵と拳を交えなければ、その停滞は死亡と同義だ。
いくら前に進めなくても、是が非でも闘わなければ。
自己に矛盾を孕みながら、僕は
今回のお話、切りどころが無茶苦茶難しかった……。
キリの良いところまで描こうと思っていると、いつも間にやら七千文字。
取り敢えず五千文字まででカットしてみたものの、キリが悪く、結局六千文字で投稿と相成りました。